2024年1月26日金曜日

1/30  ミニチュア自転車 ロードバイク 矯正用機材を使って






 





以前のブログで、引退後は何をしようか、ということで矯正用機材を用いたミニチュアロードバイクを挙げた。一般歯科医と違い矯正歯科医は、単に治療手技が違うだけでなく、技工もかなり違う。例えば、矯正歯科では、金属同士をつなげる蝋着という手法が一般的で、リンガルアーチという矯正装置を作る場合、あるいは指様弾線をくっつける場合も銀ロウによる蝋着が必要だし、とりわけマルチブラケット装置においては、ワイヤーにフックをつける場合に、この手技を使う。これは一般歯科医では滅多に使う手技ではないし、また技工士も矯正装置を扱わない限りあまり使わない。

 

そこでこうした手法を多用したものとしてワイヤーによるミニチュアロードバイクの製作を思いついた。一般的なロードバイクの全長は180cmくらいだが、飾るとなるとあまり大きいサイズは置き場所に困る、といってあまり小さいと細かすぎて作れない。そこで矯正治療でよく持ちいられるワイヤー、私はサンキンのサンプラチナ線、0.9mm0.8mm0.5mm0.4mmを多用し、在庫も多いのでこれを材料として使うことにした。ロードバイク、特にクロモリのチューブサイズは35-40mmくらいなので0.9mm線で作るとなりと1/40くらいとなるが、ミリタリープラモデルでよくある1/35サイズとすることにした。

 

ネットで、好きな、今回はイタリアのレニャーノの古いバイクの写真を引っ張ってきて、それが1/30の全長6cmくらいになるように印刷した。その大きさに沿って、0.9mm0.8mmあるいは0.5mm線で屈曲し、銀ロウで固定した。ワイヤーの曲げや、蝋着はお手のものであるが、設計すると一部、非常に難しい箇所がある。銀ロウで蝋着する場合、蝋着ポイントが近いと、隣の蝋着部分が溶けてしまう。前輪のスポークと本体を繋ぐ点が三箇所の蝋着ポイントとなり、それも近接している。さらに三角チューブとの平行性なども必要なってくる。これをフリーハンドで蝋着していく。何度も何度もやり直してようやくある程度の角度が決まるが、よく見ると歪んでいる。

 

また前輪、後輪については約20mmのサイズとなるが、0.9mm線を曲げて完全な円形にするのは難しく、既製の20mm のメタルリングを使うと今度は断面が円形でない。そこにスポーク,できるだけ細い線として0.4mm線を使い、スポットウエルダーで固定したが、細すぎて、ちぎれるため0.5mm線を使った。全て銀ロウで固定していったが、既製の歯車を本体につけるのは難しく、ここだけ瞬間性接着剤で固定した。維持が弱いようならここも銀ロウで止めたい。

 

最初は前輪、後輪、ペダル共に可動性にしようと、1.2mmの真鍮チューブを購入し、そこに0.8mm線を入れて回転できるようにと考えたが、この真鍮チューブが柔らかすぎて変形し、銀ロウで固定することもできない。熱を加えるとすぐに柔らかくなってしまう。接着剤を使えば、真鍮チューブを使えるが、接着剤には耐久性が低いので、ここは回転できなくても銀ロウでガッチリ固定したい。前回の作品に比べて、ギア、ブレーキ、前輪のスポークも両側にしたし、フレームも塗装したので、少しよくなった気がする。それでもどうもホイールの形が気に入らないし、できれば、ギアにチェンもつけたところである。1/30であれば、タミヤのドイツ陸軍、自転車行軍セットが販売され、それのエッチングキットも売っているが、エッチング部品はどうも取れやすく使う気になれない。チェーンをどうするか、今検討しているところである。

 

あと2030台くらい作れば、かなり製品としては確立するので、希望があれば、売りたいと思っている。まだまだ売り物にはならない。あと二年くらいは試作を繰り返したい。




2024年1月15日月曜日

災害時の輸送に無人ヘリコプター

 




能登半島沖地震の物資救援は難航している。各地で、道路の崩壊が起こり、途中まで車で輸送できても、そこから先に物資を送ることができず、自衛隊員が人力で運んでいる。本当にありがたいことではあるが、こうしたことは今後の災害でも起こりえることだし、戦時下でも同様なことが想定できる。

 

当初はもっとヘリコプターを利用できないかと思ったが、冬場で天候が悪い日が多く、リスクの大きなヘリコプター運航は簡単でない。また一気に大量の機材や物資を送るとなるとある程度の平坦な着陸地点が必要であるが、そうした条件が揃えられないとヘリコプターによる物資を送るのは投下することになる。空中投下もまた住民が住む地点では大きなリスクが伴い、万が一住民の家にあるいは人にぶつかると大変なことになる。

 

YouTubeで人力による輸送を見ていると、道路が崩れ落ち、そこを迂回して石だらけ、泥だらけの山の中を隊員がリュックに食材などを詰めて運んでいる。一人20kgでも相当運ぶのはキツく、余震による新たな二次災害の可能性もある。国内のドローン製造会社により作られた日本UAS産業振興協議会が実験的にドローンを使って短距離、寸断している道路部分で薬を輸送した。これは最悪の場合でもドローンの墜落だけなので、もっとも安全な輸送方法と言え、今後の災害支援のいい考えだと思われる。ただ搭載量は5kgしかなく輸送方法としては用途がかなり限られる。

