2008年10月26日日曜日

デイパック






 私が大学生のころ、1975年ころですが、「ポパイ」という雑誌が若者たちのバイブルで、随分影響を受けました。当時、アメリカの若者たちに間ではバックパッカーとよばれる人たちが、大きな荷物をリュックに詰め込み旅行することがはやり、次々とアウトドアーのメーカが創設されました。私も雑誌で取り上げられていたデイパックがどうしてもほしくなりました。そのころ一番有名だったのがシェラデザイン社のティアドロップ型のものでしたが、なかなか地方(仙台)では手に入りませんでしたし、何よりも高くて手がでませんでした。そこで、仙台の登山用品を扱う店に行き、物色しましたが、大型の登山用のリュックはあっても、小型のものがなく、ようやく探し求めたのが上のデイパックです。3000円くらいの国産のもので、ロゴも入っていますが、ネパール語?(hisamatsu?)で書かれていて読めません。高かったノースフェイス60/40パーカ(本当はシェラデザインが欲しかったのですが)とカンタベリー社のラグビーシャツを着て、このデイパックに教科書から何でもこれにつめて学校に行っていました。信号を待っているとよくおばさんからどこの山に行くのと聞かれました。最初、こんな格好で出歩くのは相当かっこ悪かったのですが、現在ではデイパックは老人の必需品となっています。

 次に買ったのは、パタゴニアの創始者で有名なシュイナードのバックパックです。旅行用に買ったもので、このバッグも思い出が多いものです、インドに1か月旅行に行った時もいつも一緒でした。デリー、アグラ、ウダイプール、ジャイプール、カトマンズ、ナムチェバザール、エベレストベースキャンプもこれを担いで行きましたし、文化革命直後の中国にも持っていきました。その他、国内のあちこちにこれを担いで旅行しましたが、さすがにここ10年ほどはお蔵入りしています。家内は早く捨てろといいますが、思い出が詰まっていてなかなか捨てられません。また最近ではアウトドアーブームも再燃してきており、多少はオークションなどで売れるかとも期待しています。

 最後のは2年間に買ったもので、昔欲しかったシェラデザインの復刻がでたというのでインターネットで9800円くらいで買いました。昔はもっと高かったような気がしますが。それでも今では20000円くらいしますので早く買って正解でした。冬場は両手が使えるため、ごついダウンジャケットを着て、このデイパックに弁当を入れて出勤しています。おっさんなのに若いかっこうをしてと言われますが、昔の格好をしているだけですし、冬場の津軽にはソレルの防寒シューズとダウンジャケットはそれほど大げさな装備ではありません。


 最近読んだ本、「破天 インド仏教徒の頂点に立つ日本人」(山際素男 光文社新書)。こんな日本人がいるのかと感心しました。以前からインドでは不可触民を中心に仏教がはやっていることは知っていましたが、その指導者が日本人とは知りませんでした。これほど個性的で、そうとうアクのある人物ですので、日本ではへたをするときちがい、狂信者を思われるかもしれませんが、インドの大地に見事に適用して活躍しています。本書にでている写真は、歯の抜けたヒッピーのような精悍な人物ですが、最新号のプレイボーイ誌の特集では入れ歯も入れ、やや太ったため貫禄もでています。インドのカースト制度こそインド社会における最大の問題であり、これに果敢に戦う姿勢には感動を覚えると同時に、つい日本の仏教、僧侶との対比を考えてしまいます。本当に宗教のすごさ、こわさ、パワーを感じます。

2008年10月24日金曜日

津軽の愛すべきもつけ・じょっぱり 2









 前回、近所のお店を紹介して、よくこんな商売でやっているなあとと言いましたが、今月の家庭画報ショピングサロンに近所のものが紹介され、驚きました。家庭画報というと都会のセレブなミセスが読む、ハイソな雑誌で、それに掲載される商品は厳選されたものです。かって日本臨床矯正歯科医会でも啓蒙広告を出そうと、広報会社と相談したところ、家庭画報は掲載の審査がきびしく、美容整形などの広告は一切出さない方針で、こういった雑誌に出した方がよいという結論となり、何度か掲載していただきました。

 今回掲載されたのは、岡野建具のヒバでできたりんごの脚立です。家から20mくらいのところにある作業場は毎日通るところですが、いつも一人の老人が脚立を作っています。作業所は、こんなこと言うと失礼ですが、微妙に傾いており、いつも地震の度に心配になりますが、平常通り、作業が毎日続けられています。木の乾燥、切り出し、取り付け、仕上げまで丁寧な作業が続きます。とはいえ、今時アルミの脚立が主流で、リンゴ農家でも木製の脚立を使うとこは少ないと思ってましたが、こういう風に全国に販路を伸ばしているようです。なかなかしぶとく商売をしています。

