2022年9月23日金曜日

「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」 弘前レンガ倉庫美術館

 

明治初期 地図 レンガ倉庫美術館周辺、代官役所が堀越、和徳役所になっている

レンガ倉庫美術館周辺(1972)

明治2年弘前絵図 美術館周辺


弘前レンガ倉庫美術館に来た。65歳以上は無料ということもあり、開館以来、新しい展覧会があれば、見にいくようにしているが、正直に言って、あまり面白い、ウキウキするような企画はなかった。どうも美術館としてはサイズが小さいためか、あるいは映像や立体美術を主体とした展示のせいか、入場して、出るまでの時間が早い。ひどい企画となると入って、出るまで15分もかからない。現代美術が既成概念の打破を目指すのであれば、別に面白い、感動する、印象に残ると言ったものを作家は意識する必要はなく、そこに観客の眼を考慮することもない。ただこれはあくまで作家本人の言であり、美術館自体は、それをいかに一般市民の眼を意識して、面白くするかは重要で、その目的は入場者数で表される。

 

先日、青森県立美術館で「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」は、展示構成を建築家の田根剛がしていたが、展示方法が大胆で、かつカメラ撮影も許されていたので、多くの観客が盛んに写真を撮っていた。見応えのある展覧会で、何度もリピータする人もいる。電車で弘前に帰ったが、車中に新青森駅で降り、新幹線で帰る観光客数名がこの展覧会のグッズを持っていた。おそらく県外からこの展覧会をわざわざ見に来たのであろう。

 

弘前レンガ倉庫美術館で開催中の「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」奈良美智弘前2002-2006ドキュメント展」は、ようやく、おそらく初めて弘前らしい展覧会であった。これまで三回、弘前で行われた奈良さんの展覧会を見たが、その時の、雑然とした、おもちゃ箱をひっくり返したような、ウキウキ感は少ないが、それでもようやくという感がして、個人的には嬉しかった。同時に、当時のポスターや展示物などを見ると、既視感を強く感じ、あたかも20年前に戻ったような不思議な感覚を持った。建物は全くリニューアルされたが、そこに潜む建物の主のようなものが働きかけているのかもしれない。展示は来年の3月までなので、外が雪に時期に来れば、また印象は変わるかもしれないし、あるいは進化する展覧会を目指すなら、例えば、奈良さんの愛した古いレコードジャケットを展示している空間で、当時のレコードを古いオディオシステムで流す、あるいは一階の広いスペースで愛した映画上映会を開く、あるいは募集した若者の企画を実際に行うなども考えられる。

 

雪の季節であれば、広い芝生の敷地を生かし、子供達がプラスティックのソリで遊べるようなコースができないか、クリスマスに野外でフランス映画「ロシュフォールの恋人たち」の上映できないか、あるいは子供達や養護学校の生徒たちの作品も一緒に展示できないか、などいろんな取り組みが考えられる。そうした進化、発展する展覧会も面白そうである。

 

芸術には解説はいらないという人もいる。作品そのものを感じてもらえばよく、解説は必要ないと。一方、文字、あるいは解説も一種の芸術と考えるなら、文字の持つ意味を作品に反映させればよい。今回のレンガ倉庫美術館の展覧会では、文字情報が適切に活用されていて、それも面白かった理由である。県立美術館の「ミナ ペルホネン」でも最も観客の注目を浴びていたのは、皆川の服そのものを着ている人の感想を展示したエリアであり、服と人の関係を強く印象付けられた。今回の「もしもし、奈良さんの」でもボランティアで協力した人々の記念写真が多く展示されていたが、その中にも見知った人がいて、写真を見て、知った人を探すという行為自体が、この展覧会の弘前との結びつける強い要素となっている。実際、私のところの受付は、奈良さんと家が近く、同級生で、また私も一度、奈良さんが土手町の中土手魚菜センターで、何か買っているのを見たこともあり、テレビで喋る津軽弁とともに、身近な存在である。

 

会期も長いことから、企画展覧会ではあるが、中身をどんどん変えていって欲しい。今回の展覧会では、奈良さんの本格的な絵画作品は、高松市美術館の(milky lake)くらいであったが、できれば個人コレクションも含めて絵画作品をもっと見たい。会期の終わる来年の3月には、今の展示とは全く違うような内容となってくれることを期待したい。



リニューアル前





2022年9月19日月曜日

なくなった仕事

 


にしむら文具店だったか?




