2015年9月25日金曜日

中国の人工島 (軍事研究)

台湾が実効支配している太平島

フィリピンが実効支配している中業島

 “軍事研究”の最新号(2015.10)に軍事ライターの文谷数重さんの「恐るに足りぬ中国の人工島 抗堪性不足!小規模攻撃で容易に機能喪失 米中の全面戦争時には瞬時に陥落!」という論文が載っていた。非常におもしろい論文である。

 ここでは東沙、西沙、中沙、南沙諸島の争奪の歴史から説き起こしている。これらの諸島は、今はアジアの火種となる重要な紛争地帯となっており、中国、ベトナム、マレーシア、フィリッピン、台湾などがお互いに領土を主張し、中国が人工島を造成し、さらに滑走路を作ったことによりますます、紛糾してきている。

 論文では、もともと南沙諸島まで含めた諸島、岩礁は、明、清以後の中国人の歴史認識からは中国の領土とされ、日本支配下に入った段階でも、南沙諸島は台湾の高雄市に属していた。そのため、戦後、すぐに台湾は東沙から南沙までの諸島を一抱え確保し、その後、西沙、中沙は放棄したが、南沙は最大地形で、唯一自然島と言える太平島を実効支配した。70年代になるとベトナムとフィリッピンが残りの岩礁を概ね二分して確保した。80年代に入ると、マレーシアはボルネオ沿岸の岩礁群を押さえた。こうした小さな岩礁群は島としての価値がないため、1970年台初頭にEZZ (排他的経済水域)の概念はいるまでは顧みられなかったが、漁業資源、海底の化石資源の囲い込みを狙い、周辺諸国で取り合いとなった。中国は、海軍力の欠如、国内問題のため、この地域への進出は立ち後れ、ようやく進出してきたのが、87年以降となる。

 これ以前には、台湾とフィリッピンとの衝突があったし、87年以降には中国がフィリッピン占有岩礁の確保をしたかとおもうと、逆にコソボ紛争を利用してフィリッピンよる中国占有地の確保、フィリッピンとベトナムとの紛争がおこり、泥沼化していった。さらに占領した岩礁は、埋め立てによる土地造成がおこなわれ、ベトナム、フィリッピンは70年代、マレーシアは90年代、台湾は2000年台にそれぞれ飛行場を作っている。中国の最近の行動もこうした各国に対応に準じたもので、批判されるものではないと考えている。

 最近のマスコミによる報道では、南沙諸島の中国進出は突然のようにみえるが、こうしてみると関係諸国でも紛争は古いもので、一概に中国のみを責められるものではなく、ベトナム、フィリッピンも同じようなことをしている。さらに著者は、人工島では滑走路にエプロン、タクシーなどが設けられず、敵からの滑走路への単一の爆撃で、航空機の破壊、滑走路の運用ができないばかりでなく、爆薬、燃料の分散保有ができないため、航空基地として非常に脆弱な存在としている。また中国本土から離れているため、十分なエアーカバーができず、侵攻されると容易に占領され、それを今度は利用されることで大きな脅威となる。航空基地として十分な機能を持たせるためには、基地面積の増大が必要だが、地形的な制約を持つ。海抜0で天候の影響、滑走路の排水などの問題もある。沖縄辺野古の場合では、埋め立て、基地建設に5800億円かかることを考慮すると、こうした人工島、滑走路の建設には本土と距離があるため莫大な費用が必要となる。つまり軍事的な観点から言えば、こうした人工島、滑走路は恐れる必要はなく、むしろこうした中国の海洋進出に対して、周辺国の領土問題に巻き込まれないようにしろというのが著者の考えである。

 中国の脅威をいたずらに煽るだけではなく、こうした冷静な見解ももっと紹介してほしい。

2015年9月22日火曜日

ヤフオクでスーツを買う



 私の場合は、サラリーマンと違い、スーツを着る機会は非常に少ない。以前は学会に行く時は、必ずスーツを来ていたが、最近ではラフな格好で来る人も多いため、演者でなければジャケットで行くことが多い。また週一回、弘前ロータリークラブの例会に参加するが、これも夏場はクールビズでノーネクタイ、他の季節もジャケットで行くことが多い。そのため、持っているスーツは夏用と春秋用の2着のみである。夏用はブルックスブラザースの定番モデルで、もう一つはイタリアのカンタレリというメーカーのものである。この二つのスーツでここ数年過ごしてきた。

