2022年1月23日日曜日

平和になった尼崎

昭和30年代の家の前、奥が阪神尼崎駅方向、旭硝子の向かう労働者でいっぱいだった。

昭和30年代の難波幼稚園、田中花子園長

先週、2年ぶりに母親の99歳を記念する百寿の集まりのために尼崎に行った。新型コロナウイルスが猛威をふるう中、N-95マスクをつけ、伊丹空港からタクシーで、誰一人喋らないように注意しながら、尼崎にそっと行った。

 

昔、尼崎の実家に行くときは、「十間道路の産業高校を過ぎて、中央保健所のところの次の信号を右に折れて100メートル」と説明したが、産業高校も中央保健所も今はない。そこで2年前に行った時は、「県立尼崎病院を超えて、尼崎信用銀行東難波支店を右に折れて」と説明したところ、運転手さんから「なんや古川組のところやありませんか」というので、今回は「東難波の古川組の前の家まで」と告げてタクシーは乗った。

 

すると家の前にあった古川組はあとかたもなく、壊され、新たな分譲住宅が建設中であった。5棟ほどの20坪くらいの家が建てられる予定である。そういえば、10年ほど前から近所に新しい分譲住宅が次々とたち、古い年寄りの家は次第に少なくなっていた気がした。古川組も先代の組長は山口組でも上の方にいた貫禄のあつた人であったが、息子は求心力があまりなく、一昨年だったか、機関銃で射殺され、とうとう事務所も解体、売られてしまった。

 

もともと古川組のあったところはクリーニング店の住宅あったところで、その前には幅1mくらいのドブがあり、友達としょっちゅう、おしっこの飛ばしっこをした。クリーニング店はそこから20m離れた、親父の歯科医院の隣で、いつも忙しそうにしていた。隣の尼崎市立総合老人福祉センターが建っているところは旭硝子の社宅があったところで、玄関があり、小さな庭と二階建ての家が5、6軒建っていた。この社宅の前の幅3mくらいの道が遊び場であった。もちろん舗装されていない土の道であった。また現在、東難波住宅となっているところは、昔は広い空き地で、ここでは草野球をして遊んだ記憶がある。ここを西に行ったところにあったのが尼崎センター市場で、2030軒の主として食料店が並ぶ市場で、近隣の住民で混雑していたが、次第にスーパーに押され、挙句に火事となり、更地となり、今は多くの住宅が建っている。

 

古川組以外にも、昔は東難波町に3つの暴力団があったが、今は全て消滅し、物騒な雰囲気は全くなくなった。さらに実家より南に50m行くとホープという理髪店があり、ここを右に折れて難波小学校に行く道は、昔から危険なところで、私も滅多に歩かなかった。たまに歩くと怪しげな酒店が何軒もあり、汚い格好をした人がいっぱい集まり、騒いでいた。また薬をしてラリっていたのか、大声で叫び、暴れていた人もいたし、“青線”と呼ばれる素人の売春もこの界隈で行われていた。夏場になるとランニングシャツにステテコというのが普通であったが、その下には刺青がちらほら見える。この道の両脇には幅1mくらいのそれは小さな道があり、その奥には小さなアパートがあり、そこの6畳くらいの部屋に56人住んでいた。台所、トイレは共同で、外に七輪で炊事をしていた家も多かった。下水道もなく、道横のドブに汚物が流れていて、いつも嫌な匂いがしていた。

 

理容ホープから東に少し歩いたところに昔は銭湯があり、いつ行っても刺青を入れた人が必ず数人いるようなところで、あまりの多さに子供心にそれほど怖くなくなったが、それでもホープの前で、包丁で刺された殺人事件が起こった時は怖かった。喧嘩くらいは日常的にあったが、さすがに殺人は滅多になく、家から北に50m行った三角公園(中通公園)のバス停では、食い逃げした客を追っかけた食堂店長が、客から包丁で刺された事件があった。次に日にバス停で行くとあたり一面に黒い血痕が大量に残っていて、怖いところに住んでいると思った。

