2023年12月21日木曜日

セファロ分析をしないところでの矯正治療はやめた方がよい

 


不正咬合の矯正治療には、口腔内写真、顔面写真、平行模型、オルソパントモ、セファロ写真が基本的な検査項目であることは、歯学部の学生にも散々教育してきたし、国家試験にもこうした分析結果の問題が出る。ところがマウスピース矯正をする先生の中には、この検査のうち、セファロ分析をしない先生が意外に多い。学生の頃に学んだことを忘れたらしい。

 

大学を卒業し、矯正科に入局すると、まずセファロのトレースと分析、そして分析結果からの治療計画の立てるトレーニングが行われる。大学によって期間は違うが、少なくとも50時間以上のトレーニングが必要だし、正確なトレースをするためには1年以上はかかる。レントゲン上の架空の点、線を見つけてそれをトレースするのであるが、最近では自動描記ができるソフトもあるが、基本的には手書きでトレースする。これまで一般歯科医に、研修医も含めて何十人もセファロの基本概念とトレース、分析を教えてきたが、誰一人マスターした人はいない。短期間でマスターできるものではない。退屈な作業だし、かなり地味なトレーニングである。ただ矯正治療をするなら、これは最低マスターしなくてはいけない知識である。

 

確かにある程度経験を重ねると、初診時の口腔内や顔貌をみただけで、ある程度の治療方針を立てられるが、それは何千枚ものセファロ分析をした経験に基づくものであり、それでも絶対にセファロ分析なしでの矯正治療はない。そのため、以前、兵庫県の歯科医師会の苦情相談室の報告を聞いたことがあるが、矯正治療におけるクレームで、もし歯科医院側でセファロ分析がされていなければ、絶対に裁判に負けるので、即示談にするように勧告するとしていた。セファロなしでの矯正治療は、世界的にみても決してありえない。

 

矯正治療で最も重要な診断は、まず横側のレントゲン、側方頭部X線規格写真(セファロ)で、上下のあごの関係を見る。上下の顎の大きさのバランスの取れたClass I、上あごに比べて下あごが小さいClass II、 上あごに比べて下あごが大きい、Class IIIに分類される。上下の顎のずれが大きい症例は手術を併用した治療も検討する。また下あごの回転方向により、後方回転(ドリコ),前方回転(ブラキー)、中間(メジオ)の3つのパターンがあり、これも治療計画を立てる上で重要である。上下切歯の傾きと軟組織(鼻、口唇)の関係は抜歯、非抜歯をきめるのに大切な計測値である。正面からのレントゲンでは、上下のあごの側方のずれを調べ、これも大きい場合は外科的矯正を検討する。

 

私のような矯正治療歴30年以上の臨床医でも、模型、あるいは見たままの印象だけでセファロ分析結果を推測するのは難しく、ましてや矯正治療歴の少ない先生がセファロなしで正確な診断ができるはずがない。もちろんセファロ分析をして、その結果に対する治療計画は先生によって違いはあるが、ただその違いを理論的に説明できなくてはいけない。矯正歯科専門医試験でも先生に問われるのはこうした点であるが、矯正歯科の専門医であれば、それほど治療計画に大きな違いがない。5軒の歯科を受診し、4軒の矯正歯科が抜歯治療、残りの一軒の一般歯科医が非抜歯治療を提案したとしよう。この場合、普通は非抜歯を唱える一般歯科医が間違っている可能性が高いが、患者はこの歯科医で治療した結果、口元の突出感が治らないことになった。こうして再度、矯正歯科医にセカンドオピニオンで見てもらうと非抜歯では治療できない、治療費の返却のため、この歯科医に連絡をすると、患者には非抜歯では口元の突出感は治らないといったが、どうしても抜歯を拒否したと嘘をいう。これまでこうした症例は何件かあった。また矯正歯科医で多いのは、明らかに外科的矯正の適用症例で歯だけで治しているケースである。先生に聞くと外科的矯正のことを話したが、患者は希望しなかったと答える。この嘘も多い。

 

インビザインのトラブルで多いのは、デコボコは治ったが、口元の突出感は変化しない、あるいは悪くなったケースである。この場合、セファロを撮っていなければ、患者から訴訟されると厳しく、多くの歯科医院では面倒な訴訟に巻き込まれるのを嫌がる。口元の突出感が当初の主訴に入っているなら、セファロ分析は必須で、これなしで治療計画は絶対に立てられない。他に多いトラブルは、奥歯が噛んでいないというもので、これに関しては、インビザラインのせいというより歯科医師の技量の問題であり、これは裁判でも争うことはできない。技量に関しては、よほどのミスでなければ、患者が裁判で歯科医に勝てない。

 

さらに不思議なのは、インビザラインに関するYouTubeあるいは講演会で、情報を発信している先生の経歴を見ると、何名かの矯正歯科専門医を除き、ほとんど矯正歯科の正式な教育を受けていない。間違いなく、こうした先生は、セファロ分析はできないし、正確な診断はできない。それなのにこうした先生は全く臆せず、講演会をしている。また患者の方にも問題があり、矯正治療を受けるなら少なくとも歯科医の経歴を見て欲しい。〜大学歯学部矯正歯科の履歴がないのに先生の言葉だけで治療を行うのは、これは失敗しても自業自得である。


