2019年10月18日金曜日

韓国、中国のノーベル賞はいつ


 ノーベル賞の季節も終わり、結果的には日本からはノーベル化学賞に吉野彰さんがめでたく選ばれた。発表前には、毎年、多くの候補が挙げられ、喜怒哀楽が見られるが、意外に日本人の候補者は毎年多い。

 ケムステというブログでも受賞前に2019年度のノーベル化学賞の予想を行い、157名の科学者の名を挙げている。もちろん日本人による予想のために、日本人の候補者は多く、29名いて、吉野彰の名もある。

 今回は、この157名の科学者のうち、日本以外のアジアの科学者を見てみる。まず有機化学の分野で多糖合成法への貢献としてChi-Huey Wong(翁啓恵)がいる。彼は1948年、台湾生まれのアメリカで研究し、現在は台湾大学にいる。分析化学では無細胞胎児DNAの検出による出生前診断法の確立でDennis Yuk-ming Lo(盧 煜明)がいる。1963年、中国、香港生まれの科学者で、オックスフォード大学で学び、今は香港中文大学にいる。生化学の分野では、ゲノム編集技術CRISPRの開発に、Feng Zhangがいる、今年、最も期待されていた分野である。1981年、中国生まれの若い学者で、今はハーバード大学にいて、国籍もアメリカ人になっている。さらに光合成系巨大タンパク複合体の構造解析ではJian-Ren Shen(沈建仁)がいる。1981年、中国で生まれた科学者で、東京大学で学び、今は岡山大学にいる。高分子化学の分野では、RAFT重合法の開発で、San H. Thangがいる。1976年にベトナムで生まれたベトナム人で、サイゴン大学卒業後、オーストラリアで学び、今はオーストラリアのモナーシュ大学にいる。材料化学の分野では、メソポーラス無機材料の合成および機能開拓でRyong Ryooの名がある。1957年、韓国生まれの科学者で、現在は韓国科学技術院にいる。また有機エレクトロミネッセンス材料の開発では、Ching W. Tang(鄧青雲)の名がある。1947年、香港生まれの中国人で、ブリティッシュコロンビア大学を卒業後、イーストマンコダックに勤務し、今はロチェスター大学にいる。アメリカ国籍をとる。エネルギー化学の分野では、ペロプカイト型太陽電池に開発と応用で、Nam-Gyu Parkの名がある。韓国の科学者で、ソウル大学を卒業し、今は成平館大学にいる。
化学賞の候補者には中国人が4名、韓国人が2名、台湾人、ベトナム人が1名ずつとなっている。微妙な点は、中国人のうち、2名は香港生まれ、1名は日本に在住、1名はアメリカ国籍になっている。純粋に母国で教育を受け、そのまま母国で研究活動をしている科学者は少ない。

 これはあくまでノーベル化学賞の候補であるが、157名中、日本人が29名、中国人が4名、韓国人が2名、ベトナム、台湾人が1名となる。2001年以降の国別ノーベル賞受賞者(2018年まで)は147名中、日本は18名、中国が1名なので、物理学や医学生理学でも同じような候補者比率なのだろう。候補者の比率からいえば、日本人は18.4%、中国人は2.5%、韓国人が1.3%で、毎回、自然科学系の受賞者が9名とすれば、日本人は毎年1名いてもおかしくはない。一方、中国人は5年に1名くらいは、韓国人も10年に1名くらいでる可能性がある。

 中国、韓国のようなコピー文化がはびこる所ではなかなかノーベル賞に値する研究成果はでないと思うが、もともと優秀な人物が外国、特にアメリカで研究するとなると話は違い、おそらく近い将来、アメリカ留学の中国人、韓国人の中からノーベル賞をとると思われる。