 

私は、私立の六甲中学という上品な学校に行ったが、当時の難波小学校の同級生のほとんどは昭和中学校に進学した。当時は不良が学校を牛耳っていた時代で、中学校にも番長がいて、数十人単位のワルが他の中学校との喧嘩に明け暮れていた。ヤクザの抗争を真似たもので、決闘の日にちが決まると、部下を刈り集め、さすがにナイフを持つことはなかったが、自転車のチェンなどを持って喧嘩をしたようだ。殴りあいの喧嘩が主で、傷害事件にはならない程度で終了した。そのため尼崎の中学でも喧嘩のランキングができ、高校入学後も、例えば、尼崎工業高校、大阪福島商業高校(エテ商)、浪商などやんちゃな高校に入っても尼崎の中学、喧嘩ランキングが効き、今度は高校に尼崎派閥ができる。どうも当時の尼崎の中学生、高校生は、他の市の人から“アマでっか”と言われると、“アマでなんか文句があるんか”と逆ギレし、自分の町を自虐も含めて、不良の町と自慢するようなところがある。

 

ただ今回、尼崎を歩いていると、小ぎれいな一戸建て住宅が並ぶ、普通の街となり、もはや治安の悪い尼崎という汚名は返上した方がいいかもしれない。


 

2022年1月16日日曜日

Youtubeの矯正治療動画のアラ探し



台湾の留学生が土曜日に、矯正治療の見学に来ているので、治療の説明にためにYou-Tubeを見ることが多い。例えば、金属線で結紮する場合を見てみよう。私の場合、ホープライヤーで結紮することが多く、これにはかなりの修練が必要となる。0.010インチの結紮線でワイヤーとブラケットを結ぶのであるが、結紮線の端、34mmをプライヤーで挟み、クルクル回して縛っていく。

 

東北大学の小児歯科にいた時は、口蓋裂患者を主として診る合同外来で、矯正科の幸地先生から結紮法を習ったが、1年間では結局、できなかった。その後、鹿児島大学では教授の方針により、結紮線を使わないセルフライゲーションブラケットを使っていたために、ここでも一向に上達しなかった。結局、本格的に金属線を使って結紮するようになったのは開業後であるが、今でもそれほど早くはない。

 

こうしたこともあり、自分よりもっとうまい結紮をしている先生がいると思い、Youtubeで探してみたが、ホープライヤーで結紮している動画は結局なかった。多くの動画では、リガチャータイイングプライヤーやモジュールプライヤー、モスキートプライヤーで結紮している。これが今の主流なのかもしれないが、私が教育を受けた頃はホープライヤーで結紮するのがかっこよかった。さらに滅菌を必要とする基本セットは出来るだけ、プライヤーの数を減らしたいので、こうした結紮専用のプライヤーを1本増やしたくない。動画では衛生士、あるいは歯科助手に結紮線をさせているクリニックが多いのも気になった。個人的には、結紮線の締め具合は重要と思っている。

 

バンドの試適をする場合、歯の大きさに合わせてバンドサイズを選び、そしてプッシャーというプライヤーで合わせる。プッシャーは通常、順手で持ち、人差し指を添えて粘膜に突き刺さないようにする。ところが結構、このプッシャーをペンを持つ握り方でバンドを合わせている動画があり、驚いた。歯科衛生士あるいは助手が治療していたが、おそらく本人も歯科医も問題あると思っていないのだろう。他にもワイヤーをゴムで結紮する場合も専用の器具あるいはモジュールプライヤーで結紮しているが、逆手で持っているケースが多い。昔、矯正科の医局に入ったとき、逆手で治療していると先輩から怒られ、見つかると椅子を足でけられた。逆手で包丁を持つのは人を殺す時だけで、こうした繊細な器具を必ず包丁と同じく順手で持てとたしなめられた。

 

