2008年9月30日火曜日

山田兄弟17





 総理大臣となった麻生太郎首相の座右の銘は「天下為公」であり、中国の古典「礼記」の一節である。自分の政策集団の名前も「為公会」と名付けるほど、この言葉が好きなようだ。天下は権力者の私物ではなく、公(そこに暮らす全ての人々)の為のものであるという意味らしい。

 この言葉は、孫文が最も愛した言葉であり、山田純三郎に送られた書にも書かれており、多くの人にも頼まれるとこの言葉を揮毫した。「大道之行也 天下為公」で一対であるようで、為すの意味に二通りの解釈があり、「天下は公になる」では“大道”(正道、常理)が正しく実践された時、天下は人々が共有するものとなる”と解釈され、「天下は公のため」では前者の解釈となる。孫文も麻生首相も後者の意味として用いているようだが、社会主義の国では大道が共産主義という言葉で置き換えると後者の意味となる。日本の首相の座右の銘が「天下為公」と報道されれば、これは台湾、中国の人々からみれば孫文を連想させるものであり、麻生首相はそこまで考えて座右の銘としたかはわからない。いずれにしても好意的に見られる戦術である。


 麻生首相の祖父、吉田茂も、上の写真のように安東領事時代、山田、蒋介石の満州への革命工作の行状を本省に送っており、欧州勤務後の奉天領事、天津領事の時も、中国情報獲得のため山田とも面識があったと思われる。昭和10年の「孫文の雄図を懐ふ」(山田純三郎)の中にも、「孫氏は、突然どうも胃の具合がよくないと大分苦しげに訴えられた。当時のわが天津総領事の吉田茂君が、直ちに医師を呼んでくれた」の記載があり、面識があったようだ。安東領事の後、吉田はパリ講和会議に岳父牧野伸顕とともに訪欧し、そのままロンドンの日本大使館の一等書記として赴任する。ここでは昭和天皇ヨーロッパ外遊のお膳立てをすることになり、随員として参加した弘前出身の外交官珍田捨巳とともに行動する。珍田は岳父牧野の友人であり、パリ講和会議以来さらに親しい関係になったと思われる。天津領事の時には、珍田から山田純三郎のことを聞いて、面識があったのだろう。


麻生首相が孫文の愛した「天下為公」を座右の銘をする背景には、孫文を核とした日中、日台、アジアの友好平和のシグナルとしてとらえてもよいのかもしれない。

2008年9月28日日曜日

山田兄弟16



 大正末年、孫文一本やりの山田純三郎と、清朝の復興を図るべきと主張した西本白川という、二人が上海の二大奇人であると言われていたようだ(同文書院記念報告VOL3)。当時の中国関係者の中でも、純三郎の孫文への傾倒は、いささか度を超え、奇人扱いされていたことがわかる。純三郎のこの想いは、生涯変わることはなく、常に心は孫文と一緒にあり、孫文亡き後も、孫文の思想に忠実にあろうとした。中国革命の初期の多くの活動家が、亡くなる、変節する中、純三郎はあくまで孫文に忠実で裏切ることはなかった。蒋介石との仲違いも、一説には宋美齢との結婚に反対したことによると言われているが、蒋介石と孫文の思想の違いが原因となっていると思われる。純三郎からすれば、蒋介石は自分の友人、同士である陳其美の弟分に当たり、遠慮なく、孫文の遺志の貫通をせまったのであろう。

 菊池良一は、県立青森中学?卒業後、京都帝国大学法科に進学し、弁護士などをやりながら、中国関係の商社などを経営し、その後、父菊池九郎の後を継ぎ、衆議院議員となった。前に言ったが、純三郎のいとこであり、父の妹の息子、自分の母の姉の子でもある。幼少時から仲の良かった親類であり、中国革命についても自然に純三郎の運動に参加するようになったのだろう。純三郎は1876年生まれ、菊池は1879年生まれで、ほぼ同年代であった。