2019年10月14日月曜日

奈良美智作品、27億円

27億円で落札されたナイフ・ビハンド・バック
ニューヨークのバーにある落書き


弘前市鍛治町にある居酒屋の落書き


 弘前出身の現代画家、奈良美智の“ナイフ・ビハインド・バック”という作品が今年の香港でのサザビースのオークションで27億円という高値で落札された。つい最近まで、奈良の作品は数億円と言われていただけに、ここ数年の現代絵画の価格上昇は凄まじい。これは世界中の金持ちが投資対象として絵画を選ぶようになったことによる。かってバブル期、日本の会社が世界中の顰蹙をかって高値でゴッホの向日葵などの絵を買った。その後、バブルの崩壊とともにこれらの絵は競売にかけられたが、実際の価格はそのころの数倍になっており、間違った投資どころか賢明な投資出会った。

 それに関連してニューヨークのバーに奈良が描いた落書きが数億円の価値があると、話題になっているが、同様な落書きは弘前市の居酒屋にもあり、ここでは、壁へのプラスティックの保護板もなく、むき出しのまま手で触られたり、タバコの煙にさらされている。まあ、あくまで落書きであり、作品ではないので、これが数億円になることはないが、それでも好きな人からすれば壁画として数百万円であれば買われる可能性がある。ただ個人的に言えば、どちらもあくまで、作者が気まぐれで描いただけなので、そのまま展示し、汚れれば汚れていいし、店を壊すときはそのまま壊して欲しいだろう。逆に居酒屋の壁として店の歴史とともにどんどん汚れていくのこそ本望と思う。

 ただ個人的には、来春に開館する弘前レンガ倉庫美術館に、奈良美智の作品がこれほど高騰するともはや展示できなくなることを心配する。いくら弘前市出身の作家であれ、こうした売れっ子の作家になるとバイヤーが介在するために、たとえ美術館であっても安い値段で売ることはない。弘前レンガ倉庫美術館の作品購入資金は3億円で、これでは奈良の作品、一つ買うのがいっぱいであろう。むしろ転売を禁止した大型作品、体験型の作品など、作者から構想、デザインを買い、その指導を受けて業者が空間を作る方法の方が良かろう。昔のように有名作品を、見物者が一点一点見ていくやり方は、もはや古く、むしろ作者の世界観を体験できるような作品、環境を展示するような方法が望まれる。例えば、松本市にある松本市立美術館は草間彌生の奇妙な芸術を鏡ばかりの部屋や、水玉模様ばかりの部屋で体験できる。こうした体験型の芸術作品は移動が難しく、その美術館に行かなければ見られない。さらに画家にとって、自分との作品を恒久的に見てもらう場として美術館は必要だし、より自分の芸術を訴える手法としては、キャンバスに描かれた作品も重要であるが、大型の移動できない作品もまた興味があろう。

 もちろん、こうした大型の体験型の芸術作品は、作者にとってその構想からデザイン、製作までかなり時間がかかるため、それ相当な費用は必要であろう。問題はそうしたことも含めて来年春に開館が迫っている美術館サイドが、どこまで具体的に奈良と交渉しているかという点である。館長も決まっていない状況で、東京の会社に丸投げ状態、さらにこの会社と奈良との関係など、開館にあたり郷土出身の目玉作家の作品が展示されないような事態は避けたい。かって同じレンガ倉庫で、歴史的な奈良の展覧会が行われただけに、こうした経験が十分に生かされた内容であって欲しい。

 個人的にはこのレンガ倉庫で行われた奈良の最後の展覧会であるA to Zの2階で見たくらい海とそこに浮かぶ人間型の島、あの作品と理科実験室にような空間が忘れがたい経験であった。全国から多くの若者が来るような美術館になって欲しい。

