tag:blogger.com,1999:blog-79855227270992707662024-03-19T13:14:38.489+09:00広瀬院長の弘前ブログ青森県弘前市で矯正歯科クリニックを開業している広瀬です。最新の矯正歯科治療、大好きな弘前の町やこの町が生んだ隠れた偉人について紹介したいと思います。広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.comBlogger1636125tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-84613536922967773332024-03-13T22:55:00.001+09:002024-03-13T22:55:23.690+09:00最近思うこと 若い歯科医へ<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglj2gEyPh_klI1bL-5syabwZ1ur1XcqpepRZ3LcvUoIZR19YSGJdaQh4L5x9y9aFHNCbkXvGoewe4KuQcsUnXKWUE3fjqCaXAbLGN1CyMV7KkVwWno-RImfyie-5ckHv9CqlyV7d5KHPsxZvVOyE-ls0HnPKa749id6fpimhpzP47FMpmGxsY_COtsQkA/s700/MKing-700x437.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="437" data-original-width="700" height="250" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglj2gEyPh_klI1bL-5syabwZ1ur1XcqpepRZ3LcvUoIZR19YSGJdaQh4L5x9y9aFHNCbkXvGoewe4KuQcsUnXKWUE3fjqCaXAbLGN1CyMV7KkVwWno-RImfyie-5ckHv9CqlyV7d5KHPsxZvVOyE-ls0HnPKa749id6fpimhpzP47FMpmGxsY_COtsQkA/w400-h250/MKing-700x437.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">先日、腕の痛みがあったので、近所の整形外科に行くと、来週から工事のために休診となり、<span lang="EN-US">4</span>月から新しい先生による医院になりますが、患者さんはそのまま治療を継続できると言われた。年配の先生で、体調も一時悪かったこともあったので、後継者ができて良かったと思った。次の日、お尻のできものが出て痛くて座れなかったので、少し遠方にあるが、以前、お世話になった皮膚科を受診した。処置してもらって一気に楽になったが、ここも<span lang="EN-US">4</span>月からこれまで副院長であった若い女医さんが院長になって、名称も変わるが、スタッフもそのままするので、心配入りませんとのアナウンスを受けた。二軒訪れた医院、両方が年配の先生が引退し、若い先生が後継者になった。家に帰って家内に話すと、家内がその日に行ったレディースクリニックも同じようの4月から先生が変わり、診療所名も変わるという。偶然とはいえ、どこも後継者がいて、患者さんにとっては何よりである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">それに引き換え、歯科医院でも昨年は3件閉院したが、2軒はすっかりなくなり更地に、もう一軒は診療所を改築して自宅になった。今年も何軒か閉院するが、どこも後継者はいない。また二軒は院長が病気のために長期の閉院状態だが、どうなるかわかっていない。診療所の受付の横の壁には<span lang="EN-US">15</span>年ほど前に作られた歯科医院の場所を示す地図を貼ってある。閉院した歯科医院については、その都度、マジックで消しているが、すでに<span lang="EN-US">20</span>軒以上がなくなっている。地区によっては、弘前市内でも歩いていける距離に歯科医院がないエリアが出てきている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">歯科医院の場合、患者さんは歯が痛くなる頻度はそれほどではないので、歯が痛くて久しぶりにいつも行く歯科医院に予約しようとするとすでに閉院していたという話はよく聞く。弘前歯科医師会も<span lang="EN-US">10</span>年くらい前が診療所数ではピークで、その後は、新たに開業する歯科医院より閉院する歯科医院の方が多い状況が続いている。今のままのペースが続けば、後<span lang="EN-US">10</span>年で、<span lang="EN-US">2010</span>年頃の半分くらいになる。残念ながら、前述したように子供以外の先生が後を継いだケースはこれまで一軒もなく、子供を歯科医にしても親の後を継ぐのは半分くらいしかない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">さらにこれは私らの世代と若い世代の差であるが、今の若い先生は患者さんが来てもいきなり治療することはない。昔であれば、歯が痛くて歯科医院に行くと、レントゲンなどの検査をして、その日に神経を抜いたり、あるは抜歯したりしたが、今の先生は、当日には検査はするが、処置までしない場合が多い。もちろん理想的には、まず検査をして治療方針を立てて、それに沿って治療をしていくのが正しいが、患者が痛がっているのであれば、まずそこを治し、それから全体的な治療方針を立てるべきである。ただ今の若い先生は治療のスピードが遅いので、一回、間を空けて治療をしたいのだろう。先日、患者の大臼歯のレジン充填が破折していたので、新しくできた歯科医に紹介したが、初回はデンタルレントゲン写真一枚撮り1ヶ月後にレジン充填ということになったという。昔の先生であれば、<span lang="EN-US">2</span>回の予約をするなら、一回で全て終わろうとしたし、その方が効率的である。<span lang="EN-US">40</span>年前、鹿児島大学歯学部病院小児歯科では、小児の治療を4ブロックに分けて治療をしていた。ほとんどの歯が虫歯の子供いたとしよう。まずレントゲン検査をして、ざっと軟象をとり、ユージノールセメントでカリエスコントロールをする。次回からは<span lang="EN-US">CD E</span>にラバーダムを装着し、麻酔をして生活歯髄切断をして乳歯冠、あるいはレジン充填、次回は別の<span lang="EN-US">1/4</span>ブロック、4回目に治療が終わると上顎乳切歯にサホライドを塗って終了となる。上下左右の<span lang="EN-US">DE</span>全て、生切、乳歯冠ということも普通にある。もちろんここまでひどくなければ、1回、<span lang="EN-US">2</span>回で終了する。障害児では、全麻下で、一気に<span lang="EN-US">10</span>本以上の歯を治すこともある。多分、若い先生は、一本ずつ治すのであろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">歯科医の能力の一つには治療の速さが求められる。昔、宮崎医科大学の歯科口腔外科にいたころ、そこの助教授(のちに教授、学長)は抜歯の名人でほとんどの埋伏歯を<span lang="EN-US">15</span>分以内で抜いていた。腫れ、痛みも少ない。一方、若い先生は同じような症例で1時間以上かかりこともあり、腫れも大きい。矯正歯科においても、私自身の経験で、大学病院のいたときに比べて診療時間は<span lang="EN-US">1/4</span>以下になったが、診療レベルは逆に高くなった。つまり臨床というのは遅くて下手から、早くてうまいになるのが普通なのである。患者数を見て治療スピードを上げるのも重要であり、元気な若い先生はもっとどしどし治療をしてほしいものである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-49837551214842003592024-03-11T22:21:00.003+09:002024-03-11T22:21:20.224+09:00まわりみち文庫でのトークイベント<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg_VdcHgnO6kLRQEpyVp5XKlJHotyNc7VP5fm6EUNVFvmOfS7JQ8DLces5L-ieXire2KggHFMZIsy3Y8plf7KLdjULfJv3KJjrc_UdNUlastbZFrgBWhekuJEWnqkJ7A1nPz9P1CSrdLeKZ8YielMe_9VW33kTA3oTtJ38JWUwm7A-5KeNnLplaKSqRdKo/s1478/S__39329794.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1108" data-original-width="1478" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg_VdcHgnO6kLRQEpyVp5XKlJHotyNc7VP5fm6EUNVFvmOfS7JQ8DLces5L-ieXire2KggHFMZIsy3Y8plf7KLdjULfJv3KJjrc_UdNUlastbZFrgBWhekuJEWnqkJ7A1nPz9P1CSrdLeKZ8YielMe_9VW33kTA3oTtJ38JWUwm7A-5KeNnLplaKSqRdKo/w400-h300/S__39329794.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">昨日、弘前市のかくみ小路、まわりみち文庫でトークイベントをした。狭い店なので、8名のこじんまりしたものであったが、なんだか参加者との距離が近いせいか、飲み屋で話しているような感覚である。いろんなところで話してきたが、距離が近いので、持ってきた本を回し見ることもできるし、プロジェクターなしで、コンピューの画面を直接見てもらうこともできて、面白い経験であった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">こうした本屋でのトークは、一般的にはサイン会などと併設して開催するため、参加者は著者のファン、あるいは本を読んだことがある人が多い。私の場合は、年配のファンが多いので、年配の方ばかり来ると思っていたが、実際は、サクラで呼んだ知人と、もう一人の女の方を除く5名は<span lang="EN-US">30</span>から<span lang="EN-US">40</span>歳代くらいの若い男の方で驚いた。これまで本についての講演は、三師会、歯科医師会、ロータリークラブ、弘前市、弘前ボランティア協会、養生会、紀伊国屋書店弘前店などで行ってきたが、どの講演会も聴衆の平均年齢は<span lang="EN-US">60</span>歳以上、若い人はほとんど見かけない。これは大変嬉しいことであった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">私の本来の仕事は歯科医で、それで生活しているが、こうしたブログをして、数冊の本を出版することで、想像もできない人と会ったり、面白い経験を味わえた。こうしたことをこのトークイベントでしゃべった。開業する時に、私の実家である尼崎市で開業、あるいは大学のある鹿児島市で開業、そして家内の実家がある弘前市で開業という3つの選択肢があった。多分どこで開業しても矯正歯科専門歯科医院としては何とかなったとは思う。ただ付き合う人は、歯科医の人に限られ、それ以外の人と付き合うことはまずなかったと思う。数年前まで弘前ロータリークラブに入っていたがせいぜい歯科医以外の人と知り合うとなるとこうしたクラブか高校の同級生くらいであろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">多分、弘前に来て、この街とそこに住む人々に興味をもったことが、ブログを続けていることや郷土史を中心とした本を出版する理由となった。尼崎市、あるいは鹿児島市に住んだならこんなことは絶対になかったと思う。自分自身としては、津軽、あるいは弘前というのはまったく別世界で、冬の雪ひとつとっても今まで経験したことのない場所であった。調べると、景色や風景だけでなく、文化そのものが他の地域とは大きな違いがあり、さらに独特な個性的な人物を輩出しているのがわかった。そうした人物の履歴を追ううち、津軽の素晴らしさに気づくようになった。おそらく元々、ここで暮らす人々は、それが当たり前すぎて、それほどすごいとは思わないだろう。こうしたブログで知り合った、九州、久留米のお医者さんのおばさんは、縁があって、明治時代に弘前から九州、久留米に嫁いだ。死ぬまで故郷に帰ることはなかったが、いつも孫に津軽の良さと思い出を話し聞かせた。子供心に久留米にいて津軽への強い憧れがあったという。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">千葉商店、すずめのお宿、イトーヨーカドーもなくなり、弘前市もなんだかどんどん衰退してしまうのかと寂しい気がするが、それでも若い人の力を借りて今の弘前を後世に残して欲しい。一旦なくなってしまうと、もはや二度を復活することはなく、なくなるのはあっという間だし、簡単である。行政、商工会議所、あるいは若者グループを巻き込んで、地域の活性化に励んでほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; margin: 0mm; text-align: justify;">こんな小さな街ではあるが、世界的な現代美術家の奈良美智さんはいるし、シソンヌのじろうさんや王林さんもテレビで活躍しているし、この<span lang="EN-US">4</span>月からの<span lang="EN-US">NHK</span>の<span lang="EN-US">7</span>時のニュースには副島萌生もメインキャスターとして登場する。大したものである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-15803864961703658042024-03-07T09:04:00.003+09:002024-03-07T09:05:47.207+09:00矯正歯科での訴訟<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"> </div><br /><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjN5LEXD_boTN8cgLm_lyTorlBTQ64Ta05xOykEoOMwiAvpWJMqBT7zT420Yvs1SfQYtCgmkIumiSckOkLOUXDoqjMx4JUS6b_2HorhJtwXw8KKMXeEyRunFZvB5FM7ZZShKNZ0E5FyDydIBSfw6wipwETA4CISP2oZe5KfwwON0e3ZNGKSgCMngX02Gwo/s300/shutterstock_96833530-300x212.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="212" data-original-width="300" height="283" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjN5LEXD_boTN8cgLm_lyTorlBTQ64Ta05xOykEoOMwiAvpWJMqBT7zT420Yvs1SfQYtCgmkIumiSckOkLOUXDoqjMx4JUS6b_2HorhJtwXw8KKMXeEyRunFZvB5FM7ZZShKNZ0E5FyDydIBSfw6wipwETA4CISP2oZe5KfwwON0e3ZNGKSgCMngX02Gwo/w400-h283/shutterstock_96833530-300x212.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">あと二年ほどで医院を閉鎖する予定であるが、開業して<span lang="EN-US">29</span>年、悔しいが一度だけ、患者から訴訟を示唆され、示談にしたことがある。内容は守秘義務があるために、詳しくは書けないが、通常の不正咬合の成人患者で、特に問題なく治療が経過し、あるときに顎が痛くなったという電話があったので、近所の歯科医院に行くように言った。これが問題であった。そこの歯科医院では、独特な咬合理論があり、この治療法では顎関節症は治らない、私のところでの矯正治療をしなさいと勧められた。患者はこの先生の言を信頼し、そこでの矯正治療費分(私のところの2倍)を返金するよう、内容証明書付きの手紙が来た。従わない場合は、訴訟を示唆された。顎関節症と咬合との関連は、現在の理論では否定あるいは、少なくとも関連はないとされているので、裁判にすれば、勝訴すると思われたが、そうしたことで時間を割くのは無駄なので、そのまま示談で処理した。この時に医療訴訟についてかなり勉強したので、悔しい思いがしたが、高い勉強代と思っている。不思議なことにこの先生は能天気にいまだに年賀状で家族写真を私のところに送ってきたり、県歯科医師会の医事紛争裁定委員会の委員をしている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">まず医療訴訟については、患者側が勝つ可能性は相当低く、なおかつ弁護士料などを考慮すると、<span lang="EN-US">100</span>万円以下の訴訟は全く無意味な行為となる。少なくとも数百万円以上の賠償金が期待できる案件でないと医療訴訟は、負ける可能性が高い上に、さらに多くの出費を余儀なくされる。具体的に言えば、弁護士料が少なくとも百万円、裁判が長引けば、さらにかかる。そして医療過誤を説明する証人、この場合は医師への謝礼は、交通費を含めると<span lang="EN-US">10</span>万円から数十万円かかる。さらに一人では足りず、複数の医師、できればその道の権威、大学の教授を呼ぶとなると、大変な費用が必要となる。アメリカの裁判では、こうした弁護士料なども含めた賠償金が支払われるために、訴訟を起こす側に金銭的な負担は少ないが、日本では、原則的には訴訟を起こす患者自身が持つ場合が多い(医療訴訟では請求額の1割)。さらに訴訟には多くの期日を要するために、口では訴訟してやると言っても、実際に訴訟まで行くことはほとんどないのが実情である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">私の弁護士によれば、医科や他の職業でもそうであるが、内容証明書で送られてくる手紙の多くは、知人などに入れ知恵されて書かれたものが多いそうだ。いざ訴訟ということで弁護士に相談に行き、費用などの詳しい説明を受けると断念する場合が多い。仮に勝訴しても、その賠償金に比べてかかる経費があまりに多いからだ。例えば、インビザラインで治療した結果に満足せず医院を訴えたとしよう。患者が治療費<span lang="EN-US">100</span>万円と精神的な慰謝料<span lang="EN-US">100</span>万円の計<span lang="EN-US">200</span>万円の賠償を求めて、実際に勝訴して半分の<span lang="EN-US">100</span>万円の賠償金が入っても、弁護士料やその他経費で赤字となる。もちろん訴えられた側も弁護士を雇うため、着手金と成功報酬などで大きな支払いが必要となる。いずれも弁護士だけが儲かることになる。また医師、歯科医師の場合、ほとんどの先生は賠償保険に入っている。私の場合も、一応保険会社に連絡したが、実際に過失があり、裁判になった場合に支払うもので、そうでない場合は保険が適用されないということであった<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本がアメリカのような訴訟大国になってほしいわけではないが、<span lang="EN-US">100</span>万円以下の損害賠償ができないのは患者側からすれば困ったことである。クレームと訴訟の間、できれば歯科医師会、医師会のクレーム担当委員会と第三者、できれば利害関係のない弁護士が、患者と歯科医、医師双方から意見を聞き、仲裁できるようなシステムはないだろうか。以前、学会で兵庫県歯科医師会の苦情相談委員会の講演があった。ここでは歯科用セファログラムの検査をしないで矯正治療をした場合は、訴訟されるとまず負ける旨を先生に説明し、示談するように勧め、逆に患者の誤解による場合は納得するように説明する。青森県歯科医師会や日本臨床矯正歯科医会でも患者からのクレームをまとめて通知しているが、それを見ていると、患者の誤解や歯科医の説明不足も多いが、中には明らかに歯科医側に問題がある場合がある。例えば、治療に不満があり、中断を希望しても一括払いの治療費が全く返らない。これは法律的にも治療経過に準じて返金する必要があり、そうしたことを歯科医が知らない。また転住のために転医を希望しても紹介してくれないのも医療法に触れるし、セカンドオピニオンのためにそれまでの資料と紹介状を求めても拒否するのは、患者の権利、リスボン宣言に触れる。もちろん裁判になると負ける可能性が高いが、そこまでしなくても歯科医師会や医師会で調節できる案件である。団体の信頼を高めるためには、公平な立場から先生への忠告も必要となろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><br />広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-1036924121392053182024-03-06T19:39:00.004+09:002024-03-06T21:26:33.741+09:00車を持っていない、乗らない弘前人の戯言<p> <br />ぜn</p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2fqCAmNquLmJFu9Sn6B-Rm0RK3Id4Jd0Q1g8EIdyaZDTK9H5FvQdKnKwaHJ-d-4QXEqWK4aRN4mZDF5AS8cUV1d-vIoBF-vWs9VXTcVLMSropqi_QuCZNSpGJvD2woiosDfWIEPxIbhdfoDuC1xxxfzrtEdZI3Qgi8mFaGGq-eyJlnSp7vm1_I_8bgsk/s1920/AX217_insight_OSC_05.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1080" data-original-width="1920" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2fqCAmNquLmJFu9Sn6B-Rm0RK3Id4Jd0Q1g8EIdyaZDTK9H5FvQdKnKwaHJ-d-4QXEqWK4aRN4mZDF5AS8cUV1d-vIoBF-vWs9VXTcVLMSropqi_QuCZNSpGJvD2woiosDfWIEPxIbhdfoDuC1xxxfzrtEdZI3Qgi8mFaGGq-eyJlnSp7vm1_I_8bgsk/w400-h225/AX217_insight_OSC_05.jpg" width="400" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ゼロミッション都市 オスロ<br /><br /><br /><br /></td></tr></tbody></table><p></p><p class="MsoNormal" style="font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt;"><span style="font-family: 游明朝, serif;"><span lang="EN-US">Car free movement </span>とは市内中心部への車の乗り入れ禁止を行う運動で、すでにヨーロッパを中心に、例えばバルセロナ、オスロ、ミュンヘン市内中心部への車乗り入れ禁止になっている。バルセロナは人口、<span lang="EN-US">168</span>万人の大都市であるが、町の構造が碁盤の目のようになっており、そのうち9つの島のような区画が車両侵入禁止になっている。3×3の9</span><span style="font-family: 游明朝, serif;">つの区画が一つの単位で、一辺が</span><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">400m</span><span style="font-family: 游明朝, serif;">近くになる。この区域には登録した車以外の侵入は禁止となり、徒歩と自転車、そしてバス、路面電車が交通となる。同様にオスロやミュンヘンも同じような仕組みで、昔、日本であったような歩行者天国のようなものではなく、ある一定の区域全てが車両通行禁止となる。全て地球温暖化への環境対策であり、やりすぎな気もないが、それでも脱クルマ社会への流れとなっている。</span><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">2022</span><span style="font-family: 游明朝, serif;">年度からはパリでも市中心部の</span><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">4</span><span style="font-family: 游明朝, serif;">つの区で車の乗り入れは原則的に禁止となり、車の通らなくなった道には植物やストリートファニチャーを置くようになった。さらにイタリアのミラノでも</span><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">35km</span><span style="font-family: 游明朝, serif;">の自動車道を歩行者と自転車専用のする計画があり、こうした流れはもはや世界的に潮流となっている。</span><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"><o:p></o:p></span></p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">ただ日本では、こうした<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">Car Free movement</span>の動きはほとんどない。京都市のような道が狭くて、観光客でごった返しているような地域では、この運動は向いていると思うが、いまだに狭い道に車を通り、歩行者が歩けない場所もある。住民やそこで商売をしている人からすれば、家の前を車が通らないとすれば、荷物の運搬や通勤、通学に不便であると思うだろう。車のなかった時代、たぶん<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">1960</span>年より以前の時代には後戻りできないと思うのだろうが、逆に言えば、それ以前は車がなくても何とか生活できた。車があるのが当たり前の社会になったが、まず車が町からなくなれば、交通事故はなくなる、排気ガスを吸わなくなる、タイヤや道路の粉塵による塵肺や肺がんを減らせる、もちろん地球温暖化の環境対策となる。