2024年2月22日木曜日

2024年度診療報酬改定 矯正相談料

 



2024年度の歯科診療報酬改定について厚労省から発表があった。この中で、初めて「矯正相談料」が新設された。矯正相談料1は主として矯正専門医院、矯正相談料2は主として一般歯科医院で、年度で一回のみ420点が算定できる。学校歯科健診で歯科矯正の適用となる咬合異常(先天歯、口蓋裂、先天性疾患に伴う不正咬合)や顎変形症が疑われる患者に対して保険適用の適否について文書で提供した場合に算定できる。

 

具体的に言えば、4月に学校歯科健診で、不正咬合が指摘され、それを近所の歯科医院に相談に行ったとしよう。従来では、不正咬合では診断名とならないので、この場合は自費治療となった。学校で指摘されたのに、歯科医院に行くと保険が効かないと言われれば、納得しない親も多いだろう。それが歯科医院に行くと、噛み合わせが逆で、将来的に手術が必要となる、あるいはこの症例は手術が必要ない、もう少し様子を見なくてはいけない、専門医に紹介した方が良い、など色々な判断が下され、これを文書にして患者の親に渡せば、おそらく初診料233点と矯正相談料2420点、計655点、さらにパントモ、セファロなどを撮れば、その費用も加算できることになる。これを矯正専門医に紹介した場合は、その矯正歯科医は、今度は矯正相談料1を算定できると思われる。一般歯科医を通さずに直接、矯正歯科医院に来た時も、矯正相談料1となる。

 

反対咬合については、機能的反対咬合と言って、前歯の早期接触により下顎が前に動かしてかみ合わせが逆になることもあるが、通常は多少とも下顎の前方への過成長がある場合が多い。この場合は、将来的に外科的矯正になる可能性があるために、矯正相談料は算定できる。上顎前突についても反対咬合ほどではないが、外科矯正の可能性もあるし、交叉咬合もそうである。ただ歯のデコボコ、叢生については将来的に外科的矯正あるいは保険の適用となるとは考えられない。このあたりをどうするかは、もう少しはっきりしてくるだろう。ただ学校歯科検診では、歯並びの診断は、異常なし:0、要観察:1、要精検:2の3つの段階があり、学校から通知されるのが、このうち2であるなら、反対咬合、上顎前突だけでなく、叢生や開咬もこれにはいるため、実際はひどい叢生であっても、要精検、歯並びの問題があるとして、学校から歯科医院で行くようにと言われる。要精検であれば、咬合の種類は問われない可能性が高い。

 

一方、一部の矯正歯科医院では、マイナンバーカードの準備やレセコンの導入に躊躇して、保険診療をしていないところがある。この場合、顎変形症については、保険を使わないで、術前、術後矯正をする場合は、手術、入院も自費となるため、外科的矯正は事実上できないことを意味する。実際に保険治療はしていないが、保険医療機関である場合、学校検診で不正咬合の通知を受けて受診したときは、必ずこの矯正相談料1を取らなくてはいけない。保険項目を自費で取るのは、制度上許されていないからである。まず保険医療機関の返上が必要となる。私のところでは、相談料はこれまで3000円であったが、矯正相談料を適用できるなら、420点+233点?が取れるため収入増となるし、患者にとっても3割負担で安くなる。

 

おそらく厚労省に狙いは、まず矯正相談料という項目を新設し、実際にどのくらいの件数が出るかを知りたいのであろう。人数がそれほど多くなければ、将来的には治療自体も保険適用になるし、数が多すぎて莫大な費用がかかるとなると、これまで通りに治療は自費ということになろう。矯正治療の保険の点数は、10年単位の治療期間でみると、トータルで7万点くらい70万円くらいになるため、該当者の数が多いと、財政の負担が大きい。ただ従来の学校検診の指針はかなりばらつきがあり、ある先生は少しでも不正咬合があれば、2の要精検にする一方、別の先生はかなりひどい症例だけ2の評価をするために、学校により2に該当する人数がかなり違う。厚労省と文科省とすり合わせ、かなりひどい症例のみ2にするような指導も必要かもしれない。

 

健康保険は公平性が全く守られておらず、若い人は保険料が払っているが、あまり恩恵がないのに対して、年寄りは保険料をあまり払っていないのに、医療的な恩恵は大きい。特に近年は子供の虫歯はほとんどなくなっているので、親からすれば、医療保険料を払っているのに、子供が歯科治療の恩恵を受けることはない。これは損であると考えても無理はない。せめて前歯で物を噛みきれない、反対咬合、上顎前突、開咬などひどい不正咬合については、是非とも保険適用になってほしい。ただ学校検診の指標で言えば、要観察1と要精検2の差が難しく、本来なら軽度―中等度の不正咬合は自費で治療を、重度の不正咬合は保険でという流れが望ましいが、実際に両者の区別は難しく、欧米の倣い、保険適用については、厳密なグレードによる点数付けが必要と思われる。個別指導でチェックしてグレードの低い、重症でない症例を保険で治療した場合は、返金などのペナルティーがあっても良いし、あるいはこの矯正相談1、2の文書提出に際して、グレードによる点数化をさせれば良い。例えば、学校歯科検診で、歯科医院を受診した場合、オーバジェット、オーバーバイトや叢生量、骨格異常などの診査項目に沿って点数付けを行い、その点数がある基準以上であれば、重度の不正咬合と認定し、保険適用となるようなシステム。現実的にはこうした流れか。

