2018年5月17日木曜日

りんご台湾輸出と山田純三郎





青森りんごの輸出は好調で、昨年度は2万トン近くのりんごが、台湾、香港、中国、タイなどに輸出されているが、その中でもダントツに多いのが台湾向けであり95%を占める。

りんごの輸出は、明治期から始まり、主として中国、マニラさらにはロシアまで輸出されていた。戦前の統計では中国向けが一番多く、上海を経由して輸出されていた。次は満州向け、そして台湾向けが多かった。荷造りなどに工夫を凝らしたようだが、どうしても日持ちはせず、輸出量も少なかった。

戦後、昭和24年には、早くも香港向けにりんご輸出が始まったが、量は少なく、それでも豊作であった昭和27年には香港向けだけで8500トンの輸出があった。ちなみにこの年の台湾向けの輸出量は267トンで香港向けに1/30に過ぎない。さらに台湾向けの輸出は昭和28年、29年はゼロとなり、ようやく昭和30年から台湾向けが増え始め、昭和45年ごろに輸出先首位となった。昭和34年に日華通商協定によりりんご輸出がバナナ輸入とのバーター取引で拡大されたが、このことが輸出量の拡大した一つの要因であろう。弘前市では台湾バナナをメインにした果物屋が多いが、こうした事情にもよる。

山田純三郎が長い中国生活を切り上げ、日本に帰国したのは昭和22年、昭和29年には台湾における蒋介石総統就任式に招かれ、旧交を温めた。その前後から、台湾の旧知の国民党の重鎮との交際を開始し、日本から台湾への訪問者の仲介をしている。愛知大学東亜同文書院大学記念センターの収蔵資料目録をみると、鄭彦棄から純三郎の手紙に、紹介された斉藤泰治と会談、台湾でのリンゴ販売の件は斉藤氏から報告させるの記載がある。さらに前後して国民党重鎮の張道藩などの手紙では台湾のバナナのバーター貿易に関する問い合わせが相次ぎ、昭和34年の日華通商協定に純三郎はバックで活躍していたようだ。斉藤泰治は青森県リンゴ課長で、リンゴの台湾輸出を積極的に進めていた人物である。また純三郎と手紙での交際のあった弘前市、対馬竹五郎は、リンゴ栽培農家であり、県議まで勤めた有力者であり、こうした事例をみると、山田純三郎は若い頃、東京でリンゴ販売をしたこともあるせいか、戦後、自分のもつ台湾国民党の有力者のチャンネルを利用して、青森リンゴの台湾への輸出に尽力した。そうした意味では山田純三郎は今日のりんご台湾輸出の盛況の恩人と言えよう。


もうすぐに発表になるが、弘前市では平成30年度の日本遺産に「サムライの生んだ日本一のりんごのまち」というテーマで応募している。詳細は不明であるが、弘前藩士族、山田浩蔵の息子、山田良政、純三郎は日台中間の友好に活躍し、結果として今日の台湾へのリンゴ輸出に繋がっている。それを考えると、貞昌寺にある山田良政、純三郎に碑は弘前市のテーマに沿った日本遺産に該当してもよかろう。

1952年には8531トンあった香港への輸出は2008年には770トンへ、1968年には10281トンあったフィリッピンへの輸出は2008年には8トンへ、1956年に1481トンあったシンガポールへの輸出は2008年には65トンへ、いずれもアメリカ産、豪州産、中国産の低価格りんごに押されて大幅な減少となっている中、台湾では青森産リンゴは高級果実として大幅な増加となっている(戦後青森産りんごにおける輸出構造の形成とその要因について、黄孝春など、弘前大学大学院地域社会研究科年報、2010)。日台間の強い友好の故であろう。

2018年5月16日水曜日

日大、アメフト問題



 日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの試合での日大のラフプレイがネット上で炎上している。あまりにひどいラフプレイに対して、反則を犯した日大の選手以上に、そうした行為を指示した日大の監督あるいは、そのチームの姿勢に対する強い批判が出ている。

 私もそのラフプレイを動画がみてみたが、これほどひどい反則は見たことはない。サッカーでもひどい反則はいっぱいあるが、あるプレイがあって、その後に殴るあるいは蹴るという流れとなる。その間、1秒くらいで、連続している。当然、こうしたラフプレイは選手生命を終わらせる可能性はあるため、強い処分が求められる。ただ今回のラフプレイは、3つの問題点がある。まずアメリカンフットボールの審判は、なぜあのプレイで一発退場を命じなかったのか。見過ごしたのであればわかるが明らかに近くで見ていたし、反則を宣言している。すべてのスポーツであの行為は即刻退場のプレイである。それをそのまま流したのは、審判のレベルの低さを現している。さらにラフプレイをしたシーンをみるとクオータバックがボールを投げてから2、3秒後にデフェンスをタックルしている。これは十分に自分の行為を理解した上に行動であり、かっとなって、おもわずというレベルではない。もしこのデフェンスがこうした弁解をするなら、よほど頭の悪い選手で、思って行動に出るのが2、3秒かかる恐竜なみの頭で、これではすべてのスポーツは危険となる。監督がラフプレイを命じたとの報道もあるが、命じた方もひどいが、それを実行する方もひどい。誰かを殺せと言われれば、すぐに実行するようなものである。
 サッカーの試合でも、相手のエースを“潰せ”という指令が監督からでることがある。厳密に言えば、この“潰せ”とは相手に仕事をさせないくらい厳しく対応することだが、中には本当に足を蹴って、怪我をさせる選手がいる。程度を知らない選手である。こうした選手に監督はよくやったと褒めることがある。厳しいのと怪我をさせるのは全く違い、故意に相手を怪我させる行為は、傷害罪となる。今回の日本大学のデフェンスの選手はこれに近い。

