tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post407818227378813621..comments2024-03-24T18:57:43.155+09:00Comments on 広瀬院長の弘前ブログ: 幕末、明治初期の城下絵図広瀬寿秀http://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-57463003523973639652018-02-13T08:23:01.047+09:002018-02-13T08:23:01.047+09:00コメントありがとうございます。まず番地が三番三号ということは、明治初期に三番と振られた番地が少なくと...コメントありがとうございます。まず番地が三番三号ということは、明治初期に三番と振られた番地が少なくとも3つにわかれたことを意味すると同時に、地租改正以降に引っ越してきたことを現します。また桶屋町は士族町ではなく、商人や卒族が住んでいました。逆に代官町に住んでいた士族が江戸時代に町人町である桶屋町に住むことはなく、明治後に移り住んだ可能性が高いと思います。多くの士族は維新後、困窮のため、家屋を売り、生活費に当てました。士族町では明治初期にほとんどの住民は変わってます。広瀬寿秀https://www.blogger.com/profile/13858476631220351831noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7985522727099270766.post-56838150333789914642018-02-12T11:57:51.101+09:002018-02-12T11:57:51.101+09:00曾祖父の白戸末蔵は文久2年生まれで、除籍簿では弘前桶屋町三番地第三号が居住地ですが、代官町に住んでい...曾祖父の白戸末蔵は文久2年生まれで、除籍簿では弘前桶屋町三番地第三号が居住地ですが、代官町に住んでいたと伝承されています。住所が変わることが有ったとは初耳でした。白戸 明noreply@blogger.com