2021年2月25日木曜日

東奥義塾 英語を重視した中学校 新設

 



 弘前の東奥義塾高校では、来年4月に英語教育を重視した中学校を新設すると発表した。従来の英語授業のほか、数学、理科、社会の3教科を英語で行い、週4時間の英語学習を11時間程度に拡大される。中学生から英語を大いに学ばせ国際的な人物を養成しようということであろう。ネット時代、世界はますます距離のない、ボーダレスの世界になっており、その共通言語としての英語の価値が高まっている。大学、ことに私立大学の入学試験を見ても、英語の比重が高く、文系学部では英語の成績が悪いとなかなか有名私立大学に進学することは難しい。こうした社会変化に対応した東奥義塾の試みは評価できる。

 

 授業を全て英語で行う学校といえば、以前から日本に住む外国人を対象にしたインターナショナルスクールがあり、本来、日本人の入学は許されなかったが、一部の日本人の親がわざわざ無理して自分の子供を入学させていた。確かこうしたインターナショナルスクールは日本の高校として認可されていないので、もし日本の大学を受験するなら、大検を受けなければいけなかったと思う。基本的には海外の大学進学を前提とした学校であった。その後、国際バカロレアというスイスにある団体の教育スケジュールの沿ったカリキュラムを実践する学校が登場し、国際バカロレア認可校として認められると海外への大学進学に有利となる。日本政府もサポートする教育システムであり、方式もいろいろあるが、現在日本国内で認定校は35校くらい、東北では仙台育英学園高等学校がある。

 

 実はこうした取り組みは、明治時代にもあり、東奥義塾でも授業のほとんどを英語で行い、同校の卒業生で陸軍中将となった浅田良逸の談話では、陸軍士官学校に入学してもしばらくは数学や化学の授業がさっぱりわからなかっという。というのは、浅田は東奥義塾でこれらの授業を全て英語で授業を受けていたので、日本語の授業についていけなかったようである。逆に弟の笹森順造は、弘前中学、早稲田大学卒業後に渡米したが、英語が当初、ほとんど分からず、地元の小学校のクラスに入学して学んだようである。兄の笹森卯一郎は、東奥義塾を卒業し、そのままアメリカのデポー大学を優秀な成績で卒業し、哲学博士号を取得したのに比べ、苦労している。他にも横浜共立学園も、明治の初め、学生の多くは寄宿生活、また英語のみの授業であったので、ここの卒業生、岡見京、菱川やす、須藤かく、阿部は留学した女子医大でも優秀な成績で卒業しており、渡米した直後でも綺麗な英語を話すと地元新聞でも書かれている。

 

 こうした事例でわかるように、国際バカロレアのような英語による授業を受けることはアメリカの大学に留学する際には大きなメリットとなりそうである。ただ問題は、こうした優秀で、海外の大学に進学する学生にとっては優れたシステムであっても、普通の学生にとっては英語の授業はかなり大きな苦痛となる。明治時代に東奥義塾でも、英語の授業はさっぱり分からんと不満をいう生徒も多く、こうした授業についていけ、進級する生徒はわずかで、初期の卒業生は毎年、数名足らずであった。これでは入学する生徒も減るため、少しずつ英語による授業を減らし、再興した大正期からは通常の学校となった。同様に横浜共立学園も外国の宣教師が減少するにつれ、日本語の授業が増えていった。

 

 国際バカロレアの中学生からの教程を持つMYP(Middle Years Programme)は、認定校の中でも少なく、インターナショナルスクールを除けば、11校しかなく、東北では仙台育英の中学校、今年4月開校の秀光中学校が最初の試みとなる。東奥義塾も将来的にはこうした国際バカロレア認定校を目指していると思うが、積極的な留学生の受け入れと生徒の海外留学なども必要と思われる。さらにいうと、国際バカロレア認可校の多くは、最近の国際化に伴った新たに開校した学校で、宗教的バックボーンがある学校といえば関西学院千里国際中等部、高等部くらいで、ここも母体は東奥義塾と同じプロテスタント系の関西学院大学であるが、中高の開校は1991年にできたばかりである。東奥義塾は、伝統あるプロテスタント系学校としての特徴を生かし、欧米、アジアのプロテスタント系学校と提携を結び、相互学生交換なども視野に入れた方が良い。また一度は挫折したが、中学新設を機会に、本多庸一、阿部義宗、小坂ガン城(父親が弘前出身)、笹森順造の4名の院長、第3代理事長、平田平三ら、東奥義塾と関係が深い青山学院大学との提携、推薦枠の増加を図りたい。また初期の留学生がいったアメリカ、デポー大学にも、将来、東奥義塾から卒業生が進学したらと思う。

2021年2月22日月曜日

日本の核武装

 






