2020年5月25日月曜日

試験は嫌だ



 中島らもさんの本の中で、灘高校の2.3年からほとんど勉強をせず、親の勧めで一応、神戸大学の入試を受けたが、名前を書いただけで全くわからず、そのまま退出したようなことが書かれていた。その後も何度のこの時のことが悪夢として蘇ったようだが、こうした経験を持つ人も多いと思う。

 高校の期末、中間試験の成績が悪くても、次回頑張ればと思うだけだが、本番の入試でこうしたことがあると、具合悪い。中島らもさんは確か化学の試験でそうなったようだが、普通、一問もできないというのは、多分、物理と数学くらいで、他の生物、化学、国語、英語、世界史、日本史などは点数が低くとも何か書ける、それに対して、特に数学の入試は5,6問くらいしかなく、わからない場合は、それこそ白紙である。

 私の場合、高校3年生の5月くらいにはサッカー部を引退し、受験モードに入るはずだったが、どうにもやる気が起こらず。一応は頑張ったフリだけして全くやる気はなかった。毎日、スタートレックの再放送を深夜、見続けた。特に理科系なのに数学が悪く、いつもひどい点を取っていた。その結果、現役の時の東北大学の入試、とりわけ数学はひどく、2時間くらいの試験でいくら考えても一問もできず、あれほど焦ったことはない、その瞬間に落ちたと思ったのは中島らもさんと同じで、そのまま帰ろうかと思ったが、わざわざ仙台まで来たので来年の予行ということで、他の科目も受けた。終了時間だけが、知らぬ間に過ぎている嫌な感じはいまだに思い出す。今の受験生には信じられないだろうが、当時は大学が受験のための旅館を斡旋してくれた。何も知らず、申し込むと汚い旅館に5、6名詰め込まれ、寝言を言う人やいびきがうるさい人も一緒で、ほとんど眠れない状況であった。これは失敗した、

 浪人中も相変わらず数学の点数のばらつきが大きく、点数により志望校の判定も変わり、BからEまでバラバラであった。受験科目は英語、数学、生物、化学、国語、世界史であったが、とりわけ数学の比重が高い。数学以外はある程度の点数は取れるので、数学が出来不出来が合否につながる。ところが一浪後の東北大学の試験は奇跡が起こり、現役の時は5問中正解0であったが、この時は5問中4.5問の正解であった。これは合格したと思った。もちろん東京医科歯科大学の数学は散々であった。

 実はコロナ騒ぎで延期になったのだが、新しい矯正専門医制度が今年から始まり、そのペーパー試験が3月に予定されていた。この歳になりペーパー試験かと嫌になったが、それでも1月頃より出題範囲を中心に勉強していた。ところがこれがなかなか覚えられず、焦った。2月頃に試験が正式に無期延期に決まり、今日に至っているが、するとまたすべてまた忘れてしまった。昔は暗記ものに強かったが、急速に暗記能力は減少しており、自分でも認知症かと怖いくらいである。最近ではネット試験もあり、センター試験のような選択問題はいけそうだが、記述式や数学の試験は難しい。今年の受験試験は何とか終了できたが、来年はどうなることやら。受験生にとっては大変な一年になりそうだが、私のような64歳になって試験を受ける人もおり、お互いに頑張りましょう。

2020年5月20日水曜日

贋作考 望月玉泉





 掛け軸の真贋は難しく、私のような素人にはわからない。谷文晁、円山応挙のような有名人になると世に出る作品の99%は贋作とされ、真作はほとんどない。一方、全く無名の画家については、そもそも贋作する必要性がないため、ヤフーオークションに出品される作品は真作で、私が集めている土屋嶺雪で言えばこれまで贋作に出会ったことはない。ただ今でこそあまり有名でない、例えば女性南画家の野口小蘋については、明治時代、大変有名で多くのファンがいて高い価格で取引されたため贋作は多い。