 

制度上は、重度の不正咬合の矯正治療を保険にすることは可能であるが、一方、受け入れ医療機関が足りない可能性もある。重度の不正咬合の治療には、高度なテクニックが必要であり、手術を併用することもある。そのためトレーニングを受けた矯正歯科医による治療が望ましい。その場合、日本専門医機構認定の矯正歯科専門医の資格を持つ先生がいる医院での治療が望ましいが、残念ながら青森県では該当医がおらず、不正咬合の患者が保険治療での治療を希望しようとしても、いく歯科医院がないということも起こり得る。これもまた不公平である。




2024年2月19日月曜日

ブックトーク「本を出すこと」 まわりみち文庫



弘前の住む人は皆知っていると思うが、中三デパートを弘前城の方向にさらに進むとみちのく銀行があり、その先の小さな道を左に折れたところが「かくみ小路」である。この狭い道を50mほど進むと左側にあるのが、古書店「まわりみち文庫」である。開業当初から懇意にしてもらい、月に2、3度は訪れている。67坪の小さなお店で、これ以上狭い本屋は日本にもあまりない。店主は、以前は青森市では最も高級なホテル、ホテル青森に勤務していた人だが、何を思ったか、この弘前の、それもかくみ小路で数年前に古書店を開業した。東京や大阪、京都などでは、今風の古書店でこうした店があるのは知っていたが、弘前市で小さな古書店をすることはかなり勇気がいるし、さらに難しいのは継続していくことである。せっかくの志を何とか叶えたいと思い、少しばかり応援している店である。

 

以前から、お店で作家のブックトークをした方が良いと提案していたが、その後、弘前に住む作家を中心に、そうした試みを何度かしていて、一定のファンもいるようである。皆が本を買うのも大事であるが、店主と色々な話ができ、さらにいうなら常連さんのグループがあって、仲良いという関係も欲しい。ここにくれば知り合いに会い、最近読んだ本で面白かったもの何ですかといった会話ができる店が望ましい。ネットが進み、ほとんどの交流はラインやSNSで済んでしまうが、他人と直に話せる場所も欲しい。ここでは若い人も、年配の人も、また地位のある人も、学生も全て、同じ本好きに仲間であって欲しいし、できれば作家と読書の壁のなくなってほしい。

 

そうしたわけで、以前からここでブックトークをしようと話していたが、この3月10日にようやく実施することになった。当初は、近著の「弘前歴史街歩き」について話そうと考えていたが、本そのものがすでに売り切れで手に入らないため、もう少しテーマを広げて、「本を出すということ」というタイトルにした。本には、思っていることの半分も書けず、文章を書いて、それを本にする過程で面白かったことについてエピソードを交えて喋りたいと考えている。1時間半くらいのトークであるが、結構ボリュームがあり、かなり私生活についてもしゃべることになろう。兵庫県の尼崎市で生まれて、どうして弘前に住むようになり、本を出すようになったか、喋ろうと思う。

 

場所が狭いので8席しかないので、希望者は早めに「まわりみち文庫」まで連絡してほしい。固定電話がないので、直接、お店行って予約するか、下記のアドレスで申し込んでほしい。

 


すでに満席になりました。申し訳ございません。また開催いたします。


 

2024年2月15日木曜日

1/30 ミニチュア自転車 婦人用ミキストフレーム

 






いまだに診療の合間をみて自転車の模型を作っている。ロードレーサについては、ほぼ製作方法が完成してきたので、ここらで違うタイプの自転車を作りたい。

 

まず思い浮かんだのが、日本でも人気の高いアレックス・モールトンの模型化である。一応、図面を書いて計画を練ったが、モールトンの独特なトラス構造のフレームの製作が難しい。ここを綺麗に真似しなくてはアレックス・モールトンにならない。最初は0.4mm線を駆使して作ろうと考えたが、あまりにろう着箇所が多く、諦めた。製作に慣れた段階でもう一度トライしてみたい。

 

