2009年2月22日日曜日

日本の矯正歯科教育の問題点



 以前、歯科教育の危機的状況についてお話しましたが、同様に歯科矯正教育についても問題が山積しています。矯正歯科は専門性が高いため、大学卒業後に矯正科に残ってそこで臨床を学びます。欧米ではだいたい2、3年のコースがもうけられていて、応募者も多く、人気の高いコースです。

 基本はとにかく患者を多く見させ、文献を読ませて、その道のスペシャリストになる教育がなされます。アメリカなどのでは授業料も高く、年500万円ほどかかるため学生もローンをしながら勉強しているので必死です。2年間で100名ほどの患者が配当され、卒業生のベテランの矯正医の協力を得て、色々なテクニックが学べるようになっています。また患者も開業医の半分以下の料金で治療してもらえるので、いつも患者も多いようです。

 ひるがえって日本ではというと、ある歯科大学の年間新患数がわずか80名くらいと聞いたことがあります。料金が開業医並みか場合によってはそれより高く、土曜日や夕方もやっていないのでは、わざわざ大学病院で治療をと考える患者さんも減っているのでしょう。以前は大学病院での治療を信奉していた患者さんもいましたが、今や実態に気づいているひとも多くなりました。

 一方、国立大学では大学院大学になったため一定数の大学院生の確保が求められますので、今や私のような叩き上げは存在せず、みんな大学院生でしか入局できなくなりました。ある大学では大学院生が31名もおり、いくら教員で大学院生の研究をカバーして指導するとしても相当きついと思います。またこれらの大学院生の多くは認定医の取得を目指していますので(100名ほどの患者をみる実績が必要)、それなりに患者数を配当する必要があるのですが、患者の減少によりそれもままならない状況です。教官以上では全く患者配当はなく、きた患者はすべて大学院生のまわすようです。

 それでも年間300名を30名に配当するとなると、ひとり10名の新患配当でこれでは、認定医の資格をとるのに10年はかかる計算になります。実際はやめた先生からの継続患者もいるわけで、そんなにはかからないのですが。ただ私のころはそれこそ卒業2.3年目で200人くらいは配当してもらっていたことを考えるとかなり少ないと思います。この傾向は大学によってかなり異なり、年間新患数が80名程度のところもあり、これを医局員全員30名くらいに配当するとなると年間3名ほどで、継続患者も入れても1年目は10名くらいの配当にしかなりませんし、患者の中には半年ごと、2.3か月ごとの患者も多く、これでは月に2,3名しかみないことになります。うちの医院では1500名くらいの患者を一人でやっているのですから、本当にひまでしょうがないと思います。

 そのため認定医の取得のために7.8年以上かかることも結構あり、大学の6年、研修医の1年、大学院の4年、その後の3年の計14年かかってようやく認定医がとれる状況です。昔なら大学6年、その後5年でとれ、なおかつ治療した患者数は数倍でしょう。非常効率の悪い指導法です。これなら卒業後にアメリカの2,3年コースにいった方はよほど力がつくと思いますし、やる気のある若い先生にはそう指導しています。

 これだけ苦労してとった認定医も、3年前からその上に専門医という制度ができ、価値も下がってきました。専門医は提出症例のカテゴリーが難しく、大体1000症例以上経験がないと症例が集まりません。試験自体難度が高いため、多くの症例の中から選りすぐったものを出さなくてはいけないからです。そうなると矯正専門で開業しても年間50名としても20年かかる計算になり、ハードルが本当に高くなり、合格者数も初年度は150名、次年度は80名、昨年は25名くらいと受験者数、合格者数もどんどん低下しています。すでにギブアップしている先生も多いようです。

 この解決法としては、大学医局も患者数にあった入局定員の削減と、治療費の大幅な値下げがあると思います。通常考えても、美容学校の生徒にうけるパーマと町のベテランの美容師に受けるパーマの料金が同じか、かえった前者の方が高いということはありえません。美容学校の生徒さんのモデルはほとんどタダで募集していることを考えると、大学医局で新人に治療してもらう時は相場の1/3か1/2くらいにすべきです。当然助手以上の教官に見てもらうときは値下げする必要はありません。