 今回5250円で入手した望月玉泉の“水辺萩 岩河鹿”の掛け軸については、真作の可能性は半分くらいある。望月玉泉は望月派の四代目で、帝室技芸員となる明治を代表する画家である。まず、強いインパクトを与える岩については、一見して岩には見えないが、そこに張り付くカエルはうまい。また岩の周囲にある萩の花も綺麗に描かれているが、どうも浮いている。個々の描写はうまいが、全体的には何となく変である。箱の横書きには“水邊萩 岩河鹿 明治三十三子年”まで読めるが、以降ははっきりしない。「大日本書画名家鑑 落款印譜編」を見ると望月玉泉の項があり、印譜が載っている。それと今回、購入した絵と比較すると、印譜の大きさは一致するが、泉の字の左下の切れが一致しない。国立国会図書館にある“玉泉書帳面”でも同様に“泉”の字の右下の切れがある。印鑑については押し方や朱の付け方で多少変わるが、わざと印鑑の一部を欠けさせている場合もある。

 以前、西山翠嶂の贋作をつかまされたが、この時も一応、署名と印をチェックし、署名はやや異なるが、印は比較的一致していた。ただ絵は上手く、完全な贋作とは疑わなかった。ところがほぼ同じ構図の掛け軸が他に見つかり、贋作と判明した。そこそこの画家に同じ構図で何枚か描かせ、同じような京風の絵を描く画家の署名と印を真似、売ったのだろう。同じ画家のコピーが多く出回るとすぐにバレるが、違った画家名であれば、しばらくバレなかったのだろう。こうした贋作手法もある。

 私は骨董店や画廊にはめったに行かない。嫌いなわけではないが、個人的にあまり有名でない画家の作品を探しているので、ヤフーオークションの方が集めるのが効率良いからである。忘れられた画家は、人気がないということで、高値がつかない。そうした商品を持つ、あるいは交換会で買う骨董屋は少ないので、見つけるのが非常に難しい。集めている土屋嶺雪についても五年ほど前は誰も買う人がいなかったし、オークションにも出なかった、それが最近では少しずつオークションにも出るようになり、出品者の協力者がいてある程度の値段になるまで落札価格も上がるようになっている。極端な価格まで誘導せず、ある程度の利益が見込める価格で引き下がるので、こちらもそれほど気にしていない。もう少し説明すると、ゼロ円スタートの作品では誰一人入札する人がいないと1000円で落札されることもある。タダで仕入れてもこれでは利益にならず、せめて5000円で売れてほしい。知り合いの骨董商や社員に5000円まで競ってもらい、利益になるようにする。昔のヤフーオークションと違い、入札履歴を見ても相手の評価が見られないようになっているためは、実際にこうしたことがあるかはっきりしないが、それでも一人で評価が500以上中には数千の人は、とても個人のコレクターとは思えない。

 お宝を発見して儲けようとするなら、ヤフーオークションは贋作があまりに多いが、ほとんど誰にも知られていない、逆に言えば高く売れない画家の作品を趣味あるいは学問的で集めるにはいい場所ではないかと思っている。

2020年5月10日日曜日

NHK BSプレミアム 静かに咲く弘前公園の名桜





 昨日、NHK BSプレミアムで静かに咲く弘前公園の名桜“を見た。本当に綺麗な映像で、番組途中に何度も涙した。弘前公園閉鎖が決定した4月10日から急遽、番組制作を決定したのであろうから、製作者とって、それは大変であったろうと想像できる。約40分の番組の中には、ドローンを使った撮影あり、弘前出身のアナウンサー、副島萌生さんの解説あり、同じく弘前出身の画家、奈良美智さんのインタビューありで、内容豊富で、編集も加えれば、ギリギリの日程だったろう。

 民法と違いNHKでは番組作りにかなりの予算と人員、時間をかける。ブラタモリのような定番番組でも制作会議で決定されてから2ヶ月以上かかり、制作会議に提出する企画書作成を考えれば、もっと期間を要する。さらにファミリーヒストリーのような調査番組では、調査期間も入れれば半年以上はかかるだろう。それをたった1ヶ月で企画、予算、撮影、編集など大変ハードな日程であったろうし、とりわけ実際の制作を担当したNHK青森支局の努力には敬服する。さらに土曜日の午後1時半からの放送枠は既に決まっていたと思うが、それを変更して、この番組を無理やりねじ込んだのは、青森県、弘前市の熱意によるものであった思う。