「失われゆく仕事の図鑑」(永井良和ほか、グラフィック社)には名曲喫茶、バスガール、サンドウィッチマンなど今では見かけなくなった仕事、機会を紹介している。著者の一人、永井良和さんは1960年、尼崎生まれで1956年、尼崎生まれの私とほぼ同世代、同環境に育っているので、ここで紹介された仕事、場所、機械など懐かしい。それでも一部の仕事は抜けているようなので、説明する。

 

1.虚無僧:禅宗の一種である普化宗の僧侶で、尺八を吹きながら旅をする。こうした行為自体が修行となり、托鉢により生活していた。黒に近い紺色の着物を着て、深い編笠をかぶり、一軒一軒の家の門前で尺八を演奏する。そして幾らかの托鉢をもらう。昔、診療所の前で見た時には本当に驚いた。というのは、当時の人気ドラマ「隠密剣士」そのものを実際に見たからである。特に演奏することもなく、そのまま歩いていったが、今から考えると、「隠密剣士」の人気にあやかった可能性もある。まるで江戸時代からタイムスリップして出現したように思えた。

 

2.カタ:素焼きの型に粘土を詰めて、それを取り出し、金粉、銀粉で彩色しておじさんの見てもらう。おじさんは独断でその作品に点数をつけ、上位の作品を店先に並べる。尼崎の家の近所でいうと、難波小学校の横の難波公園、それも公園内にある愛の園幼稚園の横で、年に数度、おじさんが店を開いていた。金粉などは小さな紙に入っていて、確か10円くらい、粘土も10円くらいで、点数をためると本物の素焼きの型をもらえた。大型で、色を多く用いた、金のかかった作品には高い点数がつけられていたが、これが商売であろう。

 

3.ゴム鉄砲:針金で作ったゴム鉄砲は、主として難波小学校の正門前で売られていた。何種類かの型があり、中には連射も可能な鉄砲もあった。おそらく売り物は、売っていたおじさんの手製のものだったのだろう。洋服ハンガーに使うくらいの太い針金でできていたが、買って帰ってもマッチ箱を倒すくらいしか遊べないので、子供達はむしろ銀玉鉄砲の方が好きだった。こちらの方がカッコよく本物感が強かった。

 

4.タバコ屋:昔の大人、男の人はほとんどタバコを吸っていた。親父に頼まれ、近くの散髪屋の前にあったタバコ屋に「いこい」、や「ハイライト」を買いにいった。お釣りはお駄賃としてくれたので、嬉しかった。小さな窓があり、その下には各種のタバコが並べられていた。ガラス窓を開けて中にいるおばあさんに「ハイライト一個」というとおもむろにタバコを出してきた、お金は払い、お釣りをもらう。中のおばあさんはヨボヨボだったが、いつも着物で正座して座っていた。今考えると、それほど歳はとっておらず、せいぜい70歳代だったと思うが、昔の人は平気で長時間正座ができた。当時、タバコ販売は専売制だったので、年寄りの小遣い稼ぎに株を買ってお店を開くことが多かった。タバコ販売のマージンは10%なので、年寄りの小遣い稼ぎとしては割りのいい仕事であった。自動販売機が多くなっても、お札のお釣りが出なかったので、まだまだこうしたタバコ屋があったが、それでも年寄りのためか、五千円札と一万円札を間違えることも多く、いつの間にかなくなってしまった。

 

5.駄菓子屋、お菓子屋:昔は子供が多かったので、近所には3件ほどの駄菓子屋があった。一番近いのは5軒隣にあった駄菓子屋で、ここが馴染みの店であった。「ベロベロ」という寒天で作った菓子に、きな粉をまぶして食う。5円か10円で券を引き、当たると大きなベロベロをもらえた。新聞紙にこのベロベロを入れてきな粉をかけたもので、今思えば、汚いものであった。他にニッキ汁を印刷した紙を舐めるような菓子や細い試験管のような容器に入ったゼリーのようなものもあったが、どれも汚いもので、子供はこうした汚いものが好きだった。他にはセンター市場近くの駄菓子屋は割と大きく、べったんやベイゴマなども売っていたし、あとは家の裏の細い道を南に下がったところにも駄菓子屋があった。ここはかなり年配におばあさんがしており、子供らからすればカモでよく万引きされていた。また小学校の高学年になると、駄菓子屋でお好み焼き、たこ焼き、ちょぼ焼きなどを売るところが増えてきたが、値段は子供用なので、安かった。

センター市場にあったお菓子屋は、ガラスの陳列ケースにお菓子が入っていて、グラムで注文し、白い袋に入れて秤で測って売っていたが、子供がここで買うことは滅多になく、せいぜいキャラメルやドロップを買うくらいであった。

 

