tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post3617814396886242394..comments2024-03-24T18:57:43.155+09:00Comments on 広瀬院長の弘前ブログ: 妻と飛んだ特攻兵広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-78643649569355329882013-12-20T18:35:00.725+09:002013-12-20T18:35:00.725+09:00広瀬 様
真摯なご対応に感謝しております。
「津軽異聞」を尚更、読んでみたくなりました。
豊田氏...広瀬 様<br />真摯なご対応に感謝しております。<br /><br />「津軽異聞」を尚更、読んでみたくなりました。<br /><br />豊田氏は「津軽異聞」の存在を知らなかったと思われます。<br />かように考えた場合、史実を丹念に追求した場合、内容が重なるという事なんでしょう。<br />重ねて言えば吉村氏・豊田氏ともに優秀な作家である事の証明だと云えますよね。<br /><br />ありがとうございました。<br />Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/05979303550590358620noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-26459676568769887052013-12-19T08:58:38.213+09:002013-12-19T08:58:38.213+09:00ご遺族の心中、状況も察せず、今回は誠に失礼な文章を載せて、本当に申し訳ございません。こうした本は、是...ご遺族の心中、状況も察せず、今回は誠に失礼な文章を載せて、本当に申し訳ございません。こうした本は、是非とも出版しなくてはいけないものですし、豊田氏の真摯な取材についても、金子様のコメントでよく理解いたしました。重ねてお詫びします。ただ「津軽異聞」を一度、お読みいただければわかりますが、谷藤少尉らの義挙そのものについては、すでに17年前に吉村氏により、くわしく報道されています。プロの作家としては、少なくとも参考文献に載せるのが筋ではないかと思った次第です。ただ、よく考えると、「津軽異聞」は部数1000冊足らずの地方出版の書物で、ごく一部の人しか読めないものです。そうした意味で豊田氏の著書は、全国的に谷藤少尉らの義挙を知らしめた意味は非常に大きいと思います。青森県には「俺は満州国が好きで、この辺で日本人が一人くらい死んでおくこともよいことだ」と、満州国崩壊に際して、夫人、二人の令嬢とともに自決した岸田隆一郎さんもいますが、この人もまた知られていません。広瀬寿秀https://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-83645133730249737002013-12-18T23:01:47.180+09:002013-12-18T23:01:47.180+09:00はじめまして私はこの『妻と飛んだ特攻兵』に書かれている遺族(谷藤徹夫の妹:泰子の三女:ひろみ)の夫に...はじめまして私はこの『妻と飛んだ特攻兵』に書かれている遺族(谷藤徹夫の妹:泰子の三女:ひろみ)の夫にあたる金子公宣という者です。<br /><br />まず、この欄に投稿した経緯ですが、遺族のひとり谷藤徹夫の妹:泰子の長女:真知子から「思い違いをなさっている方いる」との連絡が来ました。<br /><br />「津軽異聞」を入手し読んでからとも考えましたが、まずは異なるところの訂正をと思い投稿にいたった次第です。<br /><br />まず、過去の取材の話ですが、昭和42年以降のシベリア抑留帰還兵の話(伝え聞き)以外では、地元のデーリー東北、東奥日報(葛西富夫・県教育センター指導主事)やRABラジオ局(三浦明子ディレクター)などが谷藤徹夫の弟:勝夫(元むつ市議会議員)への取材はありましたが、この度の豊田正義氏ほど遺族や関係者への徹底した聞き取り調査をしてくださった方は今までいなかった、ということです。<br /><br />また豊田氏は生前の越塚守正少尉や今までの流れを見守ってくれていた世田谷観音の太田賢照住職とも幾度も会い取材されていました。<br /><br />それより遺族が驚いた事は谷藤徹夫の妻:朝子に関して直系の親戚である谷藤家、吉田家とも詳しい事はあまり知りませんでした。<br />一時期、徹夫の弟である勝夫が朝子の母親・中島豊之と連絡は取り生活の援助もしていたようですが、その出生出自の詳細までは知りませんでした。<br /><br />しかし、豊田氏の取材により九州・唐津のかなり詳しい住所や生い立ち、後年暮らした教会、最後を看取った方や様子まで知ることが出来ました。<br /><br />この『妻と飛んだ特攻兵』の出版にあたり谷藤本家にあり遺族も初めて見る写真や本人のメモ、書類、数多くの手紙など大量の資料を提供いたしました。<br /><br />最後に云わせてもらいたいことは遺族が出版を大変喜んでいる事と靖国神社崇敬奉賛会会員の関係者、特に特攻隊戦没者慰霊顕彰会・特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会の方々がこの作品を「待ちに待っていた」事を知っておいて頂きたい。<br /><br />私自身も靖国神社崇敬奉賛会会員、日本会議会員であります。Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/05979303550590358620noreply@blogger.com