 ただ国立大学では独立採算制がとられ、自分たちが使う金は自分で稼げということになっており、治療費をそう値下げすることはできません。一方、最大の金食いの人件費についてみると、フル講座では教授1名、准教授1名、講師1名、助教6名となっており、患者数や生徒数に対して人数が多すぎます。座学が中心である現状では、教育に対する要員は2、3名で十分であり、その他は研究者としての人数です。昨今は、優秀な論文が英文で書かれることも多いのですが、反面基礎研究の分野のものが多く、臨床のものが少なくなっています。こういう状況であれば、わざわざ臨床系の講座で研究要員を確保する必要はなく、基礎講座の枠を増やすべきです。欧米では、講座の常勤の職員は少なく、OBが週に何時間かを教えています。ほとんど無料のボランティアで、若い医局員はベテランの臨床医のテクニックを学ぶことができ、またベテランの先生も若手の教えることが生き甲斐になっているようです。臨床教授といった名前を与えさえすれば、日本でも開業医の先生は無料で母校に喜んで教えにいくと思います。ずいぶん前からこのことは大学の関係者に言っていますが、未だに大学関係者のプライドが高く、実現していません。

2009年2月20日金曜日

日本臨床矯正歯科医会2月例会



 2/18,19の両日、東京で行われた日本臨床矯正歯科医会の例会に出席してきました。この会は、日本の矯正専門医が集まった会で、現在500名ほどの会員がいます。上位団体としては日本矯正歯科学会があり、この団体は約6000名の会員がいますが、純粋に矯正専門で開業している会員は少なく、むしろ一般歯科で矯正に関心のあるひとが多いと思います。そういった意味では日本臨床矯正歯科医会は、純粋に矯正専門で開業している先生の会ですので、会員の目的や考え方も一致して、いつ行っても多くの刺激を受けます。矯正臨床で有名な先生も多く所属しており、勉強になります。

 今回の例会では、3つの講演会がありました。ひとつは「矯正歯科の日常診療の中に潜むアクロメガリー(先端巨大症)」と題して、東京女子医科大学の堀智勝先生と肥塚直美先生の講演がありました。成長ホルモンの過剰は心血管の肥大、糖尿病、高血圧と合併することが多く、早期発見、早期治療により心疾患や脳血管障害を予防できるとのことです。鑑別には成長ホルモンの分泌を調べるこことになりますが、特徴的な顔貌を示し、かみ合わせの異常も伴うため、矯正歯科の患者の中にも治療時に発見されることもあるようです。発症から確定診断まで平均で9年もかかるようですので、早期に発見することが重要なわけです。

 二つめは、民社党の櫻井充議員の「歯科医療が日本を変える」という講演でした。櫻井議員は私と同じ歳で、仙台一高の卒業生なので、私の大学の同級の何人かも彼の運動に参加しているため歯科医療の現状について政治家としては最も精通しています。アリコなどの外資系医療保険会社は、だれでも年齢を問わず、過去に病気だったとしても、安い保険料で治療を受けることができるとTVでうたい、多くの顧客を得ています。何も知らないひとにすればこれほどいい保険はないと思われるかもしれませんが、日本では国民健康保険という世界で最も優れた保険があり、はっきりいってこれ以外の保険に入る必要は全くありません。心臓移植すらも保険で受けられる国はほとんどなく、どんな貧乏なひとで基本的には医療を受けられる制度になっています。現状ではさまざまな問題点もありますが、それでも民間保険が主であるアメリカとは比較にならないほど恵まれた環境です。小さな政府、自由主義化はアメリカの陰謀であり、こういった外資系の保険会社は日本の保険制度を破壊して、アメリカのような状況にしたいと画策しています。医療も民間に委託した方が効率的であるといった考えは、ソビエトの崩壊に伴う社会主義的な考えの否定とともに発展してきましたが、教育と医療はすべての国民が受ける権利を有する基礎的なものであり、これは利益を求める企業と相容れないものですし、広告費や人件費などでかえって医療費の増大を生みます。一方、政府は財務上の問題から医療費の削減を求めましたが、老人が増え、医療サービスも増えた現状では、医療費の増加は必然的であり、さまざまな制度上の改革、例えばリハビリ日数の制限などは、すべて失敗しており、かえって前の方がよかったと思われるものばかりです。櫻井先生の講演ではこういったことについてくわしいデータを使って説明いただきました。