2023年12月18日月曜日

指揮官の実戦経験

 



山本五十六大将が亡くなったのは59歳、真珠湾攻撃を指揮した南雲忠一中将がサイパンで玉砕したのが57歳、インパール作戦を主導した牟田口廉也中将が第15軍司令官としてインパール作戦を立案、指揮したのが56歳、この時の南方軍総司令官の寺内寿一元帥が最高齢で65歳であった。終戦時、参謀総長、第一総軍司令官であった杉山元元帥が自決したのが65歳、旧軍の退官年齢(停限年齢)は、陸軍では少将で58歳、中将で62歳、大将で65歳、海軍では少将が56歳、中将が60歳、大将が65歳となっている。

 

本来戦争は多くの兵士の生死が関わるもので、その指揮官は、アレクサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオンなどの世界史の残るような人物から日本の戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような人物まで、数々の戦争を経験した戦上手な人によって戦われた。近代になると専門学校、士官学校が世界中にできて、プロの指導者を育成したが、実際の戦争指導となると、日露戦争の立見尚文大将のような戦場の嗅覚に優れた人が戦上手の名将と呼ばれた。問題は、戦争という非常時に、実戦経験豊かな優れた指導者をどれだけ揃えられるかということになる。ビルマ戦線では、牟田口廉也中将が第15軍司令官としてインパール作戦を立案、指揮した。この人物に10万人もの兵士の生死を任せた。結果は大失敗し、3万人の犠牲者が出たが、牟田口中将は1966年まで生きた。軍の規模で言うと、アレクサンダー大王、織田信長、徳川家康の軍と同等であり、かわいそうな言い方だが、牟田口廉也中将にアレクサンダー大王や織田信長に匹敵する能力があったのか。もちろん彼にはそんな軍事的な才能はなく、普通のおじさんである。彼の作戦に許可した上司、具体的に言えば、寺内寿一元帥の責任でもある。この元帥も親が首相、寺内正毅で、いわばボンボンである。育ちが良いだけで、ほとんど戦歴はない。さらに酷いのはノモンハン、ガダルカナルなど散々な作戦計画を提唱した辻政信大佐は、作戦の神様と称せられたが、ほとんど実戦経験はない。こうした普通のおじさん、金持ちのボンボン、頭でっかちの見栄っ張り、などが戦争を指導したのが、太平洋戦争で、怖い話である。

 

まず日露戦争で日本がロシアに勝利したのは、戊辰戦争での戦争経験が大きい。この戦争で作戦に従事し、その戦歴から上の地位に昇進し、日露戦争では指導者として活躍した。実際の戦いの経験が数万の兵士を指揮するのに役立つ。例えば、立見尚文中将は桑名藩の雷神隊の隊長としてゲリラ戦に従事し、西南戦争では大隊を指揮、そして日清戦争では旅団長、日露戦争では師団長として黒溝台会戦で活躍した。常に実戦の中にいた将軍である。同じく野津道貫大将も鳥羽伏見の戦いから、会津戦争、箱館戦争と参戦し、西南戦争では旅団参謀として、日清、日露戦争に参戦している。実際に立見も野津も自ら実戦に参加して、戦っており、その戦功により出世していった。これが戦国時代からの戦争のプロのあり方であった。ところが太平洋戦争では、士官学校、大学校を優秀な成績で卒業した軍人が階級を上げて、参戦した。戦功ではなく、成績で昇進した。太平洋戦争に参戦した日本軍の指揮官(大将)で実戦経験のあるのは、海軍では山本五十六大将、及川古志郎大将、塩沢幸一大将、吉田善吾大将、陸軍では岡本寧次大将、多田駿大将、板垣征四郎大将、杉山元元帥くらいである。

 

それに引き換えアメリカ陸軍の将官について調べると、パットン大将は米墨戦争を皮切りに、第一次世界大戦の戦歴を経て、第二次世界大戦に参戦した。同様にマッカサー元帥は、メキシコ革命におけるベラクルス占領に参加し、その後、第一次世界大戦では二回負傷し、15の勲章をもらった。イギリス軍の名将、モンゴメリー元帥も、第一次世界大戦に参戦し、肺と膝を撃ち抜かれる怪我をし、勲章をもらったし、インパール作戦の寺内元帥に対応するインド駐留軍司令官、ウェーヴェル元帥も第一次世界大戦では片目を失い、アラブ人反乱の鎮圧に参戦し、第二次世界大戦に入った。いずれも第二次世界大戦が初めての参戦ではなかった。

 

欧米では第一世界大戦(1914-1918)を経験した将校がそのまま第二次世界大戦に将軍として参戦したが、日本では日露戦争(1904-1905)を経験した将校の多くは太平洋戦争ではすでに退役しており、実戦経験のない多くの将軍が参戦した。日本軍で唯一、第一次世界大戦に参加したのはマルタ島での連合国艦艇の護衛任務で、日本海軍からは山口多聞中将や田中頼三中将が参加し、いずれも優れた指揮官となる。この10年の差が結局、太平洋戦争の勝敗の差になったのかもしれない。