6.文具屋:難波小学校の正門前には西村?文具店があり、そのショーウインドーにはプラモデルの完成品が飾れていた。学校から帰宅する際には、この店の前で子供達は食い入るように完成模型を見ていたが、なかなか高くてプラモデルは買えない。店に入ると右手の棚にたくさんのプラモデルの箱が置かれていて、横には竹ひごで作るゴム飛行機にキットが吊り下げられていた。また玄関の左手には切手やコインが確か並べられ、肝心のノートや鉛筆などの文具は奥の方にあった記憶がある。そしておばさんが奥の方にいた。かなり狭い店で、子供が5人もいれば身動きできない。他に裏門のところにも文具店があったが、ここは、主として教科書の販売店で、年度始めに教科書をもらいにいくくらいしか行かなかった。あとは近所の風呂屋近くにも文具屋があり、ここは子供向けのものが少なく、普通の文具が売られていた。昔は結構、こうした小さな文具屋が近所に何軒もあった。

 

7.牛乳屋:今は牛乳といえば、スーパーで買うものと決まっているが、昔は牛乳屋というものがあり、ここで売っていた、家の近所にも牛乳屋があり、牛乳の入ったガラスの容器を木箱に詰めてオート三輪で、各家に配達する。朝早く方ガラス瓶が擦れるガチャガチャという音でやかましい。牛乳は朝食で飲むと決まっていたので、新聞と同じく、牛乳配達も開け方から配達し、家の前に置かれている小箱に牛乳瓶を入れていく。直接、牛乳屋で買うこともできたが、朝の仕事が終わると、全く静かでなかなか店員さんが出てこない。1リットル入りの大型の牛乳瓶ができたのはかなり後になってであり、それまでは200ccくらいの牛乳瓶に紙の蓋とセロファンの覆いがしてあり、一時、牛乳の紙の蓋を使った遊びが流行った時は、回収した空瓶に紙の蓋をつけたままのものがあったので、ちょろまかして持ってきた。

 

8.移動パン屋(ロバのパン屋)、八百屋、魚屋

「ロバのおじさんチンカラリン」の音楽とともに、馬に引かれた馬車がくる。馬車にはたくさんのパンがあり、近所から人が出てきてパンを買う。子供心にロバが道を通るのが珍しく、この音楽が鳴ると一目散に道に飛び出ていた。八百屋はかなり大きな荷車にたくさんの野菜を積んで、売っていた。家の近くに来ると近所から主婦が集まり買っていた。屋根付きの荷車だったので、多分、車であったのであろうが、どうも人力、あるいはオートバイで引っ張っていたような記憶がある。魚屋は、よく覚えていて、商業用の自転車の後ろの荷台と横のサイドカーに魚をつみ、注文を受けてさばいていた。固定客がいてその家の前に来ると、今日はこんな魚が入りましたといって勧める。客の方もせっかく来たのでだからと買う。一度、腐った魚を買ったことがあり、その時はうちの母もかなり怒り、それ以降は移動魚屋で買うことはなくなった。こうした魚屋、弘前ではつい最近まであり、やはり自転車に魚を積んで売っていた。結構、年配の方には便利なもので、電動自転車などと組み合わせれば、エコな商売になりそうである。

 

9.飛行機からの宣伝ビラ

子供の頃、それも小学校1年生くらいの記憶であるが、セスナ機から雪のように散布されたチラシを集めていくと、いつの間にか全く行ったこともないところに迷子になった経験がある。一瞬、やばいと思ったが、しばらく歩くと難波小学校が見えてきて、ひどく安心した記憶がある。それにしてもセスナ機から宣伝ビラを撒き散らすのは今では考えられないくらい豪快である。そういえば、空から音が聞こえてきて、ふと上を見るとセスナ機に大音量のスピーカーを搭載して宣伝していたこともあった。結構うるさい。

 

 

かなり長くなったので、これで終了するが、これ以外にも「失われる仕事図鑑」にない仕事として、お見合いババア(好きな人の親に結婚の橋渡しをする、徳島県脇町)、スタンド(酒屋)、研ぎ屋、洋服の仕立て屋、そろばん教室、竹竿屋、おもちゃ屋、漬物屋などは、今あっても随分と減った仕事である。

 

 


2022年9月15日木曜日

最も安い歯科用カメラ 2 (リコーWG-6)





バンド(拡大)
歯列模型(下顎)