 三つめは、岡山大学の山岡聖典先生による「低線量放射線の健康への影響と医療への応用」と題された講演がありました。放射線と言えば、怖いイメージしかありませんが、低線量(0.2シーベルト)以下の放射線は、生活習慣病や老化の予防、症状緩和の可能性があるようです。このような微毒は毒を征して益を成す効果はホルミシス効果を呼ばれており、有名なのはラドン温泉の効果です。ただこれについては反対派も多く、少量の放射線も体に有害であるといった運動を展開している一方、原子力関係の企業は低線量の放射線は益もあるとしていて両者の考えは平行しているようです。当然、原爆といった強力な放射線は体に悪いことはわかりますが、線量と害との間にしきい値があるかといった点に違いがあるようです。低線量の効果を認める派はしきい値があり、それ以上の線量になれば害があるが、それ以下では逆に益もあると考えますが、しきい値はなく直線関係ととらえる派はいくら低線量でも害があるとしています。どちらが正しいか私にはわかりません。ただ日常でも我々は放射線をいつも浴びていて、放射線被曝量としては年間2ミリシーベルトになります。私のところでも毎年定期検査ではレントゲン写真を撮影します。パントモ写真は日常の被爆線量の2,3日分、セファロ写真で1週間分くらいと思います。また首から下は、防護服を着せますので、放射線の影響を受けやすい内蔵部では1/100の線量になるため、これはほとんど影響がないといってもいいのではないでしょうか。患者さんの中には、レントゲン撮影を極度に恐れ拒否される方がいますが、そういった方は飛行機にも乗れません。10000mの高空では地上の100倍ほどの放射線被曝になるからです。ただ最近ではCTの普及により、ちょっとしたことでもCTをとる傾向があり、以前、ある学者が歯の根っこの治療を立体的にみるために歯科用CTの開発研究をしていましたが、これはちょっとやり過ぎと思います。CT一回の被曝量は日常の被爆線量の数年分にあたる量であり、歯科用のレントゲンと同じ尺度では論じられません。歯科でもインプラントをする先生は、CTで撮影しておかないと、何かあって訴訟された場合負けるといって、2000万以上する機器を買う先生もいますが、一旦買うと人間は使いたがるもので、過度の使用になる危険性を有します。同様なことは医科でも多くあり、世界一CTの高い日本では、あまりに容易にCT撮影が行われているきらいがあり、注意が必要かもしれません。国民が医療事故を警戒し、それに備えて医者は過度の検査を行い、それがまた体に害を与えたり、医療費の高騰を招くといった悪循環がおこる可能性もあります。

いつもこの時期を利用して、東京に住む高校のサッカー部の友人が集まって会うことにしています。昔は高校の同級生と飲もうという気持ちもあまりありませんでした、この歳になるとこれほど愉快で、楽しい集まりはありません。

2009年2月8日日曜日

北欧陶器3




 一番上の写真は、スウェーデンのGustavsbergのWilhelm Kageのデザインしたケーキ皿です。コーゲはグスタフベリの黄金時代を築いた作家で、その作品は今でも人気があり、多くのコレクターがいます。ただかなりごつい感じのものが多く、我々日本人にはどうもしっくりきません。この皿は、いわゆる作家名の入ったスタジオものでなく、大量生産されたプロダクトものです。写真では真っ白な下地にきれいな四色のラインが入っているように見えますが、実物はややグレーがかった下地で、色も退色したのか、かなりくすんだ色です。色の交差したところのにじみもあまりきれいではありませんが、かえって手作り感があるように思えます。

 二番目の写真は、同じくグスタフベリの女性デザイナーKarin BjorquistによるTea Rodシリーズのケーキ皿です。下地は写真のように真っ白で、コーゲのものに比べて明らかに違います。ただ赤のラインは写真ほどは鮮明ではなく、実際のものは少しくすんだ色をしています。

 両者とも販売は1950年ころで、いつまで製作されたのかわかりませんが、とてもモダンなものと思います。当時でも多くのプロダクトものはシールを張って、窯焼きする方法がとられ、手書きのものはすくないようです。手書きで、大量生産、安価で販売するためには、できるだけ、シンプルなデザインが必要で、これは伊万里焼や朝鮮の陶器なども庶民の使う大量生産品では同様な手法が用いられています。シンプルなデザインは、そのもの自体、暖かみがないのに、それをプリントであまりにきれいな直線で書かれては、何かおもしろみを感じません。それに比べてこれらのお皿は線自体が微妙に歪んでいて、私はこういった人の手が入っている感じのものが好きです。同じ手書きといってもマイセンやヘレンドといった高級品とは対極なものです。どちらもオークションで買えば1000-2000円くらいで買えますので、普段使いの食器に使えると思えます。将来娘にやろうと思っていますが、未だ興味はなさそうです。