 

例えば、農薬散布で定評のあるヤマハ発動機の産業用無人ヘリコプターは50kgの荷物を 90kmほど運ぶことができる。少し小型の積載量35kgの「FAZER R G2」で価格は134万円と民生用なので非常に安い。パトリオットミサイル一発、4億円で、何と300機の無人小型ヘリコプターが買える。一機で50kgを運べるとすると300機では15トンの物資を運ぶことができる。ウクライナ戦争では、従来の戦争に比べてドローンを利用した戦いが大きな比重を占めており、それも軍用だけでなく、民生用も多く活用されている。なかば消耗品扱いで、大量のドローンが戦争に使われており、値段が安いことと扱いが普通の兵士でもできることが一つの条件となっている。ヤマハの無人ヘリの場合は、農業でも使用を考えており、農業従事者にも扱えるように、また万が一の場合も損害のないように多くの安全装置がついており、自衛隊の通常の兵士でもある程度訓練を受ければ使えるだろう。実はこのヤマハの無人ヘリは中国も興味を持っていて、以前、不正輸出事件があったくらいである。

 

自衛隊においてもウクライナ戦争の教訓としては、ドローンを使い捨て機器としてもっと活用する戦術が必要となり、同様に災害時においても、大型の有人のヘリコプターも重要であるが、ヤマハの小型無人ヘリコプーターや他の民生用のドローンなども安くてある意味使い捨てで活用でき、こうした機材を利用した作戦も検討してもよかろう。今回の能登半島沖地震で言えば、輸送艦「おおおすみ」、大型の「ひゅうが」、あるいは小松基地を第一次拠点として物資の蓄積し、そこから小型の無人ヘリコプターを活用して、孤立した地域への物資搬送に使う。あるいは初期段階では被害状態の偵察にも使える。道路が寸断したところでは、寸断した道路までトラックなどの陸路で物資を運び、そこから孤立した地域まで無人ヘリコプターでピストン運転をする方法もある。隊員一人で20kgの物資を運ぶなら、無人ヘリコプーではその2倍以上の物資を数十分の1の時間で供給できる。おそらく「おおすみ」や「ひゅうが」であれば、十機以上の無人ヘリコプターは搭載可能であろう。

 

いざ軍用となると、妨害電波、悪条件への対処、爆撃装置など、新たな開発かかり、少数生産となるため、民生用とは桁違いの価格となろうが、むしろウクライナ戦争で分かるように消耗品扱いで、民生用を少し改良する程度で、安い調達費用で数を揃えたい。実際の戦争でも、今回の地震と同様に孤立した集落、地帯への武器、食料などの発送が必要になるケースは想定でき、救援物資を空中投下で行う方法以外にも、少量の物資を無人ヘリ、ドローンで発送する方法も検討しておく必要があろう。できれば防衛庁とヤマハで、災害用に活用できる輸送用無人ヘリ、あるいはドローンの共同開発もあるだろう。川崎重工は貨物搭載能力200kgの大型無人ヘリコプターをつい最近開発した。ローター直径が7mのかなり大型のものである。アメリカでも積載量550kgの無人ヘリが開発されているが、輸送となるとドローンより無人ヘリの方が積載量が多いようだが、あまり大型では今回のような災害救援には向いてない。


2024年1月12日金曜日

引退後の生活

 

大きさは約5c,。1/30スケールです




この4年ほど日本矯正歯科学会の新しい専門医制度に関わってきた。すでに症例審査、ペーパー試験にも合格し、残すは日本歯科専門医機構の講習だけとなった。昨年の11月の日本歯科専門医機構の2022年度までの2単位の講習を受け、今年の初めに2023年度の2単位の講習を受けて、書類を今月末に提出して、合格となる、当然、私もこのスケジュールでの合格を目指し、年末にネットで講習会を聴こうと思ったが、見れず、よく調べると講習会の登録はしたものの、お金を払うのを忘れていた。最近のネットでの講習会はほとんどネット支払いになっているので、すっかり支払ったと思っていたが、銀行振込だったのである。気づいた時にはもはや登録の期限はすぎ、今年度の2単位をとっても足りず、結局、今年はライセンスは取れないことになった。

 

流石に落ち込み、家内に話すと「2年後に閉院すると言って新規患者をとっていないので、いまさらに専門医の資格をとって何の意味あるの」と言われた。なるほど、いまさら矯正歯科の専門医を取得してもすでにホームページも閉鎖しているし、新規患者もお断りしている現状では全く意味はない。ましてや今年度ではなく、次年度以降となるとますます無意味のものとなる。それでもこれまでの苦労、10症例を選んで莫大な手間をかけて提出したり、記憶力が劣った状態での40年振りのペーパーテストや、何度も横浜に行ったり、その時間と金が無駄になるのが何となく悔しい。

 

知人に言わせれば、矯正歯科なら閉院してもバイトなどで稼げると言われるが、バイトをすれば、そこでの患者を最後まで診るとことになリ、結局はやめられなくなり、引退したことにならない。医院のみ残し、台湾にあった検査専門の歯科医院にして、一般歯科から紹介された患者のセファロ、パントモ、平行模型などをとり、トレースして診断、治療計画をして、一般歯科医に送付するような仕事はできないか考えた。一症例あたり5万円くらいなら歯科医院もこちらもメリットがあると考えた。ところが友人に話したところ、そんな無責任なことはやめた方が良い、診断、治療計画を立てても、一般歯科の先生はきちんと治療できないのだから結局は患者のためにならないという声が多かった。つまり引退したなら、変なことを考えずにすっぱりと矯正歯科医を辞めよということである。