 伊藤貫著「自滅するアメリカ帝国 日本よ、独立せよ」(文春新書)は、非常に面白かった。トランプ政権のことが書かれていないので、不思議に思って、発行日を調べると、2012.3.20で8年前のもので、第5版となっており、長く売れているようだ。こうした政治トピックの新書は、せいぜい賞味期間は5年ほどで、通常、現時点で読むとかなり違和感が強い。それに対して、本書は8年前のオバマ政権下のアメリカの特徴を捉えたものであるが、「一極覇権戦略」、「アメリカ例外主義」、「デモクラティック`・ピース・セオリー(民主主義国家はお互いに戦争しない)」、「デモクラシー・ユニバーシズム(民主主義を世界中に広めよう)」、「主権制限論(ならず者国家には軍事力を行使する権利がある)」、「ヘジュモニック・スタビリティー・セオリー(超越した軍事力、経済力、外交力を持つ国(アメリカ)が国際政治と国際経済システムを安定化すれば、世界平和と経済の繁栄が生じる)などが説明され、アメリカが世界を支配しようとする体制はいずれ崩壊し、世界は多様化することを予言している。こうした流れは中国の巨大化によってますますその傾向は強くなり、現在ではインドも大きな存在となっている。世界の多様化は人類の歴史では必然であり、最終的にはそれぞれの国が独立してパワー・オブ・バランスの状態となることが望ましいとし、その方向性の一つに一番安く、日本がアメリカなどの最強国と独立する方法として著者は核武装を唱えている。

 

 現在、核兵器を持つ国は、アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮である。このうち戦略核、ICBMを持つ国は、アメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリス(アメリカ製)、インド(5000kmで中国まで)、イスラエル(7000km以内)、北朝鮮(?)の8カ国であるが、超大国であるアメリカを射程に入らなければ、独立国としての核武装は意味がないし、さらに秘匿が完全に行われる潜水艦からのICBM を発射できる国となると、このうちアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの5カ国となる。つまり核武装によりアメリカから独立するのは、北朝鮮が行おうする方法、射程10000km以上のICBMと戦略潜水艦(原子力)の保有である。さらに言うと準備に時間がかからず、移動しやすい、潜水艦にも搭載される強力な固形燃料ロケットが必要となる。つまり核兵器を持つ条件として、ロケットと潜水艦技術が高いことが挙げられる、この点ではインド、パキスタン、北朝鮮がアメリカなど5カ国に追いつくのは相当に厳しい。それにしてもイスラエルは、イスラム諸国から見れば東アジアの北朝鮮と同じであるが、アメリカから核とミサイル技術を、ドイツからは潜水艦を供給され、厚遇されている。あの国がなければ、中東の平和はよほど維持されていたと思うのは私だけだろうか。

 

 核を持っていない主要国で、ロケットと潜水艦技術が発達しているのは日本とドイツであるが、日本はドイツ以上に発達しており、ロケットは固形燃料ロケットでは世界でも最高能力を持つイプシロンが、また潜水艦では世界でもその静粛性と深い潜行ができる“たいげい型”がある。ロケットの制御技術も素晴らしく発達しており、現状でもイプシロンロケットに搭載された何かを10000km離れたところに正確に落とす技術はあるだろう。もちろん肝心の核兵器そのものは全く開発されていないが、それでも日本の科学技術がパキスタンに負けることはなく、実際の核実験をしなくてもスパコン「富岳」などを投入すれば、設計は可能であろう。

 

 攻撃型ミサイル開発の方が、そのミサイルを撃ち落とす迎撃型ミサイルシステム開発より安い。ミサイル防衛導入整備費に累計2兆円かかるされているが、それだけあれば、日本でもフランスやイギリス並みの核武装ができるだろう。北朝鮮や中国から日本が核攻撃を受けても、自国に攻撃がないと判断すればアメリカは決して反撃はしない。国際政治は冷酷なもので、将来的に中国や北朝鮮から核攻撃をチラつかせた脅しがあっても、アメリカにすれば対岸の話である。本書にも書かれているが、アメリカにとってイスラエルこそが一心同体の特殊な国であり、人口900万人足らずの国のために、この国の核武装を積極的に応援し、湾岸戦争、イラク戦争そしてシリア問題なども全てイスラエルのためにアメリカが戦争している。アメリカの現在の国防力は世界で同時に二箇所での戦争ができないため、イスラエルがある限り中東から撤退できず、今後とも北朝鮮、中国との対決はあくまで経済制裁のみとなる。日本は中国、北朝鮮あるいは韓国に対してはアメリカを頼らない軍事力を確保する必要があり、その中で一番安い方法が核武装なのである。

 