 最後のものは、有名なロイヤルコペンハーゲンのメガシリーズです。ロイヤルコペンハーゲンの伝統的な模様の一部を拡大してデザインしたもので、人気のあるものです。皿の裏のシリアル番号も拡大されていて、茶目っ気があります。これも上の2つのお皿と同様、デザインを簡略したお陰で、すべて手書きながら、大量生産でき、なおかつ安価で製作できるという発想があったのでしょう。手作りのよさとモダンが融合した作品になっています。日本の陶芸作家イイホシ ユミコさんの作品も、スタジオとプロダクトもののよい点を持ったすばらしいものです。

 マイセンやヘレンドのような高級食器のオールドのものは、美術品としてバブルの1980年ころから売買されていましたが、北欧のオールドの陶器に脚光が浴びてきたのはここ10年くらいだと思います。茶器の世界では、日本でも古いものが珍重されており、朝鮮李朝の陶器なども民芸運動に乗り、好事家にはもてはやされましたが、戦後は古いものは顧みられず、古くなったら捨てるという文化が根付きました。とくに食器ではひとが一度使ったものを使うのは汚いというひとも多く(私の家内もそうですが)、なかなかこういった古いものは理解されません。ただ古いものは、それがあるだけで、すぐに住宅環境になじむ効力があり、落ち着きを持ってきてくれます。新築の家でも古いものをいれるだけで、よそよそしさが薄らぎます。青森県の新築の家を紹介した雑誌などを見ても、絨毯から家具すべて新しく、こんな所に住んでいても落ち着くのかなあと思ってしまいます。新しいものの中に古いものを入れることで、随分生活に潤いがでると思います。絨毯なども日本ではシルクの新しく、豪華なペルシャ絨毯が売れるようですが、あれはドバイの富豪には似合っても日本では全く合いません。

 北欧ということで、最近気に入っているアルバムはスウェーデンの女性JAZZボーカリストMARAGARETA BENGTSON「I'm old fashioned」。美しい声です。深夜に酒を飲みながら聞くには、いいアルバムです。Ituneストアーでも試聴できますので、聞いてみてください。録音もよく、いいオーデオで聞くといいでしょうね。安いオーディオセットで聞いてもそんな想像をします。

2009年2月6日金曜日

山田兄弟19



 中国第二革命で殉死した櫛引武四郎の祖父に当たる儒者櫛引錯斎(儀三郎)の碑があると知り、昨日弘前の最勝院に行ってきた。今年の冬は雪が少ないが、それでも五重塔の横にある碑のあるあたりには雪が多く積もっており、近くまで進むことはできなかった。そのため碑文自体は読めなかった。雪が溶けたらもう一度行ってみたい。以前は最勝院の東にあったそうだが、その後整地され今では棟梁堀江佐吉の碑のあたりにその他の碑とともに集めれている。

荒井清明著「弘前今昔 第五」(84-87,1998 北方新社)から引用する。

「櫛引儀三郎は文政三年(1820)に2月1日に櫛引左門の三男として代官町に生まれた。儀三郎二歳の時に父母を失い、祖母に養育された。三十俵五人扶持で、祖母が病床に臥してからは貧困を窮め、鷹匠町小路に転居した。家計は苦しかったが、儀三郎は山で薪をとり、米をついて家事を手伝いながら、学問をした。やがて藩校の稽古館の典句に採用され、その後学問が認められ、十二代藩主津軽承昭の時代の慶応三年(1867)に稽古館学士・碇ヶ関町奉行格となり、藩主の侍講ともなった。」

 外交官の珍田捨巳も子供の頃、この櫛引儀三郎について修行を積み、後に珍田は「先生は儒者としての、識見の高いのはもちろんだが、権力にこびることはせず、名誉や金銭にもてんたんとした高潔なお方だった。何事にも、真心をもってあたり、近世まれにみる偉い人だった」と評している。本多庸一、菊池九郎、木村静幽、一戸兵衛なども稽古館での櫛引の教え子だった。当時、弘前には私塾「思斉堂」の工藤他山と「麗沢堂」の兼松石居、それと藩学校の稽古館の櫛引というすぐれた教師が同時にいたことは、その後の弘前から偉大な人物を生んだきっかけとなった。漢文というと私たちには受験科目のように思われるが、当時のそれはおそらく思想的な教えであり、人間としての生き方、社会への貢献など古典を通じて、それ以上に先生の生き方を通じて学んだと思われる。そういった意味では、幕末にこのような3人の偉大な教育者が津軽にいたことは、若い生徒には大きな刺激となったであろう。

