2014年3月27日木曜日

英語教育




 私たちの世代が中学になって最初に習ったのは“This is a pen””Car”
Cat”、“Dog”などの言葉でした。今では日常語の中に多くの英語が入っており、カー=自動車というのは英語を習わなくなっても、知っている言葉です。最近ではinformationconsumerstockbooking, reservationcancelなど難しい言葉も日本語に入ってきています。こういった点では、昔の中学1年生はほぼ白紙の状態から英語を学びましたが、今の子供達は日本語に多くの英語が入っているので、ある程度のレベルからのスタートとなっています(レベル、スタートという言葉も昔は中学校に入ってから初めて聞いた言葉です)。

 そういえば、昔、英語がぺらぺらだといわれた人でも今から考えると、とんでもない日本人英語発音でした。今であれば、あれくらいしゃべれる人はざらにいると思います。日本人の英語をずいぶん、上達したと思います。それでは、大学入試の英語のテストは昔より難しくなったかと言うと、決してそうではなく、レベルはそんなに変わっていないようです。また外国人から道を尋ねられても、何も言えず、もじもじする人は多いようです。

 ひとつは大学入試の英語の試験は、読解力、文法を中心としたもので、会話能力を問うものではないからでしょう。問題にでる文章は一流の記者や文筆家が書いたもので、これも日常の会話と異なります。昔、アメリカのボストンからの交換留学生(高校二年生)を4ヶ月ほど預かりました。学校から英語の宿題(未来完了型)をもらってきましたが、全くわからず、“Crazy! Crazy!”とうちの娘に答えを聞いていました。アメリカ人にもわからない英語という、大学受験用英語の典型なのでしょう。

 小学校から英語を習うような時代となり、文科省も国際人を作ろう、英語を話せる人材を作ろうと懸命です。ただ英語は一歩、一歩上がる階段のようなもので、学ぶ意識がなければ、落ちこぼれてしまいます。中学一年生でついていけないと中学二年生、三年生とどんどんついていけなくなります。わからなければ元に戻る必要があります。小学生から英語を習う時代になりましたが、結局は落ちこぼれを増やすだけになるかもしれません。

 台湾に行くと年配の方はほとんど日本語が流暢です。これは初等教育で徹底的に日本語を習わせたせいでしょう。またシンガポール、マレーシアの人も英語がうまい人が多いようですが、これも、授業、あるいは教科書が英語であるからのようで、そういった意味では、日本語を捨てなければ、英語は上達しないことになるようです。果たしてこれがいいのか疑問で、はっきりいって英語を好きなひとが学べばよいわけで、みんなが英語をしゃべれるようにするのが国際化というのは勘違いでしょう。

 最新のMac OS X(9.21)の読み上げ機能など、すごいもので、ほとんどの文章を間違いなく読み上げてくれます。まちがいなく、あと10年もすれば、聞く、話すことができる通訳機が開発されるでしょう。英語から日本語、中国語から日本語、その逆も、ウェアラブルタイプの端末機で、イヤホーンとマイクを介して自由にしゃべれる、聞くことができるようになるでしょう。そうした場合の英語教育も考えておく必要があるかもしれません。

2014年3月22日土曜日

あるときの物語



 何となくテレビをつけていると、珍しくインド映画がやっていた。コンピューターをしながら見ていると、いつの間に映画に引き込まれ、あっという間の2時間であった。映画の題名は「スラムドッグ$ミリオネア」。私は全く知らなかったが、アカデミー賞をとった有名な作品である。インドの問題点をみごとに描きながら、エンターテイメントとしても実にまとめられている。

 小説は、それほど読まないが、日系の作者か、珍しいなあとして読んだのが、「あるときの物語」(ルース・オゼキ著、早川書房)である。上下二巻の大著であるが、「スラムドッグ$ミリオネア」同様に一気に読めた。上質なワインのような作品で、長年あたためられた主題を緻密な構成のもとに、ひとつの作品としてみごとに構築しており、読後は不思議な感覚を呼び起こす。いい料理を食べた時の食後の至福感を感じる。