さらに今回、多くの動画を見て、一番気になったのは、ワイヤーの交換、結紮はほとんど衛生士あるいは歯科助手がしており、さらにブラケットの装着も先生がせず、ほとんどの作業に歯科医はタッチしない。私のところでは、ブラケットの装着はもちろん、ワイヤーを外し、調整、作製して装着まで全て一人でしており、歯科衛生士には一切タッチさせない。歯科医だった親父は、セメント練りから印象まで一人でしていたし、同じ歯科医の兄も治療はほとんど一人でしている。

 

確かに1日の患者がアメリカのように200名を超える矯正歯科医院では、こうした分業も必要だと思うが、日本で、1日の矯正患者数が200名を超えるところは大学病院も含めてほとんどなく、数が多いから助手、衛生士にさせているという論理はおかしい。また私のところでもマルチブラケット装着は上下で1時間とり、一日、最高で4件、装着したことがあり、さすがにその時はワイヤー装着を衛生士にさせた。マルチブラケット装着も衛生士にさせほど忙しいとなると、おそらく一日の装着件数が、10症例を超えるのだろうか。そんなことはあり得ず、単に歯科医が面倒臭がって、ブラケット装着をしないのであろう。ブラケットのポジショニングは治療の成否に決定的な影響を与え、これを他人にさせること自体が、矯正治療に対する軽視であるし、単純に考えて、ワイヤー交換はしない、バンディングもしない、装置の装着もしない、歯科医は何をしているのだろう。院長室でネットでも見ているのだろうか。患者もそれほど多くないのに不思議である。

 

まあこんなことにケチをつけるのは、じいさんになったということか。


上の動画はミシガン大学矯正科のものだが、20:00くらいからバンディングの説明をし、ペングリップでは滑って粘膜に大きな損傷を与えるので、絶対にするなという解説がある。下の動画は矯正用プライヤーの解説で、11:00からプッシャーの解説をし、なんとプッシャーを逆手でバンディングしている。いくら模型とはいえ、これはひどい。他にもペングリップ、逆手の持ち方の動画が多い。


歯科では、タービン、エンジン、ピンセット、ミラー、探針など、細かい作業をする器具はペングリップで、器具の太さもそれに合わせている。ついで、抜歯鉗子、ヘーベル、バキューム、ハサミ、そして矯正用プライヤーなど、力を入れながら細かい作業をするものは順手で、器具の太さも太い。歯科治療において逆手で扱う器具はないと思う。個人的には、クランプをかけるクランプフォーせプスあるいは後方から下顎大臼歯抜歯の抜歯鉗子では、逆手が許されるか。医科の手術においても、ほとんどはペングリップ、あるいは矯正治療でも使われるマチュー鉗子などは順手で扱うが、逆手はない。




2022年1月13日木曜日

矯正治療費の内訳(材料費)

 



アメリカではおしゃれの一環で、こうしたFake Braceと呼ばれる取り外しできるブラケットをつけるものがあります。


 矯正治療は自費で料金が高いというのが一般的であるが、実際、矯正治療の材料そのものは安い。先生によっては矯正機材の値段の高さを強調する先生がいるが、これは間違いである。

 

ここでは一般的な矯正用ブラケット装置を用いたマルチブラケット装置の例を示す

 

1.     矯正用ブラケットおよびチューブ

 金属ブラケットは安く、平均すると一個、300-500円くらいである。チューブも同じくらいの値段である。硬質レジンの審美性ブラケットは少し高く、それでもセールや、購入個数により値引きがあるので価格はまちまちだが、だいたい一個600-900円くらいで1000円を超えることはない。セラミック製のブラケットはもっと高く、さらにデーモン3のようにセルフライゲーション機能がつくともう少し高い。それでも定価ベースで2400円くらいが最高であり、セラミック製ブラケットはだいたい1000-2400円となる。これを見ると矯正用ブラケットは安いと1個300円、高いと2400円くらいであるが、総額からすればせいぜい、高くても5万円以下である。

