2025年2月26日水曜日

博物館、美術館への寄贈

 


徳島県立美術館の修造作品数が1万点を超えるというニュースがあった。開館当初は購入による作品収集も多かったが、最近は作品を購入する予算も少なく、年間の収集点数も1-3点にとどまっている。それに反して、美術館による積極的な調査研究、収集活動が次第に効果を及ぼし、最近では市民による寄贈も多くなってきて、2023年度では359点の寄贈を受けたようだ。それにより郷土作家のまとまったコレクションとなり、収蔵作品展を頻繁に開催している。

 

一方、青森県立美術館について調べると、所蔵作品は令和元年で4767点であるが、ここも作品購入の予算が少ない上、市民からの寄贈についてはあまり積極的ではない。郷土作家といっても奈良美智さんの作品を寄贈する人はいないだろうが、他のあまり知られていない郷土作家の作品はたくさんあるはずである。先日も、棟方志功の師匠と呼んでも良い下澤木鉢郎の作品3点の寄贈を青森県立美術館に写真付きでメールした。一応、見てみて、委員会に諮ってから受け入れを決めるという。ただ委員会の開催は一年以上後とのことであった。

 

これは弘前市立博物館や弘前レンガ倉庫美術館でもそうで、原則的には市民からの寄贈や寄託は受け付けていない。まず対応する職員が少なく、また保管するスペースもないからである。ただよく考えていただきたいのは、博物館、美術館は、所蔵作品を市民に見せる場でもあるが、同時に市民の宝を保存する場所でもある。放っておくと、家のある古いものはどんどん捨てられてしまう。たとえば、世界中で話題になっているボロ、ツギハギだらけの衣料も田中忠三郎さんの努力によりコレクションされているが、これなど汚いものとして捨てられる運命であるし、今でもどこも寄贈できないのであれば、捨てられていっている。個人的にあれほど弘前で盛んであった弘前木綿がほとんど残っていない。

 

もちろん市民が寄贈を希望するものの多くはガラクタに類するものかもしれないが、それでも後世に残すべき作品もあるはずで、少なくとも専門家が仕訳をしなくてはいけない。最初に述べた徳島県立美術館の場合、1。寄贈を受けるため所有者や関係者のもとに足繁く通う、2所有者の代替わりに際して寄贈の相談を受けるなどの、継続的な活動を行い、さらに寄贈品はそのまま無条件で収蔵するのではなく、館内で熟議し、専門家と協議した上にコレクションにするという。

 

特に青森県では、耐震強度の問題で、青森県立郷土館が休館のままになっている。ここは青森県でも比較的寄贈を受け入れるところだっただけに、このまま休館が続くのは寂しいし、その間も貴重な歴史的資料が失われている。元々アメリカで言うと、美術館や博物館は市民の寄付や寄贈で作られてきたため、財政的にも国、州、市に依存しておらず、地元会社や個人の寄付で成り立っている。市民ボランティアも多く活用している。それに対して、日本の多くの博物館や美術館は公的予算で成り立つところが多い。もちろん私設美術館はそうではないが。

 

弘前博物館でも、実は後援会があるがほとんど知られていない。安い会費で、企画展など無料で観覧できるので、お得なものであるが、ほとんど広告していないせいか、会員数は減っている。これなどもっと市民にアピールすべきである。また市民からの寄贈については、まず美術館のスタッフの増員、あるいは収容スペースの確保とともに、もっとボランティアを活用すべきである。リタイヤした老人の中にも美術品が好きな人もいるだろう。図書館ではそうしたボランティアの人も見かけるが、あまり博物館や美術館では見かけない。

 

図書館、美術館、博物館というのは住む人の文化的な顔である。文化的な都市を目指す弘前市であるならば、もう少し予算、作品収集ではなく、スタッフ予算を増額、あるいは積極的なボランティアの募集、後援会の拡大など、やりようはあると思う。人口17万人の街に、博物館と美術館があるのは贅沢なことであるが、なんとか市民も含めて支えていきたい。


