中島らもさんの本の中で、灘高校の2.3年からほとんど勉強をせず、親の勧めで一応、神戸大学の入試を受けたが、名前を書いただけで全くわからず、そのまま退出したようなことが書かれていた。その後も何度のこの時のことが悪夢として蘇ったようだが、こうした経験を持つ人も多いと思う。
高校の期末、中間試験の成績が悪くても、次回頑張ればと思うだけだが、本番の入試でこうしたことがあると、具合悪い。中島らもさんは確か化学の試験でそうなったようだが、普通、一問もできないというのは、多分、物理と数学くらいで、他の生物、化学、国語、英語、世界史、日本史などは点数が低くとも何か書ける、それに対して、特に数学の入試は5,6問くらいしかなく、わからない場合は、それこそ白紙である。
私の場合、高校3年生の5月くらいにはサッカー部を引退し、受験モードに入るはずだったが、どうにもやる気が起こらず。一応は頑張ったフリだけして全くやる気はなかった。毎日、スタートレックの再放送を深夜、見続けた。特に理科系なのに数学が悪く、いつもひどい点を取っていた。その結果、現役の時の東北大学の入試、とりわけ数学はひどく、2時間くらいの試験でいくら考えても一問もできず、あれほど焦ったことはない、その瞬間に落ちたと思ったのは中島らもさんと同じで、そのまま帰ろうかと思ったが、わざわざ仙台まで来たので来年の予行ということで、他の科目も受けた。終了時間だけが、知らぬ間に過ぎている嫌な感じはいまだに思い出す。今の受験生には信じられないだろうが、当時は大学が受験のための旅館を斡旋してくれた。何も知らず、申し込むと汚い旅館に5、6名詰め込まれ、寝言を言う人やいびきがうるさい人も一緒で、ほとんど眠れない状況であった。これは失敗した、
浪人中も相変わらず数学の点数のばらつきが大きく、点数により志望校の判定も変わり、BからEまでバラバラであった。受験科目は英語、数学、生物、化学、国語、世界史であったが、とりわけ数学の比重が高い。数学以外はある程度の点数は取れるので、数学が出来不出来が合否につながる。ところが一浪後の東北大学の試験は奇跡が起こり、現役の時は5問中正解0であったが、この時は5問中4.5問の正解であった。これは合格したと思った。もちろん東京医科歯科大学の数学は散々であった。
実はコロナ騒ぎで延期になったのだが、新しい矯正専門医制度が今年から始まり、そのペーパー試験が3月に予定されていた。この歳になりペーパー試験かと嫌になったが、それでも1月頃より出題範囲を中心に勉強していた。ところがこれがなかなか覚えられず、焦った。2月頃に試験が正式に無期延期に決まり、今日に至っているが、するとまたすべてまた忘れてしまった。昔は暗記ものに強かったが、急速に暗記能力は減少しており、自分でも認知症かと怖いくらいである。最近ではネット試験もあり、センター試験のような選択問題はいけそうだが、記述式や数学の試験は難しい。今年の受験試験は何とか終了できたが、来年はどうなることやら。受験生にとっては大変な一年になりそうだが、私のような64歳になって試験を受ける人もおり、お互いに頑張りましょう。
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