 ただ映像を見ていると、ものすごく綺麗な景色で、まるで天国にいるようだが、一方、奈良さんは桜にとって大きな休息と言っていたが、こうした誰一人いない弘前公園は、むしろ梶井基次郎の“櫻の樹の下には屍体が埋まっている”という有名なフレーズを思い出した。桜が美しいのは、その樹の下に屍体が埋まっていて、その腐敗物が栄養になっているからで、美と醜のコントラストが印象的である。小説家の円地文子は弘前の桜を見て「花に酔わされた気分になったのははじめて」と言った。圧倒的にリッチに咲く弘前の桜には、こうした思いを引き起こすが、誰もいない公園の姿は逆に寂しさを通り越して、むしろ怖くなる。これほど美しいものの奥には醜があるという感覚だろうか。人間が圧倒的に美しい自然に一人対峙すると、もちろん美しいという感動があるが、その恐ろしさにむしろ逃げ出したくなる気持ちにもなる。やはり隣に人がいて、その美しさを共用することで安心できる。

 流石に番組宣伝する時間まではなかったため、視聴率はあまり出ないであろうし、見忘れた人も多かったと思う。確か523日頃にBSK放送で再放送されるようであるが、見逃した人は是非見てほしい。あとは弘前市とNHKの番組、映像使用の版権交渉があると思うが、観光館、美術館での使用だけでなく、海外への観光キャラバンなどにも利用できればいいので、出来るだけ幅広い活用を考えた版権交渉を行い、さらにできればYoutubeに配信してもらうように交渉して欲しい。テレビを見ない若者や海外に住む青森県出身者には故郷の美しい景色をyou-tubeを通じて見て欲しい。

 添付した動画は、弘前大学の裏にある緑地に咲く桜である。今年、開館予定の弘前レンガ倉庫美術館はもともと日本酒の製造工場であった。ここで使う電力は、弘前市紙漉沢にある水力発電所から、この緑地にある送電所を経て福島酒造工場に送られた。今は小さなレンガ小屋があるだけで、周りはたくさんの桜の木で覆われている。弘前公園の桜とは違い、ほとんど人の手が入っておらず、ひたすら上に上に伸びており、これほど高い桜の木の林は珍しい。いつも弘前公園とほぼ同じ時期に満開の季節となるため、ここ十年ほど毎年、散歩がてらに見に行くようにしている。中には入れないために門のところからの撮影であるが、それでも弘前市の隠れた桜の名所として近所の人からは楽しまれている。弘前公園と違い、高い位置に桜があるため、圧迫感は少なく、開放的である。ここはいつもの年も誰もいないので、今年も昨年も全く同じ表情で、嬉しい。

2020年5月8日金曜日

切ない歌がききたい 川井龍介 著



 最近、ちょっと新しい読書経験をした。以前、お会いしたことのある川井龍介さんの新著「切ない歌がききたい」(旬報社、2020)である。これは川井さんが切ない歌としてセレクトした日本の歌37曲と海外の歌25曲の計62曲、この紹介と説明が3ページ分量で書かれている。説明の中には、同じ歌手の他の作品や関連する作品も載っている。

 以前であれば、こうした音楽解説の本、例えば、ジャズ名盤ベスト1000という本があっても、本の内容を確認するのは、実際にCDを買うしかなかった、あるいはこうした本を通じてCDを買っていた。ところが今や書かれている作品そのものをYouTubeで検索して聞くことができる。例えば、本書で紹介されている「アンフォゲッタブル」、それもナタリー・コールと父親のナット・キング・コールのヴァーチャルデイオもyoutubeにある。画面上に映し出される亡くなった父親の画像とのディオ、とんでもなく美しい演奏で感動する。あるいは著者は名曲「My Funny Valentine」でもChet Bakerのものを選ぶ。渋い選択である。こうした1ページごとに紹介された曲をYoutubeで検索し、聴きながら本を読む、これの繰り返しで、通常、このボリュームの本なら2日くらいで読了するが、この本でいえば一週間くらい、間もおいたが、かかった。本自体の面白さもあるが、著者には悪いが、音楽そのものの感動が多く、大変楽しい経験であった。片手に本、片手にMac-Air、本と音楽のコラボレーションである。

