2019年8月21日水曜日

新幹線で怒られた



 私は人と喋るのが好きで、妻ともよく喋るし、母親、兄弟、友人とも喋るのが好きである。場合によっては、飲み屋などで見ず知らずの人と仲良くなったり、タクシーの運転手と乗車中にずっと喋っている。子供の頃からのおしゃべり癖は治らない。

 二年ほど前、新幹線で東京から青森に帰るときに、車内で家内とずっと喋っていた。もちろんそんなに大きい声ではないのだが。しばらくすると前の座席に座っていた中年の女性がこちらに振り向き、人差し指を口に当ててシーと言って、私たちの会話をたしなめた。その後、気まずい雰囲気で家に帰るまでほとんど喋らない状態が続いた。

 大阪では、特に阪神電鉄沿線では車内で喋るのは当たり前と思っていただけに、新幹線の中で会話したらダメだとされ、ちょっとムッとしたが、ネットで同様な事例を探すと、むしろ現在ではシーという人の方が正しいようで、電車内で喋る人は非常識、マナー違反とされている。さらにはイヤホーンの音漏れ、コンピュータのキー入力音、スマホの操作音さえもマナー違反であるようだ。電車の中での騒音は、どんな小さな音でもマナー違反になるらしい。寝ている人からすれば、小さな音も気になるようで、電車内の一切の音は不快になるらしい。図書館では、本を閲覧中の人のために基本的には館内での会話は禁止されているが、電車内でも同様というわけである。

 それでは海外ではというと、韓国は物売りがくるし、アジア圏、あるいはヨーロッパ、アメリカでも大きな声でなければ車内での会話で怒られることはない。そのため東京の山手線で聞こえる声といえば、外国人観光客のよるものであることが多い。中国人、韓国人、欧米の人々も日本の電車内のマナーを知らないのか、平気で喋っている。流石に英語でたしなめる人は少ないが、それでも“シャラップ”と言って注意しろという声も多い。こうした発想の怖いところは、こうしたマナーをどんどん拡大できることである。地下鉄のような満員の車内での会話はもちろん、さらに新幹線や同じ感覚で言えば、レストランや喫茶店での会話も腹が立つであろうし、ディズニーランドやUFJでも人の会話が気になる人はいる。病院でもそうで、例えば家族であっても、大部屋であれば、気になる人はいよう。すなわち、人のいるところでの会話は全てダメということになる。

 イギリスの列車では、Quiet Coachという会話禁止の車両があるし、喫茶店でも読書するために会話禁止のところや私語厳禁の寿司屋やレストランもある。おそらく解決法はないと思うが、一人で会話する人はおらず、少なくとも会話するは二人以上である。レストラン、喫茶店、飛行機、長距離電車、バスなどは、予約の段階で、一人だけ、二人以上の客はまとめればよい。そうすれば、一人で静かに過ごしたい人は他人の声が聞こえないし、みんなんで喋って楽しく過ごすのも気を使わない。このような目で見ると、人の会話が気になるのは、一人だからで、ラッシュアワーの地下鉄などでは、ほぼ乗客は一人客で、それ故、珍しい二人以上の観光客の会話がうるさいと思う。一方、居酒屋やレストランなどでは基本的には二人以上で来るため、会話がOKとなる。それでも喫茶店は微妙で、スタバ〜のように一人客が多いところもある。実際に一人客と二人以上の客と席を別にしているところも多い。

 一人の客が多いところは会話禁止でしゃべりたくとも我慢してもらい、逆に二人以上の客の多いとところは会話がうるさくても我慢ということでどうだろうか。さらに境界のところでは、できれば席を分離するような方法をとってほしい。実際に一人客の多いレストランはカウンター中心になっており、ファミリー層が多いところは椅子席となっていて、椅子席では会話OK、カウンターは会話禁止ということになろう。ただ冒頭の新幹線(普通車)に話を戻すと、新幹線のシートはABの二席とCDEの三席となり、二人が座るのはこのABが圧倒的で、場合によってはDEとなる。それ故、音を遮断し、景色も見ないでひたすら眠りたい人は、C席が一番良い。ここは一番人気がなく、また隣に人が座ることも少ない。また一人でもA席に座りたいという方もいようが、隣に知らない人が座る確率が高く、またトイレに行く際には気を使う。新幹線内の会話が非常に気になるような方は、きればC席に予約すればいいだろう。もちろんグリーン車はほとんど一人客で、それも窓側に座っており、基本的には会話禁止なのだろう。

