2010年12月12日日曜日
弘前の古い店
待ちに待った新幹線もようやく青森まで来ることになり、地元では大変盛り上がっています。私も開業日は、わくわくし、どれだけ観光客が来るかと期待していましたが、町の様子はいつもと全く変わりません。
何でも一番列車で来た観光客をお迎えしようと弘前駅に観光協会や市の職員ら200人近いひとが集まったようですが、実際に来た観光客は数人で、人数の割には大変な歓待です。
もともと12月からの冬のシーズンは一年の内でも最も観光客の少ない時期で、だからこそ敢えて、この時期に開業いたとも言われます。もう少しすれば少しずつ観光客も増えることでしょう。
弘前観光コンベンション協会でも、観光ガイドによる弘前の街歩きコースを作っていますが、今のところほとんど利用者がない状況です。これは大変もったいないことです。地元民が見ても、おもしろいコースがたくさんありますし、値段も安いと思います。昔の海軍の将校クラブの偕行社、松蔭堂、教会などコースの中には一般客としては行けないところもあり、時間があれば大変お得で、思い出になるコースですから、もっと多くのひとが利用されたらよいと思います。
このコースを見ていると、私の診療所の入っている大家さんのところ、代官町の甘栄堂が載っていて、創業110年間となっていてびっくりしました。古いお菓子屋とは思っていましたが、これほど古いとは思いませんでした。弘前のお菓子屋は古いところが多く、一番古い大阪屋は340年くらい前、開雲堂は120年前、前に紹介した小判焼きの川越の黄金焼も121年と、軒並み100年以上たっています。さらに診療所のすぐ近くの石田パン店が大正14年の創業で、青森県で最も古いパン屋だそうです。私の好きなマタニのケーキー屋、パン屋さんも昭和6年創業ですから、すでに79年たちます。また長尾牛乳は創業が明治17年(1884)ですから、126年になります。こういった古いお店が弘前には本当にたくさんあります。新寺町にあるみそ、しょうゆ販売の加藤醸造も明治4年創業ですから139年になります。食べ物以外でも土手町の万年筆を売っている平山萬年堂は大正2年創業なので今年で97年、津軽塗の田中屋は創業明治30年で113年、江戸時代から兜や刀などの武具を作っていた明珍鉄工所、二唐刃物鍛造所にいたっては、おそらく300年はたっていると思います(二唐刃物の吉澤さんがパリに持っていった新作は、和風と縄文風のミックスですばらしい。文鎮はしゃれています
http://www.nigara.jp/work/hamono2010.html)。また代官町の矢川写真館も開業は明治14年(1881)で、今年で129年になりますし、同じく代官町の自転車屋さんタケウチサイクルも80年以上はたっています。
これが東京などですと、創業明治何年とか、それなりの老舗の風を作るでしょうが、弘前の古い店は全くそんなことを気にかけません。弘前の地元民でも、土手町にある黄金焼の店が創業121年とは誰もわかりませんし、まったく普通の店で、伝統的な黄金焼を一個50円でひたすら売っています。伝統で商売するのでなく、味と安さで現在のマクドナルドのハンバーガーと競争しています。これはすごいことです。
なぜこういった古い店があるかというと、けっしてもうかっているわけではなく、何となく続けているだけのことでしょうか。今の経営者は大体50歳以上で、高校、大学を卒業したのが、1970年代くらいでしょう。ちょうど高度成長の時代で都会の多くの若者は親の仕事を継がず、この時期で老舗の店は後継者がいなくて廃業になりました。ましてその当時でも経営がきびしい店を継ぐ子供は少なかったと思います。ところが津軽では都会と違い20年遅れており、この時代に親の跡を継いだ子供が今店を経営しているのでしょう。それでも次の後継者はきついかもしれません。市内の繁華街である土手町でもここ数年の間に創業100年以上の店が何軒もなくなりました。
一方、古い店が多い反面、全く新しい店も多く、今後の伝統を担う店も増えています。例えばフランス料理、イタリア料理、ケーキ店などは最新の東京にけっして負けないところが増えています。先日も診療所の忘年会でイタリア料理の「ダ・サスィーノ」に行ってきましたが、この店などは完全に東京のミシェランの一つ、二つ星のレベルです。値段は弘前では高いですが、それでも東京の半分ないし、1/3で味、サービスの点では決して高くはありません。またTree Bridgeというパン屋さんは午前中にはすべて売り切れというおいしいパン屋さんもあります。
こちらに観光で来る皆さんも是非、弘前の新旧のお店を楽しんでください。
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