前回、いい企業にいくには、いい大学に行くべきだと書いた。現実は確かにそうだし、高校生の若者はこういった現実を知ることも大事なことである。ただ、どうも心のもやもや感が拭えず、ブログを削除した。もっと根本的な教育の意味があるのではないか。学ぶことの喜び、一度は挫折しても敗者復活のできる仕組みを我々大人は語っていかなくてはいけないのではと。
ふとテレビを見ていると、NHK教育テレビで「学ぶことの意味を探して —神田一橋中学の歳月—」が放映されており、見入ってしまった。途中から見たので、一部内容が不明であるが、72歳になる中学生の男女二名の5年間に渡る授業風景を丹念に、そして淡々と描いた良品である。
神田一橋中学は、戦後の混乱の中で義務教育を受けられなかった人々を対象にした通信制の中学校で、家で勉強し、学校でも必要な単位をとって中学の教育課程を学ぶ。さすがに最近は生徒数も減って、宮城さんが入校した年度は宮城さん一人で、授業も先生と生徒のマンツーマン。ところが途中から家庭の事情で上の学年から留年してきた峯永さんが加わる。宮城さんは12歳の時から水道工事店で勤務し、夜間学校に行かせるという条件で働きだしたものの、一向に約束は守られず、その後も中学の卒業証がないばかりに、各種免許も受けられず、酒浸りの荒れた生活を送ってきた。何度も夜間中学に行く機会はあったが、面倒でついに72歳になるまで過ごしてきた。峯永さんも戦後のドサクサで中学に行くチャンスもなく、これまで過ごしてきた。どういった理由でこの歳になって中学に行きだしたかははっきりしないが、二人とも老後の安泰な生活の中で、学校に行ける余裕ができたわけではない。峯永さんは寝たきりの夫の介護による鬱病と在学時に肺がんになってしまう。また宮城さんも看護師をしていた奥さんが脳溢血になり、日常はその介護に追われている。二人とも決して、楽になったから学ぼうとしているのではない。
密度を調べる理科の実験では、82割る10がわからない宮城さん。小数点の概念がこれまでの生活で必要なかったので、8.2という答えがでない。なかなか大変な状況である。それでも懸命に学び続ける。途中、くじけそうになるが、峯永さんと一緒に授業を受けるようになると、息を吹き返す。仲間と学ぶ意義をそのままに描く。さらに先生の指導がすばらしい。年長の人生の先輩に教えるためか、先生は生徒に敬意を持って教えている。こんなのが出来ないのかという視点ではなく、何とか理解してほしいと懸命に教える。こういった授業は普通の中学校ではめったに見えない。
中学を卒業した二人の夢はさらにふくらみ、今春、高校に進学することになった。すばらしい。
中学を卒業した二人の夢はさらにふくらみ、今春、高校に進学することになった。すばらしい。
映画になりそうな素材であるが、役者が演じれば、うさん臭くなるであろう。6月6日(金曜日)の深夜12時から再放送するので、見てほしい番組である。とくに教育者はこういった素材を是非、授業で取り上げ、学ぶという意味を生徒と一緒に考えてほしい。
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