2019年8月18日日曜日

全顎治療における矯正治療



 クインテッセンスという歯科雑誌がある。矯正専門で開業しているが、一般歯科の流れを知るために、開業当初から、すでに20年以上、購入している。この雑誌の特徴は、アメリカ型の高度の、違う言い方をすれば金のかかった歯科治療を紹介していることだ。補綴、エンド、外科の専門家による論文も参考になる反面、矯正歯科に関してはあまり矯正専門医の論文が登場せず、むしろ一般歯科医の矯正に関する論文が出てくる。少し専門家からすれば問題のある論文がある。

 昔から一番興味があるのは症例報告で、ある患者さんの治療、多くは全ての歯を直す全顎治療が多いのだが、詳細に紹介されている。いろんな治療がなされているが、多くは矯正治療が含まれ、下の歯列のでこぼこを直す治療が取り入れられている。すなわち下の歯にブラケットをつけてワイヤーを入れてでこぼを直している。一番簡単な治療なのでせいぜい半年くらいで治る。簡単に直せるので、全部の歯をきれいにするのであれば、ついでに下の前歯のでこぼこをなくすというのは悪いことではない。

 ただ無料でしているわけではなく、有料、それも数万円単位の額ではなく、数十万円以上とっている場合もあろう。クインテッセンスにはそうした治療費は一切書かれていない。下の第一大臼歯から反対の第一大臼歯までの12本の歯にブラケットをつけるのに15分、ワイヤー交換は5分、6ヶ月では完全に終了できる。マルチブラケットによる矯正治療の中では最も簡単で手間がかからない。

 矯正専門医から見ると、クインテッセンスの症例報告のような中高年の患者に、たとえ数万円であっても、矯正治療を行うのは勧めない。というのは非常に後戻りが多く、それを防ぐためには舌側から固定式の保定装置が必要となる。中高年でいえば、生涯、固定式の保定装置を入れておくのが良いのかという議論が出よう。クインテッセンスの症例では、おそらく数十万円の費用をかけて矯正治療をしていると思われるが、そうした費用をかけて矯正治療をする必要性は、おそらくほとんどの矯正歯科医は肯定しないし、エビデンス的にも肯定されていない。まあ、手間もかからないから、おまけでタダで矯正治療するのであれば、悪くはないが、費用をかけてする必要性は全くない。以前、あるスタディーグループで、こうした症例の演者に質問したところ“患者は矯正治療を希望した”という。これは全く詭弁であり、患者は治療に対する専門的な知識は持ちえず、演者が矯正治療を勧めた結果、患者が受け入れたと思う。たとえば“これだけ金をかけて矯正治療しても意味はありませんよ”といって誰が治療を希望するだろうか。ましてや数十万円の矯正治療費を追加しようとすれば、きっと“矯正治療をして下の前歯を綺麗に並べれば、歯周疾患の予防になります。十分な価値があります”くらいのことは言っているだろう。

 60歳以上の患者になれば、目標はいかに一生自分の歯で食べられるかであり、同時に社会心理的には審美性も求められが、それ以上にできるだけ歯に侵襲の少ない治療法が必要となる。昔、尊敬する一般歯科医がいて、彼の治療計画は、患者の口腔内の10年後、20年先を読んで、この歯は一時的な治療をして、逆にこの歯を他の歯がなくなった時に重要なので、自費でもきちんと直すという。多くの歯はテンポラリーという一時的な治療をして12年してから自費の補綴物に替える方法をとっていた。慎重に少しずつ進めていた。もちろん傾斜歯の直立などの矯正治療は必要に応じてやっていたが、単純な歯の整列はしなかった。