 この作品には、多くの軸がある。ひとつは「時代、あるいは時間」である。最も大きな構成要素である。「現在」とは物語の一方の主人公であるカナダの僻地に住む、ルースとその夫、オリバーの物語である。ニューヨークの生活に疲れ、カナダ、ブリティシュコロンビアの小さな島での生活にも違和感を感じる、この夫婦とそれを取り巻く住民、痴呆症のルースの母の現在の物語がある。それに対してナオという日本人の手紙、実は10年以上前に書かれたものだが、ここに「10年前」というもう一つの時間の物語がある。さらにナオの曾祖母のジコウという104歳の尼僧の物語、そしてその長男、特攻隊員として戦死したハルキ1とよばれる人物の物語がある。現在、10年前、そして戦争中の時間、時代が階層的に積み上げられていき、そして最後にそれらが渾然一体となる。「今 ナウ」あるいは道元の「有事」という言葉が頻繁にでてくるが、著者オゼキの略歴を見ると、現在、曹洞宗の僧であり、僧侶としての時の解釈が作品に大きな影響を与えている。時間の不可思議さが流れる。

 次に「空間あるいは場所」の軸である。舞台はカナダと日本、それも大都市ではなく、カナダの電気もしょっちゅう止まる人口50人以下の小さな島にあるホエールタウンという村、東京という無機質な町、そしてジコウの住む宮城県の人里離れた寺、これらが古い通信手段の手紙、日記という紙媒体と最新のインタネットで繋がっている。さらに「世代」という軸も考えても良い。ジコウは104歳、ナオは16歳、そしてルースは40歳代、若者、中年、老人、それぞれの世代は違うが、不思議に共通項も多い。「人種」、「言葉」、「宗教」といったキイワードも重要であろう。ルースは日系日本人、その夫、オリバーはアメリカ人、ナオは日本人であり、本書に登場する言葉も日本語、現代語と戦前の日本語、フランス語、もちろん英語もある。さらに曹洞宗、道元の正方眼蔵からの引用が多い。

 「時間」という縦糸に、「空間」、「世代」、「人種」、「言葉」、「宗教」という横糸でみごとに編まれた、美しい模様をもつ絨毯のような作品である。一部、同じ日系人であるイギリスのカズオ・イシグロの初期の作品のような、やや日本人としては異質な感覚がちくっと感じられるが、むしろそこが海外の作品である証なのかもしれない。あとがきによれば、東日本大震災の前に作品は完成していたが、その大惨事を目の前にして、すべて書き換えたという。日本語訳が非常に美しいのも魅力を増している。原題は「A tale for the time being」 、より内容にふさわしいタイトルである。

「あるときの物語」上下(ルース・オゼキ著、早川書房)  ★★★★★



2014年3月21日金曜日

歯科用カメラ2



 矯正歯科では、口腔内写真を撮ることが非常に多く、以前はすべてスライド写真でしたので、ずいぶんフィルム代、現像料がかかりました。それがデジタル写真になってからはほとんどランニングコストがかからなくなり、助かります。それでも私のところでは、未だに初回検査、二期治療検査、マルチブラケット前検査、保定保定開始時、保定2年終了時の写真はスライド写真を使っています。もはや骨董扱いで、若い患者さんからすれば、フィルム自体が珍しいようです。

 なぜ未だにスライドを使うかというと、プリントするのが面倒だという理由だけです。デジタルの場合、手軽に撮れ、どんどんコンピューターに放り込み、それをモニター上で見て、おしまいです。なかなかプリントしません。プリンターが高速になったとしても、マウント、セッティングから印刷まで結構時間がかかるため、結局はプリントしないことになってしまいます。

 いろいろな画像ソフトや、最近ではSDカード自体に無線機能があり、撮った瞬間にコンピューターに転送されるものもあります。ただしコンピューター上で個人のIDをつけ、ファイルに入れ、印刷の場合は貼付けて、出力します。これが面倒です。最近、学会で注目された画像管理ソフトに「OrthPics(Bebop)というのがあります(https://orthopics.jp/)。これの凄いところは、すべての画像をクラウドで管理し、歯の形態などのより自動的に分別することです。簡単に言えば、I-Photoの、顔のイメージで人物検索できる、あの手法です。一致度は90%?以上とのことで、ほとんどの写真で分別できるようです。ある患者さんの写真を撮り、コンピューターからクラウドに転送されると、自動的にその患者さんのファイルに入り、さらに組み写真も作られるようです。マウント、セッテングまでの作業が自動化され、後は印刷だけです。また画像データーは世界の3カ所に保存されるため、基本的にはハードディスクでの保存はいりません。ただこういた基本的なソフトは医院全体のシステムを変更する必要があり、現在、導入については検討中です。