実際の撮影結果を示す。まずリングストロボを有効に利用するために、設定を行う必要がある。ダイヤルの「Auto」ではリングストロボが使えないので、この設定は「P」モードとする。そしてストロボモードを「リングストロボ」に設定する。それと忘れないようにして欲しいのが、フォーカスモードでこれを「マクロ」にしておく。さらにホワイトバランスも「リングストロボ」に設定しておく。私の場合、通常、1/3倍で写しているが、このカメラではズームを操り×2.7くらいがいい。まとめるとPモード、リングストロボ、フォーカスモード(マクロ)、ズーム(×2.7)の条件で撮影する。ただこのカメラを使った初めての撮影なのか、上下咬合面のミラーを使った画像のピントがやや甘い。今まで使っていた歯科用カメラは、実像に比べてやや赤みが強く、このWG-6ではホワイトバランスを”Auto"にすればやや白く、”リングストロボ”にすればやや黄色いが、どちらがいいかは選んでほしい(下記写真の上がAuto、下がリングストロボ)。解像度はやや甘いが、通常の口腔内撮影であれば、十分な範囲である。ただこのカメラではPモードでも露出優先、マニアル撮影ができないので、被写体深度の調整ができないのが難である。これまでの歯科用カメラは全てマニュアル設定、口腔内は、正面、側方は絞りF20、シャッタースピード200、上下咬合面はF1816、顔写真はF5、瞳にオートフォーカス撮影していた。出来るだけ絞りを大きくして撮影していたが、WG-6ではこうした操作ができず、全てオートとなり、見ているとF5.6、6.3とかになり、やや被写体深度が浅い。顔写真については、ダイヤルを" Auto"にすれば、通常のカメラ同様に全く問題はない。また画像修正が容易なraw画像での保存ができず、全てjpeg画像のみとなる。

 

他に技工物や、前歯であれば、かなり拡大して撮影できるし、印刷物の撮影など、日常の院内の記録には、このカメラ一台でほとんど対応できる。歯科用カメラを持っていない歯科医院では一台持っていて、必要な時には口腔内を撮影すれば良い。かなり軽いし、落としても壊れず、衛生士やカメラ初心者にも扱いやすい。実際にかなり乱暴にしても壊れないため、子供用のカメラにしている例もあり、カメラとしての操作性も簡単で、扱いやすい。スマホのカメラ機能が高く、今月号のクインテッセンスにもスマホに専用のリングストロボを使った口腔内撮影法が紹介されていたが、個人的に自分のスマホに患者の写真など仕事上の記録を入れたくないし、それ専門のスマホを買うくらいならカメラを買った方が安い。ただ欠点としては、このリコーWC-6は患者からすれば安っぽく見られることくらいか。

 

画像管理ソフトは色々あるが、歯科用となるとかなり高くなるので、“Word”である程度の雛形を作り、そこに画像を貼っていく方法が良い。この場合、まずIDを作る必要があるが、一番簡単なのは、まず最初に患者のカルテの表紙を撮影する。カルテ番号や氏名などがあるので、IDとなる。ワードの雛形は、カルテ番号、名前欄、そして大きさを揃えた顔用の3つのテキストボックス、口腔内写真用の5つのテキストボックスを作っておく。顔用は正面、斜め、側方の3つのポーズ、口腔内は正面、左右側方、上下咬合面の5枚の写真を一群とする。まず撮影したSDカードを、私の場合はアップルなのでプレビューで画像を見る。そして最初に撮影したカルテ表紙から、ワードの雛形のカルテ番号と名前を打ち込み、次に画像をワードに大きさを合わせて貼っていく、上下の咬合面は上下左右を反転して貼っていく。ここまで慣れれば5分くらいで終了する。その後、A4くらいの写真用紙に”印刷品質“のきれいで印刷していく。少し高いがエプソン用紙であれば、ライトに印刷するのが綺麗である。

 

私の診療所では写真撮影は全て私がすることにしている。そして撮影した写真のコンピュターへの入力と管理はスタッフに任せているが、なぜだか知らぬ間に写真の印刷は私が担当することになってしまった。忙しい時に、SDカードを机に置かれ「先生、お願いします」と言われて、セコセコと画像を貼っていき、印刷するが、これが面倒であり、先生方は是非、スタッフにさせるようにして欲しい。またSDカードも容量の多いものを使うと、保存、プリントに時間がかかるため、2GBくらいのもの、あるいは撮影したらすぐにプリントするくらいが良い。容量の大きいSDが満杯になってから処理しようとすると莫大な量となる。


口腔内撮影(正面)






口腔内写真(クローズアップ)









口腔内写真(矯正治療中)

最も安い歯科用カメラ 1


 

         