 私の家に初めてステレオがきたのが、小学三年生くらいの時で、ちょうど歯科医院も景気の良い時で、父親が家具調ステレオを奮発して購入した。兄と少年ケニアや零戦はやとなどのソノラマを購入したり、姉は当時のヒット曲のレコードを買って聴いていた。中学に入ると、どうも周りの友人は少し不良がかったやつが多かったせいか、数人で金を出し合い、それで友人のSくんが梅田のLPコーナーでロックのレコードを購入して、それを皆で回して聴いていた。レッドツエッピリン、シカゴ、ディープパープル、キングクリムソン、ピンク・フロイド、EL&Pなどで、ビートルズやボブ・ディランは前の世代であった。同時に姉は、神戸山手女子短大のフォークソング部に入っていたので、ブラザースフォーやジョン・バエズ、マイク真木なども懐かしい。姉はアリスの堀内孝雄と一緒に歌ったことが自慢である。それでも中学、高校は自分のステレオがなかったし、金もなかったのでレコードもあまり買えなかった。大学に入ると幾分、ロック好きを自称していたので、吉田拓郎などのフォークは嫌いであったが、友人にオフコースの好きなやつがいたので、結構フォークも聴いたし、仙台のライブハウスにも何度か行った。この頃から音楽趣味のレパートリーも変わり、Jazzやソウルも好きになり、一度、O.V. Wrightの仙台公演に行くとガラガラでみんな前に集まって聴いた記憶がある。また仙台市内の道でクルセイダースのメンバーにばったり会い、ジョ・サンプルにハイと挨拶したら返事してくれたこともある。Jazzも新しいのはほとんど聞かず、アートペッパー、マイルズデービス、チャーリーパーカーなどビバップばかり聴いていた。その後、結婚して子供ができるとあまり音楽を聴かなくなったが、それでもIPodが登場すると再び音楽を聴きだし、この頃になるともはやジャンルは何でもよく、若い頃毛嫌いしていた、フォークや歌謡曲、あるいは果ては民謡まで聴きだした。三橋美智也も好きである。川井さんとは年齢も同じで、彼は高校時代、どちらかというとフォーク、ブルース派であっただろうが、その後、分野に捉われずにいろんな曲を聴くようになった過程も似ていて、この本で紹介された曲は知らなかった曲も含めて共感できる。1950-1960年代生まれの方には是非ともお勧めしたい本である。

 可能性としては、アマゾンプライムなど無料で見られる映画も増え、同じような映画案内の本があれば、本を読んで、映画を見ることもできるかもしれない。ただその場合は、一冊読むのに数ヶ月かかるかもしれない。

2020年5月6日水曜日

好きな映画





 大好きな映画“ある日どこかで”のDVDを2本持っているので、1本を四人の友人に順番に貸したが、その感想が人によって違うのが面白い。四人の仲間のうち、一人は大感激して面白いと言ってくれ、もう一人はいくつか気になることがあるが、面白かったと言ってくれたが、残り二人は全くわからない、面白くないと言う。私に言わせればあの名作がどうして面白くないのかと思うが、これが好みというもので、人それぞれということか。

 ただ“ある日どこかで”のようなラブロマンスを面白いという人は、本好きで、小説もよく読む傾向があるのに対して、面白くないという人は、そもそも小説などの本を読むことも少ない。同様なことは、音楽についてもそうで、あの曲は好きだと言う人は色んな音楽を若い頃から聞いているようで、要するに感激しやすい人は、音楽なり小説、映画で、感激するようなトレーニングを受けているのだろう。一方、あまり感激しない人は、性格的に冷たいといったものではなく、そうしたトレーニングが欠けているのだろう。

