2022年4月24日日曜日

本多庸一の書

 





                                      


先日のヤフーオークションで、本多庸一の書が出ていた。偽物の可能性はないとは思うが、一応、ネットで本多庸一の書についてチェックしたが、印章や落款についてはわからない。そこで本多の書、印章、落款がある本を探してみると、本多庸一の伝記のバイブルとなる気賀健生著の「本多庸一 信仰と生涯」(教文館)にたどり着く。本多については最も詳しく書かれた本である。ここに一章を設けて“本多庸一の書”が紹介されている。画像自体が小さいので、詳細ははっきりしないが、35枚の書が示されている。聖書の聖句から論語と書題は幅広い。

 

本多は、聖職者が主たる職業で、さらに教師、政治家?が副業であり、書家としてもなかなかの腕前である。おそらく書を書くのも好きで、頼まれれば揮毫するが、ただそれほど誇るところもなかったのだろう。印はほぼ同じで、「本多庸印」と号である「小静」の二つしかない。署名は「庸一」が一番多いのだが、「小静」や「小静庸一」の署名もある。書のレベルとしては、江戸時代の武士の書としては、なかなかのものであり、明治以降生まれの日本人に比べると群を抜いている。幕末に生まれた森鴎外や夏目漱石の書となると、これは侍として正式に書を習ったものではなく、我流の書となる。森鴎外の生まれたのは、文久二年(1862)で、彼は一種の天才で幼い頃から四書五経を学んでいたが、廃藩置県をきっかけに明治五年(1872)に上京して、翌年には11歳で東京医学校(東京大学医学部)に入学する。これらの経歴から、幼少期に多少は書を学んだと思われるが、本格的な書を学ぶ時期はなかったと思う。それに対して、本多庸一の生まれたのは嘉永元年(1849)で、彼も早熟の天才で藩校である稽古館で早くから漢書を学び、さらに17歳からは藩に出仕し、実務に携わり、戊辰戦争でも多くの活躍をした。これらの合間を縫って、正式に書を習ったものと思われる。師匠の名はわからないが、藩校の書額頭の小山内西山あるいは小山内暉山から指導されたかもしれない。本多家は弘前藩でも中級から上級士族であり、家の格に沿った漢学と書道を習ったのであろう。

 

落札した書には「眼到心到身到」と書かれている。「心到」についてはかなり崩しているので他の漢字を調べてみたが、「到」の大幅な崩しとみなした方が良い。これは中国、宋の朱子が唱えた読書の要諦「眼到口到心到」を変形させたものである。朱子が唱えるものは、まず眼で一字一字よく見て、それを口で唱えて、心を込めて読めば、心にしむというものだが、本多は口に出さなくてもしっかり心で読めば、次第に身につき、本の教えを実際の行動に移せるととく。本多は弘前藩の藩校、稽古館で、講師の櫛引錯斎の薫陶を受けた。櫛引は朱子学を本多に教えて、その人柄に強く惹かれた。青年になると朱子学から次第に陽明学に惹かれるようになり、それが「身到」になった理由であろう。本を読むだけでなく、しっかり心に入れて、そして身につけて行動しろと。

 

他の明治期のキリスト教指導者の書をみると、内村鑑三は正式に書を習ったことはないのか、残されている書をみると、言っては悪いがかなり稚拙である。同志社の創立者、新島襄もなかなか達筆ではある。新島は天保14年(1843)生まれで、身分はそれほど高くはないが、安中藩士の子供であり、士族としての書を習ったのであろう。ただ本多ほど自由闊達な書とはなっていない。明治の有名人の書をみると、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、福沢諭吉など1830年代前後に生まれた人は、江戸時代のしっかりした書道教育を受けて達筆であるが、幕末、1850年以降の次の世代、新渡戸稲造、原敬あたりになると書もだいぶ下手になる。そうした意味では、本多庸一は書で見ても心身ともに武士であったのだろう。

 

P S:弘前市の本販売ランキングは、土手町、中三デパートになるジュンク堂の売り上げをもとにしている、3月初めに出版し、7位—7位—10位—5位となり先週ようやく1位となった。前に出版した「新編明治二年弘前絵図」や「津軽人物グラフィティー」では出版早々に1位になったが、今回の本は少しづつ口コミで購買数が増えているようである。嬉しいことである。

 


ヤフーオークションでもう一つ、本多庸一の書が見つかりましたので、購入しました。マタイ福音書第7章18節の「善樹は悪果を結ばず」の一節。あたかも漢学のような感覚で聖書を書にしています。






2022年4月17日日曜日

口元が出ている患者さんの矯正治療






このところコロナ禍のせいか、マスクをするのが普通となり、その間に矯正治療をして歯並びを治そうと考える患者さんが多くなっています。目元はいろんなメーク〜で魅力的にできるのですが、マスクを外すと自分のイメージした顔になっていないと感じるようです。この場合、歯並びが悪い、具体的に言えば歯が凸凹している、ねじれているというだけでなく、口元が出ているのも気になる人が多いようです。そのため、最近の来院患者さんを見ていると、でこぼこはそれほどでなく、どちらかというと口元が出ていて、それが気になるという患者さんが増えています。口元が出ていて、お口を閉じられない、歯がいつも露出しているというタイプです。こうした患者さんの不正咬合を上下顎前突と呼びます。確かに上下の顎が前に出ているケースもありますが、一般的には上下の歯が出ているケースです。