2025年2月22日土曜日

宮本輝 「潮音」 第一巻



楽しみにしていた宮本輝さんの新著が出たので、早速買って読み終えた。弘前市は、紀伊国屋書店、ジュンク堂書店がなくなり、近所にも本屋がなくなったので、宮本さんの新刊が出たのを知ったのは新聞の広告であった。最近は宮本さんの本が出るやいなや、すぐの書評をブログに上げるということをしてきたが、今回は発刊してからかなり時間がたった。

 

まず新刊「潮音」でびっくりしたのは、時代小説とは。これまで宮本輝さんはほぼ現代小説ばかりだったので、時代小説はどうかなあというのがまず最初の感想であった。ところが10ページも読まないうちにこれはまったくの杞憂であり、さすがに才能ある小説家はいとも易々と新しい分野、時代小説をものにした。ここらはさすがにベテラン小説家のなせる技である。

 

100ページくらい読むうちになぜか、既視感がある。小説の時代設定、感触が何かの小説に似ている。しばらく考えると、あの島崎藤村の名著「夜明け前」に似ている。といってもこの小説自体、10年ほど前に読もうと思って本は買ったが、一部の前編しか読んでいない。それでも幕末の、新しい時代と古い時代の狭間、こうした不安な空気がそこにある。ただ「夜明け前」は藤村にとってはけっして時代小説ではなく、父親の生涯を描いたものであり、宮本さんの作品でいうなら「流転の海」に近いものとなる。幕末、明治といえば、若い人からすればかなり昔のことのように思えるかもしれないが、1947年生まれの宮本輝さんからすれば、父親、熊市が1897年生まれ(明治30年)であり、その父、宮本さんの祖父の時代が幕末、明治となる。それゆえ、「流転の海」で父親の時代を描いたなら、「潮音」は祖父あるいは曽祖父の時代を描いたものであり、けっして時代小説ではないのかもしれない。

 

それでも富山の薬売り、あまりこうした職業をベースにした小説はなく、細かい設定を調べるには相当な年数を要したのだろう。純粋な現代小説であれば、登場人物の職業や趣味の設定を調べる必要があるが、それでも資料調べの時間はそれほど必要ない。一方、「流転の海」でもそうであるが、過去の日常の様子をいきいきと描写するためには膨大な資料とそれの読み込みをしなくてはいけない。かなり大変であっただろうし、時間も要したであろう。

 

この小説「潮音」は間をおかず、四巻を一気に出版していくようであるが、宮本さんのパワーには驚かされる。あの司馬遼太郎さんも1987年、司馬さん64歳の時の「韃靼疾風録」を最後に長編小説は書かず、それ以降は短編小説あるいはエッセイが多いが、宮本さんもすでに77歳、それでも毎年のように長編小説、それも本作のように4巻の大長編をいまだに書き続けることに驚嘆する。普通ならライフワークの「流転の海」が完結したなら、そろそろさぼりたくなるのが、それ以降の作品、「灯台からの響き」、「よき時を思う」そして本作「潮音」と立て続けの出版しており、その創作意欲には敬意を払う。

 

本作でも、主人公の回想という形で話が進んでいくが、この方法は、映画の間奏のような効果があり、息継ぎができる。まだ三巻あるようなので、楽しみが増えた。映画化、ドラマ化の予感がする。大好きなBS時代劇“商い世傳 金と銀”のような作品になってほしい(この続編はいつになったら見られるのでしょうか)。


 

2025年2月19日水曜日

祖母のこと

 

祖父の葬式


晩年の祖母と私

父方の祖母は、私が2歳頃に亡くなった。確か亡くなったのは70歳くらいで、テレビが好きで毎晩、遅くまで見ていた。朝方、母親が見に行くとテレビがついたままで、横に寝ている祖母を起こそうとしたが、亡くなっていたという。

祖父の本籍地は徳島県板野郡吉野町というところなのはわかっているが、祖母の実家がどこなのかはわからない。多分、近郊の在であったのだろう。広瀬の家は、1500 年代に名古屋から四国に流れ着いて、そこでずっと百姓をしていた。家には家系図があり、かなりいい加減な代物であるが、それでも徳島の檀家寺から記録を集めたのか、室町末くらいからの記録はほぼ正しい。というのは全く無名の広瀬姓の名が続いているからであり、それもずっと百姓であった。