私自身、車を持っていないが、特に生活上困ったことはなく、大概は徒歩、ごく稀にバスとタクシーで事が足りる。<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">車の通行を禁止にすれば、救急車や消防車などの緊急車両、郵便、宅配、工事車などはどうなるのか、これは許可制にすれば問題ない。冬、雪が降った時の除雪はどうするか、これも普通にすれば良いが、車一台が通る分のみ除雪すればいいのかもしれない。おそらく車の侵入禁止によるデメリットも、工夫すればなんとか解決できるのだろう。私が住む、青森県では、一家に一台ではなく、一人に一台の状況で、どこに行くのも、それこそ<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">100m</span>離れたコンビニに行くのも車を使うのが当たり前である。普通に考えると、車体本体価格、保険、ガソリン代などを考慮すると、月々の負担も相当であり、家計を圧迫しているのは確実であるが、こうした点を指摘すると、車がないと生きていけない、買い物に行くのにどうする、子供の通学はどうするという。もちろん車のない私は生きているし、買い物は自転車か歩いていけば良いし、子供は徒歩か自転車、バスで通学できる。あれば便利というくらいのものである。<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">こうした流れが、ヨーロッパを中心に広まり、今や都市中心部には車が入れないというところが多く、逆に自転車道の拡大が急速に広まっている。また公共交通手段として、電車、路面電車が注目され、廃止となった路面電車が復活するというところも多い。実際、走っている車を見ると、ほぼ<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">90%</span>が車に一人でしか乗っていない。大型のランドクルーザやアルファードに乗る人は、歩行者からすれば迷惑この上ない。一人で乗るならせめて軽自動車で十分である。もちろんこうした大型車が必要なケースもあるだろうが、ほとんどは単に好きという理由で購入している。世界的には<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">EV</span>カーへの転換を図っているが、そもそも個人ごとに車が必要か、あるいは大型車が必要かという問題があり、業務用以外の自家用車については増税でもよい。タバコ、セブンスターの価格は<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">1970</span>年頃、<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">100</span>円くらいであった。それが今では<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">560</span>円と<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">6</span>倍ちかく値上がりしている。一方、自動車税は<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">1976</span>年の軽自動車の自家用が<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">5200</span>円、令和3年が<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;">6900</span>円とほとんど変化はない。タバコは肺がんの原因として懲罰的な扱いで値上げされてきたが、クルマについてはそうした動きはない。<span lang="EN-US" style="font-family: Cambria, serif;"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">弘前市で言えば、個人的には土手町は恒久的な自動車侵入禁止地区にして、現在の道路を融雪にして歩行者と自転車の道にしてほしい。どっちみち、ここを通る自動車のほとんどは単に通行するだけで、ここを通行禁止にしても買い物客数には変化はないはずである。むしろ、道路の真ん中に小川を流し、周囲に花や木を植え、ベンチを拵え、屋外のカファテラスを設ける方がよほど集客につながるように思えるのだが。弘前駅から上土手町に行くエキドテプロムナードがあるが、あれを土手町全てに拡張するようなイメージである。エキドテプロムーナードは全然、人がいないではないかという人もいるが、どっちみち通行人は少ないのでそれほど変化はないと思える。弘前れんが倉庫美術館を設計した世界的建築の田根剛さんが担当すれば、歴史に残るプロムナードができるかもしれない。</p></td></tr></tbody></table>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-50050050327225885912024-03-02T21:09:00.008+09:002024-03-02T23:17:55.228+09:00弘南鉄道を潰すな<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghHVUMVCXVOTX2nWYXjpF4usD2xJPpAVq4x4N2Ug5fl6Co8RPeL0ceYUFNXzmNY5F25ACAwGvE9waRpnf76_hX2XICX3MRvhSK-pbS4dy_wC5vaUOq9dijNfLZf0oBu7JJUt_UMavQTYmG6PAhXLiz9lfVuBvqj-oGph-wSLVpHnhUBfxb8WiTmPBmXQA/s1300/168456947-%E3%83%88%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3-2020%E5%B9%B49%E6%9C%8820%E6%97%A5%EF%BC%9A%E3%83%88%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%81%AEu%E3%83%8F%E3%82%99%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E8%B7%AF%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E3%80%82%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%A9%9F%E9%96%A2%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%A6%E3%82%99%E3%81%82%E3%82%8Brhein.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="867" data-original-width="1300" height="266" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghHVUMVCXVOTX2nWYXjpF4usD2xJPpAVq4x4N2Ug5fl6Co8RPeL0ceYUFNXzmNY5F25ACAwGvE9waRpnf76_hX2XICX3MRvhSK-pbS4dy_wC5vaUOq9dijNfLZf0oBu7JJUt_UMavQTYmG6PAhXLiz9lfVuBvqj-oGph-wSLVpHnhUBfxb8WiTmPBmXQA/w400-h266/168456947-%E3%83%88%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3-2020%E5%B9%B49%E6%9C%8820%E6%97%A5%EF%BC%9A%E3%83%88%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%81%AEu%E3%83%8F%E3%82%99%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E8%B7%AF%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E3%80%82%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%A9%9F%E9%96%A2%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%A6%E3%82%99%E3%81%82%E3%82%8Brhein.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt;">全国の路面電車の収支について考えてみた。以前、住んでいた鹿児島市にも路面電車があり鹿児島市郊外の谷山と市内を結ぶ路面電車があるが、市バスと合わせた令和<span lang="EN-US">4</span>年度の赤字は2億<span lang="EN-US">800</span>万円となる。同じく函館の路面電車でも毎年、2から3億円の補填をしている。また札幌市電では令和<span lang="EN-US">5</span>年で2億<span lang="EN-US">5</span>千万円の赤字、最新の電車を導入している富山市電でさえ令和<span lang="EN-US">5</span>年では<span lang="EN-US">3</span>億<span lang="EN-US">4</span>千万円の赤字、熊本市電では令和<span lang="EN-US">4</span>年で<span lang="EN-US">5800</span>万円の赤字であったが、昨年は黒字になった。長崎の市電も<span lang="EN-US">2020</span>年度で言えば<span lang="EN-US">3</span>億<span lang="EN-US">8000</span>万円の赤字など、多くの路線で経営的には厳しい状況が続いている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">人口の多い東京都でも、バス運行に限って言えば、令和<span lang="EN-US">3</span>年度は<span lang="EN-US">56</span>億<span lang="EN-US">5</span>千万円、令和<span lang="EN-US">4</span>年度は<span lang="EN-US">17</span>億<span lang="EN-US">8</span>千万円の赤字であるが、東京メトロは令和<span lang="EN-US">5</span>年度で<span lang="EN-US">88</span>億円の黒字となっており、同様に大阪シティーバスも赤字であるは、地下鉄が黒字で、バスの赤字を地下鉄がカバーしている構図である。同様に名古屋でも市バスは<span lang="EN-US">63</span>億円の補助金を受けながら9億円の赤字、地下鉄は大阪や東京都違い、<span lang="EN-US">76</span>億円の補助があるが、<span lang="EN-US">34</span>億円の赤字となっている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">まあこうして各地の公共交通機関の収支を出してみたが、ほとんどは赤字で、黒字のところをみても、多くの補助金が出ている。通常の会社経営という点からすれば、全国の公共機関のほとんどは倒産ということになり、それを防ぐとすれば、収益性の高い路線のみを残し、収益の低い路線は廃止するということになる。そうなると同じ市内に住んでいるのに全く公共交通手段がないところが出てくる。公共機関という位置付けからすれば、こういうことが起こってはいけない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">最近、弘南鉄道の大鰐線の廃止を求める弘前市会議員の発言が相次いでいる。木村隆洋議員は「大鰐線は財政支援せずに、弘南線に集中すべきだ」、竹内博之議員は「公共交通機関の責務を果たせるだけの体力や組織力があるのか。2路線両方は無理で、選択と集中が必要ではないか」と発言している。大鰐線は弘前中央弘前駅から大鰐までの路線で、並行して<span lang="EN-US">JR</span>の奥羽線が走っているので、大鰐までというなら必要ないのかもしれない。現在、大鰐線は1時間毎の運転であるが、<span lang="EN-US">JR</span>も1日に<span lang="EN-US">12</span>本の運転である。ただ大鰐線が廃止されると、沿線の津軽大沢や石川などの住民はバス路線の活用ということになる。沿線の地域の公共交通はバスに代替りとなるが、バス会社の母体は、同じ弘南鉄道で、ここも乗客数の減少で、経営的に厳しく、例えば、大沢までのバス運行も実際は廃止したいところであろう。この地域に1時間に<span lang="EN-US">1</span>本のバス運行をさせる余裕はこの会社にはない。イトーヨーカドーのような全国的な会社であれば、とっくに弘南鉄道(大鰐、黒石線)や弘前バスは廃止にするか、黒字路線のみを残すであろう。地元企業なだけに撤退できないだけであり、本音を言えば、弘前市に引きとって欲しいと思っているだろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">弘前市及び周辺市町村による活性化支援協議会は、路線存続のためにこの5年間で<span lang="EN-US">5</span>億<span lang="EN-US">1</span>千万円の財政支援をしてきた。額として年間1億円になる。それでも弘南鉄道はこの金額では足りず、さらなる支援を求めているが、市議会では、これ以上の支援はできないということである。もし弘南鉄道、弘南バスが民間の会社ではなく、市営であったなら、こんなに簡単に廃止という意見が出るだろうか。青森市バスの経営状況をみても平成<span lang="EN-US">24</span>年度は<span lang="EN-US">2</span>億円程度の赤字であるが、青森市議会から市バスを廃止しろ、赤字路線を廃止しろと言った乱暴な声はない。公共交通機関であるからである。一番、廃止して欲しいのは実を言えば弘南鉄道、弘南バスであり、民間の会社としては、赤字路線を廃止したいのは山々であり、赤字でもやっているのは、市町村から公共交通と言われ、それに協力しているからである。私だったら開き直って、市議会の誰それが廃止を求めているようなので、それに従って廃止しますと言いかねない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;">弘前バス、弘南電鉄の事業が公共交通機関であるなら、本来、市がやるべき事業であり、民間に責任を押し付けるなら、弘前市も相当な覚悟と協力は必要であろう。やめるのは信じられないくらい簡単で、元々会社自体がそれほど乗り気でないので、市長が廃止といえば、すぐにでも廃止になるだろう。潰すのは簡単であるが、一度潰せば、もう二度と復活することはできない。仮にヨーロッパのように市内への車両通行禁止となると、バスと電車が主要な通行手段となる。地球温暖化対策の一つの方法として、これは一つの方法であり、車を乗らない私からすれば、弘前の旧市内を原則として車禁止として、バスと電車、徒歩、自転車のみとすれば、これは日本でも最初の試みとして、逆に脚光を浴びるかもしれないと思う。本当に潰すのは簡単なだけに、何とかして弘南鉄道は存続してほしい。個人的な意見としては、大鰐線に旧式 2両編成の車両は必要なく、宇都宮ライトレールのような新世代路面電車「LRT」のような車両を弘前市の補助金で買ってほしいくらいである。実際に熊本市電では、昨年度の予算で、3億円の予算で新型車両を購入することが決まり、さらに路線延長のために135億円の予算をとっている。近年、路面電車は観光の目玉となり、世界的に復権傾向となっている。大鰐線で言えば、14の駅のうち、弘前市内にある駅は11駅で、ほぼ市内を運行する路面電車と同じものと考えてよい。</p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 11pt; line-height: 15.693334px; margin: 0mm 0mm 8pt; text-align: start;"><br /></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-23995225406926086502024-03-01T07:00:00.000+09:002024-03-01T07:00:00.130+09:00インビザラインが危ない<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/gNIIkOnCv5s" width="320" youtube-src-id="gNIIkOnCv5s"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">インビザラインの母体、アライン・テクノロジー社の株価を注目している。昨年の<span lang="EN-US">11</span>月に<span lang="EN-US">2018</span>年以来最安値の<span lang="EN-US">185</span>ドルになったので、一気に下降するのかと思ったが、少し持ち直し、今は<span lang="EN-US">313</span>ドルになっている。それでも<span lang="EN-US">2021</span>年の高値、<span lang="EN-US">737</span>ドルに比べると半値以下である。そろそろ頭打ちしてきたようだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">インビザラインについては、あまり好きにならず、このブログでも批判してきた。そもそも最初の咬合状態から最終の状態までを最初に決めて、アライナーを作製するのは不可能と思った。そのうち、歯につけるアタッチメントや頻回なクリンチェックをするようになったが、それでもワイヤー矯正のような応用や仕上がりは無理と思っていた。ところが尾島先生の<span lang="EN-US">YouTube</span>を見ていると、ここ二年ほど、アライナー矯正も格段に進歩し、まず最初に口腔内スキャナー、デジタル印象で咬合を見て、それをソフトで最終形態になるまで、歯を少しずつ動かしシミュレーションを作る。ここまでは従来のインビザラインと同じである。このあと<span lang="EN-US">3D</span>プリンターで形状記憶の性状をもつ材質で、アライナーを作る。せいぜい4、<span lang="EN-US">5</span>回先を予測して作成していくため、症例の経過にそって治療法を変えられる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">ワイヤー矯正においてもそうであるが、同じようなフォースシステムを使っても歯の動きが個人によって全く違っていて、患者個人によって治療法は変わるし、ストレートワイヤーテクニックといってもワイヤーベンディングがほとんどの場合に必要である。実際にアライナー矯正においても最初の計画通りに歯が動く確率は<span lang="EN-US">50%</span>程度と言われ、何らかの治療方針の変更は必ず必要といえよう。そうであれば、数回ごとに印象をとって、その都度、治療方針をたて、新たなアライナーを作製するのは理にかなっている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">さらにいうとアライナー作製の技工料は、今はいくらになったか知らないが、一症例で<span lang="EN-US">30</span>万円ほど、ケースが多くなり割引が高くなってもこの半分、<span lang="EN-US">15</span>万円くらいかかる。ワイヤー矯正においてはブラケットやワイヤーの材料費は全て込みで<span lang="EN-US">10</span>万円かかることはない。通常は<span lang="EN-US">5</span>万円以下である。年間百症例のインビザラインを注文すると技工代だけで、年間<span lang="EN-US">2000</span>万円かかることになる。これをインハウス、自分の医院で設計し、作製すれば、材料費のみとなり、ワイヤー矯正と同様の材料費となる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">調べてみると、まず口腔内スキャナーは<span lang="EN-US">300</span>万円程度、画像ソフトの値段はわからないかったが、3<span lang="EN-US">D</span>プリンターは<span lang="EN-US">200-300</span>万円くらいで、材料費は<span lang="EN-US">1</span>、<span lang="EN-US">2</span>万円程度で、おそらく<span lang="EN-US">1000</span>万円もあれば、設備は整えられ、診療室でほぼすべての作業ができる。経営者感覚でみると、毎年<span lang="EN-US">100</span>症例のインビザラインケースがあるところでは、ほぼ一年で設備費は回収できる。通常、設備投資、特にこうしたデジタル機材は陳腐化が早いので、<span lang="EN-US">5</span>年程度で設備費の回収が必要であるが、おそらく年間<span lang="EN-US">20</span>症例以上であれば十分に回収可能である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">自分のところでアライナーを作るということは、コストの問題だけでなく、治療精度も高まるし、治療方針修正による発注ロスも減り、ますます個別化が必要な矯正治療分野では、デメリットよりメリットの方がはるかに高い。実際、アライナ社が持つ特許との兼ね合いは不明であるが、今後、世界中のインビザラインユーザー、それも大口の歯科医からの注文がなくなると、アライナー社自体も存続が厳しくなる。年間<span lang="EN-US">20</span>症例以下の小口の歯科医院からの注文だけとなる。さらに技工所と連携すると、製作のみを依頼することができ、わざわざ海外の会社に注文する必要もなくなる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">私があと<span lang="EN-US">10</span>年若かったら、是非とも取り入れたい方法で、おそらくは従来のワイヤー矯正とのコンビネーションも可能であり、抜歯症例、アンカレッジ、埋伏歯の牽引、骨性癒着歯、トルクが必要なケースなど、細かい治療法をアライナー矯正でもできると思われるし、無理なら一部ワイヤー矯正を付加し、それに沿ったアライナー設計をして自院で作れば良い。被ばく線量については気にはなるが、<span lang="EN-US">CT</span>画像を組み込めば、より精度の高い治療が可能であろう。もちろん、ソフトを使ってシミレーションをする場合は、ワイヤー矯正についての豊富な経験が必要であり、簡単であるということで参入した一般歯科医は、この時点で排除される。おそらくインビザラインの技工料金は下がる可能性は少なく、矯正治療料金も百万円程度はするであろうが、インハウスによる治療では技工料が下がるために、安い治療費にもできるし、何よりも患者の求める結果により近づける。インビザラインと一緒に一般歯科医での矯正治療も自然と淘汰されていくだろうし、私はそれを望んでいる。</p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-72124357148018990912024-02-22T09:03:00.002+09:002024-02-22T09:08:11.150+09:002024年度診療報酬改定 矯正相談料<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/6x56kRbTvj0" width="320" youtube-src-id="6x56kRbTvj0"></iframe></div><br /><p></p><p><br /></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US">2024</span>年度の歯科診療報酬改定について厚労省から発表があった。この中で、初めて「矯正相談料」が新設された。矯正相談料1は主として矯正専門医院、矯正相談料2は主として一般歯科医院で、年度で一回のみ<span lang="EN-US">420</span>点が算定できる。学校歯科健診で歯科矯正の適用となる咬合異常(先天歯、口蓋裂、先天性疾患に伴う不正咬合)や顎変形症が疑われる患者に対して保険適用の適否について文書で提供した場合に算定できる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">具体的に言えば、4月に学校歯科健診で、不正咬合が指摘され、それを近所の歯科医院に相談に行ったとしよう。従来では、不正咬合では診断名とならないので、この場合は自費治療となった。学校で指摘されたのに、歯科医院に行くと保険が効かないと言われれば、納得しない親も多いだろう。それが歯科医院に行くと、噛み合わせが逆で、将来的に手術が必要となる、あるいはこの症例は手術が必要ない、もう少し様子を見なくてはいけない、専門医に紹介した方が良い、など色々な判断が下され、これを文書にして患者の親に渡せば、おそらく初診料<span lang="EN-US">233</span>点と矯正相談料<span lang="EN-US">2</span>の<span lang="EN-US">420</span>点、計<span lang="EN-US">655</span>点、さらにパントモ、セファロなどを撮れば、その費用も加算できることになる。これを矯正専門医に紹介した場合は、その矯正歯科医は、今度は矯正相談料1を算定できると思われる。一般歯科医を通さずに直接、矯正歯科医院に来た時も、矯正相談料1となる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">反対咬合については、機能的反対咬合と言って、前歯の早期接触により下顎が前に動かしてかみ合わせが逆になることもあるが、通常は多少とも下顎の前方への過成長がある場合が多い。この場合は、将来的に外科的矯正になる可能性があるために、矯正相談料は算定できる。上顎前突についても反対咬合ほどではないが、外科矯正の可能性もあるし、交叉咬合もそうである。ただ歯のデコボコ、叢生については将来的に外科的矯正あるいは保険の適用となるとは考えられない。このあたりをどうするかは、もう少しはっきりしてくるだろう。ただ学校歯科検診では、歯並びの診断は、異常なし:<span lang="EN-US">0</span>、要観察:1、要精検:2の<span lang="EN-US">3</span>つの段階があり、学校から通知されるのが、このうち2であるなら、反対咬合、上顎前突だけでなく、叢生や開咬もこれにはいるため、実際はひどい叢生であっても、要精検、歯並びの問題があるとして、学校から歯科医院で行くようにと言われる。要精検であれば、咬合の種類は問われない可能性が高い。