 

この亜流として、凸凹があり、下アゴが小さいために、口元が出ている症例があります。下あごが後方に回転しているもので、アゴが後方に回転しているために下の顔の長さが長くなり、後退しています。上の歯は必ずしも前に飛び出ていませんが、下の前歯が前に出ています。日本人に多いタイプの不正咬合で、診断としては上顎前突の部類に入ります。

 

いずれの症例でも、歯を抜かない治療はかなり難しくなります。上下顎前突の場合、歯と歯の間を削るディスキングや大臼歯の後方移動でも十分な空隙確保ができず、小臼歯4本を抜いて治療する場合がほとんどです。さらにいうと大臼歯、特に上の大臼歯が前にいってほしくないため、ヘッドギアーや矯正用アンカースクリューを併用します。また下顎が後方回転している症例では、大臼歯の後方移動はさらに下顎を後方回転させるために禁忌となり、これも小臼歯抜歯症例となります。とりわけ、こうした症例は容易に上の大臼歯が前に動いてしまいますので、大臼歯が前に出ないような工夫、最大固定が求められます。さらに上の前歯がそれほど前に出ていない場合は、後ろに移動させるにはトルク、歯の根を中に入れる動きが必要なので、治療が難しくなります。日本矯正歯科学会の専門医試験のカテゴリーの中でも最も集めにくい症例です。つまりうまくいっていない症例が多いことを意味します。

 

You-tubeなどでインビザラインの症例を見るのが好きで、よく見ていますが、こうした口元が出ている症例を、歯を抜かないで、治療しているケースがたくさんあります。私のところにもメールで相談にくる患者さんもいます。まず初診時の横顔のレントゲン写真、セファロ写真と現状のセファロ写真の分析結果を見せてもらうように勧めます。上下の前歯の理想的な角度や鼻—オトガイ(E-line)など、前歯の関係が正常であるかを示す数値がたくさんあり、それと理想的な歯並びの標準値を比べます。治療中の前歯の角度が標準値よりかなり大きいのなら、アウトで、診断ミスとなります。いくら先生が前歯は出ていないよと言っても、数値はウソをつきません。もちろん最初の段階で、この前歯の数値が非抜歯で治療したなら、これくらい大きくなり、口元もこれくらい出ると説明受けた上であれば仕方がありませんが、そうした説明が一切ない、セファロ写真も撮っていないとすれば、100%、訴訟されれば歯科医の負けとなります。

 

セファロ写真を撮ると、必ず分析結果と、それをもとにした治療法が提示されます。上の前歯がかなり出ていて、口元を入れたいのであれば、抜歯が必要です。あるいは治療途中で、歯を抜かないで治療してきましたが、治療前よりかなり数値が大きくなり、抜歯治療に変更した方が良いということもあります。それゆえ、初回の検査でもし、セファロ写真を撮らないようであれば、それはアウトですし、もし検査結果を聞くなら、インビザラインによる治療で、前歯の角度が標準値とどう違うのか、治療後、その数値がどうなるかを必ず聞いてください。さらに治療中に口元が出ているのが気になるなら、その時点でレントゲン写真を撮って確認してもらってください。

 

こうしたことは矯正歯科医にとっては当たり前のことで、きちんとした検査もなく治療することは地図も持たずに登山をするようなものですし、登山中の正しい道にいるかを確かめることも大事です。一般歯科の先生は、でこぼこが治ればいい、口元が出ていのは気にしない先生がたくさんいますが、患者にとっては口元こそ一番気になる点であり、そうしたギャップがインビザラインによる治療の場合、顕著になります。くれぐれも検査結果をよく聞いて、納得してほしいと思います。

 

 

 

2022年4月14日木曜日

残念!旧千葉酒造店が壊され、更地になりました。






「弘前歴史街歩き」でも保存、活用を願っていた本町にある唯一の明治時代の商家である「旧千葉酒造店」が完全に壊され更地になっていました。これまでの私や他の人のコメントを載せます。

 

 

唯一、当時の商店の繁盛ぶりを示す建物は、明治41年(1908)に竣工された旧千葉酒造店で、二階建て、瓦葺きの屋根の店舗住宅は、漆喰の白い壁が美しく、堂々とした家屋である。昭和初期までは、「金露」の金看板が揚げられていた。創業者の千葉千代三が神戸、灘の日本酒「金露」を大阪より仕入れ、売っていた。最近まで、ここを買った吉井酒造の吉井千代子社長の住居だったが、今後、保存してほしい建物のひとつである。  (「弘前歴史街歩き」より)

 

 

 

