2017年5月25日木曜日

ミステリーランチ A5



 作年、ミステリーランチのASAPを購入してから、ここの製品を気に入り、その後、Invaderを購入した。一、二泊の旅行ではASAP、日常のバッグとしては InvaderとTinbuk2を使っているが、私にしてはどちらも日常使いには容量が大きすぎて、いつもガラガラな状態である。今度、家内と旅行をするが、3泊くらいになるので、LLビーンの大型のキャリーバッグを持っていくことにする。そうするとほとんどの荷物はキャリーバックに入れるので、手荷物で持つのは、折り畳み傘、眼鏡、携帯電話、カメラ、手帳、筆記用具くらいとなる。それほど大きなバッグを必要としない。

そこでもう少し小さいショルダーバッグを欲しいとと考えていたところ、ミステリーランチにA5というA5サイズのものが入る小さなバッグを見つけた。ポケットが多く、防犯の点でもすぐれている。ジッパーはYKKの止水ジッパーを使っているので雨の場合も問題ない。内部には二つのジッパー付きのポケットがあるため、貴重品の収納にもよい。ただサイドにもポケットがあるが、ボトルを入れるのは小さすぎて用途がわからない。

女の人は、ハンドバックなど多くのバッグを持っていて、私の家内の場合でも10くらいはあると思うが、それほど女性としては多くないと思う。それに比べて我々男子の持つバッグはというと、ひとつを買い、それを気に入ると、潰れるまで使うのが普通である。弘前に来て最初に買ったバッグは革製のがっしりした手提げバッグだった。これに弁当から、コンピューターまで何でも入れて診療所まで持って行った。学会や東京の会議にもこれに下着を入れて持っていったが、7、8年使うと持ち手のところがとれてしまった。修理してもらおうとも思ったが、鞄本体もかなり傷んできたので、ハンティングワールドのショルダーバッグを購入した。これも7、8年くらい使っていたが、やや小さく、コンピューターが入らないことや、ポケットが少なく、荷物がこぼれやすい。またブランド品ではあるが、毎日使っていると、くたびれ工合がひどく、かえって汚く見える。最近ではあまり使っていない。その後は、Tibuk2Invaderを交代に使っている。

 女性の場合は、服装にバックを合わせる方も多く、カジュアル、フォーマル、仕事で色々なバッグを使う。ところが、男性の場合は、以前ほど、服装に合わせることはなく、今時、スーツに手提げの革製ビジネスバッグといった人は少なく、多いのはTumiに代表されるナイロン製のビジネスバッグで、中にはスーツにリュックという人も割合多い。また職種にもよるがメッセンジャーバッグを通勤に使う人もいる。そして、ほぼ毎日同じバッグを使う人が多い。休みの時くらいは違うバッグを使ってもよさそうだが、日常品一式、バッグに入っているため、それをそのまま持って行ってしまう。調査によれば、男性では3個という人の割合が20.9%と最も多く、次は5個とあるが、女性では6-10個が42,8%と最も多く、16-20個の人も12.1%と多い。男性では1.3%しかいない。私の場合は、旅行カバンを除くと、古いものも含めて6個となるが、通常使うのは上記のバッグを含めて4種類である。

 ミステリーランチA5は、サブバッグとして重宝しそうである。

2017年5月23日火曜日

消滅した津軽のご家中ことば



 津軽弁と一口に言っても、さまざまな津軽弁があり、また時代によって変遷する。例えば“ダラッコ”という小銭を指す津軽言葉は英語のドルから来たもので、その由来は新しい。私はよそ者なので、よくわからないが、それでも青森市と弘前市は言葉が違うし、弘前市と藤崎、板柳などの郡部でも違うし、黒石市もまた違う。さらに農家の方と一般の方とも違うし、年配の方と若い方でも違う。こうしたさまざまな津軽弁の違いがあるが、一方、今ではほぼ完全に絶滅した言葉もある。その一つは、旧士族が使っていた“ご家中ことば”と呼ばれるもので、昭和30年ころの図書ですら、すでに70歳以上の人しか使わないと書かれている。つまり明治20年ころに生まれた旧士族の家が使ったようだ。当然、その親、祖父母は江戸時代の生まれで、家の中での会話が外でも使われていたし、社会的にもおかしいと思われていなかったのだろう。