2.ワイヤー、結紮、ゴム

 マルチブラケット装置では毎回、ワイヤーを交換したり、調整したりする。ワイヤーの費用はよく使うステンレスワイヤーの場合、1本は100円くらいで、ゴムメタルワイヤーのような特殊なワイヤーでもせいぜい1000円くらいで、なおかつ最初のレベリング期間を除けば、それほど毎回交換するものでもない。通常の2年間、24回の調整で使用するワイヤー、結紮線、ゴムの材料費の総額は、1万円以下であろう。

 

 マルチブラケット装置の場合は、ブラケットとワイヤー、ゴムが装置のほとんどとなり、それにヘッドギア、パラタルバーなどが入るが、それらすべてを入れても材料費の総額は8万円を超えず、私のところでの例で言えば、レジンブラケットを使っているので、ブラケット材料費は小臼歯抜歯ケースでは16本で約13000円、大臼歯のチューブ代が8本で4000円、ワイヤー、結紮線、ゴム代が5000円の計、22000円が材料代となる。これに保定装置を技工所に出すと上下で約2万円であるが、自分で作れば材料費は1000円以下となる。私のところでは、すべて自分で作っている。他にも、印象材、滅菌消毒関係の器材、プライヤー、バー、小器具を新たに購入する費用も含めて、私のところで言えば、材料購入費の割合はだいたい総収入の6%程度となる。

 

 もちろん矯正治療費は、これら材料費以外にも、滅菌消毒費、ユニットやレントゲン装置の減価償却、さらに人件費、光熱費、テナント料など入れた値段となる。ただ飲食店の原価率、30%が目安という尺度から見ると原価率は低いが、同じような業種である美容院の原価率を調べるとだいたい10%くらいである。美容院も物を売って利益を得るというよりは、技術を売って料金を取る職業であるが、矯正歯科の場合もこれに近いかやや低い原価率となる。ちなみに一般歯科の場合、保険点数が低いこともあり、原価率は約20%とかなり高く、勢い原価率の低いインプラントや矯正治療などの自費治療を患者に勧めることになる。同様に医科の場合も、材料費、委託費を含めた医業原価率は21%くらい、これに加えて人件費が30%くらいなので、かなり経営は厳しい。 

 

 こうして見ると矯正治療の材料費そのものは低い。人件費、テナント料、減価償却などは一般歯科と同等とみれば、少なくとも治療費における粗利益率は高く、その理由は、技術料が高いことに尽きる。矯正治療の純粋の材料費は、治療費の10%以下にすぎず、高額な治療費は、きちんと治すという技術料が大きなウエイトを占める。人によっては、技術料が高すぎるから値段をやすくしろというかもしれないが、コンピュータのソフト、アプリ開発、弁護士費用、建築設計など、原価はほぼ0に近い仕事であり、原価が安いので、安くしろという理屈は合わない。


 技術力を知るのは非常に難しく、中には高い費用=高い臨床技術と勘違いしている人がいるが、一番確実なのは、ネット上での口コミサイトではなく、実際に治療受けた人からの情報である。そして治療を始める前に何軒もクリニックを訪ね、よく説明を聞き、納得してから治療すべきである。そして再治療や転医の場合の費用、一般的には再治療は調整料以外に新たな費用は発生しないし、転医の場合は進行程度により料金の返金がある、などよく聞いておく。


2022年1月9日日曜日

映画「りんご園の少女」のロケ地を検討する

美空ひばり主演、挿入歌の「りんご追分 」で有名な映画「りんご園の少女」は昭和27年(1952)に弘前ロケで製作された。前回、「石中先生行状記」では登場シーンをスクリーンショットで動画から取り出して、説明したが、同じように「りんご園の少女」もYoutubeで全編公開されているので、映画に出てくる弘前ロケシーンを解説する。


まず最初に出てくるのが、禅林街の長勝寺の門前で、美空ひばりがりんご園から馬車に乗って登場する。大きな木は樹齢800年を超える太郎杉で、立派なものである。残念なことに平成十年に枯れてしまった。