 

おそらくの話ではあるが、今、行われているウクライナ戦争においても、各国は秘密裏に有能な士官を送り込み、実際の戦争を体験させていると思う。武器供与には、それを指導する兵士も必要で、各国はそれを口実に優秀な士官をウクライナに派遣し、実際の戦争を経験していると思う。平和主義者からすれば、ひどい話であるが、軍隊というのは経験値が必要である。太平洋戦争以来、全く実戦経験のない自衛隊に日本の防衛を任せるのであれば、将来的に自衛隊の指揮官になる人物には、是非ともウクライナ戦争を経験してほしい。

2023年12月14日木曜日

最近の矯正歯科医

 

クリッピーC(トミー) これを使っている先生は意外に多い。 韓国でも人気


先月、久しぶりの大学矯正歯科の同門会が新潟で行われたので、参加してきた。若手の矯正歯科専門医と診療システムについて話す機会があった。私が開業したのが1995年なので約30年前であるが、開業する前に何軒かの矯正歯科専門医院に見学に行った。当時は多くの先生が装置の装着、ワイヤー交換からベンディング、あるいは技工までしていたので、私も開業した際には、全て1人でしようと思った。検査の時は、レントゲン、印象、口腔内写真を撮り、石膏を注いで、さらに固まったなら平行模型(ソーピング)製作までし、さらに機能的矯正装置、リンガルアーチも診療終了後に技工した。患者管理システムもファイルメーカープロで自作し、打ち込み、スライドの整理、保険のレセプト書きもした。家内と2人でしていたせいである。その後、衛生士、受付を雇い、かなり楽にはなっているし、平行模型などは技工所に発注して作ってもらっている。それでも現在もほとんどは自分でしていて、ワイヤー交換、ベンディング、技工物(多いのは保定装置)から、写真の整理、印刷、保険レセプト、紹介状、情報提供用紙打ち出しなどほとんど自分でしている。現在は、子供の患者を見ていないので、マルチブラケット装置の患者がほとんどで、1人の患者については15分をとっている。ワイヤーを外して、新たなワイヤーを曲げて、結紮するとこれくらいかかる。最近は外科的矯正の患者にはクリッピーというセルフライゲーションブラケットを使っているの、10分以内と速くなった。撤去の場合も全て自分でブラケットを外して、タービン、エンジンで綺麗にし、衛生士に印象をとってもらう。そして模型ができると、急いで上顎はベッグタイプ、下顎はホーレータイプの保定装置を作る。上顎は第二大臼歯の0.9mmサンプラ線の単純鉤、唇側は0,8mmの唇側線を曲げて、両者を銀ロウで引っ付け、研磨してレジンを盛り、お湯につける。ここまでその日のうちにして、次の朝に研磨して完成し、患者に装着する。リンガルアーチや、機能的矯正装置、パラタルバーなどの技工物も全て診療の合間か時間外に作る。保険診療のレセプトあるいは請求は、月に一回、日曜日か休診日の木曜日に3時間くらいかけて打ち込み、打ち出しをする。最近はレセプト枚数も80枚くらいあり疲れる。

 

長々と書いたが、私も含めて昔の先生は大体こんな感じであったが、最近の若い先生の場合、上記の作業のほとんどを衛生士、助手にさせるようである。まずワイヤーの交換はほとんど衛生士がする。018サイズの場合は先生がたまにベンディグをするが、022になるとほぼ口頭による指示だけとなる。もちろん検査、技工も先生はしないし、撤去あるいはレセプト打ち込み、打ち出しも従業員にさせる。先生がやる仕事となると、新患相談、診断、患者への治療計画の説明、紹介状、治療経過の把握くらいのものとなる。先生によってはセファロのトレースも衛生士にさせているところがある。衛生士、助手が5人ほどいれば、一日、60名から100名の患者を見ることは可能だという。私のところは、ほとんど全て1人でするので、一日、どう頑張っても40名、平日は大体20名くらいの患者を見ているが、逆に驚かれた。昔、アメリカの一般歯科の先生に日本では一日100名くらい見る先生がいるというと驚き、クレージーと言っていたが、アメリカの一般歯科の患者数は20名以下である。ところがこれは一般歯科の話で、矯正歯科の先生に聞くと、一日の患者数は200名という。一般歯科の場合は、麻酔、抜歯、形成など先生がしないといけない仕事が多いが、矯正歯科はやろうと思うとほとんどの仕事を衛生士、助手にさせられるからだ。この流れが日本でも最近は主流となってきている。県外から紹介されてくる患者さんの中には、ほとんど先生に見てもらったことがないという人もいる。

 