 随分前の本であるが、「わがふるさと 第五編」(1963)に“ご家中ことば”について載っているので、引用する。

1.      相手に対する言葉
 上の者に対して、“貴殿”、“御へん”、同輩に対しては“貴様”、下男、下女に対しては“嘉助”、“おさん”と呼び捨てした。また藩主に対しては、“上様”、“お上”といい、奥方を“御前様”、姫様を“おひい様”と呼んだ。
2.      丁寧語
 「ございまして」は「ごいしてごいして」、「ございますので」は「ごいしてごいすはで」。例「なんぼまだ、おじ(お宅)でよいごとなさいましてネバー.あんさまサお嫁様おもらいになられで、それー。なんとしてもねはー、もづもの持たせねば、まいねものでごいしてございすはで、なによりおめでたいお話でごいしてございしてねさ」
 「なはで」は「なさいまして」のことで、「おも帯をゆったどなはて、ごゆるりどなはて」のように使う。
3.      男性ことば
「おらどこ」は「自分の方」、「自分の家」のことで、「おらどこで飯くってえたらえでねがでえ」という。「ひんひあ」は「お前」、「君」のこと。引例は「ひんひゃ、何くってまだ腹くわしたがでえ」。「やげしめえ」(やかましいよ)、「ませえ」、「まさね」(ですね)、引例は「こじ、くって(食べて)みでくださいしなが。味コちがり(違い)まさね」。「したがでえ」(しましたがね)、引例は「わ(我)して、そうしゃべったがでえ」。「したり」(せよ、命令形)、引例は「わきばら見でねで、さっさで、行ったり!」。
 また挨拶では「ご免」といい、一般の人(士族でない)がこれを真似て男は「ご免なさい」、女は「ご免ください」、職人は「ご免けへ」、そして下の者から上の者に対する挨拶ことばは「ごぎげよう」という。

 婦人の丁寧ことばは極端で、「お」、「おん」などを乱用し、「お左様でございます」、「お帯のお柄がよろしくて」であった。

 ご家中ことばが今でもあるかと、年長者に聞いたが、ほとんどの人は知らないという。平成になると、もはや士族の使う言葉は消滅したと思われる。

2017年5月20日土曜日

アナログの逆襲

 私が生まれたころは、もちろんスマホもパソコンもなく、電卓すらなかった。家に電話もないところも多くあり、社会からの情報はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、本から、人との情報交換は直接会うか、手紙がメインであった。確かに電話はあったが、大人がよほどのことでないとかけないものと思っていたので、家で電話が鳴ると、何かあったのかと緊張した思い出がある。また電話で顔が見えないで話すことは、なかなかできず、大学に入っても、電話をする場合は、あらかじめ話す内容をメモしてから電話したものである。

 それでも人々は何の不自由もなく、時間はかかるかもしれないが、待つ時間も楽しいものである。恋人同士が毎日手紙を出し合うというも不思議ではなかったし、そうした手紙の交換で相手の本来の人格を知ることもできた。さらに友人同士になると、電話や手紙などのまどろっこしいことはせず、直接会った方が早いので、始終、友人と何をするではなく、一緒にいた。

 調べたいことがあれば、まず本で確認するか、人に聞くというのが一般的であった。例えば、冠婚葬祭のしきたりがわからない場合、今ではパソコン、スマホであっという間に検索できるが、昔は近所や親類に手紙、電話あるいは直接会って聞いた。こうして得た知識はしっかり身に付いたが、パソコンで調べたものはすぐに忘れる。

 私が始めて自分の電話を持ったのは、大学三年生でアパート回線を敷いてマイ電話となったが、彼女もいないので一週間に一回くらいしか使わず、公衆電話で良かったと思った。さすがに彼女ができると重宝したが、それでも長電話は彼女の家の電話を占拠するので、親からは怒られた。

 その後、電話のみの時代は、開業する1995年まで続いたが、特に問題はなかった。インターネットを敷いたのが1995年だから、今年で22年目となる。1985年くらいからコンピューターは使っていたが、主として仕事用で、回線を利用するのは、バッジといって大学の大型コンピューターを利用する時だけで、かなりややこしい手続きをして使った。1995年当時は回線も遅く、主として文の検索、メールがメインで画像、さらに動画などは全く無理だった。

 携帯電話になるとさらに遅く、こんなもの今に廃れると考えていたが、仕事の関係上、1990年ころにラクラクホーンをようやく買った。ただほとんど利用せず、2010年にI-phoneに変えたが、今でも週一に電話する以外はほとんど利用していない。

 一方、社会のIT化も、ようやく歩みが遅くなり、最近ではアナログ派も勢いづいてきた。例えば、レコード、一時は全くなくなると思っていたが、若い人を中心に流行ってきており、東京では中古レコード屋も多くなった。また習字、手紙を書く、手芸など機械を使わない手ですることも少しずつでありが、若い人にも興味をもたれようになっている。