 普段のカメラは3、4年ごとに替えますが、デジタル口腔内カメラについては、もう8年ほど使っているので、そろそろ替え時です。現在、ニコンのD80という機種を使っていますが、現行の7100の前の7000くらいに替えたいところです(歯科の場合、ファインダー性能が重要で、解像度などは関係ありません)。さらにリングストロボについては、東京の金子先生のブログでは、自分の開発したミニリング(私が今使っていますが)よりニッシンからでたリングストロボの方がよい旨と書かれています。正直な先生です。ミニリングより大きな感じがしますが、重さをそれほどでもないようです。ニッシンの製品説明の動画が、口腔内撮影法についてくわしく説明されていますので、ここに載せます。これまで主として、ピントはファインダーで、目測で合わせていましたが、こういったオートフォーカスの使い方もあるとわかり、勉強になりました。ぎりぎりまで目測で合わせてからシャッターボタンを半押し、オートフォーカスをロックするやり方です。最初からオートフォーカスにするとレンズが前後に伸び、とても撮れません。

2014年3月18日火曜日

最近気になる商品




最近、購買意欲をそそる、気になる商品を挙げます。

1。シグマDP クアトロ
 クアトロはシグマが今度発売するDPシリーズの最新版です。脅威の解像度をもつDPシリーズはますます独自の道を進んでいるようです。このクアトロは横に異様に長い形態で、写真では小さそうですが、実物は、ほとんどコンパクトカメラの範疇を全く越え、むしろ一眼カメラより大きくなっています。変態カメラです。こういった姿勢はニコンやキャノンにはない、この会社独特の哲学でしょう。広角、標準、望遠の3機種を投入予定で、この3つを持つと大変な重さになりますが、ニコン、キャノンの最高機種を越える画像をねらっています。私が一番ほしいのは50mmDP3という機種で、これまでのメリルでもポートレート泣かせの解像度を持ち、パソコンでどんどん拡大すると被写体の瞳に写った撮影者までわかるという恐ろしい性能を持っていました。画素数は大きくはなっていませんが、イメージセンサーを新型にしたためメーカー公表では30%の解像度の向上があるそうです。
人間の肉眼では、これほどの解像度は必要ありませんが、解像度の向上は平板の写真を立体に見せる利点があります。撮影条件はかなり限られ、基本的には晴れのピーカン、昔でいうISO100フイルムがフラシュなしでとれる条件しか撮影できません。これは改良してほしくないところです。


2。エクリプス TD-M1
 タイムドメイン理論をもつ富士通の最新型スピーカーです。かなり売れているようです。私はTimedomain Miniという安いスピーカーをもっていて愛用していましたが、棚から落として壊れてしまいました。このスピーカーは低音が出ないのですが、定位がすばらしく、スピーカーの真ん中の奥から音が聞こえてきます。女性ボーカルもしっとりしていて、いいスピーカーです。このMD-1は小型アンプを内蔵しており、Air playも対応しているため、かなり使い勝手はいいように思えます。電気屋にも現物がなかなかないのですが、皆さんは見ないで購入しているのでしょうか。現在、貯金をしているところです。


3。パナソニック ぼうけんくん

 パナソニックの教育用の通信機能をもつハイビジュンカメラです。これは発想が面白く、最初はただの拡大鏡かと思ったのですが、画像を無線で飛ばせるため、コンピューターやプロジェクターに繋がり、かなりの応用がきく製品です。惜しむらくは、デザインが今ひとつです。ここまでやるなら、完全に手鏡のように丸い部分全体がもっと大きな画面になっていて、I-Padのようにタッチセンサーにすれば良かったと思います。逆に言えば、Ipadでも同じようなことができるかもしれません。あと実売の値段が7万円くらいで、やや高く、3万円くらいならもっと色々な分野での使用が想定できます、すぐにサムスンあたりがパクるかもしれませんが。歯科でも実技を伴うような講習会では威力を発揮しそうです。

2014年3月17日月曜日

上顎前突のガイドライン


 最近、腹が立ったことのひとつに、日本矯正歯科学会の上顎前突のガイドラインのことがあります。医科の方では、糖尿病、血圧など色々なガイドラインがあり、基本的にはそれに沿うように治療する指針となっています。

 こういった流れに沿って、日本矯正歯科学会でも学会による上顎前突のガイドラインが作られることになり、現在、製作中です。この内容については、まだはっきりしませんが、一期治療、早期治療を否定するような内容になっているようです。上顎前突の一期治療、早期治療というと、機能的矯正装置に代表されるように、成長期に装置を使って下あごの成長を促進させる、あるいは上あごの成長を抑制させるものです。上下のあごのずれによる骨格性上顎前突では、こういった治療法により効果があると、その後の治療が大変、楽になります。症例によっては、この一期治療のみで治ることもあります。