 

私から歯科医のキャリアをとれば、何が残るか。友人は、先生は文筆業があるからいいのではというが、これまで5冊本を出版したが、黒字が出たのは1冊だけであとは赤字、とても文筆業などをセカンドライフにできない。せいぜい、趣味で死ぬまでにあと2冊くらい出版できれば御の字である。それ以外の趣味で、毎日、数時間は過ごせ、できれば月に5万円くらいになることはないか。これはこれから2年間の宿題である。歯科医院には結構、クラフトを作る機材が多くあるし、さらに矯正歯科医はワイヤーを曲げたり、それを蝋着する技術を有するので何か、それを利用した趣味兼小遣い稼ぎはできないかと考えた。

 

以前、フランスのThe Model Cyclistのツールドフランスの自転車フィギュアを買ったことがある。大体1/35サイズで、大きさは約5cmくらいの亜鉛合金でできていて、手作りで彩色されて可愛い。5体ほど買って受付に飾っているが、自転車好きの人にはたまらない。大きさもこれくらいが飾りやすいので、1/35サイズの自転車、それもロードレーサーを作れないものか考えた。上手くいけば、これを作製してネットで売れればと考えた。

 

早速、治療の合間を利用して設計に入った。まず自転車のフレームの制作である。実際にクロモリ製のロードレーサーのフレームチューブ径は35-40mmくらいなので、0.9mmのサンプラチナ線をメインに使うことにした。三角形に曲げた0.9mm線を銀ロウで接着した。本来は小型のジグがあれば、もっと綺麗に組めるが、今回は試作なので、フリーハンドで蝋着していった。蝋着部を研磨すると本物のアルミのフレームと同じような仕上がりになった。ドロップハンドルも0.8mm線で曲げて、本体に蝋着した。ペダルは少し径の小さい0.5mmサンプラ線を蝋着した。さらにタイヤも実際のロードレースでは25mm28mmの径のタイヤなので、これも0.9mm線を円形に曲げて、スポークは一番細い0.4mm線を蝋着した。バードピークプライヤで曲げていったので綺麗な円形にはなっていない。既成のものを探した方がよかろう。サドルは、モリタのスプリントレジンで大まかに形態を作って光重合で固め、茶色に塗った。

 

2時間ほどで完成したが、どうも今ひとつで、とても売れるような代物ではない。細部がどうも納得しない。さらに各部の固定に銀ロウを使っているが、仕上げが汚く、材料費がかかりすぎる。かなりの工夫が必要である。さらにサーフェイサーを吹いてから塗装するのか、無塗装の方がいいのかそれも検討を要する。




2024年1月11日木曜日

ネットの力は強い

 



ネット上に医院のホームページを作ったのは2008年頃だが、15年間続けていたホームページを昨年の11月に閉鎖した。開業したころは、ホームページなどを見て来る患者さんなどいないと思っていたので、友人に比べて公開するのも遅かった。1995年の開業以来、新しい患者さんには、どのようにしてここの医院のことを知ったかと聞いていたが、最初の頃は友人、知人から聞いたという本当の口コミによるものが多かった。ただホームページ開設後は、次第にホームページを見てきましたという患者さんが多くなった。

 

数年前からは子供の治療をしていないので、成人患者のみをとっていたが、それでもここ2、3年は年間250名程度の新患がいた。ところが昨年11月にホームページを閉鎖し、新規患者の受付をやめたところ、一気に新患の予約電話が減った。11月、12月の2ヶ月間の問い合わせが5件、そのうち3件は子供の矯正治療についての親からの問い合わせなので、成人患者からの問い合わせがわずか2件しかなかった。昨年の10月までは月に20名くらいの問い合わせがあったことから激減したことになる。もちろん新規患者は受け入れていないので、電話で問い合わせがあっても全て断っているが、そうした情報がこんなに早く周囲に広まったとは考えにくい。

 

子供の矯正治療をしたい場合は、親はどうするか。まずネットなどで評判や費用などを調べるであろう。さらに親類、友人、知人、あるいは矯正治療をしている子供の同級生の親からの意見の参考にする。多くの親は知人、友人から聞いて、私の歯科医院を知ったという。一方、成人、特に若者は、主としてネットだけで検索して、矯正治療をするところを探す。もちろん知人や友人に矯正治療をしている人がいれば、直接聞くと思うが。そのためホームページを閉鎖した瞬間に、こうした若者からの予約電話が激減した。知人の矯正歯科医が、宣伝に費用をかければかけるほど患者は来ると言っていたが、特に若者をターゲットにする場合はこのやり方が効果的なのであろう。若者で矯正治療を希望している人がいるとしよう。彼らはまずネットで「弘前 矯正歯科」などで検索して、ヒットした医院のホームページを比較して、予約の電話をするようである。さらに5ちゃんねるや、You Tubeなどでかなり勉強する人も多い。費用がかかり、期間もかかるため、できるだけ一生懸命に情報を集めて治療しようと考える。

 

