2016年9月20日火曜日

最近の歯科治療 雑感



 保定中の患者さんの中には、高校卒業後に県外、主として東京の大学に進学する人がいます。夏休みや冬休みに帰省した折に来院するようにしていますが、こうした患者さんを見ていると、ある変化に気づきます。女の子の場合、化粧や服がおしゃれになり、きれいになること。口の中での変化では、金属のインレーやクラウンが白いものに変わっています。患者さんに聞いてみると、小さな虫歯があると思い、東京の歯科医院を訪れると、虫歯も治す必要があるが、金属は目立つので他の歯も白くした方がよいと言われる。田舎の子はこうした状況で断固に断れないないので、お願いしますと言った結果、金属のインレーやクラウンは硬質レジン、セラミックになります。当然、こちらでもチェックしているので、インレーやクラウンに二次カリエスなどはありません。確かに小さな虫歯1本で治療を済ましたのでは、すぐに終わってしまい、少しでも診療報酬を増やす手段として、金属を除いて、レジンやセラミックに変えることを勧めるのでしょう。あまり意味のない行為で、こうしたことは治療している歯科医自身が最もよく知っていますが、経営上、こうなるのでしょう。

 当院でも以前は、第一大臼歯のほとんどがインレーやレジン充填がなされていましたので、大抵は矯正用バンドを使っていましたが、最近はほとんど患者さんで虫歯がないため、大きなパッドのダイレクトボンド用チューブを使っています。人生始めての歯科が矯正歯科という患者さんも多くなってきています。昔、仙台の小児歯科にいた時、東京の小児歯科専門医では乳歯列の患者さんのうち半分以上の患者さんに虫歯がないと言われて驚いたことがありましたが、今では小児だけでなく、学童も同じ状況になっています。こうした患者さんは大人になっても、よほど食生活が激変しなければ、虫歯のほとんどない状態なのでしょう。

 うちの大阪の伯母さん、といっても80歳以上ですが、すべての歯がまだあるのですが、下の左第一大臼歯が痛くなったというので、近所の歯医者に行ったところ、歯の破折があり、抜歯しなくてはいけないと言われました。最近、非常に多い抜歯理由が、この歯の破折です。歯髄をとった歯では歯がもろくなり、また加齢により破折しやすくなります。そこの歯科医では第一選択としてインプラントを勧められたようで、その時点で私の方に電話が来ました。年齢的にはインプラントが勧めにくく、ノンクラスプデンチャーという一本義歯を勧めました。この年齢になれば歯が1本なくても何とか慣れ、食事に困ることはないと考えたからです。どうしても慣れない場合はインプラントやブリッジなどの固定式なものにすればいいのです。

 私は矯正歯科専門医ですが、クインテッセンスなど一般歯科雑誌もよく読みます。こうした雑誌を見ると、雑誌の性格上、かなり過剰診療気味の症例が多く見られます。矯正歯科医の目で見ても、明らかに外科的矯正の適応を一般矯正と補綴で治しているケースがあります。論文には必ず外科的矯正の話をしたとのエクスキューズがありますが、こうした治療の選択権の多くは歯科医師が持っています。歯科医師自身がはっきりとした診断と治療経験を持って外科的矯正を勧めれば、患者はそちらを選択するものですし、どうしてもそれ以外の治療法を患者が選択する場合は、断ればいいのです。逆に下の前歯にでこぼこがあれば、必ず矯正治療をしています。下の前歯のでこぼこについての矯正治療は簡単ですが、それを長期にわたって維持するのは大変です。下の前歯をきれいに並べることが歯周疾患の予防にどれほど役立てているか、はっきりしません。

