近所のスーパーに行くと金髪に染めている小学2、3年生を見かけることが多い。両親、弟妹もメッシュやハイライト、あるいは髪の毛の一束のみ長くしている。まさか子供の方からこうした髪型を望むことはないし、かなり費用もかかるので、親の要望によるものだろう。子供にしたいファッションをさせているだけだという論理で、校則もない小学校では先生からも文句は言えない。
SDGSの流れの中でも、自由という概念が拡大解釈され、なぜ、子供が化粧していけないのか、髪の毛をパーマにしてはいけないのか、金髪にしてはいけないのか、はてはなぜ、ピアスをしてはいけないのか、タツー(刺青)をしてはいけないのか、自由じゃないのかという。この論理の問題点は自由の解釈をどこまでにするかという点だ。小学生の子供に金髪させている親は、子供が中学、高校生になってピアスを入れたい、刺青を入れたと言われても反対できないし、もちろん勉強をしたくない、学校に行かない、さらに働きたくないと言われても何も言えないだろう。
先日のニュースでは、全国学力テストの結果が昨年より相当悪く、その理由としてスマホのやりすぎと、学校生活が楽しければ、良い成績を取ることにはこだわらない親が増えていることを挙げていた。親の世代がいわゆるゆとり教育を受けた世代で、子供が健康で、楽しければいいと考えている。中国や韓国の受験戦争が凄まじくなっているが、日本では逆の方向に進んでおり、このままいくと公立学校では校則などで生徒を処罰できないので、なし崩しに自由になっていくだろう。私立中学校では校則に厳しく、私のいた六甲学院では、親が学校の方針に文句を言えば、校長は即、ならばやめてくださいと一言で片付けていたし、実際にやめる子供もいた。これは今でもそうで、もし東京の有名私立小学校、例えば、学習院で子供が金髪に染め、注意しても直さなければ退学となろう。
子供に勉強しなさいと口酸っぱく言わなければ、大抵の子供は勉強しない。テレビ、ゲーム、音楽、ダンスなどもっと楽しいことはいっぱいある。もちろんこうした子育てはそれでもいいが、一方、こうした子供に影響されたくない親は、勢い子供を私立の学校に入れようとする。そのため東京、大阪では公立中学校と私立中学校では生徒の質が異なり、ある意味この段階で差が出てしまう。良い成績を取ることにこだわらない親は公立中学、そうでない親は中学受験を目指すことになる。ドイツでは10歳になると、大学に進むためにはギムナジウムに、そうでなければ基幹学校、実科学校に進むかを決める。同じようなことが日本でも起こっている。
中国、韓国の親は、子供を自分より金持ち、幸せになってほしい、そのためには勉強して、いい大学、医者になってほしいと、子供の頃から塾に行かせ、尻を叩いて勉強させている。それに対して、日本では、勉強なんかするな、学校が楽しくて、健康であればOKという親が増えている。このことはある意味、勉強しなく、学歴がなくても、そこそこの生活ができ、あえて勉強をして大学に進学する意味がないと言える社会となっているのだろう。成熟社会になるにつれ、ホワイトカラー>>ブルーカラーという図式が少なくとも給料面では差が少なくなっており、むしろホワイトカラー>>ホワイトカラーというように、同じホワイトカラー間で給与差は大きい。少し不思議な社会になろうとしている。