2022年12月14日水曜日

気に入らないアメリカ式経営

 





ここ二十年にくらいでモンスター化しているのが、金で金を生む、いわゆる投資会社というやつである。こうした投資会社は、近年ますます巨大化し、世界の貨幣為替、株を自由に操り莫大な利益を得ている。そして昔からある老舗企業を買収し、株価が上がるとすぐに売り抜け、結果的に倒産させる。わずか数秒で、何十億円の利益が出る世界に入ると、釘一本で数円の利益しかでない会社など倒産してもなんともない。例えば、歯科の分野でいうと、デンツプライという会社があり、その中にサンキンという日本の会社があって、独自に矯正用製品を出していた。数十億円の売り上げがあり、数億円の利益も出ていたはずである。ところがここを買収したシロナデンタルの新しいCEOの判断で、サンキン製品を全て廃止、生産していた工場も閉鎖し、工員もやめさせた。決して赤字だったわけではないが、大きな成果を求められる新しいCEOにすれば、より大きな売り上げと利益を株主あるいは投資家より求められる。その結果が、サンキン製品の廃止と、SureSmileというマウスピース矯正への進出である。一番新しい3ヶ月決算ではかなり大きな赤字を示し、株価も2022.2では58.7ドルが今は32.2ドルと半分くらいになっている。決して新しい経営方針が成功したとは言えない。何よりこの企業の倫理性の問題は、こうした医療製品をずっと使ってきたユーザーに対して何も責任を持たず、経営のためにバッサリと切ったことである。医療メーカーとしては大いに批判されるものであり、私が所属する日本臨床矯正歯科医会も書面で抗議した。結局は日本のトミーインターナショナルが工場を買い取り、生産を再開したが、この会社の医療メーカーとしての信頼は地に落ち、私自身、この会社からは一切購入する気はない。ただこうした金のためには不必要な物を全て切る経営方針は、アメリカでは当たり前のことであり、多くの老舗企業が潰れていった。同様に低収益の生産企業より高収益の金融企業を求めるあまり、アメリカから生産拠点が海外に移動し、中国から企業を撤収しようとしても、もはや国内に工場がなくなっている。

 

 

もともとキリスト教では、人にお金を貸して利息を取ることは悪いことだと考えられ、ユダヤ人の専売職とされていた。有名なヴェニスの商人のような悪どいユダヤ人として差別を生んだ。同様にイスラム教でもお金を貸して利息を得ることは宗教によって禁じられており、現在でも原則的にはイスラム教徒で金融業の人はいない。一方、日本では、儒教の一部には金は汚いものという考えがあるが、基本的には宗教的に問題視されず、両替商などは大名にも多くの金を貸し、力を持った。ただ、庶民には銀行も含めて金貸しというとイメージは悪く、就職や結婚で昔は問題になることもあった。古い映画になるが、1954年の「素晴らしき哉、人生」というアメリカ映画がある。名監督のフランク・キャプラ監督の名作である。この中には、二人の金融関係者が出てくる。一人はジェームス・スチュアート演じる、庶民の夢、マイホームを実現させる住宅金融会社、もう一人はひたすら金儲けを図るポッターという老人。主人公は8000ドル(現在の価値で3200万円)を紛失し、会社が潰れるのを悲観して自殺を図る。そこから自分のいない世界を知るファンタジーとなっていくのだが、実はこの紛失した金をもう一人の金貸しのポッターが拾うのである。このポッターに金策にくる主人公に、こうしたことを知らせず、強く詰り、金を貸さない。拾った金を着服するのは犯罪となるが、最後まで映画ではこのポッターには天罰を与えないのは、もはやこの時代(1950年代)ではこうした資本主義的人物に神の罰を与えられない時代になったのだろう。1843年の「クリスマスキャロル」ではチャールズ`・ディケンズが、こうした金の亡者に強く反省させるが、1950年代にはもはや無理となり、そして2000年代になると、これが普通となってくる。かってマルクスはプロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争を提唱したが、今では労働者と工場主といった目に見える単純な構造ではなく、革命を起こそうにも、誰にどのようにするのかもわからない。昨今の円—ドルの為替の乱高下を見ると、誰かが市場に介入して、為替益を狙っているのだが、輸出製品を作っている工場主にとっては一円の上下で死活問題となる。投資家が数百億円の利益を得ようと通貨に介入し、それにより為替が変わり、工場主の経営が圧迫され、従業員の失業を招くとしよう。労働者がデモをして工場に立てこもり、あるいは政府に抗議しても無駄なのである。

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