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3Dプリンターで簡単にマウスピースは制作できる(ヒュレットパッカードのマルチジェットフュージョン) 一台4000万円くらい
インビザラインなどのマウスピースタイプの矯正治療が流行っており、一般歯科でも矯正治療を行うところが増えている。もともとインビザライン社は矯正専門医しか講習会に参加できないと聞いていたので、おかしいなあと思っていたが、キレイライン矯正など、おかしな治療法が乱立しており、そうした治療法を一般歯科で行なっている。
こうしたマウスピースタイプの矯正治療は、適応が限られており、今の所、非抜歯で治療できる軽度から中等度の不正咬合に限られている。ほぼ全ての症例で歯の隣接面を削除するディスキングという方法が取られるために、必ずしも生体に優しいとは言えない。過度の削除により隣接面のう蝕を発生する要因ともなる。さらに患者さんの協力度により治療の成否が関わるために、途中での脱落も起ころう。こうしたことも考えると、マウスピース治療だけで治ればいいのだが、抜歯や通常のブラケットを用いた治療が必要な場合が出ている。問題はこうした治療法の変更ができるかという点である。マウスピース治療を行う一般歯科医の中には、これ以外の治療はできないというところがある。
また小児のう蝕の減少に伴い小児の矯正治療をうたう歯科医院が多い。早い時期から矯正治療を行えば、本格的な矯正治療がいらなくなるというわけである。こうした咬合誘導という考えは、日大の深田英朗教授が1960年ごろに提唱した概念で、不正咬合になる軌道を早い時期に修正することでその後の不正を減らすというもので、私が小児歯科にいた頃、1980年代も盛んであった。ただその後の40年近い矯正治療経験からすれば、こうした考えは実に魅惑的ではあるが、現実はそうでない。もともとこうした考えは、1950年代頃からヨーロッパ、特にドイツで矯正治療の健康保険制度が開始され、マルチブラケット装置による治療が高価で手間がかかるために取り外しのきく、可撤式の矯正装置が取り入れられたことによる。拡大装置や、機能的矯正装置と呼ばれるものである。優れた治療法、例えばインプラント矯正のようなものは瞬く間に標準的な治療法として定着したが、床拡大装置や機能的矯正装置は80年以上の歴史がありながら矯正歯科医の中で定着していないのは、その治療法に限界があることを意味する。一方、マルチブラケット装置は発明されて100年近くたつが、それでも世界中の矯正歯科医の標準治療となっているのは、これに代わる治療法がないからであろう。
私自身、一般歯科医が小児の矯正治療するのは何とも思わない。最近では取り外しのできる既製品を使った治療法もあり、こうした簡単な治療法で治れば、わざわざ矯正専門医で治療する必要はない。問題は、料金である。中にはこうした小児の矯正治療に数十万円かかるところがある。マルチブラケット装置による仕上げの治療も含めているのであれば合点するが、あくまで小児の咬合誘導を主とした治療法で、これで治らなければ治療できないという。もちろんここで矯正専門医に行くと全く始めからの治療となり、小児の矯正治療費は無駄となる。マウスピース矯正治療と同様で、これでなおらなければ治療できないという。小児の矯正治療は、矯正専門医の一期治療、あるいは早期治療にあたり、そのままマルチブラケット装置に移行する場合は、この一期治療費が差し引かれた治療費が二期治療費となる。もちろん一期治療で治れば、二期治療は必要ない。
アメリカのスマイルダイレクトが日本でもいよいよ進出しそうである。これは自宅に印象材のキットが送られ、それで口の型と口腔内写真を会社に送れば、インビザラインのようなマウスピースが送られてくる。店舗型のところも急速に増加し、デジタル印象で資格のない店員が型をとり、それで製作される。費用は20万円くらいで、アメリカでは急速に拡大しており、インビザラインの脅威となっている。多分、導入と同時に、クレームが溢れ、こうしたマウスピース治療そのもの、あるいは矯正治療そのものが特定商法取引法に(http://hiroseorth.blogspot.com/2015/07/blog-post_26.html)に導入されるだろう。むしろその方がおかしな矯正治療を行なっている歯科医院が駆逐され、よいかもしれない。
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2019年12月15日日曜日
マウスピース矯正治療が流行っている
2019年12月13日金曜日
本場フランスの負けないリンゴシードルを
2019年12月12日木曜日
絵本の原画 たばたせいいち
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たばたせいいちさんの絵本原画 |
2019年12月8日日曜日
中村哲医師の死を想う