弘前版「文創」運動に期待 
 台湾では近年、「文創」という取り組みが活発である。「文化創意」を略した言葉で、台湾の文化や伝統を取り入れた創作を奨励し、産業として発展させようとする運動である。政府が音頭を取って国の経済成長産業の一つとして位置づけている。その一環として、古い日本統治時代の建物を再利用して、国の支援のもと、喫茶店、民宿、レストランが次々とでき、若者、観光客にも人気がある。
 弘前には戦前の古い建物が数多く残っているが、それがうまく利用されているとは言い難く、近年、建物の劣化により次々と壊され、姿を消している。最近も禅林街にあった明治時代の旧連隊将校集会所(正進会館)や弘前大学裏の旧福島醸造変電所が突然なくなり、行くたびに寂しい思いをする。
 一方、旧第八師団長官舎を使ったコーヒーショップや弘前れんが倉庫美術館のような古い建物をリノベーションした成功例もあり、国、県、市が協力し合って、何とか弘前版「文創」運動ができないであろうか。弘前駅前の吉井酒造事務所、倉庫、本町の旧千葉酒店、禅林街の忠霊塔など、市民からすると気になる古い建物があり、その存続が懸念される。

(弘前市・広瀬寿秀・65歳)
              (2021.12.20 東奥日報 明鏡欄)

 

 

 

広瀬矯正歯科クリニックの広瀬です。ご無沙汰しております。実は、来年早々に「弘前歴史街歩き」という本を出すことになっており、その中でも少しだけ、茶太楼新聞のことも触れています。弘前駅から代官町、土手町、お城など、散歩コース途中に見かける風景と建物の解説をした本となっています。

 この執筆中に感じた問題点としては、コロナ下ということもありますが、古い建物、お店が知らぬ間に次々となくなっている事実です。執筆途中にお店がなくなって、文章の削除をする箇所も多く、非常に寂しく思っています。そうしたこともあり、最近、12/20付けの明鏡欄に投稿しました。実際のポイントは昨年、亡くなった吉井酒造、吉井千代子社長の不動産遺産に関することです。お子様がいなかったこともあり、その相続権は親類にあると思いますが、弘前大学裏にあった桜林で有名だった変電所跡も更地になり、今は住宅地となっています。他の遺産、駅前の吉井酒造の事務所、倉庫や本町の自宅も、早晩同じ運命になると思います。ただこうした私有地に関しては、市の方でも何もできず、また我々市民にとっても、全く内容がわからないもので興味を持ちようもありません。そこでお願いしたいのは、何らかの形、東奥小中学生新聞の子供の取材でも結構ですが、建物内部の取材をしていただけないでしょうか。私が知る限り、上記建物、吉井酒造事務所、倉庫、本町の旧千葉酒造店の内部の写真はありません。最終的に壊されるにしても、かってこういう建物があったという記録は必要と思われますし、それが保存の機運につながる可能性もあります。

             (知り合いの東奥日報記者へのメール、2021.12.24

 

 

こんばんは。コメントを失礼いたします。

ちょうど一昨日、吉井酒造の近くを通りかかり、ぼんやりと、この建物はどうなるのかな?と思いました。私は30年ほど前に、吉井倉庫を見下ろすマンションに住んでいたので、赤煉瓦の煙突からたなびく煙や、倉庫内の大きな樽を確認しておりました。その頃、実際に醸造をしていたかどうかはわかりませんが。

吉井酒造は吉井千代子社長の実妹の方が秋田の小玉醸造に嫁がれていた関係で、醸造を委託していたようです。それでも、近年までスーパーで吉井酒造の酒がすが販売されていたことも記憶しております。

私は、ブランド酒の吉野桜を一昨年春に購入したいと問い合わせたところ、運良く2本入手でき、その時駅前の事務所を片付け中の中、事務室や居室、また奥の庭や倉庫などを見せていただきました。倉庫は外見だけですが。事務所の扉やガラスなど凝った設えであり、先代の勇様、そして千代子社長の美意識の高さに感動いたしました。やはり何とか残して、活用の道はないものかと思います。立地条件もいいし、広さがありますからね。

弘前れんが倉庫美術館はコロナ禍の影響もあり苦戦しているようにみえますが、これから巻き返してくれることを祈っております。駐車場がないことは致命的のような気がします。更に西目屋か相馬方面の、吉井酒造発電所も現役ですが、今後どうなるのかな?と思っております。福島藤助氏がつくり、吉井氏が引き継いできたもの、弘前の偉人たちが残した遺産をうまく活用して、保存して欲しいと願っております。

       (「広瀬院長の弘前ブログ」2021.12.23匿名さんからのコメント)

 

 

吉井酒造の社長、千代子さんとは、昔からの知り合いで、本町のお住まいには何度か行ったことがある。中はいろんな調度品が飾られていて、綺麗な室内だった。古い建物だが、うまく利用しているようで、あれを壊すのはもったいない。

           (古書店「成田書店」のご主人との会話から)

 

 

 

 何とかせめて喫茶店でも活用できなかったか残念である。もちろん改装するにも金がかかり、維持するのも大変であり、全く関心のない遺族からすれば、更地にして現金化して分割してもらった方が良かろう。ただこうした明治時代の立派な商店は、もはや弘前でもここくらいしかないし、亡くなった吉井社長も愛して建物だっただけに、こうして跡形もなくなると実に寂しい。