 矯正治療は基本的には患者の希望により始まり、歯科医から勧められて治療するものではない。なぜなら一部の不正咬合、顎変形症や口蓋裂を除けば、矯正治療による機能的改善は少なく、確実にエビデンスがあるのは、自己評価の改善、つまり自信を持って笑顔になり、積極的になったという社会心理的な改善である。これは患者本人が気にならなければ矯正治療は必要ないことになり、歯科医から指摘されて初めてわかるものではない。50歳以上の患者にこちらから勧めて下顎前歯のでこぼこを改善する矯正治療は、あまり意味がないと思える。うちの患者が東京の歯科医院で奥歯の虫歯の治療を行なったが、補綴治療に関して、自費と保険治療について説明があった。その説明書を見せてもらったが、保険の治療を銀歯の治療として否定し、ファイバーコア、セラミックの治療を勧めていた。その治療方針自体は否定しないが、そこの歯科医院のH Pを見るとドクターはほとんど若手の歯科医師であった。少なくとも彼らの経験上から長期の予後からセラミックの治療を勧めたわけではなさそうである。

2019年8月12日月曜日

山田良政 碑 南京



 山田良政、純三郎のことを書くのも久しぶりである。2007年頃から集中的に書き始めてすでに12年以上が経つ。以前はgoogleで検索してもほとんどヒットしなかったが、最近では良政、純三郎ともウイキペディアにも掲載されようになり、認知が上がったことは嬉しい。それでもまとまった本が少ないため、中国現代史に関心のある一部の人しか知られていないのが実情であろう。映画やテレビで取り上げられれば、さらに人々に知られるのだが。

 個人的に一番興味があるのは、中国の南京市、孫文が祀られている中山陵にあった山田良政の碑である。山田兄弟の評伝である「芳醇なる日本人」(結束博治)に“山田良政の碑は、南京、中山陵よりやや離れた丘にあり、楓の高い樹が植えられた楓林と呼ばれる公園のような奥の寺院の入り口に、十数基の革命志士の碑と一緒に祀られている”とある。

さらにそこを訪れた歌人土屋文明の歌に

日本志士山田良政君を悲しみて孫文自ら立てし碑を見つ
中山先生遺骸安置の白き室とともに輝く日に来りあふ
限りなくつづきて丘を上がり来るは中山陵参拝の青少年等
もみぢしてとぶらふ国民革命烈士の霊それを助けし日本志士の墓



こうした記述から、中山陵からそれほど離れていない国民革命軍陣亡将士公墓のある南京霊谷寺周辺や紅葉で有名な栖霞山を調べているが一向に手がかりがない。多くの山田兄弟の資料がある愛知大学に問い合わせるも不明とのことで、さらには南京日本人会にも照合したが、これもわからないという。また中山大学や中国領事館あるいは群馬にある土屋文明記念文学館にも問い合わせしたが返答はない。その後、弘前大学の中国人学者を通じて中国の研究者にも聞いてもらったが、これといった反応はない。さらに戦前の南京市の地図や旅行記に記載はないかとネットで調べているが、これといった資料はない。

 土屋文明が南京を訪れたことは間違いないが、そこで山田良政の幻の碑を見たのだろうか。幻の碑から土屋が4つの詩を作ったとは思えず、実際の碑を見て感動した。中国国民党が山田良政の建碑を議決したのは昭和二年(1927114日である。土屋が中国旅行したのは昭和19年であるから、碑が建てられ、南京市が日本軍に占領されても大切に保存されていたようだ。であれば、戦後、どこかの時点で山田良政の碑が破壊、消滅したと見なせる。少なくとも蒋介石が率いる国民党が南京市を支配する1949年まで、碑が破壊することはない。文化大革命では中山陵自体は保護され、破壊を免れたが、付近の寺は宗教はアヘンだというスローガンのもと破壊されていった。南京市でも霊谷寺、栖霞寺などが大きな被害を受けた。その際に国民党関係の墓や記念碑もかなり壊された。おそらくはこの折に山田良政の碑も壊された可能性が高い。“中国の革命・戦争記念碑に関する基礎的調査—広州地域を中心に”(王暁葵)によれば、広州にあった多くの記念碑、墓が文革中に破壊された。文革までは一部は壊されたものもあったが、この狂気の時代に壊されたものが圧倒的に多い。その後、壊された碑は、1980年代以降に修復あるいは再建されたが、中国政府の意向に沿わない碑はそのまま再興されなかった。山田良政の碑については、おそらく日中友好のシンボルとして中国政府で再建は可能と思われるが、写真がなく、場所も特定されていないので、いまだに再建されていないのだろう。何とか、存在の証拠を見つけて、山田兄弟の念願であった、師の孫文と一緒にしてやりたいものである。