 私は、昔から色んなことに興味があり、幼稚園頃は絵ばかり書いていたし、なぜか戦艦の設計士になるといって、定規で戦艦の設計図を書いていた。その後、顕微鏡、天体観察、スロットレーシングなどに夢中になったし、漫画については創刊から少年マガジンを愛した。中学になるとサッカー、映画などに目覚め、大学卒業まで続けた。流石に大学卒業して結婚すると、趣味は読書だけになったが、それでも落ち着いてくると、まず自転車、キリム(ラグ)、北欧陶器、そして今はブログ、郷土史研究、骨董(絵画)となっていった。家内に言わせると、少しイッテイル性格のようで、どれも本格的にやり始めてしまう。そのため、こうした方面については、かなりの知識があるのだが、どうしたことか周りにあまり趣味が一致する人は少ない。もちろんサッカー部の友人とはサッカーの話で盛り上がるが、それ以上の一致はない。

 女の人のグループでは、同じような趣味、好みで盛り上がるようなことも聞くが、どうも男同士、男女間でそうしたことは少ないようだ。家内とは性格的には合うところが多いが、それでも趣味となるとほとんど一致点はなく、これまで数冊の本を書いたが、家内はほとんど読んだことはないし、このブログを見ることはない。そうかといって家内の好きな韓国ドラマやガーデニングにはこちらはあまり興味ない。男女の相性ではないが、結婚まで発展するのはお互いの相性が合うことが大事であるが、さらに夫婦で趣味まで一致するカップルは少ないだろう。夫婦で旅行が好きだと言う人はいるだろうが、行き先や料理、あるいは宿泊先まで一致することはないだろう。

 今は仕事の方が忙しくて、習い事や歴史研究会などに入ることはしていないが、引退したら、こうした活動にも積極的に参加してみようと思う。やってみたいことは、雪の研究、昔の津軽の冬の暮らしと雪について調べてみようと思うが、壮大なテーマでかなりの日数がかかるだろう。音楽は苦手だが、ハーモニカやサックスができたらかっこいいだろう。一応、ホーナーのクロマティック二台と、ローランドのエアロフォンがあるので、あとは練習だけなのだが。絵についても母親から少し習い、機材もあるのだが、これだけは余程暇にならないと描こうとは思わない。プラモデルは、歯科の機材を駆使すれば、まだ何とか作れると思うが、老後はもはや無理であろう。あと書道は少しやってみたいが、人に教えてもらうのも気が進まない。色々とやってみたいこともあるが、これだけはその時の年齢や体力にも関係するので決めるのは難しい。

休日にみて面白かった映画(amazon prime号泣ものが多い
1.     オッド`・トーマス 死神と奇妙な救世主
2.     ぼくは明日、昨日のきみとデートする
3.     坂道のアポロン
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4.     スタートレックI

2020年5月5日火曜日

中島らも



 2004年に亡くなった小説家、劇作家の中島らもさんと広瀬家も少し関係がある。うちの父は、徳島県より上京して東京歯科医専(現在の東京歯科大学)に入学した。昭和172月の学徒出陣で入隊し、終戦時はソ連国境の第148師団司令部付の少尉として勤務していたが、ソ連の捕虜となり、モスクワの南にあるマルシャンスク収容所に昭和23年6月までいた。帰国後に結婚し、大阪の守口から神戸の歯科医院に通勤して働いていたが、尼崎市立花で開業していた東京歯科医専の先輩である中島先生、らもさんの父親から声がかかり、立花の診療所で勤務することになった。中島先生が少し調子悪くなり、歯科治療も難しくなったために父が手伝うことになった。住まいも尼崎の立花に移した。その後、私が生まれた昭和31年頃に、中島先生の分院である東難波町の診療所で広瀬歯科医院を開業し、その2階を住まいとした。中学に入る頃には診療所から10mくらいのところに自宅を建て、私は大学に入る19歳までここで暮らした。立花に勤務してから母親は中島先生の奥さんと親しく、東難波で開業後も、テナントとして借りていた関係で、立花の中島家に行くことも多く、幼き頃の中島らもさんにも会っている。中島らもさんは小さくて細い頭の良い子供で会ったが、なかなか難しい子で、母親はかなり心配したようであった。