そのため、YouTubeなどで、例えばワイヤーベンディング、ロウ着などの動画を見ていても、遅いし、おぼつかない。さらに金属線の結紮に至っては、専用のプライヤーを使わないとできないようである。バードビークプライヤーのみで全てのベンディングができるし、ホープライヤーで結紮をしている。私のところでは、マルチブラケット装置の場合の基本セットはホープライヤー、バードピークプライヤー、ピンカッター、エンドカッターの4種類で、患者数だけセットを組んで、全て滅菌消毒して使っている。一方、衛生士、助手に調整をさせているところは、こうした感染予防システムはとっていないところが多く、たくさんのプライヤーをラックに置いていて、それを使い回しにしている。時代に逆行している。

 

矯正治療も患者が増えれば、アメリカ式の効率的な治療法がもとめられるであろう。ただアメリカのような一日に百名以上の患者が来るようなクリニックは少なく、一日の患者数が30名以下なら、スタッフに治療をさせてばかりだと先生は結構暇なのではと思ってしまう。若い先生は元気なのでもっと働いてほしい。


2023年12月11日月曜日

未来は今とそう変わらない

 


まず上に挙げた懐かしいJR東海のコマーシャルを見てほしい。最初の深津絵里のCM1988年、次の牧瀬里穂のCM1889、高橋理奈のCM1990年、以下、だいたい30-35年前のCMである。山下達郎の名曲「クリスマスイブ」を使ったCMは今でも全く色褪せず、もはやクリスマスソングの定番になっている。動画をよく見ると東京駅もほとんど変わっていないし、駅に集まる乗客の服装も今とそんなに違わない。もちろん恋人を待つ女性の服装や髪型などはやや古臭いと思うが、それでもこのままの格好で、2023年の東京駅にいても違和感はなく、誰も振り向かないだろう。曲、風景、人物、空気感、そして恋人を待つ切なさも今とあまり違わない。私の娘や、さらに年齢の低い高校生が、このCMを見てもそれほど違和感はなく、いい映像と思うだろう。

 

よく考えてほしい、この35年という歳月を。私が20歳のとき、すなわち1976年の35年前は、なんと1941年、ちょうど太平洋戦争が始まった頃となる。1941年というともちろんテレビCMもないし、東京駅で恋人との別れのフィルムがあっとしても、まず列車は蒸気機関車、曲はどんな曲をつけようか。1941年のヒット曲を調べると、水原美也子の「心の日の丸」、高山美枝子の「別離傷心」があるが、さすがに古い。すべてが1976年当時と比べても違っており、何一つ一致点が見出せないくらいである。

 

それでは1988年と2023年の違いと言うと、まずコンピューターの進歩が大きい。インターネットは一般的ではなかったが、それでも私もNECのパソコンは持っていたし、すでにファミコンは1983年から、ゲームボーイは1988年から販売されていた。この分野も格段の進歩があったが、それでもその原型は1988年には存在した。一番の違いは、スマホであろう。アップルがI -phoneを開発したのが2007年、16年前である。その後の普及はご存じの通り、もはやこれなしの生活は考えられない時代となった。スマートフォーンはと呼ばれる商品で、世の中を一変させた。発明者のスティーブ・ジョブズの功績は大きい。

 

ではスマホのない2023年を想像してみて、1988年と比較してみよう。新幹線は少し速くなったが、ほぼ同じ、それは飛行機や船でもそうである。家の中を見回すと、まずテレビは、1988年はブラウン管テレビであったが、今は薄型テレビとなっている。洗濯機、冷蔵庫、エアコン、掃除機、炊飯器などの家電はほぼ同じであまり変化はない。車もガソリン車ということでは、性能的にも変わらない。会社に行く、電車、バスも同じである。週休2日制はすでに1988年当時でも大学病院ではあった。服装はどうであろうか。スタートレックで描かれる未来は、一枚の薄い布で、あらゆる環境でも適合する衣類が発明された設定になっているが、ヒートテックのような下着ができたものの、基本的にはほとんど変わらない。細かい変化はあるにしても1941年と1975年ほどの大きな変化はない。何しろ1941年にはほとんどの家電はなかった。

 

こうした変化のなさを一言でいうなら、文明の発達が停滞あるいは平坦化しているといえよう。戦後、家電の代表されるように、テレビができ、冷蔵庫ができ、洗濯機ができたように次々と新しいものができた、文明カーブというものがあったとすると急激な増加時期であった。その後、開発の限界が現れ、その時点で大きな進歩はなく、平坦化していく。110年前のタイタニック号と今の豪華客船との差は少ないし、1958年の就航したボーイング707と最新の708を比べると航続距離や最高速度などの基本的性能はほとんど同じである。どちらも技術的にはプラトーになっていくのだろう。

 

おそらく今後考えられる一番大きなブレークスルーは、核融合発電の実用化で、これができれば、電気量は格段に安くなり、全ての交通機関は電動となり、また家庭内の冷暖房も格安になろう。海水の淡水化も安くなり、世界中で米などの食料自給ができるようになる。今のところ核融合発電のコストは石油発電の1/6、石炭の1/3で、これだけ安くなれば、ほとんどのエネルギーが電気になろう。2050年になっても核融合発電が実用化されなければ、おそらく30年後の未来、つまり2053年の未来になっても、2023年現在とはそれほど違わない未来のように思える。できればスティーブ・ジョブズのようなブレークスルーを起こす人物が日本から現れてほしい。下のコカコーラのCMもほぼ35年前のもので、今の若者からすれば、むしろこの時代に行きたいという人もいよう。









