先週、神戸で中高校の同窓会があった。卒業生170名のうち80名くらいが出席した。おおよそ半分の出席率で、これは高い。卒業後50周年記念同窓会は、実は昨年開催する予定だったが、幹事がいなくて今年になった。若い頃はあまり同窓会に参加するのは苦手で、ほとんど出席したことがなかったが、確か20年前の30周年記念同窓会に参加して楽しかったので、その後は東京在住者の同窓会にも参加するようになった。
今回は、卒業以来初めて来た同窓生もいて、久しぶりの再会する人もいて楽しかった。胸に名札をつけてもらったので、まあまあ思い出した。一学年、四クラスの170名の学年だったので、必ず同じクラスになっていて、学生当時はほぼ全ての同窓生を知っていた。ただ当時でも友人関係の濃度差があり、あまり親しくなかった人がいて、大まかにいて20名くらいはよく知り、思い出も多い友人で、40人くらいはまあまあ知っている知人、それ以外は学生中もあまり話したこともない同窓生である。
あちこちをまわりながら少し話すという感じであるが、50年分を一気にしゃべるので、凝縮した内容となり、いきなりハードな話となる。病気自慢では大腸がんになった、乳がんになったという話から、嫁が亡くなって寂しい、娘が離婚したという深刻な話となる。こちらも大阪人の習性で、同じくらいのインパクトのある話を探すことになる。幸いと言ってはなんだか、私の場合、腹部大動脈瘤の大手術をしたので受け答えができる。何人かの親しい同級生は高校生以降もバンドを作ってライブハウスなどで活動している。今やアマチュアの年配のバンドが演奏をする場所も多く、楽しそうで、羨ましい。またボランティア活動を一生懸命している友人もいて、まだまだ何かやれるかと勇気づけられる。
あと気づいたのは、久しぶりに会う友人とは自然に握手してしまう。場合によっては右手で握手をして左手で相手の肩を叩く軽いハグをすることもある。まるでアメリカ人であるが、けっこうそうした場面があった。よく考えると同級生の多くは海外で仕事のため生活した経験を持つので、自然にそうしたことになるのだろう。卒業後、スペインに11年、メキシコに10年、中国に5年とほとんど日本にいない友人もいた。さらに不思議なことは、三次会で隣に座った同級生、茶髪で長髪の同級生が全く思い出さない。そこで正直に「全く思い出せないのだが」というと、高校一年生の時に学校の方針が嫌で転校したという。同窓会の二次会からであるが、転校生も参加していたのである。彼は転校先の関学の同級生とも飲むようで、学校は嫌いだが同級生は好きということで今でも六甲の同級生とよく飲む。まあこの歳になれば、そんなことはどうでもよく、その夜も友人が勧めるSMバーで楽しく飲んだ。
男子校の同窓会というと、もちろん女子はいないので楽しくないというが、ある程度、歳をとると、なんでも言える同級生がありがたい。各々会社人間であった頃は、会社での上下関係があり、呼び捨てで呼べる人は少ない。まして会社での地位が上がると、同年輩でもなんでも話せるわけにはいかない。まだ30、40歳の頃は仕事関係で同級生と付き合うこともあろうが、極力、なんでも言える関係を保つために、仕事関係の話はしないようになる。ただ例外は、同級生に医師がいる場合、何かあると同級生に中から今の症状にあった知人に連絡する。20人くらいいるので、診療科別に誰かに相談できる。
みんないうのは、これから残り10年、元気なうちに楽しくやろうということになった。確かにいつ病気するかも知れず、元気なうちやりたいことをすべきであるが、SMバーはないと思った。個人的には一番金のかからない趣味は、小説を書くことで、今のところ歴史小説、「須藤かく、阿部はな」に関する小説を書いて、何かの投稿サイトに出そうと思っている。数年は楽しめる。来年、福岡でサッカー部の同窓会をすることが決まった。