この作品は、何か別の世界に行った気がした。


2019年10月13日日曜日

オークションで掛け軸を買う

西山翠嶂?の月下秋草図

落款


翠嶂の落款、右ページ、右上の署名と左下の印

翠嶂の印、外枠の四隅が太い

 テレビの開運何でも鑑定団は好きでよく見ているが、まさか自分が集めるほうになるとは思ってもみなかった。家を新築した時に和室を作り、ついでに床の間も作った。床の間に飾る掛け軸については、昔、尼崎の実家にあった金屏風に貼ってあった翠石の山水図とこれも実家にあった土佐光貞の土佐物語の掛け軸の二本だけであった。他には母が描いたお雛様の絵と花鳥図くらいで、しばらくはそれらを飾っていた。翠石の山水図については、当初、虎画の名手、大橋翠石のものと考えていたが、タッチが全く違うので、調べると近藤翠石という画家であることがわかった。森琴石の門下生で昭和のはじめ頃に活躍した画家で、当時はそこそこ人気のあった画家であるが、今や全く忘れられている。その後、ヤフーオークションで調べると、近藤翠石の作品が大橋翠石の絵として出品されていた。大橋翠石の作品はほぼ虎と決まっているので、近藤翠石の山水図を買う人はほとんどおらず、数千円程度で買える。

 ここからヤフーオークションでの掛け軸の購入癖が始まった。その後、近藤翠石の作品を数点購入し、ある日、オークションで唐美人とオウムという良い作品があった。作者は嶺雪とあるが、ほとんど資料はなく、唯一、沖縄県立図書館の土佐嶺雪の漁翁図が紹介されていた。たまたまほぼ同時期の作品であったので、落款が一致したので、これも数千円で購入した。その後、ヤフーオークションを見ていくと、時々、嶺雪の作品が見つかり、片っぱしから落札していった。ほとんど無名の作者なので、競合者もおらず、安い値段であった。13作品ほど集まったので、その後はよほど良い作品がない限り、落札しないようにしている。

 最近ではその他の作品も調べているが、これはと思うものは少ないし、あっても競合者が多く、落札価格も高くなり、ギブアップしている。

 私の落札方法は、まず、オークションで作品そのものの良し悪しをみる。素人なのでいい加減であるが、構図、技術やコンデションなどを見ていく。次に作者の落款を調べる。これらは大日本書画名家大鑑という全4冊の厚い本があるが、その中の落款印譜編を参考にする。この本の落款が原寸大かどうかは不明であるが、一応、大きさも検討対象にする。

 例えば、先日、購入した文化勲章受章者の西山翠嶂の月下秋草図でもオークションに載っている落款をまず比較する。すると署名の翠、嶂、それぞれの字はかなり似ているが、翠と小の字間が短く、また本来なら翠の字が嶂より小さいが、オークションの絵は同じである。かなり偽物の可能性が高い。一方、印章を見てみると、右ページ左下の印が非常に似ている。字および大きさはほぼ同じであるが、四角の囲みの四隅が少し違う。本物は四隅が厚くなっているが、オークションの印では右下のみが厚い。ただ印は押すときの力加減やスタンプの量で少し変わる。まあ50%は本物だろう。画風はほぼ西山翠嶂の雅かな京都風の作品であり、作品の内容自体は陳腐であるが、ピンクなどの色とりどりの秋草が現代風である。

こうしたことから、作品は偽物の可能性は高いものの、安ければ購入という結論に達する。一応、二万円を上限にオークションに参加する。幸い15000円くらいで落札できたので満足している。作品等到着後、印刷かチェックしたが、絵の具自体の厚みがある箇所もあり、手書きであることは間違いない。本物であれば20-30万円はするものだが、多分、偽物の可能性が高く、その場合は1000円くらいである。今時は、落款くらいなら、いくらでもコンピュータで本物そっくりにコピーできるが、一方、例えば、この作品、月下秋草図を肉筆で描き、偽物の落款を描き、装丁すれば、少なくとも偽作者への謝礼も含めて20万円くらいはかかる。本物でも20-30万円くらいにしか売れないのであれば、誰も偽物は作らない。西山翠嶂については広島県の海の見える社美術館で今年の1月まで西山翠嶂 知られざる京都画壇の巨匠”展が行われ、そのカタログ本が出ているようだが、購入できないでいる。