 ところがこのカンタレリのスーツが最近、袖口が時計にこすれて痛んできた。尼崎のナカガワという店で15年以上前にカンタレリの紺のジャケットを買ったが、既製品にしては肩周りが驚く程軽く、ジャケットは裁断により着心地がずいぶん違うと初めて知った。他のジャケットに比べても、カンタレリが一番、着心地がよい。そこで奮発して、といってもバーゲンで大幅な値引きがあっと時だが、カンタレリのスーツを、10年前にナカガワで買った。このスーツは、生地がイタリアのロロ・ピアーノなのはいいが、スーパー120という細い糸で織ったもので、すぐに皺になる。一回、着るとアイロンが必要で、あまりいい生地も困ったものである。4年前にロータリークラブの会長になった時に、着る機会も多くなると思い、スーツの新調を考えた。もちろんカンタレリのスーツを購入しようと考え、ナカガワに久しぶりに行くと、すでにカンタレリの扱いはやめ、ベルベストというブランドにかわっていた。このスーツも非常に着心地がよく、一瞬心が動いたが、値札もみると20万円以上し、さすがに諦めた。

 その後、暇つぶしにヤフーオークションで“ベルベスト スーツ”で検索していると、新品のスーツが1万円とのこと、早速、入礼すると、出品時間が迫るにつれ、金額が上がってくる。出品者が値を上げるやり方と感じ、落札は諦めた。先日、オークションで“カンタレリ 50”で検索していると、39800円で新品が出品されていた。色は黒、サイズは50、パンツのウェストは6と、前に買ったスーツとはサイズは一致するがウェストが7から6と大きい。ちなみにイタリアサイズのウェストは(50—6)×2の88cmということになる。2cm大きくなったサイズで、最近太っているのでまあいいかと入札した。

 入札者は私だけだったので、この値段で落札したが、39800円といっても、スーツだけは合わなければ、無価値である。どぶに捨てたことになるため、到着して試着するまでは随分緊張した。定価は184000円、生地はフラッテリ・タリア・デルフィノというロロ・ピアーナに並ぶ高級生地メーカーのものである。当たり前と言えば当たり前だが、前に買ったスーツとサイズは全く同じで、袖が3cmほど長いのも同じである。私の足は標準よりかなり短い方だが、腕の長さは標準で、日本製で袖を縮めたとこはないが、イタリア製では必ず3cmは長い。ナカガワで買ったジャケット、スーツは袖部分で縮めてもらったが、弘前の洋服直しの店にいくと、袖部分の修正は2.5cmまでと言われ、仕方なく袖部分の切羽と呼ばれる袖周りのボタン飾りをつぶすことにした。ズボンの丈直しと一緒で5000円、計45000円の買い物となったが、出来上がりを見ると、ほとんど修正跡もわからず、満足している。

 ヤフオクではこれまで、色々なものを買ったが、スーツだけはオークションで買うべきものではない。肩幅、丈などピッタリ合う方が珍しく、同じサイズでもメーカー、モデルにより全く違う。以前、ジャケットを買うときも、いろんなメーカー試着したが、同じサイズでも微妙に違い、サイズを上げたり、下げたり、丈、袖を直す必要もでてくる。さらにスーツの場合、ズボンも含まれるので、合わない確率は2倍となる。それだけに交換のできないオークションでスーツを買うのは、かなり勇気がいる。安い店では、同じ金額で、同じ生地を使ってオーダースーツが作れるようだが、着心地はどうだろうか。ダメなジャケットは重くて、本当に肩がこる。

2015年9月13日日曜日

安保法案学習会(弘前大学)





 先日の朝日新聞で、弘前大学の学生らが、安全保障関連法案についてよくわからないということで、勉強会を開いたという記事が載っていた。わからないことを勉強することは大事だと思ったが、よく記事を読むと、安保法案反対の勉強会ということであった。小学校ならいざ知らず、大学生にもなって、勉強とは反対意見だけでなく、賛成意見も聞くことさえはわからないのだろうか。またこうした勉強会を企画した教員のレベルも低い。学生が自分で考えるという教育をするためには、一方的な意見だけを傾聴させる方法は最も避けるべきものである。