同じ長勝寺の門前のシーン

画面の向こうに大きな商店がある。久に一のマークがあり、これは上和徳町の久一呉服店であることがわかる。場所は今の青森銀行和徳支店近くである。

どこかの女学校のシーンである。三階建で二階は回廊のようになっている。寒い弘前ではこうした二階が回廊になっている学校はなく、弘前以外のどこかのロケのように思えるのだが。
コメントより黒石尋常小学校の校舎ということが判明しました。それにしても豪華な建物で、なぜ保存しなかったのでしょう。

2代目の弘前駅前のシーン、トテ馬車がとまっている

同じく弘前駅前のシーン



極端に三味線を立て弾く、津軽三味線の祖、白川軍八郎か?
かなり演奏はうまい



弘前城内でのシーンである、すごい人だかりである。当時の大スター、美空ひばりを一目見たいと大勢の人が集まったのだろう。


映画やテレビドラマの中にも弘前の昔の景色が見つかる。戦前、戦後すぐくらいの映画で弘前ロケのものがあるだろうか。映画「おはなはん」は弘前ロケだっというがYoutubeにはない。

PS: 津軽三味線会館の調査により、「りんご園の少女」に登場する津軽三味線奏者は大鰐温泉の工藤瑠次郎という奏者ということです。




2022年1月6日木曜日

今年の2月頃に新しい本を出版します

 

予定の表紙


現在、今年の2月頃に出版予定の「弘前歴史街歩き」の校正に入っている。出来るだけ間違いのないようにと思うが、こればかりはかなり難しい。例えば「青森市のねぶた祭りは、大型のねぶたと男女が派手な衣装で飛び跳ねて踊るハネトが有名だが、あれだけ多数の、主として若者が飛び跳ねた踊り、自由に参加できるハネトは、昭和43年(1968)から始まった最近のもので、従来の盆踊りがねぶたに融合されたのかもしれない。」という記述がある。

 

下線部がかなり引っかかる。確かに観光客なども含めた自由参加して踊れるようになったのは昭和43年頃であるが、ハネトが登場するのはもっと以前のことで、こうした記述では青森市民に怒られる。そこでもう少し、検証してみる。

 

まず青森ねぶたの比較的古い記録としては今純三の昭和3年のスケッチ、「ねぶた運行の光景」がある。この絵では、ねぶたの前には子供連、そしておどり連、ねぶた本体、囃子と続く。このおどり連をよく見ると、今の青森ねぶたのハネトと変わらず、派手な衣装と花笠をかぶり、手をあげて踊っているが、決して跳ねてはいないし、踊り手の中に女性が混ざっていない。そこで「青森ねぶたミュージアム」というHPを見えると、明治末期大正初期の青森ねぶたの写真が載っている。それを見ると仮装行列のようなおかしな格好をしている男性の写真があり、大正6年頃の写真には花笠を被った男性が少し出てくる。さらに大正15年の写真ではもはや派手な衣装、花笠、そして化粧をした男性がねぶたの正装となる。ただこの時点でも集合写真の中には子供はいても女の人はいない。おそらくねぶたの運行は男性が中心で、仮装行列の一環として男性が女装して面白がったのだろう。昭和前期の写真も同じような傾向であり、男性はマスクのように手ぬぐいをほっかぶりしている。確かの戦前の男女の仲がオープンでない時代に、男女が派手な格好をして暑い季節に踊ることは風紀上も好ましくなかったであろう。

 

これらの記録から、青森ねぶたの派手な衣装の踊り手は大正頃に出現したもので、ある記述では、昭和24年頃に荒川村のねぶたは男性が女装し、鼻筋に白く白粉を塗って、ラッセラーの掛け声と一緒に、跳ねて踊り、昭和26年頃から、こうした跳ねる踊りが一気に広まったという。明治、大正の頃の盆踊りでも、男性がふざけて女装して踊ることがあり、その後、次第にこうした派手な衣装に人気が出て、ねぶたにも使われるようになったと思われる。そして昭和26年頃から跳ねるという踊りになり、これがおそらくハネトの始まりだろう。さらに女性がハネトとして男性と一緒に踊るようになったのは昭和40年以降と思われ、その後、今のような形態となったのであろう。