そこで婦人用の自転車を作ろうと考えた。もちろんややクラシックタイプのものが好きなので、ミキストと呼ばれるフレームのものを作ろうと考えた。ミキストフレームの自転車には思い出がある。大学生になってロードレーサに乗り回していた時期、実家に帰ると白馬にある小さな別荘のための自転車が欲しいという。当時、サイクルマガジンという雑誌を購読したいたので、それに載っていた阪神尼崎駅の南側にあった自転車店を訪れた。完成車でも良かったが、そこに赤色のミキストフレームがあったので、値段を聞くとそれほど高くないので、それにできるだけ安いパーツで製作してもらった。当時で5、6万円くらいであった。そのまま白馬の別荘に送り、そこで使っていたが、別荘を売った時には誰かにあげた。

 

フレームとしてはダイヤモンド型が力学的には最も強く、男性用のロードレーサーはほとんどこの形であるが、女性、スカートで乗るためには跨ぐ部分のフレームを下げなくてはいけない。そのため細いフレーム2本で強度を出したのが、このミキストフレームである。後方部にかけて湾曲しているタイプもあり、こちらの方がよりレトロ感があるので、1950年代のフランス、プジョーの女性用自転車を参考に作った。ほぼロードレーサーと同じ工程なので、製作は比較的容易であったが、問題は前輪、後輪の泥除けである。これがないとどうも女性用自転車らしくない。

 

この泥除けの制作が難しい。というのは、真鍮板を円形に曲げるのは容易であるが、それを内方に折り曲げるのが難しく、何度やってもうまくいかない。缶バッジのパーツも使えそうだが、これも強引に内方に折り曲げられている。そこで金属による再生は難しいと判断した。まず粘土のようなスプリントレジンを使って作るとうまく三次元的に丸くできた。ただこれをバーで削っていってもシャープにならない。次にスプリント用の一番薄い板を使って歯科用バキュームフォーマーで製作してみた。まずシートを熱して、それを車輪に使った金属リングに直接当てて、手で密着させていく。手袋をしても熱いし、せいぜい90度程度の泥除けがいっぱいであった。ただかなりシャープなものができた。さらに即時重合レジンで帯状のものを作り、それを金属リングに押し当てて形成することもしたが、これもシャープにはなれない。妻からディスポのスリーウエイシリンジチップを使えばというので、これを使うとうまくいった。プラスティックのチップは中に芯が入っているので、熱いお湯に入れると三次元的に細工できる。この半分を削って芯をとり、泥除けパーツとした。サドルはドロップからセミアップハンドルにしたが、これは簡単であった。ペダルはプラスティックを削り、ハンドルグリップは1.0mmの真鍮パイプを使った。

 

女性用の自転車は、金属以外の部品も使用しているので、模型屋でエナメル、ラッカー塗装を買ってきて、塗装した。サーフェイサーをざっと吹いて、ラックでまず塗装して、エナメルでポイントを入れるのは、プラモデル製作と同じである。

 

完成品はいまいちであるが、少しずつ違ったタイプの自転車を作ってみたい。最終的には自転車好きの方から愛車の写真を送ってもらい、それに似たミニチュア自転車を作れば喜ばれると思う。YouTubeやネットでミニチュア自転車自作で検索したが、金属線をろう着して作ったものは少なく、これに関しては独自のものなのだろう。一般の人が、ろう着用バーナーで銀ロウを使って金属同士をくっつけることは多分できない。ロウ着による金属の接合は、接着剤に比べて圧倒的に強度が強く、インテリア小物にも向いている。ただ塗装をすると、金属をロウ着して作ったように思われないので、塗装なしの方が良いのかもしれない。



2024年2月11日日曜日

アライナー矯正のシミュレーションは医療広告法違反か(誇大広告)?

 




インビザラインをしている患者のYouTube5ちゃんねるなどをみていると、これは小臼歯を抜歯しないと治らないだろうと思われる症例が多い。投稿者は、そこの医院を選んだ経緯なども語っているが、例えば、3軒の矯正歯科医院で小臼歯抜歯とワイヤー矯正の必要性を指摘され、1軒は一般歯科でここでは非抜歯とワイヤー矯正を、そして最後の一軒の一般歯科のところでは非抜歯とマウスピース矯正を勧められたとしよう。通常なら矯正専門医がすべて抜歯治療を勧めるのであれば、それが正しいはずであるが、どうも多くの患者は最後の歯科医を選ぶ。患者からすれば、歯を抜かなくてもいい、目立つ矯正装置をつけなくても治ると言われればそのまま信じるのも無理はない。

 