 


旧千葉酒造店の横にあった岩田唯四郎宅(映画「石中先生行状記」(昭和25年)





本町坂、上の鉄柱から



こんばんは。コメントを失礼いたします。

昨日、解体された更地を確認して唖然といたしました。
つい先日、通りかかった際には通り面した一部が残されていたので、このまま中庭にあっただろう蔵(窪島誠一郎著『「無言館への旅」』に吉井邸の記載あり)と玄関は残されるのだろうと勝手に思っておりました。
残念です。驚きです。無念です。

こちらは、元々は吉井千代子さんのお母様のご実家、旧千葉酒造の店舗兼住宅であり、千葉家の娘婿であった吉井勇氏の家族の住んでたそうです。もちろん千代子さんも。

私がこちらのお家に興味を持ち調べましたのは、「弘前れんが倉庫美術館」が発端でした。
福島藤助ー吉井勇ー吉井千代子とつながり、吉井勇という型破りで謎めいた人物を知りたいと思ったわけです。
そこで知り得たことのひとつに、こちら本町の千葉家との関係でした。

千葉酒造創業者の千代三氏には二人の息子さんと、7人の娘さんがいらしたのですが、長男は函館の商業高校在学中に病死し、次男の四郎さんは戦死し帰らぬ人となりました。
東京で美術を学んでいた千葉四郎さんの絵画と彫刻が長野の無言館に残されております。そして、無言館の館長、窪島氏が千葉四郎さんの作品を本町の千葉家の家族から受け取るシーンが描かれておりました。さらに、地方の演劇グループがそちらの本を題材にした演劇を上演していたことも知りました。
酒造店の跡取り息子の生還を、長く長く待ち望んだ悲劇がひしひしと伝わりました。我が家も同然でしたので余計に感じ入るところがございました。

長々と、書き連ねてしまいました。明治期に作られた引き締まった風格のある土蔵の商家が消失したこと、そして付随する思い出、人々の息づかいのようなものが消えてしまったような気がしてなりません。
残念です。

2022/04/15 18:13

 削除



コメントありがとうございます。壊されてしまった旧千葉酒造店の内部も、吉井千代子さんの趣味で、素晴らしい空間だったようです。故人も愛していた建物だったのでしょう。私もせめて蔵の部分は残るだろうと期待していたのですが、見事に期待を裏切られ、残念です。仲町にある旧笹森順造生家の保存にも以前、動いたことがあります。子供のいない婦人が住んでいたのですが、亡くなり、弘前市に寄贈するように親類代表者に助言しました。ところが、登記移転をしていなかったので、関西を中心に遠い親戚も含めて10名以上の遺産相続人が現れました。ほとんどの親戚には寄付の同意を得られましたが、少しでも金が欲しいという親戚もいて、結局は取り壊されました。
古い建物の保存は本当に難しく、行政がタッチしないとどうにもなりません。残るは駅前の吉井酒造倉庫と事務所になりました。倉庫は全長100mくらいあり、全天候のマルシェや屋内運動場などにも使えそうですが、結局は早晩、潰され、更地になるでしょう。市長が音頭をとって台湾の文化創意のような運動をしてくれればいいのですが、当選した市長には期待できそうにもありません。

2022/04/16 8:21

 削除







 

2022年4月10日日曜日

知的探索の面白さ

作者不明 加藤●
 
初代、芝川又衛門(百々)


カタログの説明文



数年前に、アメリカ、オハイオ州のシンシナティー美術館のホウメイさんと偶然に知りあった。その後、自分の美術館に収められている“西山芳園”の作とされている絵は違った画家の“芳園”の作でないか、それを証明する手伝いをしてくれないかと頼まれた。何十回のやり取りの後に、西山芳園とは別の作家の絵ということがわかった。現在、京都国立近代美術館で開催されている“サロン!雅と俗 京の大家と知られざる大阪画壇”では大英博物館から何点かの作品が貸し出され、そのうち二点は、従来なら西山芳園の作とされていたのが、カタログでは“芳園平吉輝”という画家の作品というホウメイさんの考えと、私の考え、「香川芳園」のことではないかという説も挙げ、さらにカタログの謝辞に私の名前を入れていただいた。歯科医という全く美術史とは関係ない人物がこうした美術展覧会のカタログに取り上げてもらい、光栄なことである。

 

最初は、シンシナティー美術館にある鎧と刀が、私が研究していた須藤かくと関係していたので、問い合わせがきたことから始まる。その後、須藤かくの本を出版し、さらにディスカバリー日本に英語で投稿したことで、この案件は終了した。その後、同館に所蔵されていた“芳園輝”の署名がある絵のことで調査を依頼され、二年ほど、インターネットを中心に調査を行なった。最終的にはホウメイさんが香港の美術誌「Orientations」に論文を投稿した。

 