 こうした雑誌に載る症例では、健全な歯もすべて抜髄して、大掛かりな補綴処置をしているケースをよく見ますが、後10年もすれば、どこかの歯が破折して、またインプラントということになるのでしょう。治療費に数百万円かかっても、それは個人の判断ですが、私自身の考えからすれば、適切な応急処置で済ませ、生涯にわたっておいしく食事をとれるようなすることがより重要と考えます。そのためには患者の性格、年齢、生活を知った上で、多彩の選択肢の中からプロとしての最良の選択を勧め、経年的に対処していく歯科医を尊敬します。こうしたかかりつけ歯科医を見つけることは老後の生活には必要です。


2016年9月15日木曜日

アニメ映画”君の名は”



 新海誠監督のアニメ「君の名は」、評判が高いので、見に行って来た。55歳以上は1100円なので、おじさんの暇つぶしには映画はいい。平日の午後一番の上映で20-30人、入っていたので、最近の映画ではヒット作であろう。昔、「坂の上のポニョ」を見たときは、観客が私一人であせったことがあった。

 内容は、ずばり傑作である。今後、海外での上映も控えていることから、興行収入はかなりいけそうで、個人的にはジブリの上位作品、「となりのトトロ」、「天空の城ラピタ」あるいは今敏監督の「千年女優」級の作品で、これだけ、日本アニメファンが世界中に広がっていることから、今後上映される海外でもヒットすることは確実であろう。

 なにしろ細部のかき込みが凄い。人物は従来のアニメ表現を踏襲しているが、背景、景色のかき込みがジブリ作品をはるかに凌駕しており、それがまた美しい。写真ではないかと思えるほどで、一部、実写にアニメは迷い込んだような違和感を感じるほどである。こうした凝り方は監督が若くなくては無理であろうし、男女、それも高校生の恋愛の表現は、アメリカのアニメとは全く異質であり、日本特有のものである。こうしたいかにも日本らしいアニメは海外では受けないとされてきたが、もはやピクシーやディズニーアニメとは違うファン層が形成されている。

 上映前にLサイズのコカコーラを飲んだせいか、上映途中からトイレに行きたくなり、急いでトイレに行ったが、終盤の2、3分を見過ごした。結構いい場面で、残念である。これは全体にもう一度見ないといけない。名作「ある日どこかで」も一度は完全に見たが、内容を十分に理解できず、二度目は深夜放送で途中寝てしまい、三度目も同じく深夜放送で違うシーンで寝てしまい。しまいにはビデオを買って、最後までようやく見ることができた。さすがにもう一度映画館には行かないと思うが、少しネタばれになるが、主人公の二人の3年間のタイムラグがどのように再現されているか、例えばIphoneの機種などチェックしてみたい。

 記憶、それも顔、風景の記憶はじつにはかない。高校生のころ、阪急塚口駅で毎朝会う背が高くてスリムな女子中学生に恋したことがあった。卒業後、数年してたまたま電車で彼女に会い、彼女も気づき、声を掛けようとした瞬間に走って逃げられたという苦い思いがある。現実は、映画のようではない。それでも数年は夢に中にもはっきりと顔を思い出せたが、10年たち、20年たち、40年以上経つと、セーラー服を着た漠然とした姿は思い出せても、肝心の顔のイメージがでてこない。一枚でも写真があれば、記憶を随時補強することができるのであろうが、そうした媒体がなく純粋の記憶というには案外もろい。大事な人を想っていても、年月は記憶を風化させ、これは悲しいことであり、写真のなかった昔の人が肖像画を作ったのはこうした記憶の欠点をよく理解していたのだろう。写真、携帯電話のメール、声の記録などがなくなってしまい、唯一、字(手紙)のみが残った状況での記憶の曖昧さと記憶がなくなる悲しみを、この映画はうまく表現している。

この映画は確実に海外でもヒットするであろう。映画では日本の都会と田舎の美しい風景を描いていて、これを見て日本に来る観光客もますます増えるであろう。

2016年9月14日水曜日

矯正治療のスタンダード

昨年11月に行った時の熊本城、一刻も早い復興をお祈りいたします。


 青森のような田舎でも、海外から来たり、あるいは海外にいく方も結構います。当院の患者さんでも、アメリカに留学、転勤などで行く人や、逆にアメリカから日本に来る患者さんが合わせて10名以上います。