通常ならここで、おかしいと思うはずである。投資話で、元金保証、毎年20%の配当があると言われれば、これは胡散臭い話、あるいは詐欺だと思うだろう。ところが歯科医が言うのだから、そんな詐欺まがいの話はないと思うだろう。具体的な例で説明する。以前、あるYouTubeの投稿者へ、小臼歯抜歯をしなければ患者の主訴である口元の突出感は治らないと思われたので、コメントしたことがある。セファロ写真を撮ってもらい、その分析値の中のU1 to FH(SN)(上の前歯の傾き)という数値を聞き、これが標準値の110度よりどれだけ大きく、今後の治療でどれだけ変化するか聞いた方がよいと言った。矯正歯科医であれば、最も基本的な分析値であり、国家試験でも問われる分析で、歯科医なら必ず知っておく知識である。その後、投稿者が先生にその旨を質問したかわからないが、このYouTubeは更新されなくなった。

 

このケースの場合、どうやら最初の検査でセファロ分析もしなかったようである。セファロ分析は矯正科に入局すると最初にするトレーニングの一つであるが、半年くらいの学習期間が必要で、まず一般歯科医の場合はここで躓く。つまりセファロ写真も撮らないし、撮っても分析できない。結果、まともな治療計画が立てられないことになる。彼らは何も持って治療計画を立てているかというと、デジタル印象でのデーターをマウスピース会社に送り、その会社がコンピュータ上ででこぼこが治る予想をして、それにしたがってマウスピースが作られる。患者にすれば、画面上で今の歯並びが次第にキレイになっていく動画を見れば、疑わないだろう。実際ほとんどのケースはこの通りにいかない。

 

インビザラインの最も問題点は、治療後の結果をシミュレーションすることで、最初の状態から治療後の変化をコンピューターで見ることができる点である。これはあくまで作図であり、このようにいかない場合が多い。歯は上の部分、歯冠と歯根に分かれ、歯冠の大きさや歯根の長さも歯の動きに関与し、例えば、上顎中切歯は前後の傾斜や挺出はしやすいが、圧下はしにくく、犬歯は歯根が長いために動きにくく、大臼歯についても上顎は下顎より動きやすい。さらに骨が厚い、薄いでも歯の動きは変わる。こうした多くの要素以外にも患者の協力度、特にゴムの使用時間や、舌の癖も治療結果に関係する。そのためワイヤー矯正であれば、毎回、月に一度はチェックしながら、治療方針を変更する。インビザラインで治療を成功させるためには、何度もクリンチェックの変更が必要である。そうしないと目標通りの結果は難しいと思う。もちろんワイヤー矯正でも術前の状態から術後の結果をコンピュータ上でシミレーションすることは簡単だし、ベテランの矯正歯科医になるとほぼ計画通りの仕上げとなる。ただこうしたことをする先生は少なく、それは計画通りにならないこともあるからで、その場合は患者からクレームがくる。以前、顎変形症の治療計画において、術後の予想顔貌を患者に示すことがはやったが、術後、こうした顔にならないというクレームが多いせいか、最近ではあまりされていない。おそらく美容整形の分野でも術後の予想を強調することは少ないと思われる。

 

 医療広告法のガイドラインでは治療前後の写真は、「治療等の内容または効果について、患者等を誤解させるおそれが治療等の前または後の写真などの広告」は禁止事項とされている。また「あたかも効果があるかのように見せるため加工・修正した術前術後の写真などについては虚偽広告に該当する」となっている。ただし限定解除の要件、治療のリスクや副作用などの詳細な説明が必要で、治療前後の写真を掲載するためには、必ずしもこうした結果が得られないことを詳しく説明する必要がある。このことは広告のガイドラインであるだけでなく、もし治療結果についての裁判となれば、説明義務違反となる。患者からすれば、コンピューターのシュミレーションで、綺麗になると言われたので治療を行ったが、そのように動いていないという。インビザライン自体は、日本では未承認医療機器にあたり、よほど説明しても説明義務違反に相当する可能性がある。さらにインビザラインをしている先生の中には治療途中での契約解除は返金できないという人もいるが、契約解除は保証された権利で、それに伴う返金もしなくてはいけない。

 

YouTubeなどで、インビザラインを紹介する動画では、必ず治療前後のシミュレーションがあるが、これは誇大広告、医療広告法に違反していると思われる。厚労省などの正式な回答があれば、YouTubeからインビザラインの動画をなくすことができると思う。日本矯正歯科学会や、日本臨床矯正歯科学会などの団体が、厚労省に問い合わせ、その結果をYouTube側に通達すべきであろう。YouTube2021年には化粧品を中心に薬機法違反と思われ“シミが消える化粧品”、“ビフォーアフターの誇大広告”などの動画、55万件の動画を削除した。個人ではなく、学会あるいは厚労省の正式な回答があれば、シミュレーションを載せたインビザラインの動画は削除可能と思われる。このまま野放しにすべきでない。



2024年2月8日木曜日

故郷の記憶 シソンヌじろうの自分探し

 