アフガニスタンの復興に尽力した中村哲医師が殺された。誰によって殺されたか、今のところ不明であるが、計画的な犯行から組織的グループが関わった可能性が高い。すでにタリバーンは犯行を否定しており、それを信じるならば、最近勢力を増大しているイスラム国支部組織の可能性が高まる。おそらくは外国人のNPO組織や支援団体を殺害することで、国を混乱に貶めて、その混乱に乗じて自分たちの勢力を増大させようとするものであろう。
個人的にはアフガニスタンの国民のために、人生を捧げた中村医師がこうした形で亡くなることは無念であるし、これまで日本とアフガニスタンとの間を行き来して、日本での募金をアフガニスタンの灌漑整備に回すと言うシステムがこれで消失するかもしれないと言う危惧もある。もちろん中村医師の意思を継ぐ人々が事業の継続に邁進するだろうが、シンボル的な人物を失うことで、事業の縮小は避けられず、さらに言うと日本人のアフガニスタンへの渡航がますます難しくなる。それ以上に現地アフガニスタンで、カリスマ的に事業を行なっていた中村医師がなくなった後、アフガニスタン人の中にそうした事業を引っ張る人物がいるのであろうか心配である。
こうした一部の過激派、日本でも過去に連合赤軍などもいたが、基本的な考えは暴力革命を起こし、国を混乱させ、その混乱に乗じて政権を取るというもので、1970年代くらいまで、日本共産党もそうした思想であった。当事者にとっては真剣なものであるが、爆弾テロなどで犠牲になった人々からすれば本当に迷惑な話である。こうした異端の者を警戒するのは近代国家では、正当とみなされ、日本でも公安の監視対象となっている。一方、アフガニスタンのような混乱の地では、あまりに反政府グループが多く、それを取り締まるにはかなり暴力的な手段を使い、それがまた反政府運動を増大させる結果となる。被害を被るのは大部分の普通のアフガニスタン人であり、生活はますます困窮する。
昔、ネパールを旅行したとき、エベレストの麓のナムチェバザールという所にトレッキングをした。その途中に、日本人の年配の夫婦が経営しているロッジに泊まった。話を聞くと、日本で長年、会社勤めし、老後にネパールに来て、学校をしているという。夕方になるとランプを持った子供たち10数名がこのロッジに集まり、授業開始である。我々も一日先生となり、この人と一緒に授業をした。こうしたボランティアで海外で活躍している日本人は中村医師以外にも多い。ただ不思議なことに宗教とは関係なく活動している人が多いのが日本の特徴である。韓国でも海外ボランティアが多く、存在するが、ほとんどがキリスト教関係の団体であり、欧米のボランティア団体もそうした宗教的な組織をバックボーンとした人が多い。
大分県のボランティアおじさん、尾畠春夫さんもそうだが、こうした日本人の無宗教のボランティア精神は、どこから来るのか、不思議に思っている。おそらく仏教の善行から来るもので、良い行いをすれば良いことがあり、極楽に行けるという素朴な感情があるのだろう。キリスト教徒である中村医師もこうした古い感情が残っているのだろう。今ではこうした仏教からという概念もないが、それが阪神大震災を契機にボランティアという概念が定着した。今後とも日本人による海外でのボランティア活動がますます多くなると思うそれと同時に、今回の中村哲先生についても残された家族の生活はどうなるのか、心配になる。もちろん生命保険などには入っているだろうが、果たして国民年金や厚生年金などに入っているだろうか。文化功労者には毎年350万円の終身年金が支払われる。こうした日本のために貢献し、犠牲になった人物については、国で特別顕彰を行い、何とか文化功労者並みの残された家族が生活する額の年金を支給したらどうだろうか。誰も反対はすまい。
2019年12月5日木曜日
小児反対咬合を健康保険化へ その2
2019年12月3日火曜日
週刊ダイヤモンド 歯医者のホント
以前、週刊ダイヤモンドから矯正治療の費用や患者数のアンケートがきて、その集計をまとめた雑誌が先日、送られてきた。当院の一期、二期治療費は20万円ずつだが、雑誌では総額の治療費として30万円ずつとなっていた。調整料を含めればそれくらいなるかということか。また1年間の患者数は何人かという質問に対しては、最初は検査まで入った新患数を書いたが、実際に治療した患者数を教えて欲しいという電話があり、数え直し、確か727名と書いた。他の先生でもこの質問には混乱が多く、この数値はかなりデタラメである。
この雑誌では、ブラケットやワイヤーの費用から、検査機材の費用までかなり詳しく調査していた。このブログでもあまりこのあたりは書いていなかったが、こうした雑誌でも取り上げられるなら、実際の費用について、もう少し説明しよう。