 

それゆえ、最初の私の記述は、おおよそは間違ってはいないが、誤解を招くため、一部を変えて「あれだけ多数の、主として若者が飛び跳ねて踊るハネトは、昭和26年(1951)頃から始まったもので、昔の盆踊りがねぶたに融合されていったのかもしれない。」と訂正した。昔から続いていると思われているものでも、歴史は少しずつ変化していて、その姿を変えている。青森ねぷた、弘前ねぷたとも江戸時代から続くものであるが、その内容は随分と変化しており、伝統文化を守れと言っても、どの時点での伝統というのか難しいところである。今の青森ねぶたのスタイル、大型の横長のねぶた、派手な衣装と男女が集団で飛び跳ねて踊るハネトなどは、昭和30年から40年頃から始まったものであり、観光化に伴う一種の変遷とみなすことができ、そうした意味では、祭りそのものにあまり伝統という枠組みをする必要はないように思える。祭りのスタイルはせいぜい50-60年ほどのものであり、これからもどんどん伝統にとらわれず変化していってもいいのかもしれない。

2022年1月4日火曜日

映画「石中先生行状記」のロケ地を検討する


巨匠、成瀬巳喜男が、1950年(昭和25年)に石坂洋次郎原作の「石中先生行状記」を映画化した。戦後の弘前を舞台にした石坂の小説を原作としているので、映画でも弘前市内とその郊外がロケ地として選ばれている。郊外のロケについては、参考にすべき対象がなく、同定できないが、市内の撮影については古い写真やストリートビューなどでわかるところもあるので、ここで少し検討してみたい。 

映画自体はYouTubeで見られるので、見て欲しい

https://youtu.be/qWHtXDDeCw4




映画の最初のシーンであるが、土手町、蓬莱橋付近と思われる。

昭和25年当時のトテ馬車の動いているシーンが見られる

蓬莱橋からの風景である。少し望遠で撮ったのか、圧縮効果で向こう山が大きく写っている。


これは弘前大学病院横、在府町のところである。木の茂った黒塀の家は今もそのままある。


これも坂の角度から、ほぼ本町坂であることがわかる。


この西洋風の建物ははっきりしなかったが、コメントより弘前郵便局と判明
現在のドーミーイン弘前ホテルの場所,明治35年に建てられ、昭和37年に解体

上の写真から、ドーミーイン弘前の斜め前、旧千葉酒造店横の空き地、
昭和10年の地図では岩田唯四郎宅




劇場のシーンであるが、これだけ狭い空間に店や劇場があるところはなく、撮影所での撮影か


岩木山の位置からは茜橋か


これも岩木山が大きく見えるが、おそらく医学部病院前の本町だと思われる。白い坪田家の蔵は今も残っている。


これは右の門から弘前大学病院である。

土手町のどこかであろう。


最初の方のシーンであるが、はっきりしない、これも撮影所のセット?





これも全くわからない。慈善館にしては周囲の状況が違う





























2022年1月2日日曜日

映画 男と女






54歳のアヌークエーメ

87歳のアヌークエーメ


クロード・ルルーシュの名画「男と女」を最初に見たのは、確か20歳頃で、仙台の名画座で観た記憶がある。この映画ができたのが1966年だから、10年後のリバイバル上映をみたわけである。

 

フランス・レイの音楽と、何よりもアヌーク・エーメの美しさにたまげた。当時、アヌーク・エーメは34歳、映画では5、6歳の子供がいる母親役で、ほぼ年齢通りの役柄である。当時、20歳の私から見た34歳の彼女の仕草がとても大人びて、セクシーに思え、憧れた。海岸の砂浜を子供と一緒に歩く彼女のムートンコートはとてもかっこよく、これぞフランスのおしゃれと思った。

