2011年8月27日土曜日

風水による弘前城下の守り



 先日、養生会の第118回の創立記念式で「明治二年弘前絵図」というタイトルで講演してきた。118回というのがすごい。明治22年に養生会ができてから、戦後もずっと継続してきた。つい日本人は戦前と戦後を分けて考える習慣ができてしまっているが、いくら戦後世の中ががらっと変わったからといって、続くものは続いて行く。弘前にはこういったものが多く、これを司馬遼太郎は「もの持ちのいいところ」と評したのであろう。

 さてこの講演では、最初に弘前全体について紹介し、その後、偉人の生誕地を中心に各町単位でしゃべった。その時に気づいたことであるが、この絵図では町人の住まいを赤く塗っているが、弘前全体の印象として青線のように何だか、右卍(逆卍)に似ているなあと思った。ご存知のように弘前市の市章は左卍であり、これは津軽家の家紋によるが、これに関係あるのかと思った。ところが北東の線が右卍ではなく、むしろ大きな風車、水車と見なした方がよさそうだ。

 弘前城下は岩木山を真向こうにみるようにお城、道が作られているため、北西方向に少しずれている。一般の地図は北側が上になるため、どうも弘前の場合、しっくりしないのはこういった訳であり、明治四年絵図の方が日常的な方位感覚、岩木山の方が上、お城方向であるといった感覚にマッチする。

 岩木山から来た風は、この風車で右廻りに回転し、再び岩木川に流れていく。新しい風は風車を回転させながら街に活気を与える。一方、風水による邪の気は北東の表鬼門と南西の裏鬼門から入る。その邪気から逃れるため、弘前の街がとった方法は、鬼門には八幡神社はじめ、黒丸の7つの神社で防ぐというもので、市内にある12個の神社(住吉神社、五穀神社、稲荷神社はひとつとする)のうち7つを鬼門に集めた。一方、裏鬼門に当たる南西方面は禅林街、新寺町の40近い寺で守る。つまり表鬼門は神様で、裏鬼門は仏様で守ろうとするものである。強力である。

 さらにこれは佐々木隆さんからの引用だが(「風水で読み解く弘前」北方新社)、神明宮、八幡神社、熊野奥照神社、大杵根神社、東照宮、住吉神社、胸肩神社(佐々木さんは稲荷神社としているが)の7つの神社による北斗七星(緑線)があり、鬼門の邪気を防ぐ。さらに八幡神社、熊野奥照神社、杵根神社、神明宮、春日神社、紺屋町稲荷神社、淡島神社(保食神社)の7つの神社を結ぶ線(ピンク)も北斗七星を表しているとも考えられる。この二つの柄杓は、一方の柄杓は岩木山からの聖なる気を城下に注ぎ、神の力で溜まった悪気をもうひとつの柄杓で岩木川に捨てる。同時に大きな水車で気を循環させていく。

 実際、風車、北斗七星の説は、私の全くのこじつけで、根拠は薄いと思われるが、表鬼門に神社を、裏鬼門に寺を集中させたのは間違いなく意図的な町づくりであろう。さらに外から町への4つの通路には、敵の侵入を食い止める枡形(四角青)が、冨田町、和徳町、紺屋町に設置され、近くに足軽町が形成され、敵の侵入に対してすぐに行動できるようになっていた。南西からの敵の侵入に対しては、長勝寺構えがあり、土塁と壕で守られている。また道は直行して城には行けないようにジグザクになっている。実際の敵からの侵入に対しては、こういった城下自体が要塞化している。

 現在でも家を建てる場合は、方位を気にするひとは多い。ましてや新たな城、城下町を作るには、末長い繁栄を祈念した町作り、とりわけ風水を取り込んだ町作りは江戸時代にあっては当然と言えよう。我々弘前人はこういった風水の守られた街に住んでいるのは自慢できよう。

2011年8月24日水曜日

再会の食卓


 近所のツタヤがなくなってから、映画ももっぱらツタヤの宅配サービスで月4本ずつ見ています。大学生のころは年間100本ほど見るほど映画好きでしたが、最近では4本みるのがやっとで、もったいないから早くやめろと家内から言われる始末です。