シソンンヌのじろうさんの「シソンヌじろうの自分探し」を購入して、早速読んだ。文章の上手い人で、2時間くらいでサラッと読んでしまった。じろうさんの子供時代に遊んだところや思い出の場所をこの本では紹介している。私は兵庫県の出身で、こちら(弘前)の出身ではないが、本に登場する店や場所はほとんど記憶している。不思議なことである。

 

よく考えると、じろうさんは1978年生まれの45歳、彼が高校を卒業したのが1996年で、すでに私は今の診療所を開設していた。実際にこちらに住み出したのは1994年で、さらに家内と交際して弘前に月に一度、2年間来ていたが、それが1981-83年、じろうさんが3つか4つの時、最初に弘前に修学旅行に来たのが1973年、大学時代にサッカーの試合で二度ほど来たが、それが1970年代の後半で、断片的ながら1973年から今までの弘前市の移り変わりは知っている。駅前の変わり方、ヨーカドーやダイエーができたり、映画館がなくなったりもある程度は知っているが、それでも家内(1961年生まれ)にすれば、かくはデパートの思い出のない人は弘前の人とは言えないらしい。かくはデパートは昭和52年(1977)には閉店したが、全く記憶にない。サッカーの試合をして確か、2回とも小堀旅館に泊まったし、キャッスルホテル横の銭湯に行ったし、鍛冶町に飲みに行ったが、かくはデパートの存在には気づいていない。

 

逆に私が尼崎にいたのは昭和31(1956)から昭和50年(1975)までだが、当時の阪神尼崎駅周辺のことはよく覚えている。昔、ダウンタウンが三和商店街を歩いて、ゴジラの映画をみた尼崎東宝を探すという番組があった。道行人に聞くが皆知らず、結局はかなり高齢な方に聞いて発見し、今は駐車場になっていた。尼崎で生まれても、中年までの人は尼崎東宝も知らないのかと思った。

 

じろうさん自身も弘前にいたのは18歳までで、その後はおそらく東京での記憶の方が多いであろう。だが故郷というのは、子供時代の記憶があるところであり、じろうさんの故郷は弘前であり、私の故郷は尼崎なのである。子供時代の記憶は特別で、おそらく故郷から離れれば離れるほど脳内で増幅されていくのであろう。私の場合は、尼崎に19年、仙台に9年、鹿児島に8年いて、弘前に29年となる。期間でいえば、弘前が一番長いし、弘前のことを書いた本も数冊出版したが、故郷ということはない。おそらく死ぬまで住んでもそうした感覚にはなれないであろう。

 

故郷というのは、風景単独のものではなく、母親、父親、親類、あるいは友人とどこかにこんなものを食べに行った、映画館に行ったとかの情景とコンビになったものであり、それはフィルムとして風景とともの頭のどこかの片隅に残っている。ただ実際の風景とはかなり歪曲したものかもしれない。それでも、こうした古い脳内の記憶を思い起こせるのは嬉しいことで、本作でも紹介されている“うちわ餅”なども懐かしいものなのだろう。こうした記憶に残る場所、あるいは味、景色が故郷にはなくてはいけない。

 

今の人には全くわからない話。尼崎の三和ミュージックというストリッパー劇場があった。その前は、旅回りの劇団の芝居小屋であった。子供の頃、ここの前を通ると立ちんぼの女性もいて怖いところであったが、それでも三和商店街からこの前に道を真っ直ぐ、天崎道場に行く道が一番近い道だったので、よく通った。小学校6年生頃から、この道沿いにはラブホテルが乱立していったが、結構、商売的にはいいのか、それから50年くらい経つが、いまだにラブホテルは存在する。こんな風景だが、私にとっては尼崎の故郷の記憶である。


2024年2月5日月曜日

弘前市の未来

 



全国的に少子化が大きな問題となっているのは知っていたが、自分の住んでいる弘前市の出生数を聞いて驚いた。2022年度の出生数は860名、2000年度が1637人であったので、この22年でほぼ半分になったことになる。昭和24年の報告では、弘前市の出生数は2314名で、弘前市が周囲の村、町合併前の時代で、人口は64845人の時のものである。今の人口、177400人の約1/3なのだが、出生数は逆に3倍近い。もう少し後の1969年(昭和44年)の調査でも2803人であった。昭和24年の出産数を今の人口に換算すると、実に6330人に達する。860名と6330名、この差はすごい。

 

小学校の一クラスが40名とすると、860人は22クラスとなる。昔の小学校は一学年6クラスくらいあったので、わずか4つの小学校で足りることになる。現在、小学校数は34、中学校数は16あるが、多すぎる。さらに高校は県立高校が5つ、私立高校が4つの9校なので、全ての学生が高校進学するとしても一校あたりの生徒数は95名となる。現在、弘前高校ひとつで一学年の生徒数は240名なので、高校はせいぜい4つもあれば十分となる。

 