ところでここにネットの大きな落とし穴がある。まず医療広告法により、広告できる内容はかなり厳しく制限されていて、比較優良広告、誇大広告、品位を損ねる広告など、こうした規制を厳密に守ろうとすると見る人にとって全く魅力的な広告にはならない。治療前後の比較写真、体験談、割引、症例数など、患者にとって最も知りたい魅力的なことをホームページ上には載せられない。日本矯正歯科学会でいえば、認定医の審査、更新の際にはホームページのチェックが行われ、修正が求められる。一方、矯正歯科学会の認定医でない先生の広告は野放しで、好き勝手な広告をしている。そのため、ネットやYou-Tubeで派手な広告をしている先生のほとんどは日本矯正歯科学会の認定医を持っていない。日本においてまともな矯正治療をできるのは、認定医の資格を持つ先生であり、こうした先生のところで矯正治療を受けないとうまく治療できない可能性が高い。

 

矯正治療を受ける成人患者の多くは、ネット上で治療を受ける医院を探す。そしてどうしても宣伝の派手な、いいことしか書いていない医院を探しがちで、こうした医院に予約して行くと、すぐに治療を勧められ、治療することことになる。インビザラインで問題の多い歯科医院では、来院するとすぐにデジタル印象をとり、そのシミュレーションをして、同意すると次回から治療に入る。あまり考える暇を与えずに治療に入るやり方である。ネットでは信じられないくらい多くの情報があり、その中から真実を探すのは非常に難しく、勢い、いいことを魅力的なことが書いている歯科医院に飛びつき、そこで治療を開始することになる。こうした医院では、特に矯正治療の教育を受けていない先生が治療するために、まずまともな治療結果は期待できず、高い費用を払った上に失敗に終わる。

 

逆説的に言い方をすると、派手な、魅力的な宣伝をしている歯科医院での矯正治療は受けてはいけないことになる。なぜならきちんと矯正歯科を学んだ認定医以上の資格を持つ先生は派手な宣伝をするのを禁止されているからで、さらにいうと医療広告ガイドラインを平気で破るような歯科医院は金儲け歯科といっても良い。Googleなどの口コミサイトも企業に金を払えば、高い評価が集まるので、高評価となる。あまり参考にならない。一番いいのはそこで治療を受けて終了した患者さんの意見であるが、腹の立つことはコメントに書くが、特に問題がなかったことについては報告しないもので、まず知人、友人にそうした人がいないとわからない。ネットでいい矯正歯科医院を探す最低限の方法は

 

1.矯正歯科専門医院が良い。   一般歯科の合間に矯正治療ができるほど甘くない。

2.院長の経歴を見る  日本矯正歯科学会認定医以上の資格を持たないと矯正治療の基本、マルチブラケット装置での治療は無理である。できれば、大学の矯正歯科学講座に8年以上いて、助教、講師以上のキャリアを持つ先生が院長。

3.開業歴が長く、患者が多いところが良い  信頼がおけるということになる。

4.早急な矯正治療を強く勧めない。通院条件を配慮する(転勤、卒業後の進路) 矯正治療は緊急性がなく、将来的に転勤、あるいは卒業後に遠方に就職予定なら、そちらでの治療を勧める、紹介状を書いてくれる。

5.特定の治療法を勧めない インビザラインのみしか勧めない歯科医院は問題が多い。多くの選択肢の中から選ぶシステムが良い。

6.派手な宣伝文句のところはやめる 本当に名医で患者の多いところは、これ以上の患者は来てほしくないので、ほとんど宣伝しない。逆にYouTubeに頻繁に出たり、派手な宣伝をする歯科医院は、患者の集客のため、つまり金儲けのためである。

 


2024年1月7日日曜日

高校サッカー選手権

 



毎年、冬に行われる高校サッカー全国大会では、全国から優秀な選手を集めてチームを作るのは卑怯で、県内選手で戦えという声を聞く。実際、青森県の常勝チームの青森山田高校も、ほとんどの選手が県外出身で、それも山田中学の段階で全国から集まってきている。過去、冬の高校サッカー選手権には3回の優勝、同じく中学校の全国大会の優勝は5回あるが、県民からの応援は少なく、まあ県南のチームということもあるので、弘前市民からはほとんど注目されない。個人的には、ものすごく強いものの、高校生のプロといった感じで、強い当たりや、反則スレスレの行為、ロングスローイングなど、はあまり好きでない。

 

一方、進学校の灘中学校には全国から受験するのに、なぜサッカーで県外から山田中学、高校に行くのはよくないかという声も多い。高校野球やバレー、バスケットなどでも名門高校があり、全国から優秀な選手が集まる。ただ勉強とスポーツを単純に比較するのはおかしいことで、灘中学、高校の生徒200名のうち、国立医学部、東京大学、京都大学に入学するのが150名いるとするなら、山田中学、高校のサッカー部からJ1リーグのプロになる選手がどれくらい、いるかということになる。例えば、2023年度の山田高校の卒業生のうち、プロになった選手はおらず、大学も明治大学、法政大学がトップで、残りは常葉大学、立正大学、新潟医療福祉大学、城西国際大学、関西国際大学、中央学院大学など別にスポーツ推薦でなくても多少の学力があれば合格できる大学である。2022年度の卒業生、松木選手と宇野選手がプロになり、町田ゼルビア、FC東京に入った。他は2023年と同じような大学に進学している。2021年度は、一人がJ1の浦和レッズに、もう一人がJ3のいわてグルージャ盛岡に入った。他の年も調べたが、プロになるのは毎年1、2名でそんなに多くはない。それでも他校では数年に一人くらいなのでかなり多い方である。日本代表となると山田高校出身は室屋成選手と柴崎岳選手の2名である。歴代サッカー日本代表選手出身高校ランキングでは、1位が神戸高校で21名、これは古すぎるが、10位の長崎国見高校でも10名、神戸で言うなら28位の滝川第二高校でも4名、青森山田高校は49位となる。

