2010年4月23日金曜日
明治2年弘前地図(植田町、坂本町)
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もう少しすると、弘前も桜祭りの季節になります。大型バス、列車などを利用して大勢のお客さんが県外からお見えになられます。百聞は一見に如かずといいますが、日本一の桜といくら言われても一度見てみないとわかりません。一度、見るとほとんどの人はなるほど日本一と感じるようです。
せっかく来るなら、城内を散策するだけでなく、花見もして帰ってください。当日は城内、人でいっぱいですが、それでもどこかは空いています。ビニールの何でもよいのですが敷物は持参してください。
弘前駅に朝来るのであれば、まず駅の観光案内所に寄ってください。そこで商工会議所が最近発行した「懐かしマップ」を無料でいただけます。これは昭和10年に発行された弘前の地図です。今の地図もありますので、両方比べながら歩いてください。
駅からお城方向にヨーカドーがありますので、その建物の手前を左折すると、虹のマートと呼ばれるスーパーがあります。魚を中心とした市場で、かなり早い時間、確か8時ころから開いています。ここは弘前市民が昔からよく利用する地元市場で、鮮魚から総菜など多くの店が入っており、よそからきたひとには、なかなかおもしろいところですし、地元ならではの食材が手に入ります。ここで花見用の酒、おつまみをゲットします。
ここから駅までは歩いて20,30分というところでしょうか。駅前のまっすぐ広い道を直進するのもおもしろくないのですし、このまま城に行っても右か、左に曲がらなくてはいけません。右折して右隣の道をまっすぐに行った方がよいと思います。ここは植田町、あるいは南横町を通って右に出たらどうでしょう。植田町は駅からの広い道をまっすぐに行き、みちのく銀行が見えたら、次の細い道を右折したところです。明治までは中流から下級武士が住んでいたところです。南横町(坂本町)は郵便局前のハイパーホテルのところを右折したところです。昔からの店屋がまだ何軒かあります。ほぼ江戸時代の街割りが、これは武士の土地を与える時に道にそって等間隔に割ったこと、残っています。大体は私の歩数で9歩が基準で、それの倍数、3倍という家もあります。奥行きがやけに長い家が続きます。くわしくは一緒に載せた明治2年の弘前地図を参考にしてください。ほぼ江戸時代の街割りがわかると思います。
植田町、南横町(坂本町)を過ぎると少し広い道にでます。これが和徳通り(わっとく)と呼ばれる道で、明治から戦後まで非常ににぎやかだった通りです。ここからは岩木山がまっすぐに眺められます。つがる漬が好きなひとはこの通りに老舗の鎌田屋があります。ここの白い倉庫は道からも少し見えますが、昔は千葉金商店という古い店のもので明治期ものと思われます。この先の橋が朝陽橋と呼ばれ、ここでは江戸、明治期にはねぶたの喧嘩が行われ、死傷者も出ています。この橋近くからは河辺にも降りられるようになっており、鴨や鯉なども見られます。
ここからはお城も見えてきますが、左に弘前市民文化ホールがあります。この隣にちょっと帝国ホテルを建設したライト風の建築物が見えますが、これは第五十九銀行頭取(青森銀行)を務めた高谷英城の別邸で明治28年に建てられたもので今はレストランになっています。少し高いですが、豪華な気分に浸れます。また市民文化ホールの右には弘前中央高校があります。昔は弘前高等女学校と言われ、あの石坂洋次郎の「青い山脈」の舞台となったところです。今でも美人の多い高校です。
あとは城内に入り、花見を楽しんでください。
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