 同じようにうちの3軒隣の宮本工芸も以前、家庭画報で紹介されたことがありました。近所で2軒のお店が家庭画報で紹介されたことになります。宮本工芸も外観からすれば、それほどきれいでなく、また商品も結構高いので、弘前でこれを買うひとはしれていると思っていましたが、都会では結構売れるのかもしれません。

 岡野建具の横には「じょっぱり鋸や」というリンゴ用の鋸の販売、修理をおこなっている店もありますし、和徳町にはブリキ缶に入った津軽飴を売っている店もあります。この津軽飴というのは麦芽の水飴で、はちみつのようなものと考えてもらえばいいのですが、ようするにただの水飴です。昔、紙芝居の時のもらったあの飴です。またねぶたの時に使う津軽笛を生産、販売しているところもあります。

 また市内のあちこちには、ガラスの陳列ケースに入り、100グラムいくらで売るせんべい屋も多くあります。この津軽せんべいというのも、おいしいもので、特にピーナツが入ったものはお気に入りです。

 大阪、東京などの都会っでも昭和40年ころまではこういったお店も多くあったと思いますが、スーパーの発達により今は完全に消滅しています、ただ津軽のは、いまだにしつこいというか、もつけというのか、強情というのか、がんばって商売しているところがたくさんあります。逆に今では、かえって若い人に注目されて雑誌にも取り上げられ、販路も日本中になっているのかもしれません。

 中央から離れているせいか、ここ津軽にはまだまだ古いものが残っていますが、経営者は高齢化しており、このままではいずれ消滅します。新幹線開通の機に、観光客用のマップや、あるいは市の観光課などが雑誌やテレビの取材用の案内をするのもいいのかもしれません。日本臨床矯正歯科医会の広報の仕事を見ていると、いかにマスコミの中に入り、それを上手に利用することが必要と思われます。担当者が、マスコミ関係者を呼び、昼食会をしたり、情報の提供を求められたりした場合は誠実に対応し、きちんとした資料を渡す、これまでマスコミで取り上げられた実績をファイルにしていつも出せるようにする、こちらから積極的に材料を提供するなど、広報活動の活性化が必要です。できれば広報関係に長く従事したプロを市の職員として雇うのもいい方法です。マスコミは意外に保守的で狭い、社会です。

2008年10月18日土曜日

津軽の愛すべきもつけ・じょっぱり


 津軽弁の「もつけ」とは、調子にのりやすい(飲めと言われれば飲み、踊れと言われれば踊る人)ひょうきん者 ・変わり者 ということらしい。何かにつかれたように、そのものだけに熱中するひともこのもつけと呼ばれるが、こういったひとは津軽の地には多い。

 司馬遼太郎の北のまほろばに、次のような文章がある。「以前、韓国に知識人が「日本史でうらやましいのは、奇人や変人が多いことです。」といってくれたことを思い出した。他から命ぜられたり、そのことによって利益を得るわけでもないのに、自分が決めた何事かをなしとげるのが奇人とすれば、青森県にはそういった精神の風土がありそうである。」

 山田良政、純三郎兄弟は、中国革命、孫文もつけと呼べようし、笹森儀助は探検、調査もつけ、本多庸一はキリスト教もつけ、前田光世は格闘技もつけ、陸羯南はジャナリストもつけ、葛西善蔵は小説もつけ、東北きっての社会福祉施設を作った佐々木五三郎(写真)も慈善もつけと言ってもよいほど、人生そのものを犠牲にして何事かに熱中した。日露戦争中に中隊規模で敵地を攻撃した一戸兵衛も軍事もつけと呼んでよさそうだし、外交一筋で海外とやりあった珍田捨巳も外交もつけと呼べよう。

 こういった個性の強い、独自の生き方をするひとの系譜は、今なお津軽には流れており、先に紹介した無農薬、無肥料でにリンゴ栽培を行っている木村秋則さんや食材のすべての自給自足を目指すイタリア料理の笹森通彰さんも、がっちりこの系譜に連なる。また日本では全く評価されなくても独自の絵画を目指し、今や最も注目されている現代アーティストの奈良美智さんも、そうであろうし、こんな小さな街で独自の演劇を試行し、国際的にも評価の高い弘前劇場の長谷川孝治や、寺山修司にも言える。