 

実際、この10年で日本代表が最も多く輩出しているのは、川崎フロンターレU18で、三苫選手など6名、次が東京ヴェルディーユースと柏レイソルズU18が同じく5名、FC東京U18とガンバ大阪ユースが3名、2名のところが青森山田高校、市立船橋高校、大分トリニータU18、大津高校、サンフレッチュ広島ユース、清水エスパルスユース、セレッソ大阪U18、山梨学院高校、四日市中央工業高校、となる。日本代表で言えば、Jリーグのユース組織出身が多くを占めるようになっている。J1の新人の履歴を見ても、ユースから上がった選手は多い。むしろ高校サッカーはJ2より下のリーグあるいは大学サッカーを支えているといっても過言でない。プロになれないアマチュアトップ選手の試合とも言える。

 

今年で全国高校サッカー選手権は102回となる。確かにこの大会から多くの優れたサッカー選手を輩出しているが、それでは最近のサッカー日本代表の強さがこの大会によるかと言えば、そうではなく、一番大きな理由はプロサッカーリーグができたことで、これによって日本代表が強くなり、ワールドカップに普通に出られるようになったし、そこでも勝つようになった。前述したように日本代表においてもクラブのユース出身者が多くなり、思ったほど全国高校サッカー選手権が関与しているとは思えない。全国の高校サッカーの頂点である青森山田高校でも卒業生でプロになる選手は少なく、さらに日本代表になる選手はもっと少ない。最初の話に戻るなら、東京大学に入りたいので遠くても灘中学に入学するというのはわかるし、入学すればかなりの確率で実現できる。一方、遠方から山田中学高校に入ってもプロになることはほとんどできない。

 

厳しい言い方になるが、青森山田中学、高校の選手プロファイルを見ると、中学、小学生の頃にJリーグのユース組織に属していた選手が多く、そちらで無理なため、山田中学、高校に入ってきたのかもしれない。おそらく他の強豪高校もJリーグのユース組織からの流出した選手が多いように思える。プロを目指す選手からすれば、高校選手権の勝ち負けは意味がなく、Jリーグのプロ選手になるにはまずユースチームに入ることが求められる。これは完全なヨーロッパのシステムである。つまり日本でサッカーがプロ化した時点で、ヨーロッパ型の選手育成組織を目指し、ようやく本格的になってきて、日本代表が強くなったのである。むしろ高校サッカー選手権こそがこうしたシステムが普及するのを阻害したといえよう。

 

長々と書いたが、トップ選手の育成にはトレセンのような優秀な選手を若いうちから一か所にまとめて指導するのが優れており、サッカーにおいてはJリーグの下部チーム、ユースチームがそれに相当し、ここで将来的に日本代表となる選手を育てる。またプロのサッカー選手を目指す選手はここを入るべきであり、無理なら早い時期で趣味のサッカーに変える。選手育成という点では、中学、高校でのサッカー全国大会を開催する意味は少ない。実際に、卓球やバトミントンのトレセン選手は高校の大会などには出ないので、高校日本一といっても実態とは異なる。

 

プロになろうとは思わないが、全国大会に出たい、そこで優勝したいという選手もいよう。ただそのためには、各チームの条件がある程度は公平であってほしい。全国から優秀な選手を集め、多くのコーチに指導させ、長い練習時間、芝生のグランド、など半分プロのようなチームに他の高校が勝てるわけがない。青森山田高校は青森県代表で26年連続全国大会に出ているが、これでは山田高校が経営破綻するか、選手の不祥事(昨年の飲酒事件)がない限りは他校が全国大会に出るチャンスはない。強すぎて、青森県でサッカーをしている子どもたちは全国大会出場という夢は持てない。まだ高校野球の方がマシなくらいである。今年の青森県予選決勝は、青森山田―八戸学院野辺地西、9−0となっている。例年、準決勝からのシード権があり、2試合勝てば全国大会に行ける。サッカーのエリートは、Jリーグやヨーロッパリーグの下部組織に入り、そこからプロになるが、プロになれない選手同士の全国大会が、サッカーの全国大会である。必要ない大会だし、どうしても開催したいなら、3年連続出場は禁止すべきである。


最近の日本代表の強さ、その主力、堂安立はガンバ大阪ユース、富安健洋はアブスパ福岡ユース、遠藤航は湘南ユース、三笘薫は川崎フロンターレユースなどによるところが多く、20年前に比べてユース代表の多くなったことが、代表のレベルアップにつながっている。選手育成もドイツ、イギリス、ブラジルなどのサッカー先進国並みになった。今後、この傾向はさらに強くなり、もはや高校サッカー選手権の選手からは日本代代表は滅多に出ないであろう。


2024年1月5日金曜日

殊勲艦 輸送船「おおすみ」

 




日本帝国海軍の第二次世界大戦の最高殊勲艦は、戦艦金剛と言われている。1941年のマレー沖海戦から、沈没する194411月まで幾多の海戦に参加し、活躍した。そうした点では戦後の海上自衛隊の殊勲艦を挙げるとすると、今のところ輸送船「おおすみ」となろう。