 まず日本から海外に行く患者さんでは、半年以内の留学、転勤の場合は、装置が入っている場合は、一旦、装置をはずし、保定装置にします。帰国後に装置を入れて再スタートします。また一年以上海外にいる場合は、英語で紹介状を書き、模型、レントゲン写真などの資料を同封して持って行ってもらいます。今はメールもありますので、メールでやり取りすることもあります。料金の清算をして、現地でいろいろな人に相談してもらい矯正歯科医を決めてもらっています。逆に海外から治療途中で青森に来る患者さんでは、全く紹介状や資料も持たずに来院される方が多いようです。アメリカ、ベトナム、イギリス、カナダ、韓国からの患者もいますが、紹介状はなく、料金の清算もなされていない場合がほとんどです。日本臨床矯正医会では転医のルールを決め、料金の清算などくわしく決め、患者さんに納得できるような制度を作っており、日本の矯正専門医でもこのルールに則った転医をしていますが、海外の専門医ではこうした制度はなく、有る意味かなりいいかげんな対応をしています。海外で治療を受ける場合は、こうした違いも十分に認識してほしいところです。

 一方、矯正器材は、アメリカ製品が多いことから、治療自体は継続性があります。ある例を述べると、私のところで1年半ほど矯正治療をしていた女の方がいました。旦那さんがアメリカに2年程留学することになったため、紹介状、資料を持たせて、アメリカの専門医を訪ねると、装置がそちらで使っているのと全く同じ製品だったため、じつにスムーズに治療の継続ができました。先日、帰国され、すでに保定装置になっていましたが、異国の地で矯正治療がスムーズに継続されたことを大変喜んでいました。

 10年程前、三沢の米軍基地を青森の矯正医と一緒に訪れたことがありました。確か、一般歯科医が3名、口腔外科医が1名、そして矯正専門医が1名いました。基地内での治療は普段、我々がしている内容と全く変わらず、そのままそこで治療しろと言われても全く問題はないと思いました。治療方法、治療器材がほとんど同じです。こうした事例は、アメリカだけでなく、ほぼ世界中同じであり、私もカバンひとつで、世界中、どこでも矯正医として開業することはできると思っています(言葉の問題は抜きに)。

 三沢基地での矯正医同士の会話は、この前出たアメリカ矯正歯科学会誌にこうした治療法、製品が出ているが、どうなんだといったことです。この雑誌は、世界中の矯正医に読まれている雑誌ですので、ほとんど時差なく、その内容を話すことができます。こうした会話を聞いているアメリカ人一般歯科医はおまえらの言っているのは全くわからないと言うのですが、これは当然で、すべて矯正専門医にしかわからないアップデイトな内容です。さらにここ30年、世界中の矯正歯科教室で若手に教えられているテキストは、プロフィットの「現代矯正歯科学」です。これが世界標準の教科書と言っても過言ありません。

 治療レベルで言うと、日本は世界でもかなり高いところにいます。もともと日本人は手先が器用な上、手を抜かないため、国際学会の症例報告でも日本から症例は高い評価を得ています。アメリカでは一日に100名以上みる矯正歯科医院も多く、ドクターを指示するだけで、実際の治療は歯科助手がするというところも多いようです。それに対して日本では患者数が少ないので、一人一人の患者の治療にドクターが直接の治療するケースが多いと思います。丁寧な治療なのです。

 若い時は、例えば、顎間関係の悪い、反対咬合、上顎前突では、アメリカではすぐに手術を併用した治療法が取られたのに対して、日本では何とか歯の移動によって治療する傾向があり、「こんな症例もアメリカでは手術をする」と少しばかにしていましたが、最近では私自身も手術を選択することが多くなりました。日本人、あるいはアジア人と欧米人の人種差は思ったほど大きくないと最近は実感しています。日本人は日本人の治療法があるといった意見にはあまり賛成しません。結局は人間に対する治療は国が変わってもそれほど違いはないものと思います。