 さらに日大のコーチ、監督は当初騒ぎになるまで、このラフプレイをそれほど問題視していない点である。勝つためには何をしても許されるチームであったのだろう。すべてのスポーツはルールがあって、その中で試合をしている。プロの試合、サッカーではずるいプレイも必要なことはあるが、選手生命を奪うようなプレイは禁じられているし、重い罰則となる。ましてやアメリカンフットボールは日本ではプロスポーツではなく、こうした非紳士的なプレイがあった場合は、即刻、試合を中断して、審判団、協会メンバーで協議し、没収試合にすべきであろう。さらにアメリカンフットボールが危険であるという風評をなくすためにも、日本大学に対しては、厳しいようだが、選手の追放、監督の解任と1年間の対外試合禁止などの処分が必要だろう。さらに言うなら、このプレイと日本大学の対応については、第三者、アメリカのフットボール大学関係者と一緒に協議すべきであろう。


 NFLの最も汚いプレイという動画がyou-tubeに載っているが、今回のラフプレイはこれら歴代の汚いプレイを越えるもので、ある意味世界一のラフプレイとして残るであろう。アメリカンフットボール好きのアメリカ人の日大のラフプレイを見せると、悲しそうな顔で本気で怒っていた。好きなものを穢されたように思ったのだろう。さらに言うなら、日大アメフト部は大学生、大人のチームであり、子供ではない。部員達の話し合い、あるいは監督、コーチの方針に対する批判などないのだろうか。この際、部員達もしっかり話し合いをすべきであり、その結果を協会に伝えるのもいいだろう。確実に廃部に繋がる問題であり、部員たちも声を上げるべきである。

2018年5月13日日曜日

迷宮グルメ異郷の駅前食堂




 お笑いのヒロシさん。最近はあまりテレビに出ていませんが、好きな芸人の一人です。彼は少しとぼけた感じで、ハンサムな風貌ですが、どこかあか抜けていない田舎の臭いを持っています。こうしたキャラが十分に生かされているのが、BS朝日の「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」という番組です。毎週、金曜日1024分から放送されていますが、あまり見ている人はいません。

 これまでベルギーやトルコなどの観光地でない駅に降り立ち、駅前の普通の食堂で昼飯を食べるという単純なストーリーなのですが、バックを流れる「荒野の用心棒」の曲と相まって面白い番組に仕上がっています。出川哲朗ほどではありませんが、ヒロシさんも英語があまり得意ではないので、旅先では四苦八苦します。さらにトルコやハンガリーなどでは英語が通じず、一切、何を言っているかわからないに状況に落ちいります。そうした状況でも腹は減るもので、ヒロシさんは町行く人に身振り手振りで食堂が聞きまくり、日本でも田舎の駅前にあるような汚い食堂にたどり着きます。

 もちろんこうした食堂には、観光客はこないのでしょう。メニューはすべて現地語のみで、写真などは一切ありません。隣の客が何か食べているのであれば、それと同じ物を注文できますが、いないと全くでまかせで注文することになります。通常の食レポの番組では美味しい所を取材しますし、番組に協力いただいたレストランのこともありますので、レポーターもまずいとはいえません。ところが迷宮グルメではこうした制約もありませんので、ヒロシさんもさんざんな目に会います。一方、本当においしそうな料理に当たることもあります。基本的には地元民に愛される、繁盛店に入っているようなので、もともとはうまい食堂なのでしょう。ただ味付けは現地人に合わせているので、日本人からすれば全く合わないこともあります。番組の中ではヒロシさんは平気でまずい、味がないなどと言っています。

 一方、不思議なもので、トルコの地方の駅前食堂の内部は、例えば青森県平川市や大鰐町の食堂とそっくりなのです。汚い机と椅子、使い込まれたメニュー、食器、気のいい料理人とその奥さん。安くてボリュームのある料理が出てきます。私達にとり、世界の料理と言えば、フランスの三ツ星レストランの名物料理などがテレビで出てきますが、世界にはもっと手軽な家庭料理がいっぱいあることをこの番組は教えてくれますし、確かに駅前の地元に愛される小さな食堂にこそ、その国を代表する普通の料理を食することができるのでしょう。これは全く日本でも同じです。