矯正器材というと真っ先に思い浮かぶのは、歯の表面につけるブラケットと呼ばれるもので、この費用は種類によって異なる。まず最も安価なのは金属製ブラケットで一個が200円から400円くらいである。奥歯につけるチューブも金属製の場合も多いが、これも種類により450円から900円くらいとなる。非抜歯で28本全てつけるとなると、総額で12000円から15000円くらいとなる。接着材料費も含めて、材料代が2万円を超えることはない。白いタイプのコンポジットレジンのブラケットは一個800円くらいなので、全部で23000円くらい、セラミックのものは会社によって違うが、安いもので一個1000円、高いもので3500円くらいする。高いもので換算すると全部で8万円くらいになる。さらに裏側につけるリンガルブラケットの場合は、ブラケット自体は一個1500円くらいであるが、歯につける位置決め用のトレーを技工所で作るのでそれの費用が別にかかる。多分、ブラケット代込みで15から20万円くらいであろう。ワイヤーについても安いのは一本100円くらい、高いので1000円くらいで、他のゴム、結紮線、モジュールなどは数十円程度である。また矯正用プライヤーはかなり高く、一本25000円くらいし、1人に私のところでは4種類のプライヤーを基本としているので、それぞれ20セットくらい用意している。ただこれもカッター類は5年ごとに交換するものの、他のプライヤーは10年以上、楽にもつ。それほど大きな出費ではない。
週刊ダイヤモンドでも、このあたりのことはきちんと書かれており、矯正治療費が高いのは、こうした材料費ではなく、技術料であると結論している。つまり通常の表側からの矯正治療費が80万円とすると、このうち材料費が占める割合は多くても10%程度であり、人件費、家賃などの経費や減価償却費を含めても40%、残りの60%は技術料であり、一般歯科と比べてもその割合が高いとしている。同じことは美容院でもそうで、シャンプー代やハサミの値段はたかが知れており、その料金のほとんどはカットも含めた技術代となる。それゆえ、原価率が低いのはけしからん、安くしろというものではない。
こうした技術料という観念は今のネット社会では、不合理なものとみなされがちであるが、実は多くあり、弁護士にしても材料費なるものは存在しないし、家庭教師、塾だってそうである。人が直接関係するような仕事では、この技術料というのは直接、料金となる。ただいずれも人が技術料に金を払うのは、その専門性に対してであり、全く人の髪を切ったこともない素人に高額な料金を払うことはない。いくら高くても結果が良くて、満足するなら、金は出す。こうした点からすれば、優れた矯正歯科医の治療費が最も高いということになるが、日本臨床矯正歯科医会の先生、日本矯正歯科学会の専門医の先生を見ても、平均か、それ以下の料金であることが多い。逆に一症例に数百万円とるような先生でまともな治療、少なくとも上記の優れた臨床技術を持つ先生のレベルには達していない。
歯科医の言葉に踊らされ、すぐにそこの歯科医院で矯正治療を始める患者さんがいるが、一旦、治療契約して治療費を払うと、他の所で治療したくなっても、転医はかなり難しく、治療費の返却も難しい。さらにうちの医院もそうだが、多くの矯正歯科医院では、他で治療を受けている患者さんの治療は基本的には行わない。患者を奪ったと勘違いされるからで、遠方へ転住して通院が困難な場合以外は、元の歯科医院でよく相談して治療を続けるように指示する。中には明らかにひどい治療の場合もあるが、職業倫理上、これまでの経過を知らないまま軽はずみに他歯科医院の悪口は言えない。それ故、どこで治療を受けるかが矯正治療では決定的に重要なことになってくる。
2019年12月2日月曜日
イエズス会、フランシスコ教皇
日本でのキリスト教の最初の布教が、イエズス会の創立メンバーの一人、フランシスコ・ザビエルであることはよく知られており、その後も、ルイス・フロイスなどの優秀な宣教師により日本人信徒も増えていった。有名な天正遣欧少年使節の4名の少年も全てイエズス会員であり、今回、ローマ教皇が訪れた日本二十六聖人記念碑で祀られた殉教者の中には、パウロ三木、ヨハネ草庵、ディエゴ・喜斎の3名のイエズス会員がいる(他には4名のスペイン人、メキシコ人、ポルトガル人フランシスコ会司祭、修道士と17名の日本人信徒がいる)。殉教者に対するローマ教皇の対応は、1629年には23名のフランシスコ会の信徒と3名のイエズス会の信徒が福者に、さらにかなり遅れて、全ての殉教者が1862年には聖人となった。
明治維新後、イエズス会が再度、日本での布教を開始したのはプロテスタン会派に比べてかなり遅く、1905年(明治38年)のことで、フランシスコ・ザビエルの“日本のミヤコに大学を”という言葉に基づく。もともとイエズス会は若者の教育に熱心であり、欧米を中心に多くの学校を建てた。日本にもカソリックの高等教育機関、大学を建てるために、ローマ教皇からオコンネル司教が派遣され、できたのが上智大学で、1928年の設立となる。プロテスタン系の同志社大学は1875年に創立、大学となったのが1920年、立教大学は1874年創立、1920年に大学、関西学院大学は1889年創立、1932年に大学となったが、青山学院大学は1874年創立だが、大学になったのは戦後、1949年である。大学を東京に作ったイエズス会は、関西の拠点として神戸、六甲学院を1937年(昭和12年)に作った。よくこの時代にキリスト教の学校を作ったものだと感心する。その後できたのが、1947年創立の横浜の栄光学院、1956年創立の広島学院、2011年にイエズス会系となった上智福岡中学校高等学校である。