 

祖父と祖母は結婚して、しばらくすると大阪に出てきていろんな商売をしたようだ。最終的には、大阪の堀江、新町遊郭で栄楼という遊郭を開業したものの、昭和5年、祖父が40歳の若さで亡くなり、そこからは祖母一人で一家を支えた。家族は、長女、次女、長男(父親)、次男の5人家族だったが、こうした商売は儲かったのか、叔父、叔母ともにあまり金には困らなかった。実家のある徳島には豪華な家を建て、父親はそこから旧制中学校、そして上京して東京歯科医専(現:東京歯科大学)に入った。昔のことだが、歯科医にするのは結構金がかかった。

 

両親は、私たちの子供には、父母のこうした商売のことは触れずに、大阪で広い土地を持っていたが、戦後のどさくさで土地をなくしたと言っていた。実際は、長女夫妻が戦後、電気風呂という事業をするが、うまくいかず、抵当の土地を取られたようだ。そのため、私が1歳、昭和32年ころに、祖母は無一文で尼崎の家にきた。当時、私の家には父親、母親、姉、兄、と私の5人家族だけでなく、母親の妹2人が大阪の洋裁学校に行くためにいて、さらに祖母がそこに加わった。計8人がいたことになるが、わずか13坪くらいの家で、それも一階の大部分は診療室だったので、2階の8畳2間と一階の台所4畳半にこれだけの人数が寝泊まりした。

 

姉、兄は小さかったからか、急に現れた祖母に「クソババア」などきつい言葉を言っていたので、父親の兄弟からはあまり好かれていなかったが、私は赤ちゃんでいつも抱っこされていたので、今でも親類では一番好かれている。晩年は、ようやく家に入ってきたテレビが好きで、一日中見ていたようだが、今、考えるとまだ70歳くらいで、当時の写真を見てもかなり老けている。夫を早く亡くしたにも関わらず、なかなか女手では難しい仕事をして、子供を育て上げた。人と交渉するときは、必ずタバコを吸って心を落ち着かせながら話したという。

 

個人的には、祖母は今の家内と結婚するきっかけになった。ある日、夢の中で祖母が現れ、この人と結婚すると良いと勧めてくれた。あまりにリアルな夢だったので、これはお告げと信じ、結婚を決意した。早速、両親に夢の話をすると、特に父親は喜んでくれ、全く反対もなく、結婚に至った。自分にとって祖母は全く記憶になく、残っている写真だけの存在であるが、今でも何かあれば、祖母に助けを求める存在である。不思議なことである。思うに晩年、全てを失った祖母にとって、幼子の私を抱っこしてあやすのが、何よりも楽しいことだったのかもしれない。同居していた母親の妹によれば、本当によく可愛がったという。そうした思いは、亡くなって60年たつが、両者とも色濃く残っている。



2025年2月15日土曜日

建物紹介番組を考える


 

          アアルトの自宅 すごしやすそうな部屋である。



          リサ・ラーソンの自宅リビング 壁には絵を


「渡辺篤史の建もの探訪」や「となりのスゴイ家」などの建物を紹介する番組は好きで、よく見る。多くは建築家の自宅で、宣伝も兼ねて番組出演しているようだが、どうも気になる点がある。つまりあんまり生活感がないのである。夫婦二人の子ども二人いれば、相当生活感があるはずであるが、番組で紹介されている住宅には物がほとんどない。確かに番組の取材にくるのだから綺麗に片付けたといわれれば、その通りであるが、それでも何だかモデルルームのような家が多い。

 

