今年もまたノーベル賞の季節となった。医学生物学賞、化学賞、物理賞、文学賞、日本人の受賞者が出るか、期待される。
先日、高校の同窓会のために神戸に行ってきた。久しぶりに多くの知人に会えて、楽しい集まりだった。皆、そろそろ会社や大学もリタイアの年齢になり、これからしばらくは関連の子会社に働くが、その後は年金生活だという。私のような歯科医や医師だけがまだまだ現役であるが、それでも70歳くらいでは引退したいと声が多い。63歳は今時まだ若いと言っても、健康寿命は後、10年くらいで、その後は寝たきりなど、何らかの障害を抱えて寿命を終える。海外旅行にしたり、好きなゴルフを思う存分できるのも、ここ10年くらいで、逆に70歳まで働くと、その後は、死ぬまで活動的なことはできなくなる可能性もある。
同窓会で、大学で理学部の教授をしている友人と久しぶりに会った。彼の研究は多方面に渡っているが、物性などの基礎学問であり、彼の東大時代の恩師はいつもノーベル賞候補に名を連ねる。彼に今後の日本の科学、ノーベル賞について質問すると、かなり前途は厳しいようである。ことに博士課程の学生のポストがなく、予算も厳しいので、満足な研究ができないという。湯川秀樹の時代は鉛筆で物理学の研究ができたが、今や莫大な予算がなければ科学研究はできない。また少なくとも国立大学でいえば、助手など常勤のポストがなければ安心して研究に邁進することができないだろう。ことにノーベル賞の対象になるような基礎研究は、多くの失敗の中から生み出されるもので、成果が出るまでに多くの時間を要する。さらに日本では若者人口が減り、優秀な理系学生は大企業から引っ張りだこで、なかなかマスターまでは行っても、博士課程に行く学生は少なくなり、その後のポスドクの環境も厳しく、企業勤務に吸収されていく。この過程で、ノーベル賞を取るような優秀な若者は基礎研究から離れていく。また医学部の同級生に聞くと、今の若者は海外留学に関心がなく、日本国内の内地留学さえ拒否するという。昔は、欧米留学は全ての研究者、医師、歯科医も憧れたもので、少なくとも1年、できれば3年ほどは海外で生活したいと夢があった。ところが現代の若者は、教授がお膳立てをして海外留学を勧めても拒否されるという。
中国やインドなどの若者にとってアメリカは憧れの国であり、優秀な学生はアメリカで研究する。それがアメリカのノーベル賞受賞が多い要因の一つであるが、そこに日本の若者はいない。日本国内での研究だけでノーベル賞は取れないことはない。ただアメリカなどの大学や研究機関で働くことは、世界中に多くの研究仲間を得ることになり、同時に多くの国際学会で発表することになる。日本人自身、国民性としてじっくり時間がかかる基礎研究は向いていると思うが、海外留学などのチャレンジ心も含めて、日本政府も本腰を入れないと、今後は日本人のノーベル賞も激減する可能性は高い。
これは弘前大学だけかもしれないが、勤務する外国人教師の連絡は全て日本語で行われている。教授会の日程から研究予算の申告、授業のカリキュラムなど、全ての情報は日本語で発信される。もちろんこうした漢字も含めたメール文が一日に多く発信され、それを日本語が母国語でない外国人に理解されることは不可能である。こうした例、一つとっても、日本の大学の国際化は遅れている。すでにアジアでもシンガポールの大学では国際化が日本より進んでおり、将来的にはこうした大学で研究する学者がノーベル賞を受賞するかもしれない。日本は治安がよく、研究予算が十分にあれば、外国人学者にとってもいい国であるが、こうした大学の国際化の遅れが、優秀な外国人研究者、特にアジア圏研究者の招致を拒んでいる。
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