 「再会の食卓」という映画は、中台合作の映画で、国民党の軍人だった男が1949年に上海の港で分かれた元妻の会いに40年ぶりに母国中国を訪れることから話が始まります。台湾と中国に分断された家族を再会させようとする事業に老兵は参加し、上海にやってきます。そこには元妻の夫、身ごもったまま会っていない長男、長女、次女、その夫、家族が「台湾人が来る」と音楽隊まで用意して待っています。老兵は台湾では少しは成功した人物でしょうか、服装も中国の家族よりは立派です。さすがに40年も放ったらかしにしている妻に遠慮するのか、あるいは自分の子供でもない長男を育ててくれた今の夫に気兼ねするのか、無口でいます。

 ところがこの老兵は、しばらく滞在するうちに、とんでないことは言い始めます。老兵は実は台湾で新しい家族を作ったのですが、最近妻を亡くしたばかりです。そして元妻に「俺と一緒に台湾で住もう」と言い出すので、当然元妻は「こちらの家族もいるので、それは無理だと」と言うはずですが、何とこの元妻は「私は家族の生活のためにこれまで暮らしてきたのだから、これからはあなたとの愛に生きる」と実にあっさりと承諾してしまいます。今の夫との関係は非常にいいのにも関わらずです。いやはや。そして二人は、今の夫、家族の前でそう宣言するのです。当然、大騒動です。

 ここからの、妻、元夫、今の夫の言動は、この映画のハイライトで、3人の老優の名演技と相まって、時にはおもしろく、時には悲しく、見応えがあります。40年前によくいった上海のホテルに元妻を連れ込む元夫、離婚届けを出すために結婚手続きの写真を妻とうきうきと撮る今の夫、年をとっても男は本当にばかで、勝手な生物です。それに比べて元妻は、こういった両方の夫の言動を天秤にかけるように眺めて、どんどんきれいになっていきます。最後には今の夫が、食堂でありったけの愚痴を叫んだ後倒れるという非常手段を使い、この企てを阻止しますが、これではおそらく死ぬまで妻には頭が上がらないでしょう。

 映画自体は、小津安二郎の影響を強く受けています。今の夫は嫉妬を感じながらも、男のプライドからか、普段はけちなのに、一匹200元もする上海ガニを4匹も買ってくるシーンがあります。このシーンなど、とても小津ぽく感じました。題名通り食卓のシーンがたくさん出てきますが、色々なシチュエーションで効果的です。中国人の食欲のたくましさに圧倒されます。ただ人の皿にさあ食べなさいと次々とおかずを入れていくのは、ちょっとうっとしいと思いますが。

 王全安監督は非常に才能があるだけでなく、よく勉強しているなあと思いました。まだまだ小津の世界は手法を変えれば、現在でも十分に通用するようです。次回作が楽しみな監督の一人です。

2011年8月18日木曜日

床矯正治療2


 前回、床矯正歯科の問題点について私見を述べましたが、これに関する最もまとまった論文はクインテッセンス誌に掲載された新潟の関崎和夫先生のもの(叢生治療の現在:下顎歯列弓拡大について、上顎歯列弓拡大を考える)ですが、結論としては下顎歯列の拡大は後戻りしやすい、床矯正治療単独で治療は難しい、長期の咬合管理が必要だというものでした。口唇の突出感についてはどう考えるかといった矯正歯科医からの非難もあろうかと思いますが、真面目に床矯正に取り組んで姿勢には感心いたしました。

 今、最も問題になっているのは、床矯正治療うんぬんという問題よりはその宣伝手法にあります。「早期に治療を開始すれば、装置の数も少なく費用も時間もかかりません」といって治療を勧めます。装置1個の費用は数万円ですのでから、確かに一般の矯正治療費に比べてはるかに安くつきます。大事になる前に早めに治せば、簡単に治せるであろうし、費用も安くすむはずと患者さんが考えても全く不思議ではありません。