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">一方、一部の矯正歯科医院では、マイナンバーカードの準備やレセコンの導入に躊躇して、保険診療をしていないところがある。この場合、顎変形症については、保険を使わないで、術前、術後矯正をする場合は、手術、入院も自費となるため、外科的矯正は事実上できないことを意味する。実際に保険治療はしていないが、保険医療機関である場合、学校検診で不正咬合の通知を受けて受診したときは、必ずこの矯正相談料1を取らなくてはいけない。保険項目を自費で取るのは、制度上許されていないからである。まず保険医療機関の返上が必要となる。私のところでは、相談料はこれまで<span lang="EN-US">3000</span>円であったが、矯正相談料を適用できるなら、<span lang="EN-US">420</span>点+<span lang="EN-US">233</span>点?が取れるため収入増となるし、患者にとっても3割負担で安くなる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">おそらく厚労省に狙いは、まず矯正相談料という項目を新設し、実際にどのくらいの件数が出るかを知りたいのであろう。人数がそれほど多くなければ、将来的には治療自体も保険適用になるし、数が多すぎて莫大な費用がかかるとなると、これまで通りに治療は自費ということになろう。矯正治療の保険の点数は、<span lang="EN-US">10</span>年単位の治療期間でみると、トータルで<span lang="EN-US">7</span>万点くらい<span lang="EN-US">70</span>万円くらいになるため、該当者の数が多いと、財政の負担が大きい。ただ従来の学校検診の指針はかなりばらつきがあり、ある先生は少しでも不正咬合があれば、2の要精検にする一方、別の先生はかなりひどい症例だけ2の評価をするために、学校により2に該当する人数がかなり違う。厚労省と文科省とすり合わせ、かなりひどい症例のみ<span lang="EN-US">2</span>にするような指導も必要かもしれない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">健康保険は公平性が全く守られておらず、若い人は保険料が払っているが、あまり恩恵がないのに対して、年寄りは保険料をあまり払っていないのに、医療的な恩恵は大きい。特に近年は子供の虫歯はほとんどなくなっているので、親からすれば、医療保険料を払っているのに、子供が歯科治療の恩恵を受けることはない。これは損であると考えても無理はない。せめて前歯で物を噛みきれない、反対咬合、上顎前突、開咬などひどい不正咬合については、是非とも保険適用になってほしい。ただ学校検診の指標で言えば、要観察1と要精検2の差が難しく、本来なら軽度―中等度の不正咬合は自費で治療を、重度の不正咬合は保険でという流れが望ましいが、実際に両者の区別は難しく、欧米の倣い、保険適用については、厳密なグレードによる点数付けが必要と思われる。個別指導でチェックしてグレードの低い、重症でない症例を保険で治療した場合は、返金などのペナルティーがあっても良いし、あるいはこの矯正相談1、2の文書提出に際して、グレードによる点数化をさせれば良い。例えば、学校歯科検診で、歯科医院を受診した場合、オーバジェット、オーバーバイトや叢生量、骨格異常などの診査項目に沿って点数付けを行い、その点数がある基準以上であれば、重度の不正咬合と認定し、保険適用となるようなシステム。現実的にはこうした流れか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">制度上は、重度の不正咬合の矯正治療を保険にすることは可能であるが、一方、受け入れ医療機関が足りない可能性もある。重度の不正咬合の治療には、高度なテクニックが必要であり、手術を併用することもある。そのためトレーニングを受けた矯正歯科医による治療が望ましい。その場合、日本専門医機構認定の矯正歯科専門医の資格を持つ先生がいる医院での治療が望ましいが、残念ながら青森県では該当医がおらず、不正咬合の患者が保険治療での治療を希望しようとしても、いく歯科医院がないということも起こり得る。これもまた不公平である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuSNufue29RbynRqMn0NO-OwSDEqJnoXYO6sDPvDKldBEoXL1p1INPBK955ZAIcxH8w2Nf-nDz5bMhi-0hfpAh7elZFwA9NNau5vWCrfoN0ZENd-Y8iegURn9DrKrksKnx87gIpQojrYm8SsywbRu7xl7EvC8IgRbhkeDfUPJos4DAdyUwrAS4Qxn4X30/s580/1-s2.0-S2352003514000082-gr1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="580" data-original-width="534" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuSNufue29RbynRqMn0NO-OwSDEqJnoXYO6sDPvDKldBEoXL1p1INPBK955ZAIcxH8w2Nf-nDz5bMhi-0hfpAh7elZFwA9NNau5vWCrfoN0ZENd-Y8iegURn9DrKrksKnx87gIpQojrYm8SsywbRu7xl7EvC8IgRbhkeDfUPJos4DAdyUwrAS4Qxn4X30/w369-h400/1-s2.0-S2352003514000082-gr1.jpg" width="369" /></a></div><br /><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-81272747216560617002024-02-19T21:12:00.003+09:002024-02-19T22:47:39.561+09:00ブックトーク「本を出すこと」 まわりみち文庫<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAZcEx1kr-sAZJqXqtoBekqp040VV3nCQu_8d7BGhAObBOIVqRLnLGoHGlcrydfItv0PR1NO715IfEOsNjoh09mS1X6a8yGWhSRcrI5BUFSZz0UNuf-RL0BiFeLv9H1meCHZRep0EmXTKaL3OkwwmDfzlWi4x_ZqlKBcxZyyBi_EgyVbhXthA9jOkwWOU/s1014/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202024-02-19%2020.57.12.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1014" data-original-width="946" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAZcEx1kr-sAZJqXqtoBekqp040VV3nCQu_8d7BGhAObBOIVqRLnLGoHGlcrydfItv0PR1NO715IfEOsNjoh09mS1X6a8yGWhSRcrI5BUFSZz0UNuf-RL0BiFeLv9H1meCHZRep0EmXTKaL3OkwwmDfzlWi4x_ZqlKBcxZyyBi_EgyVbhXthA9jOkwWOU/w374-h400/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202024-02-19%2020.57.12.png" width="374" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">弘前の住む人は皆知っていると思うが、中三デパートを弘前城の方向にさらに進むとみちのく銀行があり、その先の小さな道を左に折れたところが「かくみ小路」である。この狭い道を<span lang="EN-US">50m</span>ほど進むと左側にあるのが、古書店「まわりみち文庫」である。開業当初から懇意にしてもらい、月に2、3度は訪れている。<span lang="EN-US">6</span>、<span lang="EN-US">7</span>坪の小さなお店で、これ以上狭い本屋は日本にもあまりない。店主は、以前は青森市では最も高級なホテル、ホテル青森に勤務していた人だが、何を思ったか、この弘前の、それもかくみ小路で数年前に古書店を開業した。東京や大阪、京都などでは、今風の古書店でこうした店があるのは知っていたが、弘前市で小さな古書店をすることはかなり勇気がいるし、さらに難しいのは継続していくことである。せっかくの志を何とか叶えたいと思い、少しばかり応援している店である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">以前から、お店で作家のブックトークをした方が良いと提案していたが、その後、弘前に住む作家を中心に、そうした試みを何度かしていて、一定のファンもいるようである。皆が本を買うのも大事であるが、店主と色々な話ができ、さらにいうなら常連さんのグループがあって、仲良いという関係も欲しい。ここにくれば知り合いに会い、最近読んだ本で面白かったもの何ですかといった会話ができる店が望ましい。ネットが進み、ほとんどの交流はラインや<span lang="EN-US">SNS</span>で済んでしまうが、他人と直に話せる場所も欲しい。ここでは若い人も、年配の人も、また地位のある人も、学生も全て、同じ本好きに仲間であって欲しいし、できれば作家と読書の壁のなくなってほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">そうしたわけで、以前からここでブックトークをしようと話していたが、この3月<span lang="EN-US">10</span>日にようやく実施することになった。当初は、近著の「弘前歴史街歩き」について話そうと考えていたが、本そのものがすでに売り切れで手に入らないため、もう少しテーマを広げて、「本を出すということ」というタイトルにした。本には、思っていることの半分も書けず、文章を書いて、それを本にする過程で面白かったことについてエピソードを交えて喋りたいと考えている。<span lang="EN-US">1</span>時間半くらいのトークであるが、結構ボリュームがあり、かなり私生活についてもしゃべることになろう。兵庫県の尼崎市で生まれて、どうして弘前に住むようになり、本を出すようになったか、喋ろうと思う。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">場所が狭いので8席しかないので、希望者は早めに「まわりみち文庫」まで連絡してほしい。固定電話がないので、直接、お店行って予約するか、下記のアドレスで申し込んでほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><br /></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; margin: 0mm; text-align: justify;"><span style="font-size: x-large;">すでに満席になりました。申し訳ございません。また開催いたします。</span></p></div><p><br /> </p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-81375671350629257512024-02-15T09:54:00.004+09:002024-02-18T09:11:03.599+09:001/30 ミニチュア自転車 婦人用ミキストフレーム<p> <br /><br /></p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9szl8eneApPNmYHtfv3lSXTwn8Qgi6SbbBgEhJGBFEnFRgh6ATV5tEEyIGMDs9Nc1KRQnm9MuXVzffwjJ6W_5xuN3eE8LctuyT7K0QqEI1QdOiqAWE3qwZJ9FVWwHStCBa8eljs6g2yH3Vn37xZJNVnTUam-0psXWmtzT9ko7mINpFBS2fhixjENk2u4/s2016/IMG_1263.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1512" data-original-width="2016" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9szl8eneApPNmYHtfv3lSXTwn8Qgi6SbbBgEhJGBFEnFRgh6ATV5tEEyIGMDs9Nc1KRQnm9MuXVzffwjJ6W_5xuN3eE8LctuyT7K0QqEI1QdOiqAWE3qwZJ9FVWwHStCBa8eljs6g2yH3Vn37xZJNVnTUam-0psXWmtzT9ko7mINpFBS2fhixjENk2u4/w400-h300/IMG_1263.jpg" width="400" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><div style="text-align: center;"></div></td></tr></tbody></table><br /><p></p><p><br /></p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAkD3D4JzFJPjrLFAUucSePZ-aeEx3NdIiqQ8hw-dAEWk8ER6J9ZpxLKVBhFhotuplWUT2VxwndLta8IUYyAFjb5-slaxjiQw-QnWUlrvaPWb-PAqXCqk6wyXcpLT99_O_XFKryocSxN3NH6w-2-KhQF57Izy4v404-d15T9GOIvJbfDVn16iglcR6LsY/s2016/IMG_1268.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1512" data-original-width="2016" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAkD3D4JzFJPjrLFAUucSePZ-aeEx3NdIiqQ8hw-dAEWk8ER6J9ZpxLKVBhFhotuplWUT2VxwndLta8IUYyAFjb5-slaxjiQw-QnWUlrvaPWb-PAqXCqk6wyXcpLT99_O_XFKryocSxN3NH6w-2-KhQF57Izy4v404-d15T9GOIvJbfDVn16iglcR6LsY/w400-h300/IMG_1268.jpg" width="400" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">いまだに診療の合間をみて自転車の模型を作っている。ロードレーサについては、ほぼ製作方法が完成してきたので、ここらで違うタイプの自転車を作りたい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">まず思い浮かんだのが、日本でも人気の高いアレックス・モールトンの模型化である。一応、図面を書いて計画を練ったが、モールトンの独特なトラス構造のフレームの製作が難しい。ここを綺麗に真似しなくてはアレックス・モールトンにならない。最初は<span lang="EN-US">0.4mm</span>線を駆使して作ろうと考えたが、あまりにろう着箇所が多く、諦めた。製作に慣れた段階でもう一度トライしてみたい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">そこで婦人用の自転車を作ろうと考えた。もちろんややクラシックタイプのものが好きなので、ミキストと呼ばれるフレームのものを作ろうと考えた。ミキストフレームの自転車には思い出がある。大学生になってロードレーサに乗り回していた時期、実家に帰ると白馬にある小さな別荘のための自転車が欲しいという。当時、サイクルマガジンという雑誌を購読したいたので、それに載っていた阪神尼崎駅の南側にあった自転車店を訪れた。完成車でも良かったが、そこに赤色のミキストフレームがあったので、値段を聞くとそれほど高くないので、それにできるだけ安いパーツで製作してもらった。当時で5、<span lang="EN-US">6</span>万円くらいであった。そのまま白馬の別荘に送り、そこで使っていたが、別荘を売った時には誰かにあげた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">フレームとしてはダイヤモンド型が力学的には最も強く、男性用のロードレーサーはほとんどこの形であるが、女性、スカートで乗るためには跨ぐ部分のフレームを下げなくてはいけない。そのため細いフレーム<span lang="EN-US">2</span>本で強度を出したのが、このミキストフレームである。後方部にかけて湾曲しているタイプもあり、こちらの方がよりレトロ感があるので、<span lang="EN-US">1950</span>年代のフランス、プジョーの女性用自転車を参考に作った。ほぼロードレーサーと同じ工程なので、製作は比較的容易であったが、問題は前輪、後輪の泥除けである。これがないとどうも女性用自転車らしくない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">この泥除けの制作が難しい。というのは、真鍮板を円形に曲げるのは容易であるが、それを内方に折り曲げるのが難しく、何度やってもうまくいかない。缶バッジのパーツも使えそうだが、これも強引に内方に折り曲げられている。そこで金属による再生は難しいと判断した。まず粘土のようなスプリントレジンを使って作るとうまく三次元的に丸くできた。ただこれをバーで削っていってもシャープにならない。次にスプリント用の一番薄い板を使って歯科用バキュームフォーマーで製作してみた。まずシートを熱して、それを車輪に使った金属リングに直接当てて、手で密着させていく。手袋をしても熱いし、せいぜい<span lang="EN-US">90</span>度程度の泥除けがいっぱいであった。ただかなりシャープなものができた。さらに即時重合レジンで帯状のものを作り、それを金属リングに押し当てて形成することもしたが、これもシャープにはなれない。妻からディスポのスリーウエイシリンジチップを使えばというので、これを使うとうまくいった。プラスティックのチップは中に芯が入っているので、熱いお湯に入れると三次元的に細工できる。この半分を削って芯をとり、泥除けパーツとした。サドルはドロップからセミアップハンドルにしたが、これは簡単であった。ペダルはプラスティックを削り、ハンドルグリップは<span lang="EN-US">1.0mm</span>の真鍮パイプを使った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">女性用の自転車は、金属以外の部品も使用しているので、模型屋でエナメル、ラッカー塗装を買ってきて、塗装した。サーフェイサーをざっと吹いて、ラックでまず塗装して、エナメルでポイントを入れるのは、プラモデル製作と同じである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">完成品はいまいちであるが、少しずつ違ったタイプの自転車を作ってみたい。最終的には自転車好きの方から愛車の写真を送ってもらい、それに似たミニチュア自転車を作れば喜ばれると思う。<span lang="EN-US">YouTube</span>やネットでミニチュア自転車自作で検索したが、金属線をろう着して作ったものは少なく、これに関しては独自のものなのだろう。一般の人が、ろう着用バーナーで銀ロウを使って金属同士をくっつけることは多分できない。ロウ着による金属の接合は、接着剤に比べて圧倒的に強度が強く、インテリア小物にも向いている。ただ塗装をすると、金属をロウ着して作ったように思われないので、塗装なしの方が良いのかもしれない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><br /><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-28044176454883510122024-02-11T09:21:00.005+09:002024-02-11T09:30:28.627+09:00アライナー矯正のシミュレーションは医療広告法違反か(誇大広告)?<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/vcK7liGXcCI" width="320" youtube-src-id="vcK7liGXcCI"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;">インビザラインをしている患者の<span lang="EN-US">YouTube</span>や<span lang="EN-US">5</span>ちゃんねるなどをみていると、これは小臼歯を抜歯しないと治らないだろうと思われる症例が多い。投稿者は、そこの医院を選んだ経緯なども語っているが、例えば、3軒の矯正歯科医院で小臼歯抜歯とワイヤー矯正の必要性を指摘され、<span lang="EN-US">1</span>軒は一般歯科でここでは非抜歯とワイヤー矯正を、そして最後の一軒の一般歯科のところでは非抜歯とマウスピース矯正を勧められたとしよう。通常なら矯正専門医がすべて抜歯治療を勧めるのであれば、それが正しいはずであるが、どうも多くの患者は最後の歯科医を選ぶ。患者からすれば、歯を抜かなくてもいい、目立つ矯正装置をつけなくても治ると言われればそのまま信じるのも無理はない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;">通常ならここで、おかしいと思うはずである。投資話で、元金保証、毎年<span lang="EN-US">20%</span>の配当があると言われれば、これは胡散臭い話、あるいは詐欺だと思うだろう。ところが歯科医が言うのだから、そんな詐欺まがいの話はないと思うだろう。具体的な例で説明する。以前、ある<span lang="EN-US">YouTube</span>の投稿者へ、小臼歯抜歯をしなければ患者の主訴である口元の突出感は治らないと思われたので、コメントしたことがある。セファロ写真を撮ってもらい、その分析値の中の<span lang="EN-US">U1 to FH(SN)</span>(上の前歯の傾き)という数値を聞き、これが標準値の<span lang="EN-US">110</span>度よりどれだけ大きく、今後の治療でどれだけ変化するか聞いた方がよいと言った。矯正歯科医であれば、最も基本的な分析値であり、国家試験でも問われる分析で、歯科医なら必ず知っておく知識である。その後、投稿者が先生にその旨を質問したかわからないが、この<span lang="EN-US">YouTube</span>は更新されなくなった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;">このケースの場合、どうやら最初の検査でセファロ分析もしなかったようである。セファロ分析は矯正科に入局すると最初にするトレーニングの一つであるが、半年くらいの学習期間が必要で、まず一般歯科医の場合はここで躓く。つまりセファロ写真も撮らないし、撮っても分析できない。結果、まともな治療計画が立てられないことになる。彼らは何も持って治療計画を立てているかというと、デジタル印象でのデーターをマウスピース会社に送り、その会社がコンピュータ上ででこぼこが治る予想をして、それにしたがってマウスピースが作られる。患者にすれば、画面上で今の歯並びが次第にキレイになっていく動画を見れば、疑わないだろう。実際ほとんどのケースはこの通りにいかない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;">インビザラインの最も問題点は、治療後の結果をシミュレーションすることで、最初の状態から治療後の変化をコンピューターで見ることができる点である。これはあくまで作図であり、このようにいかない場合が多い。歯は上の部分、歯冠と歯根に分かれ、歯冠の大きさや歯根の長さも歯の動きに関与し、例えば、上顎中切歯は前後の傾斜や挺出はしやすいが、圧下はしにくく、犬歯は歯根が長いために動きにくく、大臼歯についても上顎は下顎より動きやすい。さらに骨が厚い、薄いでも歯の動きは変わる。こうした多くの要素以外にも患者の協力度、特にゴムの使用時間や、舌の癖も治療結果に関係する。そのためワイヤー矯正であれば、毎回、月に一度はチェックしながら、治療方針を変更する。インビザラインで治療を成功させるためには、何度もクリンチェックの変更が必要である。そうしないと目標通りの結果は難しいと思う。もちろんワイヤー矯正でも術前の状態から術後の結果をコンピュータ上でシミレーションすることは簡単だし、ベテランの矯正歯科医になるとほぼ計画通りの仕上げとなる。ただこうしたことをする先生は少なく、それは計画通りにならないこともあるからで、その場合は患者からクレームがくる。以前、顎変形症の治療計画において、術後の予想顔貌を患者に示すことがはやったが、術後、こうした顔にならないというクレームが多いせいか、最近ではあまりされていない。おそらく美容整形の分野でも術後の予想を強調することは少ないと思われる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0mm 21pt; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"> 医療広告法のガイドラインでは治療前後の写真は、「治療等の内容または効果について、患者等を誤解させるおそれが治療等の前または後の写真などの広告」は禁止事項とされている。また「あたかも効果があるかのように見せるため加工・修正した術前術後の写真などについては虚偽広告に該当する」となっている。ただし限定解除の要件、治療のリスクや副作用などの詳細な説明が必要で、治療前後の写真を掲載するためには、必ずしもこうした結果が得られないことを詳しく説明する必要がある。このことは広告のガイドラインであるだけでなく、もし治療結果についての裁判となれば、説明義務違反となる。患者からすれば、コンピューターのシュミレーションで、綺麗になると言われたので治療を行ったが、そのように動いていないという。インビザライン自体は、日本では未承認医療機器にあたり、よほど説明しても説明義務違反に相当する可能性がある。さらにインビザラインをしている先生の中には治療途中での契約解除は返金できないという人もいるが、契約解除は保証された権利で、それに伴う返金もしなくてはいけない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US">YouTube</span>などで、インビザラインを紹介する動画では、必ず治療前後のシミュレーションがあるが、これは誇大広告、医療広告法に違反していると思われる。厚労省などの正式な回答があれば、<span lang="EN-US">YouTube</span>からインビザラインの動画をなくすことができると思う。日本矯正歯科学会や、日本臨床矯正歯科学会などの団体が、厚労省に問い合わせ、その結果を<span lang="EN-US">YouTube</span>側に通達すべきであろう。