 

正月に起こった能登半島の地震においても、「おおすみ」は13日には早くもブルドーザーやダンプカーなどの約30台の大形重機を積み込み、呉基地を出港し、1月4日には輸送用エアクッション艇を利用し、重機を陸上げして被災地での活動を開始している。

 

日本で最初の全甲板の空母のような輸送船で、計画にはかなり論議を呼んだ艦艇である。基準排水量は8900トンで、その後、作られた護衛艦「ひゅうが」が13950トン、さらに「いずも」は19500トン、大きさも「おおすみ」の全長が178m、「いずも」が248mとかなり小さいが、隊員、物資、車両の運搬に優れているのか、災害となると真っ先にこの艦が災害地に派遣される。これまでの艦歴を見ると、まず最初に1999年にトルコ北西部地震被害の援助として仮設住宅をトルコまで運んだ。その後、2002年には東ティモールへ、2004年にはイラクへ車両を運び、2011年には東日本大震災の救援に、2013年には伊豆大島土石流被害のために、さらに台風30号被害救援のためにフィリッピンへ、2016年には熊本地震に対する災害派遣、2022年には火山噴火救援のためにトンガへ派遣された。

 

日本のほとんどの災害、あるいは海外の災害に派遣された艦艇で、より大型で速力もある「ひゅうが」、や「いずも」よりこき使われている感じがする。輸送船で災害救援にはこの艦の方が向いているのであろう。おおすみ型の輸送船は、この「おおすみ」と「しもきた」、「くにさき」の3艦あるが、どうしたことが「おおすみ」が使われることが多い。おおすみ型の一番の特徴は、エアクッション型の揚陸艇を二艇積んでおり、港のない、あるは破壊された地点にも物資や重機(2両)などを運ぶことができる。また収容能力としては大型トラックを60台以上も積めるし、固有の搭載機はないものの甲板を使ってヘリコプターの離発着を行える。さらに入浴設備や手術も可能な医療機能も備えており、災害派遣艦としても最も適した艦なのだろう。

 

「おおすみ」が就航したのは1998年で、すでに25年経つ。そろそろ次期の後継艦を計画してもよかろう。地震や台風などの災害の多い日本は、周囲は海で囲まれ、道路が遮断されると海からの輸送しかなくなる。そうした意味でも、また「おおすみ」の活躍を見ても、同形艦が是非と欲しいところである。もちろん戦闘を重視した艦艇も必要であるが、平時では災害を重視した「おおすみ」のような艦艇も重要である。

 

これまでの経験から、災害、例えば地震が起こると、まず道路は遮断され、トラックなどの陸路の輸送が障害される。能登半島地震でもそうしたことが起こり、まず、道路を修復して陸路による輸送を開始するまでどうするかということになる。その場合は、輸送手段としてヘリコプターや、さらに重機の運搬となるとエアクッション型の揚陸艇(LCAC)も活躍する。つまりヘリコプターとLCACが必須となる。これに該当するのは艦艇は強襲揚陸艦で、アメリカでは最新のアメリカ級強襲揚陸艦11隻を計画している。排水量は45600トン、全長は257m、オスプレイなら42機を積み込める。流石にここまで大型艦艇は必要ないし、大型艦の場合、出港までに時間がかかると急な災害に対処できないこともある。

 

理想的なことを言うと、どこかの港に、地震などの災害が発生した場合にすぐに対処できるように、ブルドーザーや大型重機、あるいは物資、医療品などをあらかじめ倉庫に集積しておき、艦艇にすぐに積み込まれるようにしたらどうだろうか。これまでの経験からある程度の必要資材はわかっていると思う。人員については、通常の搭乗員以外に、災害時には医官、消防庁の救助隊も同乗できるような仕組みも必要かもしれない。ヘリコプターの発着や海外への災害派遣を考えると、「おおすみ」の8900トン、22ノット、乗員132名はあまりに小さく、できれば「ひゅうが」の大きさと性能が求められる。輸送艦としては各国にドッグ型の輸送艦があるが、全甲板型のものは少なく、また速力は低い。重点を災害救助を目指した日本独自のドッグ型輸送船を開発してほしい。また防衛省がチャーターしている客船、「はくおう」なども、海上ホテルとしての機能があるので、食堂、風呂、個室などが完備されているので、長期の避難が必要なケースではもっと活用してほしい。こうした国内の災害に対応した艦船やシステムは、アジア各国での同様な災害にも活用でき、日本の存在感を示すいいツールとなろう。


2024年1月2日火曜日

昔から嫌いな部活

 



昔から嫌なのは運動部の監督、私も中学、高校とサッカー部に入っていて、監督は怖かった。練習中は常に罵声、試合に負けると坊主、練習中は絶対に水を飲むななど、今から考えるとパワハラであったが、それでも神戸市、兵庫県でも強く、近畿大会でも優勝した。私自身、神戸市代表や、国体候補にもなったので、まだ我慢できた。また監督も後に国体代表の監督や、サッカー協会の副会長になる勉強家で、当時の最新のサッカー戦術、練習法を実践していた。練習は週に3回、それも日が暮れるまでなので、冬場は2時間も練習できない。こんな制限された状況では、いかに効率的に練習するかがカギだったのだろう。

 

