2022年12月22日木曜日

弘前の不思議な建物

 


弘前市の仲町には江戸時代の武家屋敷が、観光館のあるところには旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館、さらに近くには青森銀行記念館などがある。これらは弘前観光の拠点となっているが、それ以外にも面白そうな建物があるので、紹介したい。

 

1.     旧佐々木医院

弘前城の西堀の一陽橋を超えてまっすぐに行くと、2つ目の交差点にあるのが旧佐々木医院である。大正8年の“青森県弘前市俯瞰地図”にも記載されているほど大きな医院だが、大正13年の“大日本職業別明細図之内信用案内図”では福島医院となっている。昭和10年の“ひろさき懐かし地図”には再び佐々木医院と記載されている。北に向かう塀が伸び、この建物の西横にも古い建物、ササキ音楽教室の看板があり、大きな地所である。ほぼ大正八年の頃と同じである。佐々木というと江戸時代、弘前藩の町医、範囲をしていた佐々木玄沖、佐々木元俊に繋がる佐々木家の家累と思われる。代官町の旧石郷岡眼科、あるいは和徳まちの商家に共通する石造りを一部取り入れた耐火構造の建物で、昭和初期の建物と思われる。正面のアール・デコ風の意匠が美しい。




2. 紺屋町の高い二階建ての家、旧伊藤医院?

この佐々木医院をさらに西に少し行ったところにあるのが、この建物で、昭和10年の地図では“伊藤医院”となっている。二階建ての建物であるが、二階部分が異常に高く、後で増築したかと思われほど二階部分の高さがある。おそらくここも、戦前の建物で、漆喰と木造が混在した建物で、山小屋風で美しい。



3.     茂森町ある旧吉田医院

茂森町の東奥信用銀行前にあるのが、この小さな木造の建物で、先に述べた旧伊藤医院と似た作りとなっている。昭和10年の地図には記載されているが、大正13年の地図には記載されていないので、ここも昭和初期の建物と思われる。

小さな建物であるが、随所に洋館的な装飾があり、今和次郎が提唱する雪国の家を想起させる。



4. 近所に出現した古い土蔵

近所にあった小野豆腐店が閉店し、そこの工場を潰して更地にした。それにより工場の後ろにあった古い土蔵が姿を現した。弘前では、間口が狭く奥行きが広い建物が多いため、隣の建物が更地になり、初めてわかる建物があるが、これもそうした例である。豆腐店自体は昭和20年から始めたようだが、昭和10年の地図にも小野の名があり、この土蔵も戦前のもののように思われる。一般的な土蔵は、漆喰造りとなっているが、この土蔵は趣向を凝らしており、石板を張ったような外観となっている。




5.     親方町の古い土蔵

親方町から養生幼稚園に折れる道の角にある古い土蔵である。下部がレンガ、その上が漆喰造り、そして瓦屋根、窓の部分も装飾がされ、かなり本格的な土蔵である。外観からは昭和より前、大正、明治期の建物のように思える。大正8年の地図では関商店、昭和10年の地図でも関商店とある。明治35年撮影の写真を見ると、かね五関清六小間物店との説明が入るが、このような蔵はない。弘前一の小間物店で、後に金融関係の仕事もする。明治39年の本町5丁目の写真を見ると、第59銀行と近くにこの古い土蔵と似た建物が一部写っている。本町の旧千葉酒造店が明治41年、当時、親方町の九戸時計店、同じく親方町の佐藤羅紗卸部も同様な白い土蔵で、家事にも強く、高級感のある土蔵造の建物が流行した時期であった。となるとこの古い土蔵も明治40年前後の建物と考えられる。



6.     診療所の裏にある和洋折衷の家

この家は、私の診療所からしか見えず、ほとんどの人は多分、見たこともないだろう。昭和10年の地図では“貝沼製材所”と記載されている。知人によれば、着物の仕立てをここでしていたと言っていた。今は住んでいる人はいないようである。モルタル吹き付け、煙突があることから暖炉があるのだろうか、戦前のお金持ちの洋館のような佇まいである。



7.   偕行社の裏にある山小屋風の建物

 

弘前偕行社の裏に同じような構造の2つの洋風の建物がある。赤い屋根、平屋の洋館であるが、どちらかというと別荘のような雰囲気がある。弘前偕行社の人に偕行社の職員用の建物かと聞いたが、わからない、多分、違うだろうという返事であった。大正13年の地図を見ると弘前偕行社の裏には衛戍病院があり、ここの医師の官舎だった可能性もある。知人はここでピアノを習い、中は完全な洋館であると言っていた。多分、戦前の建物のような気がするが、もしかすれば戦後2030年代のものかしれない。1977年の地図では、偕行社を挟んで向こう側にも洋風住宅があったようで、”この辺には洋風の木造住宅が並んだ”と書かれており、今は二軒だが、以前はもっと多くの洋風住宅があったのだろう。弘前市役所の横にスタバコーヒーがあるが、ここは大正6年に完成した旧第八師団長官舎で、ここも屋根が赤くて、偕行社の裏の家と同じような匂いがある。



まだまだ不思議な建物がある、









 











3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

茂森町の旧吉田内科は昔、白い綺麗な建物で、老先生と若先生の二人が診療していました。その隣が曲師屋でその向かい側に映画館があったのです。茂森町は面白い街でしたね。

匿名 さんのコメント...

済みません。訂正です。曲師屋と書き込みましたが、荒物屋です。通称、葛西のまげし屋さんと呼んでいました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。まだまだ面白い建物がありますので、随時紹介します。