 とここまで書いたが、実際には日本の核武装は世論の反発が大きく、またアメリカ、ロシア、中国の反発も大きく、不可能であろう。それでも百億円程度の研究費で、核武装の可能性をシュミレーションするだけでも、外交的大きな武器となる。学術会議では戦争に関連する研究はするなと言うことだが、ある意味、核武装の研究は何よりの平和維持に繋がる。この本の著者も言っているが、日本では親米の右翼も反米の左翼も、ともに核武装の合理性に反発するのはおかしい。ドイツ、イタリアなどのようのアメリカの核兵器をシェアリングする国もあり、ドイツでは最近、こうした核兵器を搭載するF/A-18Eを核兵器攻撃機として購入することが決まった。日本でもこうした声があるし、隣国の韓国は核兵器を持ちたくてしょうがない。空想として戦略型の原子力潜水艦の保有を夢見ている。

 

 北朝鮮の核など、たかが数発程度であり、日本民族が消滅するという意味ではそれほど怖くはないが、中国については日本の東京、大阪、県庁所在地を完全に消滅する数の核兵器を持ち、1950年代の大躍進では数千万人、1960年代の文化大革命では数百万人の自国民を平気で殺すこの国にとって、日本を核攻撃するためらいは全くない。ただ毛沢東も言ったように「核戦争も別に構わない。半分死んでも後の半分が残る」と考える人たちなので、日本が北京を完全に消滅できる核兵器を持っても全くの脅しにもならないかもしれない。さらに隣国、韓国がアメリカの命令を無視して核武装するなら、必然的に日本の核武装論争も高まり、それを防ぐためにも、北朝鮮の消滅が不可避となる。



2021年2月14日日曜日

韓国、中国には印象派、ゴッホ、ピカソの絵画がほとんどない、

 

韓国の私立美術館、澗松(カンソン)美術館

国立西洋美術館



  私は印象派の作品は好きで、東京に行く時には上野の国立西洋美術館によく行く。コルビジェの建物自体興味深いし、所蔵するルノワール、セザンヌ、モネの優れた作品をじかに見ることができ、楽しい。さらに岡山まで足を延ばすと、倉敷の大原美術館には、ゴーギャン、カンディンスキー、マティス、モディリアーニなどの作品が充実しており、何も欧米に行かなくても、国内だけで結構、西洋画の名品を見ることができる。

 

 実はこうしたことができるのは、アジアでは日本だけで、隣国の中国や韓国は近年多くの美術館ができたが、主として現代美術が中心で、印象派の作品やピカソなどの作品はほとんどない。韓国人の好きなゴッホの作品は、日本には20以上の作品があるのに対して、韓国では“横たわる牛”という個人蔵の作品が一つあるだけで、美術館の所蔵品はない。もちろんセザンヌやルノワールのような印象派の作品はなく、またピカソの作品も調べる限り油彩の作品は韓国にはない。中国や他のアジア諸国にもこうした西洋画の名品はなく、アジアでは日本が飛び抜けて多い。ある意味、アジアの美術好きの人にとっては、日本はたまらないところであろう。

 

 昔は、税金も安かったせいで、お金持ちは多くの金を残せたし、趣味にも多額の資金を回せた。大原美術館の例で言えば、倉敷の実業家の大原孫三郎は画家の児島虎次郎のヨーロッパ留学を支援し、彼にヨーロッパでの絵画収集を任せた。1920年頃のことで、児島を通じてモネ、マティス、ロートレックなどの名画を入手し、その後、1930年に美術館ができた後もルノアール、ピカソ、さらに戦後になってもコロー、ピカソなどの作品を購入した。ブリヂストン美術館は、もともとタイヤメーカーの石橋正二郎のコレクションをもとにしたもので、ここにもゴッホ始め、印象派の名品が多く存在する。また国立西洋美術館は戦前、ヨーロッパで多くのコレクションをした松方幸次郎の作品が中心で、ここにもゴッホ、ルノアール始め多くの印象派の優れた作品がある。

 

 ゴッホ、ピカソの作品は今や投機対象となり、作品によっては100億円以上となり、とても美術館では買えないものになっている。日本の個人コレクターが収集していた時期は戦前、あるいは1950年頃で、この当時はこうした作品もそれほど高くなく、多くの優れた名品が日本にやってきた。ところが韓国、中国が経済的に発展し、ようやく美術館を建てられるようになった2000年以降は、名品はもはや市場に出回らないし、出回ってもすごい金額で入手できなくなった。今、高額な価格で買えるのはカタールなどのオイルマネーの産油国だけになっている。

 