 櫛引儀三郎には五男一女があったが、長男英八は五所川原村会議員、県会議員を勤めたことは前回記した。二男の峰次郎は工藤家に養子に入り、工藤家を継ぎ、後に衆議院議員などを勤めた(工藤行幹 ゆきとも)。また三男謙海は仏門に入ったが19歳で死亡し、五男秀五郎も18歳で死去した。四男は晴四郎は桑村家に入り、長女は蝦名家に嫁した。櫛引英八の長男が武四郎で、次男?の純二郎によって大正10年に「錯斎先生言行録」が発刊された。純二郎は化学の方に進み、大正10年より同14年まで東北帝国大学金属材料研究所助手を勤め、14年または15年に亡くなった。長男武四郎は39歳で中国で、次男純三郎も志半ばで亡くなったのであろうか。

櫛引儀三郎は明治4年には隠棲し、羽野木沢村(五所川原市)で農業、養蚕に従事して、明治12年12月に60歳で没した。そのころの津軽の儒学がどのようなものであったか、不明であるが、山鹿流が中央に隠れてこっそりと津軽藩では重んじられていたことや幕府で禁書扱いされた山鹿素行の『聖教要録』を出版するなど事実から、案外陽明学の流れをくむものかもしれない。知行合一を唱える陽明学ほど江戸期における危険思想はない。3人の津軽の生んだ儒者がどのような教育がしたのか、陽明学的なものであったか、興味がつきない。異郷の地で中国革命のために倒れた山田良政、櫛引武四郎も、このような津軽の儒学教育のもと陽明学の影響を受けているかもしれない。

2009年2月2日月曜日

津軽打刃物





 ロータリの会員の吉澤さんに注文していたナイフがようやく出来上がりました。すべて手作りで鉄の鍛錬から延ばし、成形、研ぎ、仕上げまで一人でやっていて、おまけに営業までやっているようで、大変忙しい中、作ってもらい感謝しています。

 津軽の包丁、ナイフといっても地元もひともほとんど知られていません。医院の近くに鍛冶屋があって、包丁を作っており、東京の三越で売っているといった噂は聞いたことはありますが、どんなものか、地元のデパートにも置かれていませんのでわかりませんでした。ところが昨年、津軽塗とともに津軽打刃物がなんとJAPANブランドに選ばれ、これは日本の名産品を世界中の発信するというプロジェクトですが、この1月末にもパリで展覧会が行われました。日本を代表する工芸品に選ばれた訳です。

 もともと吉澤さんのところも藩祖津軽為信のころから300年以上日本刀を作り続けていた名家でしたが、明治以降日本刀が全く売れず、ほそぼそと作っていたようです。今でも主たる製品は建築用の鉄鋼製品だそうです。今や日本中の多くの鍛冶が廃業しましたが、ここが津軽のすごいところですが、何軒かは今でも鍛冶家が残っていました。このうち3人が「情張鍛人(じょっぱりかぬち)」というグループを作り活動し始めました。

 ご存知のように津軽はリンゴ王国で、その栽培には多くの手間がかかりますし、木の選定や枝切り、摘み取りなどに多くの刃物が使われます。プロの農家は、こういった刃物の今でも鍛冶屋に頼むため、何とか今でも鍛冶屋が存続できた訳です。僕たちが治療に使う刃物も1本が2、3万円しますが、プロが使う道具は長年使えて、機能が優れていなくてもいけません。農家にしても安価な刃物より切れなくなれば、研げるようなものを利用するのです。


見ていただければわかると思いますが、暗紋・積層鍛という独特の文様が入っていて、非常に美しいものです。なんだが縄文を連想させるような文様で、あまりこうした刃物は見たことありません。切れ味もばつぐんで、特に木はよく切れます。さきほど鉛筆を削っていましたが、あまりきもちよく切れるので、丸裸になってしまいました。ただ用途は違うのか野菜や肉を切るのは包丁の方がよさそうです。それより眺めているだけで美しいと思いました。ちょうどもうひとりのロータリーの会員が包丁を買ったので、見せてもらいましたが、刀紋もありもろ日本刀でちょっとこわい感じがしました。