ホウメイさんとのネットでの付き合いはその後も継続し、つい最近も、美術館に美術品を寄贈したいという人の作品についての問い合わせがあった。一つは「甲東園画誌」という画帳で、その作者についてのものであった。私自身、草書、崩し字を読むことができないので、こうした画帳の説明文の解読も苦労する。最初見ても全く理解できないが、毎日見ていると何となくわかってくる。右の達筆の文は「此の霊芝は松花堂茶室の床にあったと記録す」隣、右の「壬戌四月」大正11年(1922)となる。「加藤」は読めるが、その後の文字が解明できない。そこで、所有する「大日本書画名家大観」という画家の辞書があるので、これで加藤姓の画家を調べる。30名以上の加藤という画家がいるが生年月日や没年、住所などから該当者を4名ほどに絞られる。それでも加藤●に該当する人物はいない。次に送られてきたのは、画集でこれは、わかりやすく「明治丙午秋日写 八十四翁百々芝川貫」と読める。芝川貫と検索してもヒットせず。ここで推論したのは、送られてきた画帳と画集は共に西宮市甲東園の芝川又衛門関係のものと考え、初代の芝川又衛門の字名を調べると、百々(どど)の名が出てき、さらに詳しいブログがあったので、それを調べると、今回の絵とほぼ同じ、署名、画のものを発見した。この画集は明治の大阪で活躍した実業家、初代、芝川又衛門の手になるものと判明した。ここまで3日間を要した。そうなると最初の画帳も、必ずしも画家の作品ではなく、実業家、芝川又衛門同様にアマチュアの画家のものかもしれないと考え、現在、調査を継続している。

 

これは謎解きの一例であるが、なかなか面白い。数十年前、インターネットのなかった時は、こうした謎解きには、まず図書館に行って徹底的に本を調べなくてはいけないし、関係者に会いに行ったり、場合によっては手紙で問い合わせが必要であった。かなりの労力と金がかかった。私のような他の仕事をしている人にとっては敷居の高い領域であった。ところがインターネットの発展により、今ではネット検索でかなりのことがわかり、もちろん本による資料調べも必要であるが、敷居はよほど低くなった。

2022年4月7日木曜日

史上最高の朝ドラ、「カムカム エブリバディ」

 

オードリーを彷彿させる

最高の親子である




明日で、NHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」が終わりとなる。終了後のロスが心配である。

 

仕事に行く前、朝の七時半からNHKBS、最近ではNHK-4Kで朝の連続ドラマを見ることがここ20年の習慣となっているが、何となく慣習で見ているだけのことが多く、新しいシリーズになると、前の朝ドラはなんだったか、すぐに忘れる。NHKの日曜日の大河ドラマもこうした理由で、今は見ていないが、朝ドラも、同じ運命になるだろうなあと思っていたが、この「カムカムエブリバディ」には完全にハマった。同じ脚本家、藤本有紀が書いた「ちりとてちん」(2007)や「あまちゃん」も面白かったが、このカムカムは、これらのドラマをはるかに超えた個人的には史上最高のドラマである。

 

おそらく脚本も優れているが、演出と俳優の力量もすごい。4Kで放送されるようになると、細部もはっきり見えるために、小道具の係も大変だったと思うし、それを楽しそうにしていたのも、フアンを喜ばせた、例えば、主人公のひなたの部屋にはいろんな標語、ポスターや漫画が飾っていたが、これもよく見ると現実のものをひねっていて楽しい。通常、こうした長期の番組は、最終回までの全ての脚本を最初から書き終えるものではなく、番組の進行に合わせて脚本を作っていく、おそらく脚本家の藤本有紀も大きな流れは最初に作ったのだろうが、最終回までの流れは制作途中で作っていったのであろう。ただこの脚本家のすごいところは、昔のシーンの伏線を、随分後の回になって回収していく、それもワンシーンのみの登場者についても、きれいに回収していく。こうした細かな配慮がこの番組では徹底していて、大道具、小道具の係も番組つくりを楽しんでいたことがよくわかる。

 

さらに俳優の演技、ひなたの子供時代を演じた新津ちとせさんは、少しこましゃくれた、演技過多の面もあったが、天才的な子役で、驚いた。この子の演技は視聴者の視線を釘付けにする。またオダギリジョーのさりげない演技には驚いたし、新しい父親像を作った。さらにすごいのはひなた、大人役の深津絵里さんで、ここ数回の彼女の演技で朝から泣く羽目になった。個人的に朝ドラで泣くのは、「おしん」以来かもしれない。すごいのは内容で泣かせるのではなく、演技で泣かせるため、朝の730NHK-4K8時のNHK総合、夜11時のNHK-BSで見ても、同じように泣けてくる。これはすごいことである。ここ2、3回の深津さんの衣装は、ベリーショートの髪型に、黒のタートルネックに、股上の深いジーンズにベルトなし。好きな女優、オードリー・ヘップバーンの映画「サブリナ」、「いつも二人で」、「暗くなるまで待てない」の衣装を思い出す。本人、衣装担当者もそうした意識があったと思う。

 