この急激は出生数の減少は、令和3年で比べると小学校で2000名、中学校で1000名の生徒減となり、小中学校さらには高校の廃止、統合などが起こるは間違いない。さらにいうと、高校卒業後、県外に進学、就職のために出る若者は20-30%いて、そのまま帰郷しないので、結局は弘前市内の若者人口は減っていく。そして出生数もまた減っていく。これはやばい。

 

例えば、弘前イトーヨーカ堂にはアカチャンホンポは入っているが、弘前市内だけでいうと0歳の品物は最大で800人しか客がいないことを意味する。ここ以外にもベビー用品の店は何軒かあるので、さらに分散し、経営的にはかなり厳しい。幼稚園、保育園、私立高校、予備校、専門学校などの学校や、同様に小児科、学生服店、ゲームセンター、おもちゃ屋、書店(マンガ、参考書など)洋服屋、など若者の客の多いところも経営は大変である。老人に比べて消費欲が高い、若者の減少は、かなり広範囲の分野の商売の冷え込みにつながる。もっと深刻なのは、整備士、大工、左官、看護師、保育士、自衛隊、消防士、警察官、教師などの仕事につく若者がものすごく少なくなる。単純に考えて、高校卒業した800人の2/3が県内に残っても、500人少ししかいないことになる。

 

日本の出生率は1.34人に対して、隣国の中国は1.28人、韓国は何と0.84人、同様に台湾も0.87人と1.0を切っている。都道府県別のランキングでは、沖縄県は1.86人と多く、青森県は1.33人と36位、最下位は東京の1.13人となる。東京などと比べると青森県ではそもそも若者人口が少なく、決して36位であることはマシだとは言えず、むしろ深刻である。出生率以外の指標として、実際のエリアでどれくらい生まれた子供がいるかという出生数維持ランキング(2000年と2021年の比較)というのがあるが、その一位は東京で、二位が沖縄となるが、47位の最下位は秋田県で48%、そして46位は青森県の50%となっていて、全国的にも秋田県と青森県は急速な子供の人口減が進んでいる地域となる。市町村で言えば、引越しで転出超過の市町村ランキング(2022)では青森市が9位、むつ市が34位、弘前市が69位と不本意な位置にある。

 

青森県では、盛んに“短命県返上”運動をおこなっているが、寿命が伸びて高齢者が増えるより、むしろ子供の数を増やす運動をすべきであり、実際に青森県に住んでいても、子供の急激な人口減がこれほどであることは知られていない。結婚して、しなくても良いが、子供を作ろう運動、さらにそれに対する強力な県、市町村のバックアップが必要であろう。不妊治療だけでなく、出産、子育ての金銭的な補助は当然で、それだけでなく婚活パーティーも豪勢にして無料にすべきだし、二人以上の出産した夫婦には住居費を補填してもよかろう。深刻な状況を一刻も早く県民に知らせ、危機感を煽るべきである。弘前市が所有する建物、藤田家別邸、旧東奥義塾外人教師館、青森銀行記念館を利用、あるいは弘前偕行社などを借受けて、参加費も1000円くらいで頻繁に婚活パティーを開くべきで、他県からの観光客や外人も参加させれば良い。費用は弘前市が負担する。まず出会いの場を用意し、その後の結婚、出産を期待する。毎回100名が利用して、一人5000円の費用がかかったとしても50万円で、これを毎月してもたかが600万円くらいで、これくらいの金なら上手く企画書を書けば国から引き出せる。なんでもやれることはしていかなくてはいけない状況である。


2024年2月4日日曜日

日本代表ゴールキーパー

 



アジア大会が終わった。アウエーでの戦いは、一点くらいのハンディがあるため、優勝するには難しい。それでも一般放送された2試合で負けるようでは情けない。特にゴールキーパーの鈴木彩艶選手への批判が多い。

 

ワールドカップでもそうであるが、こうした大会ではゴールキーパーの活躍がなければ優勝できず、“あの場面でゴールキーパーのスーパープレーがなければ負けていた”、という状況は必ずある。ゴールキーパーの活躍が優勝に大きく関与する。ライバルの韓国も際どい試合で何とかベスト4まで進んだが、ゴールキーパーのチョ・ヒョヌの活躍が大きく、アジア大会のベストGKにも選ばれている。

 

日本でもプロリーグができて、まず海外に進出したのが、中田英寿のような中盤の選手で、このポジションは多くの優秀な選手を輩出している。その後、日本人には無理とされていたバックスにも吉田麻也、酒井宏樹、そして最高峰のプレミヤリーグで活躍する富安健洋まで出てきて、中盤とバックはほぼ世界標準の陣容となっている。そしてフォワードについては、南野拓実、上田なども現れ、ついに三笘のような世界的な選手も登場した。そうなると残りはゴールキーパーである。これが難しい。と言うのは、ゴールキーパーについては他のポジション以上に体格が絡んでくる。現代のゴールキーパーでは、少なくとも185cm以上、できれば190cm以上の身長が求められ、元々外国人に比べて小柄なアジア人からは優秀なゴールキーパーは出ていない。