 一方、日本ではつい最近まで相続税がばかみたいに高く、相続額の70-80%が税金として取られた。多くの名画を持つ場合、相続税も大きくなり、場合によってはコレクションの一部を売らなければ相続税を払えず、そうした場合、美術館を作って、そこに寄贈した方がコレクションの分散を防げる。こうしたことから日本では多くの民間の美術館が登場した。西洋画のコレクションで言えば、ブリジストン美術館や大原美術館以外にもポーラ美術館、松岡美術館、日動美術館などは印象派の作品も充実している。また損保ジャパン美術館ではゴッホの代表作のひまわりを見ることができる。さらに日本美術については枚挙ないくらい多くの民間の美術館がある。こうした個人の美術館が多いのは、資本主義国家の象徴であり、個人の事業主がその莫大な富を美術品収集に注いだ結果であり、アメリカにこうした美術館が多い。アジアでは近年までアートコレクションをする実業家は少なく、唯一、韓国にある民間の澗松(カンソン)美術館が例外であろう。早稲田大学を卒業した朝鮮の大金持ち、チョン・ヒョンビルがその個人資産で収集した朝鮮の美術品を集めた美術館で、ここには韓国の国宝が12点ある。チョンは1938年にこの美術館を設立したが、留学先の日本で見た多くの日本人実業家の美術コレクターの存在がきっかけになったと思う。ただ相続税のために、同美術館が保有する仏像2体を最近、3億円で競売したが、高すぎる、贋作の可能性があることから、結局、誰も落札しなかったというオチもある。

 こうした美術館やそこの収蔵作品を見るだけでも、アジアでは日本が頭一つ近代化、西洋化の先頭に立っていることがよくわかり、急速に経済発展を遂げる中国、韓国、台湾なども西洋文化の歴史という点ではまだまだである。同じようなことは、科学の分野でもそうで、まだまだ韓国、中国のノーベル賞受賞者は日本に比べて圧倒的に少ない。

 


2021年2月11日木曜日

診療所のプリンターのエコタンク化


上がエコタンク(EW-M873)、下が最高級プリンター(PV5VII)白黒写真の深みとしては負けるが普通のレントゲン写真としては全く問題はない。


 25年前に開業してから20年以上、キャノンのビジネス用レーザープリンターを使ってきた。この機械は結構高く、本体価格は40万円以上するが、それ以上にバカにならないのが、カートリッジ代で、4色の大型のカートリッジをほぼ2年おきに交換する必要があり、一本25000円、4本で10万円くらいかかる。そして保守点検費もかかり、また10年もすれば劣化して修理できないようなる。つまり10年で本体価格、カートリッジ代、さらに保守点検、修理代で100万円以上かかることなる。年で10万円以上かかることなる。これば馬鹿らしい。

 

 そこで三年ほど前に、エプソンのエコタンクシリーズのビジネス向けのEW-M5071という機種を購入した。これまで一度、インクを補充したが、3000円くらいで済んだ。本体価格が9万円程度で、3年間の維持費がこれにインク代の3000円を加えても、一年あたり31000円くらいとなる。10年使えれば、1万円くらいとなる。ビジネス用レーダープリンターの1/3から1/10以下であり、圧倒的に安い。印刷スピードは遅いが、写真印刷で言えばレーザープリンターよりは綺麗である。3年間ですでに元は完全にとった。感覚的にはカラープリントがほぼタダになった。

 

 こうしたエコタンクの経済性に味をしめ、次に金のかかるレントゲン写真のプロンターを見直した。これまで出来るだけ綺麗な印刷をしたいと考え、エプソンのPX5VIIというプロ向けの高級機種を使っていた。この機種はエプソンのフラッグシップで、最高級の印刷をする。ただあくまで印刷はレントゲン写真であり、白黒の色合いを忠実に再現する必要はない。それでもここ4年ほど使ってきたが、カートリッジの消費がひどい。白黒の印刷だけなのでブラックやグレイの消費が多いのはわかるが、他の色の消費も多い。なにでもインクジェットノズルの洗浄に余計なインクを使うという。このプリンターは8色のカートリッジを交換し、年間に少なくとも2、3回は各色交換する。カートリッジは一本2000円くらいするので、8色で16000円、これが年に3回とすると48000円かかることになる。本体が10年持つと考えても本体価格の8万円に加えて、カートリッジ代合わせて、年に6万円くらいの出費となる。

 

 オフィース用のプリンターがエコタンクプリンターで十分であることがわかったので、このレントゲン写真用のプリンターもエコタンクにしようと思った。これまでエコタンクプリンターでは写真高画質プリンターがなく、新製品の登場を待っていたが、ようやく昨年の12月に高画質シリーズが出た。また実際にA3のプリントをすることがないので、より小型のEW-M873を購入することにした。

 

 EW-M873を実際に使ってみると、エコタンクも進歩しており、まずインクの補充がより簡単になった。前の機種ではタンクにインクを入れる際に若干液が溢れて周囲を汚す心配があったが、新機種では実に簡単に補充できる。さらにコンピュターとの設定も指示通りに進めば簡単に繋がる。コピー時間はややかかるものの、画質がPV5VIIに比べて青っぽい感じがするが、普通のレントゲン写真としては全然問題ない。これで自由に印刷代を気にしないで使えることは嬉しい。この機種のインクは6色で、1色2000円くらいであるが、補充用としてはかなり持ちそうなので、予想年間インク代は数千円くらいとなり、これまでのプリンターの10分の一くらいのインク代になりそうである。