 本来なら、こうした勉強会は、反対派の学者と賛成派の学者(軍事評論家、軍人)の意見を聞き、それに学生が参加してディスカッションするか、私なら学生を2つのグループに分けて、一方は賛成派、一方は反対派に分けて、インターネットや本を読んで、自分たちの論旨を研究し、お互いディスカッションをしてもらう。こうすることで、初めて両者の問題点が浮き彫りにされる。片方の意見のみを聞き、それをデモといった行動にうつすのは、最も愚かな行為であるし、そうした愚かな学生を作り出すのが大学の使命ではなかろう。

 さらに言うと、本当に優秀な学生であれば、敢えてこうした安保法案反対勉強会に参加し、賛成論をぶちかまし、教官をやりこめてもよい。どのような事例でも表裏(おもてうら)、利点欠点、問題の有無があり、それらを総合して、どちらがより優れているか結論を出す。これが学問であり、教育である。教壇から一方向に先生の講義を聞くという態度に慣れてしまったのか、自分で考えることができない。こうした批判的な態度を大学4年間で身につけたいものである。

安全保障法案に対する見解は、大きく分けて次の3点である

1.戦争放棄  外交努力で戦争にならないようにするが、万一、他国から攻められたら、すぐに降伏する。憲法9条に沿って、自衛隊は解体し、防衛は沿岸警備隊程度にとどめる。イスラム国のような武力勢力が侵攻したら、奴隷になろうと、妻子がレイプされようと、ひたすら我慢して、非暴力抵抗を行う。

2.専主防衛、領域警備 日本本土のみを防衛する。敵が日本領土内に侵攻し、発砲した時点から戦争を開始する。太平洋戦争の末期の本土防衛戦に準じ、沖縄戦のような国内が主戦場となる陸戦が想定される。

3. アメリカ軍に助けてもらう 敵に攻められたら、防戦的な戦いをし、アメリカ軍が助けてくれるのを待つ。砦の籠もり、援軍を待つやり方である。戦後、日本の基本的な指針である。

4.自主防衛 アメリカ軍の助けがなくても自前の軍隊で国を守る。憲法を改正し、最終的には核保有を目指す。

社民党、共産党、一部の学者など左翼陣営の基本的なスタンスは1であり、日本は憲法9条に沿って軍隊を持たない。安全保障法案に反対する大学生らのグループSEALDsの意見もこれに近い。さすがにこれはだめでしょうというのが、民主党の基本的スタンスで2の見解に近い。日米同盟を基軸とし、日本に敵が攻めてきたら、アメリカ軍に助けてもらうというのが、これまでの日本(自民党)立場であり、逆にアメリカ軍が窮地に陥っても助けないという一方的なものであった。現在の自民党の目指す安全保障法案は、従来の専主防衛では主戦場が国内に限定され、地上戦により民間人も含めた多大な犠牲がでること、主要国として責任ある国際テロ、紛争への関与、アメリカ軍との相互連携を深めることが骨子となっている。戦前の絶対防衛圏とはいわないにしても、できるだけ国内での地上戦を避けるため、本土とは遠い地域での海上、空での戦いを想定している。3の見解を拡大したものである。


 国防は、生命保険に例えられることが多い。生命保険に入っても、死亡、病気にならなければ、掛け金は捨て金になる。高額な保険に入れば、それだけ保険料も高くなるため、生活に合わせて種々の保険の中から望ましい保険を選ぶ。これまで比較的安い保険料で済んだが、環境の変化により病気になる可能性、リスクが高くなり、より高額な保険に入ろうとしているのが、今の状況である。保険会社であるアメリカが裕福であった間は、安い保険料で済み、日本は余った金は他のことにも使えたが、アメリカ自体が最近はおかしくなり、そんな安い掛け金では、十分な保障は出来ないと言い出した。保険料の負担が高くなってもこれまで通りの十分な保障を得るのか、保険の負担は今まで通りだが、保障が減るのを我慢するかという選択なのであろう。高齢になるほど、病気や怪我に鳴る確率は高くなり、保険料の負担を減らすには預金を増やし、万が一の時は自分で守らなくてはいけない。ただ個人の生命保険は、いずれ死ぬのだから、高齢になれば保険に入る意味も少ないが、国は死んだら困る。

 先の大戦で日本では未曾有な犠牲を払った。その要因を突き詰めると、戦意高揚を図る一方的なマスコミ、新聞の報道、論調であり、そしてそれを無批判に受入れた国民の批判精神の欠如である。こうした反省に立つなら、新聞、マスコミも中国、韓国に遠慮せずに、国防に対する両論を報道すべきであるし、国民、特に大学生は自分で考える力をつける必要がある。