あまり新聞、テレビでも報道がなかったので、このブログで取り上げる。以前から弘前城城壁修復に伴う白壁、多聞の復元について問題提起をしてきた。それに対して弘前市議の坂本崇市議が議会で取り上げ、質問してくれた。かなり詳細の質問で、市長と担当職員からの答弁については弘前市の動画で見られるので、興味のある方は見てほしい。
坂本市議からは、まず弘前城の整備計画の進行について質問があり、職員からはコロナなどの影響で遅れているとの答えがあった。さらに坂本市議から当初の計画にあった弘前城の周囲にあった白壁、多聞の復元についての質問があり、職員の答えは、復元するのに十分な資料がなく、今のところ復元計画は難しいということであった。さらに復元の際に邪魔になる樹齢100年以上の御滝桜の移動も難しく、そうした意味では白壁、多聞の復元は今回の整備計画の中ではないとしていた。つまり復元できる資料もなく、有名な桜の移動の難しいので、現状のまま、白壁、多聞の復元をしないということである。
まずこの答弁の矛盾点として、復元に必要な細かい資料、材質、設計図、詳しい写真など、正確な復元ができる資料がないと復元はできないというのは確かにそうである。それではこれまでの復元はどうかというと、ほとんどの復元建築物は正確な資料はなく、ある程度は想像で建築された。一番ひどい例は三内丸山遺跡で、考古学的な資料以外のものは全く残っておらず、あんなものは復元とは言えない。これは極端な例であるが、どこまでが正確な復元と言えるのかは線引きする考えにより異なる。例えば、名古屋城の御殿については先の戦災で消失したので、多くの写真は残っているが、それでもカラー写真はなく、襖絵や内部の装飾については、かなり推測で復元したと思う。
さらにいうと、これも最近の事例であるが、熊本城の御殿についても、数枚の遠景写真から推測して何とか復元までこじつけた。報告書があるが、これは執念を感じるほど、少ない資料から復元計画に導いている。相当困難な作業であったと思うが、なんとか文化庁の許可を得て復元した。これに比べれば、弘前城の白壁、多聞の復元など、熊本城御殿の復元に比べれば、よほど簡単なもので、これで復元の正確な資料がないから復元できないというなら熊本の関係者に笑われるだろう。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/115386
さらにいうと、移植が難しいという本丸にある御滝桜は、大正3年に在弘宮城県人会の寄付によって植栽された枝垂れ桜で、確かに110年を超える名木ではあるが、これが白壁、多聞復元の障害になるというのは、本末転倒である。もし樹齢100年の木が道路予定地にあるとすると、これを迂回して道を作るか考えてほしい。もちろん樹齢300年、500年を超える古木であれば、その保全のために道を迂回することもあるが、計画そのものがなくなることはない。どうしても保全するなら、この部分は作らず、本丸東側の復元だけでも良い。
結局、復元というのは思いの強さであり、熊本城本丸御殿の復元計画を見ると、熊本市、熊本県民の強い思い、もちろん観光資源としての重要性もあるが、復元に対する強い気持ちが困難な条件を克服して復元に漕ぎ着けたと思う。
今のところ、弘前市長、弘前商工会議所、観光コンベンション協会、弘前市民にも弘前城の白壁、多聞の復元を希望する気配はない。弘前城は弘前の観光資源の目玉で、熊本市における熊本城と同じ存在である。是非とも白壁、多聞を備えた勇壮な外観を望みたい。それでなくとも、観光客にはしょぼい、あれは櫓であると揶揄されている
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