 ところが実際はそうはうまくいかず、何度も作り直しをする、本人が装置を使わない、この装置だけでは治らないといったことが起こることは十分に予測できます。少なくとも何回かは装置を作り直さなければいけないと思いますし、マルチブラケット装置で治さなればいけない場合もあり、当然別途に費用はかかっていきます。だいたい医療の分野で1個3万円といった物を売るようなやり方には違和感がありますし、私自身こういった安売り矯正治療を宣伝している歯科医院でまともな治療をしているところはないと思います。

 ガンの治療費に例えれば、A病院では5万円、B病院では50万円としましょう。単にA病院の方が安いからとそちらで手術を受けるでしょうか。そうではないでしょう。よく調べてから決めると思います。実際、安いからと歯科医院の言われるまま、治療を受ける患者さん側にも責任はあると思います。また治療の良し悪しについては、患者さん、歯科医師とも考えが違うため、それによる齟齬も発生します。例えば、今のかみ合わせが理想的なものの40%とします。我々矯正歯科医は100%を目標にします(実際には90%)。ただ患者さんによっては60%くらいでよいと考える(でこぼこがあっても反対咬合が治れば良い)もいます。一方、せっかく治療するなら完全に治したいと考える患者さんもいます。床矯正治療をする先生の多くは、この60%くらいで良しとする先生でしょう。前より少しでも良くなればいいやと考える親御さんにとっては、床矯正治療はいい治療法かもしれませんが、理想的な結果を求めるなら、おそらく失望することでしょう。ましては成人患者の多くは、理想的な治療結果を求めて来院されることと、治療法がマルチブラケット法主体なため、こういった床矯正治療中心の歯科医院での治療は勧められません。医学の進歩により前の治療法よりはるかに簡単で、安価に治療できるようになることはあります。しかしながら80年前の治療法を使い、最新の治療より簡便でよい治療結果を得ることは絶対にありません。もしあり得るなら、その方法がすでに標準的な治療法として世界中に広まっているからです。

 さらにこれが一番の問題ですが、どうして歯科医がこういった治療法に飛びつくかと言えば、特別な技術習得、設備投資、高額な矯正器材の購入なしで、矯正治療を始められるからです。マルチブラケット法を勉強するには、大変な手間がかかりますし、器材も購入しなくてはいけませんが、床矯正治療は患者さんの口の型をとり、それを技工所に送り、床矯正装置を作って、装着すれば終了です。標準的な床矯正装置で技工料は1万円以下なので、治療費との差額がもうけとなるわけです。床矯正治療を行う歯科医は少なくとも、マルチブラケット装置による小臼歯抜歯ケースをある程度できる、あるいはそうすることが出来る体制(矯正歯科医を雇う)を作っておかないと、後々患者さんからのクレームとなります。

 世の中、安い、簡単という言葉が主流になっています。そういった時勢の中で、床矯正治療ももてはやされているのでしょうが、「安物買いの銭失い」の格言通り、そんなにおいしい話はないものです。

2011年8月14日日曜日

Ipad2の革命性


Ipad2をようやく購入しました。何だかおもちゃのようで、もうひとつ触手がわかなかったのですが、友人からの勧めで一番安い16Gのものを買いました。アップルのコンピューターを使い始めて20年、これまで7台のアップルのコンピューターを使ってきましたが、これほど革新的なマシンは初めてです。コンピューターの方では、最新のOS LionではかなりIpadの操作性を導入していますが、Ipadに比べると話になりません。最近はもっぱらIpadを使うことが多く、最近ではMacbookProの重さと動作の遅さには耐えられません。

本当ならIphoneを先に購入すべきでしょうが、老眼の進んだ私にはあのような小さな文字、特にインターネットを使い勝手は悪いように思い、毛嫌いしていました。それに対してIpadは画面も大きく、十分に通常のコンピューターの代わりになるとは思ったものの、家でインターネットを見るのであれば、今のmacbook Proで十分であると思っていましたので、それほど必要性は感じられませんでした。実際に使うとアプリが信じられないくらい安く、種類も多く、本当に楽しめます。