<span lang="EN-US">YouTube</span>は<span lang="EN-US">2021</span>年には化粧品を中心に薬機法違反と思われ“シミが消える化粧品”、“ビフォーアフターの誇大広告”などの動画、<span lang="EN-US">55</span>万件の動画を削除した。個人ではなく、学会あるいは厚労省の正式な回答があれば、シミュレーションを載せたインビザラインの動画は削除可能と思われる。このまま野放しにすべきでない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><br /></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-36008221614922957082024-02-08T20:08:00.005+09:002024-02-09T07:06:05.081+09:00故郷の記憶 シソンヌじろうの自分探し<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiN7IEHB6RuHEk6dwrdz7xgh5hQCpHGygV9E5ZPNMenFwUF2Fdvq-rDMRk6h7bGpa_G2yan_IRCBMJbYCEmOLD6jxsYnUI8hi7JW9geIUrtpB_lNDM3dWh_3iu8X_4fUS1ZGRkCWfi7ZZwuE0INBBWTZHoZ4W8TcBRB8fds-CEp_EoatNBX0D-ULXy01sA/s1500/81L8EKcfwLL._SL1500_.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="1022" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiN7IEHB6RuHEk6dwrdz7xgh5hQCpHGygV9E5ZPNMenFwUF2Fdvq-rDMRk6h7bGpa_G2yan_IRCBMJbYCEmOLD6jxsYnUI8hi7JW9geIUrtpB_lNDM3dWh_3iu8X_4fUS1ZGRkCWfi7ZZwuE0INBBWTZHoZ4W8TcBRB8fds-CEp_EoatNBX0D-ULXy01sA/w273-h400/81L8EKcfwLL._SL1500_.jpg" width="273" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">シソンンヌのじろうさんの「シソンヌじろうの自分探し」を購入して、早速読んだ。文章の上手い人で、2時間くらいでサラッと読んでしまった。じろうさんの子供時代に遊んだところや思い出の場所をこの本では紹介している。私は兵庫県の出身で、こちら(弘前)の出身ではないが、本に登場する店や場所はほとんど記憶している。不思議なことである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">よく考えると、じろうさんは<span lang="EN-US">1978</span>年生まれの<span lang="EN-US">45</span>歳、彼が高校を卒業したのが<span lang="EN-US">1996</span>年で、すでに私は今の診療所を開設していた。実際にこちらに住み出したのは<span lang="EN-US">1994</span>年で、さらに家内と交際して弘前に月に一度、<span lang="EN-US">2</span>年間来ていたが、それが<span lang="EN-US">1981-83</span>年、じろうさんが<span lang="EN-US">3</span>つか<span lang="EN-US">4</span>つの時、最初に弘前に修学旅行に来たのが<span lang="EN-US">1973</span>年、大学時代にサッカーの試合で二度ほど来たが、それが<span lang="EN-US">1970</span>年代の後半で、断片的ながら<span lang="EN-US">1973</span>年から今までの弘前市の移り変わりは知っている。駅前の変わり方、ヨーカドーやダイエーができたり、映画館がなくなったりもある程度は知っているが、それでも家内<span lang="EN-US">(1961</span>年生まれ<span lang="EN-US">)</span>にすれば、かくはデパートの思い出のない人は弘前の人とは言えないらしい。かくはデパートは昭和<span lang="EN-US">52</span>年(<span lang="EN-US">1977</span>)には閉店したが、全く記憶にない。サッカーの試合をして確か、<span lang="EN-US">2</span>回とも小堀旅館に泊まったし、キャッスルホテル横の銭湯に行ったし、鍛冶町に飲みに行ったが、かくはデパートの存在には気づいていない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">逆に私が尼崎にいたのは昭和<span lang="EN-US">31</span>年<span lang="EN-US">(1956)</span>から昭和<span lang="EN-US">50</span>年(<span lang="EN-US">1975</span>)までだが、当時の阪神尼崎駅周辺のことはよく覚えている。昔、ダウンタウンが三和商店街を歩いて、ゴジラの映画をみた尼崎東宝を探すという番組があった。道行人に聞くが皆知らず、結局はかなり高齢な方に聞いて発見し、今は駐車場になっていた。尼崎で生まれても、中年までの人は尼崎東宝も知らないのかと思った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">じろうさん自身も弘前にいたのは<span lang="EN-US">18</span>歳までで、その後はおそらく東京での記憶の方が多いであろう。だが故郷というのは、子供時代の記憶があるところであり、じろうさんの故郷は弘前であり、私の故郷は尼崎なのである。子供時代の記憶は特別で、おそらく故郷から離れれば離れるほど脳内で増幅されていくのであろう。私の場合は、尼崎に<span lang="EN-US">19</span>年、仙台に<span lang="EN-US">9</span>年、鹿児島に<span lang="EN-US">8</span>年いて、弘前に<span lang="EN-US">29</span>年となる。期間でいえば、弘前が一番長いし、弘前のことを書いた本も数冊出版したが、故郷ということはない。おそらく死ぬまで住んでもそうした感覚にはなれないであろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">故郷というのは、風景単独のものではなく、母親、父親、親類、あるいは友人とどこかにこんなものを食べに行った、映画館に行ったとかの情景とコンビになったものであり、それはフィルムとして風景とともの頭のどこかの片隅に残っている。ただ実際の風景とはかなり歪曲したものかもしれない。それでも、こうした古い脳内の記憶を思い起こせるのは嬉しいことで、本作でも紹介されている“うちわ餅”なども懐かしいものなのだろう。こうした記憶に残る場所、あるいは味、景色が故郷にはなくてはいけない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">今の人には全くわからない話。尼崎の三和ミュージックというストリッパー劇場があった。その前は、旅回りの劇団の芝居小屋であった。子供の頃、ここの前を通ると立ちんぼの女性もいて怖いところであったが、それでも三和商店街からこの前に道を真っ直ぐ、天崎道場に行く道が一番近い道だったので、よく通った。小学校<span lang="EN-US">6</span>年生頃から、この道沿いにはラブホテルが乱立していったが、結構、商売的にはいいのか、それから<span lang="EN-US">50</span>年くらい経つが、いまだにラブホテルは存在する。こんな風景だが、私にとっては尼崎の故郷の記憶である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-85453839794127746262024-02-05T19:28:00.003+09:002024-02-05T19:28:38.973+09:00弘前市の未来<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1jxIaQUBuyizMbDgyIa9vUOhiG37xVcOTdZaYhcG4nz27KabJGL-_9e5J-yta47ChoQgdxDY3rPigR1JaK1VidMpFuohArugGaB8BlKgV0WHHhznJ4X0viE2qiyKhn_khD9hIxtNnAfsFu0lwi6FjYk8hUuUCQVIJkf8t1o_Nj7HiWFGwnQV7_rdvJ5Q/s729/jp010050000001002000_9.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="446" data-original-width="729" height="245" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1jxIaQUBuyizMbDgyIa9vUOhiG37xVcOTdZaYhcG4nz27KabJGL-_9e5J-yta47ChoQgdxDY3rPigR1JaK1VidMpFuohArugGaB8BlKgV0WHHhznJ4X0viE2qiyKhn_khD9hIxtNnAfsFu0lwi6FjYk8hUuUCQVIJkf8t1o_Nj7HiWFGwnQV7_rdvJ5Q/w400-h245/jp010050000001002000_9.png" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">全国的に少子化が大きな問題となっているのは知っていたが、自分の住んでいる弘前市の出生数を聞いて驚いた。<span lang="EN-US">2022</span>年度の出生数は<span lang="EN-US">860</span>名、<span lang="EN-US">2000</span>年度が<span lang="EN-US">1637</span>人であったので、この<span lang="EN-US">22</span>年でほぼ半分になったことになる。昭和<span lang="EN-US">24</span>年の報告では、弘前市の出生数は<span lang="EN-US">2314</span>名で、弘前市が周囲の村、町合併前の時代で、人口は<span lang="EN-US">64845</span>人の時のものである。今の人口、<span lang="EN-US">177400</span>人の約<span lang="EN-US">1/3</span>なのだが、出生数は逆に3倍近い。もう少し後の<span lang="EN-US">1969</span>年(昭和<span lang="EN-US">44</span>年)の調査でも<span lang="EN-US">2803</span>人であった。昭和<span lang="EN-US">24</span>年の出産数を今の人口に換算すると、実に<span lang="EN-US">6330</span>人に達する。<span lang="EN-US">860</span>名と<span lang="EN-US">6330</span>名、この差はすごい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">小学校の一クラスが<span lang="EN-US">40</span>名とすると、<span lang="EN-US">860</span>人は<span lang="EN-US">22</span>クラスとなる。昔の小学校は一学年6クラスくらいあったので、わずか4つの小学校で足りることになる。現在、小学校数は<span lang="EN-US">34</span>、中学校数は<span lang="EN-US">16</span>あるが、多すぎる。さらに高校は県立高校が5つ、私立高校が4つの9校なので、全ての学生が高校進学するとしても一校あたりの生徒数は<span lang="EN-US">95</span>名となる。現在、弘前高校ひとつで一学年の生徒数は<span lang="EN-US">240</span>名なので、高校はせいぜい4つもあれば十分となる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">この急激は出生数の減少は、令和3年で比べると小学校で<span lang="EN-US">2000</span>名、中学校で<span lang="EN-US">1000</span>名の生徒減となり、小中学校さらには高校の廃止、統合などが起こるは間違いない。さらにいうと、高校卒業後、県外に進学、就職のために出る若者は<span lang="EN-US">20-30%</span>いて、そのまま帰郷しないので、結局は弘前市内の若者人口は減っていく。そして出生数もまた減っていく。これはやばい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">例えば、弘前イトーヨーカ堂にはアカチャンホンポは入っているが、弘前市内だけでいうと<span lang="EN-US">0</span>歳の品物は最大で<span lang="EN-US">800</span>人しか客がいないことを意味する。ここ以外にもベビー用品の店は何軒かあるので、さらに分散し、経営的にはかなり厳しい。幼稚園、保育園、私立高校、予備校、専門学校などの学校や、同様に小児科、学生服店、ゲームセンター、おもちゃ屋、書店(マンガ、参考書など)洋服屋、など若者の客の多いところも経営は大変である。老人に比べて消費欲が高い、若者の減少は、かなり広範囲の分野の商売の冷え込みにつながる。もっと深刻なのは、整備士、大工、左官、看護師、保育士、自衛隊、消防士、警察官、教師などの仕事につく若者がものすごく少なくなる。単純に考えて、高校卒業した<span lang="EN-US">800</span>人の2/3が県内に残っても、<span lang="EN-US">500</span>人少ししかいないことになる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本の出生率は<span lang="EN-US">1.34</span>人に対して、隣国の中国は<span lang="EN-US">1.28</span>人、韓国は何と<span lang="EN-US">0.84</span>人、同様に台湾も<span lang="EN-US">0.87</span>人と<span lang="EN-US">1.0</span>を切っている。都道府県別のランキングでは、沖縄県は<span lang="EN-US">1.86</span>人と多く、青森県は<span lang="EN-US">1.33</span>人と<span lang="EN-US">36</span>位、最下位は東京の<span lang="EN-US">1.13</span>人となる。東京などと比べると青森県ではそもそも若者人口が少なく、決して<span lang="EN-US">36</span>位であることはマシだとは言えず、むしろ深刻である。出生率以外の指標として、実際のエリアでどれくらい生まれた子供がいるかという出生数維持ランキング(<span lang="EN-US">2000</span>年と<span lang="EN-US">2021</span>年の比較)というのがあるが、その一位は東京で、二位が沖縄となるが、<span lang="EN-US">47</span>位の最下位は秋田県で<span lang="EN-US">48%</span>、そして<span lang="EN-US">46</span>位は青森県の<span lang="EN-US">50%</span>となっていて、全国的にも秋田県と青森県は急速な子供の人口減が進んでいる地域となる。市町村で言えば、引越しで転出超過の市町村ランキング(<span lang="EN-US">2022</span>)では青森市が<span lang="EN-US">9</span>位、むつ市が<span lang="EN-US">34</span>位、弘前市が<span lang="EN-US">69</span>位と不本意な位置にある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">青森県では、盛んに“短命県返上”運動をおこなっているが、寿命が伸びて高齢者が増えるより、むしろ子供の数を増やす運動をすべきであり、実際に青森県に住んでいても、子供の急激な人口減がこれほどであることは知られていない。結婚して、しなくても良いが、子供を作ろう運動、さらにそれに対する強力な県、市町村のバックアップが必要であろう。不妊治療だけでなく、出産、子育ての金銭的な補助は当然で、それだけでなく婚活パーティーも豪勢にして無料にすべきだし、二人以上の出産した夫婦には住居費を補填してもよかろう。深刻な状況を一刻も早く県民に知らせ、危機感を煽るべきである。弘前市が所有する建物、藤田家別邸、旧東奥義塾外人教師館、青森銀行記念館を利用、あるいは弘前偕行社などを借受けて、参加費も<span lang="EN-US">1000</span>円くらいで頻繁に婚活パティーを開くべきで、他県からの観光客や外人も参加させれば良い。費用は弘前市が負担する。まず出会いの場を用意し、その後の結婚、出産を期待する。毎回<span lang="EN-US">100</span>名が利用して、一人<span lang="EN-US">5000</span>円の費用がかかったとしても<span lang="EN-US">50</span>万円で、これを毎月してもたかが<span lang="EN-US">600</span>万円くらいで、これくらいの金なら上手く企画書を書けば国から引き出せる。なんでもやれることはしていかなくてはいけない状況である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-7150650460051449942024-02-04T13:47:00.005+09:002024-02-04T16:30:17.368+09:00日本代表ゴールキーパー<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/Crdat6VM2HA" width="320" youtube-src-id="Crdat6VM2HA"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">アジア大会が終わった。アウエーでの戦いは、一点くらいのハンディがあるため、優勝するには難しい。それでも一般放送された2試合で負けるようでは情けない。特にゴールキーパーの鈴木彩艶選手への批判が多い。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">ワールドカップでもそうであるが、こうした大会ではゴールキーパーの活躍がなければ優勝できず、“あの場面でゴールキーパーのスーパープレーがなければ負けていた”、という状況は必ずある。ゴールキーパーの活躍が優勝に大きく関与する。ライバルの韓国も際どい試合で何とかベスト4まで進んだが、ゴールキーパーのチョ・ヒョヌの活躍が大きく、アジア大会のベスト<span lang="EN-US">GK</span>にも選ばれている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本でもプロリーグができて、まず海外に進出したのが、中田英寿のような中盤の選手で、このポジションは多くの優秀な選手を輩出している。その後、日本人には無理とされていたバックスにも吉田麻也、酒井宏樹、そして最高峰のプレミヤリーグで活躍する富安健洋まで出てきて、中盤とバックはほぼ世界標準の陣容となっている。そしてフォワードについては、南野拓実、上田なども現れ、ついに三笘のような世界的な選手も登場した。そうなると残りはゴールキーパーである。これが難しい。と言うのは、ゴールキーパーについては他のポジション以上に体格が絡んでくる。現代のゴールキーパーでは、少なくとも<span lang="EN-US">185cm</span>以上、できれば<span lang="EN-US">190cm</span>以上の身長が求められ、元々外国人に比べて小柄なアジア人からは優秀なゴールキーパーは出ていない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">そうした中で登場したのが、今回、アジア大会の全試合に出場した鈴木彩艶選手である。身長は<span lang="EN-US">190cm</span>あり、<span lang="EN-US">U15</span>から全ての年齢別の日本代表となり、期待の<span lang="EN-US">GK</span>である。<span lang="EN-US">21</span>歳で、まだまだ伸びることを期待され、今回も森保監督も敢えて使い続けた。森保監督にすれば、アジア大会はあくまでワールドカップの練習であり、次回のワールドカップでベスト4以上になるためには、どうしても世界的なゴールキーパーが欲しかったので、敢えて経験の少ない<span lang="EN-US">GK</span>ばかりを招集してアジア大会に臨んだ。韓国の<span lang="EN-US">GK</span>のチョ・ヒョヌは<span lang="EN-US">2018</span>年のワールドカップにも出場したベテランゴールキーパーで、韓国はアジア大会に堅実な<span lang="EN-US">GK</span>を持ってきた。ちなみに<span lang="EN-US">2018</span>年のワールドカップの日本代表<span lang="EN-US">GK</span>は川島永嗣である。将来性のある選手の経験のために鈴木選手を使うか、それとも試合重視でベテランの選手、例えば<span lang="EN-US">2022</span>年のワールドカップに出場した権田修一選手などを使うか、監督にしても悩むところである。結果は失敗した。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">鈴木選手を擁護する声もあるが、今回の試合も含めて、<span lang="EN-US">GK</span>としては及第点を挙げることができず、<span lang="EN-US">5</span>試合で<span lang="EN-US">8</span>失点、あまりにお粗末である。それもかなりの失点がゴールキーパーによる間接的、直接的な失点であり、もしプレミアリーグで、<span lang="EN-US">21</span>歳の新人ゴールキーパーに試合出場の機会を与えられ、<span lang="EN-US">5</span>試合連続のこのパーフォーマンスであれば、二度と試合出場はない。少ない出場機会で、監督や首脳陣にアピールできないと、ゴールキーパーは一人しかいないので、出場機会は減る。もちろん、鈴木選手は突出した能力を秘めた選手だからこそ森保監督も使ったのだが、経験不足を露呈したし、ましてやチーム全体の信頼を勝ち得たとは思わない。少なくとも3人の<span lang="EN-US">GK</span>枠のひとりにベテラン<span lang="EN-US">GK</span>を入れておくべきで、例え出場できなくてもアドバイスは大きい。<span lang="EN-US">GK</span>については、監督や他のフィールドプレーヤはわからず、ベテランの<span lang="EN-US">GK</span>からのアドバイスの重要となる。全体的にこのアジア大会では、年齢が若かったこともあるのか、鈴木選手はオドオドした印象であり、思い切った自信のあるプレーはなかった。身長が<span lang="EN-US">190cm</span>あるのに小さく感じたし、どんな相手でも点が入りそうな気分であった。これが偉大な<span lang="EN-US">GK</span>、例えばソ連のレフ・ヤシン選手がゴールを守ると点が入らない感じがした。昨日見た準々決勝でも、一点目の失点はまずキックが短すぎ、その後の相手側の攻撃も前へのダッシュが1、2歩遅れた。2点目も後方からの声による指示、あるいは前へのダッシュが遅れた。さらに言うなら、この<span lang="EN-US">PK</span>を阻止する運も必要であろう。もう少し日本代表としての国際マッチで経験を積ませてからアジア大会に出場したかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">昔、羽田空港で、元日本代表の川口能活を見たことがある。私の身長が<span lang="EN-US">176cm</span>だが、何度も前を横切って川口選手の身長をチェックしたが、それほど変わらず、せいぜい<span lang="EN-US">178cn</span>くらいであった。あの身長で、よく日本代表で活躍したと、むしろ感激したが、彼の優れた能力は判断力で、前への飛び出しと、頭からボールに向かう勇気には魅了的であったし、何度み見せた神ががりプレーはいまだに脳裏に焼き付く。彼の場合もそうだが、優れたゴールキーパーは、集中力が極度に高まり、ゾーンという状態に入る。この状態になると、視野がグランドのみとなり、音声はなくなり、どこにボールが来て、どんなシュートが来るかわかる。どんなボールでも止められるという暗示に入る。今回のアジア大会での鈴木選手のプレーにはこうしたゾーンに入った状態が見られず、これは彼の欠点なのかもしれない。これだけは練習で見ることができず、試合でのみ、それもここ一番の試合で発揮できるもので、偉大なゴールキーパーはこうしたゾーンに入る能力が高かっただけでなく、相手選手への威圧感も強かった。ソ連のヤシン選手、イギリスのゴードンバンクス選手、ドイツのカーン選手などは、シュートを打つ側のミスを誘った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">どうかイギリスのプレミアムリーグの正ゴールキーパーで活躍できるような日本人、ゴールキーパーが現れて欲しい。そうなれば、ようやくワールドカップにもベスト8の壁を突破できそうである。アジア大会で見る限り、鈴木選手は身体的能力が高くても、肝心な、それも厳しい試合で、どうもゾーンに入りにく選手のようで、もう一度、クラブチームの試合で鍛えてほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-44388826010447416042024-02-03T19:45:00.003+09:002024-02-03T19:45:32.045+09:00大阪人の自慢好き<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVH5ttQGkl7K6vtAD5R74ltit2B_mzuYce7u7ESwfYKy_MyiT9jx9ImZwLcRWbqT13Lip_L6U7VSyWtKSjOFPMk2KB9bSt5K2u54skXMEDYK74pAXwOUFZ8Il281Gp9saHIvecRVONaoZ33vCBHhQe4LWUTq-ohFYAwHarfdF525c_-B4vVPVZDgcPL34/s280/nandemorank07.