これは建物を扱った番組だけではなく、雑誌「モダンリブング」やインテリア雑誌をみても、本当に何にもない家が多い。シンプル、何もない家に憧れがあるのか。真っ白な壁、黒のソファー、床も大理石、大型のテレビ、こんな感じか。なかなか緊張する部屋だし、寝っ転がってポテトチップスも食べられない。ましてや子どもがいる場合、彼らは遊びまわるし、汚し回る、これから白い壁、床をどう守るか、お母さんとのけんかが絶えないだろう。こうしたすべて、新品に囲まれたシンプルな家、日本人が好きな家である。

 

一方、欧米の雑誌をみると、リビングの雰囲気は全く違う。いかに生活しやすい、くつろぎやすいを主体として、温かい、少し雑然とした家が多い。多くのものがあり、それらを見ると住む人の趣味や好みがわかる。

 

日本の家、といっても雑誌などで紹介する理想の家は、基本的には何もない家であるのに対して、欧米のこれも理想の家は、住む人がくつろげる空間となっている。すなわち日本の家は外から見られるモデルルームのような新品の家が好まれるが、欧米では、外からどうみられるよりは住む人が快適な家をめざしている。具体的にいえば、欧米の家では床に絨毯などを敷くことが多い。何種類も、大きさや柄の異なった絨毯がいたるところに置いている。和室であれば畳自体が快適であるが、洋間のフローリングは寒いし、温かみ欠けるため、絨毯などラグで覆う。さらに日本では白い壁であれば、そのままであるが、欧米ではここに絵や写真を飾ることが多い。また壁に大きな棚を作り、そこに趣味の人形や陶器を飾っている。そして新品というよりは使い込まれたインテリアで部屋をまとめている。

 

こうしてみると日本の家は何もない新品の家に対して欧米の家は、モノ囲まれた中古の家と言ってもいいのかもしれない。実際、日本では新築の需要が70%以上なのに対して、欧米は逆に中古住宅の需要が80%を超えていて、そうしたことも部屋の内装に違いが出ているのかもしれない。エコの観点からも、そろそろ日本人も新品嗜好から足を洗い、好きなものに囲まれた気の休まる家に回帰する時代になってきたのではなかろうか。そうした意味でも、新しい家ばかり取り上げる建物番組から古くてもいいが、おしゃれなくつろぎやすい建物も取り上げてほしいものである。新しく家、建築予算いくらというものではなく、古い家をリフォームし、絨毯をしいて、家具を入れ、絵を飾るとこうなったといった番組もありかと思う。

2025年2月12日水曜日

美術館への寄贈

 





最近は断捨離の一環として、集めてきた本や絵画などを図書館や博物館に寄贈しようと考える人は多い。

まず本について言えば、図書館に持って行っても、まず100%は受け取ってもらえない。例え有名作家の初版本やサイン入りのものでも、ていよく断れるのがオチである。まず図書館の使命としては、市民に本を貸すことであり、別に本をコレクションしているわけでないので、こうした希少本は必要ない。ただ弘前市立図書館のように付属の文学館がある場合は、郷土作家の初版本や手紙など資料的な価値のあるものは引きとってくれる。一度、笹森儀助の「南島探検」の初版本(明治26年)を成田書店で2000円だったので、購入し、図書館に寄贈しようと持って行ったところ、図書館にすでに1冊あるので受け入れないと言われた。古書価格では10万円近く高価な本だが、復刻版もあり、国会図書館のデジタルアーカイブでも読めることから、必要ないとしたのだろう。もちろん生原稿や手紙であれば、図書館も受け入れるだろうが、古書に関しては基本的に受け付けていないし、購入もしていない。

両親の死後に残された古い掛け軸や陶器あるいは書物を価値があると思い、美術館や博物館に寄贈しようとする人は意外に多い。最初は担当者がきちんと対応していたものの、実態はほとんどガラクタなので、最近は基本的に寄贈を断っているところが多い。こうした依頼を受けるだけの人員もいないし、時間もないためである。