 学会からでたガイドラインの試案では、アメリカを中心とした研究から、機能的矯正装置は効果がないとしているのでしょう。確かに最近はやりのEBMに準じた研究から、アメリカ、白人について言えば、機能的矯正装置を使って下あごが大きくなったというが、マルチブラケット装置で治療中にも同じくらいの成長量があるのだから、機能的矯正装置は意味がないと研究が多く存在します。機能的矯正装置がヨーロッパからアメリカに導入されたのが、1970年代で、当時から機能的矯正装置は無意味だという勢力は強かったようです。

 私は次のように考えます。下あごががっちりした症例では下あごの成長が大きく、逆にきゃしゃな下あごでは小さいと言われますが、思春期のあごの成長にはかなり個人差があります。以前、非抜歯できれいに治した症例があったので、演者に「マルチブラケット装置を入れる前によくあごの発育を予想できましたね」と問うと、「たまたまです」と答えていました。実際にABOというアメリカの矯正歯科の専門医試験がありますが、この試験に提出された上顎前突の下顎骨の成長を調べた研究がありました。平均の2倍の成長があったようで、著者は「ABO成長」と皮肉ぽく書いていました。つまり成長の大きかったいい症例を提出したということです。

 当然、機能的矯正装置を使っても下あごの成長が少ない症例はあります。それでもマルチブラケット装置が入る段階で、あごの成長の有無がはっきりすることは治療計画、抜歯を考えるのは利点と考えます。

 アメリカ矯正歯科学会のウィンターミーティングに出た先生によれば、今回の学会では民間の医療保険会社の宣伝が多かったと言っていました。保険会社からすれば、一期、二期と分けられるより、二期だけになった方が経費がかかりません。アメリカの学会は、訴訟や医療制度に敏感で、20年程前に顎関節症と咬合の関連が指摘され、患者からの訴訟があいつぎました。この時は、しばらく間、学会誌は顎関節症と咬合、矯正治療は関係のないという論文ばかりが立て続けにでました。同じようなことが今回も起こっているのかもしれません。

 今回の上顎前突のガイドラインについては日本臨床矯正歯科医会の先生が、多くの他の研究を提示して、いちいち反論してくれたようで、結果的には一期治療も併記されるようになったと聞きました。開業医が大学の教授にアカデミックに対抗するのは時間的にも大変だったと思います。ご苦労さまでした。それにしてもガイドラインの草案は、委員会、理事会で審議されたはずなのに、どの教授からも反論が出ないとは恐れ入ります。

 ガイドラインは、訴訟の場合には、それに従っていないかが問われる非常に重要な指針となります。極論すれば、日本矯正歯科学会に提出される症例、研究のうち、これに沿わないものはすべてリジェクトできます。なぜなら科学的に根拠に基づかない無意味なものだからです。さらに言うなら、ヨーロッパの矯正歯科をすべて否認することにも繋がります。ヨーロッパではマルチブラケット装置と並んで、未だに機能的矯正装置は臨床では多く使われていますが、これらすべて日本のガイドラインからはダメと言っていることになります。


 ガイドライン作成の本当の目的は、無意味かつ害をなす治療から患者を守ることでしょう。であれば、今、最も深刻な問題となっている床矯正治療による非抜歯治療、叢生について取り上げるべきであると思います。一方、ヨーロッパ、アメリカですでに存在している過剰な歯科放射線のよる害を防ぐようなガイドラインは一部、歯科放射線学会から出ていますが、矯正治療に関わること、例えばCTの過剰撮影などは矯正学会のガイドラインとしてきちんと通知すべきと思います。

2014年3月14日金曜日

佐藤慎一郎先生 父方のこと



 3月8日に、「人づくりフォーラム in 弘前 – HIROSAKI-」という集まりに参加しました。ノンフィクションライターの門田隆将さんの講演があったのですが、診療の調整ができず、5時半からの懇親会からの参加となりました。

 門田さんの著書は、「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(角川書店)、「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」(PHP)などを昔、読んだことがあります。とくに前者はあまり知らない事実で、興味深く、この本をきっかけに台湾でも根本将軍のことが知られるようになり、政府からも正式に感謝されたことは大きな功績でしょう。