解像度は、普通

マクロでの撮影だが、これも画像としては普通



鹿児島大学歯学部矯正歯科学講座のOBによるアンケート結果に、リコーのWG-6が歯科用カメラとして使えるのではないかという意見があった。リングフラッシュ付きという珍しいカメラなので、気にはなっていた。口腔内写真は矯正歯科では必須のもので、以前、フィルムカメラの時代は、ニコンのメディカルニッコールという専門の撮影カメラを用いて検査を行った。フィルム写真なので、写真屋にフィルムを出して現像が出来上がるには少なくとも3日後となるため、うまく撮影できたかはすぐにわからない。新人教育では写真撮影も実習するが、撮影と結果の時間的なズレが苦労した、今はデジタルカメラで撮影してすぐに結果が出るので、こうした新人教育も楽になった。

 

現在、診療所では、ニコンの一眼レフカメラにシグマの70mm マクロレンズ、HISのリングフラッシュというもので、かれこれ13年近く使っている。1/3倍の倍率、露出20、シャッタースピード1/200、手動でピントを合わして撮影している。現在、同じようなシステムを組むと、安くあげても15万円くらいになると思う。矯正専門で開業しているなら、口腔内写真用のカメラとしてこれくらいのものを持ってもおかしくはないが、一般歯科ではもったいないような気がする。一般歯科では、もっと簡単で、手軽な製品に人気はある。松風のアイスペシャルという27万円もする歯科用カメラがあるが、1200万画素のカメラとしては高い。あまり利用機会がない歯科医院では敷居の高い値段である。リコーのWG-6はアマゾンでの価格は税込み43380円で、安くはないが、他の歯科用カメラよりは安い。私の場合は、神奈川県海老名市のふるさと納税の返礼を受け、先日、カメラが届いたので、その撮影結果を二回に分けてレポートしたい。

 

結論を先に言おう。リコーWG-6は十分に歯科用カメラとして使えそうであり、それほど撮影頻度が高くない一般歯科では、これくらいのカメラで十分であると思われる。昨日は日曜日であったので、このカメラを持って散歩に出かけ、色々と撮影したが、正直、有効画素数が2000万画素とされるにしては、解像度は低い。撮影した画像をコンピュター上で見るのだが、大きく拡大すると、途端に解像度が低下する。私の持つ、シグマのSD Quattro3900万画素には及ぼないのはわかるが、ソニーRX1002020万画素に比べてもかなり解像度が落ちる。実際の風景写真を比べると、上記シグマ、ソニーの写真は立体感があり、画像自体に力があるが、このリコーWG-6の画質はかなり落ち、平凡である。ソニーのRX-100がアマゾンの実売で54800円、リコーWC-643380円だが、日常使いのカメラとしてはソニーが圧倒的に優れている。

 

 リコーWG-6は、防水20m、耐衝撃2.1m、耐荷重100kgというヘビーディーティの仕様となっており、工事現場での活用を目的にしている。さらに近接したものまで撮影できるように通常のストロボとは別にレンズ内にリングストロボを内蔵している。これが大きな特徴となっていて、顕微鏡モードという1cmの超近接での撮影が可能である。歯科用カメラでは、マクロレンズと影ができにくいリングストロボのコンビが必要であり、現状では80-100mmのマクロレンズ(Nikkor 85mm macro, Tamron90mm)、ニッシンデジタルMF18と安い一眼レフカメラでいいであろうが、それでも10万円近くとなる。


2022年9月11日日曜日

昔の歯医者さん

 



私の家は兵庫県の阪神尼崎駅から歩いて10分ほど、東難波町というところにあり、歯科医院と住まいが一緒になっていた。家の前の道は、今は閑散としているが、1970年代頃までは臨海にあった旭硝子など工場に通勤する人でごった返していた。朝の7時頃になると灰色のユニフォームと帽子をかぶった工員が、それこそざっくざっくという音を立てて、兵隊さんのように行進した。それを見越してか、近所にも多くに店が並んでいた。診療所の南隣にはクリーニング屋が、前には菓子屋があり、北隣りは酒屋、そして道を挟んで牛乳屋があった。三和商店街に向かう道には、他にも外科病院、味噌屋、散髪屋、お好み焼き屋、味噌醤油屋、駄菓子屋、タバコ屋などがあった。多くはこうした工員を目当てにしたものあった。今は老人福祉施設がある一帯は、旭硝子の課長以上の社宅がずっと並んでいた。小さい家ながら門があって、前庭があり、平家の木造の家が十軒ほど建っていた。

 