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="210" data-original-width="280" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVH5ttQGkl7K6vtAD5R74ltit2B_mzuYce7u7ESwfYKy_MyiT9jx9ImZwLcRWbqT13Lip_L6U7VSyWtKSjOFPMk2KB9bSt5K2u54skXMEDYK74pAXwOUFZ8Il281Gp9saHIvecRVONaoZ33vCBHhQe4LWUTq-ohFYAwHarfdF525c_-B4vVPVZDgcPL34/w400-h300/nandemorank07.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">青森来てからかれこれ<span lang="EN-US">30</span>年になるが、いまだに家内や友人に呆れられるのは、すぐに自慢したがる癖がある。本人は特に悪気がある訳ではないが、バーゲンで安く買ったり、貴重なものを手に入れたり、変わった経験をすると、どうしても人に話したくなる。どうもこの癖は大阪人の癖のようで、関西の高校の同級生に会って話すとそれほど違和感がないのであるが、東京や東北の人と話すと、どうも自慢話に思われるようである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">大阪の人同士の会話でよくあるのは、「この服なんぼすると思う?」、実際に想像するより高い値段、「一万円くらい」というと、「大阪の阪神百貨店で、バーゲンで<span lang="EN-US">2000</span>円で買ったんや」、この場合、必ず大袈裟に驚いて、「それは安い買い物やね」と言わなくてはいけない。こうした会話が延々と続く。老人になると、病気自慢も増えてくる。今、こんな病気で、この前から病院に行っていると自慢する。一番の自慢はガンの手術をして奇跡的に助かったと、入院中の経験やさらには手術痕を見せる人もいう。この場合、病気の多さと種類の多様さが自慢になる。子供の頃、近所のおじさんさんから、「にいちゃん、ええもん見せてやる」と言われ、上のランニングシャツを脱いで、背中の龍の刺青を見せてもらったことがある。刺青自慢である。近所の銭湯に行くと、常にこうした刺青自慢おじさんが2、3人はいて、洗い場に並ぶと壮観であった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">子供の頃、少年マガジンなどの週刊誌に野球選手やスターの住所が載っていた。ある時、封筒に返信用の封筒とオバ<span lang="EN-US">Q</span>のハンカチを入れて讀賣巨人の長島選手に送ったことがある。二週間すると何と長島選手からサイン入りのハンカチが送られてきた。次の日、学校に行ってみんなに自慢したのは言うまでもない。ついでに王選手にもハンカチを送ったが、これは空振りに終わり、自慢できないオチとして友達に話した。少年マガジンにはファンコーナというものがあり、「チャンピオン太」の似顔絵を送ると、本編のページ横の<span lang="EN-US">1cm</span>くらいのところに名前が載る。よく出したが、結構載った。子供を取り巻く環境の中にも、自慢話のネタが豊富にあった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">ただ自慢話の中でも、あまり聞いていて気持ちのよくないものもあり、これはできたら勘弁してほしい。まず子供の自慢話、これは大阪人もしない。むしろ子供のばかなことが話題になることが多い。うちの子はアホで、全然勉強しない、ゲームばかりしているという会話は多いが、毎日5時間勉強して東大に入ったというのは言えない。これは周囲が微妙に感じ取って、こちらから、あんたの子は勉強好きで羨ましいわといった会話で振り向ける。ただ妻自慢は結構好まれるし、妻との馴れ初めもよく話す。逆に嫁さんからの夫自慢はあまり聞かない。友人自慢もよく出る話題であるが、優秀な友人のことばかり話すのは、なんだかマウントを取るような感じを受けるので、これもとんでもない友人自慢の方が喜ばれる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">要するに大阪人にとっては、ずっと喋っていないと何だか落ち着かず、沈黙を極端に恐れる。そのために話題になりそうなことは何でもしゃべる傾向にあり、日常生活はそんなに変化がないので、つい自慢話と悪口となる。絶対に内緒にしてくれというのは、大阪人には無理な話である。それに対して青森人は、じぶんの自慢話をしないばかりか、他人を褒めることも少ない。昔、日露戦争の英雄、一戸兵衛大将が帰省する場合は必ず軍服ではなく、和服にセルの袴で帰ったという。軍服で帰ると、故郷の人々から賞賛だけでなく、散々悪口、子供の頃は泣き虫だった、彼何ほどの者ならん、ただ時の運強くして、などと言う(太宰治)。実際に津軽で自慢話をすると、その倍の悪口で言われるので、家内からも注意される。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">自慢とは「自分で、自分に関係の深い物事を、他人に誇ること」、「自分のこと、自分の持ち物、自分が所属するものなどの良さを他に対して得意げに示すこと」となっている。“得意げ”については、相手がそう思うかの問題で、「自分の良さを他に示すこと」であれば、それほど嫌がられるものではない。アメリカ人は自慢話が好きだし、自分の良さをあまり喋らないのは日本人だけなのかもしれない。自分のことを相手に伝えるには、いいことばかりだと自慢話になるが、欠点も含めてしゃべれば、それほど嫌なものではない。私は他人の自慢話を聞くのは好きで、共感してどんどん攻める傾向がある。以前、父の友人で、太平洋戦争の時にラバウル航空隊にいた歯科医がいて、宮崎で一緒に飲んだことがある。自慢話ではないが、ついラバウル航空隊のことが話になり、そこでの生活や敵機との空戦などを聞いた。これは面白かった。相手のことを知るには、相手の自慢も含めて面白がる必要があり、自慢多いに結構という感じもある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-8639885760322968152024-01-26T20:14:00.008+09:002024-03-09T09:41:41.532+09:001/30 ミニチュア自転車 ロードバイク 矯正用機材を使って<p><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgpwBpMmMB3PzTmiJzVBaV5YRLeYh8HhQUmDHK1XdTFbiYgicqwImemNlhwe9MOm0-8VfpVgNArl53XQdAjcvSupXP-HDmxB4YQL1CvAQ-UxRfd2JWh-dDWR9aE7MBZc4pFkuVLMDBeFOnEbUNcRb_gecG4u5K0BTCz7LHxDDucd5lEOPTygz5ZrdDiRLk/s2016/IMG_1234.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1512" data-original-width="2016" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgpwBpMmMB3PzTmiJzVBaV5YRLeYh8HhQUmDHK1XdTFbiYgicqwImemNlhwe9MOm0-8VfpVgNArl53XQdAjcvSupXP-HDmxB4YQL1CvAQ-UxRfd2JWh-dDWR9aE7MBZc4pFkuVLMDBeFOnEbUNcRb_gecG4u5K0BTCz7LHxDDucd5lEOPTygz5ZrdDiRLk/s320/IMG_1234.jpg" width="320" /></a><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /></div><br /><br /> <p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhcNqDW2lP_UjQ-WE0eOF99LaXeiJymIKTo0HgfE8Lxacq-AeCNduMqMkZxNrdorfgAC908ISVmMttV6SWzdDaA-kjw_izs15QBF4soZ1TwYYWwG4xzHTdrtMfQMfuKkfomNr8Gl75pBG0_VR7Fl5E3iEBCK-WK_GIvLEbJM10Om9z3zgsfI9CayEtFGJ4/s2016/IMG_1232.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1512" data-original-width="2016" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhcNqDW2lP_UjQ-WE0eOF99LaXeiJymIKTo0HgfE8Lxacq-AeCNduMqMkZxNrdorfgAC908ISVmMttV6SWzdDaA-kjw_izs15QBF4soZ1TwYYWwG4xzHTdrtMfQMfuKkfomNr8Gl75pBG0_VR7Fl5E3iEBCK-WK_GIvLEbJM10Om9z3zgsfI9CayEtFGJ4/s320/IMG_1232.jpg" width="320" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3Jnov3KR7pOwQZBrZ-XM7Mo_M9ARbltTcxF2TcZ_CDe_9gMcXpw3w4Tju2sl9e5YBU_1MItLi0zxAu-52s_2UY4qEKWtHVCqtzDK9I_7CVWvYqrMPS2P8abSt6QGiR2XW3qA6HVOxWm5VmwV9AuXUWlZcB3DSgivFj0qqR5JjsbFwr2qR2f6DLmeJcN8/s2856/IMG_1235.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2856" data-original-width="2142" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3Jnov3KR7pOwQZBrZ-XM7Mo_M9ARbltTcxF2TcZ_CDe_9gMcXpw3w4Tju2sl9e5YBU_1MItLi0zxAu-52s_2UY4qEKWtHVCqtzDK9I_7CVWvYqrMPS2P8abSt6QGiR2XW3qA6HVOxWm5VmwV9AuXUWlZcB3DSgivFj0qqR5JjsbFwr2qR2f6DLmeJcN8/w300-h400/IMG_1235.jpg" width="300" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">以前のブログで、引退後は何をしようか、ということで矯正用機材を用いたミニチュアロードバイクを挙げた。一般歯科医と違い矯正歯科医は、単に治療手技が違うだけでなく、技工もかなり違う。例えば、矯正歯科では、金属同士をつなげる蝋着という手法が一般的で、リンガルアーチという矯正装置を作る場合、あるいは指様弾線をくっつける場合も銀ロウによる蝋着が必要だし、とりわけマルチブラケット装置においては、ワイヤーにフックをつける場合に、この手技を使う。これは一般歯科医では滅多に使う手技ではないし、また技工士も矯正装置を扱わない限りあまり使わない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">そこでこうした手法を多用したものとしてワイヤーによるミニチュアロードバイクの製作を思いついた。一般的なロードバイクの全長は<span lang="EN-US">180cm</span>くらいだが、飾るとなるとあまり大きいサイズは置き場所に困る、といってあまり小さいと細かすぎて作れない。そこで矯正治療でよく持ちいられるワイヤー、私はサンキンのサンプラチナ線、<span lang="EN-US">0.9mm</span>、<span lang="EN-US">0.8mm</span>、<span lang="EN-US">0.5mm</span>、<span lang="EN-US">0.4mm</span>を多用し、在庫も多いのでこれを材料として使うことにした。ロードバイク、特にクロモリのチューブサイズは<span lang="EN-US">35-40mm</span>くらいなので<span lang="EN-US">0.9mm</span>線で作るとなりと<span lang="EN-US">1/40</span>くらいとなるが、ミリタリープラモデルでよくある<span lang="EN-US">1/35</span>サイズとすることにした。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">ネットで、好きな、今回はイタリアのレニャーノの古いバイクの写真を引っ張ってきて、それが1/30の全長<span lang="EN-US">6cm</span>くらいになるように印刷した。その大きさに沿って、<span lang="EN-US">0.9mm</span>、<span lang="EN-US">0.8mm</span>あるいは<span lang="EN-US">0.5mm</span>線で屈曲し、銀ロウで固定した。ワイヤーの曲げや、蝋着<span style="font-size: 10.5pt;">はお手のものであるが、設計すると一部、非常に難しい箇所がある。銀ロウで蝋着する場合、蝋着ポイントが近いと、隣の蝋着部分が溶けてしまう。前輪のスポークと本体を繋ぐ点が三箇所の蝋着ポイントとなり、それも近接している。さらに三角チューブとの平行性なども必要なってくる。これをフリーハンドで蝋着していく。何度も何度もやり直してようやくある程度の角度が決まるが、よく見ると歪んでいる。</span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">また前輪、後輪については約<span lang="EN-US">20mm</span>のサイズとなるが、<span lang="EN-US">0.9mm</span>線を曲げて完全な円形にするのは難しく、既製の<span lang="EN-US">20mm </span>のメタルリングを使うと今度は断面が円形でない。そこにスポーク<span lang="EN-US">,</span>できるだけ細い線として<span lang="EN-US">0.4mm</span>線を使い、スポットウエルダーで固定したが、細すぎて、ちぎれるため<span lang="EN-US">0.5mm</span>線を使った。全て銀ロウで固定していったが、既製の歯車を本体につけるのは難しく、ここだけ瞬間性接着剤で固定した。維持が弱いようならここも銀ロウで止めたい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">最初は前輪、後輪、ペダル共に可動性にしようと、<span lang="EN-US">1.2mmの</span>真鍮チューブを購入し、そこに<span lang="EN-US">0.8mm</span>線を入れて回転できるようにと考えたが、この真鍮チューブが柔らかすぎて変形し、銀ロウで固定することもできない。熱を加えるとすぐに柔らかくなってしまう。接着剤を使えば、真鍮チューブを使えるが、接着剤には耐久性が低いので、ここは回転できなくても銀ロウでガッチリ固定したい。前回の作品に比べて、ギア、ブレーキ、前輪のスポークも両側にしたし、フレームも塗装したので、少しよくなった気がする。それでもどうもホイールの形が気に入らないし、できれば、ギアにチェンもつけたところである。<span lang="EN-US">1/30</span>であれば、タミヤのドイツ陸軍、自転車行軍セットが販売され、それのエッチングキットも売っているが、エッチング部品はどうも取れやすく使う気になれない。チェーンをどうするか、今検討しているところである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">あと<span lang="EN-US">20</span>、<span lang="EN-US">30</span>台くらい作れば、かなり製品としては確立するので、希望があれば、売りたいと思っている。まだまだ売り物にはならない。あと二年くらいは試作を繰り返したい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br />広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-45066979753510547952024-01-15T19:15:00.002+09:002024-01-15T19:15:24.123+09:00災害時の輸送に無人ヘリコプター<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/U_UHBqiSjoA" width="320" youtube-src-id="U_UHBqiSjoA"></iframe></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="266" src="https://www.youtube.com/embed/3PKudybaHmU" width="320" youtube-src-id="3PKudybaHmU"></iframe></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">能登半島沖地震の物資救援は難航している。各地で、道路の崩壊が起こり、途中まで車で輸送できても、そこから先に物資を送ることができず、自衛隊員が人力で運んでいる。本当にありがたいことではあるが、こうしたことは今後の災害でも起こりえることだし、戦時下でも同様なことが想定できる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">当初はもっとヘリコプターを利用できないかと思ったが、冬場で天候が悪い日が多く、リスクの大きなヘリコプター運航は簡単でない。また一気に大量の機材や物資を送るとなるとある程度の平坦な着陸地点が必要であるが、そうした条件が揃えられないとヘリコプターによる物資を送るのは投下することになる。空中投下もまた住民が住む地点では大きなリスクが伴い、万が一住民の家にあるいは人にぶつかると大変なことになる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US">YouTube</span>で人力による輸送を見ていると、道路が崩れ落ち、そこを迂回して石だらけ、泥だらけの山の中を隊員がリュックに食材などを詰めて運んでいる。一人<span lang="EN-US">20kg</span>でも相当運ぶのはキツく、余震による新たな二次災害の可能性もある。国内のドローン製造会社により作られた日本<span lang="EN-US">UAS</span>産業振興協議会が実験的にドローンを使って短距離、寸断している道路部分で薬を輸送した。これは最悪の場合でもドローンの墜落だけなので、もっとも安全な輸送方法と言え、今後の災害支援のいい考えだと思われる。ただ搭載量は<span lang="EN-US">5kg</span>しかなく輸送方法としては用途がかなり限られる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">例えば、農薬散布で定評のあるヤマハ発動機の産業用無人ヘリコプターは<span lang="EN-US">50kg</span>の荷物を <span lang="EN-US">90km</span>ほど運ぶことができる。少し小型の積載量<span lang="EN-US">35kg</span>の「<span lang="EN-US">FAZER R</span> <span lang="EN-US">G2</span>」で価格は<span lang="EN-US">134</span>万円と民生用なので非常に安い。パトリオットミサイル一発、<span lang="EN-US">4</span>億円で、何と<span lang="EN-US">300</span>機の無人小型ヘリコプターが買える。一機で<span lang="EN-US">50kg</span>を運べるとすると<span lang="EN-US">300</span>機では<span lang="EN-US">15</span>トンの物資を運ぶことができる。ウクライナ戦争では、従来の戦争に比べてドローンを利用した戦いが大きな比重を占めており、それも軍用だけでなく、民生用も多く活用されている。なかば消耗品扱いで、大量のドローンが戦争に使われており、値段が安いことと扱いが普通の兵士でもできることが一つの条件となっている。ヤマハの無人ヘリの場合は、農業でも使用を考えており、農業従事者にも扱えるように、また万が一の場合も損害のないように多くの安全装置がついており、自衛隊の通常の兵士でもある程度訓練を受ければ使えるだろう。実はこのヤマハの無人ヘリは中国も興味を持っていて、以前、不正輸出事件があったくらいである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">自衛隊においてもウクライナ戦争の教訓としては、ドローンを使い捨て機器としてもっと活用する戦術が必要となり、同様に災害時においても、大型の有人のヘリコプターも重要であるが、ヤマハの小型無人ヘリコプーターや他の民生用のドローンなども安くてある意味使い捨てで活用でき、こうした機材を利用した作戦も検討してもよかろう。今回の能登半島沖地震で言えば、輸送艦「おおおすみ」、大型の「ひゅうが」、あるいは小松基地を第一次拠点として物資の蓄積し、そこから小型の無人ヘリコプターを活用して、孤立した地域への物資搬送に使う。あるいは初期段階では被害状態の偵察にも使える。道路が寸断したところでは、寸断した道路までトラックなどの陸路で物資を運び、そこから孤立した地域まで無人ヘリコプターでピストン運転をする方法もある。隊員一人で<span lang="EN-US">20kg</span>の物資を運ぶなら、無人ヘリコプーではその2倍以上の物資を数十分の1の時間で供給できる。おそらく「おおすみ」や「ひゅうが」であれば、十機以上の無人ヘリコプターは搭載可能であろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">いざ軍用となると、妨害電波、悪条件への対処、爆撃装置など、新たな開発かかり、少数生産となるため、民生用とは桁違いの価格となろうが、むしろウクライナ戦争で分かるように消耗品扱いで、民生用を少し改良する程度で、安い調達費用で数を揃えたい。実際の戦争でも、今回の地震と同様に孤立した集落、地帯への武器、食料などの発送が必要になるケースは想定でき、救援物資を空中投下で行う方法以外にも、少量の物資を無人ヘリ、ドローンで発送する方法も検討しておく必要があろう。できれば防衛庁とヤマハで、災害用に活用できる輸送用無人ヘリ、あるいはドローンの共同開発もあるだろう。川崎重工は貨物搭載能力<span lang="EN-US">200kg</span>の大型無人ヘリコプターをつい最近開発した。ローター直径が<span lang="EN-US">7m</span>のかなり大型のものである。アメリカでも積載量<span lang="EN-US">550kg</span>の無人ヘリが開発されているが、輸送となるとドローンより無人ヘリの方が積載量が多いようだが、あまり大型では今回のような災害救援には向いてない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-22441211394307692222024-01-12T21:06:00.005+09:002024-03-09T09:40:51.625+09:00引退後の生活<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhL3RZzecFfunSwv2payGvAg9og9rBUk74IV3hxSd7YW-ZZcELjkJ53C-xI3SwSukUHvIbFuhwRu4uv5hP5SsNT9pJTdbduuAz4qZ0ZWDibmueoLTf_2ZKazm_8wXG7htPlu4TWDdajMyjzUk9Iul9CMaWEHaq2Ryyv69DQLWyZ1uGE9QVJw4N1XYBFLuQ/s3407/IMG_1228.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2568" data-original-width="3407" height="301" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhL3RZzecFfunSwv2payGvAg9og9rBUk74IV3hxSd7YW-ZZcELjkJ53C-xI3SwSukUHvIbFuhwRu4uv5hP5SsNT9pJTdbduuAz4qZ0ZWDibmueoLTf_2ZKazm_8wXG7htPlu4TWDdajMyjzUk9Iul9CMaWEHaq2Ryyv69DQLWyZ1uGE9QVJw4N1XYBFLuQ/w400-h301/IMG_1228.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">大きさは約5c,。1/30スケールです</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgzl-VXwfH43yqdfLnJ7WqaAtqUX9dPurh6xEQFKoulZ0Vlu6cNraLoFH_Q6Kmo4IpWYOBC7gklspf4KP6q26DHbxzEX6wTx_Lvp0UBF62US4wsJu_xo9AAkh-TlbeGGHAIcDMA8zmkQIo5-Bgvs8_8xORjjEC3WvfwlsaMEfhKu8Aaq_M6YjQ_ghmwMQU/s3118/IMG_1219.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2141" data-original-width="3118" height="275" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgzl-VXwfH43yqdfLnJ7WqaAtqUX9dPurh6xEQFKoulZ0Vlu6cNraLoFH_Q6Kmo4IpWYOBC7gklspf4KP6q26DHbxzEX6wTx_Lvp0UBF62US4wsJu_xo9AAkh-TlbeGGHAIcDMA8zmkQIo5-Bgvs8_8xORjjEC3WvfwlsaMEfhKu8Aaq_M6YjQ_ghmwMQU/w400-h275/IMG_1219.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">この<span lang="EN-US">4</span>年ほど日本矯正歯科学会の新しい専門医制度に関わってきた。すでに症例審査、ペーパー試験にも合格し、残すは日本歯科専門医機構の講習だけとなった。昨年の<span lang="EN-US">11</span>月の日本歯科専門医機構の<span lang="EN-US">2022</span>年度までの<span lang="EN-US">2</span>単位の講習を受け、今年の初めに<span lang="EN-US">2023</span>年度の<span lang="EN-US">2</span>単位の講習を受けて、書類を今月末に提出して、合格となる、当然、私もこのスケジュールでの合格を目指し、年末にネットで講習会を聴こうと思ったが、見れず、よく調べると講習会の登録はしたものの、お金を払うのを忘れていた。