 


2023年12月10日日曜日

子供の矯正治療



今は子供の矯正治療をしていないので、全く何の束縛もなく、現時点での子供の矯正治療についての見解について考えてみたい。

 

多くの親にとって、歯科医から子供のうちから矯正治療をした方が、それも早くからした方が良いと言われ、治療を始める。ただ現時点の研究では、早期治療の効果はかなり限定的だといえよう。不正咬合別に考えてみる

 

1.反対咬合

反対咬合については、すでに日本矯正歯科学会のガイドラインが出されている。上下のアゴのずれがある骨格性反対咬合の代表的な治療法の一つに上顎骨前方牽引装置(MPA)と呼ばれる装置がある。リンガルアーチあるいは急速拡大装置などの固定式矯正装置を上の歯列につけ、ファイスマスクと呼ばれるお面のようなものを顔につけて、ゴムで上の歯列そのものを前に出してかみ合わせを治す治療法である。最近では上顎骨自体に矯正用アンカースクリューを打ち込み、上アゴ自体を前に出す治療法もある。ガイドラインによれば、初期の治療効果はあるものの、最終的には改善効果は少なくなる、つまり未治療の結果に近づくとしている(エビデンスレベル 中(B))。結論としては、患者に過度の負担をさせない範囲であれば、否定されるべき治療法でないとしている(弱い推奨)。下アゴの成長を抑えるチンキャップについてはもう少し厳しく、推奨なしに、また機能的矯正装置についてはエビデンスの質は低く(c)、弱い推奨としている。

結論としては反対咬合の早期治療については、MPAや機能的矯正装置で治療をしてもいいが、個人により治療効果は異なり、結局は成長終了後にマルチブラケット装置によるカモフラージュ治療あるいは外科手術を併用して外科的矯正の可能性がある。

 

2.上顎前突

上顎前突には、アゴの問題のある症例、上アゴに比べて下アゴが小さい、と上の前歯が飛び出ている症例がある。早期治療が必要なのは前者で、下あごが大きくなれば自然と前歯が出ているのが軽減できるので、マルチブラケット装置が必要なくなる。二つの方法がある、まず機能的矯正装置により下アゴの成長促進を狙う方法と、ヘッドギアーを併用し、上アゴを成長抑制させ、結果として下アゴを成長させる。ガイドラインによれば、機能的矯正装置については、グレードB(科学的根拠があり、行うように勧められる)となっているが、骨格系の改善への効果について科学的根拠はなく、否定的としている。ヘッドギアーによる治療でも同様である。

3.叢生

アゴの大きさに比べて歯が大きいとデコボコになるが、これを叢生(そうせい)という。これについてはまだ日本矯正歯科学会のガイドラインはないが、早期治療としては拡大治療がある。上下のアゴを横に広げて歯が並ぶスペースを作る。床矯正治療や上アゴの急速拡大装置を使ったものがある。結論は出ていて、犬歯間の拡大は後戻りして最初の幅になる。前歯部の2,mmのわずかなデコボコについては、拡大治療による治療は可能であるが、それ以上のデコボコについては安定しないとしている。さらに日本人に多い、上下の前歯が前に出ている上下顎前突を含めると非抜歯で治療可能なそうせいのケースはおそらく半分あるいは1/4以下であろう。

 

ちょっと難しい話になったが、子供の矯正治療については、早期治療(一期治療)をしたところで永久歯列完成後の仕上げの治療(二期治療、マルチブラケット装置)が必要な場合が多いということである。そのため、二期治療ができない歯科医で、早期治療をするのはやめた方が良い。通常矯正治療費は、例えば一期治療費が20万円、二期治療が20万円としよう。一期治療だけで終われば20万円だが、二期治療が必要な場合はさらに20万円、トータルで40万円となる。もし一般歯科で早期治療だけしかしておらず、その費用が20万円とする。二期治療が必要になっても治療できないので、他院で治療することになるが、その場合は、全くの新患扱いとなり、さらに40万円かかる。それを考えると最初から二期治療までしているところ、矯正歯科専門医で治療を受けた方が良い。ましてや一期治療だけで済まない場合が多いのでは。唯一、一般歯科での早期治療が推奨されるのは、料金が極めて安い場合のみである。

 

こうした一般歯科での矯正治療を否定すると、多くの一般歯科の先生から非難されるが、よく考えてほしい、早期治療の大きな目的が骨格性の反対咬合や上顎前突を治すことであり、これが治らなければ、骨格性反対咬合や上顎前突をマルチブラケット装置で治さないといけない。手術を併用した治療法や、抜歯、矯正用アンカースクリュなど多様なマルチブラケットテクニックが必要で、少なくとも日本矯正歯科学会の認定医のレベルでないと治療は無理である。一般歯科医では治せない症例である。