そうなると「おたからや」などの買取ショップに持ち込みであるが、こうした店では金やロレックスの腕時計のように価値がはっきりしたものは高額買取するが、訳のわからない絵や骨董などは二束三文の買取となる。昔からある骨董屋は客の高齢化による次第になくなってきており、絵や陶器などの骨董品を結局はどこも引き取ってくれずに、最終的にはゴミとして処分される。テレビの「開運 お宝鑑定団」では、古い骨董品に高い値段がつくことがあるが、あれはあくまで骨董屋の売値であって、買い値は、その1/10あるいは1/100である。お宝鑑定団で100万円と言われた掛け軸を骨董屋に持って行ってもせいぜい10万円くらいが買取価格で、絶対に100万円では買ってくれない。骨董屋にしても今どきこうした絵に興味を持つ人はかなり限られていて、そう簡単に売れないからである。仮に売れると分かっていても、利益を上げようと買取価格はできるだけ低くする。 

今回、アメリカのシンシナティー美術館に土屋嶺雪に作品20点と他の明治から昭和の中堅日本画家の作品15点を寄贈する予定であるが、一応、嶺雪の活躍した兵庫県加古川市の美術館にも問い合わせたが、寄贈は受けないということだった。もちろん応挙や若冲の絵であれば、喜んで受け入れるが、あまり有名でない日本画家の作品を受け入れるような美術館や博物館は日本にはほとんどない。調べるとシンシナティー美術館の収蔵品数は6万点、日本美術だけでも5千点以上されている。大阪中之島美術館で6千点、東京国立博物館近代美術館で13000点、それに比べて大英博物館は800万点以上、メトロポリタン美術館は300万点以上と日本の博物館や美術館の収蔵品に比べて1桁どころか2桁の違いがある。これは欧米の美術館は市民や会社からの寄贈を積極的に受け付けているのに対して、日本の美術館や博物館では消極的なためである。そもそも、日本のように原則的に寄贈を断っている限り、収蔵品は増えない。さらにいうと欧米の美術館や博物館では、寄贈を受け入れるためのスタッフや運営費もきちんとあるのだろう。私の場合で言うと、まず寄贈する作品のカタログを作り、これを美術館の館長の承認を受けたのちに、委員会で討議され、寄贈が決まると輸送費などの予算がつく。こうしたことがかなりルーチンに行われているようだが、日本の場合は寄贈、討議、予算といった流れがあまりないし、収蔵するスペースもないとよく言われる。

最近の話題として、中里の宮越家の襖絵が大英博物館にある「秋冬花鳥図」の対であることが判明し、大変な価値があることがわかった。ただもしこうしたこともなく、そのまま骨董屋に売られても、せいぜい10万円くらいの買取値しかつかないであろう。今どき襖絵ほど売れない骨董品はなく、普通の家では襖絵を飾る場所がそもそもない。東京のお金持ちは投資として現代絵画を買うことがあっても、こうした江戸時代の襖絵を買うことはなく、買うとしたら美術館だけである。作者は他の襖絵も含めて狩野永徳の弟、宗秀の門人、狩野重信とされているが、国宝、重文指定の作品もなく、日本人の個人コレクターでこうしたものを買う人は少なく、中国を中心に海外の流出することも多い。




2025年2月7日金曜日

高額医療制度の改悪




石破首相のあの顔は好きになれないが、とうとう世界に誇る日本の医療制度の支柱である高額医療制度の見直しに言及した。現役世代の保険料負担を少なくするために負担額を引き上げるという試算らしい。年収所得層の多い370万円から770万円では現行の月額8万円から13万9千円に上がるという。たとえば、年収500万円の人では、手取りは30万円くらいになるが、このうちの139千円を取られては、ほぼ生活できないレベルとなる。

 

日本の医療制度が世界一と断言できる。世界各国から日本に住む外国人が口を揃えて褒めるのが日本の安全とこの医療制度である。日本に英語を教えにくるALTという語学教師の中には、アメリカでの手術は莫大な費用がかかるために、日本で就職する人もいるくらいである。たとえば、歯科矯正の分野でも、顎変形症の治療がある、これをアメリカでするとなると矯正治療は日本と同じくらい100万円程度であるが、手術費が1500万円くらいかかり、入院も2日くらいとなる。翻って日本では、まず矯正治療費も健康保険が効くので、実際の窓口の支払いは総額で20-30万円、毎月の支払いは3000-10000円くらいとなる。さらに保険の手術費の点数が低く、一週間の入院費も含めて30-50万円くらい、そして高額医療制度による実際の支払いは80000円程度となる。民間の健康保険に入っていると、さらに入院1日あたり8000円の7日で、実際の支払いは2.5万円程度となる。これががん治療などもっと入院期間が長くな