 こうした流れはこれからもアンチITという方向とは関係なく、さらに発達するように思え、ITによる便利さは維持しつつ、手作り、アナログのものも生き残るであろうし、さらに昔、流行ったものも復活するかもしれない。先に述べた近所のおじさんの盆栽もそのまま、50年間、子供が継続して育てておれば、今や高値がついただろう。フィルムカメラ(1000円くらいデジタル化してくれる)、8mmカメラ(Koadak Super 8 Camera, 2017発売?)、インスタントカメラ(ライカゾフォート、2016)もまだまだ健在である。

2017年5月15日月曜日

これからのコレクション


 還暦も過ぎると、子供に何を残すのか、あるいは何を残さないかということを少しは考えておく必要がある。特に親のコレクションの始末については、子供に迷惑を掛けることが多い。親が好きで始めた趣味の多くは、子供にとっては全く興味がない。

 悲惨な例を挙げておく。昔、尼崎の隣の家の二階には大きなベランダ(30畳くらい)があり、おじさんが長年、盆栽の世話をしていた。毎日の水やり、剪定など手間を掛けて育てたものであったが、おじさんが亡くなると、すぐに枯れ、そのうち家族のものがすべて捨ててしまった。盆栽に興味がない家族からすれば当然の帰結である。石の趣味も同様であろう。一方、母方の伯父さんの趣味はミニカー集め。亡くなって家に行くと、伯母さんから好きなだけ持って帰っていいよと言われると、兄弟して数台もらった。他の友人、知人も思い出の品としてあっという間になくなった。これはいいコレクションである。

 ある画家が亡くなった。中央でもそれなりの評価のある画家であったが、作風が暗く、地蔵や死者のことが描かれている作品が多い。ある日、ロータリークラブの例会で、その画家の友人が何枚かのコピーを示して、誰か欲しいひとはいないかと言っていた。さすがにこうした絵に興味をもつ人はなく、結局、葬儀社が引き取った。ヌード、人物画も引き取り手はなく、画材では風景、静物画がよい。さらに最近は和室が少なくなったので掛軸は人気がなく、さらに大きな絵は飾る場所がなくだめである。小さな絵で、風景、静物画がよく、よほど有名画家で値がつく作家以外は、無料でもほしいと思う人は少ない。うちのお袋もそうしたことを知っているのか、展覧会用の大きな絵は収蔵場所のある私の家に送ってくる。貰い手が全くない屏風が3つもある。手元には、小品のみを置いている。かしこいやり方である。

 学者の中には馬鹿みたいに本を集める(捨てられない)人がいる。専用の書庫まで作る人もいるくらいであるが、こうした本を残されると本当に困る。本人は大学や公立図書館で引き取ってくれると思っているだろうが、これは難しい。図書館にないわずかな本は引き取ってくれてもそれ以外は必要ない。また古書店では、こうした専門書は売れないため、買い取らない。私の場合は、基本的には年に一回、今後、資料的な価値はないと判断した本はすべて売ってしまう。五百冊ほど売っても二万円ほどにしかならないが、それでも捨てるよりはよい。郷土史に関する本は今後の少数ながら好きな人がいると思われるので、無料でもいいからまとめて引き取ってもらうのが一番よい。

 他に、子供、孫や親類から喜ばれるコレクション(現金、不動産以外)は何があるかと言えば、時計はブレゲ、パテックス、ロレックス以外は無理、洋服、着物はほぼ無理、家具はフィンユールなど一部の名品のみ、ブランドバッグや宝石も厳しいだろう。要は若者に人気のあるものを残すべきで、それ以外はすべて捨てる覚悟がいる。つまり集める系の趣味は生前に同趣味の人と約束して、すべてコレクションを贈与すべきで、誰もいない場合は、少しずつ捨て、すべてで段ボール3個分くらいにすべきであろう。

 私の趣味のうち、北欧陶器は今後も人気があるから、これは数有ってもOKである。キリム、アンティークの絨毯は多分専門店で引き取ってもらえるだろう。掛軸は偽物を捨て、本物は外国人の方にあげる。子供頃集めた切手は、たいして値上がりしていないので、積極的に普段の手紙に使った方がいいかもしれない。

 とまあコレクションについて考えてみたが、結論としてコレクションはするものではなく、あれば早めに処分すべきで、するなら小さくて、かさをとらないものがよい。代表的なものとしては根付、版画、時計、コイン、切手などがよく、最悪なのは生き物、金魚、鯉、盆栽、菊、昆虫、鳥(オウム:50年も生きる)などであろう。