 パリの展覧会を通じて、欧米のひとにももっと知ってほしいと思います(http://japanbrand.sdigrp.com/expo/jp/list3.html)。うれしいことに吉澤さんのところにも若いひとが弟子入りし、がんばっています。これからも伝統が続いてほしいものです。多くの製品がありますので、ホームページを見てください(http://www.t-ironworks.jp/introduction/nife.html)。値段は書いていませんが、上の写真の小さい方で12000円、大きい方で15000円くらいだったと思います(間違っていたらすいません)。注文を受けて製作することが多いため、納期は少しかかると思います。

2009年2月1日日曜日

歯科教育の危機



 6年間歯科大学に行って、無事卒業し、国家試験に合格しても、全く歯科治療ができないと言うと、驚かれる方も多いと思いますが、これは事実です。
 
 親父が学生だったころ(60年前)は、患者さんを実際にみる実習にかなりの時間がさかれていたため、卒業した時点では一般的な治療はほとんどできたそうです。強者は学生時代に歯科医院にバイトに行き、生活費を相当かせいでいたようです(もちろん当時でも違法ですが)。国家試験も実際の患者さんに治療をしてそれを試験官が評価するというものでした。

私の時代(30年前)では、6年生になると患者さんを配当され、入れ歯は何ケース、差し歯は何本、詰め物は何本という風に課題があり、それをクリアーしないと卒業できませんでした。国家試験もさすがに実際の患者さんを見るということはなくなりましたが、ペーパー試験以外にも抜いた歯を用いての実習試験がありました(昭和58年から廃止)。卒業すれば、そこそこ治療はできました。

 今はどうなっているかというと、これはいろいろな研修医から聞いたことですが、基本的には6年間の歯科大学では患者さんには一切ふれないようで、あくまで見学が主体です。国家試験から実習試験はなくなり、6年生の一年間はほぼ国家試験の勉強が中心です。入れ歯も実際に作ることはなく、ビデオをみておしまいで、ほとんどの授業は座学です。

 こうなった訳は、国家試験も通っていない学生が治療して何かあればどうするのかという責任問題が関連しています。そうして国家試験合格後、1年間研修医として大学病院や私のところのような研修機関で研修を受けます。ただ開業医にしてみれば、一度も患者さんに見たことがないドクターに治療させるわけにもいかず、ここでも見学が主体となります。その後、開業医に勤めるわけですが、今や開業医も飽和状態で、勤め先も限られ、給料も安く、医院の掃除などもさせられるかわいそうなドクターもいる始末です。

 アメリカの歯科大学は、優秀な臨床医を作ることを教育の主眼としているため、今でも実習中心の授業を行っています。一般歯科より相当安い治療費のため、患者さんも多く、朝から晩まで学生は患者さんの治療をしています。ヨーロッパやアジアの諸国も同様です。

 歯科は医科と違い、実際に手を動かし治療することが大切です。歯科大学の多くはもともと専門学校から昇格したもので、ある種の技能をそこで学ぶためのものでした。今の歯科大学は、美容学校に行っても、実際に一度もカットしたこともなければ、シャンプーもしたこともないと状況と同じです。

 こういった歯科教育の危機的な状況に関しては、マスコミも歯科界でもあまり関心はありません。ひとつには歯科医も「若手には臨床はまだまだ負けない」と臨床のできない歯科医をライバルが減るという理由で歓迎しているむきもありますし、歯科大学も大学の存続自体が危なくなり、臨床のできる優秀な歯科医を育てるより国家試験に合格させることを目標にしたからです。また厚労省や文科省も国家試験の合格していない学生に患者を見させて、問題があれば自分たちの責任になるのを回避したいですし、これは大学当局も同様です。結局、教育に関わるすべての機関が責任を回避しているのです。

 さすがに平成21年1月30日の文科省有識者会議では、歯科医師国家試験での実地試験と臨床実習の患者の協力が得られない歯科大学の定員削減を提唱しています。もはや新卒歯科医の臨床能力低下は座視できない状況にきているのでしょう。また大学よっては患者数の激減が深刻で、ある矯正科では零細なうちより患者数が少なく、それを20名を超える医局員でみているわけですから、なかなか臨床を学ぶチャンスが少ない状況です。歯科大学の定員削減もまた避けられない状況です。