2026年1月1日木曜日

1970年代は楽しかった

実家の前にはこの組がありました


私は昭和31年生まれで、中学校に入る昭和43年頃まではまだ戦後の雰囲気が多少残っていたが、その後、街も綺麗になり、今に続く風景となっている。特に1970年代、1980年代は最も熱量のある楽しい時代であった。

 

 

吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットしたのが1972年、かぐや姫「神田川」がヒットしたのが1973年、サザンオールスターズの「勝手にシンドバット」が1978年、ユーミンの「ひこうき雲」のアルバムが出たのが1973年、井上陽水の「夢の中へ」が1973年、中島みゆきの「時代」が出たのは1975年、矢沢永吉の「時間よ止まれ」が1978年、今でも現役で活躍している大物歌手がデビューし、人気が出たのが1970年代、1980年代であった。

 

ロックでいえば、ビートルズは1960年代のグループであるが、ロックの最盛期は1970年代で、まずシカゴの「シカゴIII」は1971年、レッドツェップリンの「レッドツエップリンI, IIIII」が出たのが1969年から1971年、ディープパープルが日本にきたのが1972年、エマーソン レイク アンド パーマーが日本で売れたのも1974年、ピンクフロイトの「原子心母」のアルバムは1970年に発表された。

 

高校では、フォーク派とロック派に別れ、互いにあんな音楽のどこがいいのかと貶しあっていた。LPレコードは確か2000円くらいしたので、小遣いでは買えず、友達何人かで金を出し合って、梅田のLPコーナに友人のS君が買いに行った。S君はお金持ちで、自由になる金があったので、しまいには彼が買ったレコードを今でいうレンタルレコードのような形で、100円か200円で借りるようになった。家に帰り、レコードをかけるのだが、ロックはボリュームを大にして聞きたいので、もっぱらヘッドフォーンで聞いた。友人の何人からは、高校生ながら、ディープパープルの大阪公演に行ったのも後で聞いた。何しろ六甲学院では、生徒に無駄な金は持たせないという考えだったので、いつも数百円くらいしか財布にはなく、映画を見にいくのも親に報告して映画代をもらっていた私にとって、ロックのライブに行くというのは金銭的には考えられなかった。

 

どうしたことか家の中にも大きな神棚となぜか賽銭箱があったので、どうしてもお菓子が欲しい時は、この賽銭箱から小銭を抜き取った。小学生の頃、小遣いは1日に十円、中学生で月に一千円、高校生で二千円くらいであったと思う。月に一回くらい三宮に出かけてビッグ映劇という二本立ての映画を見るのが好きで、六甲までは定期で行けたので、交通費は六甲から三宮間だけ、ビッグ映劇は確か3百円くらいで、昼飯代はないので、家で昼飯を食ってから神戸に行った。この映画館では、イージライダーや激突、いちご白書など、当時のニューシネマ系の映画をよく見た。当時は、まだ館内でタバコが吸えた時代で、画面もタバコの煙でボーッと霞んでいる記憶がある。中学、高校の6年間、サッカー部に入っていたので、週に3日、たとえば月曜日、木曜日、土曜日が練習日で、日曜日は練習試合や大会があったが、それでも大抵はまるまる休みであった。小学校の頃は近所に友達と毎日会っていたが、六甲学院に入ると友達の家が皆離れていたので、休日に会って映画に行くようなことはあまりなかった。もちろん年に数回は友人と遊園地に行ったり、泳ぎに行ったり、家に遊びに行ったが、普段の休日は寝ていることが多かった。

 

今では考えられないが、日曜日の朝は大抵10時頃まで寝ていて、下のリビングに行くと大抵は兼高かおる世界の旅がやっていて、そのまま昼食となった。神戸の映画に行くのもこの後になる。寝るのは遅かったが、それでも1時頃なので、9時間以上寝ていたことになる。