娘が中学校のバレー部に入っていて、練習中に十字靭帯断裂という事故にあった。大学病院で手術して、入院した。退院後、松葉杖が必要だったが、なんとか歩けるので、部活に行き、椅子に座っていると、監督から「何を座っているのか、立って見学しろ」と怒られたという。監督と言っても30歳くらいの若い先生で、この先生の頭には、逆に同じ状況で、同じことを年上の上司から言われたら、どう思うかという発想はない。年齢差、上下関係からの上からの目線である。要するにバカなのである。

 

同じようなことは枚挙なくある。うちに来ている患者で、なかなか忙しくて治療に来られない小学生がいる。どうしてかと聞くと、練習を休むとレギュラーから外されるという、病気になってもかというと、そうだと答える。おそらく先生にこのことをいうと、まさかそんなことは言っていないと抗弁するだろうが、こうした先生は本当に多い。同じくバカである。同じようなことが会社であれば、完全にブラック企業である。先輩が練習中、後輩が玉拾いばかりしているテニス部がある。玉拾いが練習になるのかと監督に言いたい。これもバカである。

 

親もまたあまりに熱心すぎる場合がある。子供がサッカーのチームに入っていると、どこで試合をしようと必ず応援に駆けつけ、できるだけ名門サッカー校に入れようとする。一時の教育ママと同じようなもので、いくらサッカーがうまくてもプロになる確率は東大にいくより遥かに難しいということを知っているなら、教育ママの方がよほど効率良い。うちの親など、忙しかったし、興味もなかったのか、一度もサッカーの試合など見に来たこともなかったし、他の部員も同様であった。親が子供の試合を見に来ることはよほどでなければなかった。私の従兄は近鉄でラグビーをして、日本代表にもなったことがあるが、叔母さんはついにラグビーの試合を見に行ってないし、おそらく兄弟姉妹もそうであろう。スポーツはあくまで趣味の延長であり、それほど家族で応援するほどのものではなかった。

 

昔は、監督、コーチと部員、あるいは先輩と後輩の関係が、厳しく、ほぼ絶対服従の世界であった。これは戦争の影響が強く、軍隊の上下関係が部活動にそのまま持ってきた。昭和40年代、周りの大人のほとんどは戦争経験者で、生死を賭けた経験をしている人も多かった。そうした世代が、学校に戻り、部活動に参加すると、生徒に対して自分が受けたのと同じような厳しい訓練と秩序を求める。私がいた六甲学院の場合は、中学1年生から高校3年生まで一緒に練習していたこともあり、先輩―後輩の関係は非常によく、上下差は薄かったが、他の強豪校はそうした関係がひどかった。

 

一時、日本のスポーツ界では、オリンピックの成績が悪く、メダルが取れない時代が続いた。その後、柔道、卓球、バレーなどの多くの競技で、優秀な選手を早い年齢で全国から集め、トレセンで優秀なコーチから指導を受けるようになった。その結果、いろんな分野でのメダルが増えていった。スポーツは、勉強以上に才能がものをいう世界であり、才能のある子供を見つけ、早い時期から専門的な指導を受けて、世界に乗り出す必要があるのは、昔の東ドイツやソ連などの共産主義国家の実例からもわかる。今は共産主義国家でなくても、欧米のほとんどの国でこうしたやり方をとっている。逆に言えば中高生で、その時点で、トレセンなどに呼ばれなければ、将来的にオリンピックに出る可能性は低いことを意味し、一般的な中高校生での部活からプロになるような可能性は少ない。つまり子供が中学生の部活をいくら一生懸命にしていても、地区、県、あるいは国の選抜に選ばれていなければ、才能がないということである。であるなら、中学、高校の部活はそんなに練習する必要もないし、指導者も頑張る必要はない。勝ち負けにこだわる必要はあまりない。欧米ではすでに小学校での全国大会が禁止され、さらに中高生の全国大会も廃止の方向に向かっている。もともとサッカーで言えば、才能のある選手はトレセンあるいはプロサッカーチームの下部組織に属し、それ以外はあくまで趣味での練習で、大会もせいぜい、日本で言えば、県単位が最高であろう。

 

少なくとも小学校、中学校の全国大会は全て廃止すべきであり、移動も考えると県単位を最高にするくらいでいいだろう。極め付けは、アフリカからの陸上選手、ブラジルからのサッカー選手、中国からの卓球選手などは、異常である。サッカーにしても、私の地元、青森県の青森山田高校のサイトを見るとスタッフは、監督1名、コーチ9名、チームドクター1名、チームトレーナー1名、部員210名となっている。私がいた当時の六甲学院高校サッカー部は、監督1名、部員20名くらいで、これで近畿大会に優秀したが、他の高校でも部員が50名を超えるところはなかったし、コーチはOBを入れて多くて2名くらいであった。もはや青森山田高校を改名して、青森山田体育高校あるいはフットボールクラブに変更した方が良い。もはやプロチームである。この高校のスポーツコースは579名、生徒数1140名の半分以上を占めており、授業も5時間目以降は、「スポーツI,II」などとなっており、事実上、2時から部活時間となる。朝練も含めると毎日4時間以上は練習しているのだろう。ほぼ練習時間もプロ並みである。潰れかけの私立高校に、金を出す人がいればフランス、スペイン、イタリア、ブラジルのアカデミーからプロになれなかった若手選手30名ほどを入学させ、鍛えれば山田高校に勝てるかもしれない。これでも批判はできまい。


