2024年2月3日土曜日

大阪人の自慢好き

 



青森来てからかれこれ30年になるが、いまだに家内や友人に呆れられるのは、すぐに自慢したがる癖がある。本人は特に悪気がある訳ではないが、バーゲンで安く買ったり、貴重なものを手に入れたり、変わった経験をすると、どうしても人に話したくなる。どうもこの癖は大阪人の癖のようで、関西の高校の同級生に会って話すとそれほど違和感がないのであるが、東京や東北の人と話すと、どうも自慢話に思われるようである。

 

大阪の人同士の会話でよくあるのは、「この服なんぼすると思う?」、実際に想像するより高い値段、「一万円くらい」というと、「大阪の阪神百貨店で、バーゲンで2000円で買ったんや」、この場合、必ず大袈裟に驚いて、「それは安い買い物やね」と言わなくてはいけない。こうした会話が延々と続く。老人になると、病気自慢も増えてくる。今、こんな病気で、この前から病院に行っていると自慢する。一番の自慢はガンの手術をして奇跡的に助かったと、入院中の経験やさらには手術痕を見せる人もいう。この場合、病気の多さと種類の多様さが自慢になる。子供の頃、近所のおじさんさんから、「にいちゃん、ええもん見せてやる」と言われ、上のランニングシャツを脱いで、背中の龍の刺青を見せてもらったことがある。刺青自慢である。近所の銭湯に行くと、常にこうした刺青自慢おじさんが2、3人はいて、洗い場に並ぶと壮観であった。

 

子供の頃、少年マガジンなどの週刊誌に野球選手やスターの住所が載っていた。ある時、封筒に返信用の封筒とオバQのハンカチを入れて讀賣巨人の長島選手に送ったことがある。二週間すると何と長島選手からサイン入りのハンカチが送られてきた。次の日、学校に行ってみんなに自慢したのは言うまでもない。ついでに王選手にもハンカチを送ったが、これは空振りに終わり、自慢できないオチとして友達に話した。少年マガジンにはファンコーナというものがあり、「チャンピオン太」の似顔絵を送ると、本編のページ横の1cmくらいのところに名前が載る。よく出したが、結構載った。子供を取り巻く環境の中にも、自慢話のネタが豊富にあった。

 

ただ自慢話の中でも、あまり聞いていて気持ちのよくないものもあり、これはできたら勘弁してほしい。まず子供の自慢話、これは大阪人もしない。むしろ子供のばかなことが話題になることが多い。うちの子はアホで、全然勉強しない、ゲームばかりしているという会話は多いが、毎日5時間勉強して東大に入ったというのは言えない。これは周囲が微妙に感じ取って、こちらから、あんたの子は勉強好きで羨ましいわといった会話で振り向ける。ただ妻自慢は結構好まれるし、妻との馴れ初めもよく話す。逆に嫁さんからの夫自慢はあまり聞かない。友人自慢もよく出る話題であるが、優秀な友人のことばかり話すのは、なんだかマウントを取るような感じを受けるので、これもとんでもない友人自慢の方が喜ばれる。

 

要するに大阪人にとっては、ずっと喋っていないと何だか落ち着かず、沈黙を極端に恐れる。そのために話題になりそうなことは何でもしゃべる傾向にあり、日常生活はそんなに変化がないので、つい自慢話と悪口となる。絶対に内緒にしてくれというのは、大阪人には無理な話である。それに対して青森人は、じぶんの自慢話をしないばかりか、他人を褒めることも少ない。昔、日露戦争の英雄、一戸兵衛大将が帰省する場合は必ず軍服ではなく、和服にセルの袴で帰ったという。軍服で帰ると、故郷の人々から賞賛だけでなく、散々悪口、子供の頃は泣き虫だった、彼何ほどの者ならん、ただ時の運強くして、などと言う(太宰治)。実際に津軽で自慢話をすると、その倍の悪口で言われるので、家内からも注意される。

 

自慢とは「自分で、自分に関係の深い物事を、他人に誇ること」、「自分のこと、自分の持ち物、自分が所属するものなどの良さを他に対して得意げに示すこと」となっている。“得意げ”については、相手がそう思うかの問題で、「自分の良さを他に示すこと」であれば、それほど嫌がられるものではない。アメリカ人は自慢話が好きだし、自分の良さをあまり喋らないのは日本人だけなのかもしれない。自分のことを相手に伝えるには、いいことばかりだと自慢話になるが、欠点も含めてしゃべれば、それほど嫌なものではない。私は他人の自慢話を聞くのは好きで、共感してどんどん攻める傾向がある。以前、父の友人で、太平洋戦争の時にラバウル航空隊にいた歯科医がいて、宮崎で一緒に飲んだことがある。自慢話ではないが、ついラバウル航空隊のことが話になり、そこでの生活や敵機との空戦などを聞いた。これは面白かった。相手のことを知るには、相手の自慢も含めて面白がる必要があり、自慢多いに結構という感じもある。


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