今では神父の数も減ってきたが、私のいた頃の六甲学院では、40名くらいの先生のうち13、4名が神父で、さらにその半分が外国人教師であった。また上智大学からは若手の外国人先生が短期に赴任することもあった。外国人教師は、上智大学を母体として、そこで日本語を学び、専門学科を学び、関係高校に派遣される。逆に高校の教師をしていて、上智大学の教授になることもある。他の姉妹校のことはわからないが、二、三年に一度、六甲高校を卒業後、上智大学神学部に入り神父になる人がいる。私の学年でも、成績が良く京都大学は確実に合格できた長町裕司上智大学教授がいるし、訓育生であった瀬本正之さんも京都大学理学部を卒業後に上智大学神学部に入学し、今は上智大学神学部教授になっている。サッカー部の同級生も東京大学卒業後に民間企業に就職し、その後、神父になろうとした。高校内に修道院のような建物があるせいか、入学時10名くらいしか信者がいなかったが、卒業時には50名くらいは信者になっていた。
今回のローマ教皇は、カトリック始まって以来のイエズス会出身の教皇で、上智大学のみならず、姉妹校の六甲学院、栄光学院、広島学院でも大いに盛り上がったのだろう。忙しい日程の最後にフランシスコ教皇が上智大学を訪れたのは、この上ない名誉である。教皇の通訳をしていたアルゼンチン出身の神父も一時、六甲学院の教師をしていたようだ。教皇も若い頃は日本に宣教に行きたかったが、健康上の理由で諦めたと述べているが、運命が違えば、上智大学や六甲学院で教師をしていたのかもしれない。
2019年12月1日日曜日
アートのプレゼントは
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マッティ・ピックヤム |
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丸山直文 |
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たばた せいいち |
新築、開業、結婚祝いなど、誕生日やクリスマス以外でも、プレゼントする機会が多い。子供の誕生日では、洋服や靴でもサイズや好みを知っているので、それでも悩むが、プレゼントする品の種類は多い。前から欲しがったいたものを、デパートや最近ではアマゾンで購入して送ったり、現金が良ければ、それもありと考えている。ただそれ以外の人にプレゼントするとなると、プレゼントの選択は非常に悩む。
プレゼントする場面でも異なるが、例えば、新築や開業祝いであれば、2万円くらいが予算の限度となる。この予算の中でと考えると、インテリア雑貨が候補となり、デパートや雑貨屋さんに行ってあれこれ悩むわけである。これが意外に難しく、例えば定番の壁掛け時計を考えると、1万円以下の安い時計は結構多いが、それ以上高いのになると、数は少なく、私の好きなアルネ・ヤコブセンの時計となるといきなり4万円以上となる。これは高すぎる。では壁にかける絵はどうかというと、2万円以下となると、版画でそれも比較的小さいものとなる。デパートなどの額縁店に併設されたインテリアアートで可愛い作品がたくさんあり、新築祝いや開業祝いなどには喜ばれる。一時期は、こうしたリトグラフ印刷の可愛い作品をプレゼントに送ることが多かった。
神戸のMarkkaという雑貨屋さんは、北欧の雑貨を中心に扱っているが、その中でも、フィンランドの絵本、雑誌イラストレーターのマッティ・ピックヤムサの作品を多く手がけている。どういう経路かわからないが、ここでは彼の雑誌や絵本の手書きの原画が出ている。油彩のものもあるが、多くは水彩画で動物や人間を描いたユーモラスな絵で、楽しい。値段も原画にしては安く、数千円から2万円以内で、額縁を購入してもそれほど高くはない。ただ最近では人気があるのか、HPで商品を表示するとすぐに売れてしまう。原画を購入し、大きさに合わせて“額縁のタカハシ”という会社に注文する。オーダフレームを扱っているが、とりわけ立体額の木地のものが好きで、絵の大きさに合わせて額の大きさとマットの大きさを決めて、注文する。普通の大きさで3、4000円くらいなので、原画と合わせても十分に2万円以下となる。安いといっても版画ではなく、一点ものであり、価値はある。ある人の新築祝いの送り、大変喜ばれた。
シンシナティーの美術館の方がこられた時には、何か日本らしいお土産と考えて、決めたのが版画である。といっても現代ものではなく、古い浮世絵を考えた。江戸時代のものはコンデションが良いものは高いので、明治浮世絵を検討した。その中で、色使いはいささか派手な点はあるにしても、外国人に喜ばれるということで、揚州周延の浮世絵をヤフーオークションで探した。周延の浮世絵は、数が多いこととから、コンデションの割に安い。といっても通常15000円くらいするので、さらに0円スタートのものを待っていると、二枚、1万円くらいで手には入った。本来なら額に入れれば、よりよく見えるのだが、荷物になるので、折れないファイルに挟んで二人のアメリカ人女性にプレゼントした。これも大変喜ばれた。