 明治以降の教育とは国民に画一的な教育を施し、点数のみにより評価するもので、こういった特徴ある人物は創られない。それなのに弘前の地ではいまだに、個性のある人物が輩出する。ただ時代の流れによるのか、近年は芸術家が主体をなしているが。


 山田兄弟においては、こういった個性が地方に埋没せず、活動できたのは、陸羯南、一戸兵衛、菊池九郎などの郷土の先輩や後藤新平、児玉源太郎、満鉄理事の犬塚信太郎のひきがあったためだろう。近年、有能な若者が郷土から出ても、郷土の年配者や有力者によるひきが少ないことも、芸術以外で中央や世界で活躍するひとが少ない理由であるかもしれない。

 以前大学にいた時、医局の講演でよんだ東北大学歯学部口腔外科の手島教授を空港まで出迎えたことがあった。手島教授は医局に来ると、ちょっと紹介したいひとがいると言われ、私のような新米助手を医学部長にところまでわざわざつれていって紹介してくれたことがある。また山田兄弟のことで東京に行ったときには、ある人物がわざわざ人を集めていただき、面識をもつように仕向けてくれたこともある。愛知大学主催の講演会では受付にいたひと、実は愛知大学OB会の顧問の方だが、教授はじめ色々なひとにその場で紹介いただき、大変ありがたかった。このような目上のものが、若い人を重要な人物に引き合わせることは、東京などの都会では割と行われているのいかもしれないが、残念ながら弘前ではこういった経験はない。

 こんなことを考えていると、近所にももつけ、じょっぱりのひとがたくさんいるようで、リンゴ用のはしごを作っているところや、あけび細工の店、豆腐屋、納豆屋、畳屋、のこぎり屋?や銭湯などもあり、今時こんな商売本当にやっていけるかと思われる、東京や大阪ではとっくに滅びている商売をがんこにやっているところがある。夏にはひとりで金魚を売り歩くおじさんもいる(最近は見かけないが)。


11月8日に弘前文化センターにて東奥日報主催で「津軽・偉人を生む風土」笹森儀助書簡集発刊記念シンポが開催され、小林和幸教授はじめ多数の学者によるパネルディスカッションがある。残念ながら土曜日は仕事が忙しくて参加できないが。こういった津軽のもつけに対する学問的なディスカッションが行われると思われる。

愛すべき津軽のもつけ・じょっぱり、万歳!

2008年10月16日木曜日

第36回日本臨床矯正歯科医会大会





 10月14日,15日に静岡県掛川市のヤマハリゾート つか恋で行われた日本臨床矯正歯科医会大会に出席してきました。ヤマハつま恋といえば、私たちの世代には吉田拓郎、ポップコーンといったイメージがあり、期待しましたが、もう全盛期は過ぎたのでしょうか、何となく寂れた印象ももちました。部屋は4人用の部屋で、ここに一人で泊まるのは本当に寂しい思いがしました。部屋からインターネットにもつながらず、夜も食べるところが限られ、やや不満がありますが、大会自体は関係者の努力により大変思い出深いものになりました。

 今回、アンコール症例発表ということで、「ツインブロックを用いたClass II div.2症例」というタイトルで発表しました。協力をいただきました患者さんには感謝します。ただ一例症例では、30分という時間がもたないことと、いい症例を出してもあまり勉強にはならないと思い、1995-2003年に治療を行った上顎前突症例についての調査結果もあわせて発表させてもらいました。ツインブロックなどの機能的矯正装置を用いた70症例のうち、非常に効果があったのは50%、少し効果があったのが15%、効果はなかったのは15%という結果でした。機能的矯正装置は患者さんにより効果があるひとと、そうでないないひとに分かれる結果となりました。遺伝的な要因により、成長のポテンシャルのない患者さんではあごがあまり大きくならないようです。ただマルチブラケット装置による仕上げの治療の前に下あごの成長の良否がわかることは抜歯部位や治療を考える上で大きな参考になると思います。