 お父さんの中島先生は気まぐれで難しい人であったが、母親は本当にいい人で、難しいお父さんの面倒をよく見たようだ。晩年はリューマチのため歩行が難しくかったが、それでも炊事などは一人でしていたようだ。いつも破天荒な生活をする中島らもさんのことを心配していた。中島先生は豪快な先生で、私のところの診療所も父が亡くなるまで家賃は月1万円の格安で、ずいぶん助かった。東難波の診療所は、建坪はわずか13坪ほどで、一階が歯科医院で、細長い待合室があり、歯科チェアーが一台、その奥にレントゲン室と技工室があり、さらに奥に四畳半くらいの和室が台所兼食堂となった。その後、便所の横の畳一畳くらいのところに風呂を作ったが、この狭い空間にどういう間取りであったか記憶もゴチャまでになっている。和室から二階には45度くらいの急角度の階段があり、二階には六畳の部屋が二つ、その後、増築して3畳くらいの部屋を二つ作った。ここに両親と姉、兄、私と祖母、お伯母さんの七人がいて、その後、祖母が亡くなり、伯母さんが結婚すると、徳島県よりお手伝いさんが来て、一階の和室に住み込んだ。

 私が中学生になると流石に診療所の二階での生活は狭く、住まいを探すことになった。母親は西宮、仁川に家を建てようと考えていたが、父親は尼崎で飲みに行けないことから反対し、そのうちに、診療所から10mくらいのところに20坪くらいの土地が売り出されたので、ここを買い、家を建てた。新築の家は西洋式のトイレで、なかなか大の方ができず、毎日毎日二年間、大の度に診療所の便所に通った。

 中島らもさんは、1952年生まれ(昭和27年)で、私の4歳上になるが、中学校受験のために神戸の本山第一小学校に転校したが、阪口塾のような中学受験塾がようやくできた頃で、知らなかったのであろう。奥さんは神戸山手女子短大だったそうで、うちの姉と同じ学校である。確か、らもさんのお兄さんも歯科医で、核戦争を恐れて家の敷地に核シェルターをこしらえたと聞いたことがあるが、当時は変わった人だと思ったが、コロナウイルスのような想定外のことがあるので、あながちおかしなことだとは最近では思わなくなった。らもさんの映像を見ると、典型的な阪神地域の関西弁で、それも本人は標準語を喋っているように思う変形型である。他には同じく尼崎生まれのダウンタウンの松本人志や放送作家の高須光聖に近いイントネーションである。

 本当にもうすこし生きて欲しかった。

2020年5月3日日曜日

感染対策で買ったもの 中国製

自家製ガウン シャワーカーテン生地を使用(高い生地が良い)

中国製アイソレーションガウン 通気性が全くない

アメリカ製 N-95  密封度が良くない

右MoldexのN-95マスクは密封度が高い

3Mのサージカルマスク 密封度は高い

3Mのゴーグル ほぼ水中マスク 長時間の装着はきつい

子供用のゴーグル 実はシューティング用

中国製のフェイスガード ベルトについているボタンが上下間違って付けられている。
構造はまずくない。1枚150円ほどで、値段の割には良い

ゴーグル 密封度はなく、メガネの上にかける意味は少ない

カワクーナ 70度で30分、ガウン、マスクを毎日、乾燥している

 まず最初に断っておきたいのは、私は中国人が嫌いなわけでなく、むしろその人間くさい点では日本人より好きであり、多くの中国人の友人もいる。一方、どうも残念な点があり、現世的、現実的で、とりわけ仕事や生産物への思い入れが少ない。もう少し説明すると、日本人ではどんな小さな工場であっても、そこで作られたものに、オーナーは自信を持ち、他所には負けないという自負がある。より最高な商品、より信頼の置ける製品を作ろうとする。何か問題があり、消費者からクレームがあれば、それを改善してさらによい製品を作ろうと考える。それに対して、中国の会社すべてがそうだとういうわけではないが、作っている工員自身がその製品について思い入れが少なく、多少、問題があってもいいやという気持ちがある。人間らしいといえばそうだが、購買した客からすれば、こうした問題のある商品は嫌である。