ここ1ヶ月ほど、絵本作家のたばたせいいちさんの原画が大量のオークションで出回っている。雑誌表紙や絵本の原画、草稿画が中心で、作家はまだ在命であるが、どうしたことか、大量に原画がネット上に出ている。もちろん全て肉筆原画で一点物である。その中でも人気の高い絵本、“さっちゃんのまほうのて”、“おしいれぼうけん”、“ダンプえんちょうやっつけた”などの原画の人気が高い。この中では“ダンプえんちょうやっつけた”は白黒の多分、マジックペンで描かれた作品で、シンプルで美しい。カラーの作品に比べて人気も少ないために、数千円くらいで落札できた。絵本原画なので、文字が入る場所が空けられているので、一応、絵本も買って、コピーした文字をそこに足して壁にかけている。なかなかよく、他の人のプレゼント用にもう二つ購入した。
プレゼントの選択に困っている人は、こうしたオークションを利用する手もある。
2019年11月23日土曜日
第78回日本矯正歯科学会大会(長崎)
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新型艦 あさひ |
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軍艦島 |
2019年11月17日日曜日
深浦のマグロ、鰺ヶ沢のヒラメ、岩崎のズワイ
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深浦のマグロ |
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貨客混載 |
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貨客混載 |
先日、講演会のために鰺ケ沢に行った。鰺ケ沢のホテルグランメール山海荘には2度ほど、今年も正月に行った。ところがいつも駅から送迎バスでホテルまでに行くので、鰺ケ沢の街中は知らない。今回、電車の発着の関係で講演の2時間ほど前に鰺ケ沢駅に着いてしまった。そこで、駅から遠いが講演会場まで30分くらいかけて歩いた。せっかくなので鯵ヶ沢の新名物、ヒラメのヅケ丼を食べようと“たきわ”という店に行った。鯵ヶ沢港のそばにあるお店で店内ではジャズが流れている。ここのヅケ丼は、昨年、グランメールで食べたものよりヒラメの身も厚く、甘くて美味しかった。あっと言う間に平らげたが、急に天候が変化して、外は嵐のような状態となった。この店から講演会場までは歩いて7、8分かかるため、こんな悪天候では歩けないと判断し、店で雨宿りすることにした
隣町の深浦では、最近、マグロをメインとしたマグロステーキ丼を売り出している。マグロといえば、大間が有名だが、深浦もマグロの漁獲高が多いので、町おこしとして深浦町もマグロ料理を売り出しているし、深浦マグロのブランド化を行っている。鯵ヶ沢はどうだと店主に聞くと、鯵ヶ沢でもマグロは取れると言う。メニューにマグロ丼もあったが、普通の冷凍ものかと思って頼まなかった。店主にすれば当たり前のことで、イカ、ヒラメ、マグロともに地元物であるが、観光客からすればわからず、少なくとも“目の前の港で水揚げされた鰺ヶ沢産マグロ”くらいの説明は欲しかった。今度は、マグロ丼を食べることにしよう。
帰りに鰺ヶ沢駅前のスーパーに行くと、深浦産のマグロが安く売っていた。北金が沢産のイカも美味しそうであった。弘前のデパートの鮮魚店に行っても、築地卸と行った言葉が並ぶが地元の、深浦産や鰺ヶ沢産の魚が並ぶことは稀である。他のスーパーに行っても、同じような状況で、案外、青森県内でも地元の魚が食べられない。前述したヅケ丼のおばさんに聞くと、港で魚が取れても、通年的に、ある程度の量、買ってくれないと魚は売れず、どうしても地元には卸せないと言う。さらに深浦の隣の岩崎港はズワイガニの漁獲高は全国3位だが、全く知られていない。岩崎港では、ズワイガニといっても大型で身が多い本ズワイではなく、身が少なく、水分が多い紅ズワイガ多く取れるため、主として加工品にされ、一般の魚屋に出回らないと言う。新鮮な紅ズワイガイはとても美味しいのだが。
青森県は三方を太平洋、津軽海峡、日本海に囲まれ、魚の宝庫である。このうち、西海岸の鰺ヶ沢、深浦などの漁港は、周囲に大きな町がないため、なかなか魚が捌けない。深浦では、地元のレストランなどでマグロ料理を出すように努力しているが、それでも集客は少ない。むしろ五所川原市や弘前市に積極的にサテライト店を出店して市場を開拓するような試みはどうだろうか。例えば、鰺ヶ沢や深浦漁港が共同して、その日とれた魚を朝の五能線に載せ、弘前駅まで運び、それをレストランが料理に使う。最近では各地で一般旅客電車に貨物も載せる貨客混載という概念が広がっており、バス、電車に乗客と一緒に荷物を載せる試みが増えている。朝方の五能線、深浦、鰺ヶ沢、五所川原、弘前を通る線の乗客はそんなに多くなく、貨物も載せることは可能である(車種によって出し入れが難しいが)。費用が高くなければ、保温箱に入った魚を数分間の停車時間で車内に入れることは可能だし、同様に弘前駅で素早く取り出すこともできる。駅前に料理店があれば、すぐに料理に使える。もちろん既成の魚卸市場からすればこうした直取引は反対するだろう。ただこうした試みが成功するなら取扱量も増え、こうした貨客混載ではさばききれず、市場で扱うことになる。
