2026年5月1日金曜日

好意、親切=感謝の連鎖

 


私は、道で迷っている人がいれば、「どうしましたか。お探しのところがあるのですか」と聞く方だし、観光地で写真撮影をしているカップルやグループがいれば、「写真撮りましょうか」と声がけする方である。少し親切にしただけで、ものすごく感謝されたり、喜ばれたり、楽しい会話になることもあり、なんだか一日、暖かい気分になり、嬉しい。

 

ところが最近では、どうも断れることが多い。道はスマホでわかると思っているのだろうし、スマホが盗まれるのを恐れているのかもしれないが、中にはひどい扱いをされることがある。昨年の弘前桜祭り、外国人のカップルに写真を撮りましょうかと尋ねると、男性から「No! No!」と険しい顔で否定され、彼は指を立てて怒った。身なり綺麗にしているし、そんな怪しそうではないと自分では思うが、せめて「No Thank you」くらいは言って断ったらと思う。これ以降、決して外国人、それも白人には向こうから言われない限り、無視することにしている。同様に、道を探している観光客にも、親切に教えようとしても、答えもせず手で横に振って追い払われたこともある。何か、詐欺師か、悪者になった感じで気分は悪い。おそらくこうした人は、他の場所、機会でも同じような対応をするのだろう。

 

人には、親切にする人とそうでない人、親切を受けて感謝する人とそうでない人がいて、多分、親切にする人=感謝する人、親切にしない人=感謝しない人になのだろう。親父は歯科医をしていて、子供の頃は夜間、診療が終わってからでも急患が来れば診ていたが、応急処置をして次の日には来るようにと言っても来ない患者がいた。あくまで好意、親切心から夜中に診療しても、痛みがなくなれば来ない、こうしたことがたて続きに起こると、夜間に電話が来ても居留守を使うようになる。10人が感謝しても、一人が好意を踏みにじれば、二度と親切はしない。これが現実である。

 

関係ない話になるが、診療所に来ると、トイレに入り、いつもトイレットパーパーを半分くらい使い、三度も詰まらせる人がいた。注意をするとかなりキレられたが、おそらく、スーパー、駅、デパート、会社などあちこちで同様なことをしているのだろう。1000人が正しいトイレの使い方をしていても、一人が間違った使い方をすれば、トイレットペーパーは置かなくなる、注意書きをするところも出てくる。問題は、こうした親切をバッサリと拒否する人やトイレを詰まらせる人は、自分が悪いことをしているとは思っていないことである。注意すれば多分キレルので、誰も何も言われない。本人は周囲にどれだけ迷惑をかけているのかわかっていない。

 

最近では、人との接触をさける、煩わしいと思う人が増えてきた。それでも人に親切にされたら、感謝する、喜ぶくらいはしてもよさそうではないか。親切を素直に喜ばない、拒否する態度は、自然に周りの人から親切されなくなり、孤独化していく。最初に述べた白人カップルも片方の女性が彼氏の態度に嫌そうな顔をしていて、何か注意をしていた。多分、写真を撮ってあげると親切に言ってくれているのに、あんなひどい態度を取らなくてもと言っていたのだろう。ただこの白人男子も、過去に写真を写しましょうといわれて好意に甘えたところ、スマホを盗まれた経験があったのかもしれない。好意―感謝の連鎖を続けるのは意外と難しい。百人連鎖が続いて一人のせいで切れてしまう。最近は、電車やバスで席を譲られることがある。以前は少しムッとしたこともあるが、近頃はよく感謝して好意に甘えるようにしている。好意、親切を受けたら、素直に受けて感謝する、好意―感謝の連鎖を切ってはいけない。

 

今年の弘前桜祭りでは、家内と二人で弘前城を散歩していたところ、台湾、中国の女の人から身振りで写真撮りましょうかという誘いがあった。もちろん喜んで撮ってもらい、感謝した。その日、一日楽しい気分になった。一人の白人男性の行為にめげずに、また「Can I take your picture」と言おう。