PS: 
2019.12.26のヤフーオークションで全く同じ掛け軸が根本雪蓬の武蔵野之図として出されている。上記の作品と色はやや違い、おそらくは印刷画の上に色をつけたのだろう。根本の署名や落款もかなり真似ており、かなり悪質な偽物である。短時間でオークションに出ていることから、署名、印を変えて数がかなり出回ってるものなので注意した方が良い。
根本雪蓬の作品としてオークションに出てる。悪質な偽物である。


2019年10月11日金曜日

矯正歯科の広告


 昨年、医療広告ガイドラインができ、HP上での広告規制がかなり厳しくなった。それまでは看板、雑誌などで医院を広告する際には厳しい規制があり、患者誘導となるような表現はほとんど禁止されていた。ただ、ネット上のHPではこうした規制もかなり甘く、ほとんど何でもありの状態であった。こうした状態により患者トラブルも増え、さらには特定商法取引法に矯正歯科も含まれる可能性が出てきたため、矯正学会でもこうしたネット上での広告を監視するようになった。実際には、学会で広告規制の雛形を作り、それを周知させるために、学会でアナウンスすると同時に、認定医、専門医の取得あるいは更新の際に、医院のHPをチェックして、広告での表現に問題があれば、それを指摘し、改善するまで資格取得できないようにした。

 例えば、私のHPでも以前は、患者さんの許可を得て、治療前後の口腔内写真を載せていたが、これは禁止となった。というのは全ての医療行為は、人間を扱っているために、必ずしも当初の目的通りに終了できるわけではなく、治療前後の写真を載せることは、患者に間違った情報を与えることになるからである。もちろん同様な理由で、治療終了した患者さんの声も載せられない。また“東北で唯一”、“最高の治療”などといった表現も禁止されている。そのため私のHPで載せていた“弘前で最初の矯正専門医”、“青森県で唯一の日本矯正歯科学会専門医”といった表現も、間違っていないが、禁止となり、消去した。またインビザラインなどのメーカーに依存した特殊な治療法なども掲載できず、例えば、自分の歯科医院では、オームコ社のデーモンブラケットを使って矯正期間を短縮しているといった表現もダメである。また治療患者数などを表示するのも難しくなり、私のHPでも”300人以上の口蓋裂患者“、“250名以上の顎変形症患者“などの表現も消した。逆に患者に与える情報として重要なことの一つに、矯正料金の明示がある。自費治療で、患者のもっとも知りたいのはいくらかということで、それはきちんと載せろというわけである。さらに日本矯正歯科学会の専門医、認定医の表示については、今のところ厚労省に認められていないため、表示は△となっているが、東北で数人とかの表現が×となっている。

 こうした規制により私の医院のHPもかなりの部分を削除したが、逆に規制に無関心の歯科医院、認定医や専門医がいないところでは、日本矯正歯科学会の勧告はほとんど関係がないため、好き勝手にネット上で誇大広告をしている。つまり認定医や専門医を持っている矯正治療のプロは、広告規制を守らなくては学会から認定されないため、客観的な事実しか載せられないのに対して、広告規制に無関係な一般歯科が派手な宣伝をして、患者はそちらに行ってしまう、悪貨が良貨を駆逐する状況になっている。

 どこの歯科医院がいいかなどほとんどわからず、患者さんの多くはネット上の情報から見つけるしかない。そのネット上の情報が、今のように野放しの状況で、かつ専門医のみ広告規制がある状態は非常に問題があり、一般歯科医においても広告規制の周知と何らかのペナルティーをさせるべきである。もちろん医療広告ガイドラインには中止命令や行政指導、罰金もあるが、未だ実施されたことはない。JAROのような機構を作るのも一つの手であるが、それ以上に日本歯科医師会、県歯科医師会で、自主的な指導や厚労省による開設取り消しなども必要かもしれない。おそらくは、過激な広告をしている歯科医院、一つを申し訳ないが犠牲になってもらい、厚労省からの指導、営業停止などの厳しいペナルティーを課せれば、一気になくなる。人間とは臆病な生き物で、ペナルティーがあれば、やめるものである。