 

 現在、エコタンクのビジネスモデルの最新型が出ており(PX-M67126711)の2機種が出ている。印刷速度により値段が違うようだが、私のところの旧モデルに比べて耐久枚数が増えた。旧モデルは8万ページであったが、この新しいモデルは25万ページで4倍になった。1日で私の診療所では50-100枚くらいの印刷をするが、年間で1から2万枚、旧モデルでは8年間くらいであるが、新モデルでは15年以上もつ計算となる。また印刷速度も旧モデルでは10ipmであったが、高い方の新機種では25ipmと倍以上になっている。ほぼ旧モデルへの不満、速度が遅いことと耐久性は向上したようだ。これは診療所など小規模店では、絶対にオススメの印刷機であり、古いプリンターは壊れていなくてもカートリッジコストを考えると即刻交換を検討した方が良い。





 

2021年2月7日日曜日

なんちゃって展覧会、勝手に展覧会 ー忘れられた画家 土屋嶺雪ー

コツコツ集めて20以上になった

  土屋嶺雪は兵庫県、明石を中心に、大正から昭和にかけて活躍した画家であるが、いずれの美術集団にも所属しなかったため、今日では文献上の記録もほとんどなく、全く忘れられた画家となっている。画風は、動物画から南画、歴史画と幅広く、決して同時期、同画風の、帝室技芸員、橋本関雪と劣るものではないが、その評価には雲泥の差がある。

 

 展覧会というと、美術館が企画したり、倉敷の大原孫三郎のような大金持ちのコレクションを展示するものと考えられているが、本当にそうであろうか。昔は、ある画家の作品を集めようとすれば、画商や骨董屋に頼み、彼らはその作家の作品を持っていそうな家に行って直接購入する。作品を持つ人はできるだけ高い金額で売りたいと思うし、画商や骨董屋は買った値段に相当マージンをとって、依頼者に売りつける。結果として、かなり高い買値となる。そうしたことができるのは、金持ちしかおらず、昔の骨董屋はものを仕入れる場合、誰に売るかをまず考えて買った。骨董屋からものを買う客も、例えば偽物や作品の質に比べて売り値が高いと考えても黙って購入した。ここで買わないといい作品を売ってくれないからである。ある作家の作品を集めるというのは、大変時間がかかるし、金もかかる。そしてこうしたことができるのが、美術好きの一部の金持ちとなる。美術品を画商、骨董屋から買うという流れは1990年代まで長く続いたが、その後、ネットオークションの登場はこうした旧式の取引に大きな衝撃を与えた。


 美術のネットオークションでは、おそらく旧家や絵画のコレクターから出た遺品をほとんどタダ同然の値で買い上げ、それをネット上でさばく。1000円で購入したのが、1万円で売れれば9000円の儲けとなる。本来は1000円で購入したものを10万円で売りたいところだが、在庫を増やすより、1万円で売って流した方が良いというのがネットオークションの世界である。おそらく感覚的にはネットオークションの落札価格は、骨董屋の半分から1/4となり、開運なんでも鑑定団の鑑定額の1/10位となる。逆に言えば、これまでの画商や骨董屋は買値の10倍くらいで客に売っていたのが、オークションでは、2、3倍位となる。在庫期間の長い商品は価格を高くしなくては、経営は成り立たない。逆に回転率が高ければ、利益が少なくても良い。 

 日本の建物から、床の間がなくなって久しい。床の間がないと、掛け軸を買っても掛けるところがなく、必然的に掛け軸の人気はない。そのため、今、日本では掛け軸はバカみたいに安い。明治、大正期に活躍した画家でも、数千円で買えることも珍しくない。そうなるとそこそこの画力があっても、今やほとんど忘れられた画家となると、本当に安い費用でコレクターになることができる。また贋作も真作も値段が変わらないというおかしな状況となる。


 私は、兵庫県の明石に長く住み、神戸を中心に人気のあった土屋嶺雪の作品をここ十年くらい集めている。価格は平均して1万円くらいで、それほど高いものではない。それでもコツコツと集めて作品も20以上になった。いっぱしのコレクターになった気分である。一点一点の作品を見ると平凡でもまとめてみると、それなりに画家の個性や画力を知ることができる。そのため一度、弘前レンガ倉庫美術館で、土屋嶺雪の個展を開いてみたいと思っている。記録によれば土屋嶺雪単独の個展はなく、もし実現できれば、土屋も草葉の陰で喜ぶことであろう。ギャラリーレンタル料は一週間で2万円くらいなので、何とかなりそうであるが、モダンな美術館で掛け軸を中心とした展覧会は気が引ける。まあ美術の流行も一周回ってワンの傾向もあるので、現代絵画を見た後にこうした大正から昭和の絵も新鮮に映るかもしれない。一応、テーマは決まっており“勝手に展覧会”あるいは“なんちゃって展覧会”と考えている。弘前であれば、平尾魯仙の作品を持っている人や下澤木鉢郎の版画が好きで集めている人もいよう。また古い弘前の絵葉書や写真をコレクションしている人もいよう。そうした人が“勝手に”、“なんちゃって”展覧会をするのも楽しい。