広瀬歯科医院は、坪数でいうと15坪くらいしかなく、一階、玄関入って左が患者待合室、右が診療室となる。JRの立花駅近くの歯科医院に勤務していた父が、その先生の分院であった東難波の診療所を借りて開業したのは、昭和30年頃で、私の生まれる前であった。診療所には二台の歯科用ユニットとその奥には小さな技工室があった。家族がいるのはこの技工室のさらに奥の和室で、多分6畳くらいの部屋に台所兼食堂があり、家族はそこで食事を作って食べた。またトイレもその台所の横にあり、小学校に入る頃にはそのトイレの横にさらに風呂ができ、よくこんな狭い空間にトイレ、風呂、台所、食堂があったと不思議な感じがする。確かお手伝いさんは夜になるとこの部屋で寝た。二階に行くのは、角度45度の急な階段を猿のように登り、そこにはまた6畳くらいの部屋が2つと、3畳くらいの姉の部屋、そしてこれも小学校くらいに増築した兄と私の部屋があった。ここに両親、姉、兄、私、そして祖母、伯母の計7人が寝ていたからほぼ、布団を川の字に敷いて寝た。すごいのは物干し場で、これは増築した子供部屋に設置された二段ベッドからハッチのように階段をつけて屋根に登っていく。ここに2畳くらいの物干し場があった。一度、この物干し場から隣の家の屋根、さらにその隣と2030m屋根伝いに移動したことがある。

 

昭和30年代の歯科医院というと、まだタービンという高速で歯を削る機械がなく、電気エンジンからベルトを介して歯を削った。回転数が遅く、なかなか歯が削れないので苦労したであろう。円形のダイヤモンドディスクをこの頃は多用していた。患者が来るとユニットに座らせ、足でギコギコ踏んで、高さを調整し、首の位置もハンドルを使って固定する。治療は全て立位で行った。電気エンジンでの歯を削るので、焼けた歯の匂いがいつも診療所にただよっていた。患者はかなり痛かったと思う。朝9時から開始し、昼食、夕食は患者を待たせて食べるくらい忙しかったが、親父一人で全て治療していたので、多分20-30人くらいしか診ていないと思う。抜歯器具は煮沸消毒していたが、探針、ミラー、トレー、さらにコップも患者ごとに変えず、気が向いたときにアルコールガーゼに拭いていた。麻酔も青いガラスの注射シリンジに針をつけ、キシロカイン液ボトルから吸い出し使っていた。今思うと、衛生観念は少なかった。治療自体は今とそれほど変わらず。歯が痛いといえば、麻酔をして抜髄をし、根充をするし、予後が悪ければ抜歯した。ただレジンがなかったので、咬合面に限局したI級カリエスもインレーにすることが多く、その場合はワックスを軟化して、窩洞に直接押し付け、彫刻刀で口の中でワックスアップをし、スプル線を立てて、そのまま埋没して、後日、鋳造した。こうした作った金インレーが50年以上経つがまだ口の中にある。ポストコアーも同様に直説法であった。クラウンの場合は、銅でできた個歯トレーを使って、チオコールラバーゴムで印象をとっていた。仕事は10時頃に終わるが、その後、技工室で鋳造や義歯の人工歯配列などをして毎晩11時頃から、三和商店街に飲みに行き、2、3時に帰ってきた。当時は親父も4050歳代で元気だった。


2022年9月8日木曜日

あなたの愛読書は


Tom's Midnight Garden



大好きな本というテーマで友人と話した。大好きなというと、何度も読んだ、長年読んだということになる。私の場合、年間200冊以上、これを30年以上続けているから、すでに6000冊以上の本や漫画を読んできたが、2度以上読む本はほとんどない。確かに本やブログを書くために、弘前の郷土関係の書物は何度も読むことがあっても、それ以外の本は一度読めば、二度と読むことは少ない。そのため、本自体には愛着はあまりなく、読めば、すぐに古書店に売る。それで大好きな本と言われてもすぐに思いつかない。ある人は聖書と答えたが、これを普通の本に入れるわけにはいかないし、また漫画という声もあったが、確かに漫画も本の分類に入れてもいいとは思うが、今回は漫画以外の本について議論した。

 

私の場合、漫画はかなり速読でき、読んだことのある漫画を二度目に読むときは、多分一冊15分くらいで読める。また映画は、早送りで見ることができる。ところが、本の場合は、文字を目で追う作業があるために、一回目よりは時間は早くなるが、それでも相当時間はかかる。そのため、一冊の本を何度も読み、内容を頭に入れたいと思う人は、重要と思われる箇所に下線を引き、二度目に読むときはその部分を読む。私の場合も、本の感想を書くときは、こうした方法をとる。

 

昔、それも高校生の頃、家庭教師をしていたM先生の指導方針で、本を読むとその感想を述べ、それついて議論する時間があった。そのため、大学に入ってもしばらくは、本を読むときには重要な箇所に下線を引き、欄外に意見、感想を書き込む、出来るだけ本を汚して内容を理解する方法をとっていた。こうした方法により、本の内容に対する批判能力は高まったが、これは読書というよりは学習に近く、こうして何度も読んだ本は愛読書とは言えまい。