2016年9月10日土曜日

徳島県、阿波市十二柱神社、大阪、帝塚山学院小学校?の昭和初期の写真

徳島、阿波市、十二柱神社

写真の右端の拡大

大阪、帝塚山学院小学校(昭和初期)

上の写真の拡大、みんな高価そうな外套を着ている



 写真は多くの情報がありながら、それを読み解くのは非常に難しい。それでも現在では、インターネットのおかげで莫大な情報から検索できるため、ごくわずかなヒントがあれば、読み解くことも可能となる。

 親父の遺品には多くの写真があり、親類関係の写真は大体お袋が聞いていてわかるが、子供のころの写真は説明文がないため、全くわからない。生きている時に聞けば、ものの数秒でわかることなのだが、亡くなった後で調べるとなると大変難しい。

 ここに一枚の写真がある。神社の鳥居の前で、6人ほどの貫禄ある大人と十数人の子供が写っている。板の立て札に“金参拾円 笠井巳七”などと書かれているので、神社改築工事へ寄進した人々を顕彰する催しなのだろう。神社をとりまく石柱には右から佐藤政一、笠井泰次、笠井弥平、板垣久平などの名が読めることから、Googleでかたっぱしから人名を検索するが、全くわからない。他に何か参考になるヒントはないかと見ると、画面右に“二柱神社”の字がかすかに読める。調べると宮城県に二柱神社があるが、親父、祖父が宮城県と関連することはないため、さらに検索すると“十二柱神社”に行き当たった。四国に同名の神社が数社あるため、今度はGoogle のストリートビューで見てみると、この神社は徳島県阿波市にある十二柱神社であると完全に一致した。祖父の故郷にも近く、資産ができてから故郷の神社に寄付したときに撮影したことがわかる。

 もう一枚は小学校高学年の遠足か修学旅行の時の集合写真である。6年生のときであれば、親父は大正7年生まれなので、昭和3、4年ころの写真である。昭和初期と言えば、小学校の子供はまだまだ着物が一般的で、全員が制服を着ているのがまず不思議である。さらに一学年であろうが、男子より女子が多い、これも不思議であり、公立小学校では男女半々か、男子が多いのが普通である。また生徒一人一人を見ると、寒い季節なのか、自前のコートを着ているが、どれも高価そうで、中にはショールをつけたおしゃれな子供もいる。また保護者なのだろうが、後ろにはこれも立派ななりの大人がいる。こうしたことから、どうも公立小学校ではなく、私立小学校である可能性が高い。親父の小学校が母に聞いても知らないが、大阪の小学校であったのはまちがいない。中学になると実家のある徳島に帰り、旧制阿波中学から東京歯科医専に進学する。

 ここで再びインターネットで調べると、当時、大阪の私立小学校は追手門学院小学校(大阪偕行社附属小学校)と帝塚山学院小学校の二校しかない。前者は軍人になるべき創設された学校で男子校である。するとこれは帝塚山学院小学校ということになる。帝塚山学院の創立者は徳島県出身の庄野貞一で、祖父とは同郷である。さらに“帝塚山学院物語”には「庄野貞一校長の方針で、初年度から児童の制服を採用しました。写真にあるように、男児たちは黒の折り襟の上着に半ズボン、女児たちは洋服・エプロンと海老茶の帽子を身につけています。大正時代の初め、大阪には私立の小学校は2校しかなく、公立小学校の児童たちは着物姿でしたから、この制服は格段にめずらしく、また斬新なものでした」とある。おそらく帝塚山学院小学校の遠足あるいは修学旅行の際の記念写真で、大阪の裕福な子供達の状況がわかる写真である。残念なことに誰が、親父かはわからないし、場所も不明である(もう少し調べるとわかると思うが)。