 講演が最後の演題でしたのでもう一泊して、少し掛川市内も観光しました。掛川城というのがありますが、平成になって再建されたものなので、何だか映画のロケ地のような感じです。それでも鉄筋コンクリートではなく、木造りでしたので雰囲気はありました。お昼はタクシーの運転手さんから聞いたうなぎ屋さん(甚八)に行きました。かなり込むと聞いていましたので11時15分くらいに行くと、さすがに一組しかいませんでした。さばき、焼きと原則に沿って調理していましたので、20分くらい待ちました。その間にあっという間にお客さんが来て、外まで順番待ちの状態で人気店のようです。味は最高でした。うなぎ自体は小さいのですが、外はぱりっと中はジューシに調理されており、本当に久しぶりにおいしいうなぎを食べました。また料金もリーズナブルで確かうな重の竹で1550円くらいでした。うなぎと言えば東京の新宿のデパートなどでは4000円くらいしたのを食べましたが、ごく普通のもので身はぶよぶよしており、最近ではうなぎなんてこんなものかと思っていましたが、さすがうなぎの地元ではこんなうまいところがあるようです。また注文をしてすぐに出てくるようなところはどっか手抜きがされているはずです。4人席が4つと6人のカウンターのみのお店ですが、注文がきてから2人でさばき、おばちゃんが焼くといったこのスタイルでは、いくらお客さんがきてもこの席数が限界なのでしょう。店の造りはそれほどではありませんが、この調理スタイルは非常にポリシーが感じられ、好感がもてました。このウナギを食べれただけでも掛川に来たかいはありました。うなぎ好きなひとは是非おさえておきたいお店です。

2008年10月13日月曜日

BD-1



 先週の金曜日からたて続きに行事が続いています。先週の金曜日には、東北青色申告連合会が青森市でお昼から夜まであり、診療は休診。土曜日はロータリークラブの地区大会が五所川原市であり、朝から夜まで出席、またもや休診。日曜日も午前中の大会に出席。本日、月曜日は祝日ながら土曜日のかわりの診療。明日から木曜日まで日本臨床矯正歯科医会出席のため静岡の掛川市に行きます。またもや休診。10月は例年学会や色々な行事が重なり、休診がちです。このあたりが一人でやっている医院の問題点です。従業員は喜んでいますが。

 さて前にレニャーノの自転車を紹介しましたが、今回は折りたたみ自転車のBD-1を紹介します。街乗り用にと思い、確か8,9年前にこれも近くの自転車屋で買いました。ドイツのダームスダット工科大学のマーカス・ライズとハイコ・ミューラーが開発したため、会社名は「r&m」となっています。折りたたみ自転車の傑作と呼ばれ、今でも改良されながら、販売されています。

 折りたたみ自転車もタイヤの大きさが色々ありますが、16インチじゃ少し小さすぎてスピードが出ないため、18インチのこれにしました。オプションの「3 Way Bag」も一緒の買いましたが、結局は折り畳んで、旅行に行くこともありません。普段もほとんど折り畳んで使用することはありません。また荷物をシートポストに取り付けるキャリアも購入しましたが、支えが複雑なためすぐに撤去しました。

 当時、ハンドル形態が少し、オリジナルより内側に倒れているBD-1Cというタイプがありましたので、あまり前傾姿勢でこぐのも苦痛ですので、これを選びました。正解でした。

 折りたたみ自転車の割のはスピードも出やすい自転車ですが、サスペンションが妙な感じで、落ち着けません。またタイヤが小さいためか、しょっちゅう空気が減り、高めの空気圧で乗るためには毎回空気を入れる必要があります。またハンドルステルの初期のものは溶接でしたので、若干不安があったのですが、それが的中して、一度運転中にステムからハンドルが急にはずれて、危うく事故になるところでした。その後はネジによる固定に変えられましたが。ただ、ハンドル部の折りたたみ部分は今でも強度的には心配です。タイヤは変えましたが、その他はオリジナルのままです。ハンドルバーとディレーラーをもう少しいいものに変えたい気がします。

 折りたたみ自転車というと僕たちの世代はブリジストンのピクニックというのを思い出しますし、高校生ころに乗っていた気がします。今でもあるのでしょうか。自動車のミニを彷彿させるようなかわいい自転車でした。

2008年10月6日月曜日

住吉町




最初見た時は印象的な景色でも、そこに住み、毎日眺めていると、当たり前の景色になります。中央弘前駅から坂を登ったところにあるのが、弘前昇天教会です。レンガ造りの古い建物で、冬の雪の多い季節に初めて見たときは、別世界にいるような気がしました。子供が明星幼稚園というこの教会の附属幼稚園のようなところに通っていたため、何度か日曜礼拝にも参加しました。大正10年に建てられた教会で、椅子席とじかに床に和式で座れるようになっています。イギリスの聖公会の教会なので、内部の装飾はカトリックのものに比べて質素ですが、どこかしら明治のにおいのする建物です。中央弘前からのこの坂はなかなかいい風景です。