 志学会が発行した「日中提携してアジアを興す」の中に、「人間 蒋介石」(菊池良一 事業之日本 1937 昭和12年)という論文が載っている。純三郎との活動、蒋介石との関連をその中で述べているが、最後の部分を一部省略して紹介したい。

「我々がその絶滅を望む排日の思想が全然、支那国民の間から射払し去ることは冷静に考えた場合不可能ではないかと考える。抗日は一つの思想として支那の国民に与えられてしまった。然も支那人はご承知の様に宣伝が巧みであり、同時にこの宣伝力に乗ることも巧みな国民である。既に宣伝に乗ってしまった支那人が、この執拗な性格から的外れではあるが、抗日 失地回復 等の御題目を今後引っ込めるかどうかは一つの疑問である。 略  最後に今次事変を通じて支那国民の迷夢の覚醒のために与えたいものは、中央党部に巣食う英国勢力と、全体的蘇連勢力の徹底駆逐による自覚への具体的なる道を示すことであると確信する。」

 昭和12年ということを考えると日中関係に対する実に冷静な分析であり、純三郎の考えとも一致する。今の日中関係、日韓関係に相通じる考えである。そういった意味では菊池良一も中国情勢には熟知しており、父と関連がある青森の人物、例えば外交官珍田捨巳や軍人一戸兵衛などを通じて、原敬、犬養毅などの政界の有力者と孫文、純三郎との仲買をし、中国革命を支援したのであろう。

 菊池良一は第14回衆議院議員(1920)に憲政会から出馬して当選するが、その後も政党を変えたり、選挙に落選したりもしたが、政治活動を続ける。当時の衆議院議員をみると、ほとんどの名前は今や忘れ去れ、歴史の上からみると、菊池の業績も国会議員のそれではなく、孫文の同士としての側面が強い。衆議院議員と言えば、今でも名士で権力を握っている存在だが、50年後はすべて無名化するのだろう。菊池や純三郎の名は、孫文の名が歴史に残る限り、その協力者として100年後も残り続けるだろう。歴史の皮肉である。残念なことに菊池良一は1945年に亡くなる。もう少し生きていれば、戦後の日中友好にとって重要な人物になったであろう。

2008年9月27日土曜日

姿勢とかみ合わせ2






 正しい姿勢と言われても定義などはありませんが、患者さんに指導する時には、柱や壁に頭、胸、お尻、足が一直線になるようにします。S状になるのが普通ですので、この状態で、背中とお尻の間に2,3cmの隙間ができ、手のひらが入ります。その状態で体を少しずつ下げ、今度は逆に上げていきます。こういったことを何度かさせて正しい姿勢を覚えてもらいます。前方頭位の子供たちでは、この姿勢はかなり苦しいようですし、大人になって姿勢が固まってしまうと、この位置すらとれません。

 椅子に座る場合もできるだけ深く腰掛け、後ろの背板に背骨がまっすぐになるようにするか、逆に椅子の前に方にすわり、背をのばすようにするのもいい訓練です。またあごを後ろに引くか、あるいは手であごを後ろにもっていき、奥歯が咬むようにするのもひとつの方法です。かなりきつく感じるひとも多いかと思います。

 正座も背筋を伸ばし、正しい姿勢をとるいい方法ですが、今やなかなか正座する機会もありません。私のいた中学高校では、宿題を忘れると机の横でその時間、ずっと正座する罰がありましたので、中学高校のころは1時間くらいの正座は問題なかったのですが、最近は機会も少なく、30分くらいでもうだめです。最近はやりのバランスボールも大変いい道具だと思います。まっすぐに背骨を伸ばさないとバランスがうまくとれませんし、長時間腰掛けることはできません。

 陸上選手などを見ると、とくに長距離の選手はみな姿勢がよく、長い距離を走るには、背筋を伸ばしたフォームが最も疲れにくいのでしょう。また剣道選手も姿勢がいいのですが、これもあらゆる方向に瞬時に重心を移すには正しい姿勢が最もいいからだと思います。これはロータリーの会員の受け売りですが、丹田(へそのした三寸)に常に意識するのが剣道の極意であるようです。丹田に意識することで、自然に姿勢はよくなるものです。もともと人間は外に出て、走り、狩りをし、運動していました。その際に最も効率的な姿勢が正しい姿勢で、これが二本足たる人間の特徴であり、武器であったのでしょう。