最近のネットでの講習会はほとんどネット支払いになっているので、すっかり支払ったと思っていたが、銀行振込だったのである。気づいた時にはもはや登録の期限はすぎ、今年度の<span lang="EN-US">2</span>単位をとっても足りず、結局、今年はライセンスは取れないことになった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">流石に落ち込み、家内に話すと「<span lang="EN-US">2</span>年後に閉院すると言って新規患者をとっていないので、いまさらに専門医の資格をとって何の意味あるの」と言われた。なるほど、いまさら矯正歯科の専門医を取得してもすでにホームページも閉鎖しているし、新規患者もお断りしている現状では全く意味はない。ましてや今年度ではなく、次年度以降となるとますます無意味のものとなる。それでもこれまでの苦労、<span lang="EN-US">10</span>症例を選んで莫大な手間をかけて提出したり、記憶力が劣った状態での<span lang="EN-US">40</span>年振りのペーパーテストや、何度も横浜に行ったり、その時間と金が無駄になるのが何となく悔しい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">知人に言わせれば、矯正歯科なら閉院してもバイトなどで稼げると言われるが、バイトをすれば、そこでの患者を最後まで診るとことになリ、結局はやめられなくなり、引退したことにならない。医院のみ残し、台湾にあった検査専門の歯科医院にして、一般歯科から紹介された患者のセファロ、パントモ、平行模型などをとり、トレースして診断、治療計画をして、一般歯科医に送付するような仕事はできないか考えた。一症例あたり5万円くらいなら歯科医院もこちらもメリットがあると考えた。ところが友人に話したところ、そんな無責任なことはやめた方が良い、診断、治療計画を立てても、一般歯科の先生はきちんと治療できないのだから結局は患者のためにならないという声が多かった。つまり引退したなら、変なことを考えずにすっぱりと矯正歯科医を辞めよということである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">私から歯科医のキャリアをとれば、何が残るか。友人は、先生は文筆業があるからいいのではというが、これまで5冊本を出版したが、黒字が出たのは1冊だけであとは赤字、とても文筆業などをセカンドライフにできない。せいぜい、趣味で死ぬまでにあと2冊くらい出版できれば御の字である。それ以外の趣味で、毎日、数時間は過ごせ、できれば月に<span lang="EN-US">5</span>万円くらいになることはないか。これはこれから2年間の宿題である。歯科医院には結構、クラフトを作る機材が多くあるし、さらに矯正歯科医はワイヤーを曲げたり、それを蝋着する技術を有するので何か、それを利用した趣味兼小遣い稼ぎはできないかと考えた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">以前、フランスの<span lang="EN-US">The Model Cyclist</span>のツールドフランスの自転車フィギュアを買ったことがある。大体<span lang="EN-US">1/35</span>サイズで、大きさは約<span lang="EN-US">5cm</span>くらいの亜鉛合金でできていて、手作りで彩色されて可愛い。5体ほど買って受付に飾っているが、自転車好きの人にはたまらない。大きさもこれくらいが飾りやすいので、<span lang="EN-US">1/35</span>サイズの自転車、それもロードレーサーを作れないものか考えた。上手くいけば、これを作製してネットで売れればと考えた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">早速、治療の合間を利用して設計に入った。まず自転車のフレームの制作である。実際にクロモリ製のロードレーサーのフレームチューブ径は<span lang="EN-US">35-40mm</span>くらいなので、<span lang="EN-US">0.9mm</span>のサンプラチナ線をメインに使うことにした。三角形に曲げた<span lang="EN-US">0.9mm</span>線を銀ロウで接着した。本来は小型のジグがあれば、もっと綺麗に組めるが、今回は試作なので、フリーハンドで蝋着していった。蝋着部を研磨すると本物のアルミのフレームと同じような仕上がりになった。ドロップハンドルも<span lang="EN-US">0.8mm</span>線で曲げて、本体に蝋着した。ペダルは少し径の小さい<span lang="EN-US">0.5mm</span>サンプラ線を蝋着した。さらにタイヤも実際のロードレースでは<span lang="EN-US">25mm</span>や<span lang="EN-US">28mm</span>の径のタイヤなので、これも<span lang="EN-US">0.9mm</span>線を円形に曲げて、スポークは一番細い<span lang="EN-US">0.4mm</span>線を蝋着した。バードピークプライヤで曲げていったので綺麗な円形にはなっていない。既成のものを探した方がよかろう。サドルは、モリタのスプリントレジンで大まかに形態を作って光重合で固め、茶色に塗った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US">2</span>時間ほどで完成したが、どうも今ひとつで、とても売れるような代物ではない。細部がどうも納得しない。さらに各部の固定に銀ロウを使っているが、仕上げが汚く、材料費がかかりすぎる。かなりの工夫が必要である。さらにサーフェイサーを吹いてから塗装するのか、無塗装の方がいいのかそれも検討を要する。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div></div><p><br /><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-38912702405472215852024-01-11T12:47:00.000+09:002024-01-11T12:47:02.497+09:00ネットの力は強い<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4avGgohaOo5kiRKFmyuAZ4YYARvCW6k0bJfxUM0JNlqpxtku9Ca_DDP4zHBobbJHQA42i-j9sTkcSL2xizJX0GxHjNT7sPm5hyotvE5OlLBqIDE8DulluuRsnIPTWaTOUQWEuHtCgngPjZUw4JEeqLDKgnBk2enk_s5EGOIG0VCs_wBaIZSzN9VV4Fhs/s500/ortho-101-e.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="333" data-original-width="500" height="266" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4avGgohaOo5kiRKFmyuAZ4YYARvCW6k0bJfxUM0JNlqpxtku9Ca_DDP4zHBobbJHQA42i-j9sTkcSL2xizJX0GxHjNT7sPm5hyotvE5OlLBqIDE8DulluuRsnIPTWaTOUQWEuHtCgngPjZUw4JEeqLDKgnBk2enk_s5EGOIG0VCs_wBaIZSzN9VV4Fhs/w400-h266/ortho-101-e.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; caret-color: rgb(0, 0, 0); color: black; font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; margin: 0mm; orphans: auto; text-align: justify; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px;">ネット上に医院のホームページを作ったのは<span lang="EN-US">2008</span>年頃だが、<span lang="EN-US">15</span>年間続けていたホームページを昨年の<span lang="EN-US">11</span>月に閉鎖した。開業したころは、ホームページなどを見て来る患者さんなどいないと思っていたので、友人に比べて公開するのも遅かった。<span lang="EN-US">1995</span>年の開業以来、新しい患者さんには、どのようにしてここの医院のことを知ったかと聞いていたが、最初の頃は友人、知人から聞いたという本当の口コミによるものが多かった。ただホームページ開設後は、次第にホームページを見てきましたという患者さんが多くなった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><style class="WebKit-mso-list-quirks-style">
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</style><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal">数年前からは子供の治療をしていないので、成人患者のみをとっていたが、それでもここ2、<span lang="EN-US">3</span>年は年間<span lang="EN-US">250</span>名程度の新患がいた。ところが昨年<span lang="EN-US">11</span>月にホームページを閉鎖し、新規患者の受付をやめたところ、一気に新患の予約電話が減った。<span lang="EN-US">11</span>月、<span lang="EN-US">12</span>月の2ヶ月間の問い合わせが<span lang="EN-US">5</span>件、そのうち<span lang="EN-US">3</span>件は子供の矯正治療についての親からの問い合わせなので、成人患者からの問い合わせがわずか<span lang="EN-US">2</span>件しかなかった。昨年の<span lang="EN-US">10</span>月までは月に<span lang="EN-US">20</span>名くらいの問い合わせがあったことから激減したことになる。もちろん新規患者は受け入れていないので、電話で問い合わせがあっても全て断っているが、そうした情報がこんなに早く周囲に広まったとは考えにくい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal">子供の矯正治療をしたい場合は、親はどうするか。まずネットなどで評判や費用などを調べるであろう。さらに親類、友人、知人、あるいは矯正治療をしている子供の同級生の親からの意見の参考にする。多くの親は知人、友人から聞いて、私の歯科医院を知ったという。一方、成人、特に若者は、主としてネットだけで検索して、矯正治療をするところを探す。もちろん知人や友人に矯正治療をしている人がいれば、直接聞くと思うが。そのためホームページを閉鎖した瞬間に、こうした若者からの予約電話が激減した。知人の矯正歯科医が、宣伝に費用をかければかけるほど患者は来ると言っていたが、特に若者をターゲットにする場合はこのやり方が効果的なのであろう。若者で矯正治療を希望している人がいるとしよう。彼らはまずネットで「弘前 矯正歯科」などで検索して、ヒットした医院のホームページを比較して、予約の電話をするようである。さらに<span lang="EN-US">5</span>ちゃんねるや、<span lang="EN-US">You Tube</span>などでかなり勉強する人も多い。費用がかかり、期間もかかるため、できるだけ一生懸命に情報を集めて治療しようと考える。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal">ところでここにネットの大きな落とし穴がある。まず医療広告法により、広告できる内容はかなり厳しく制限されていて、比較優良広告、誇大広告、品位を損ねる広告など、こうした規制を厳密に守ろうとすると見る人にとって全く魅力的な広告にはならない。治療前後の比較写真、体験談、割引、症例数など、患者にとって最も知りたい魅力的なことをホームページ上には載せられない。日本矯正歯科学会でいえば、認定医の審査、更新の際にはホームページのチェックが行われ、修正が求められる。一方、矯正歯科学会の認定医でない先生の広告は野放しで、好き勝手な広告をしている。そのため、ネットや<span lang="EN-US">You-Tube</span>で派手な広告をしている先生のほとんどは日本矯正歯科学会の認定医を持っていない。日本においてまともな矯正治療をできるのは、認定医の資格を持つ先生であり、こうした先生のところで矯正治療を受けないとうまく治療できない可能性が高い。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal">矯正治療を受ける成人患者の多くは、ネット上で治療を受ける医院を探す。そしてどうしても宣伝の派手な、いいことしか書いていない医院を探しがちで、こうした医院に予約して行くと、すぐに治療を勧められ、治療することことになる。インビザラインで問題の多い歯科医院では、来院するとすぐにデジタル印象をとり、そのシミュレーションをして、同意すると次回から治療に入る。あまり考える暇を与えずに治療に入るやり方である。ネットでは信じられないくらい多くの情報があり、その中から真実を探すのは非常に難しく、勢い、いいことを魅力的なことが書いている歯科医院に飛びつき、そこで治療を開始することになる。こうした医院では、特に矯正治療の教育を受けていない先生が治療するために、まずまともな治療結果は期待できず、高い費用を払った上に失敗に終わる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal">逆説的に言い方をすると、派手な、魅力的な宣伝をしている歯科医院での矯正治療は受けてはいけないことになる。なぜならきちんと矯正歯科を学んだ認定医以上の資格を持つ先生は派手な宣伝をするのを禁止されているからで、さらにいうと医療広告ガイドラインを平気で破るような歯科医院は金儲け歯科といっても良い。<span lang="EN-US">Google</span>などの口コミサイトも企業に金を払えば、高い評価が集まるので、高評価となる。あまり参考にならない。一番いいのはそこで治療を受けて終了した患者さんの意見であるが、腹の立つことはコメントに書くが、特に問題がなかったことについては報告しないもので、まず知人、友人にそうした人がいないとわからない。ネットでいい矯正歯科医院を探す最低限の方法は<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">1.</span><!--[endif]-->矯正歯科専門医院が良い。 一般歯科の合間に矯正治療ができるほど甘くない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">2.</span><!--[endif]-->院長の経歴を見る 日本矯正歯科学会認定医以上の資格を持たないと矯正治療の基本、マルチブラケット装置での治療は無理である。できれば、大学の矯正歯科学講座に<span lang="EN-US">8</span>年以上いて、助教、講師以上のキャリアを持つ先生が院長。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">3.</span><!--[endif]-->開業歴が長く、患者が多いところが良い 信頼がおけるということになる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">4.</span><!--[endif]-->早急な矯正治療を強く勧めない。通院条件を配慮する(転勤、卒業後の進路) 矯正治療は緊急性がなく、将来的に転勤、あるいは卒業後に遠方に就職予定なら、そちらでの治療を勧める、紹介状を書いてくれる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">5.</span><!--[endif]-->特定の治療法を勧めない インビザラインのみしか勧めない歯科医院は問題が多い。多くの選択肢の中から選ぶシステムが良い。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoListParagraph" style="margin-left: 21.0pt; mso-list: l0 level1 lfo1; mso-para-margin-left: 0gd; text-indent: -21.0pt;"><!--[if !supportLists]--><span lang="EN-US">6.</span><!--[endif]-->派手な宣伝文句のところはやめる 本当に名医で患者の多いところは、これ以上の患者は来てほしくないので、ほとんど宣伝しない。逆に<span lang="EN-US">YouTube</span>に頻繁に出たり、派手な宣伝をする歯科医院は、患者の集客のため、つまり金儲けのためである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-85266270648216276772024-01-07T09:07:00.003+09:002024-01-07T10:37:25.959+09:00高校サッカー選手権<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUHYsxj95W6y8-VzMFcqltxl2tN2T-f3zgfrsjdIJjMpOH1nrafCyRS4ziCSjcCdoKnDfI5vAt3AekH-XsxkpnVy2pEWz_XRYjZrqb9FRWqBw0g3y6u9119UJ7xTWDBwXhKchMgcZZ1hQu91gfSY_e2ORt5hmh3WZyvPaXZsciMW372QmWBU8_1ISrW8Y/s640/45203241_2200236616922596_359525261307281408_n.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="426" data-original-width="640" height="266" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUHYsxj95W6y8-VzMFcqltxl2tN2T-f3zgfrsjdIJjMpOH1nrafCyRS4ziCSjcCdoKnDfI5vAt3AekH-XsxkpnVy2pEWz_XRYjZrqb9FRWqBw0g3y6u9119UJ7xTWDBwXhKchMgcZZ1hQu91gfSY_e2ORt5hmh3WZyvPaXZsciMW372QmWBU8_1ISrW8Y/w400-h266/45203241_2200236616922596_359525261307281408_n.png" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">毎年、冬に行われる高校サッカー全国大会では、全国から優秀な選手を集めてチームを作るのは卑怯で、県内選手で戦えという声を聞く。実際、青森県の常勝チームの青森山田高校も、ほとんどの選手が県外出身で、それも山田中学の段階で全国から集まってきている。過去、冬の高校サッカー選手権には<span lang="EN-US">3</span>回の優勝、同じく中学校の全国大会の優勝は<span lang="EN-US">5</span>回あるが、県民からの応援は少なく、まあ県南のチームということもあるので、弘前市民からはほとんど注目されない。個人的には、ものすごく強いものの、高校生のプロといった感じで、強い当たりや、反則スレスレの行為、ロングスローイングなど、はあまり好きでない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">一方、進学校の灘中学校には全国から受験するのに、なぜサッカーで県外から山田中学、高校に行くのはよくないかという声も多い。高校野球やバレー、バスケットなどでも名門高校があり、全国から優秀な選手が集まる。ただ勉強とスポーツを単純に比較するのはおかしいことで、灘中学、高校の生徒<span lang="EN-US">200</span>名のうち、国立医学部、東京大学、京都大学に入学するのが<span lang="EN-US">150</span>名いるとするなら、山田中学、高校のサッカー部から<span lang="EN-US">J1</span>リーグのプロになる選手がどれくらい、いるかということになる。例えば、<span lang="EN-US">2023</span>年度の山田高校の卒業生のうち、プロになった選手はおらず、大学も明治大学、法政大学がトップで、残りは常葉大学、立正大学、新潟医療福祉大学、城西国際大学、関西国際大学、中央学院大学など別にスポーツ推薦でなくても多少の学力があれば合格できる大学である。<span lang="EN-US">2022</span>年度の卒業生、松木選手と宇野選手がプロになり、町田ゼルビア、<span lang="EN-US">FC</span>東京に入った。他は<span lang="EN-US">2023</span>年と同じような大学に進学している。<span lang="EN-US">2021</span>年度は、一人が<span lang="EN-US">J1</span>の浦和レッズに、もう一人が<span lang="EN-US">J3</span>のいわてグルージャ盛岡に入った。他の年も調べたが、プロになるのは毎年1、2名でそんなに多くはない。それでも他校では数年に一人くらいなのでかなり多い方である。日本代表となると山田高校出身は室屋成選手と柴崎岳選手の2名である。歴代サッカー日本代表選手出身高校ランキングでは、1位が神戸高校で<span lang="EN-US">21</span>名、これは古すぎるが、<span lang="EN-US">10</span>位の長崎国見高校でも<span lang="EN-US">10</span>名、神戸で言うなら<span lang="EN-US">28</span>位の滝川第二高校でも4名、青森山田高校は<span lang="EN-US">49</span>位となる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">実際、この<span lang="EN-US">10</span>年で日本代表が最も多く輩出しているのは、川崎フロンターレ<span lang="EN-US">U18</span>で、三苫選手など<span lang="EN-US">6</span>名、次が東京ヴェルディーユースと柏レイソルズ<span lang="EN-US">U18</span>が同じく<span lang="EN-US">5</span>名、<span lang="EN-US">FC</span>東京<span lang="EN-US">U18</span>とガンバ大阪ユースが3名、2名のところが青森山田高校、市立船橋高校、大分トリニータ<span lang="EN-US">U18</span>、大津高校、サンフレッチュ広島ユース、清水エスパルスユース、セレッソ大阪<span lang="EN-US">U18</span>、山梨学院高校、四日市中央工業高校、となる。日本代表で言えば、<span lang="EN-US">J</span>リーグのユース組織出身が多くを占めるようになっている。<span lang="EN-US">J1</span>の新人の履歴を見ても、ユースから上がった選手は多い。むしろ高校サッカーは<span lang="EN-US">J2</span>より下のリーグあるいは大学サッカーを支えているといっても過言でない。プロになれないアマチュアトップ選手の試合とも言える。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">今年で全国高校サッカー選手権は<span lang="EN-US">102</span>回となる。確かにこの大会から多くの優れたサッカー選手を輩出しているが、それでは最近のサッカー日本代表の強さがこの大会によるかと言えば、そうではなく、一番大きな理由はプロサッカーリーグができたことで、これによって日本代表が強くなり、ワールドカップに普通に出られるようになったし、そこでも勝つようになった。前述したように日本代表においてもクラブのユース出身者が多くなり、思ったほど全国高校サッカー選手権が関与しているとは思えない。全国の高校サッカーの頂点である青森山田高校でも卒業生でプロになる選手は少なく、さらに日本代表になる選手はもっと少ない。最初の話に戻るなら、東京大学に入りたいので遠くても灘中学に入学するというのはわかるし、入学すればかなりの確率で実現できる。一方、遠方から山田中学高校に入ってもプロになることはほとんどできない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">厳しい言い方になるが、青森山田中学、高校の選手プロファイルを見ると、中学、小学生の頃に<span lang="EN-US">J</span>リーグのユース組織に属していた選手が多く、そちらで無理なため、山田中学、高校に入ってきたのかもしれない。おそらく他の強豪高校も<span lang="EN-US">J</span>リーグのユース組織からの流出した選手が多いように思える。プロを目指す選手からすれば、高校選手権の勝ち負けは意味がなく、<span lang="EN-US">J</span>リーグのプロ選手になるにはまずユースチームに入ることが求められる。これは完全なヨーロッパのシステムである。つまり日本でサッカーがプロ化した時点で、ヨーロッパ型の選手育成組織を目指し、ようやく本格的になってきて、日本代表が強くなったのである。むしろ高校サッカー選手権こそがこうしたシステムが普及するのを阻害したといえよう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">長々と書いたが、トップ選手の育成にはトレセンのような優秀な選手を若いうちから一か所にまとめて指導するのが優れており、サッカーにおいては<span lang="EN-US">J</span>リーグの下部チーム、ユースチームがそれに相当し、ここで将来的に日本代表となる選手を育てる。またプロのサッカー選手を目指す選手はここを入るべきであり、無理なら早い時期で趣味のサッカーに変える。選手育成という点では、中学、高校でのサッカー全国大会を開催する意味は少ない。実際に、卓球やバトミントンのトレセン選手は高校の大会などには出ないので、高校日本一といっても実態とは異なる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">プロになろうとは思わないが、全国大会に出たい、そこで優勝したいという選手もいよう。ただそのためには、各チームの条件がある程度は公平であってほしい。全国から優秀な選手を集め、多くのコーチに指導させ、長い練習時間、芝生のグランド、など半分プロのようなチームに他の高校が勝てるわけがない。青森山田高校は青森県代表で<span lang="EN-US">26</span>年連続全国大会に出ているが、これでは山田高校が経営破綻するか、選手の不祥事(昨年の飲酒事件)がない限りは他校が全国大会に出るチャンスはない。