 Ipadのどこが革命的であるでしょうか。私の家内は家にコンピュータが4台もあるのの、これまで一切タッチしてきませんでした。ところがIpadについて簡単な説明をすると。ちょくちょくインターネットで検索するようになってきました。これって私的には非常に革命的です。おそらく機械オンチの家内でも使えるのであれば、これまで一度もコンピューターを触ったことのないひと、年配の方も十分に使えるものと思います。誰でも使えるコンピューターとよく言われますが、実際は操作を学ばなくては使えず、この壁は非常に高いものでした。ところがIpadはほとんど学習もなく、簡単に誰でも使える初めてのマシーンです。これをITの主要なツールとして使うことで、すべての人々がITを活用できる可能性をもつと思われます。

 例えば、オーディオではIpodが標準の出力母体になってきましたが、もしIpadが家電、テレビ、HDレコーダ、エアコン、インターフォーン、照明などに対応すると、あの複雑なリモコン操作が一気に簡単になります。いくらリモコン操作を工夫したところで、ボタンの数が増えるだけで、素人が考えてもIpadでテレビの録画がタッチパネルでできれば、どんなに楽になるでしょうか。さらにインターネットの接続も容易で、スーパーなどに買い物ができない年配の方も画面上で買い物をするという実現不可能なこともこのIpadでは可能性があります。大きなスーパーでは宅配サービスをしており、インターネット販売もしていますが、年配の方やうちの家内のようにコンピューターを活用できないひとも多く、実際はあまり利用されていないようです。もしイトーヨーカ堂弘前店がアプリを無料で配布し、Ipadで簡単にインターネット販売できれば、それを利用し、宅配サービスを利用する人も増えるでしょう。

 Ipadは今後のIT分野の核となる製品で、将来的はあらゆる局面、階層にそのコンテンツは用いられそうで、早い時期に家電業界、例えばパナソニックなどがアップル社と協力関係を結び、家電とのコネクションツールになるのではないでしょうか。そういった意味で、アップル社がそのコンテンツをパクった韓国のサムソンを訴訟したのは、Ipadの今後のさらなる発展を見込んだものでしょう。

2011年8月7日日曜日

東日本大震災における自衛隊



 東日本大震災における自衛隊の活動は目覚ましく、これほど大規模な動員は太平洋戦争以来始めてのことであり、有事における自衛隊活動でこれほどの貴重な経験を得たことは大きな財産となったであろう。

 阪神大震災に比べて初動スピードが格段に向上し、第七艦隊のジョーンズ准将によれば、沖縄にいた4隻の海上自衛艦は地震発生後、わずか15分で出航したようで、「世界の海軍の中でも、海上自衛隊ほど迅速な出航ができる海軍はいないでしょう。私は34年間勤務していますが、あれだけ素早い反応を見たのは初めてです」とお世辞も含めて感嘆している。実際、横須賀港にいた護衛艦「はるさめ」は、地震から10分後には護衛艦隊司令官が全艦出航の命令を出し、その後1時間後には速度制限12ノットの浦賀水道を27ノットで航行し、約12時間後には目的地の陸前高田沖に到着した。またまた佐世保基地所属の護衛艦「くらま」は同様に夕方には出航し、最大速度31ノットで鹿児島を回り太平洋に出て、13日に目的地の石巻沖合に到着した。

 一方、陸上自衛隊は陸路からの各地からの救援が道路の寸断により阻まれ、初期の活動は岩手、宮城の第6師団、第9師団が主力となった。それでも愛知県の第10師団は震災の翌日の12日には現地の到着し、驚くべき迅速さは防衛省内部で豊臣秀吉の「中国大返し」になぞらえる声もあったようだ。福岡の第4師団も13-14日には現地に到着し、ほとんどの師団は13から14日には移動を完了し、現地での救援活動に従事した。これほどの兵力を短期間に結集出来た動員力は特筆すべきことと思われるが、多くの部隊はトラックによる陸路による移動であり、移動による体力の消耗を招いた。

