2021年6月3日木曜日

貞昌寺の男根型墓

 


 この前、近くの古書店でいただいたネガを現像したことは、すでにこのブログでも伝えた。その中に男根型をした墓の写真があった。先日、弘前図書館で調べていると、この写真に関する情報が見つかったので、報告する。

 

 まず現像したネガは、昭和57年から陸奥新報で連載された「津軽紅灯譚」のコピーしたものではないかということで調べた。比べると半分そうで、半分そうでない。新聞記事は全て図書館に保管され、大まかにそこに載っている写真を見ると、今回見つかった町田さんの写真と完全に一致する写真とそうでない写真がある。一致する写真は説明文も含めて全く同じだったが、結局、津軽紅灯譚と町田さんの写真の関係はわからなかった。

 

 この男根型墓については、「津軽紅灯譚」に全く同じ写真が載り、その説明文があった。それによると遊郭の主人が自分の娘、厳密にいうと将来、お座敷で勤めてもらうための養女の墓で、男を知らないで亡くなったのは不憫と、こうした変わった形の墓を作ったようである。写真をよく見ると“内山”と折れたところに“姓?”の字がある。おそらく苗字であろうが、どこの妓楼かはわからない。上部がかなり削られ、また下の1/3部分で折れている。形態は明らかに男根を模している。その後、子宝を授ける益があるとかで墓を削って持ち帰る人がいたりしたが、風紀上、好ましくないため、いつしか地中に埋められたようである。これとは少し違う説明が“青森県における生殖器崇拝資料”(増田公寧、青森県率郷土館研究紀要36号、37-54,2012)に記載されている。「昭和初期には、高さ80cmほどの石製男根が祀られていたらしいが、現在は不明である。境内の個人の墓地に、夫婦の墓に挟まれるような形で存在したと言われる。墓碑として用いられたものではないという。」他には禅林街の勝岳寺にも「好色なる女人の遺言による供養物」として昭和初期に石製男根があったとされ、所有者は遊郭の関係者であったという。

 

 観音山普門院の延命地蔵堂には白無垢の花嫁人形、新郎新婦の人形や故人の写真が飾られている。すごく怖く、まさしく寺山修司ワールドである。これも未婚で男女が結婚もできなかった不幸をあの世でかなえさせようとする津軽の、戦後の風習である。全国各地にある男根型像の多くは、安産、子授けの神様として人々から信仰されてきたが、貞昌寺の男根型墓は、安産、子授かりというより、こうした冥界婚の変形であるように思われる。さらに江戸、吉原でも男根を祀る金精神という風習があり、性病治癒や商売繁盛の意味を込めて遊郭の中で祀られた。それ以外にも道祖神などの石仏として男根を祀る風習は各地にあるが、故人の墓を男根型にする例は非常に少ない。普通であれば、性の快楽を知らない未婚のおぼこはかわいそうというあまりに露骨な理由は却下されるであろうし、反対者も出よう。それでもこうした名前まで彫って建立したことは、人のことは気にしない津軽人ぽいし、それを境内の建立を許した由緒ある貞昌寺の住職も心が広い。まあ亡くなった故人が、一番恥ずかしいと思っていよう。


2 件のコメント:

  1. 大・怒・張!
    「イエス、非常に論理的ですね」

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  2. コメントありがとうございます。

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