2019年8月11日日曜日

弘前ねぷた 場所取り



 ようやく弘前の夏の風物詩である弘前ねぷたが終わった。駅前コースの集合地は家からすぐ近くなので、毎年、楽しみにしている。青森ねぶたと違い、まだ観光化しておらず、基本的には町内の人々が直接参加している。そのため、運行には町内の老若男女が参加しているため、あまり統一感はないものの、地元の祭りという感じがして好きである。

 ただ一つ残念なのが、場所取りである。ねぷた当日の昼ごろから、歩道に名入りのシートをガムテープで貼ったり、チョーク、テープで枠取りをしたり、あるいは椅子を並べたりしする。祭りが始まると、ここに陣取って食事や酒を飲みながらねぷたを見る。毎年、観光客から見るとみっともないため、市の職員がテープを剥がしたりして、禁止しているが、後がたたず、そのままになっている。もともと歩道は、道路を管理する市、県、国のものであり、それを使う場合は許可が必要である。もちろん許可を取って、ねぷたの場所取りをしている訳ではない。ある意味、違法といえよう。

 昔はどうだっかと、家内に聞くと、一部のお店は常連客のために店に前に椅子を並べるケースはあったが、一般の方がテープを貼って場所取りをすることはなかったという。確かに昔のねぷたの写真を見ると、今ほど歩道が広くなく、皆立って見物していた。狭い歩道にシートを貼れば、邪魔だと怒られたであろう。昼間に場所取りするのは、歩道も広くなった、ここ2030年のことであろう。弘前市の方も有料の観覧席を設け、年配の方には座って観れるようにしているが、今回でも有料席は空いていた(2000円)。

 この2000円という価格はりんごジュース代なども入っている料金ではあるが、一人当たりの歩道占有料金と考えて良い。つまりシートを貼って、場所取りをしているのは、その人数分、無断でタダで使用していることになる。市町村としては、場所取りを禁止するのも一つの手ではあるが、場所を取って使用している場合は、有料観覧席に準じて一人1000円くらいの使用料をとる手もある。椅子一脚分を1000円として4脚分の面積なら4000円とるようにすると前もって告知しておけば良い。当日は、市の職員が使用料金を回収に行く。

 うちの近所に青森銀行があり、その駐車場は夜になると不法駐車でいっぱいになっていた。ところが銀行がゲートを設けて有料駐車場にし、銀行にくるお客さん以外は有料にした。すると夜間に駐車する車はほとんどなくなった。弘前では駐車場はたくさんあり、一ヶ月の駐車料金も5000円くらいである。駐車場がないから銀行に止むを得ず駐車しているのでない。5000円が高いから銀行の駐車場にかってにとめていて、料金がかかるとなるととめない。現金なものである。

 おそらくねぷたの場所取りも同じ心理なのだろう。年配者が座って観たいというなら有料観覧席で見れば良いし、そんなうるさいことをいうなら祭りの雰囲気が台無しになるというのもおかしな話で、昔は場所取りはなかったし、京都の祇園祭、博多どんたくなどの他の夏祭りなどもそんなことはしていない。

 ねぷたの歴史は規制の歴史であり、あまり喧嘩がひどいので、喧嘩ねぷたが徹底的に禁止され、さらに門付けも強要がひどくなると、合同運行にして禁止してきた。また運行中の酒も死亡事故があったため、禁止することになった。今後、市の条例で、弘前ねぷた期間の歩道の場所取りを条例で禁止し、有料観覧席程度の罰金規定を設ければ、なくなるであろう。同時に遊覧観覧席の2000円は観光客向けの価格であり、せめて1000円くらいに値下げすべきであろう。