 懇親会では門田さんに「是非、佐藤慎一郎先生の評伝書いてくださいよ」と頼みました。佐藤先生が亡くなって13年、まだ佐藤先生のことを知る人は多いのですが、これが20年経つと、知っているひとはほとんどいなくなります。今のうちにインタビューして情報を集めておかないと、一次資料でなく、伝聞を中心とした二次資料となります。戦記物を見ると、戦争から時が経るにつれ、直接的に関わった人物が死に、内容も次第に臨場感がなくなります。それ故、今のうちにインタビューをして、できればそれを本としてまとめてほしいと思ったからです。佐藤先生が中国問題を報告した歴代首相、福田、大平も亡くなり、今や中曽根元首相しかおらず、是非インタビューが必要です。

 佐藤慎一郎先生は、拓殖大学の名物教授で、今でも佐藤先生を慕う教え子は日本中に多くいます。政治家の鈴木宗男さんもそのひとりです。さらに時の首相に中国の現状を的確に伝えて、外交上の指針にしたことは、国益という観点からも大きな貢献をしました。本人は、名を残そうとする意思が全くなかったため、知るひとは一部の人に限られます。こういった人物を後世の人が紹介するのが我々の役目です。

 佐藤慎一郎先生のお母さんは、山田浩蔵の長女、なほで、山田良政、純三郎は伯父さんに当たることは以前のブログで書きました。今回は父方のことを書きます。佐藤先生の曾祖父の佐藤要八は士族で、私の家から歩いて2分足らずの弘前市徳田町17番に邸宅がありました。明治二年弘前絵図でも確認できます(写真上)。近所には明治初期に西津軽郡長を務めた蒲田昌清の家がありました。絵図では蒲田俊八となっています。二軒左隣です。佐藤要八と妻、つやとの間には男の子がなかったため、藩士猪股久吉の二男、要吉(天保11年9月生まれ)を長女、たき(弘化元年410日生まれ)と結婚させ、養子に迎えます。絵図では明治二年当時の戸主として要吉の名が載っています。ちなみに猪股久吉の名は同じく明治二年弘前絵図の片堀町にその名が見えます。

 佐藤要吉とたきとの間には、6人の子供がいて、長男、要一(はじめ茂助)の長男が佐藤慎一郎先生です。末っ子の淳一は、松森町で酒造業をしていた松本家に養子にいき、弘前の俳句の世界では有名な松本星陵(淳一)となります。この松本星陵の二男、静泉(浩、長男は早世)は優秀で、弘前中学卒業後に、弘前高等学校、京都大学法科、国文科で学び、故郷に帰った後は、短歌のリーダーとして活躍していていました。おしいことに31歳の若さで亡くなりました。佐藤慎一郎先生は松本静泉の一つ下の従兄弟の間柄で、弘前中学時代は非常に仲のよい親友で、ともに大いに遊んだようです。松本静泉に比べて佐藤先生は勉強ができなかったのか、弘前中学の5年生の時には、実家のある蔵主町(明治44年に父要一は徳田町から蔵主町18番地に引越、佐藤先生は明治38年生まれですから、生まれたのは徳田町だったと思います。慎一郎6歳の時に引越か?)から松木家に預けられ、静泉と同じ部屋で勉強したようです。勉強家の静泉と一緒に暮らした方が成績がよくなると親が思ったからでしょう。ただ遊び好きの二人を同室にさせたことが悪かったのか、松本静泉は弘前高校の受験に失敗し、また佐藤慎一郎先生も、健康がすぐれないため、青森師範学校の受験をあきらめ、長尾牛乳屋で一年働いた後に、親類の猪股文雄と一緒に青森師範二部に入学しました。猪股は祖父の実家の親類となります。

 写真には松本静泉の三回忌に出席した人たちが写っています。佐藤慎一郎先生は故人の遺影をかかげ、痛恨の表情です。静泉の亡くなったのは昭和9年1月ですから、当時、佐藤先生は中国の満州にいて、友人の葬式には出席できなかったのでしょう。帰国した折に三回忌に出席したのかもしれません。

 以上、「ここに人ありき 3 松木星陵、静泉父子」(船水清著、 小野印刷、昭和45年)」を大分、参考にしました。門田さんはプロの作家ですから、できれば拓殖大学あるいはOBから執筆依頼していただければと思います。現理事長、福田勝幸さんは、青森県藤崎町の出身ですから、同郷のよしみで何とかお願いしたいところです。