いい素材があっても、それをうまく広告して売り出さなければ意味はない。青森県は自然に恵まれ、多くの宝物を有するが、いまだに十分に活用されていない。個人的には新鮮な岩崎港で水揚げされた紅ズワイを腹一杯、安く食べてみたいものである。岩崎港から弘前まで直線距離でわずか38キロ。将来、貨物用大型ドローンができれば20分の距離であるが、季節になっても弘前で紅ズワイは売ってもいないし、食べるところもない。あれだけ多くの北海道産の毛ガニが売っているというのに。
こうした問題は、深浦、鰺ヶ沢、五所川原、弘前などの役場や関係機関が、広域な単位で検討してほしいところである。町おこしに色々な試みがされていて、深浦ブランドのマグロなどは良い試みである。ただ深浦に集客といっても限界があり、観光客でいえば弘前の方が多く、弘前に観光に来た客が同時に深浦産の美味しいマグロや岩崎漁港の紅ズワイを食べられれば、より満足は大きい。特に弘前は名物料理がないだけに、ここで西海岸の魚料理が食べられることは、双方に金が落ちる。あるいはこうした試みに共感する居酒屋などを募集し、今でも鰺ヶ沢産の魚を使った居酒屋があるが、正式な“鰺ヶ沢ヒラメ”、“深浦産マグロ”、“岩崎産ズワイ”といった町発行のマークを貼るのもいいだろう。色々なアイデアがあるだろうというが今回の感想である。
2019年11月13日水曜日
佐藤弥六の書
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佐藤弥六の書 |
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陸奥評林 |
2019年11月10日日曜日
歯科医師の高齢化
私も今年で63歳になる。元気なうちは働きたいと思っているが、それでも老眼のため、年々、治療が疲れるようになった。ことに歯科の治療は内科とは違い、ものすごく細かい作業が要求されるため、高齢になって仕事をするのは難しい。うちの父は83歳まで一人で歯科医院をしていたが、だんだん患者さんも減り、また子供として、患者さんに何かあれば大変だと婉曲にやめるように促した。
弘前の例で言えば、最近では70歳くらいで歯科医の仕事をやめる場合が多くなっている。昔の先生は、歯科も医科も死ぬまで、あるいは病気になって動けなくなるまで仕事をしていた先生が多かった。一方、アメリカの歯科医に聞くと、仕事は金儲けのためにするのであり、金を稼げれば、すぐに引退するという。そして引退後の生活をエンジョイする。知り合いのアメリカ人の矯正医は60歳くらいで引退して、今はアリゾナ州にいる。また台湾の矯正医は55歳で自分の診療所をクローズし、その後は週に2、3回ほど勤務医として働き、あとはゴルフをしている。
こうした引退後の生活を考え、最近の先生は死ぬまで働こうとは思っておらず、患者が少なくなった、あるいは機械が壊れたと言った理由でやめることが多い。弘前の歯科医数は100名くらいであるが、60歳以上が半分ほどで、あと10年以内に少なくとも40人近くはやめるだろう。一方、新規に開業するのは年に1 、2軒で、単純計算すれば、10年後は、40軒の歯科医院がなくなり、10軒できるので、差し引き70軒、30%少なくなることになる。医科の場合は、もっと深刻で、開業年齢が歯科より遅いため、開業医の高齢化、あるいは減少は著しい。
ただ歯科の場合は、若年者のう蝕が減少し、今後、患者数も減るために、歯科医院の減少が大きな問題になることはない。一方、若い先生が増え、歯科治療のレベルが今後、上がるかというとこれは微妙であり、歯科大学の教育レベルが上がらない限り、日本の歯科医療の水準が上がることはない。というのは、日本の歯科大学では、学生の臨床教育は基本的にしないので、実際の患者さんを治療する機会は卒後研修に入ってからである。それも大学病院の患者数の減少に伴い、症例数は誠にお粗末で、研修医で終了しても、臨床レベルはかなり低い。その後、医科のように大学病院などに勤務して開業するなら一定のレベル、ここでは専門医ライセンスを持つが、歯科の場合は、研修医終了後、すぐに勤務医となることが多い。そうすれば、そこの年配の院長以上の臨床レベルになることは難しい。