 

結局、4人のグループで話したが、2人はそれほど本を読まないのか、特に大好きな本はなく、もう一人はアメリカの児童書「シャーロットのおくりもの」を挙げていた。どんな本か知らなかったので、早速アマゾンに注文して読んだ。原題は「Charlotte’s Web」、シャーロットとは主人公ブタの友達のクモの名で、Webといえば何だかコンピュータ関係かと思われるが、原語の“クモの糸”のままである。このクモの糸が奇跡を起こす。児童書も候補に入れてもよければ、私の場合は、イギリス児童文学の傑作「トムは真夜中の庭で」を挙げる。少なくともこれまで三度は読んだ。その幻想的な描写、特に川をスケートで下るシーンは記憶に強く残る。この本は、確かBBCによりドラマ化され見たが、これも本同様に面白かった。

 

個人的に、もう一度読んでみたい本は、トルストイの「戦争と平和」と司馬遷の「史記」の2つの大著である。いずれも20歳代にざっとであるが、読んで感動した記憶があるが、その後、あまりのボリュームに怖気付き、チャレンジしたことはない。また森鴎外の「渋江抽斎」は弘前が関係しているので、これも何度も読んだが、途中で挫折し、最後まで読んだのは一回だけである。内容が難しく、単調なためである。

 

本自体は、随分捨てたが、それでも本棚には数百冊の本がある。もう一度、読もうと思って、捨てずに残された厳選の本なのだが、この本棚を調べてみても、二度は読んだ本は、宮本輝の「花の回廊 流転の海」、司馬遼太郎の「街道をゆく 北のまほろば」くらいしかなく、私の場合は、愛着の本というのはどうもなさそうであり、結局、最もよく読む本は自分の書いた本くらいで、これも出版後はほとんど読まない。




 

2022年9月7日水曜日

私の趣味 原画収集

石井崇さんの作品

西原比呂志の作品




ここ数年、個人的に収集しているのが、本や絵本の原画である。もちろん原画は一点もので、本の挿絵や表紙に使った絵は、この世に一枚しかない。そうかと言って画家の作品かといわれれば、もともと絵として売るものではなく、あくまで本の下絵であり、出版されると世にでるものではない。

 

そうした原画がどうして、ヤフーオークションなどにでるかというと、流出ルートとして、まず出版社が預かった原画を古書店などに売ったと思われるものがある。例えば、上の写真は、春陽文庫の表紙に使われた3人の画家の原画であり、他にも昭和30年代の春陽文庫の表紙がオークションに出ていることから、出版社経由で流出した可能性が高い。もう一つは、このブログでも以前、紹介した絵本作家、田畑精一さんの原画のように、作者が亡くなる前に大量にオークションに出たことから、断捨離の一部として、作家のところから流出したケースである。おそらく作家あるいはその関係者から古書店に話があり、家にある原画の一部を、古書店を介してオークションに流したものと思われる。レディコミの女王、井出智香恵さんの漫画原稿が大量に出回った時期があったが、ちょうど作者が国際ロマンス詐欺で騒がれていた時期に一致し、もう必要なくなった原画原稿を流したものと思われる。

 

まず最初に購入したのが、「おしいれのぼうけん」などで有名は田畑精一さんの原画で、これは入札数も多く、1万円から2万円くらいの落札額となった。ただ作品によっては数点まとめて出品されているので、小さな作品は友達にあげると喜ばれた。大小合わせて10点くらい購入した。次に購入したのが、スペイン在住の洋画家、石井崇さんの「スペイン四季暦」に使われた原画で、あっさりした画風と色彩が楽しい。本自体も購入したが、ここで使われた絵はかなり多く、今後もまだまだオークションに出るだろう。特にファンがいないようで、5000円以下の安い値段で落札できる。そしてつい最近、購入したのは画家の西原比呂志さんが描いた春陽文庫の表紙、「お嬢さん」(鳴山草平)、「緑の旅行カバン」(鹿島孝二)、「恋愛百メートル」(中野実)の3点で、落札価格は3つで4400円であった。

 

こうした本の原画は、大きさを本によって指定するため、かなり大きな紙に描かれている場合が多い。原則的には元の原画原稿そのものを保存するようにしているが、西原さんの原画ではどうしても額にうまく収まらなかったので、原画の余白部分をカットした。以前は、安い額縁を注文して、それに原画を納めて飾っていたが、最近ではイケアのピクチャーフレームがかなり安くてオシャレなので愛用している。写真で示した、白と黒のフレームは大きい方が1499円くらい、小さい方が999円である。診療所の壁に飾っているが、楽しい。

 