 一枚の写真には色々な情報があり、家に残っている古い写真を調べるのはミステリーを解明するような面白みがあり、皆さんも試して下さい。

2016年9月8日木曜日

弘前レンガ倉庫美術館

吉野町レンガ倉庫



 東奥日報の記事(2016.9.7)によると、吉野町緑地周辺整備事業についての野村太郎市会議員の質問に対して、レンガ倉庫の改装などを含む整備費に232千万円、15年間の維持管理費に168千万円、総計約40億円の予算を必要とするとの答弁があった。費用の大半を国の交付金と地方債で補い、一般財源からの拠出は35千万円という。さらに作品の購入費としては3年間で総額3億円、2千万円程度の作品を15点ほど購入したいとする。

 十和田現代美術館の総工費が15億円、維持費が年間5千万円、さらに十和田市焼山地区の現代美術館の分館の計画では工事費が104千万円、作品購入費が67千万円とされている。また青森県立美術館の工事費が110億円、金沢21世紀美術館の建設費が200億円、国立新美術館が350億円であることは考えると、弘前レンガ倉庫の美術館がそれほど高いものではない。

 人口17万人の弘前市の美術館としては、予算、規模とも妥当なものであるし、観光都市を目指すなら、こうした美術館の建設は大きな観光の目玉となり、付随的な収入も見込める。一方、作品購入費が3億円というのは微妙で、現在のように絵画が投資の対象となり、価格が上昇している状況では、例えば、弘前市出身の奈良美智さんの作品は一点1億円くらいするので、せいぜい数点の購入しかできない。実際は郷土の美術館に展示されることは作家にとっても名誉であることから、価格もコレクター価格ではなく奈良さんの協力も得られようが、それでも予算的には厳しい。さらにできれば、美術館に行かなければ体験できないような立体、空間芸術が望ましく、そうした作品を期待したいところである。

 個人的には、障がい者アート、アウトサイダーアート、アートブリュットが興味深い。健常者の作品に比べて作品の力があり、さらに障がい者への理解、支援につながる。県内の養護学校などと協力して作品を展示するなど、アートブリュットについて関心を持つことも今後の美術館に求められる。さらに図書館、博物館の所蔵品にうち、どのようなものを美術館に移行するのか。現代美術館とするなら明治あるいは昭和を一区切りにし、それ以前は、博物館、図書館の所蔵とするところであるが、ここは例えば図書館、博物館にある古絵図をランダムに展示することで弘前大学の先生だった村上善男の作品とコラボできる。また幕末から明治の画家、平尾魯仙なども現代絵画として通用できる。古い所蔵品を現代美術として蘇らせる工夫、再評価も必要であろう。

 現代美術館と言えば、若者視点で考えられることが多いが、あまりコンテンポラリーな作品は時代とともに陳腐化する恐れもあり、さらに言うなら、観光客や県内の美術愛好家には年配の方も多い。こうした層は現代美術館ではぽっかり抜けてしまいがちであるが、あまりにも若者中心の展示も困る。また美術館といえば、絵画、彫刻、版画などを中心となるが、是非とも、映画も美術に加えてほしい。弘前では映画好きの仲間がNPO harappaとして以前から隠れた名作を上映しているが、こうした活動が継続的にできるような施設もほしいところである。高い絵画をみんなで眺めるという固定的な観念を抜け出さないと、県内にも青森県立美術館、十和田現代美術館など同様な美術館があり、内容がかぶる。

 さらにアメリカの美術館を見ていると、その運営に市民の関与が大きなウエイトを占めている。定期的に美術館内でカクテルパーティーなどを開き、参加者への寄付を促す。男の人はタキシード、女の人は豪華なドレスを着て、すこしスノッビーな雰囲気である。ここまでする必要はないとしても、市民が美術館に寄付しやすいような市民後援会を作り、こうした会員になり、寄付をすることが名誉になるような仕組みも望まれる。

美術館の完成が待ち遠しい。