おそらく日本の歯科医師の臨床レベルをあげるのは、まず国立大学の大学院大学を撤廃し、アメリカ型の三年の専門医コースを作り、そこで各科の専門医ライセンスを取ることであろう。現状のような基礎科目による大学院では、学生は勤務医に流れる。さらに大学病院では、矯正歯科も含めて自費治療に関して一般歯科の半分から1/3くらいの値段にして、学生用患者数を増やすことである。弘前では十年後に70軒くらいになると言ったが、それでも口腔外科の専門医が10軒、矯正、補綴、小児、歯周疾患の専門医がそれぞれ5軒ずつあれば、計30軒の専門医がいることになり、全体のレベルアップにつながる。
弘前で今、最も不足している専門医は、実は小児歯科で、日本小児歯科学会の専門医は、青森市の土岐先生と三沢市の濤岡先生しかおらず、弘前、五所川原地域には小児の専門医はいない。秋田県が3名、岩手県が8名、山形県が5名、宮城県が24名、福島県11名なので、ダントツに少ない。昔と違い、小児が減り、さらにう蝕が減り、また重症の子供も減った。そのため、新規開業の若手の先生方では、ほとんど小児の治療をしたことがない場合がある。歯髄処置や乳歯冠などできない歯科医もいるし、その他の処置内容もひどい。私も小児歯科の認定医を持っていたので、一般歯科医の大体の治療レベルがわかるが、やはり小児歯科専門医の方が臨床レベルは高いし、ハンディキャップ児の扱いもうまい。ついでに他の科の県内の専門医を調べると、歯科では補綴専門医が8名で、弘前には2名、口腔外科の専門医は15名で、弘前には8名、歯科保存専門医は2名で弘前は0名、矯正歯科学会の認定医は10名(専門医は1名)、弘前は3名(専門医1名)、歯周病専門医は3名で、弘前には2名となる。インプラント専門医は10名で、弘前は6名と多い。糖尿病専門医が青森県で54名、弘前に16名、消化器内視鏡専門医が120名いるに比べると、歯科の専門医は医科に比べると本当に少ない。
2019年11月7日木曜日
弘前れんが倉庫美術館 奈良美智
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斎藤義重 |
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小野忠弘 |
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YUKAKO |
2019年11月4日月曜日
弘前大学人文社会学部 国際公開講座2019
文化の日、弘前大学で毎年行われている人文社会学部主催の公開講座に行ってきた。今年は、「日本を知り、世界を知る」のテーマで英文学から考古学まで広い範囲の講義が行われた。特別講演では台湾大学の張文薫先生の「津軽海峡、リンゴと太宰治—青森と南国台湾の繋がりー」と題した講演があった。
台湾では青森と言えば、まずリンゴ、さらにはねぶた、あるいは太宰治もよく知られているという。台湾のデパートでは青森物産展が行われ、そこには弘前のりんごが高級果物として高い値段で売られていて、人気があるようだ。さらには台湾大学では台湾文学より日本文学が学生に人気があり、とりわけ人気があるには太宰治、芥川龍之介、中島敦、村上春樹で、夏目漱石、三島由紀夫、大江健三郎はあまり人気がないようだ。太宰の作品については、人間失格などは早くから台湾語訳で出版されていたが、その人気が急速に高まったのは、邱妙津の「ある鰐の手記」という作品による。邱は台湾大学を卒業後、ソルボンヌ大学に留学する才女だが、太宰の作品などに影響されて26歳の若さで自殺する。そのショッキングな話題はたちまち彼女の本をベストセラーにし、さらには彼女が心頭する太宰治の作品に向かった。その後、トレンディーな若者に太宰治は支持され、今では太宰のほとんどの作品は翻訳されていて、人気が高い。そのために青森に来る若者の中には、わざわざ金木の斜陽館に来るのが目的の人もいる。韓国や中国でも同様に太宰は人気が高い。
張先生の専門は、戦前の台湾文学であるが、昔、当院に来ていた患者さんのお父さんのことを思い出した。彼は台湾出身で、今は彦根と台湾を行き来して生活し、たまたま娘さんが弘前大学にいたためにこちらで暮していた。私は、もともと台湾好きだったので、この方とも何度か話しあったことがあった。彼は戦前の台湾では非常に有名であった小説家の周金波という方の息子さんである。周金波は基隆生まれで、日本大学歯学部で学び、卒業後は基隆で歯科医院をしながら、小説を書き、戦前は大東亜文学者大会で台湾代表となる。戦後、ニ・ニ八事件後は日本への協力を批判され、弾圧を受けた。そのために戦後はあまり活躍することはなかった。
こうした皇民作家と呼ばれる台湾人作家の昨今の評価について張先生に聞いてみたかったが、さすがに場違いな講演会でこうした質問はまずいと思い、諦めた。台湾の人と話す場合、まず民進党か国民党かをはっきりと認識しておかないとまずいような気がする。もちろん周金波先生の息子さんは、民進党で、台湾独立派である。こうした民進党の支持する人々の親あるいは祖父は、戦前に日本語の教育を受けたため、日本語が喋れる。これが鑑別の一つであり、国民党支持者の多くは戦後、中国から台湾に来たために、そういうことはない。今の若者世代は、こうした政党による違いは少なくなっていると思うが、台湾の方は親孝行な人が多いため、日本語をしゃべれる親や祖父への尊敬の念は日本への好意とそれとは逆に反中国に向かうことになる。