り、治療費もかかるようになるとこの高額医療制度の恩恵は極めて大きい。

 

昔、外資系の健康保険会社が日本に進出しようとした際の一番大きな障壁が、この高額医療制度であった。こんな素晴らしい、いくら医療費がかかっても支払いがこれほど少ない医療制度があれば、誰も民間の生命保険に入らないと。その後、実際にアフラックなどの外資系生命保険会社が参入したが、日本の医療制度に対応した内容となっている。すなわち高額医療制度の前提の上、入院時に必要な自己負担金を援助すべき、安い保険料で、売るという方法である。自国では、保険料に多少による受けられる医療サービスは違っており、安い掛け金であれば、高度の医療は受けられない仕組みとなっている。これはアメリカだけではなく、隣国の社会主義国の中国でもそうである。逆に日本のような高額医療制度は世界でもない素晴らしい制度である。

 

もし自民党政権が、この世界に誇れる医療制度を改悪するなら、私は48年間応援してきた自民党政権を見限るつもりである。この制度は日本の宝物の制度であり、すべての国民が近所の病院を、安い費用で、最高の医療を受けられる権利は日本における根幹の制度である。確かに医療費の増大に伴う財政悪化はわかるが、それでもそれを理由にこの高額医療の負担金を一気に上昇させるのは、アメリカの保険会社を喜ばせるだけである。最初に述べたような、手取り30万円の人が病気になり入院すると、月に139千円払いとなると、残りは約16万円、家族4人いて、家のローンなどがあればとても生活できない。それを危惧すると、高い生命保険に入らないといけなくなり、それがまた家計を圧迫することになる。さらに石破首相は若い人の負担を減らすというが、病気は全世代に起こるし、80歳以上になると逆にそれほど高額になる手術や治療法は行われない。むしろ高額医療制度の恩恵を受けるのは若い世代、まあ60歳以下で、ガンにかかり、何とかして命を助けたいというようなケースであろう。たとえば、40歳で乳がんになり、子供がまだ小さい場合は、高い薬や治療でも最高の治療を受けたいと望むのは当たり前のことである。それが自己負担金が高くなると、そうした高度の医療を受けられない場合も出てくる。これまで保険適用でない高額な治療を受ける場合の問題点が議論されてきたが、今回の石破首相の案は保険適用の治療を受けられないことであり、全く次元の違う話となる。

 

日本の医療制度については、ほとんど国民はあたかも水道水のようにその恩恵をそれほど感じていないかもしれないが、これこそが日本が世界に誇る制度である。これに真っ先に手をつけようとする石破首相は相当なバカであり、もし財務省の口車に乗り、この試案を実行するなら、自民党は野党に転落するかもしれない。それもほとんど議論せずに、試案を通そうとしているが、国の根幹に関わる問題なので十分に議論してほしい。一方、いくら高額医療制度があるからと言って、認知症薬「レカネマブ」のように年間の薬価費用が300万円を超えるようなものについては、保険適用にするには対費用効果からの検討も必要であろうし、また開発費の回収のためにありえないほど高い薬価を要求する製薬会社についても、国民やマスコミからのもう少しきつい突き上げがあっても良さそうである。異梁性白質ジストロフィ向けの薬「Lenmeldy」の価格は63750万円というが、生涯賃金の3倍という薬価はどうだろうか。

2025年2月5日水曜日

掛け軸の寄贈 美術館への

 

シンシナティ美術館のメンバー向け雑誌、寄贈した”芳園”名の”弁慶と義経”



前回は買取業社の査定について書いたが、同じように古着も家具も、リサイクル店に持ち込んでも、二束三文か、買取できませんということになるのだろう。逆に捨てるのも金のかかるようなので、それならいくら安くても買い取ってもらった方が良いということか。