2019年10月6日日曜日

ラグビーワールドカップで盛り上がる


 ラグビーのワールドカップ。開催まで盛り上がりに欠け、心配していたが、いざ始まると日本中が熱狂している。改めてラグビーの面白さを知った人も多いだろう。体と体のぶつかり合い、息つぐ間もない攻撃、大男に果敢にタックルする勇気、試合後のお互いの讃え合い。もともとラグビーとサッカーは兄弟であるが、その違いは大きい。

 私の伯父さんは、長崎の平和祈念像のモデルであった長谷川茂雄であることはこのブログで何度か取り上げた。東京高等師範学校卒業後、徳島県の脇町中学に赴任し、そこでラグビーを始めたのが四国で最初であった。さらに淀川工業高校、大阪府立大学の教授などをして、私が子供の頃は大阪府ラグビー協会の副会長であった。テレビのラグビー放送があれば、解説者として出ていたこともあったが、あまり喋りは得意ではなかった。伯父さんは変わっていて、よくご飯に砂糖をまぶして食べていたり、その茶碗を持ったまま寝ていたりした。今でいうナルコレプシーの傾向があった。私が小学校の低学年の頃、大学をそろそろ停年と言っていたので62,3歳くらいだったのだろう。髪の毛は黒々して、体も大きく、足は丸太くらい太かった。小さな家だったが、玄関から入った居間には全日本のユニフォーム、桜のジャージが各種のトロフィーとともに飾っていた。またミニカーの収集をしていたので、それも飾り棚に並んでいた。奥の間にはいつもコタツがあり、猫がいた。伯父さんが書いた油絵の肖像画、多分、伯父さんのお父さんの絵が飾れられていた。叔母さんに聞くと、この狭い家に、息子のターちゃんの同志社、近鉄の仲間である坂田好弘や青森出身の小笠原博もよく遊びに来ていたようだ。伯父さんは、年齢がいっても大阪の惑惑クラブでラグビーを続け、カナダ遠征などをし、三角形の奇妙なカバンをお土産に買ってきてくれた。

 ターちゃんは、同志社や近鉄でもポジションはセンターバックで、ペナルティーキックを担当していた。昔は今のようなサッカー式ではなく、ボールに対してまっすぐ後ろに移動し、足のつま先、トーキックでゴールを狙った。ターちゃんはキックの精度は高く、どこか忘れたが海外の大学選抜の試合でも失敗なく、何度もゴールを決めていた。うちに来た時には、ソビエト陸軍のミサイル戦車のプラモデルをお土産でくれて本当に嬉しかった。

 昔のラグビーは、どんな天候でも試合したし、けが人が出ても交代が許されなかった。そのために脳震盪で倒れると、マネージャが水の入ったヤカンを持っていき、倒れていた選手に水をかけるとスーッと立ち上がり、魔法のヤカンと呼ばれた。それでも試合中のほとんど記憶がない選手もいたほどで、今考えると危険であった。またウエールズやニュージーランドなどのナショナルチームは全てアマチュア選手であり、選手の何人かは医者であったため、倒れた選手がいれば、医者の選手がまず見にいき、様子をチェックした。日本の高校生は、現在でも試合中のヘッドキャップが義務付けされているが、これを発明したのが長谷川の伯父さんだ。大阪にあったラグビーメーカーのウシトラと共同してヘッドキャプを作った。これだけでもかなり脳震盪の予防には効果があると思う。