今では戦前に日本語を受けた世代はほとんどなくなり、台湾でも日本語を喋る人は昔に比べて減っているが、それでも日本に対する畏敬は強い。35年前だが、台湾の高雄の歯科医院を訪ねてことがある。そこの先生のお父さんは戦前に慶應義塾大学を卒業したインテリで、わざわざ日本から客が来るということで、本当に久しぶりの丁寧が挨拶を受けた。もはや日本では見られないような丁寧な日本語と応対で驚くとともに、それを見ている歯科医の息子、およびその妻、孫の彼に対する尊敬の念はひしひしと感じた。
1957年の嵐寛寿郎主演の「明治天皇と日露大戦争」が台湾で公開された時には、天皇のシーンが出るたびに、観客が直立し、礼をしたという逸話があるほど、戦前の日本語を喋れる世代の日本愛は強い。台湾の方にとって、青森県は雪、温泉、お祭り、歴史のある場所で、私たちが南国ハワイに憧れるような一度は行きたい場所である。紅葉の季節、わざわざ自転車を持ち込んでサイクリングしている台湾人観光客を多く見るが、弘前で誰もレンタルでサイクリング用のマウンテンバイクや小型自転車を貸すようなことはしていない。7万円くらいのそこそこのマウンテンバイクや小型自転車を一日3000円くらいで貸せば、30日でペイできる。サイクルネット弘前でも普通自電車を500円、電動自転車を1000円で貸しているが、是非、ビアンキのような自転車メーカーのシティー、スポーツタイプ、小型車のレンタルバイクも用意してほしいし、そうした機種については、予約あるいは数日借りなどもできるようにしてほしい。わざわざ台湾から自転車を持ってくるのはかなり大変であり、こうしたサービスはそれほど費用もかからない。個人的には弘南電鉄で大鰐まで自転車持ち込みで移動し、そこからりんご、田園地帯を廻るコースが勧められる。
2019年11月2日土曜日
現代美術史 山本浩貴
来年の春には、弘前に現代美術館ができるので、少しお勉強しようと山本浩貴著“現代美術史”(中公新書)を買った。先日、東京までの出張があったので、行きは話題の大木毅著“独ソ戦 絶滅戦争の惨禍”(岩波新書)を、帰りにこの“現代美術史”を読んだ。3時間くらいの乗車なので、ちょうど良い分量である。
ところが、この“現代美術史”があまりに難解でほとんど理解できなかった。20世紀に入っての現代美術を総観するのは、著者も語っているように、かなり大変な作業であり、それもわずかな挿入写真でコンパクトにまとめるのは至難の業であることは認める。それでも中公新書も編集者がいるのであれば、もう少し、内容は薄くしても、わかりやすいものに出来よう。欧米だけでなく、日本、あるいはアフリカ、在日など多くの世界とその時間軸も含めて文庫本で語ることは不可能ではないにしても、少なくとも現代美術の知識のない読者には理解しにくい。
それと対照的に“独ソ戦”は、ややもすれば軍事専門的な記載になりそうだが、攻撃、防御などの細かい経過は適切な図でわかりやすく、省略している。おそらく出版会社の担当者の技量の差であろう。どちらも取り上げる内容はエキセントリックなものではないが、独ソ戦の売り上げが好調なのはこうした点もあろう。
著者が専門的な知識、全てを本に真面目に注入すればするほど、本の内容も次第に難しいものになっていく。たとえ100の知識があっても、それを100全て書くのではなく、30でもいいから一般読者を想定してより理解されるべき内容にすべきであった。特に本はどれだけ売れたかが重要であり、こうした売れる本を作るためには、編集者の力量に頼ることが大きい。もちろんあまり編集者が強くいうことは著者からすると腹の立つことであろうが、それでも読者に理解される本でなくてはいけない。
それでもこの本を読むと、“現代美術”の多彩な展開、活動の概観はかろうじてわかった。ただこうした美術が一過性もものではなく、数百年後、そこまでいかなくても100年後に残るものだろうか。青森県にも十和田現代美術館があり、見にいったことがあるが、正直、全く印象はなく、面白くない。何となく今風な感覚があり、自分がオシャレだというように思えるだけである。現代美術といっても幅広いジャンルがあり、作品により好き嫌いがあるものの、やはり一般人にも理解できる点では具象的な作品に人気がある。オノ・ヨーコのようなほとんど美術品とわからない作品よりは奈良美智の絵の方が理解しやすい。ジャクソンボロックよりは同時期に活躍したマルクジャガールの方が素人には鑑賞しやすい。
ボロックやモンドリアンの抽象絵画は、感覚で捉えるものであり、その内容を言葉で表すことは非常に難しい。それ故、こうした“現代美術史”の本を書くことは大変だったと思う。それでも時代、地域の範囲を狭くしても、もう少し、わかりやすい内容にできたと思い、残念である。むしろ、1年間くらいかけてじっくりと、多くの画像、映像を使った講義の方が作者には向いているのであろう。弘前でも現代美術館ができるが、こうした現代美術のセミナーの開催も期待したい。