 

私の好きな掛け軸など、今の家には和室、床間がないため、さっぱり人気がなく、それこそ1本、1000円以下で買い取られるのだろう。それを売ると言っても、買うのは、年配の方が多く、その人が亡くなれば、またただ同然で買い取られることになる。それがリサイククルということなのだろう。ただ近年、そこに進出してきたのが、メルカリである。この世界では売り手が、骨董屋、古着屋などを通さずに、そのまま買い手を探し、売ることができるのは画期的であり、かなり高価で販売できる。例えば北欧に家具、わかりやすく言えば、ハンス・ウエグナアーのYチェアは人気の家具で、新品を買うと10万円くらいはする。これを近くの2ndストリートに持ち込み、査定してもらってもせいぜい12万円であるが、メルカリでは送料込みで8万円前後で買われている。昔、大鰐のホテルの食堂で、このYチェアが20台以上使われていた。このホテルが倒産したが、おそらく業者は一台一千円くらいで買い取ったのだろう。安く買えれば買えるほど儲けが多い商売である。ただあんまり買取価格が安すぎると、特に掛け軸につては人気がないので、1本、500円と言われれば、だったら捨ててしまえと思う人もいるが、その中には、かなり重要な作品もあろう。絵の価値については、わかる人がフィルターをかけてみてくれればいいが、結局はわからないので、全て一緒くたになって捨てられてしまう。これはしょうがないことかもしれない。

 

私の掛け軸のコレクションは、全く無名の明治から昭和の画家の作品がほとんどで、それゆえ、オークションでの買値も1万円以下の安いものである。作品自体はしっかりしたいいものであるが、それでも人気はなく、おそらく骨董屋に持って行っても買い取られないか、1000円以下の買取価格となろう。それなら死ぬまで持ち続けるかというと、それは残された家族に迷惑をかける。できれば美術館や博物館で引き取ってくれれば良いが、これも各地の美術館は収容物でいっぱいで原則寄贈はお断りというところも多い。20作品ある土屋嶺雪の絵については、加古川市の松風ギャラリーで以前、「播磨ゆかりの日本画家3人展:福田眉仙、森月城、土屋嶺雪」の企画展示をこともあり、興味を持ってくれるかもしれない。また3点保有する田中蘭谷については出身地の山梨県立美術館で作品を保有していることから、ここへの寄贈も可能かもしれない。また香川芳園については、出身地の京都の京都京セラ美術館に納めたいのだが、以前、これまでの研究結果を京セラ美術館のキュレーターに送ったが、そのまま返事もなく、あまり興味がなさそうである。そのため、知人のいるアメリカ、オハイオ州のシンシナティー美術館に寄贈を考えている。これまで作品としては3点ほど寄贈し、館内でも展示してくれている。海外の美術館では作家名より、作品そのものが美術館の展示の面白いかを見るので、たとえ5千円で買ったものでも展示してくれる。現在、土屋嶺雪の作品20点、田中蘭谷3点、山元春汀3点、香川芳園2点、望月玉泉1点、三浦文治1点、近藤翠石1点、前川文嶺1点、立脇泰山1点のカタログを作り、それをシンシナティー美術館の友人に送った。その中から選んでもらって寄付することにした。何点選んでくれるかわからないが、作者のとっても自分の作品が海外の美術館で展示されるのは名誉なことである。


シンシナティー美術館は全米でも最も古い美術館の一つで、創立は1881年。全米美術館、博物館ランキングでは31位で、シンシナティーの市民が作った美術館として市民から愛されている。収蔵品は67000点、日本美術コレクションだけでも3000点ある。運営は財産と企業、個人寄付 で成り立っている、メトロポリタン美術館の収蔵品数は300万点に比べて東京国立博物館で12万点と、日本に比べてアメリカの方が寄贈を受け入れやすい環境にあるのだろう。

 





2025年2月2日日曜日

買取業社の査定


 

           大橋歩さんの原画 ピンクハウス 査定0円

   