最近では、娘や知人のプレゼントに、こうしたヤフーオークションで購入した絵を額に入れて送ることが多い。大抵、額も含めて1万円以内のものだが、皆から喜ばれる。個人的には、リトグラフなどの版画よりは、一点ものとして肉筆原画が好きなので、今後もオークションからは目が離せられない。どの作品も決して将来的に値上がりするようなものではないが、肉筆画にはそれを描いた作者の労力が必ずあるので、好きである。アニメのセル画などは、以前はウォルトデズニー以外のものはヤフーオークションでも安かったが、最近ではセーラームーンなどのフアンが多い作品ではかなり高くなっているし、セル画専門の画廊まで現れている。今後、こうした原画やセル画などもうまく売り方を考えれば、結構売れるかもしれない。

 


 







2022年9月5日月曜日

ブログを始めて19年になります

昔の最勝院、明治初期の手書き地図より、



フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのSNSは、今のところやっておらず、主たる発信源はこのブログである。20072月から始めたので、ちょうど15年たつ。最新の投稿も含めて、ラベルで言うと“その他”が632、“矯正歯科”は330、“弘前偉人”が263、“弘前観光”が220、“津軽人物”が11,の計1456となる。一話の文字数は、最初の頃は短かったが、平均では1600字程度、400字原稿用紙で約4枚、つまり1456話で、文字数は2.329.600字、原稿用紙で5824枚となる。日本で一番長い小説、山岡荘八の「徳川家康」は全26巻で原稿用紙17400枚となるから、この1/3、8巻くらいの分量となる。見ている人の数は、1ヶ月で6000-7000人、これまで延べ116万人くらいとなっている。

 

1000人以上の閲覧者がいるのは105話、その中でも一番多いのは「ウルヴァリン1000マイルブーツ」(2013.4.26)で21603、続いて「パタゴニアR2R3」(2014.2.16)の19782となる。上位のものは「ビーンブーツ」など製品の紹介が多いが、それ以外の矯正歯科の分野で閲覧者の多かったのは、「歯根吸収」(2010.10.5)の14166、続いて「顎変形症の手術方法」(2010.1.28)の7744、そして「デジタルレントゲンはいらない」(2010.7.8)の6700、「顎関節症」(2010.1.7)の6411となる。その他の分野では、「男女の相性」(2015.1.11)の7836、そして「緑十字機の記録 戦争を一刻も早く終わらせるために」(2015.7.10)の4784、「ロイヤルウェディグ」(2011.5.1)の4458、「「江戸時代の美人」(2015.7,5)の3631、「備えあれば憂いなし」(2011.3.18)の3414となる。弘前偉人あるいは弘前観光となるとかなり見ている人は少なく、「明治二年弘前絵図および津軽藩地図」(2010.5.2)の3161が一番多く、「東奥義塾」(2009.5.25)が2248、「ホーハイ節」(2015.12.18)が2071、最近では「弘前の忍者屋敷と早道ノ者1」(2018.2.16)が1917となる。

 

こうしたみると一番力を注いだ、時間のかかった「弘前偉人」は、あまり読まれていないことがわかる。Googleの閲覧者数のカウントがどうなっているかわからないが、何かマスコミで取り上げられると、それに関連するブログが検索され、閲覧者が増えるようである。その点、弘前の偉人、例えば、笹森儀助、あるいは珍田捨巳であっても、全国的にはあまり有名でなく、マスコミに取り上げられることは少ない。

 

一回のブログは、だいたい1600字、原稿用紙で4枚くらいであるが、おそらく若い世代からすれば、文字が多すぎるということになり、ブログからフェイスブック、ツィッターとどんどん文字数は減り、最近最も人気のあるのは画像を中心としたインスタグラムとなっている。今時、ブログを書いている人、読む人の多くは60歳以上と思われ、年配者の趣味となっている。

 

ただブログの中にはかなり専門性の高いものもあり、十分に一冊の書物に相当する内容を持つ。ところが惜しいかな、本にもならず、最近ではブログの配給元が中止となり、時折楽しみにしていたブログがいつの間にか見られないようになっている。このブログをいつの間にか見られなくなるであろう。読者として個人的にもっとも、お勧めするのは、「伝説の阪口塾」(2007.8.3)で、是非、コメントも一緒に読んでほしい。この塾で学んだ多くの先輩、後輩のコメントがあり、昭和40年代の阪神間の塾の様子がわかって面白い。Googleで検索しても、このブログ以外に阪口塾を扱っているものはなく、そうした意味でも、このブログとコメントは中学受験の先駆的な塾、阪口塾を紹介した唯一のものであると自慢できる。


http://hiroseorth.blogspot.com/2007/08/blog-post.html