 「世界の艦船」の9月号に読売新聞の勝股秀通による「東日本大震災にみる軍事的教訓」という記事が載せられ、自衛隊の活動を評価する一方、沖縄・南西諸島などの離島防衛に直結する「戦略機動」の脆弱さを指摘し、その問題点として1.海上輸送能力、2.情報収集能力、3.核対処能力を挙げている。的確な指摘である。当初、遠方から軍の移動は海上自衛隊の大型輸送艦を使う予定であったが、震災時すぐに使えるのは「くにさき」しかないため、急遽民間のフェリーをチャーターすることにしたが、即座に提供できフェリーは一隻もなかった。たまたま津波により運行を取りやめたフェリーを使って輸送にまわしたが、ここでも民間フェリーに人員と燃料を一緒に混ぜて載せることは「危険物船舶輸送貯蔵規則」にふれるため、その調整に手間取り、結局超法規扱いになったが、それでも船舶会社の許可が出ず軽油しか運べず、肝心の石油は自衛隊の小型輸送艦にてようやく輸送できた。

 勝股氏も述べているように、ここは民間船の活用を検討してほしい。36ノットの高速を誇る高速輸送船はすでにオーストラリアで建造され、青森—函館間でフェリーで活用されているナッチャンReraがあり、現在石油の高騰により運行休止中である。1746名の搭乗と、普通自動車195台とトラック33台を短時間で運べる能力は離島防衛、国内および海外での災害援助にはもってこいのもので、価格も建造時で90億円、中古なのでこれの数分の一で購入できる。すでに中国も触手をのばしており、軍用に改修して戦力に加えたい。また病院船についても、何も新造船が必要な訳でなく、高速の客船を改修して使う方法もある。ただ港も破壊されていることを想定すると、ヘリコプターの搭載可能であった方がよく、輸送船に関しては、おおすみ型を増やすか、先の高速輸送艦を新造する場合はヘリ用の甲板もほしい。

 情報収集能力については、偵察衛星の活用で大まかな画像収集はできるが、やはりリアルタイムの限局した場所の情報収集においてはアメリカ軍の能力には歯が立たない。今回の震災においてもアメリカ軍の無人偵察機グローバルホークが写した原発の被害状況の映像がニュースでも流れたが、この無人機の極めて優れた能力は高度15200メートルという高度で30時間以上も飛行でき、その間リアルタイムに画像や収集した情報を送ることができる。こういった能力は到底有人の飛行機では難しく、まして戦時の状況を考えると、どうしてもほしい機種である。幸い自衛隊でも3機購入の方向で協議されている。また2020年以降に開発が予定されているアメリカ軍の第6世代の戦闘機は無人機、あるいは遠隔操作航空機になるようで、そういった意味からも自衛隊においても無人機の開発が必要となろう。

 被災地における自衛隊の役割は非常に大きく、住民からも大変感謝され、信頼されているが、その割にはテレビや雑誌、新聞における取り扱いは小さく、未だマスコミの軍隊に対する拒否感は強い。今回のブログで参考にした雑誌「東日本大震災 自衛隊・アメリカ軍全記録」(ホビージャパン)も実は、普段はプラモデルなどを扱う趣味の出版会社で、朝日、読売などの大手出版社はあまり自衛隊には関心がないようだ。

2011年8月6日土曜日

岡村チエ


 前回のブログで山田純三郎と岡村寧次大将の関係を述べたが、岡村大将と津軽は他にも浅からぬ関係がある。

 岡村大将の妻、チエは、黒石市の大地主、加藤宇兵衞の娘で、昭和11年に結婚した。岡村は10年ほど前に先妻を亡くし、独身であったが、直参旗本の家柄に生まれた母親がきびしく、母親とうまくやっていける娘、大事にしてくれる娘ということで、選択が難しく、長く再婚しなかった。チエとの結婚時、岡本は仙台第二師団長の中将で、師団長は親補官であるため、結婚の裁可も天皇の許可が必要であった。日本人で天皇の許可を得て結婚したのは岡本夫妻くらいだという。