 

そうした中で登場したのが、今回、アジア大会の全試合に出場した鈴木彩艶選手である。身長は190cmあり、U15から全ての年齢別の日本代表となり、期待のGKである。21歳で、まだまだ伸びることを期待され、今回も森保監督も敢えて使い続けた。森保監督にすれば、アジア大会はあくまでワールドカップの練習であり、次回のワールドカップでベスト4以上になるためには、どうしても世界的なゴールキーパーが欲しかったので、敢えて経験の少ないGKばかりを招集してアジア大会に臨んだ。韓国のGKのチョ・ヒョヌは2018年のワールドカップにも出場したベテランゴールキーパーで、韓国はアジア大会に堅実なGKを持ってきた。ちなみに2018年のワールドカップの日本代表GKは川島永嗣である。将来性のある選手の経験のために鈴木選手を使うか、それとも試合重視でベテランの選手、例えば2022年のワールドカップに出場した権田修一選手などを使うか、監督にしても悩むところである。結果は失敗した。

 

鈴木選手を擁護する声もあるが、今回の試合も含めて、GKとしては及第点を挙げることができず、5試合で8失点、あまりにお粗末である。それもかなりの失点がゴールキーパーによる間接的、直接的な失点であり、もしプレミアリーグで、21歳の新人ゴールキーパーに試合出場の機会を与えられ、5試合連続のこのパーフォーマンスであれば、二度と試合出場はない。少ない出場機会で、監督や首脳陣にアピールできないと、ゴールキーパーは一人しかいないので、出場機会は減る。もちろん、鈴木選手は突出した能力を秘めた選手だからこそ森保監督も使ったのだが、経験不足を露呈したし、ましてやチーム全体の信頼を勝ち得たとは思わない。少なくとも3人のGK枠のひとりにベテランGKを入れておくべきで、例え出場できなくてもアドバイスは大きい。GKについては、監督や他のフィールドプレーヤはわからず、ベテランのGKからのアドバイスの重要となる。全体的にこのアジア大会では、年齢が若かったこともあるのか、鈴木選手はオドオドした印象であり、思い切った自信のあるプレーはなかった。身長が190cmあるのに小さく感じたし、どんな相手でも点が入りそうな気分であった。これが偉大なGK、例えばソ連のレフ・ヤシン選手がゴールを守ると点が入らない感じがした。昨日見た準々決勝でも、一点目の失点はまずキックが短すぎ、その後の相手側の攻撃も前へのダッシュが1、2歩遅れた。2点目も後方からの声による指示、あるいは前へのダッシュが遅れた。さらに言うなら、このPKを阻止する運も必要であろう。もう少し日本代表としての国際マッチで経験を積ませてからアジア大会に出場したかった。

 

昔、羽田空港で、元日本代表の川口能活を見たことがある。私の身長が176cmだが、何度も前を横切って川口選手の身長をチェックしたが、それほど変わらず、せいぜい178cnくらいであった。あの身長で、よく日本代表で活躍したと、むしろ感激したが、彼の優れた能力は判断力で、前への飛び出しと、頭からボールに向かう勇気には魅了的であったし、何度み見せた神ががりプレーはいまだに脳裏に焼き付く。彼の場合もそうだが、優れたゴールキーパーは、集中力が極度に高まり、ゾーンという状態に入る。この状態になると、視野がグランドのみとなり、音声はなくなり、どこにボールが来て、どんなシュートが来るかわかる。どんなボールでも止められるという暗示に入る。今回のアジア大会での鈴木選手のプレーにはこうしたゾーンに入った状態が見られず、これは彼の欠点なのかもしれない。これだけは練習で見ることができず、試合でのみ、それもここ一番の試合で発揮できるもので、偉大なゴールキーパーはこうしたゾーンに入る能力が高かっただけでなく、相手選手への威圧感も強かった。ソ連のヤシン選手、イギリスのゴードンバンクス選手、ドイツのカーン選手などは、シュートを打つ側のミスを誘った。

 

どうかイギリスのプレミアムリーグの正ゴールキーパーで活躍できるような日本人、ゴールキーパーが現れて欲しい。そうなれば、ようやくワールドカップにもベスト8の壁を突破できそうである。アジア大会で見る限り、鈴木選手は身体的能力が高くても、肝心な、それも厳しい試合で、どうもゾーンに入りにく選手のようで、もう一度、クラブチームの試合で鍛えてほしい。


2024年2月3日土曜日

大阪人の自慢好き

 