 最近では全国的に、現代絵画美術館が流行っていて、一部の美術評論家をそのおしゃれさやかっこよさを持ち上げるが、実際にはよくわからないという人が多い。美術館の大衆化を目指すなら、どちらの方向に向かうかわからないが、いろんなことにトライをして欲しいところである。

2021年2月4日木曜日

インビザライン 社の実態

 

悲しいことだが、金儲けのためにマウスピース矯正を始める歯科医がいる



 マウスピース矯正をビジネスとして始めたアメリカ・インビザライン社は、今やアメリカのベンチャ企業の成功例として有名である。1997年に創立、2001年にナスダックに上場した際の株価は18ドル、その後、リーマンショックの時は5ドルに、そして今は546ドルととんでもない株価となっている。従業員数は11600人、2018年度の売り上げは196650万ドル(2060億円)、そして営業利益も4.7億ドルと高い。現在、トータルのアライナーの出荷数は54500万個、患者数は680万人、インビザラインをする歯科医は16万人とされている。成人矯正市場ではすでに43%を占めて。さらに多くの似たような企業がこの分野に進出しているので、マウスピース矯正の比率はもっと高いのだろう。

 

 このインビザライン社も、1998年頃から出された多くの特許が2018年頃から切れて、他のメーカーの参入を許すようになってきた。ただ現状ではアタッチメントなどを使った複雑な歯の動きはインビザライン社の特許であるので、インビザライン社以外のマウスピース矯正の会社は簡単な症例しか治療できない。一方、インビザライン社のアライナーはかなり広範囲の症例に適用できるようになったが、まだまだワイヤー矯正のレベルには達しておらず、ワイヤー矯正もまたデジタル化に進む傾向があるため、複雑で難しい症例はまだまだワイヤー矯正が主力であるし、簡単な症例は他の安いメーカーのマウスピース矯正に取って代わる可能性がある。

 

 軽いでこぼこなどを含めると、日本人でも人口の70%くらいは何らかの不正咬合であるが、そのうち10%くらいが実際に矯正治療を受ける。ただ最近の傾向を見ていると、割合簡単な不正咬合でも矯正治療を希望するため、矯正治療をする患者数は増えるのかもしれない。また中国や東南アジアなどの国ではもともと歯並びに対する関心が高く、国の経済状態が向上するにつれ矯正治療を受ける患者も増えるであろう。こうした患者のいくらかはマウスピース矯正を行うので、世界的規模で見れば、まだまだインビザライン社の快進撃は進むであろう。

 

 歯科器材の世界で最も大きな会社、Dentsplyの売り上げが40.3億ドル、従業員が16000人であるので、すでにインビザライン社はそれに匹敵する会社になっている。1997年の創業したベンチャ企業がここまで大きくなったのはすごいことである。ただ利用者が増えるにつれ、適用症例も増大し、それに対応するためにはアタッチメントの多用や途中での治療方針の変更、おそらくは今後はセファロ、CTデータの利用、一部、ワイヤー矯正の併用など、治療法自体が複雑になっており、全くの矯正治療未経験者には敷居が高くなってきているのも事実である。そうしたことから矯正歯科専門医は引き続き、インビザライン社のアライナーを使うだろうが、一般歯科では、もっと簡単な、何も考えずに患者に装置を渡せば良いようなマウスピース矯正を好むであろう。”Smile Change”というアメリカの“Smile Direct Club”のように、自宅に口の型をとり、歯科医院に行かなくても、患者さんにマウスピースが送られて治療をするところが日本でも出てきた。ちなみにこの”Smile Change”では矯正料金は20万円くらいなのでかなり安いが、本ちゃんの”Smile Direct Club”も日本に上陸すれば10万円以下になろう。日本でもエステと歯のホワイトニングを併設しているところがあるが、300万円くらいのデジタル印象の機械を購入すれば、こうしたところでも”Smile Direct Club”のようなことは可能なので、後数年以内に、多くのマウスピース矯正を行う歯科医院でない店が出るであろう。

 