強すぎて、青森県でサッカーをしている子どもたちは全国大会出場という夢は持てない。まだ高校野球の方がマシなくらいである。今年の青森県予選決勝は、青森山田―八戸学院野辺地西、9−0となっている。例年、準決勝からのシード権があり、2試合勝てば全国大会に行ける。サッカーのエリートは、<span lang="EN-US">J</span>リーグやヨーロッパリーグの下部組織に入り、そこからプロになるが、プロになれない選手同士の全国大会が、サッカーの全国大会である。必要ない大会だし、どうしても開催したいなら、<span lang="EN-US">3</span>年連続出場は禁止すべきである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><br /></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">最近の日本代表の強さ、その主力、堂安立はガンバ大阪ユース、富安健洋はアブスパ福岡ユース、遠藤航は湘南ユース、三笘薫は川崎フロンターレユースなどによるところが多く、20年前に比べてユース代表の多くなったことが、代表のレベルアップにつながっている。選手育成もドイツ、イギリス、ブラジルなどのサッカー先進国並みになった。今後、この傾向はさらに強くなり、もはや高校サッカー選手権の選手からは日本代代表は滅多に出ないであろう。</p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-2832337756337108042024-01-05T20:20:00.006+09:002024-01-05T20:25:54.131+09:00殊勲艦 輸送船「おおすみ」<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjG2iHuVwlv8drVZVh3tvkJjdVk_cC-h9ePSMMTXRqnkfyvIOZHQimjNo5lRFcvDqvuRiiZRhM5Cp9UcoM7Gtn5v4pk0peJt71P1Il5rSuec9QbXsoCRLVj0Jjj_zTQzt0mEBo51A92OTTy5-APqkyvbk3e5TxBqAmuPwp9t_h8_5teSZcJLPiu5pX0-fc/s1024/big_main75574_20201030191128000000-1024x532.jpg.webp" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="532" data-original-width="1024" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjG2iHuVwlv8drVZVh3tvkJjdVk_cC-h9ePSMMTXRqnkfyvIOZHQimjNo5lRFcvDqvuRiiZRhM5Cp9UcoM7Gtn5v4pk0peJt71P1Il5rSuec9QbXsoCRLVj0Jjj_zTQzt0mEBo51A92OTTy5-APqkyvbk3e5TxBqAmuPwp9t_h8_5teSZcJLPiu5pX0-fc/w400-h208/big_main75574_20201030191128000000-1024x532.jpg.webp" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本帝国海軍の第二次世界大戦の最高殊勲艦は、戦艦金剛と言われている。<span lang="EN-US">1941</span>年のマレー沖海戦から、沈没する<span lang="EN-US">1944</span>年<span lang="EN-US">11</span>月まで幾多の海戦に参加し、活躍した。そうした点では戦後の海上自衛隊の殊勲艦を挙げるとすると、今のところ輸送船「おおすみ」となろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">正月に起こった能登半島の地震においても、「おおすみ」は<span lang="EN-US">1</span>月<span lang="EN-US">3</span>日には早くもブルドーザーやダンプカーなどの約<span lang="EN-US">30</span>台の大形重機を積み込み、呉基地<span style="font-size: 10.5pt;">を出港し、1月</span><span lang="EN-US" style="font-size: 10.5pt;">4</span><span style="font-size: 10.5pt;">日には輸送用エアクッション艇を利用し、重機を陸上げして被災地での活動を開始している。</span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本で最初の全甲板の空母のような輸送船で、計画にはかなり論議を呼んだ艦艇である。基準排水量は<span lang="EN-US">8900</span>トンで、その後、作られた護衛艦「ひゅうが」が<span lang="EN-US">13950</span>トン、さらに「いずも」は<span lang="EN-US">19500</span>トン、大きさも「おおすみ」の全長が<span lang="EN-US">178m</span>、「いずも」が<span lang="EN-US">248m</span>とかなり小さいが、隊員、物資、車両の運搬に優れているのか、災害となると真っ先にこの艦が災害地に派遣される。これまでの艦歴を見ると、まず最初に<span lang="EN-US">1999</span>年にトルコ北西部地震被害の援助として仮設住宅をトルコまで運んだ。その後、<span lang="EN-US">2002</span>年には東ティモールへ、<span lang="EN-US">2004</span>年にはイラクへ車両を運び、<span lang="EN-US">2011</span>年には東日本大震災の救援に、<span lang="EN-US">2013</span>年には伊豆大島土石流被害のために、さらに台風<span lang="EN-US">30</span>号被害救援のためにフィリッピンへ、<span lang="EN-US">2016</span>年には熊本地震に対する災害派遣、<span lang="EN-US">2022</span>年には火山噴火救援のためにトンガへ派遣された。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">日本のほとんどの災害、あるいは海外の災害に派遣された艦艇で、より大型で速力もある「ひゅうが」、や「いずも」よりこき使われている感じがする。輸送船で災害救援にはこの艦の方が向いているのであろう。おおすみ型の輸送船は、この「おおすみ」と「しもきた」、「くにさき」の<span lang="EN-US">3</span>艦あるが、どうしたことが「おおすみ」が使われることが多い。おおすみ型の一番の特徴は、エアクッション型の揚陸艇を二艇積んでおり、港のない、あるは破壊された地点にも物資や重機(2両)などを運ぶことができる。また収容能力としては大型トラックを<span lang="EN-US">60</span>台以上も積めるし、固有の搭載機はないものの甲板を使ってヘリコプターの離発着を行える。さらに入浴設備や手術も可能な医療機能も備えており、災害派遣艦としても最も適した艦なのだろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">「おおすみ」が就航したのは<span lang="EN-US">1998</span>年で、すでに<span lang="EN-US">25</span>年経つ。そろそろ次期の後継艦を計画してもよかろう。地震や台風などの災害の多い日本は、周囲は海で囲まれ、道路が遮断されると海からの輸送しかなくなる。そうした意味でも、また「おおすみ」の活躍を見ても、同形艦が是非と欲しいところである。もちろん戦闘を重視した艦艇も必要であるが、平時では災害を重視した「おおすみ」のような艦艇も重要である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">これまでの経験から、災害、例えば地震が起こると、まず道路は遮断され、トラックなどの陸路の輸送が障害される。能登半島地震でもそうしたことが起こり、まず、道路を修復して陸路による輸送を開始するまでどうするかということになる。その場合は、輸送手段としてヘリコプターや、さらに重機の運搬となるとエアクッション型の揚陸艇(<span lang="EN-US">LCAC</span>)も活躍する。つまりヘリコプターと<span lang="EN-US">LCAC</span>が必須となる。これに該当するのは艦艇は強襲揚陸艦で、アメリカでは最新のアメリカ級強襲揚陸艦<span lang="EN-US">11</span>隻を計画している。排水量は<span lang="EN-US">45600</span>トン、全長は<span lang="EN-US">257m</span>、オスプレイなら<span lang="EN-US">42</span>機を積み込める。流石にここまで大型艦艇は必要ないし、大型艦の場合、出港までに時間がかかると急な災害に対処できないこともある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">理想的なことを言うと、どこかの港に、地震などの災害が発生した場合にすぐに対処できるように、ブルドーザーや大型重機、あるいは物資、医療品などをあらかじめ倉庫に集積しておき、艦艇にすぐに積み込まれるようにしたらどうだろうか。これまでの経験からある程度の必要資材はわかっていると思う。人員については、通常の搭乗員以外に、災害時には医官、消防庁の救助隊も同乗できるような仕組みも必要かもしれない。ヘリコプターの発着や海外への災害派遣を考えると、「おおすみ」の<span lang="EN-US">8900</span>トン、<span lang="EN-US">22</span>ノット、乗員<span lang="EN-US">132</span>名はあまりに小さく、できれば「ひゅうが」の大きさと性能が求められる。輸送艦としては各国にドッグ型の輸送艦があるが、全甲板型のものは少なく、また速力は低い。重点を災害救助を目指した日本独自のドッグ型輸送船を開発してほしい。また防衛省がチャーターしている客船、「はくおう」なども、海上ホテルとしての機能があるので、食堂、風呂、個室などが完備されているので、長期の避難が必要なケースではもっと活用してほしい。こうした国内の災害に対応した艦船やシステムは、アジア各国での同様な災害にも活用でき、日本の存在感を示すいいツールとなろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-59797603857400759252024-01-02T16:41:00.000+09:002024-01-02T16:41:01.168+09:00昔から嫌いな部活<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwnlOeykWhLQhj0Fb_B40nJYgUeQz4BBudZufKhU2OOEJx_md2xXvvOr_X_YtEO4d1GED0e56QE9HzSyogpI_irfYsgJY6kXKiw47Y7WPnODtovWAOJ5nvPKiBuRLizsczuDgF3JTQsFWVapGh1vqHIITuNWNJKh19BxewpkYKFRTUDptuICL09m75A8Y/s630/d53127-1-180699-4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="390" data-original-width="630" height="248" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwnlOeykWhLQhj0Fb_B40nJYgUeQz4BBudZufKhU2OOEJx_md2xXvvOr_X_YtEO4d1GED0e56QE9HzSyogpI_irfYsgJY6kXKiw47Y7WPnODtovWAOJ5nvPKiBuRLizsczuDgF3JTQsFWVapGh1vqHIITuNWNJKh19BxewpkYKFRTUDptuICL09m75A8Y/w400-h248/d53127-1-180699-4.png" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">昔から嫌なのは運動部の監督、私も中学、高校とサッカー部に入っていて、監督は怖かった。練習中は常に罵声、試合に負けると坊主、練習中は絶対に水を飲むななど、今から考えるとパワハラであったが、それでも神戸市、兵庫県でも強く、近畿大会でも優勝した。私自身、神戸市代表や、国体候補にもなったので、まだ我慢できた。また監督も後に国体代表の監督や、サッカー協会の副会長になる勉強家で、当時の最新のサッカー戦術、練習法を実践していた。練習は週に<span lang="EN-US">3</span>回、それも日が暮れるまでなので、冬場は2時間も練習できない。こんな制限された状況では、いかに効率的に練習するかがカギだったのだろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">娘が中学校のバレー部に入っていて、練習中に十字靭帯断裂という事故にあった。大学病院で手術して、入院した。退院後、松葉杖が必要だったが、なんとか歩けるので、部活に行き、椅子に座っていると、監督から「何を座っているのか、立って見学しろ」と怒られたという。監督と言っても<span lang="EN-US">30</span>歳くらいの若い先生で、この先生の頭には、逆に同じ状況で、同じことを年上の上司から言われたら、どう思うかという発想はない。年齢差、上下関係からの上からの目線である。要するにバカなのである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">同じようなことは枚挙なくある。うちに来ている患者で、なかなか忙しくて治療に来られない小学生がいる。どうしてかと聞くと、練習を休むとレギュラーから外されるという、病気になってもかというと、そうだと答える。おそらく先生にこのことをいうと、まさかそんなことは言っていないと抗弁するだろうが、こうした先生は本当に多い。同じくバカである。同じようなことが会社であれば、完全にブラック企業である。先輩が練習中、後輩が玉拾いばかりしているテニス部がある。玉拾いが練習になるのかと監督に言いたい。これもバカである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">親もまたあまりに熱心すぎる場合がある。子供がサッカーのチームに入っていると、どこで試合をしようと必ず応援に駆けつけ、できるだけ名門サッカー校に入れようとする。一時の教育ママと同じようなもので、いくらサッカーがうまくてもプロになる確率は東大にいくより遥かに難しいということを知っているなら、教育ママの方がよほど効率良い。うちの親など、忙しかったし、興味もなかったのか、一度もサッカーの試合など見に来たこともなかったし、他の部員も同様であった。親が子供の試合を見に来ることはよほどでなければなかった。私の従兄は近鉄でラグビーをして、日本代表にもなったことがあるが、叔母さんはついにラグビーの試合を見に行ってないし、おそらく兄弟姉妹もそうであろう。スポーツはあくまで趣味の延長であり、それほど家族で応援するほどのものではなかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">昔は、監督、コーチと部員、あるいは先輩と後輩の関係が、厳しく、ほぼ絶対服従の世界であった。これは戦争の影響が強く、軍隊の上下関係が部活動にそのまま持ってきた。昭和<span lang="EN-US">40</span>年代、周りの大人のほとんどは戦争経験者で、生死を賭けた経験をしている人も多かった。そうした世代が、学校に戻り、部活動に参加すると、生徒に対して自分が受けたのと同じような厳しい訓練と秩序を求める。私がいた六甲学院の場合は、中学1年生から高校3年生まで一緒に練習していたこともあり、先輩―後輩の関係は非常によく、上下差は薄かったが、他の強豪校はそうした関係がひどかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">一時、日本のスポーツ界では、オリンピックの成績が悪く、メダルが取れない時代が続いた。その後、柔道、卓球、バレーなどの多くの競技で、優秀な選手を早い年齢で全国から集め、トレセンで優秀なコーチから指導を受けるようになった。その結果、いろんな分野でのメダルが増えていった。スポーツは、勉強以上に才能がものをいう世界であり、才能のある子供を見つけ、早い時期から専門的な指導を受けて、世界に乗り出す必要があるのは、昔の東ドイツやソ連などの共産主義国家の実例からもわかる。今は共産主義国家でなくても、欧米のほとんどの国でこうしたやり方をとっている。逆に言えば中高生で、その時点で、トレセンなどに呼ばれなければ、将来的にオリンピックに出る可能性は低いことを意味し、一般的な中高校生での部活からプロになるような可能性は少ない。つまり子供が中学生の部活をいくら一生懸命にしていても、地区、県、あるいは国の選抜に選ばれていなければ、才能がないということである。であるなら、中学、高校の部活はそんなに練習する必要もないし、指導者も頑張る必要はない。勝ち負けにこだわる必要はあまりない。欧米ではすでに小学校での全国大会が禁止され、さらに中高生の全国大会も廃止の方向に向かっている。もともとサッカーで言えば、才能のある選手はトレセンあるいはプロサッカーチームの下部組織に属し、それ以外はあくまで趣味での練習で、大会もせいぜい、日本で言えば、県単位が最高であろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">少なくとも小学校、中学校の全国大会は全て廃止すべきであり、移動も考えると県単位を最高にするくらいでいいだろう。極め付けは、アフリカからの陸上選手、ブラジルからのサッカー選手、中国からの卓球選手などは、異常である。サッカーにしても、私の地元、青森県の青森山田高校のサイトを見るとスタッフは、監督1名、コーチ9名、チームドクター1名、チームトレーナー1名、部員<span lang="EN-US">210</span>名となっている。私がいた当時の六甲学院高校サッカー部は、監督1名、部員<span lang="EN-US">20</span>名くらいで、これで近畿大会に優秀したが、他の高校でも部員が<span lang="EN-US">50</span>名を超えるところはなかったし、コーチは<span lang="EN-US">OB</span>を入れて多くて2名くらいであった。もはや青森山田高校を改名して、青森山田体育高校あるいはフットボールクラブに変更した方が良い。もはやプロチームである。この高校のスポーツコースは<span lang="EN-US">579</span>名、生徒数<span lang="EN-US">1140</span>名の半分以上を占めており、授業も5時間目以降は、「スポーツ<span lang="EN-US">I,II</span>」などとなっており、事実上、<span lang="EN-US">2</span>時から部活時間となる。朝練も含めると毎日<span lang="EN-US">4</span>時間以上は練習しているのだろう。ほぼ練習時間もプロ並みである。潰れかけの私立高校に、金を出す人がいればフランス、スペイン、イタリア、ブラジルのアカデミーからプロになれなかった若手選手<span lang="EN-US">30</span>名ほどを入学させ、鍛えれば山田高校に勝てるかもしれない。これでも批判はできまい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-28729081417075416782024-01-01T09:55:00.005+09:002024-01-01T09:55:48.691+09:00奈良美智 「The Beginning Place ここから」<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"></td></tr></tbody></table><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEis_xF9M_N-WI4lbCmk9RxwR3w7ABdS99hgi3vy232m2LqzU0kt4JSInrkLZIwNflREXcYEy-g13bwklgYJO-JdbJfGImVuHoJLai009mj2Wc4EWcMdfdZ3L3-TE9P_WKU-97FJlDsh-5IOhjjkLJJgbdM037btdUBk0Wkva4kitPM9cPZYdWWkB76ZAXI/s2590/IMG_1208.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="2064" data-original-width="2590" height="319" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEis_xF9M_N-WI4lbCmk9RxwR3w7ABdS99hgi3vy232m2LqzU0kt4JSInrkLZIwNflREXcYEy-g13bwklgYJO-JdbJfGImVuHoJLai009mj2Wc4EWcMdfdZ3L3-TE9P_WKU-97FJlDsh-5IOhjjkLJJgbdM037btdUBk0Wkva4kitPM9cPZYdWWkB76ZAXI/w400-h319/IMG_1208.jpg" width="400" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">Saxbo Eva Staehr-Nielsen. Berndt Friberg<br /></td></tr></tbody></table><p><br /></p><p><br /></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">奈良美智、「<span lang="EN-US">The Beginning Place </span>ここから」を青森県立美術館で観てきた。「<span lang="EN-US">A to Z</span>」が弘前で行われたのが<span lang="EN-US">2006</span>年なので、早いもので<span lang="EN-US">17</span>年も経つ。今は立派な弘前れんが倉庫美術館になっているが、福島酒造れんが倉庫での、あの摩訶不思議な展覧会の記憶は今でもはっきりと思い出す。これまで数百の美術展を観てきたが、「<span lang="EN-US">A to Z</span>」を含む一連の3つの展覧会は、自分の中でもベスト3に入る。それだけに相当な期待を持って青森市に来た。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">奈良さんの展覧会は確か<span lang="EN-US">10</span>年前にも青森県立美術館であったと思うが、あまり覚えておらず、今回の方が印象強い。昨年の皆川明の「ミナ ペルホネン」も凄かったが、展示の仕方が面白い理由の一つかも知れないし、また作品自体も大型化しているのか、<span lang="EN-US">2m</span>近い最近の絵、彫像は、美術館にふさわしい作品である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">奈良さんを代表する少女像は、もともとは思春期前の少しませた少女を表現したものであるが、今回、美術館の大きな部屋で最新の絵をじっと見ていると、確かに少女ではあるが、次第に少年に、あるいは大人に見えてきて、さらには母親、作者自身あるいは人間、果ては菩薩像にも見えてくる。不思議な作品となっている。画家によっては、いろんな画風、画題に挑戦する人もいる。同じようなテーマに飽きが来るのかもしれない。例えば、横尾忠則は最初、ポスターなどのイラストレータから始まったが、画家になると<span lang="EN-US">Y</span>字路ばかり書いていたと思うと、最近は中国の仙人「寒山百得」ばかり<span lang="EN-US">100</span>点描いたりしている。ただ画風自体が変わってわけではなく、テーマを変えている。画風、テーマ自体を次々変えたのはピカソくらいで、彼の場合は特別で、何人もの天才が同じピカソという体に同居しており、真似ることはできない。神戸を代表する画家、小磯良平も女性を中心とした絵を描いていたが、戦後、新たな絵という風潮から抽象画に路線を変更した。結果的にはあまり成功したとは言えない。後年、また女性像に戻ったが、あのまま最初の路線を深化した方が良かったかもしれない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">奈良さんの作品は、テーマとしてはそれほど変わっていないが、画風が少しずつ深化しており、弘前で行われた「<span lang="EN-US">A to Z</span>」展覧会では、どちらかというとアメリカのポップアートの影響があったし、作品自体も輪郭のはっきりした平面的なものであったが、最近のものは大型化し、輪郭も漠然とし、より立体的な作品となっている。より独自の作風になってきており、クロード・モネの究極の深化、「睡蓮」シリーズの方向に向かっている気配すらする。今回の展覧会のタイトルは「ここから」と、弘前、あるいは青森からということだが、奈良さんの作品そのものには、直接、津軽、弘前の匂いは感じない。さらに東北、日本の匂いもない。今回の展覧会の最後に青森の産んだスーパースター、棟方志功とのコラボがあったが、あまりピンとこなかった。展覧会の企画の中でも唯一、わからないコラボであった。棟方志功の作品からは青森、津軽、日本の匂いがプンプンし、それは過剰なほどであるが、奈良さんの作品にはそうした匂いは全くなく、その作品に奥深くにそうした匂いを感じてほしいということかもしれないが、感じられない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">若干匂いを感じるとすると、これは大阪という都市に育った私がいうのはおこがましいが、都会、知らないところへの憧れ、逃避があるように思える。これまで多くの弘前出身の偉人のことを調べてきたが、彼らの共通の精神は、弘前から東京経由で海外に行くのではなく、直接海外に行ってしまう。津軽―東京の心理的距離と、津軽―イギリスとの距離とあまり変わらないなどという感覚があるのであろう。冬の深い雪に閉じ込められ、小さな範囲で生きていると、少しずつの変化を求めるよりは、急速な変化、飛躍に走る傾向があり、友人の曽祖父も、先生になれず、軍人にでもなろうかと思ったが、いきなりアメリカに行こうと決心し、アメリカに渡航した。そこで、苦労しながら、歯科大学に入り、現地で歯科医院をし、その後、神戸で開業した。奈良さんのドイツへの留学も、そうした津軽人の流れからかもしれない。とにかくいきなり飛躍する。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">奈良さんには世界中にファンがいて、今回の展覧会にも中国、台湾、韓国などからもわざわざこの展覧会目的で来日する。結局、芸術家の価値とは、ゴッホや田中一村のように死後に評価される場合もあるにしても、多くの人々から支持されることであり、それは作者の作品に込められた想いが人々に伝わることである。そうした意味では、奈良さんは日本を代表する偉大な芸術家なのだ。