 BSでは、バスぶらり旅など、旅行とグルメが合体した番組が多くありますが、その中では、この迷宮グルメは、ダントツに面白番組で、是非みていただきたいと思います。それにしても海外に行って、メニューが一切わからない時の恐怖はいやなものです。漢字であれば、その字から料理のイメージを想像できますし、英語であればウエイターに聞いて何とか注文できるかもしれません。ただトルコ語で書かれたメニューで、ウエイターも英語を一切しゃべれない、おそらくアメリカ人が大鰐町、日影食堂に来た時と同じような状況は、旅行者にとってギャンブルでしょう。そして出された料理自体、あるいは中に入っている具材もわからないものを食べるのは勇気がいります。こうしたおかしさが、ヒロシさんのキャラに相まって、面白い番組に仕上がっています。ベルギーやオランダの田舎もいいのですが、インドとか中国の誰も行かないような奥地の駅前食堂、まだまだ行くところは多いと思います。是非とも地上波放送への昇格を期待します。

7/20 最近、ヒロシさんがプチブレイクしています。BS-TBSで水曜日の23時半から「ぼっちキャンプ」が放送されています。これはヒロシさんの趣味である一人キャンプを紹介したものです。内容はこれといってなにもないのですが、それでも面白いし、主題歌がかっこいい。迷宮グルメもそうだが、どちらも30分番組が作れないというのが、ヒロシさんのいいところです。動画を上げておきます。



2018年5月12日土曜日

三菱MRJ


 バブルの頃、株で少し失敗したため、その後、ずっと株をしなかったが、三菱重工が国産旅客機MRJを開発していることから、その応援も兼ねて、三菱重工株を数年前に買った。株価は一時、上がったが、最近はMRJの開発の遅れが嫌われ、また下がってきた。

  戦後最初の国産旅客機YS-11が量産開始されたのが1965年(昭和40年)で、この時は三菱重工だけでなく、川崎、富士、新明和などオールニッポンの体制で開発が行われた。1959年から開発が行われたが、戦後ほとんど飛行機製造から遠ざかっていたため、開発は難航し、操縦性の悪さを改善するのに時間がかかった。完成した機体は、戦前の日本機と同じ欠点、パワー不足が指摘され、パイロットからは操縦の難しい飛行機であった。それでも戦後、日本で初めて開発された本格的な旅客機であり、独特な形態のYS-11は好きな機体である。機体価格が安い割に、乗客数が多いので、海外でも結構売れたが、いかんせん当時の日本には海外でものを売るノウハウが全くなく、ましてや航空機の輸出は、メンテナンスも含めて難しい。結局、黒字がでないまま昭和47年に182機で生産中止となった。

 大阪青森間は長い間、YS-11が使われていたので、私もなんども利用した。機内の騒音がひどかったが、パイロットの技量によっては、霧で十メートル先が見えない天候でも、青森空港に目視で着陸したことがある。この時は3度目のトライで着陸した。今ではこうした危険な着陸はしないであろうが、当時は大阪青森でも航続距離からすれば余裕はなかったので、強行したのだろう。鹿児島から奄美、与論島など離島に行くにもYS-11に乗ったが、途中、海しかないので、この時は、体重、荷物まできちんと測定して乗った。

 YS-11の後にはYXYXX計画があったが、いずれも途中で中止となり、日本の航空産業は、ボーイング社の共同開発によって、かろうじて残った。その後、46年経ち、ようやく国産の旅客機が開発が始まったのが三菱MRJである。最後の挑戦となる。現在、三菱MRJFAA(米国連邦航空局)の型式取得を取るため、アメリカで飛行試験を行っている。今のところ順調に試験は進んでいるが、ただ気になるのは、いつになったらFAAの取得ができるか、はっきりしていないことである。通常、FAAの型式取得には2500時間の飛行が必要で、すでに計画通りであれば、この数値は2000時間になっており、型式取得が近いはずだが、記事で来年以降となっている。4機体制で試験を行い、毎月100200時間くらいプラスになっていると思うが、何か飛行時間を延長するような問題点があったのだろうか。型式取得さえできれば、競合するブラジルのエンブラエルやカナダのボンバルディアより機体設計が新しいだけに、燃費の良さといった利点はなくなっても、まだまだ勝因はある。MRJ70-90座席の小型機であるが、その上の100-150座席サイズでは、1967年初飛行というB737がまだベストセラーとなっている。737は改良して別機体となっても、すでに初飛行から50年の年月は古く、後継機が必要であろう。ボーイング社やエアバス社とも競合するカテゴリーだが、このフィールドを押さえないと利益には結びつかない。MRJのシリーズ化が必要であろう。

天下の三菱重工とはいえ、ボーイング社に比べると売り上げは半分以下、利益は1/10であり、会社として到底勝負にならないが、日本の飛行機産業参入への最後のチャンスであり、トヨタ初め財界の支援、政府も後押しも必要な国家事業である。飛行機産業は車以上に裾野の長い産業であり、三菱重工のお膝元、名古屋でも期待しており、一企業を越えた大きな事業である。