 昔、見た試合では、日本対ウエールズ戦が記憶に残っている。1983年でカーディフ・アームズパークの美しい芝生に驚いた。今でこそラグビーの試合といえば、芝生のグランドで行われているが、昔、花園ラグビー場はほとんど土のグランドで、カディーフのような綺麗な芝生のラグビー専門競技場はなかった。昔のラグビーではゴールキックの度に芝生を削ったりしたため、ラグビーの試合による芝の痛みがサッカーに比べて大きく、本来年間でもあまり試合ができない。秩父や花園も一応、芝のグランドであったが、あまりに試合数が多く、ほぼ土のグランドになっていた。

 今回のラグビーワールドカップではどの会場の美しく、芝も見事である。世界的にも優れた競技場であり、日本が登場しない試合でも多くの観衆を集め、これを見ただけで大成功であると確信できる。これを言っちゃいけないと思うが、サッカーの2002年、日韓ワールドカップも、当初の計画通りに日本の単独開催であれば、もっと歴史に残る大会であっただろうと悔やまれる。まだ大会半ばであるが、ラグビーの醍醐味を日本人に知らせるいい機会となったのは間違いない。高校ではラグビー部員が足りないところが多くなっているが、こうした大会をきっかけに是非入部してほしい。サッカーと違い、高校から始めても遅いということはない。日本代表の中にも高校から始めた選手がいるが、他のスポーツではこういう事はない。

2019年10月4日金曜日

今後、日本人はノーベル賞は取れない



 今年もまたノーベル賞の季節となった。医学生物学賞、化学賞、物理賞、文学賞、日本人の受賞者が出るか、期待される。

 先日、高校の同窓会のために神戸に行ってきた。久しぶりに多くの知人に会えて、楽しい集まりだった。皆、そろそろ会社や大学もリタイアの年齢になり、これからしばらくは関連の子会社に働くが、その後は年金生活だという。私のような歯科医や医師だけがまだまだ現役であるが、それでも70歳くらいでは引退したいと声が多い。63歳は今時まだ若いと言っても、健康寿命は後、10年くらいで、その後は寝たきりなど、何らかの障害を抱えて寿命を終える。海外旅行にしたり、好きなゴルフを思う存分できるのも、ここ10年くらいで、逆に70歳まで働くと、その後は、死ぬまで活動的なことはできなくなる可能性もある。

 同窓会で、大学で理学部の教授をしている友人と久しぶりに会った。彼の研究は多方面に渡っているが、物性などの基礎学問であり、彼の東大時代の恩師はいつもノーベル賞候補に名を連ねる。彼に今後の日本の科学、ノーベル賞について質問すると、かなり前途は厳しいようである。ことに博士課程の学生のポストがなく、予算も厳しいので、満足な研究ができないという。湯川秀樹の時代は鉛筆で物理学の研究ができたが、今や莫大な予算がなければ科学研究はできない。また少なくとも国立大学でいえば、助手など常勤のポストがなければ安心して研究に邁進することができないだろう。ことにノーベル賞の対象になるような基礎研究は、多くの失敗の中から生み出されるもので、成果が出るまでに多くの時間を要する。さらに日本では若者人口が減り、優秀な理系学生は大企業から引っ張りだこで、なかなかマスターまでは行っても、博士課程に行く学生は少なくなり、その後のポスドクの環境も厳しく、企業勤務に吸収されていく。この過程で、ノーベル賞を取るような優秀な若者は基礎研究から離れていく。また医学部の同級生に聞くと、今の若者は海外留学に関心がなく、日本国内の内地留学さえ拒否するという。昔は、欧米留学は全ての研究者、医師、歯科医も憧れたもので、少なくとも1年、できれば3年ほどは海外で生活したいと夢があった。ところが現代の若者は、教授がお膳立てをして海外留学を勧めても拒否されるという。