1940年代のイラン、セネのキリム 査定 5千円


最近は断捨離のために、コレクションの一部を処分しようと思っている。そのため、検索でヒットした無料買取に写真を送って評価してもらっているが、これが厳しい。

 

大橋歩さんの原画を数年前にヤフーオークションで購入した。無料で鑑定ということで写真を添えて送ると、すぐに算定結果が送られてきた。「掲載されている本も一緒なら2千円、本がなければ引き取れません」ということだった。掲載している本、「すべてが好き 大橋歩のファッション・イラストレーション集」(文化出版、1990)の古書購入価格が2000円なので、算定額はゼロ円ということでお断りした。この本の後書きで、大橋さん自身が“用ずみ原画再登場”のタイトルで、原画は基本的に売らず、出版社とのやり取りの中でなくなるものがあることを嘆いている。この絵は、この本に載っていたことから1990年以降に流出したものだと思うが、あまり大橋歩さんの原画が世間に出回らないであろうと購入した。若者にも人気のあるイラストレターで、メルカリで小さな版画が12500円、54300円で、またドーロイングコラージュが40000円、で売れている。好きな人であれば、4、5万円では売れるかと思い、見積もりをしてもらい、その10%、5千円くらいで引き取ってくれるかと思っていただけに、評価額〇円はショックだった。同様に趣味で集めていた1940-1950年代のイランの2つのキリムも無料鑑定に出してみた。どちらも5千円という査定であった。いずれも購入費は20万円くらいしたので、多分、日本の絨毯業社がイランの店舗に行って、これが2、3万円なら仕入れるだろう。

 

古書店、骨董店の感覚で言えば、できるだけ購入価格を抑えて高く売りたい。なかなか売れないものだけに、売値の10%以下で買いたいのはよくわかるが、流石にゼロ円ということは売れないと判断されたことになる。友人に言うと、メルカリに出品すれば、もっと高く売れると言われたが、面倒なので好きな人にプレゼントした方がマシなくらいである。

 

二年前に、1976年に購入したロレックスのオイスターパーオペチュアルを5社同時に鑑定というサイトがあり、写真を送った。これもすぐに返事が来て、最初のサイトが20万円、最高は40万円で算定され、驚いたことがあった。1976年に購入したときに価格が10万円だったので2、4倍に上昇したことになる。おそらく引き取りして店頭に出すとすぐに売れるので、引き取り価格が高いのだろう。また店により20万円から40万円という価格差もびっくりした。おそらくは、実際に一番高い店に時計を送り、実際に見てもらった上で、算定してもらうと、いろんなクレームがあり、かなり値段が下がるのだろう。

 

知り合いの中古家具屋さんに行っていろんな話をするが、このオーナーは直接にヨーロッパに仕入れに行って、購入して、コンテナの一部を借りて日本に輸送する。例えば、北欧の陶器を日本で5万円で売りたいと思っても、そんなに売れる商品でなく、数年売れないこともある。そうすると仕入れ値は5千円、多くても1万円以下でなくてはいけないが、デンマークに行っても、蚤の市、あるいは問屋のようなところに行っても、そこの店はデンマークの人から引越しなどで不要な商品を買って、それに利益を載せて売る。ここでもそれほど売れる商品でないので、仕入れ値の5から10倍の価格で売ることになる。つまり元の仕入れ値が500円のものをデンマークの問屋は5000円で、日本人のバイヤーに売り、それを日本で5万円で売るということになる。つまり仕入れ値の100倍で売ることになるが、実際にこうした商品はかなり少ない。その点、古書店は直接、本の持ち込む人から一冊50100円で買って5001000円で売れるので、仕入れは容易である。逆に難しいのは、古着屋で、これもアメリカなどでじっくり買い付けを行えば、仕入れ値の利益を載せても安く売ることができ、安ければ客が買ってくれるということになるが、間に問屋を入れるようになると、これも小売値が高くなり、売れなくなる。

 

趣味で購入したものは、一生、持ち続けるか、誰かにあげた方がよほど良い。