ただ残念なことは、これほどの傑作ドラマにしては視聴率があまり伸びないことである。医院の従業員2名に聞いても、誰も見ていないし、英語の仲間、三人に聞いても見ていない。そもそも、テレビを見ていない人も多い。周りにこのドラマの素晴らしさを言っても見ていない人の方が多い。番組自体の伏線が多すぎて、最初から見ていないと感動も少ないということもあろうし、大河ドラマもそうだが、一旦見る習慣がなくなると、あまり見たいと思わなくなるせいであろう。

 

次の朝ドラはかなりプレッシャーになるだろうが、こうした名作を生み出すのは、脚本家、演出、俳優、さらに撮影、小道具など全ての関係者が見事にハマった時に、たまたま生まれるもので、本番組のテーマであるジャズセッションに似ている。作ろうと思って作れるものではなく、これを超える作品が出るのはまた20年くらいかかるかもしれない。一方、本作品に出演していた新津ちとせ、深津絵里、オダギリジョーの今後の活躍だけでなく、脇役の市川実日子さん、三浦透子さん、さらにお笑いのおいでやす小田、岡田結実なども、このドラマをきっかけにさらなる活躍が期待される。

 

それにしてもカムカムロスが気になる。DVDとブルーレイが出るようだが、全3巻で5万円くらいするようで、高い。辛抱できない場合はNHKのU-NEXTで見るしかない。

2022年4月4日月曜日

マウスピース矯正が流行っているワケ

 

アメリカの矯正歯科クリニック


つい最近の毎日新聞で、成人の矯正歯科治療が増加しているという記事があった(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6422725)。コロナ禍、マスクをつけるのが一般的になり、マスクをしているうちに矯正治療をしようとする成人が増えたせいだ。私のところでも、二年ほど前から子供の治療を中止し、中学生以上の患者のみ診ている。それまで患者数の半分以上が子供だったので、新患数はかなり少なくなると考えていたが、こうした矯正治療の流行もあるのか、それほど減っておらず、成人患者だけを見ればコロナ前の倍増している。

 

ここ数年、アメリカでもそうだが、マウスピースのような装置を利用して歯を移動させるアライナーと呼ばれる矯正治療が流行っている。毎日、20時間以上装置をつけていなくてはいけないが、あまり目立たないため、若い女性を中心にこうした治療を受ける人が多くなっている。費用は決して安くはなく、東京では大体100万円前後する。ただ多くの矯正専門医は、こうした装置を積極的には使っておらず、ネットなどで宣伝しているのは多くは一般歯科医である。

 

確かにアライナー矯正のレベルも以前と比べてかなり上がっているが、ワイヤー矯正ほどのレベルに達していないのが現状であり、今後もその力系から無理と思われる。さらに言うなら、一日20時間以上の装置は、思った以上に大変であり、これを数年続けるのは難しい。もちろんワイヤー矯正でもゴムの使用など患者の協力が必要であるが、それほどではない。多くの矯正医は、患者の非協力で治療がうまくいかなかった経験を持ち、あまり患者の協力を求めない治療法を選択する。個人的な経験から言うと、矯正装置が歯の表側につくのを嫌う患者さんは、神経質で細かなところに気になる人が多い。ワイヤー矯正であれば、ワイヤーベンディングや抜歯などである程度対応できるが、アライナー矯正でもそうしたわがままと言える患者の要求に十分に答えることが難しく、最終的に患者は不満を持つことが多い。特に危惧されるのが、口元の突出感で、多くのHPで見る限り、小臼歯を抜歯していっぱいに前歯が中に入れないと口元が入らないケースを非抜歯で治療している症例がほとんどで、確実に患者からクレームがくる。もちろん、そうしたクレームが来れば抜歯して、再設計したアライナーによる治療を続けるが、今度は臼歯が倒れこんだり、小臼歯部が噛まなくなり、期間も大幅に延長する。その挙句にこれ以上の治療はできませんとなる。

 

現状で一番問題なのは、アライナー矯正の多くが薬機法適用外の商品で、それによるトラブルは一切、歯科医の責任となり、また患者から訴訟されると今のところ不利な治療法である。なぜなら矯正歯科臨床を代表する、大学および学会ではアライナー矯正の問題点を挙げており、この治療法については否定的である。それゆえ、患者から訴訟されても、学会は絶対に歯科医の肩を持たない。さらに言うと、日本矯正歯科学会の倫理委員会では認定医の更新に際してホームページのチェックを行い、基本的にはアライナー矯正の広告についてはかなり制限をしている。そのため多くの矯正歯科専門医のHPにはアライナー矯正のことは詳しく書けない。つまりHPでは矯正歯科専門医のアライナー矯正の記載はほとんどなく、アライナー矯正の派手な広告をしているのは一般歯科となる。これら広告の多くは医療法に違反しているが、矯正治療を考えている患者がHPを見ると、こうした一般歯科のアライナー矯正の広告が目に入り、そこで治療を始めることになる。必然的に被害者は増え、矯正専門医に行っても、そうした治療を選んだ患者の責任と言われ、全く始めからの治療となり、費用や期間がさらにかかる。私のところにもこうしたトラブルが2件、青森市の先生は数件、東京の先生は数十件と、大都市では相当な数のトラブルが増えている。今後、ますます多くなるだろう。