2019年8月10日土曜日

遺愛女学校 卒業生



 函館遺愛女学校については、以前このブログで何度か説明させてもらった。安政六年(1859)に日米和親条約により長崎、横浜、神戸、新潟とともに函館が対外貿易港として開港した。それに伴い、ロシア人、フランス人、アメリカ人、イギリス人などが住むようになり、商館もあちこちにできた。外国人が住むようになるとまずできるのは教会で、慶応三年(1867)にフランス人ムニーク神父によりカトリック教会(元町)ができ、さらにロシア正教の伝道活動も開始された。その後、米国メソジスト監督教会からフローラ・ハリス、メルマン・.ハリス宣教師夫妻の函館派遣が決定され、結婚したばかりの若い夫婦は明治七年1月に横浜から函館に到着した。彼らは、米国領事代理を兼任し、熱心に伝道活動を行い、明治十年(1877)には函館教会堂が建てられる。一方、女性の地位向上に強い関心を持つフローラは、自宅で「日日学校」などで女性たちに英語、聖書、手芸などを教えていた。明治九年10月(1876)、夫婦で弘前に旅行し、東奥義塾でイング夫妻と知り合い、ことに東奥義塾の女子部で教育をしていたルーシ夫人とは仲良くなり、函館の女学校の必要性を強く感じるようになった。またフローラは文筆家で、明治九年(1876)には米国メソジスト監督教会婦人外国伝道協会(WFMS)の機関誌に「如何にして婦人を救うべきか」という論文を寄稿したほか、数編の論文を機関誌”Heathen Woman’s Friend”に寄稿した。その後体調を崩し、帰国したが、それに感銘を受けたドイツ在住のライト米国公使夫人から多額の寄付の申し出があった。これを元にして明治十五年(188221日に開校したのは、のちに遺愛女学校となるカロライン・ライト・メモリアルスクールである。教師はアメリカ人女性3名と日本男性2名で、生徒は弘前からの寄宿生6名で始まった。その後、6月には生徒数は約20名(寄宿生16名と数名の通学生)となり、明治十八年には生徒数77名(寄宿生61名、通学生16名)となる。通学生より寄宿生が多いのが特徴で、寄宿生はほぼ弘前出身者で占められていた。これは弘前の東奥義塾女子部が閉鎖され、女子の教育を求めた結果、渡海して函館の女学校に入学した。そのために明治十九年には弘前に来徳女学校が開校し、翌年には弘前遺愛女学校、さらに明治二十二年には弘前女学校として独立する。初期の生徒の多くは弘前からの生徒であったので、弘前女学校の設立により函館遺愛女学校の生徒数は減少しただろう。

 当時の女学校ではカリキュラムを終了した卒業という制度は曖昧であり、函館遺愛女学校の最初の卒業生は明治二十一年(1888)に卒業した珍田みわである。珍田みわは明治の外交官、珍田捨巳の姉で安政元年(1854)生まれであるので、卒業時の年齢は34歳となる。遺愛女学校の開校時に入学したとすれば、28歳で入学し、六年かかり34歳で卒業したことになる。その後、弘前女学校の舎監などをし、晩年は東京の珍田捨巳邸で敬虔なクリスチャンとして過ごした。明治二十三年(1890)の第二回卒業生は、山田(高谷)とく、中野(一色)うめの2名で、山田とくは東奥義塾女子小学部から県立女子師範より遺愛女学校に入学し、卒業後すぐに弘前女学校の教師となり、実業家の高谷貞次郎と結婚後もキリスト教徒として種々の社会事業を行った。兄にはメソジスト牧師の山田源次郎と寅之助がいる。中野うめについてはわからないが、山田とくの従姉妹である。明治二十五年(1892)の第三回の卒業者は11名で、木本(川上)ときわ、竹中ひさ、石塚(山鹿)よし、大和田(萩田)ふみ、(水嶋)とよの5名のほか、鎮西学院の中興の祖、笹森卯一郎の妻、三上(笹森)としも三回生であろう。明治二十七年(1894)の第四回の卒業生には小説家、今東光の母、伊東(今)あや、両角(藤原)おとめ、野田(古澤)こう?、明治二十九年(1896)の第五回卒業生には照井(鹿討)まつ、(美野田)もと、久保(中野)きよ、藤田(山田)とし、(斎藤)しな、八木橋(中村)りか、(金子)とし、(吉田)とみ、(桜庭)、(縄田)、(白鳥)、東福(石澤)やえ、明治三十一年(1898)の第七回卒業生には、中野(小池)まつ、(浅野)まつ、(山本)はな、(渡辺)きよ、藤田(片山)なり、明治三十二年(1899)の第八回卒業生には、(三枝)けん、(羽咋)こう、(西村)せい、(石澤)みどり、藤田(羽多野)さたがいる(以上の卒業生のデータは、山田としの資料をいただいた埼玉在住の方の調査結果による)。