富岡鉄斎の場合、<span lang="EN-US">70</span>歳以下の作品は若描きと言って評価は低く、晩年になるほど評価は高い。絵というのは、あまり年齢が関係せず、歳を取っても作品を深化、発展できる分野であり、奈良さんのますますの発展を期待したい。一方、最近は作品数そのものが減ってきており、心配している。画家により絵に対する向き合い方が違い、葛飾北斎は画狂人と呼ばれるほど絵を描きまくったし、ピカソもそうだし、富岡鉄斎も生涯に<span lang="EN-US">2</span>万点以上の絵を描いた。草間彌生、岡本太郎も作品数は多い。数を描くことで作品が進化することもある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p><br /></p><p><br /><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><br /></td></tr></tbody></table></p><div style="text-align: center;"><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"></div></td></tr></tbody></table><br /></div><p></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-42652777135995786662023-12-21T14:30:00.004+09:002023-12-21T21:41:12.186+09:00セファロ分析をしないところでの矯正治療はやめた方がよい<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhn4OuxA1G8KD04qHHaD6F_fqzR1xsHHaQ1MJCn5h31KswNtjInFl7gtHVcdUhecRqAkX2LEJt_YIosLdMY8U0BNKN6QPkoHSYAZxQdD-e0wzdGu_iEdqUKztzImGBoIDUhEZUSiwNitT6xz1jKBnpXyceYjNUDIqupntWyUOJVIoWBX00Ih8Hg4187Btg/s3276/Cephalometric-1.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3116" data-original-width="3276" height="380" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhn4OuxA1G8KD04qHHaD6F_fqzR1xsHHaQ1MJCn5h31KswNtjInFl7gtHVcdUhecRqAkX2LEJt_YIosLdMY8U0BNKN6QPkoHSYAZxQdD-e0wzdGu_iEdqUKztzImGBoIDUhEZUSiwNitT6xz1jKBnpXyceYjNUDIqupntWyUOJVIoWBX00Ih8Hg4187Btg/w400-h380/Cephalometric-1.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">不正咬合の矯正治療には、口腔内写真、顔面写真、平行模型、オルソパントモ、セファロ写真が基本的な検査項目であることは、歯学部の学生にも散々教育してきたし、国家試験にもこうした分析結果の問題が出る。ところがマウスピース矯正をする先生の中には、この検査のうち、セファロ分析をしない先生が意外に多い。学生の頃に学んだことを忘れたらしい。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">大学を卒業し、矯正科に入局すると、まずセファロのトレースと分析、そして分析結果からの治療計画の立てるトレーニングが行われる。大学によって期間は違うが、少なくとも<span lang="EN-US">50</span>時間以上のトレーニングが必要だし、正確なトレースをするためには<span lang="EN-US">1</span>年以上はかかる。レントゲン上の架空の点、線を見つけてそれをトレースするのであるが、最近では自動描記ができるソフトもあるが、基本的には手書きでトレースする。これまで一般歯科医に、研修医も含めて何十人もセファロの基本概念とトレース、分析を教えてきたが、誰一人マスターした人はいない。短期間でマスターできるものではない。退屈な作業だし、かなり地味なトレーニングである。ただ矯正治療をするなら、これは最低マスターしなくてはいけない知識である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">確かにある程度経験を重ねると、初診時の口腔内や顔貌をみただけで、ある程度の治療方針を立てられるが、それは何千枚ものセファロ分析をした経験に基づくものであり、それでも絶対にセファロ分析なしでの矯正治療はない。そのため、以前、兵庫県の歯科医師会の苦情相談室の報告を聞いたことがあるが、矯正治療におけるクレームで、もし歯科医院側でセファロ分析がされていなければ、絶対に裁判に負けるので、即示談にするように勧告するとしていた。セファロなしでの矯正治療は、世界的にみても決してありえない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">矯正治療で最も重要な診断は、まず横側のレントゲン、側方頭部<span lang="EN-US">X</span>線規格写真(セファロ)で、上下のあごの関係を見る。上下の顎の大きさのバランスの取れた<span lang="EN-US">Class I</span>、上あごに比べて下あごが小さい<span lang="EN-US">Class II</span>、 上あごに比べて下あごが大きい、<span lang="EN-US">Class III</span>に分類される。上下の顎のずれが大きい症例は手術を併用した治療も検討する。また下あごの回転方向により、後方回転(ドリコ)<span lang="EN-US">,</span>前方回転(ブラキー)、中間(メジオ)の3つのパターンがあり、これも治療計画を立てる上で重要である。上下切歯の傾きと軟組織(鼻、口唇)の関係は抜歯、非抜歯をきめるのに大切な計測値である。正面からのレントゲンでは、上下のあごの側方のずれを調べ、これも大きい場合は外科的矯正を検討する。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">私のような矯正治療歴30年以上の臨床医でも、模型、あるいは見たままの印象だけでセファロ分析結果を推測するのは難しく、ましてや矯正治療歴の少ない先生がセファロなしで正確な診断ができるはずがない。もちろんセファロ分析をして、その結果に対する治療計画は先生によって違いはあるが、ただその違いを理論的に説明できなくてはいけない。矯正歯科専門医試験でも先生に問われるのはこうした点であるが、矯正歯科の専門医であれば、それほど治療計画に大きな違いがない。<span lang="EN-US">5</span>軒の歯科を受診し、<span lang="EN-US">4</span>軒の矯正歯科が抜歯治療、残りの一軒の一般歯科医が非抜歯治療を提案したとしよう。この場合、普通は非抜歯を唱える一般歯科医が間違っている可能性が高いが、患者はこの歯科医で治療した結果、口元の突出感が治らないことになった。こうして再度、矯正歯科医にセカンドオピニオンで見てもらうと非抜歯では治療できない、治療費の返却のため、この歯科医に連絡をすると、患者には非抜歯では口元の突出感は治らないといったが、どうしても抜歯を拒否したと嘘をいう。これまでこうした症例は何件かあった。また矯正歯科医で多いのは、明らかに外科的矯正の適用症例で歯だけで治しているケースである。先生に聞くと外科的矯正のことを話したが、患者は希望しなかったと答える。この嘘も多い。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">インビザインのトラブルで多いのは、デコボコは治ったが、口元の突出感は変化しない、あるいは悪くなったケースである。この場合、セファロを撮っていなければ、患者から訴訟されると厳しく、多くの歯科医院では面倒な訴訟に巻き込まれるのを嫌がる。口元の突出感が当初の主訴に入っているなら、セファロ分析は必須で、これなしで治療計画は絶対に立てられない。他に多いトラブルは、奥歯が噛んでいないというもので、これに関しては、インビザラインのせいというより歯科医師の技量の問題であり、これは裁判でも争うことはできない。技量に関しては、よほどのミスでなければ、患者が裁判で歯科医に勝てない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">さらに不思議なのは、インビザラインに関する<span lang="EN-US">YouTube</span>あるいは講演会で、情報を発信している先生の経歴を見ると、何名かの矯正歯科専門医を除き、ほとんど矯正歯科の正式な教育を受けていない。間違いなく、こうした先生は、セファロ分析はできないし、正確な診断はできない。それなのにこうした先生は全く臆せず、講演会をしている。また患者の方にも問題があり、矯正治療を受けるなら少なくとも歯科医の経歴を見て欲しい。〜大学歯学部矯正歯科の履歴がないのに先生の言葉だけで治療を行うのは、これは失敗しても自業自得である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></div><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-39404048569439280002023-12-18T20:34:00.002+09:002023-12-18T20:34:26.071+09:00指揮官の実戦経験<p> </p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnajudPi14wFE1ZtA9wX_OR0A0XpME_KIY3fQSxhMsfXH-OHiZSjGNKK6nod21WhGnvwmYGn5YNbc-dbNVD9_k-bfZI5gllh0b9I4H6XykAluHO6s5I-5cxWxv-bI8vXWMZsVam6SKL8QxUrKx79kP3Qb0RbkKbibTsR8qfqFpGLbookWFi79kN42bCkM/s640/ff9e4a821a8d2dd080dcd1ce8cdfd2f0_1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="426" data-original-width="640" height="266" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnajudPi14wFE1ZtA9wX_OR0A0XpME_KIY3fQSxhMsfXH-OHiZSjGNKK6nod21WhGnvwmYGn5YNbc-dbNVD9_k-bfZI5gllh0b9I4H6XykAluHO6s5I-5cxWxv-bI8vXWMZsVam6SKL8QxUrKx79kP3Qb0RbkKbibTsR8qfqFpGLbookWFi79kN42bCkM/w400-h266/ff9e4a821a8d2dd080dcd1ce8cdfd2f0_1.jpg" width="400" /></a></div><br /><p></p><p><br /></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">山本五十六大将が亡くなったのは<span lang="EN-US">59</span>歳、真珠湾攻撃を指揮した南雲忠一中将がサイパンで玉砕したのが<span lang="EN-US">57</span>歳、インパール作戦を主導した牟田口廉也中将が第<span lang="EN-US">15</span>軍司令官としてインパール作戦を立案、指揮したのが<span lang="EN-US">56</span>歳、この時の南方軍総司令官の寺内寿一元帥が最高齢で<span lang="EN-US">65</span>歳であった。終戦時、参謀総長、第一総軍司令官であった杉山元元帥が自決したのが<span lang="EN-US">65</span>歳、旧軍の退官年齢(停限年齢)は、陸軍では少将で<span lang="EN-US">58</span>歳、中将で<span lang="EN-US">62</span>歳、大将で<span lang="EN-US">65</span>歳、海軍では少将が<span lang="EN-US">56</span>歳、中将が<span lang="EN-US">60</span>歳、大将が<span lang="EN-US">65</span>歳となっている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">本来戦争は多くの兵士の生死が関わるもので、その指揮官は、アレクサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオンなどの世界史の残るような人物から日本の戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような人物まで、数々の戦争を経験した戦上手な人によって戦われた。近代になると専門学校、士官学校が世界中にできて、プロの指導者を育成したが、実際の戦争指導となると、日露戦争の立見尚文大将のような戦場の嗅覚に優れた人が戦上手の名将と呼ばれた。問題は、戦争という非常時に、実戦経験豊かな優れた指導者をどれだけ揃えられるかということになる。ビルマ戦線では、牟田口廉也中将が第<span lang="EN-US">15</span>軍司令官としてインパール作戦を立案、指揮した。この人物に<span lang="EN-US">10</span>万人もの兵士の生死を任せた。結果は大失敗し、<span lang="EN-US">3</span>万人の犠牲者が出たが、牟田口中将は<span lang="EN-US">1966</span>年まで生きた。軍の規模で言うと、アレクサンダー大王、織田信長、徳川家康の軍と同等であり、かわいそうな言い方だが、牟田口廉也中将にアレクサンダー大王や織田信長に匹敵する能力があったのか。もちろん彼にはそんな軍事的な才能はなく、普通のおじさんである。彼の作戦に許可した上司、具体的に言えば、寺内寿一元帥の責任でもある。この元帥も親が首相、寺内正毅で、いわばボンボンである。育ちが良いだけで、ほとんど戦歴はない。さらに酷いのはノモンハン、ガダルカナルなど散々な作戦計画を提唱した辻政信大佐は、作戦の神様と称せられたが、ほとんど実戦経験はない。こうした普通のおじさん、金持ちのボンボン、頭でっかちの見栄っ張り、などが戦争を指導したのが、太平洋戦争で、怖い話である。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">まず日露戦争で日本がロシアに勝利したのは、戊辰戦争での戦争経験が大きい。この戦争で作戦に従事し、その戦歴から上の地位に昇進し、日露戦争では指導者として活躍した。実際の戦いの経験が数万の兵士を指揮するのに役立つ。例えば、立見尚文中将は桑名藩の雷神隊の隊長としてゲリラ戦に従事し、西南戦争では大隊を指揮、そして日清戦争では旅団長、日露戦争では師団長として黒溝台会戦で活躍した。常に実戦の中にいた将軍である。同じく野津道貫大将も鳥羽伏見の戦いから、会津戦争、箱館戦争と参戦し、西南戦争では旅団参謀として、日清、日露戦争に参戦している。実際に立見も野津も自ら実戦に参加して、戦っており、その戦功により出世していった。これが戦国時代からの戦争のプロのあり方であった。ところが太平洋戦争では、士官学校、大学校を優秀な成績で卒業した軍人が階級を上げて、参戦した。戦功ではなく、成績で昇進した。太平洋戦争に参戦した日本軍の指揮官(大将)で実戦経験のあるのは、海軍では山本五十六大将、及川古志郎大将、塩沢幸一大将、吉田善吾大将、陸軍では岡本寧次大将、多田駿大将、板垣征四郎大将、杉山元元帥くらいである。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">それに引き換えアメリカ陸軍の将官について調べると、パットン大将は米墨戦争を皮切りに、第一次世界大戦の戦歴を経て、第二次世界大戦に参戦した。同様にマッカサー元帥は、メキシコ革命におけるベラクルス占領に参加し、その後、第一次世界大戦では二回負傷し、<span lang="EN-US">15</span>の勲章をもらった。イギリス軍の名将、モンゴメリー元帥も、第一次世界大戦に参戦し、肺と膝を撃ち抜かれる怪我をし、勲章をもらったし、インパール作戦の寺内元帥に対応するインド駐留軍司令官、ウェーヴェル元帥も第一次世界大戦では片目を失い、アラブ人反乱の鎮圧に参戦し、第二次世界大戦に入った。いずれも第二次世界大戦が初めての参戦ではなかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">欧米では第一世界大戦(<span lang="EN-US">1914-1918</span>)を経験した将校がそのまま第二次世界大戦に将軍として参戦したが、日本では日露戦争(<span lang="EN-US">1904-1905</span>)を経験した将校の多くは太平洋戦争ではすでに退役しており、実戦経験のない多くの将軍が参戦した。日本軍で唯一、第一次世界大戦に参加したのはマルタ島での連合国艦艇の護衛任務で、日本海軍からは山口多聞中将や田中頼三中将が参加し、いずれも優れた指揮官となる。この<span lang="EN-US">10</span>年の差が結局、太平洋戦争の勝敗の差になったのかもしれない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">おそらくの話ではあるが、今、行われているウクライナ戦争においても、各国は秘密裏に有能な士官を送り込み、実際の戦争を体験させていると思う。武器供与には、それを指導する兵士も必要で、各国はそれを口実に優秀な士官をウクライナに派遣し、実際の戦争を経験していると思う。平和主義者からすれば、ひどい話であるが、軍隊というのは経験値が必要である。太平洋戦争以来、全く実戦経験のない自衛隊に日本の防衛を任せるのであれば、将来的に自衛隊の指揮官になる人物には、是非ともウクライナ戦争を経験してほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-41462633230721546012023-12-14T10:22:00.003+09:002023-12-15T07:03:37.062+09:00最近の矯正歯科医<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"></div> <br /><br /><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgt0p-Qi1pqM0Ofwo6oSqC22BcD9aBRL8mPQ33iaI1PoU4FMjm3i7fjNQRqrSiUvfUKp8waCnlVaadxZhsx12j7OBlafEtbypn3N0EiK8f79dNE6wZlJbvYKoTfm12ntEqN4dPoE6EUQ-07FeuXxJ661HQW6CGkA7RN_lRqyco9ZIGFstbTb_1y-xWhLvU/s1176/13937854_1801088926795099_524478103951390069_o.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="540" data-original-width="1176" height="184" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgt0p-Qi1pqM0Ofwo6oSqC22BcD9aBRL8mPQ33iaI1PoU4FMjm3i7fjNQRqrSiUvfUKp8waCnlVaadxZhsx12j7OBlafEtbypn3N0EiK8f79dNE6wZlJbvYKoTfm12ntEqN4dPoE6EUQ-07FeuXxJ661HQW6CGkA7RN_lRqyco9ZIGFstbTb_1y-xWhLvU/w400-h184/13937854_1801088926795099_524478103951390069_o.jpg" width="400" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">クリッピーC(トミー) これを使っている先生は意外に多い。 韓国でも人気<br /><br /><br /></td></tr></tbody></table><p></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">先月、久しぶりの大学矯正歯科の同門会が新潟で行われたので、参加してきた。若手の矯正歯科専門医と診療システムについて話す機会があった。私が開業したのが<span lang="EN-US">1995</span>年なので約30年前であるが、開業する前に何軒かの矯正歯科専門医院に見学に行った。当時は多くの先生が装置の装着、ワイヤー交換からベンディング、あるいは技工までしていたので、私も開業した際には、全て<span lang="EN-US">1</span>人でしようと思った。検査の時は、レントゲン、印象、口腔内写真を撮り、石膏を注いで、さらに固まったなら平行模型(ソーピング)製作までし、さらに機能的矯正装置、リンガルアーチも診療終了後に技工した。患者管理システムもファイルメーカープロで自作し、打ち込み、スライドの整理、保険のレセプト書きもした。家内と<span lang="EN-US">2</span>人でしていたせいである。その後、衛生士、受付を雇い、かなり楽にはなっているし、平行模型などは技工所に発注して作ってもらっている。それでも現在もほとんどは自分でしていて、ワイヤー交換、ベンディング、技工物(多いのは保定装置)から、写真の整理、印刷、保険レセプト、紹介状、情報提供用紙打ち出しなどほとんど自分でしている。現在は、子供の患者を見ていないので、マルチブラケット装置の患者がほとんどで、<span lang="EN-US">1</span>人の患者については<span lang="EN-US">15</span>分をとっている。ワイヤーを外して、新たなワイヤーを曲げて、結紮するとこれくらいかかる。最近は外科的矯正の患者にはクリッピーというセルフライゲーションブラケットを使っているの、<span lang="EN-US">10</span>分以内と速くなった。撤去の場合も全て自分でブラケットを外して、タービン、エンジンで綺麗にし、衛生士に印象をとってもらう。そして模型ができると、急いで上顎はベッグタイプ、下顎はホーレータイプの保定装置を作る。上顎は第二大臼歯の<span lang="EN-US">0.9mm</span>サンプラ線の単純鉤、唇側は<span lang="EN-US">0,8mm</span>の唇側線を曲げて、両者を銀ロウで引っ付け、研磨してレジンを盛り、お湯につける。ここまでその日のうちにして、次の朝に研磨して完成し、患者に装着する。リンガルアーチや、機能的矯正装置、パラタルバーなどの技工物も全て診療の合間か時間外に作る。保険診療のレセプトあるいは請求は、月に一回、日曜日か休診日の木曜日に3時間くらいかけて打ち込み、打ち出しをする。最近はレセプト枚数も<span lang="EN-US">80</span>枚くらいあり疲れる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">長々と書いたが、私も含めて昔の先生は大体こんな感じであったが、最近の若い先生の場合、上記の作業のほとんどを衛生士、助手にさせるようである。まずワイヤーの交換はほとんど衛生士がする。<span lang="EN-US">018</span>サイズの場合は先生がたまにベンディグをするが、<span lang="EN-US">022</span>になるとほぼ口頭による指示だけとなる。もちろん検査、技工も先生はしないし、撤去あるいはレセプト打ち込み、打ち出しも従業員にさせる。先生がやる仕事となると、新患相談、診断、患者への治療計画の説明、紹介状、治療経過の把握くらいのものとなる。先生によってはセファロのトレースも衛生士にさせているところがある。衛生士、助手が5人ほどいれば、一日、<span lang="EN-US">60</span>名から<span lang="EN-US">100</span>名の患者を見ることは可能だという。私のところは、ほとんど全て<span lang="EN-US">1</span>人でするので、一日、どう頑張っても<span lang="EN-US">40</span>名、平日は大体<span lang="EN-US">20</span>名くらいの患者を見ているが、逆に驚かれた。昔、アメリカの一般歯科の先生に日本では一日<span lang="EN-US">100</span>名くらい見る先生がいるというと驚き、クレージーと言っていたが、アメリカの一般歯科の患者数は<span lang="EN-US">20</span>名以下である。ところがこれは一般歯科の話で、矯正歯科の先生に聞くと、一日の患者数は<span lang="EN-US">200</span>名という。一般歯科の場合は、麻酔、抜歯、形成など先生がしないといけない仕事が多いが、矯正歯科はやろうと思うとほとんどの仕事を衛生士、助手にさせられるからだ。この流れが日本でも最近は主流となってきている。県外から紹介されてくる患者さんの中には、ほとんど先生に見てもらったことがないという人もいる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">そのため、<span lang="EN-US">YouTube</span>などで、例えばワイヤーベンディング、ロウ着などの動画を見ていても、遅いし、おぼつかない。さらに金属線の結紮に至っては、専用のプライヤーを使わないとできないようである。バードビークプライヤーのみで全てのベンディングができるし、ホープライヤーで結紮をしている。私のところでは、マルチブラケット装置の場合の基本セットはホープライヤー、バードピークプライヤー、ピンカッター、エンドカッターの4種類で、患者数だけセットを組んで、全て滅菌消毒して使っている。一方、衛生士、助手に調整をさせているところは、こうした感染予防システムはとっていないところが多く、たくさんのプライヤーをラックに置いていて、それを使い回しにしている。時代に逆行している。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;"><span lang="EN-US"> </span></p><p class="MsoNormal" style="font-family: 游明朝, serif; font-size: 10.5pt; margin: 0mm; text-align: justify;">矯正治療も患者が増えれば、アメリカ式の効率的な治療法がもとめられるであろう。ただアメリカのような一日に百名以上の患者が来るようなクリニックは少なく、一日の患者数が<span lang="EN-US">30</span>名以下なら、スタッフに治療をさせてばかりだと先生は結構暇なのではと思ってしまう。若い先生は元気なのでもっと働いてほしい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></p></td></tr></tbody></table><p><br /></p>広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.com0