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白髪一雄 |
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猪俣太郎先生の絵 |
小学校の図画の先生は猪俣太郎といい、私は幼稚園頃から絵画教室で教えてもらっていた。そのせいか、私には採点が甘く、一年生から六年生まで図画の成績はずっと5であった。他の科目は4だったり、3であることもあったが、猪俣先生には可愛がられた。
この先生に教えられたのは、画面いっぱいに大きく描き、空白を残さないこと、空とか壁など大きな範囲を塗るときには、太い筆で筆を洗った汚い水を使うことを教えられた。こうしたテクニックを使い、小学校1から4年までは怖いもの知らずで、阪神パークでの写生大会では大抵入賞や銅賞、銀賞など何らかの賞は取っていた。ただ金賞や特賞を取ることはなく、それほど才能はなかったと思う。
6年頃にはとりわけ記憶に残っているのは、筆の先を切り取って、水彩絵の具を水もつけずの紙にポンポンとたたくようにして描く技法を発明した。どうしてこうした技法を発明したか、わからないが母親が少し油絵を描いているのを見たせいであろう。印象派のジョルジュ・スラーの点描画に近い発想である。ただこの方法の問題点は、恐ろしいほど絵の具を使うことと、時間がかかることである。友人のSくんをこの方法で描いたが、顔だけこの方法で描き、バックは水で薄めた黄土色単色で埋めた。猪俣先生が激賞してくれたことを覚えている。顔の部分は何色も色を重ねていき、厚い、ほぼ油絵のような作品となった。
猪俣先生はいつも小学校校舎の端にある図工室で絵を描いていた。子供にはわからないような抽象的な作品を描いていた記憶がある。今回、猪俣先生のことを調べると、新世紀美術協会に所属し、その委員をしていた。新世紀美術協会は、和田三造。川島理一郎、大久保作次郎などで結成されたもので、現在、200名近い会員がいる。ヤフーオークションに出ている猪俣先生の作品を見ると、記憶とは違い、普通の具象の風景画を描いている。現代絵画で有名な白髪一雄は尼崎生まれで、猪俣先生も多少は交流があったのか、当時は同じような抽象画を描いていたのかもしれない。白髪は、尼崎市西本町生まれというから、今の阪神尼崎駅の南の方にあり、尼崎中央商店街の父親の呉服店二階をアトリエとして絵を描いていたようで、猪俣先生が勤務する難波小学校とは歩いて10分くらいの近くに住んでいた。白髪の作品は近年海外でも評価が高く、過去には5億円で落札されたこともあり、人気が高い。
こうした有名な画家が、尼崎に住んで活動していたとは、今回調べるまでまったく知らなかった。アトリエは尼崎中央三丁目、神田中通りの木市呉服店の二階にあり、丸亀製麺の斜め前で、ここで活動していた。私は小学生でほとんど毎日のようにぶらぶらしていた界隈であるが、当時、この付近に住む住民で、こんなところに有名な画家がいて絵を描いていたとは誰も知らなかったと思う。生涯、尼崎で創作活動を行っていたというのは尼崎を愛して、そこの雑多な雰囲気が好きだったと思うし、何らかの尼崎のカオスのような喧騒も彼の作品に影響しているのだろう。ちなみに尼崎を代表する漫画家、尼子騒兵衞の事務所も白髪の生家、西本町近くで、忍たま乱太郎の小さな石の像が玄関横にある。
2016年の日本人画家のオークション落札値によるランキングでは、1位は藤田嗣治、二位は奈良美智、三位は白髪一雄、四位は草間彌生、五位は白髪一雄、六位は奈良美智、七位は白髪一雄、八位は草間彌生、九位は白髪一雄、十位は奈良美智となっている。このうち、白髪は私の尼崎の実家のすぐそば、奈良は弘前出身というのは偶然であるが、案外、近くに有名な人がいるようである。