 

2023年12月5日火曜日

「テロルの昭和史」 保阪正康

 



保阪正康さんは好きな作家の1人である。近著の「テロルの昭和史」は考えさせられる本であった。同書では、昭和6年の三月事件から昭和11年の二・二六事件までのテロの暴走時代を総括し、その細部を検証し、最近あった安倍首相の暗殺事件を含めて日本人の持つある種の怖さを抽出している。昭和6年から三月事件、十月事件、血盟団事件、五・一五事件、神兵団事件、永山鉄山刺殺事件、死のう団事件など、この5年間には日本史上でもこれほど社会不安の増した時代はなく、常に右翼、あるいは軍部によるクーデターが惹起されていた。一方、民間による事件について司法は比較的厳しい処分を科したものの、将校が提起した事件については陸軍裁判では軽い処分を科し、さらに新聞、マスコミも軍部の片棒を担ぐような決行者を英雄扱いした。

 

この本では触れられていないが、明治11年に東京、武橋の近衛砲兵隊の兵士260名による反乱事件を竹橋事件と対比すると、それはより鮮明となる。この事件は給与、行賞、退職金などの些細な兵士の不満を背景にしたものであったが、蜂起を説得しようとした少佐、大尉を殺害し、さらに大隈重信邸を銃撃した。事件自体は政府軍と反乱軍との銃撃戦があったものの、蜂起後、わずか2時間半で収束した。事件の翌日には陸軍裁判所で尋問が始まり、2ヶ月後には判決が下されたが、この処置が厳しい。まず首謀者を含む55名が判決日に銃殺刑、残りの118名も準流刑、15名が懲役刑など、394名が処罰を受けた。一審、二審もなく、判決後、ただ上官に命令でついていった兵士も即刻に銃殺刑となった。軍内のクーデターに対する見せしめの要素を持つ。伊藤博文や山縣有朋など政府指導者は、こんな事件があると国の崩壊につながると激怒して、過酷な処罰を与えたものと思われる。

 

翻って、本書で真っ先に取り上げられた昭和6年に起こった三月事件。橋本欣五郎中佐ら陸軍中堅幹部による政府転覆計画は未遂に終わるが、首謀者の橋本中佐は左遷されたにとどまる。この年の10月に起こった十月事件では、さらに大規模は反乱計画で、首相官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部を襲撃し、若月首相はじめ閣僚を惨殺、捕縛し、軍事政権を作ろうとするものであった。これも発覚し、未遂に終わったが、処分は謹慎10日、20日という軽いものであった。

 

明治11年の竹橋事件と比較しよう。三月、十月事件ともに未遂に終わったものの、こちらは完全に政府転覆、軍によるクーデターであり、罪はよほど大きい。明治の指導者の感覚からすれば、もっと厳しい処分になるべきである。問題は、兵士による政府転覆、あるいはクーデターを軍法会議で裁けるかという点であり、規模が多くなれば、将官を含む上位指導者にも罪が及ぶ可能性があり、同じ仲間同士ではどうしても甘い処分になりやすい。その点、明治時代では、軍のトップの指導者は、政府の指導者を兼ねていることから、より高次の視点から事件の深刻さを見つめ、竹橋事件のような厳しい処分を科したが、昭和6年の時代では、軍部は軍人の集まりとなり、日本そのものより、組織、例えば陸軍第一となっている。日本、日本民衆より陸軍という人の集団を重視するようになった。はっきり言って、レベルの低い人たちの集まりで、三月事件、十月事件、五一五事件でも好き放題している。二二六事件においても、もし昭和天皇の怒りがなければ、他の事件同様にまあまあなものになっていたであろう。

 

ついでにいうと、日露戦争の英雄、乃木希典と東郷平八郎、乃木は明治天皇の崩御とともに自死したが、東郷は昭和9年前で生き、老害を曝け出した。長生きしすぎて、軍部に利用された。日本の内閣制度は、イタリアのよく似ており、なかなか首相の長期政権化がなされず、こうしたテロの拡大と軍部の台頭の時代においても政党争いに明け暮れ、この昭和6年から昭和11年までについても、濱口、若槻、犬養、斉藤、岡田、廣田首相と次々と変わっており、戦前の内閣で、一番長いのは東條内閣の2年9ヶ月、次が斉藤実内閣の2年2ヶ月、他はほとんど1年くらいで、こうした政府転覆の大事件を起こしても、陸軍を咎める力を持つ政治家はいなかった。昭和天皇だけであった。

 

首相制度をとる国は、イギリスを除くと、ドイツもイタリアも日本も1、2年で次々と首相が変わった。政党が変わったわけではなく、同じ政党内の派閥争いで首相が変わった。これがファシズムの台頭を許した理由かも知れず、戦後はこの反省からドイツも一度首相になると数年続けるようになり、ようやくここ20年で日本、イタリアも少し首相の在任期間が伸びた。特に安倍首相は9年近い長期政権で、ようやく日本も安定した民主主義国家になったと思ったところ、安倍首相はテロに倒れた。マスコミ、国民、政党も、首相になったら少なくとも数年は在任するような慣習を作ってほしい。政府の安定こそがテロを防ぐ。