2024年1月1日月曜日

奈良美智 「The Beginning Place ここから」

Saxbo Eva Staehr-Nielsen.   Berndt Friberg



奈良美智、「The Beginning Place ここから」を青森県立美術館で観てきた。「A to Z」が弘前で行われたのが2006年なので、早いもので17年も経つ。今は立派な弘前れんが倉庫美術館になっているが、福島酒造れんが倉庫での、あの摩訶不思議な展覧会の記憶は今でもはっきりと思い出す。これまで数百の美術展を観てきたが、「A  to Z」を含む一連の3つの展覧会は、自分の中でもベスト3に入る。それだけに相当な期待を持って青森市に来た。

 

奈良さんの展覧会は確か10年前にも青森県立美術館であったと思うが、あまり覚えておらず、今回の方が印象強い。昨年の皆川明の「ミナ ペルホネン」も凄かったが、展示の仕方が面白い理由の一つかも知れないし、また作品自体も大型化しているのか、2m近い最近の絵、彫像は、美術館にふさわしい作品である。

 

奈良さんを代表する少女像は、もともとは思春期前の少しませた少女を表現したものであるが、今回、美術館の大きな部屋で最新の絵をじっと見ていると、確かに少女ではあるが、次第に少年に、あるいは大人に見えてきて、さらには母親、作者自身あるいは人間、果ては菩薩像にも見えてくる。不思議な作品となっている。画家によっては、いろんな画風、画題に挑戦する人もいる。同じようなテーマに飽きが来るのかもしれない。例えば、横尾忠則は最初、ポスターなどのイラストレータから始まったが、画家になるとY字路ばかり書いていたと思うと、最近は中国の仙人「寒山百得」ばかり100点描いたりしている。ただ画風自体が変わってわけではなく、テーマを変えている。画風、テーマ自体を次々変えたのはピカソくらいで、彼の場合は特別で、何人もの天才が同じピカソという体に同居しており、真似ることはできない。神戸を代表する画家、小磯良平も女性を中心とした絵を描いていたが、戦後、新たな絵という風潮から抽象画に路線を変更した。結果的にはあまり成功したとは言えない。後年、また女性像に戻ったが、あのまま最初の路線を深化した方が良かったかもしれない。

 

奈良さんの作品は、テーマとしてはそれほど変わっていないが、画風が少しずつ深化しており、弘前で行われた「A to Z」展覧会では、どちらかというとアメリカのポップアートの影響があったし、作品自体も輪郭のはっきりした平面的なものであったが、最近のものは大型化し、輪郭も漠然とし、より立体的な作品となっている。より独自の作風になってきており、クロード・モネの究極の深化、「睡蓮」シリーズの方向に向かっている気配すらする。今回の展覧会のタイトルは「ここから」と、弘前、あるいは青森からということだが、奈良さんの作品そのものには、直接、津軽、弘前の匂いは感じない。さらに東北、日本の匂いもない。今回の展覧会の最後に青森の産んだスーパースター、棟方志功とのコラボがあったが、あまりピンとこなかった。展覧会の企画の中でも唯一、わからないコラボであった。棟方志功の作品からは青森、津軽、日本の匂いがプンプンし、それは過剰なほどであるが、奈良さんの作品にはそうした匂いは全くなく、その作品に奥深くにそうした匂いを感じてほしいということかもしれないが、感じられない。

 

若干匂いを感じるとすると、これは大阪という都市に育った私がいうのはおこがましいが、都会、知らないところへの憧れ、逃避があるように思える。これまで多くの弘前出身の偉人のことを調べてきたが、彼らの共通の精神は、弘前から東京経由で海外に行くのではなく、直接海外に行ってしまう。津軽―東京の心理的距離と、津軽―イギリスとの距離とあまり変わらないなどという感覚があるのであろう。冬の深い雪に閉じ込められ、小さな範囲で生きていると、少しずつの変化を求めるよりは、急速な変化、飛躍に走る傾向があり、友人の曽祖父も、先生になれず、軍人にでもなろうかと思ったが、いきなりアメリカに行こうと決心し、アメリカに渡航した。そこで、苦労しながら、歯科大学に入り、現地で歯科医院をし、その後、神戸で開業した。奈良さんのドイツへの留学も、そうした津軽人の流れからかもしれない。とにかくいきなり飛躍する。

 

奈良さんには世界中にファンがいて、今回の展覧会にも中国、台湾、韓国などからもわざわざこの展覧会目的で来日する。結局、芸術家の価値とは、ゴッホや田中一村のように死後に評価される場合もあるにしても、多くの人々から支持されることであり、それは作者の作品に込められた想いが人々に伝わることである。そうした意味では、奈良さんは日本を代表する偉大な芸術家なのだ。富岡鉄斎の場合、70歳以下の作品は若描きと言って評価は低く、晩年になるほど評価は高い。絵というのは、あまり年齢が関係せず、歳を取っても作品を深化、発展できる分野であり、奈良さんのますますの発展を期待したい。一方、最近は作品数そのものが減ってきており、心配している。画家により絵に対する向き合い方が違い、葛飾北斎は画狂人と呼ばれるほど絵を描きまくったし、ピカソもそうだし、富岡鉄斎も生涯に2万点以上の絵を描いた。草間彌生、岡本太郎も作品数は多い。数を描くことで作品が進化することもある。