 ただ現状でもマウスピース矯正については、かなりクレームがあるため、こうした一般のエステなどで治療が行われるようになると必ず、消費者センターで問題となり、契約書、途中契約解除などを含む特定商取引法の適用になると思われる。日本人、アジア人では口元の突出感が気になる患者が多く、どうしても白人に比べて上下の前歯を中に入れる必要がある。そのため、でこぼこが軽度でも、口元の後退を希望する患者が多く、ディスキングだけでは空隙が足りず、小臼歯の抜歯症例が多い。マウスピース矯正では小臼歯抜歯症例では治療が難しく、個人的な意見ではディキング+マウスピースの症例は多くても不正咬合の半分くらいと思われる。

 

 非抜歯、抜歯のボーダーラインケースで、非抜歯で治療してある程度でこぼこが取れてから、抜歯するか決めましようと治療したケースは50症例を超えるが、70%以上は最終的には抜歯治療による口元の後退を希望する。

2021年2月3日水曜日

弘前市森町の忍者屋敷について その3

奥行きが広すぎて物置になっている

弘前市仲町の旧岩田家 床の間の仕様に注目

 床がなれば、鶯張りか



これまで何度か、弘前市森町にある忍者屋敷について考察してきたが、忍者屋敷とされる最大の根拠、床の間裏の隠れ部屋についてさらに考察する。

 

最初のブログでは、この部屋は物置と、2回目のブログでは便所でないかとしたが、今回は床の間の構造から考察してみたい。

 

床の間は客間に設けられた一定の空間で、ここには掛け軸や生け花を飾る場所で、日本家屋では欠かせられない空間であり、昔の家ではほとんどの家にあった。我が家も一応、八畳の日本間を作り、そこには床の間も作ってもらい、掛け軸や陶器を飾っている。伝統的なものであるが、なかなか良い空間であり、気に入っている。

 

正式な床の間は、床の間、違い棚、付け書院の3要素が揃ったものであるが、よほどの大邸宅以外、こうした3要素が揃うことはなく、せいぜい床の間と違い棚のセットが限界であり、多くの家では床の間の横には押し入れや仏壇が置かれることが多い。そこで問題になるのは床の間の幅と奥行きであり、押し入れ、仏壇は収納を考えるとかなり奥行きが必要となり、半間(90cm)は欲しいところである。ところが床の間の横幅が広い場合は、奥行きが90cmあっても、床の間を二段にすることでなんとかなるが、幅が狭い場合、奥行きが広いと、全く掛け軸や生け花が見えなくなる。そのため、床の間の幅が狭い場合は、奥行きも狭くし、30cmからせいぜい60cmくらいが適切で、下に板を張り、生け花を飾り、掛け軸をかけるといい塩梅となる。そこで押し入れ、仏壇との奥行きの差を埋める方法として、家の側面から押し入れが外に出るようにする方法と、逆に床の間の裏に空洞を設ける方法がある。押し入れが90cmとし、床の間が30cmとすれば、その差の60cmが外に出るか、空洞となる。例えば、弘前市仲町の旧岩田家の床の間を見ると、西の座敷では押し入れが後ろに出ているが、奥座敷では床の間の裏に空洞を作っている。奥座敷の横の縁側は床の間手前で終わっている。

 

こうした例を見ると、森町の座敷、床の間はかなり幅が狭く100cmくらいしかなく、奥行きも30cmくらいしかない。ただ掛け軸、生け花を置くことを考えれば、このくらいの奥行きで十分である。旧岩田家では床の間の裏をただの空洞にしたが、森町の忍者屋敷では縁側を伸ばし、そこに開口させ、掃除道具などちょっとしたものを入れる押し入れとして活用したのではないだろうか。旧岩田家の例で言えば、床の間の奥行きが30cmくらい、その裏の空隙の幅は60cm

くらいで森町の忍者屋敷と一致する。ただ旧岩田家のほうが床の間の幅が広く180cmくらいあるのに対して、森町の忍者屋敷は100cmくらいとなっている。

より奥行きの少ない床の間が望ましい。

 

弘前市教育員会では、昭和60年頃に弘前市内の武家屋敷を調べ、かなり詳しい報告書をまとめている。この本に記載されている建物もここ3040年でかなり無くなっているだけに、今では貴重な報告書となっている。ただこの報告書では森町の忍者屋敷については記載されていない。調査で見つからなかったという解釈もあるが、前の戸主、相馬貞三さんは弘前市文化財審議委員を務めており、自分の住まいが江戸時代のものであれば、当然、この報告書でも取り上げられたであろう。おそらく仮に江戸時代といっても幕末に近い頃の建物かもしれない。

 

鶯張りの廊下についても、京都の知恩院の鶯張りの廊下は修理をすると鳴らなくなり、今まで鳴っていなかった廊下が老化のために鳴り出し、鶯張りはただの劣化によるという説がある。それでも金具「目かすがい」などの構造はやや意図的に鳴るようにしているのかもしれない。忍者屋敷の鶯張りの板も実際に分解すれば、すぐに意図的に鳴るように作ったが分かるであろう。

 