2023年12月4日月曜日

日本は骨董のいい作品が残っている国である

 

      今度、アメリカのシンシナティ美術館で展示されることになりました。寄贈品




大阪商業大学の明尾圭造教授は、室町、江戸の書画が驚くほど安く買えるの世界でも日本だけと言っていた。流石に、画については平安、鎌倉時代のものは少ないし、高価であるが、書、写経であれば、天平、平安、鎌倉など700年以上前のものがヤフーオークションなどで安く手に入る。画についても江戸時代中期以降、すなわち300 年前くらいになると、今でも残っている画が多く、それほど高くない。さらに江戸後期から明治になると、掛け軸が豊富に残っている。300年前となるとフランスはロココ芸術が盛んな時期で、当時の油画などは今でもかなり高く、数千円で買えるようなものはない。それでも欧米にはまだ古いものが残っているが、東洋となると、まず中国は、多くの戦乱、近代で言えば、清朝の滅亡した、辛亥革命、支那事変、さらに文化大革命などで多くの文化財が消失した。もともと中国は帝王を中心とする絶対性であり、優れた文化物は中央に集まる仕組みであり、大商人が趣味で文物を集めても、まず商売が上手くいかないと散逸するし、また戦乱によっても消失することが多い。同様なことは朝鮮にも当てはまり、李朝朝鮮の崩壊、朝鮮戦争などでよりあらかた古い文物はなくなってしまった。アジアでは日本だけが、江戸以降平和な時期がずっと続き、唯一、太平洋戦争以外に大きな戦乱がなかった

 

もともと古いものを残すには、高い知性が必要となる。火事や戦乱にあっても真っ先に文物を持って逃げなくてはいけないし、掛け軸で言うなら、湿気の多いところに置いておくとカビだらけになるし、雨漏りによって掛け軸にシミがつくこともある。さらに表装自体が、少なくとも数十年ごとには新たな表装が必要となる。桐の箱に入れて、風通しの良い、日の当たらないところで保存していかなくてはいけないし、たまには虫干しも必要となる。紙あるいは絹を主体とする画材に描かれた絵をずっと保存するのは美術館でも難しい。ヨーロッパで言えば、もともと貴族を中心とした上流階級で絵をコレクションする流れがあり、そうしたコレクコションの一部が美術館に寄贈されて、現在に残っている。一方、日本では、絵の購入者は、まず大名、寺院、そして有力な商人であり、これらがパトロンとなって画家を育てた。そして家宝として代々、受け継がれて今に至る。ごく普通の家でも代々受け継がれるものがあり、例えば私の実家にある仏壇の位牌も少なくとも300年以上経つ。

 

古いものを尊び、保存するのは、最近は注目されているが、日本では昔からこうした国民性があったように思える。もったいないというだけでなく、先祖伝来のものを次に世代に残すという風潮があるように思える。こうした風潮は、世界的に見てもそれほど一般的なものではなく、むしろ古くなったら捨てるというのが普通である。それも大事にして綺麗に保存している。スマホにしても日本人の多くは、ケースに入れて、画面も保護フィルムをつけているので、中古でも本体は新品そのものであるが、外国ではそうした綺麗に使う習慣はなく、日本の中古のスマホはコンデションが良いとわざわざ買いにくる外国の方も多い。

 

「開運 なんでも鑑定団」がスタートしたのは1994年からなので、すでに30年近くなるが、この番組も日本のお宝を救うキッカケになっている。日本の骨董というと、書画、茶器が中心であったが、この番組のおかげで、玩具、アニメ、漫画、スポーツグッズなどの新たな骨董分野ができた。

 

こうした古いものが今でも保存状態の良い状態で残っているのは、日本は貴重な存在であり、外国の方からすれば、そうした点でも魅力ある国なのであろう。明治時代の浮世絵画家の1人に揚州周延という人がいる。明治時代の西洋風の新しい文物を浮世絵の中に扱っており、面白い版画となっている。アメリカでも人気のある浮世絵画家であるが、ヤフーオークションで5千円から1万円くらいで、コンデションの良い作品が手に入る。アメリカ、台湾の友人、数名にこれを贈ったが、大変喜ばれた。花鳥画などのいいお土産になると思うので、海外の友人の多い人はヤフーオークションで、江戸、明治時代の掛け軸、版画を見てほしい。結構素晴らしい作品が見つかるはずで、こうした作品をプレゼントにすれば、大変喜ばれるので、試してほしい。

2023年12月1日金曜日

長沢蘆雪展 大阪

 



