コツコツ集めて20以上になった |
土屋嶺雪は兵庫県、明石を中心に、大正から昭和にかけて活躍した画家であるが、いずれの美術集団にも所属しなかったため、今日では文献上の記録もほとんどなく、全く忘れられた画家となっている。画風は、動物画から南画、歴史画と幅広く、決して同時期、同画風の、帝室技芸員、橋本関雪と劣るものではないが、その評価には雲泥の差がある。
展覧会というと、美術館が企画したり、倉敷の大原孫三郎のような大金持ちのコレクションを展示するものと考えられているが、本当にそうであろうか。昔は、ある画家の作品を集めようとすれば、画商や骨董屋に頼み、彼らはその作家の作品を持っていそうな家に行って直接購入する。作品を持つ人はできるだけ高い金額で売りたいと思うし、画商や骨董屋は買った値段に相当マージンをとって、依頼者に売りつける。結果として、かなり高い買値となる。そうしたことができるのは、金持ちしかおらず、昔の骨董屋はものを仕入れる場合、誰に売るかをまず考えて買った。骨董屋からものを買う客も、例えば偽物や作品の質に比べて売り値が高いと考えても黙って購入した。ここで買わないといい作品を売ってくれないからである。ある作家の作品を集めるというのは、大変時間がかかるし、金もかかる。そしてこうしたことができるのが、美術好きの一部の金持ちとなる。美術品を画商、骨董屋から買うという流れは1990年代まで長く続いたが、その後、ネットオークションの登場はこうした旧式の取引に大きな衝撃を与えた。
美術のネットオークションでは、おそらく旧家や絵画のコレクターから出た遺品をほとんどタダ同然の値で買い上げ、それをネット上でさばく。1000円で購入したのが、1万円で売れれば9000円の儲けとなる。本来は1000円で購入したものを10万円で売りたいところだが、在庫を増やすより、1万円で売って流した方が良いというのがネットオークションの世界である。おそらく感覚的にはネットオークションの落札価格は、骨董屋の半分から1/4となり、開運なんでも鑑定団の鑑定額の1/10位となる。逆に言えば、これまでの画商や骨董屋は買値の10倍くらいで客に売っていたのが、オークションでは、2、3倍位となる。在庫期間の長い商品は価格を高くしなくては、経営は成り立たない。逆に回転率が高ければ、利益が少なくても良い。
日本の建物から、床の間がなくなって久しい。床の間がないと、掛け軸を買っても掛けるところがなく、必然的に掛け軸の人気はない。そのため、今、日本では掛け軸はバカみたいに安い。明治、大正期に活躍した画家でも、数千円で買えることも珍しくない。そうなるとそこそこの画力があっても、今やほとんど忘れられた画家となると、本当に安い費用でコレクターになることができる。また贋作も真作も値段が変わらないというおかしな状況となる。
私は、兵庫県の明石に長く住み、神戸を中心に人気のあった土屋嶺雪の作品をここ十年くらい集めている。価格は平均して1万円くらいで、それほど高いものではない。それでもコツコツと集めて作品も20以上になった。いっぱしのコレクターになった気分である。一点一点の作品を見ると平凡でもまとめてみると、それなりに画家の個性や画力を知ることができる。そのため一度、弘前レンガ倉庫美術館で、土屋嶺雪の個展を開いてみたいと思っている。記録によれば土屋嶺雪単独の個展はなく、もし実現できれば、土屋も草葉の陰で喜ぶことであろう。ギャラリーレンタル料は一週間で2万円くらいなので、何とかなりそうであるが、モダンな美術館で掛け軸を中心とした展覧会は気が引ける。まあ美術の流行も一周回ってワンの傾向もあるので、現代絵画を見た後にこうした大正から昭和の絵も新鮮に映るかもしれない。一応、テーマは決まっており“勝手に展覧会”あるいは“なんちゃって展覧会”と考えている。弘前であれば、平尾魯仙の作品を持っている人や下澤木鉢郎の版画が好きで集めている人もいよう。また古い弘前の絵葉書や写真をコレクションしている人もいよう。そうした人が“勝手に”、“なんちゃって”展覧会をするのも楽しい。
最近では全国的に、現代絵画美術館が流行っていて、一部の美術評論家をそのおしゃれさやかっこよさを持ち上げるが、実際にはよくわからないという人が多い。美術館の大衆化を目指すなら、どちらの方向に向かうかわからないが、いろんなことにトライをして欲しいところである。
0 件のコメント:
コメントを投稿