 安かろう悪かろうというのは、何も中国だけではなく1970年以前の日本の製品もそうであった。ところが日本企業はその分野で一流、世界に通用する企業になろうと懸命に努力して、故障が少ない、信頼が置ける日本製品となった。中国もこうした方向性を目指していると思うが、それでもすでに中国が世界の生産基地になって30年以上経つが、いまだに中国製品=信頼というより不信感の方が強い。これはまだまだ社会が成熟していないというより、国民性や教育など、もっと大きな問題が背後にあるように思える。

 今回の新型コロナウイルス騒動で、私の診療所でも多くの中国製品を購入した。一つは眼の感染を防ぐ、フェイスシールドで製品そのものは全く問題なく、価格も妥当である。ところ袋から出し、頭に付けようとするがうまくいかない。よく調べるとスナップボタンで保護クリアファイルが固定されるようになっているが、このボタンの裏表が左右で違っている。もちろん両方同じ方向が正しいのだが、こうした間違いが30枚セットの10セットあった。全く検品していないことがわかるし、その前に左右同じ向きにスナップボタンをつけることができない工員がいることに驚いた。小学生でもできる作業であり、1000個のうち1個くらいこうした間違いがあるのはわかるが、30個中10個はあまりに多い。他にはアイソレーションガウンを購入した。作っている会社を調べると、一応はこうした医療用のもの作っている会社であるが、通気性がゼロで、30分も着ていると汗まみれになり、腕のところに水滴が、脱ぐと皮膚がふやけていた。こうしたガウンは外からの感染を防ぐとともにある程度の通気性も必要である。アメリカや日本製も確かに汗ばむことはあってもこれほどでない。できれば中国製のガウンは使いたくない。同様に欧米の病院が中国に注文したPCR検査機材、人工呼吸器は使えない、あるいはマスクやガウンも規定水準に達しておらず、使えないという声は大きい。韓国製も同様で、アルコールハンドジェル、71%が売っていたので買ったが、どうもアルコール臭が少なく、その後の調査でアルコール濃度の大幅な誇張があったようだ。輸入元は返金するようだが、これも韓国人の説明をそのまま信用したからであろう。ちなみに1本につき2000円相当のクオカードを送ると言われたので商品を送り返し、2週間以上経つが未だに返事はない。流石にこれ以上の騙しはないだろう。また非接触体温計(エジソン体温計、韓国製)もアマゾンで注文したが、1ヶ月以上たっても中国から商品の到着はなかった。19人以上の人から商品が届かず返金されないという同様のクレームがあった。このように感染グッズで中国から輸入したものでまともなものはない。

 うちの娘は繊維商社に勤務し、日本の大手衣料メーカーのものを中国の工場で作っている。おそらくは中国工場に相当厳しい品質管理を行っていると思う。ある担当者がユニクロの製品を海外の工場で生産し、その衣料の中に不純物が入っていた。それだけでユニクロは、その商社、工場との取引をすべてやめた。品質が少しでも問題があれば、躊躇なく、工場との契約を打ち切る。それ故に、こうした日本製を生産する中国工場の品質はかなり高いであろうし、検品も厳しい。問題はこうした工場以外の一般のところで、日本の購買者のレベルに達する品質になるまで、多くの積み重ねが必要であり、今回、コロナウイルス関係で購入した中国商品の多くは、まだまだのレベルであった。3Mユニテックのマスクの多くは中国工場で作られており、その品質は世界一流であろうが、一方、N95マスクと称して、全くその規格に達していない中国製マスクも多く、こうしたレベルの違いが中国企業の本質なのであろう。中国製でも高品質なものも多くなっているが、一方、金になるものはすぐに低品質でも作って売るという中国人の現世的な感覚もいまだに根強い。困ったものだ。嘘をつかない、金より信頼、義理という信条を持つ素晴らしい中国人も多くいるが、一方、金のためには何でもやるし、人を騙す人も多い。中国では、低品質なものを安く売る段階から、中品質のものを安く売る段階まで何とか進んできたが、高品質なものを高く売る段階、ブランド化にはなっていない。ただ、これに関しては何も中国だけでなく、アジアには日本以外に高級ブランド商品を持つ国はない。