 

どうしてもアライナー矯正による治療を望むのであれば、ワイヤー矯正でも十分な治療でできる歯科医を選ぶようにしてほしいし、アライナー矯正でうまくいかない場合は、ワイヤー矯正にチェンジできるか、最初から十分に話し合ってほしい。現状では、日本矯正歯科学会の認定医、臨床指導医は、その医院のHPにインビザラインのことを詳しく書くと、資格更新できないことになっている。逆にインビザラインのことを詳しく書いている先生は、日本歯科学会の認定医の資格はなく、ワイヤー矯正はあまりできない。アメリカでは、ほとんどの矯正専門医がインビザラインを使っている。なぜなら、アメリカの矯正歯科は、一日に200-300名の患者を診るところも多く、治療を衛生士や助手が行なっており、そうした診療所ではドクターがほとんどタッチしないインビザラインは有益となる。日本では私のところのように一日20-30名のところでは、簡単な症例でもブラケットをつけてワイヤーで治した方が早いし、期間も少なく、技工料も少ない。そのためインビザラインを導入するメリットが少ない。

 


2022年4月2日土曜日

ウクライナ戦争から検討する

 

B-2爆撃機、一機2500億円、あまり高額なため戦闘に参加できない



北朝鮮のような貧乏国がよく核兵器開発をするなあという声がある。実は核兵器こそは最も安くて、効果のある兵器で、他国からの侵略に対する強い抑止力がある。もし北朝鮮に核兵器がなく、通常兵器のみ武装であれば、韓国軍単独でも1ヶ月あれば占領できる。それゆえ、北朝鮮は通常兵器の開発、配備を極力減らして、国家財政を総動員して核兵器の開発、保有を狙っている。究極の目的はアメリカ本土の攻撃できるICBMの配置であり、かなりのところまでいっている。

 

逆に言えば、通常兵器がものすごく高くなっている。現在、欧米で標準戦闘機になりつつあるF35の値段は一機で200億円、早期警戒機の価格は550億円、戦車だって安くはなく日本の10式戦車は一両、9.7億円となる。また弾道弾迎撃ミサイルの価格は最新鋭のSM-3ブロック2Aで一発40億円、空対空ミサイルでも一個、5000万円から1億円はする。第二次世界大戦の時の物価と比べて見ても、現代の兵器の価格は相当高く、数日の戦闘にかかる費用だけ見ても、莫大な費用が必要となる。

 

今回のウクライナ戦闘でも、こうした兵器価格の高騰が関係している。特に携帯用の地対空ミサイルや、対戦車ミサイル、大活躍のジャペリンと呼ばれる携帯用対戦車ミサイルは一発、2000万円であるが、それでも数億円以上はする戦車や10億円以上するヘリコプターがやられるなら、コスパは高く、ロシア側からすれば損失が大きく、うかうかと投入できない。特にロシア軍の新型戦闘機は、あまりに価格が高く、万一、低価格の地対空ミサイルで撃墜されれば全く割に合わないため、最近では戦闘に参加させなくなっている。さらに兵器自体も実際の戦闘に使ってみると、特に誘導ミサイルの故障はひどく、正確に攻撃できたのは40%程度であったとされ、恐らくは他の兵器も信頼性は低いと思われる。兵器は実際に使ってみないと、その信頼性は分からず、いくら高価な兵器であっても稼働率は低くければ、意味はない。

 

人的な被害を別にしても、現代の戦争は兵器の値段があまりに高くて、長期戦はできない構造となっている。もちろん第二次世界大戦のように国家総動員で戦争すれば、ある程度の長期戦に耐えられるが、その前に国民による反発を食らう。こうした点では、西側から贅沢な金の投入、限定されるとは言え携帯兵器を中心とした武器の供給がある限り、いずれロシアがギブアップせざるを得ない。

 

ウクライナ戦争の最も注目しているのが、隣国、中国で、仮に台湾侵攻した場合のシミュレーションをしているに違いない。かっての中国では、人の命はないに等しく、武器も安かった。ところが国民生活が豊かになり、人民解放軍兵士の命の値段も高くなり、武器価格も高騰している。経済大国、中国と言えども、無限大の高価な武器の使用はできず、やはり短期間の戦闘しか計画できず、陸続きでない台湾への侵攻はよほど難しい。さらに中国兵器のほとんどはロシア製、あるいはそれの劣化版であり、オリジナルの兵器ですらあれだけ故障が多いと、中国製の兵器が実際に使得るかという問題が生じる。

 

おそらく核兵器がなくなる、あるいは使用できないならば、通常兵器の価格高騰が、大規模な国家間戦争の終焉に繋がる可能性がある。今回のウクライナ戦争で、ロシアが経済的に疲弊し、今後、大国としての立場がなくなると、中国、あるいはアメリカであっても、通常兵器に大規模な戦争をすることは、イコール国家の経済的破綻を招くことに繋がる。つまり1機、200億円の戦闘機を大量に使う戦争は、もったいなくて、よほどの覚悟が必要であり、指導者にとっても国家財政の破綻につながり、戦争回避の大きな抑止力となる。