 中国やインドなどの若者にとってアメリカは憧れの国であり、優秀な学生はアメリカで研究する。それがアメリカのノーベル賞受賞が多い要因の一つであるが、そこに日本の若者はいない。日本国内での研究だけでノーベル賞は取れないことはない。ただアメリカなどの大学や研究機関で働くことは、世界中に多くの研究仲間を得ることになり、同時に多くの国際学会で発表することになる。日本人自身、国民性としてじっくり時間がかかる基礎研究は向いていると思うが、海外留学などのチャレンジ心も含めて、日本政府も本腰を入れないと、今後は日本人のノーベル賞も激減する可能性は高い。

 これは弘前大学だけかもしれないが、勤務する外国人教師の連絡は全て日本語で行われている。教授会の日程から研究予算の申告、授業のカリキュラムなど、全ての情報は日本語で発信される。もちろんこうした漢字も含めたメール文が一日に多く発信され、それを日本語が母国語でない外国人に理解されることは不可能である。こうした例、一つとっても、日本の大学の国際化は遅れている。すでにアジアでもシンガポールの大学では国際化が日本より進んでおり、将来的にはこうした大学で研究する学者がノーベル賞を受賞するかもしれない。日本は治安がよく、研究予算が十分にあれば、外国人学者にとってもいい国であるが、こうした大学の国際化の遅れが、優秀な外国人研究者、特にアジア圏研究者の招致を拒んでいる。

2019年10月3日木曜日

光ミュージアム 近現代日本画の軌跡

この絵以上に陳腐な作品であった(横山大観)


弘前博物館では、現在特別企画展として「光ミュージャム 近現代日本画の奇跡」を開催している。岐阜県高山市にある光ミュージアムのコレクションから、明治初期からの著名な日本画家の作品を展示している。

この時代の日本画家は比較的で好きで、興味があるため、本日、早速行ってきた。平日の2時過ぎということもあり、あまり来場者もなく、ゆっくりと観賞できた。光ミュージアムというのは世界真光文明教団の初代教祖、岡田光玉の業績を讃えるために作られた美術館で1999年に開館した。実際に誰が作品を購入したかは不明であるが、美術館コレクションとしては一般的な個人美術館に比べて作品テーマーが雑多で、今回の企画展もその傾向がある。

菱田春草などはいい作品であったが、巨匠、横山大観のものは大型の屏風も含めてつまらない。ことに昭和14年作の蓬莱山という作品は完全な駄作で、一瞬偽物ではないかと思ったほどである。川合玉堂の作品も横山大観ほどではないが、金があるんだったら、もう少しいい玉堂の作品を購入してはと思った。一方、美人画は、内容は濃い。上村松園は、あちこちの展覧会で見ているが、彼女の絵は本当に上手で、今回のコレクションの作品も見事である。特に明治35年作の「夏の夜図」は、線描が本当に細くて美しく、女性の柔らかい曲線を表現している。ただ昭和12年頃、年齢でいうと62歳頃の作品「美人之図」は顔部分で、綺麗に描かれているが、どうも着物部分の描写が太くなっていて、絵の雰囲気を壊す。他には鏑木清方や伊東深水の作品も見事である。

明治期の日本画の優れた作品は、ほぼ国立博物館や海外の主要美術館に収められ、また戦前の金持ちの個人コレクションとなっている。そのため横山大観でもいい作品は横山大観記念館などの収められていて、明治大正期の大観のベストな作品はあまり世にでない。足立美術館の横山大観、ことに戦後の有名な富士山の絵はあまり評価できない。一種のお飾りのような絵であり、芸術性は乏しい。もちろん横山大観は近代日本画のリーダーであり、その才能はすごいが、晩年、名を挙げると、人々が期待する安易なテーマー、富士山、蓬莱山などを書くが、これはつまらない。