2019年8月4日日曜日

一般歯科でのマルチブラケット装置

Fake Brackets おしゃれのためにこうした偽のブラケットをつける

 矯正歯科医院では、その治療の70-80%はマルチブラケット装置によるものである。これは世界中の矯正歯科医院でもそうである。マルチブラケットというのは一本一本に歯にブラケットをつけてワイヤーの力を利用して歯を動かす装置であるが、日常臨床のほとんどがこれによる治療で、もっとも汎用性が高く、効果のある治療法である。成人で言えば、この比率はさらに上がり、ほぼ100%の治療がマルチブラケット装置による。

 子供の治療をおいても、永久歯列の完成する中学生頃までの治療は一期治療あるいは早期治療と呼ばれるが、それだけで治る可能性は40%以下であろう。残りの60%以上は、永久歯列が完成した時にはマルチブラケット装置による仕上げの治療が必要となる。

 こうしたことから、マルチブラケット装置による治療ができなければ、子供の矯正治療の60%以上、成人の矯正治療の100%は治療できないことになる。それ故、矯正治療をしようとすれば、まずマルチブラケット法を学ばなくてはいけない。ところがマルチブラケット法を学ぶのは非常に難しく、数回の講義を受けただけでは、ほとんど理解できず、少なくとも終日、矯正歯科のみをする環境で数年間の経験が必要となってくる。なぜなら大まかな治療法は決まっているものの、患者や不正咬合、年齢などによる治療法の修正が必要だからである。例えば、歯を動かす場合でも早い遅いがあるし、あるいは動かない場合もある。こうした違いに対応した治療法が求められる。かなり経験が必要で、私のような40年近く、臨床経験をしていても、いまだに診断ミスがある。

 最近も、フィリッピンで治療費が安いからといって治療を始めて、途中で日本に帰国した患者さんがいた。治療継続を希望していたが、典型的な一般歯科医のマルチブラケットで、ただ単に歯にブラケットをつけてワイヤーでデコボコをとっただけである。口元は突出して、前歯も全く噛んでいない。抜歯ケースで、治療を始めからし直さないというと、じゃ治療をやめるというので結局は装置を外したが、多分、フィリッピンの歯科医院で口元の突出感を訴えても治療してくれないだろう。同じようなケースは日本でも多くあり、患者が“前歯が開いている、口元が出ている”などと訴えると、これ以上の治療はできない、歯を抜くのは理念に反するといって治療を拒否する場合がある。最近のワイヤーは形状記憶合金を使ったチタン系のもので非常に性能がよく、簡単にでこぼこは治る。ところが歯を抜いてその隙間を利用してでこぼこを直したり、前歯を中に入れたりするのはそれなりにテクニックが必要となる。問題は、ここであり、一般開業医でもマルチブラケット装置による治療をしている先生は多くいるが、このでこぼこをとる、レベリングという段階でとまっている。これ以上の上顎前突や反対咬合、開咬などのケースについては一般歯科医では治療がかなり難しい。

 そのため、成人患者で一般歯科医院にて治療される方がおられるが、でこぼこだけで治るケースは非常に少ないことから、フィリッピンの歯科医院で治療を始めたケースと同じく、かなりリスクの高い医院選択と思われる。ただ一般歯科医の中にも、大学や矯正歯科専門医で長年、勤務していた先生もいて、そうした先生では十分なマルチブラケット装置による治療はできるが、そうでない先生ではまず専門医が納得するような治療は無理だと思う。そうした履歴がない場合は注意を要する。