2022年4月1日金曜日

近世、近代の日本画、掛け軸コレクションの勧め

田中蘭谷、家に鶏や小鳥を飼って観察したというが、うまい絵である。
田中蘭谷、



現在、京都国立近代美術館で「サロン! 雅と俗—京の大家と知られざる大阪画壇」という展覧会が開かれている。主催者の一人、大阪商業大学の明尾圭造先生に、“芳園”に関する私見を勝手に送ったことから、内覧会の招待状をいただいた。お気を使わさせて申し訳ない。仕事が忙しくて、とても展覧会には行けそうもないが、出品リストを見て驚いた。私も好きで、江戸、明治期の京都を中心とする日本画については、そこそこの知識がある方であるが、それでも今回の展覧会の出品リストをみると、半分以上の画家は知らない。すごい展覧会である。

 

与謝蕪村、谷文晁、円山応挙、伊藤若冲、上村松園は、ほとんどの人は知っているし、少し絵に関心にある人なら、長沢芦雪、森寛斎、田能村直入、岸駒の名を聞いたことがあろう。ただ貫名梅屋、菅楯彦、耳鳥斎、黒江武禅、泉必東、玉手堂洲の名を知っている人はいるだろうか。この展覧会ではこうしたほぼ無名の画家にスポットライトを浴びせたもので、本邦でもこうした取り組みは初めてのことと思われる。この中で、今回、大英博物館から西山芳園の作品が一点、芳園平吉輝の作品が二点、展示されている。問題は、この芳園平吉輝のことで、これまで西山芳園の作品として数えられていたが、今回は西山芳園でないということで、こうした表記となった。もちろん芳園—平吉輝といった姓—名の画家はいないことは日本人であれば、皆感じる。私自身は、香川芳園が該当すると考えているが、今のところ不明で、とりあえず西山芳園でない芳園の画号をもつ画家として芳園平吉輝となっている。

 

今回の展覧会で紹介された多くの画家の作品は、今や日本人には全く関心はなく、ヤフーオークションでも1万円以下で買えるものが多い。十五年ほど前からヤフーオークションで主として掛け軸を買っているが、偽物が多い有名画家を除くと、日本画、掛け軸の価格は驚くほど安い。特に大正から昭和にかけての日本画の2、3流の画家の作品は、絵の内容に比べて誰もコレクションしていないのか、落札価格は驚くほど低い。

 

最近、購入したものでは、帝展で何度も入選した山元春汀の作品も1万円以下だったし、千葉県出身の田中蘭谷の作品も1万円以下であった。どちらも戦前は評価が高かったし、そこそこの価格で売買されていたが、戦後、全く忘れ去られ、人気もなくなった。もちろんこうした画家の贋作はなく、全て真作であることは間違いない。山元春汀の作品は、四季の農家を描いたまことに日本らしい作品なので、昨年末から歯科矯正を勉強に来ていた台湾の先生に送別品として贈り、大変喜ばれた。海外の方へのお土産として、最近ではこうした掛け軸や浮世絵を贈ることが多い。手ごろで、あまり高くなく、またコンパクトになるからだ。

 

掛け軸を集めている人は日本でも多いが、多くの場合、池野大雅、与謝蕪村などの有名画家に集まることが多く、今回の展覧会で展示されている“菅楯彦”でも、オークションでは大体1万円以下、“大阪画壇”で検索しても多くの作品がヒットし、安い。私の場合は、芳園を主としてチェックしており、“西山芳園”もかなりの贋作があるが、それでも署名や印章から真作と思われる作品でも1万から数万円程度で、展覧会で飾られている画家の作品を持つという嬉しさを達成できる。また同一画家の作品を10点も集めると、ある意味、その画家については、どの美術家より専門家になったといえよう。

 

ヤフーオークションでは、落札者のこれまでの落札件数がわかるが、個人であれば、せいぜい落札件数としては数百が限界であり、1000を超える落札件数は業者による。中国の知人によれば、中国の複数のネット業者が、中国人に代理でヤフーネットオークションに参加しており、日本の掛け軸の多くも中国に流出しているような気がして残念である。海外のコレクターは画家の名前には関心はなく、絵の内容により判断する傾向がある。

 

私の場合、最初、大阪の画家、近藤翠石の作品を集めていたが、画題が限られ、次第に飽きてきた。その後、兵庫県の明石で活躍した土屋嶺雪に着目し、この画家は作品の幅が広く、25点くらい集めたが、最近では安く買えなくなったこともあり今は集めていない。その後、シンシナティー美術館のホウメイさんの研究協力で、芳園輝の署名のある作品、あるいは署名が似ている作品、5、6本を買い、そのうち二点はシンシナティー美術館に寄贈した。今でもヤフーオークションで注目しているが、中国在住の知人のコレクターと落札がかぶることもあるので、メールして落札を検討している。これに加えて先に述べた田中蘭谷、山元春汀についても注目している。今回の大阪画壇の展覧会をきっかけに忘れられた大阪の画家についても今一度調べてみたい。