ただ一つ、ものすごくびっくりしたのは、ほとんどの作品は掛け軸だったが、その表装は立派で、金がかかっている。最高の表装をしているようで、これだけは流石に展覧会作品と思った。実をいうと、うちにあるオークションで買った掛け軸もそこそこいいと思っているが、それでも表装だけは比較にならない。日本画全体に思うのだが、作品の名を隠して作品を評価、それもできれば外国人に見方で評価した場合、どうであろうか。もちろん今回の展示会の美人画の評価はかなり高いと思われる。外国人から見た日本人女性の典型がそこにはあり、その表現や描写法も西洋画とは全く異なり、中国やインドなどの美術とも違う、日本独自のものであり、見所はあり、それはコレクションとしても価値がある。



キャシュレス社会と銀行



 日常生活におけるキャッシュレスが驚くほどの速さで進んでいる。最初はマスターズやビザのようなカード払いが主体であったが、その後、交通機関にスイカが使われるようになり、スマホ時代になるとPay-Payのような本格的なキャッシュレスの世界となり、食事や買い物などに使われるのが普通になった。日常生活ではほぼキャッシュ、現金がなくても生活できる。それでも一部のところ、例えば歯科医院では手数料の関係で診療費のキャッシュレスはまだまだであるが、これももうすぐ使えるようになるだろう。

 さらには個人間の送金も、銀行や郵便局を介さずに全てアプリを使ってできるようになった。例えば、親が子供に学費と生活費を送る場合も、親のスマホから子供のスマホに時間を選ばず、自由に送金でき、それも子供は一切、現金化せずに生活費に使える(金額の制限があるが)。こうなるとこれまで郵便局や銀行がしていた業務のかなりに部分をスマホでできることを意味する。

 もともと銀行は、商売などをして稼いだ現金を銀行に預けることを一義とした。家に置いておくより銀行の大金庫に預けた方が安全だからである。そのため江戸時代の両替商は金を預ける費用をとった。その後、西洋式の銀行が入ってくると、預けた現金を、誰かに貸してその利益を得るようなシステムとなった。預金に利子をつけて金(現金)を集め、それに上乗せした利率で貸し出し、その差額を銀行の利益とした。ところが近年、その利子が低くなり、銀行は収益を得るのが難しくなった。そしてそれ以外の収入、送金などの手数料を上げて利益を得ようとした。ところが10000円の送金に手数料が300円もかかるようになると、もっと安いところ、例えばジャパネット銀行などのネットバンクを選ぶようになり、さらにはPayPayなどの個人間送金は今のところは手数料がかからない。こうなると銀行は敵わない。さらに現金支払い機そのものが必要なくなる。銀行はこうしたキャシュレスの慣れていない年配の方のみが利用するところになるであろう。そういえば、昔、三井住友ファイナンシャルグループの株を買い、その頃、株価は4300円くらいであったが、その後、その後、5000円以上になり喜んでいたところ、キャシュレス社会の勢いから最近では3700円くらいに低迷している。こうしたことからも将来的には銀行の役割はかなり減るだろうし、その存在も厳しい。

 一方、現金をほとんど持たないのが一般的となると、まず泥棒が減るだろう。彼らにすれば貴金属や宝石などを換金するのは足がつくため、基本、現金を狙っている。下見をして十分な準備をして家に侵入しても全く現金がなければ空振りで、商売としては成り立たない。同様に町のギャング、恐喝して“金を出せ”とナイフで脅かされても現金はない。お賽銭もスマホで払える神社や寺も出現しているようで、中国出張の多い娘に聞くと、中国、それも上海などの大都市は日本以上にキャッシュレスが進んでおり、現金はほとんど使わないという。紙幣は汚いし、偽札も多いとからという。

 レストランや食堂などでは、お客が食事代を現金で払い、店主はそれをまとめて銀行に持っていく。そして店主の生活費や材料代などは銀行に入金された金から払われる。これが現状であるが、これが全てスマホによるキャッシュレスになると、店主はお客の食事代をスマホで確認し、そこから材料代などを払う。全く銀行を介さずに全てスマホだけで処理できることになる。流石に家のローンなどは銀行で借りる必要はあろうが、今後の銀行は店舗、人員も含めてかなりの縮小が予想される。