青森来てからかれこれ30年になるが、いまだに家内や友人に呆れられるのは、すぐに自慢したがる癖がある。本人は特に悪気がある訳ではないが、バーゲンで安く買ったり、貴重なものを手に入れたり、変わった経験をすると、どうしても人に話したくなる。どうもこの癖は大阪人の癖のようで、関西の高校の同級生に会って話すとそれほど違和感がないのであるが、東京や東北の人と話すと、どうも自慢話に思われるようである。

 

大阪の人同士の会話でよくあるのは、「この服なんぼすると思う?」、実際に想像するより高い値段、「一万円くらい」というと、「大阪の阪神百貨店で、バーゲンで2000円で買ったんや」、この場合、必ず大袈裟に驚いて、「それは安い買い物やね」と言わなくてはいけない。こうした会話が延々と続く。老人になると、病気自慢も増えてくる。今、こんな病気で、この前から病院に行っていると自慢する。一番の自慢はガンの手術をして奇跡的に助かったと、入院中の経験やさらには手術痕を見せる人もいう。この場合、病気の多さと種類の多様さが自慢になる。子供の頃、近所のおじさんさんから、「にいちゃん、ええもん見せてやる」と言われ、上のランニングシャツを脱いで、背中の龍の刺青を見せてもらったことがある。刺青自慢である。近所の銭湯に行くと、常にこうした刺青自慢おじさんが2、3人はいて、洗い場に並ぶと壮観であった。

 

子供の頃、少年マガジンなどの週刊誌に野球選手やスターの住所が載っていた。ある時、封筒に返信用の封筒とオバQのハンカチを入れて讀賣巨人の長島選手に送ったことがある。二週間すると何と長島選手からサイン入りのハンカチが送られてきた。次の日、学校に行ってみんなに自慢したのは言うまでもない。ついでに王選手にもハンカチを送ったが、これは空振りに終わり、自慢できないオチとして友達に話した。少年マガジンにはファンコーナというものがあり、「チャンピオン太」の似顔絵を送ると、本編のページ横の1cmくらいのところに名前が載る。よく出したが、結構載った。子供を取り巻く環境の中にも、自慢話のネタが豊富にあった。

 

ただ自慢話の中でも、あまり聞いていて気持ちのよくないものもあり、これはできたら勘弁してほしい。まず子供の自慢話、これは大阪人もしない。むしろ子供のばかなことが話題になることが多い。うちの子はアホで、全然勉強しない、ゲームばかりしているという会話は多いが、毎日5時間勉強して東大に入ったというのは言えない。これは周囲が微妙に感じ取って、こちらから、あんたの子は勉強好きで羨ましいわといった会話で振り向ける。ただ妻自慢は結構好まれるし、妻との馴れ初めもよく話す。逆に嫁さんからの夫自慢はあまり聞かない。友人自慢もよく出る話題であるが、優秀な友人のことばかり話すのは、なんだかマウントを取るような感じを受けるので、これもとんでもない友人自慢の方が喜ばれる。

 

要するに大阪人にとっては、ずっと喋っていないと何だか落ち着かず、沈黙を極端に恐れる。そのために話題になりそうなことは何でもしゃべる傾向にあり、日常生活はそんなに変化がないので、つい自慢話と悪口となる。絶対に内緒にしてくれというのは、大阪人には無理な話である。それに対して青森人は、じぶんの自慢話をしないばかりか、他人を褒めることも少ない。昔、日露戦争の英雄、一戸兵衛大将が帰省する場合は必ず軍服ではなく、和服にセルの袴で帰ったという。軍服で帰ると、故郷の人々から賞賛だけでなく、散々悪口、子供の頃は泣き虫だった、彼何ほどの者ならん、ただ時の運強くして、などと言う(太宰治)。実際に津軽で自慢話をすると、その倍の悪口で言われるので、家内からも注意される。

 

自慢とは「自分で、自分に関係の深い物事を、他人に誇ること」、「自分のこと、自分の持ち物、自分が所属するものなどの良さを他に対して得意げに示すこと」となっている。“得意げ”については、相手がそう思うかの問題で、「自分の良さを他に示すこと」であれば、それほど嫌がられるものではない。アメリカ人は自慢話が好きだし、自分の良さをあまり喋らないのは日本人だけなのかもしれない。自分のことを相手に伝えるには、いいことばかりだと自慢話になるが、欠点も含めてしゃべれば、それほど嫌なものではない。私は他人の自慢話を聞くのは好きで、共感してどんどん攻める傾向がある。以前、父の友人で、太平洋戦争の時にラバウル航空隊にいた歯科医がいて、宮崎で一緒に飲んだことがある。自慢話ではないが、ついラバウル航空隊のことが話になり、そこでの生活や敵機との空戦などを聞いた。これは面白かった。相手のことを知るには、相手の自慢も含めて面白がる必要があり、自慢多いに結構という感じもある。