考察として

1.     床の間は幅が狭い場合、奥行きはせいぜい30-40cmくらいであり、横に押し入れを作れば、床の間裏にスペースができる。忍者屋敷の隠れ部屋とされるところは、このスペースを物置に活用したものと思われる。

2.     専門家の分析が必要であるが、文化財審議委員が住む家が江戸時代の武家屋敷のカテゴリーから漏れる可能性は少なく、そもそもかなり新しい建物の可能性がある。

3.     忍者屋敷とされるもう一つの根拠、鶯張りの板についても、単純な劣化、経年変化の可能性がある。この板がオリジナルなものか、あるいは音が鳴るような構造になっているか、分解し、専門家が見れば分かるだろう。

4.     現状では、こうした疑問点を考えると、森町の古民家が実際に忍者が利用した日本では唯一の忍者屋敷とする根拠は少ないように思える。

 

2021年2月1日月曜日

青森県に多い姓

 




 関西出身の私が、弘前に来てから思うことは、こちら特有の名前があることである。同じ日、同じ時間に“三上”と言う姓の患者さんがいることも珍しくない。


1.     三上

名字由来NETで調べると三上姓は全国72800名で、青森県に多く、13600名、そして市町村では弘前市が多くおよそ5000名となっている。他には島根県、広島県にもこの姓はそこそこいるが、私が知る限り三上姓は青森県出身がダントツの多い。


2.     工藤

工藤姓は全国的にも多く、212000人いるが、その濃度が濃い。青森県には40100人、弘前市には6900人もいる。人口が17万人くらいなので、30人に一人が工藤姓となる。上記の三上姓と合わせると12000人で、実に13人に一人が工藤か三上となる。

 

3.     

今と書き、“コン”と呼ぶ。今東光の今である。全国では19300人、青森県に多く6900人、弘前は1200人となる。この姓もほぼ青森県特有である。

 

4、 奈良岡

女優の奈良岡智子の姓である。全国で2900人、青森県に1500人、弘前に690人で、ほぼ津軽独特の姓である。

 

4.     蒔苗

蒔苗は“まかなえ”と呼ぶ。全国で1600名、青森県に940名、弘前市に590名いる。青森県でも弘前市に集中し多い。

 

5.     成田

成田姓も全国的に多いが、意外にも青森県が最も多い。全国で106000人、青森県で19000人、弘前市で4000人いて、弘前市では工藤、三上姓についで多い名字である。


6.     棟方

全国で4500人、青森県で2200人、さらに弘前市は620人で、青森県の姓といってもよかろう。


7.     福士

全国で15800人、青森県に6000人、弘前市に1600人いる。津軽独特の姓であり、関連する姓として福真はもっと少なく、全国で120名、青森県に40名、弘前市に20名いる。


8.     葛西

葛西も全国的な名であり、全国に30300人いて、青森県に11200人、さらに弘前市に2500人いる。弘前では四番目に多い名字である。


9.     小山内

小山内は、全国で13700人、青森県に5800人、弘前市に2200人いる。同じ系列の長内は、全国で11200人、青森県に4500人、弘前市に950人いる。

 

10. 笹森

笹森姓は全国で5700人、青森県で1500人、弘前市で390人いる。

 

11.鳴海

鳴海姓は全国で14200人、青森県で4400人、弘前市で1000名いる。全国的に広く分布しているものの、青森県の濃度が濃い。


12. 

神と書いて“じん”と読む。全国で13800人いるが、青森県に5600人、弘前市に1000名いる。めずらしい名字である。


13. 一戸

一戸(いちのへ)も珍しい名字で、全国には9400人、青森県には4600人、弘前市に1100人いる。


14. 外崎

 外崎も珍しい苗字で、全国には6100人、青森県に2600人、弘前市に570人で、ほぼ外崎の名字は津軽の名であろう。


15.阿保

阿保の名字は青森に来て初めて知った。全国では4000人、青森県に1900人、弘前市には710人いる。同様の安保は青森に少なく、秋田県に多い。


16.赤石

赤石姓は、全国で11000人、青森県で1900人、弘前市では560人だが、群馬にも多く、この名字の二位は群馬県みどり市の530人、三位は伊勢崎市の360人となる。分布が青森県と群馬県に分かれる。


17. 原子

原子と書いて“はらこ”と呼ぶ。“原子力”と言う人がいるが“はらこちから”と呼ぶ。全国で2900人、青森県で1600人、弘前市では180人いる。

 

18. 桜庭

桜庭姓は全国で12100人で、北海道が最も多く2800人、次は青森県で2500人、市町村で多いのは弘前市で820人いる。北東北を中心にこの名が多い。

 

他にも石郷岡、毛内、珍田、開米、蛯名、白戸、盛、新岡なども津軽に多い名字である。沖縄、鹿児島にも珍しい姓が多いが、どうも中央から離れれば、独特な姓が多くなるようである。