 岡村チエの父、宇兵衞(1861-1928)は貴族院議員で、故郷の黒石市には未公開であるが、りっぱな屋敷と庭(金平成園庭園)がある。インターネットによれば「加藤は、失業対策事業の一環として金平成園の造園に着手しました。庭園の名称は、「万民に金が行きわたり、平和な世の中になるように」ということから 「金平成園」と名づけられました。しかし、加藤家の家業でもあった酒造業の初代屋号である「澤屋成之助(さわやなりのすけ)」の名前から「澤成園」とも呼ばれ、こちらの名称が広く使われるようになりました。」となっていて、黒石地域の名士であった。明治23年から大正12年までは貴族院議員に立候補する有資格者は青森県で15名、黒石では鳴海久兵衞、宇野清左衞門と加藤宇兵衞の3名であった。

 「妻たちの太平洋戦争 将軍/提督の妻12人の生涯」(佐藤和正著 光人社NF文庫 )には岡本大将の意外な側面を知ることができ、興味深い。この本から少し引用する。「戦後の岡村は、よく自邸で、「大将会」を開いては旧友を語りあったり、大学の先生を読んで講義を聞くなどを催していた。ある冬の寒い日、お手伝いさんがスリッパがないとさわぎ出した。まもなくお客が集まる時刻である。家中をさがしてみると、岡村がストーブの前で、スリッパを一つ一つ暖めているのだった。人いきや、たばこの煙で部屋が息苦しくならないように、機をみて、そっと窓や欄間をあける行きとどいた配慮は、岡村をたずねた人々はみな経験しているところだ。「その日の天候とか、風向き、日当りの具合、主賓の位置を考慮にいれて、どの窓をどのくらいあければいいのかなど、細かく気を配る人なんです。きちょうめんな性格さんです」と夫人はいう。」。岡村は、このように几帳面で正義感の強い性格だったため、日本軍兵士による中国婦女子への強姦は許すことはできず、昭和15年には陸軍刑法の強姦罪が普通刑法と同じ親告罪である点を改正するように提案し、昭和17年には戦地強姦罪として制定させたり、また現実的な方策として慰安婦設置を行った。

 一方、こういった大将のイメージにそぐわない几帳面さは東条英機にも見られ、幼年学校、士官学校出の昭和の将軍に見られる官僚的な性格とも言えよう。昭和の陸軍は日本最大の官僚組織であり、その頂点となる大将も、武人というよりは官僚の長としての性格が強く、逆に他の官僚機構同様そうでなければトップにはなれなかったのであろう。山県有朋亡き後、新しい陸軍を模索した一夕会には永田鉄山、石原莞爾、板垣征四郎、東条英機、岡村寧次もこの会のメンバーで、ある意味このメンバーの意図によって日中戦争、太平洋戦争に突入していったが、元老に匹敵する強いカリスマ性をもつ人物はこういった官僚的な軍人からは現れず、制御不能な状況に追い込まれて行く。唯一、リーダーになれそうな人物として、永田鉄山がいたが、1933年に相沢中佐によって暗殺された。大きな損失であった。官僚にとっては、国より自分の所属する組織の方を優先する性格を持ち、陸軍という巨大な官僚組織が戦争に突入させたかもしれない。

2011年8月4日木曜日

床矯正治療



 口の中に取り外しのできる入れ歯タイプの装置を使った床矯正治療が、今一般歯科医の間で非常にはやっていますし、それによる治療を受けている人も多いと思います。広い意味でいうと床矯正治療の範囲は非常に広く、ビムラー装置や、フレンケル、ツインブロック、ムーンシールドなどあごの発育をコントロールさせる機能的矯正装置も床矯正治療に含まれますし、舌の癖をとるための装置、あご、歯列を拡大する装置もこれに含まれます。ほとんどはヨーロッパ由来の矯正装置で、今でも多くの種類の治療法があります。