治療の難度(永久歯列完成後、中学生以降)
  軽度のでこぼこ>中程度、重度のでこぼこ>反対咬合>上顎前突>開咬

一般歯科医では無理と思われる症例(成人)
 反対咬合、上顎前突、開咬、顎変形症  骨格性の問題(横、前後的)


2019年8月3日土曜日

韓国ドラマから見る韓国


 うちの家内は大の韓国ドラマファンで、私の母、姉も同様で、年配の方で、韓国ドラマが楽しみだと言う人は多い。私自身、特に好きでもないが、たまには家内と相伴してテレビを見ることがある。家内に言わせると、韓国ドラマでは必殺のパターンが繰り返し行われるようで、韓国映画「サニー」でも病院でドラマを見ている患者、皆おばさんだが、主人公が白血病だとわかると、一斉に“またかあ”、“こればかりだあ”などと口々に不満を言うシーンがある。定番なのが、孤児院で育った二人、一方は金持ちの子供になり、片方は貧乏。そして実際は貧乏の家の子が金持ちの家の実子であるが、実父が記憶喪失でわからない。徐々に記憶を思い出すが、金持ちの娘を何とかそれを阻止しようと嘘をついたり、悪事を働くといった内容である。キイワードで言えば、孤児、記憶喪失、金持ち、財閥の会長、嘘、憎しみ、交通事故、汚職、脅し、兄弟、親子、病気、これらのキイワードで現代物の韓国ドラマの90%は語られる。

 ある意味、ヒット作の模倣の連続で、一本ヒットドラマが出ると同じようなパターンのドラマが次々と作られる。そのため、今時、流石に孤児院出身者はないだろうと思っても、相変わらず主人公が孤児だというドラマは多い。ただこれも全く見当違いというわけではなく、韓国では1950-60年代、年間数千人単位で海外に養子に出された時代があり、今でも乳児遺棄の数は多い。一つには障害を持つ子供を育てにくい国であり、また混血児の偏見も強い。そうした子供を孤児院に捨てる親が多かったのも事実であり、ドラマでも取り入れられた。今、放送中のNHKドラマ「あおぞら」でも久々に孤児が主人公として出ていて、少し韓国ドラマの影響を受けたようである。
 さらに韓国ドラマでは嘘がつくシーンが多い。これだけ証拠が集まり、早く白状すればと思っても、そこから10話くらいは嘘をつき、証人を買収したり、殺したりして、逃げようとする。この根性たるや、すごいもので、悪役になると最後まで抵抗し、それがドラマのキイとなる。さらにこれと関係するが、平気で人に罵声を浴びせるが、しばらくすると何もなかったように仲良くなる。日本人の感覚からすれば、旦那の母親、義理の母から“あなたはウチにはふさわしくない、すぐに離婚して出て行け”と一回でも言われれば、生涯、その言葉が忘れないだろう。ところがドラマではこうしたことを言っても、“あの時は頭が混乱していて変なことを言ってしまった。許して”で、それで仲良くなる。思ったことをすぐに口に出すので、恋人同士、親子、兄弟間の喧嘩が凄まじい。あれを言っちゃお終いよと言ったやり取りの連続である。

 こうした韓国ドラマを日本のドラマと比較すると、明らかにドラマは両国の国民性を反映しており、ドラマとは言えあまり現実とは異なると、視聴者が嫌われる。そうした見方からすれば、現在の韓国は多くの韓国人に集まりと考えられ、こうし国民性格は国の政策や外交とも関係してくる。嘘をつくこと、嘘を罪とは思わない国は、慰安婦や徴用工のインタビューにも当てはまる。小さな嘘が大きくなり、にっちもさっちもいかない、その挙句に悪事を働き、犯罪人となる。こうしたドラマは多い。現状の韓国政府、文大統領の政策も同様で、前大統領、朴大統領の徴用工の扱い、握りつぶすのが最も現実的な解決策だったが、それを無視した結果、韓国経済を破壊するような流れとなってきた。韓国ドラマであれば、さらに悪あがきして、もっと深刻な状況となり、そして最後はすべての嘘がバレて、牢屋行きとなる。為替はついに1ドル、1200ウオンを超えてしまったが、明日もウオン安が続くようなら、最悪、日韓スワップがないだけに2008年の通貨危機以上になるかもしれない。解決済みの徴用工問題で国を潰した大統領の罪は大きく、次期政権下では、確実に死刑判決となろう。ドラマのように極端から極端に走る国であり、日本にとってはあたかも隣人がゴミ屋敷おじさんというようなもので、始末に困る。 