この道を右に曲がったところに、吉井酒造煉瓦倉庫があります。ここでは3度、現代美術の売れっ子の奈良美智の展覧会が行われました。3度とも、実にいい展覧会でした。ほとんど全国から集まったボランティアで展覧会は作られましたが、さすがの奈良さんの作品も建物の存在感に負けそうで、ようやく3回目にA to Zで調和した感じです。古い建物をこれほど、うまく活用した例はあまり知らず、奈良さんの作品と建物が一体となって優れた作品になったと思います。最近の美術館と言えば、近代的な建物で、有名な建築家が奇をてらった建物を建て、競っていますが、はっきりいってこの煉瓦倉庫には勝てないと思います。建物自体の、壁、天井、梁そのものに歴史があり、訴えてきます。最後のA to Zで、倉庫の2階で奈良さんの海と船を表現した大きな作品がありましたが、これなんかどこの美術館でもこれほどの作品のスケールは表現しえなったものと思います。そういった意味で、奈良さんの作品は青森県立美術館はじめ、多くの美術館で展示されていますが、この煉瓦倉庫での展覧会を超えるものは出てこないと思います。これをみた人は本当に幸せです。

昨日はここで青森犬?の写真展がやっていました。倉庫の入り口では若手のアーチストの手作りの作品が販売されたりしていました。この犬は展覧会の収益で作られたもので、この大きなものが青森県立美術館のあります。埴輪のような地中に埋められているよりは、屋外にはなされた、ここの方が犬にとっても幸せそうで、作品としてしっくりきます。

煉瓦倉庫の周辺の場所はすでに市が購入したようですが、建物自体の購入は交渉に難航しているようです。いずれは何らかの美術館には
なるとは思いますが、何とか現状のまま活用してほしいものです。横浜の煉瓦倉庫、金沢の煉瓦倉庫、函館の煉瓦倉庫のように外の煉瓦のみ残し、中は別の建物というのでは価値が一気に下がります。二階に上がるのに重量制限があり、数人ずつ細い階段に登る方がよっぽど、ドキドキして面白い体験になります。あまり早急に結論を出さず、中身も何とか現状のまま美術館にする方法を考えてほしいと思います。

2008年10月5日日曜日

弘南鉄道





 弘南鉄道は、現在2つの路線があります。弘前ー大鰐間の大鰐線と弘前ー黒石間の弘南線です。最初、弘前に来たときは、こんなところにも私鉄があるんだなあと思いました。関西の私の感覚では、私鉄といえば阪神や阪急のイメージが強く、こんなちっぽけな私鉄がまだ残っているのが不思議な気がしました。また写真の中央弘前駅は始発駅ですが、本通りの裏に隠れたようにあり、ちょっとしたバス停のような感じです。とても始発駅とは思えないようなかわいい駅です。こちらに来て、1年ほどこの中央弘前駅から西弘前駅まで通っていましたが、四季それぞれの弘前の風景が見られ、楽しい思い出です。さらに大鰐までこの路線で行くと、桜やリンゴ畑も見られ、ちょっとしたローカル鉄道の旅を楽しめます。

 使っている車両は、東急電鉄の古い車両で、鉄道マニアのはたまらないようです。沿線に写真を撮っているひとも何度か見かけました。折りたたみ自転車などを持ち込めば、ぐっと活動範囲も広がります。朝夕は沿線の高校生で結構込み合いますが、それ以外はがらんとしています。30分に1本くらいで運行しており、弘前に観光にきた際は、鉄道ファンでなくても利用したらどうでしょうか。車では見られない風景が見られます。

 今のように車社会の中で、こういった小さな私鉄を維持すのは経営的には大変で、かっては全国にも多くのこういったローカルな私鉄があったのですが、今やほとんどはなくなっています。ただ最近ではエコブームを反映してか、お荷物の市電も各地で復活されているようです。以前いた鹿児島でもお城に方に行く路線が、車の邪魔になるからといって廃止され、もう一線の鹿児島ー谷山の路線も廃止されそうになっていましたが、何とか存続され、今に至っています。一度廃止すると復活はできません。ガソリン代の高騰や、エコのためにも是非ともこういった小さな私鉄は残してもらいたいと思います。できればヨーロッパで行われている自転車を直接持ち込める車両(朝夕を除く)や、全国の鉄道ファンを集めた催しなどしてほしいと思います。

 中央弘前駅近辺には観光スポットもありますので、次回紹介します。

 鉄道と言えば、私の友人が、これも鉄道ファンには有名な五能線に蒸気機関車を走らせようとがんばっています。なかなか費用がかかようですし、D51など大型の上記機関車は線路自体の大掛かりな補強が必要で、小型のものしか走らせることができないといった制約もあるようです。興味のある方は 五能線活性化倶楽部(http://www.gonousen.jp/) をご参照ください。あの五能線に機関車が走れば、さぞすばらしいことでしょう。