2020年5月1日金曜日

歯科医院でコロナウイルス 感染しません。多分

戦後のアメリカ空軍の歴史がわかり、面白かった

 患者が歯科医院で新型コロナウイルに感染するのか、逆に歯科医師が患者から新型コロナウイルスに感染するのか、気になるところである。結論からいえば、これまでの経過から患者が歯科医院で感染することはなく、逆もないようである。

 最初に歯科医あるいは従業員の感染が報告されたのは、415日に三重県桑名市のハート歯科で、50歳代の歯科医師が新型コロナウイルスに感染した。その後、417日で同医院の30歳代の歯科衛生士が感染したことがわかった。ハート歯科医院では最初に名古屋市で414日に陽性と判明したスタッフがいたようで、誰が一番最初に感染したかの報告はないが、このスタッフから医院内にクラスター感染が発生したようである。この歯科医は発熱後も10日ほど診療をしていたようで、多くの患者を診察している。ところがその後、桑名市では感染者の報告はなく、ハート歯科の感染した歯科医から患者への感染はないようである。

 次に滋賀県草津市のみなみ草津ファミリー歯科で、417日に50歳代の歯科衛生士が感染し、その後、422日に他の歯科衛生士ら四人のクラスター感染が発生した。これについても最初の50歳代の歯科衛生士が患者から感染したのか、それともそれ以外から感染したかは不明であるが、ここで治療した患者から感染者は見つからず、歯科医院から患者への感染がないことがわかる。

 この二つがこれまで報告された新型コロナウイルスに感染した歯科医院であるが、どこから従業員が感染したかは不明であるが、少なくとも歯科医院から患者に感染した例はない。特に桑名市の歯科医院のケースは、院長が発熱後も長く診療していたことから、患者への感染が危惧されていたが、結果、感染者はいなかった。

 歯科医あるいは歯科衛生士はマスクをし、手袋をし、使用する器具はタービンなど切削器具を含めて全て滅菌しており、コップ、エプロンは使い捨て、さらに最近は、歯科用チェアーの患者ごとの清掃などかなり徹底しているため、患者が歯科医あるいは従業員と触れる機会は少ない。もちろん医院のドアの取手や待合室の椅子なども感染源になるが、これは他の職種と同じ条件となる。つまり歯科医院は仮に歯科医やスタッフが感染していても、患者には感染しないような構造になっていることを理解してほしい。それでもそうした可能性はゼロではないとは思うが。

 話は変わるが、新型コロナウイルスに罹り重症化すると息が苦しくなり、酸素飽和度が下がり、人工呼吸器が必要となる。この酸素飽和度を簡単に測る機械がパルオキシメーターで、日本光電の青柳卓雄らによって発明され、ミノルタカメラで製品化された。指先に挟むだけの簡単な装置により、赤色光と赤外光の透過率をセンサーで測り、分析して酸素飽和度を測定する。それまでどうして測定していたかというと、深部にある動脈血管に注射針を刺し、血液を分析していた。痛いし大変は作業である。もちろん正確なガス分析をする場合は、現在でも動脈血採取は行うが、連続的な酸素飽和度をモニターするにはパルオキシメーターを使う。これがないと新型コロナウイルス患者の管理は不可能なことから、この発明は大きな意義を持つ。日本人の医学機器での他の発明といえば、東京大学の宇治達郎とオリンパスが発明した内視鏡で、この医療への貢献は申すまでもなく、他の医療器具でいえばCTMRIに匹敵するものである。胃がん、大腸がんなどの検診、診察には不可欠なものとなっている。

 新型コロナウイルスの治療薬候補として日本人の発明したアビガン、関節リウマチ薬、アクテムラ、シクレソニドなどが挙がっているが、これもすごいことだと思う。