2014年3月9日日曜日

強制徴用問題


 中国では、戦前に強制徴用された元労働者やその遺族が、企業に損害賠償を求める訴訟をおこしました。これまでも何度か、こういった訴訟騒ぎがありましたが、日中関係を考慮して、裁判所で訴訟を受理しませんでした。今回は、どうでしょうか。三権分立が確立していない中国では、受理イコール勝訴、損害賠償となりますので、日本企業は莫大な損害賠償を求められることになるでしょう。

 当然、日本政府は1972年の日中共同声明で、中国は賠償請求権を放棄したとして、この損害賠償は飲まないでしょう。逆に中国も個々の賠償請求まで否定はしていないと反論し、最終的には日本側から国際司法裁判所まで提訴するかもしれませんが、中国側が応じなければ、これで終了です。

 裁判所の判決によっては、企業資産の差し押さえまで発展するかもしれません。そうなると、日本企業は一斉に中国から引き上げるとことになり、欧米各国の企業も同様な政治リスクを嫌って、引き上げるかもしれません。ただ中国は20年前と違い、多くの産業では国産化が可能あるいは奨励しており、外資が逃げ出すことについては、ある程度、想定事実として考えているようです。すでに中国は東南アジア諸国より賃金が上昇しており、生産工場としての価値は下がり、企業は次々と中国から賃金が安く、対日感情のよいタイ、ベトナム、ミャンマーなどに生産処点を移しています。将来的には中国は、世界の工場から、内需を中心とした経済を目指していますが、雇用の喪失、地方経済の混乱など、民主化問題も関わり、色々な問題が横たわっています。

 こういった混乱から民衆の目を逸らす方法が以前あった反日デモのような反日運動です。強制徴用の問題にしても、損害賠償問題で日中がますますエスカレートし、日本企業の引き上げ、反日デモまで発展する可能性があります。そうした場合、前の反日デモの教訓から、民主化運動、民族闘争まで発展する可能性もあり、この手を使うのは頭の痛いところです。

 逆に日本政府が、中国の裏の裏をかき、人道上の観点から中国向けのODAの一部を、強制徴用者に損害賠償資金として出す、補填する方法もあります。国際社会に、日本は平和を愛する国家とアピールする作戦です。これは、他の731部隊、南京事件などの訴訟にも拡大する恐れはありますが、そうすると今度は中国自身の問題点、大躍進、文化大革命、天安門事件による犠牲者の訴訟に繋がりかねません。これは数千万人の問題ですから、絶対にここまで波及することは考えられません。現状では、どちらに転んでも、強制徴用を問題化することは、日中両国にとってあまり意味がなく、しばらく放置することになるでしょう。

 一方、韓国は中国と同じく強制徴用問題を取り上げ、すでに賠償の判決も出ています。ただよく考えれば、両国の立場は全く異なります。韓国は戦前、日本領であり、朝鮮人は日本国籍でした。強制連行にしても、戦前の国家動員法によるもので、日本人、朝鮮人に関わらず、日本国籍の人、すべてに適用されました。さらに朴正煕大統領が締結した日韓基本条約において、日本は個々の補償の代わりとして、国家へまとめて補償金を出しています。中国については、当時の国民党から現在の共産党への継承性については問題がありますが、少なくとも敵対国でした。日中共同声明で、中国は補償の請求権は放棄しましたが、実際に犠牲になった人々の補償という人道的な問題は残ります。ODAが補償金の代わりだというひともいて、内容はそういった意味も強いのですが、あくまでこれは援助金で、補償金ではありません。また日韓の約束は基本条約という正式な国家間の条約ですが、日中の約束は共同声明というやや曖昧なものです。

 新たな日中戦争という危機的な状況は、自衛隊の防衛力とアメリカの対応を検討した結果、現時点では無理と判断され、ほぼ回避されています。それでも危機感を煽ることで、経済の停滞、役人の不正から目を背ける必要もありますし、さじ加減が難しいところです。中国という広大な面積と人口を抱える国家では、その内部の権力闘争と相まって、国家の舵取りは本当に難しいと思います。「アラブの春」のような急激な民主化は、混乱を招くだけで、必ずしもよい結果をもたらすとは言えず、より規模の大きな中国ではゆっくりした民主化が求められます。

3/19
 予想に反して、訴訟を採りあげたようです。外資(日本)からの脱却と内需奨励の姿勢がはっきりしました。可哀想なのは韓国で、歴史問題で完全に中国と歩調を合わせられ、中国への従属化から脱却できなくなってきています。軍事、経済の一体化はさらに進み、昔のような属国化は間近です。