 

その後、何度かテレビでもこの映画を見たが、数年前にツタヤのレンタルで、「男と女II」という続編があるので、へえと思ったレンタルした。前作の20年後を描いた映画で、公開は1986年であったが、全く記憶にない。この映画撮影の時のアヌーク・エーメの年齢が54歳、前の作品よりさらに美しくなり、セクシーども増している。スタイルもあまり変化せず、いわゆる美魔女という感じである。内容は、映画の中で映画を撮るというイタリアのデシーカー監督のやる手法であったが、全く成功しておらず、印象は弱い。

 

そして昨日、「男と女 人生最良の日々」(2019)を見た。最初の「男と女」から53年、彼女も87歳、共演のジャン=ルイ・トランティニアンはなんと89歳。流石のアヌーク・エーメもおばあさんになった。何よりウエストは2倍になったかと思うほど太っている。それでも見ているうちに、ちょっとしたしぐさに53年前の彼女の面影が思い出し、次第に綺麗と思うようになったのは不思議な感覚である。これは、普通の夫婦にも言えることで、歳をとるとお互い昔の容姿は衰えているが、それでもちょっとした仕草に若かった頃の面影も見つける。

 

この映画では、痴呆になった父親が、しきりに昔の恋人のことを言うので、その息子が恋人、アヌーク・エーメを探し出して、老人施設で会わせる。ところが彼氏、トランティニアンは所々の記憶はあるものの、実際に会いに来た彼女のことを最後まで思い出さないまま映画は終わる。逆にこの年齢で恋が再発すると、かなり面倒なことにもなりかねないので、一方が他方をあまり思い出さない設定の方が、昔の思い出のみに生きるという点ではいいのかもしれない。私も65歳、前期高齢者になると、実際の恋愛よりはむしろ思い出としての恋愛を懐かしむ方が楽しいかもしれないし、今更に恋愛を再開しても、逆に昔のいい思い出を消してしまう可能性もある。

 

映画などを見ていると、美男や美女にある日、彼女や彼が一目惚れして、求愛して付き合うという設定が多いが、こうした設定で言えば、美男、美女でなれば、恋愛はできないことなる。実際、世の中、美男美女はごくわずかしかおらず、多くの人は、映画のような設定で恋愛、結婚するわけではない。むしろ、ちょっとした仕草や話し方、動作の中に可愛いという感情がわき、恋愛感情を抱くのだろう。そうした恋愛のツボは個人により異なるため、美男、美女でなくとも、カップルが成立する。











 

2022年1月1日土曜日

矯正歯科医院の形態

 

機能性反対咬合と呼ばれるもので、前歯が早期接触して下顎が前にでる典型的なケースである。周りに歯科医がいて何も言わないのは知識がなさすぎる。学生の頃に習ったでしょう。詐欺に近い。

矯正歯科医院といってもその形態は色々で、私が知っている限りで、最低限の開業形態は、昔、30年ほど前だが、関東の先生で、普通のマンションで治療していた先生がいた。ごくごく簡単な椅子で、ライトなし、バキュームなし、エアーは携帯用のボンベを使っていた。もちろん診療は一人でやっていた。この先生のことを知人から聞いた時、確かに矯正歯科医は、キャリーバック一つで大抵の治療は可能と思った。

 

例えば、通常のワイヤー交換であれば、ブライヤー数本と数種類のワイヤー、結紮線を持って行けば、治療できる。最近はいいヘッドライトもあり、それで照明は十分である。ただブラケットの装着となると、洗浄と乾燥が必要なので、介護用のバキューム、あるいはプラモデル用の小さなコンプレッサーが必要かもしれないが、通常の歯科治療とは違い、削ったりすることはないので、少し大きなキャリーバッグにバキュームやコンプレッサーを詰めてしまえば、どこに行っても治療は可能である。

