2023年12月5日火曜日

「テロルの昭和史」 保阪正康

 



保阪正康さんは好きな作家の1人である。近著の「テロルの昭和史」は考えさせられる本であった。同書では、昭和6年の三月事件から昭和11年の二・二六事件までのテロの暴走時代を総括し、その細部を検証し、最近あった安倍首相の暗殺事件を含めて日本人の持つある種の怖さを抽出している。昭和6年から三月事件、十月事件、血盟団事件、五・一五事件、神兵団事件、永山鉄山刺殺事件、死のう団事件など、この5年間には日本史上でもこれほど社会不安の増した時代はなく、常に右翼、あるいは軍部によるクーデターが惹起されていた。一方、民間による事件について司法は比較的厳しい処分を科したものの、将校が提起した事件については陸軍裁判では軽い処分を科し、さらに新聞、マスコミも軍部の片棒を担ぐような決行者を英雄扱いした。

 

この本では触れられていないが、明治11年に東京、武橋の近衛砲兵隊の兵士260名による反乱事件を竹橋事件と対比すると、それはより鮮明となる。この事件は給与、行賞、退職金などの些細な兵士の不満を背景にしたものであったが、蜂起を説得しようとした少佐、大尉を殺害し、さらに大隈重信邸を銃撃した。事件自体は政府軍と反乱軍との銃撃戦があったものの、蜂起後、わずか2時間半で収束した。事件の翌日には陸軍裁判所で尋問が始まり、2ヶ月後には判決が下されたが、この処置が厳しい。まず首謀者を含む55名が判決日に銃殺刑、残りの118名も準流刑、15名が懲役刑など、394名が処罰を受けた。一審、二審もなく、判決後、ただ上官に命令でついていった兵士も即刻に銃殺刑となった。軍内のクーデターに対する見せしめの要素を持つ。伊藤博文や山縣有朋など政府指導者は、こんな事件があると国の崩壊につながると激怒して、過酷な処罰を与えたものと思われる。

 

翻って、本書で真っ先に取り上げられた昭和6年に起こった三月事件。橋本欣五郎中佐ら陸軍中堅幹部による政府転覆計画は未遂に終わるが、首謀者の橋本中佐は左遷されたにとどまる。この年の10月に起こった十月事件では、さらに大規模は反乱計画で、首相官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部を襲撃し、若月首相はじめ閣僚を惨殺、捕縛し、軍事政権を作ろうとするものであった。これも発覚し、未遂に終わったが、処分は謹慎10日、20日という軽いものであった。

 

明治11年の竹橋事件と比較しよう。三月、十月事件ともに未遂に終わったものの、こちらは完全に政府転覆、軍によるクーデターであり、罪はよほど大きい。明治の指導者の感覚からすれば、もっと厳しい処分になるべきである。問題は、兵士による政府転覆、あるいはクーデターを軍法会議で裁けるかという点であり、規模が多くなれば、将官を含む上位指導者にも罪が及ぶ可能性があり、同じ仲間同士ではどうしても甘い処分になりやすい。その点、明治時代では、軍のトップの指導者は、政府の指導者を兼ねていることから、より高次の視点から事件の深刻さを見つめ、竹橋事件のような厳しい処分を科したが、昭和6年の時代では、軍部は軍人の集まりとなり、日本そのものより、組織、例えば陸軍第一となっている。日本、日本民衆より陸軍という人の集団を重視するようになった。はっきり言って、レベルの低い人たちの集まりで、三月事件、十月事件、五一五事件でも好き放題している。二二六事件においても、もし昭和天皇の怒りがなければ、他の事件同様にまあまあなものになっていたであろう。

 

ついでにいうと、日露戦争の英雄、乃木希典と東郷平八郎、乃木は明治天皇の崩御とともに自死したが、東郷は昭和9年前で生き、老害を曝け出した。長生きしすぎて、軍部に利用された。日本の内閣制度は、イタリアのよく似ており、なかなか首相の長期政権化がなされず、こうしたテロの拡大と軍部の台頭の時代においても政党争いに明け暮れ、この昭和6年から昭和11年までについても、濱口、若槻、犬養、斉藤、岡田、廣田首相と次々と変わっており、戦前の内閣で、一番長いのは東條内閣の2年9ヶ月、次が斉藤実内閣の2年2ヶ月、他はほとんど1年くらいで、こうした政府転覆の大事件を起こしても、陸軍を咎める力を持つ政治家はいなかった。昭和天皇だけであった。

 

首相制度をとる国は、イギリスを除くと、ドイツもイタリアも日本も1、2年で次々と首相が変わった。政党が変わったわけではなく、同じ政党内の派閥争いで首相が変わった。これがファシズムの台頭を許した理由かも知れず、戦後はこの反省からドイツも一度首相になると数年続けるようになり、ようやくここ20年で日本、イタリアも少し首相の在任期間が伸びた。特に安倍首相は9年近い長期政権で、ようやく日本も安定した民主主義国家になったと思ったところ、安倍首相はテロに倒れた。マスコミ、国民、政党も、首相になったら少なくとも数年は在任するような慣習を作ってほしい。政府の安定こそがテロを防ぐ。


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