 一方、歯1本1本を動かすとなると、床矯正装置による治療には限界があるため、歯1本ずつに装置をつけたマルチブラケット装置が主流となります。アメリカではヨーロッパ由来のこういった装置を使うことは1980年代までほとんどなかったですし、ヨーロッパにおいても同様に1980年ころまでマルチブラケット装置は一般的でなく、もっぱら床矯正治療が使われていました。ところが1970から80年ころを境にヨーロッパでもマルチブラケット法が主流となり、アメリカでも床矯正装置を使うことが増えてきて、現在に至っています。

 日本でも1970年ころまでは、大阪歯科大学の先生らを中心に床矯正装置を使った治療が多くなされていましたが、私が矯正科にいた当時、1980年代には大学病院で床矯正治療を行っているところはほとんどなくなりました。欧米と同様の傾向です。この一番の原因は、マルチブラケット装置の操作性が向上し、治療自体も簡単になったためです。一時、ほとんどの床矯正装置は姿を消しましたが、1990年頃から床矯正治療の一種の機能的矯正装置が復活し、あごの発育には使われようになってきました。下あごの小さな上顎前突の症例では発育期に機能的矯正装置を使い、上下のあごの関係を是正し、仕上げにマルチブラケット法を使うやり方が取り入れられてきました。私のところでもそういったやり方をしています。現在では、睡眠時無呼吸の患者さんにも床矯正装置が使われていますし、舌の位置を変えて、正常な嚥下方法を学ばせる補助装置などにも使われ、マルチブラケット装置との棲み分け、併用となってきています。

 ところが現在、はやっている床矯正治療は、主として歯列の拡大を狙ったもので、ネジを使って、あごを横に広げ、歯が生える場所を作る治療法です。原理は1930年代のもので、装置自体もほとんど変わっていません。全国の歯科大学歯科矯正科でもこの治療法を主体として使っているところは一ヶ所もなく、欧米の歯科大学、あるいは矯正歯科専門医でもほとんどないでしょう。理由は、この治療法ではうまく治療できないことと、治療自体あまり無意味であるからでしょう。狭い上あごを横に広げることは、多くの研究により立証され、安定しますが、下あごを横に広げることは否定的で、多くの場合、後戻りをおこします。患者さんには数年単位で使用させる必要があり、途中使わなく場合も多く、結果的には何の効果もなかったということになります。

 さらに言うと、下の前歯の多少のでこぼこについては、我々矯正歯科医はほとんど治療はできないと考えています。日本人のおそらく7、8割にでこぼこが見られ、ほぼ常態化したものであり、治療自体は簡単でも永久にきれいな状態で維持するのは不可能と考えています。成人で上の前歯はきれいに並んでいて、下の前歯のでこぼこを治してほしいと来院する患者さんがいます。マルチブラケット装置で治療すれば、数ヶ月で治療できるでしょうが、それを維持するのは非常に難しいため、あまり治療は勧めません。どうしてもしたい場合は、下の前歯に固定式の保定装置を使いますが、それとて外れるとまた後戻りします。

 あごが小さくなった現代人では7、8割の子供に下の前歯がでこぼこになりますし、そういった意味では床拡大装置による適用症例は大変多くなり、治療をする患者さんの今後とも多くなるでしょう。ただ一旦は治っても、結局は後戻りをすることになりますし、治療に不信感を持ち、矯正専門医への転医を希望されても、治療途中の場合は、主治医の許可なく、転医をすることはできません。基本的には主治医のもとで治療を継続することを勧めます。というのはこれまで支払った料金が無駄になること、責任の所在がはっきりしないこと、さらには治療途中の患者さんを勝手にみることは相手の先生に失礼になるからです。床矯正難民という言葉もあり、費用が安いからといって安易に飛びつくのは後々問題になることもありますので、ご注意ください。平均的な日本人のかみ合せ、とくに下の歯列はおそらく軽度のでこぼこでしょう。床矯正治療が仮に効果があったとしても、軽度のでこぼこのケースであり、特に患者さんが望まない限り治療の必要性はありません。治療の必要な重度のでこぼこは最終的には抜歯+マルチブラケット法による治療が必要ですが、こういった症例も含めてすべて床矯正で治療しようとするため問題となります。おまけに床矯正のみで安価で治ると宣伝するのは、いささか誇大広告と思われます。