 

私の歯科医院は、受付1名、衛生士1名、歯科医師の私、3名が標準となっている。そのため同一時間の患者は1名のみで、15分とることが多いので、一時間に4名、1日で26名が最大となる。今はほとんど患者が成人のマルチブラケット装置(MB)患者なので、私がワイヤーを外し、調整あるいは新たワイヤーをセットして終了となる、衛生士はバキュームで唾液を吸うか、結紮線を私に渡すだけである。ただ保定患者では、衛生士がエアーフローによる歯のクリーニングをするので、その場合は、もう一台のユニットにも患者を入れて、並列で治療をし、MBの患者は私一人で行う。こうした患者の合間に新患や検査を入れるので、この体制では一日、30-40名が限界で、これ以上の患者は見られない。

 

これ以上の数の患者を見るとなると、矯正医の仕事をスタッフに任せるしかない。具体的に言えば、ワイヤーの交換をスタッフに任せるしかない。ワイヤーを新たに曲げることは数例に一つもないくらいで、ワイヤーの交換を全てスタッフに任せ、矯正医はブラケットの装着、ワイヤーの屈曲とスタッフへの指示だけであれば、おそらく100名くらいはできるであろうし、アメリカ式にブラケットの装着もスタッフに、またワイヤーの屈曲もできるだけ少なくし、初診患者もコーディネーターというスタッフがほとんど説明し、矯正医は10分ほど喋るようなシステムなら200人くらいは治療できるであろう。

 

昔、アメリカの歯科医に日本の歯科医は1日に30名、多いところでは100名ほどの患者を診ると言うとクレージーと言っていたが、逆にアメリカの矯正医が1日の患者数が200名と言われた時にはこちらがクレージーと思った。アメリカの一般歯科医の診る患者数は10-20名くらいで、彼らからすれば、日本の一般歯科医でどうしてそんなに治療できると思うのだろう。

 

昔の矯正歯科医院といえば、スタッフも受付1名、歯科衛生士2名くらいが標準であったが、最近は患者数も増えたのだろうか、スタッフ数が10名以上いる矯正歯科医院も多い。YouTubeで矯正治療中の動画を見ると、多くの矯正歯科医院では、先生がワイヤー交換するわけでなく、衛生士がしている場合が多い。“おいおいプライヤーを逆手で扱うな”、“リバースカーブを入れたワイヤーを入れておいてくれと矯正医は指示するが、トルクなどきちんと入っているのか”、“なんでもモジュールで結紮するな”、“リガチャータイイングプライヤーではきちんと強く締められないし、まさか滅菌しないで使ったりしてないよな”などの茶々を入れたくなり、どうしても私の場合はスタッフにワイヤーの交換は任せられない。昔の矯正歯科学講座というと徒弟制に近く、結紮はホープライヤーだけでしろ、逆手でプライヤーを持てば叩かれた。私の前の世代は、ワイヤーも真っ直ぐな線から曲げるように言われ、それにファースト、セコンド、サードベンドを入れて、チェックされる。1本曲げるのに一時間かかることもあったという。多分こうした教育を受けた先生は、今でもスタッフにワイヤーの交換はさせないのであろう。

 

大学にいた頃は一日の患者数も2、3名くらいで、20名以上診るなんて、いい加減な治療をしていると批判的であったが、実際は開業医の方が大学より早く、綺麗に治療できる。同じようにスタッフに矯正治療の多くの仕事を任せたとしても、しっかりした教育をされていれば、先生より上手に治療できるのかもしれない。ただ自院の紹介や症例の治療前後を写した動画は、かなりの確率で、医療広告法に触れ、認定医の更新の際には修正を求められる。結果、認定医、臨床指導医を持つ矯正医は、Youtubeに出すことはなく、そうした資格のない先生が偉そうに喋っていて、内容もかなり問題がある。正しい情報が伝わらず、困ったものである。