大阪で六甲学院サッカー部の同級会があったので、先日出席してきた。久しぶりの全員が集まり、時間が経つのを忘れて楽しかった。老人ホームにいる母親を訪ねることと、尼崎、大物の墓所に行くのも目的だったが、日曜日の午後と月曜日の午前中がまるます空いたので、まず大阪の中之島にある中之島美術館に行ってきた。美術館の前は何度も通ったが、入るのは初めてで、ちょうど「長沢蘆雪展」が開催されていた。結構渋い展覧会で、おそらく中年以降の人が見に来るのだろうと思っていたが、すごい人気で、当日券を買うだけで20分くらい列を並ばなくてはいけないし、会場も三列で進む、超満員の状況であった。さらに驚いたのは、観客の半分以上が若い人で、それもメモを取ったり、解説を聞いたり、熱心に鑑賞している。江戸時代の画家はつい最近まで悲惨な扱いを受けていただけにこれは驚いた。

 

もちろんの応挙や伊藤若冲の人気があるのはわかるが、それでも観客の多くは年配の方であった。曾我蕭白の展覧会も凄かったが、それでも若者はまあまあいるかという感覚であった。ここ数年、可愛いをキイワードに、中村芳中などの画家も注目されてきたが、それでもこれほど若者に江戸時代の絵画が人気があるとはつゆほども思わなかった。

 

長沢蘆雪は応挙の弟子として有名であるが、それでも応挙風の精緻な作品を高い評価を得ていたが、幼児が描いたような拙い、奔放な絵については、これまで低い評価しかされなかった。明治から昭和にかけて、長沢蘆雪の後半期の自由奔放な作品は粗雑、乱作と感じた人も多く、作品もあまり高い値段がつかなかった。今回の展覧会でも、多くの展示品は個人蔵で、美術館や著名な絵画コレクターには高く評価されていなかったのだろう。

 

絵を見て、普通の人々が最もすごいと思うのは、画家の技量、どれだけ精緻な絵を描けるであり、伊藤若冲の鶏の細かな表現を見て驚くであろう。こうした精緻な画家の筆力は、絵そのものとはあまり関係ないものであるが、特に円山応挙の門人、四条派では、自然の描写力に優れており、あたかも掛け軸の中に自然そのものが表現されている、より写実的な表現が必要となる。そのため、草花、鳥などを何度も繰り返し、いろんな角度から描写することを求められ、絵自体のモチーフが規格化してしまっている。日本画家の渡辺省亭が、明治時代にパリに行ったときのことだ。ドガはじめ印象派の画家の前で、省亭は小鳥を描き始める。まずクチビルを描き、そして目を描き、次第に小さな鳥が紙の上に現れるのを、フランスの画家を驚嘆した。省亭からすれば、これまで何千回も描いたモチーフで、それこそ小鳥にあらゆる姿を瞬時に描けたであろう。手と指が覚えている。

 

こうした繰り返し、繰り返し描く方法は日本画家、それも江戸時代の画家の特徴である。そのため画家の描く主題がほぼ決まってしまい、明治期以降、西洋絵画の多様な主題に触れると、人々は古臭いと感じるようになった。薩長の役人は、豪壮で、士族の絵とされる南画を好んだせいもあり、女流画家、野口小蘋などは人気があり、高い価格で取引されたが、四条派の絵は評価は低かった。特に長沢蘆雪のように、画題や描写に振幅がある画家、つまり応挙ばりの精密に描写された絵と、一筆書きのような一気に描いた絵が混在するために、評価が定まらなかった。円山応挙、谷文晁、池大雅以外の江戸時代の画家は、古臭い絵描きとして忘れられてきた。最初に評価されたのが、戦後すぐに仙崖や白隠和尚のコミカルな絵が人気が出た。割合作品数も多いために、流通もあって、値段の急激に上昇した。2006年に伊藤若冲の展覧会が東京国立博物館で開催され、それ以降、若冲の人気は不動のものとなった。同様に曾我蕭白の絵もキモチ悪いと毛嫌いされ、多くの作品が海外に流出している。これもブームになったのは2005年の京都国立博物館の「曾我蕭白 無類という愉悦」以降なので、新しい。さらに中村芳中展があったのが2019年、渡辺省亭展があったのは2021年、そして長沢蘆雪展が今年、と最近はこれまで取り上げられなかった画家の展覧会が多い。

 

個人的には、掛け軸を中心として日本画が若者に興味を持って貰えば嬉しい。さらにいうと、世界でも200-300年前の古い絵を1万円くらいで買えるのは日本だけで、あまり知られていない画家であれば、江戸中期から後期の作品が、ヤフーオークションを中心に安く売買されている。近年、落札するのは中国を中心に海外の方で、評価が1000以上の落札者は、海外、中国のオークションサイトで、ヤフーオークションへの代行サイトである。彼らからすれば、200年以上の絵がこんなに安いのかということであろう。中国や韓国では、これまで戦乱や天災が多く、古い芸術品はほとんどなくなる運命となる。日本人の場合は、例えば寺や商家が焼けると、僧侶や雇人が、蔵からお宝を救出して守っていくが、中国や朝鮮では、むしろそうした場合は、逆に盗まれてしまう。日本ほど昔のものが、普通の家に残っているところは世界中でも少なく。家宝として代々受け継がれる伝統があるからであろう。