2019年8月1日木曜日

初音ミクと弘前

弘南電鉄の桜ミク

桜ミク関連グッズ

 81日、桜ミクの弘前ねぷた版のグッズが販売された。郵便局に行ったついでに、弘前まちなか情報センターに寄った。朝の9時半頃だったが、数人のファンがつめかけ、多くのグッズを購入していた。一人で数千円以上のグッズを買っていた。私も、クリアファイルセットを3つ、コースターを2つ、そして販売商品にはない、ポスターが売られていたので、iXimaの桜祭りとねぷたバージョンのポスターを購入した。若い人の多い中、一人年寄りが混ざり恥ずかしかった。

 前回の弘前桜祭りとのコラボグッズは弘前市立観光館で買ったが、この時は、販売して二日目だったのにすでに商品数は少なくなっており、クリアファイルと缶バッジを買った。1週間後に行くとほとんどの商品を売れてしまっていたので、今回の弘前ねぷたバージョンも同様にあっという間に売れてしまうのだろう。特にポスターは500円と安く、ネットでも購入できないので、売り切れは必然である。ただ個人的には商店に飾られている“弘前ねぷた祭り 日時”などが書かれた正式の広告ポスターが欲しかった。売っているのは、iXims、木屋町、なじょの三人の作家のポスターとセットが売られていて、ほとんどのファンは3枚セットを購入していたが、弘前ねぷたが背景に描かれているiXimaの絵が一番好きで、いい感じである。

 以前、弘前市を舞台にしたアニメ“ふらいんぐうぃっち”を観光に活用し、若い人を中心に一応の成功を収めた。一部のファンではあるが、聖地巡礼で弘前の舞台をあちこち回るフアンもいた。こうしたアニメを使った観光誘致は、なかなかのもので、弘前市あるいはコンベンション協会の良いアイデアであった。県庁所在地の青森市にすれば、“ふらいんぐうぃっち”は仕方がないとしても、桜祭り、ねぷた祭りに人気のキャラ、初音ミクを弘前市に使われたのはショックであったろう。桜ミクのキャラはタクシーや弘南電鉄の車両にも使われて、町中に桜ミクが見られる。こうした町中を何かのキャラで埋めてしまうのは、楽しい。最近では弘前市上空でブルーインパルスの飛行があり、これも夢中になったが、こうしたアクションを次々としていくのが、町の活性化に繋がり、この勢いをそのまま弘前レンガ美術館の開館に持っていきたいものである。

 弘前レンガ美術館も急ピッチで工事が進められており、完成が楽しみである。市民がおらの町の美術館、特に若者が誇りに思うような文化の発信地になってほしい。できれば美術館周りに雑貨店や喫茶店、さらにはしゃれたレストランなどができ、回遊式の観光ゾーンとなってほしいものである。さらにこれは一番の期待であるが、すでに弘前市の中心街に映画館がなくなった現在、美術館前の広場で、昔の映画の野外上映をしてほしい。ホットドッグ、ビール、クレープなどの売店があれば、芝生に寝転びながら昔のフランス映画“ロシフォールの恋人たち”やイタリア映画“フェリーニのローマ”、あるいは夏であれば弘前出身の女優、相馬千恵子さん主演の“四谷怪談”を見ることができる。ニューシネマパラダイスのようにスクリーン以外のレンガ倉庫の壁に上映できないだろうか。こうした美術館周りの祭りも是非実行してほしいところである。失敗しても良いからどんどん若い人のアイデアでいろんなことはしてほしい。もちろん、奈良美智さんの青森犬は外に展示すべきで、落書きや破損などの問題が出るかもしれないが、その都度対応し、そうしたことを恐れて屋内展示にするのはやめた方が良い。青森犬は一種の美術館のシンボルであり、それは屋外に堂々と展示すべきである。