 正しい姿勢のもとにあるのは、背筋で、これを鍛えるのは案外難しく、また老化に伴い次第に筋力は衰えます。子供の頃によく遊び、外で運動することで自然に背筋を鍛え、正しい姿勢に導きます。何らかのトレーニングをしても一時鍛えられますが、常態化するためには外での運動、労働が必要です。

 テレビを見るときも、横になってみる、ソファーにゴロンとするのではなく、できるだけ床に座ってみる、固い椅子に背筋を伸ばしてみるような習慣を身につけたいと思います。またできるだけ歩く、走るなどの運動も、長くするためには自然にいいフォーム、すなわち正しい姿勢になるため、背筋を鍛えると意味でもいいことだと思います。

2008年9月24日水曜日

姿勢とかみ合わせ1






 欧米人は背筋を伸ばし、立ち姿、歩く姿もかっこいいと感じるひとも多いと思いますが、これは教育によるところが多く、子供の頃から姿勢をよくしなさいと言われているからでしょう。顔が前に出ている不良姿勢は、前方頭位(Forward head posture 写真上)と呼ばれます。なじみのない難しい言葉です。検索すればわかりますが、欧米では多くのHPで取り上げられており、日本と違い、関心の高さがわかります。

 この前方頭位は、肩こり、腰痛の原因になったり、老化の現れととらえられたりしますが、実はあごの発育、かみ合わせにも関連します。やってみるとわかりますが、あご、首を少しずつ前に出すと、首の後ろの筋肉が緊張するだけでなく、口も少しずつ開いていくのがわかります。この姿勢でいると、口が開き、呼吸も自然に鼻ではなく、口で呼吸するため、下あごは後方に回転していきます。咬む力の強いひとはそれでも、咬む力によりあごは前方へ回転しますが、前方頭位では強くは咬めないのでますます後方へあごは回転します。その結果、前歯が開いてきたり、あるいは出っ歯になったりします。日本人の上顎前突(出っ歯)の特徴は、あごが後方に回転した、こういったケースで、咬む力も弱いため、矯正治療でもなかなく、かみ合わせをうまくまとめることが難しく、また後戻りも多いと思います。

 正常な姿勢の子供たちと前方頭位の子供たちのあごの形を比較した研究結果が写真中のものです。点線の正常姿勢の子供たちに比べて前方頭位の子供たちのあごは上あご、下あごとも後方に回転しています。この研究は第38回日本小児歯科学会(札幌 200.6.22)で「姿勢と顎発育の関連のテーマ」で発表したものです。大会場の朝の発表でしたが、4,5人の教授から質問を受け、反応は良かったと思います。

 鹿児島大学にいた頃、中国から顧先生が大学院留学生として来ました。本当に頑張り屋で、教授とも話し合い、何かテーマを探していたとき、不良姿勢があごの発育にどう影響するか動物実験で調べられないかということになりました。1950,60年代の古い文献が少数ありましたが、ネズミの前足を切断し、人工的に二本足にすることで姿勢を変えるといった残酷なものでした。こういった動物を虐待する実験は、とてもじゃないが、欧米雑誌には掲載されないため、顧先生が工夫したのがネズミを狭いゲージで飼い、背中を抑えることで頭の位置を上向けにさせるものでした。ストレスが多いため対照群との体重を合わせるのは難しかったようです。この研究は、「Effects of altered posture on the craniofacial growth in rats: A longitudinal cephalometric analysis 」(
日本矯正歯科学会雑誌 55:427-444.1996)と「Muscle fibre composition and electromyographic features of cervical muscles following prolonged head extention in growing rats」(
European J. orthod 25:21-33,2003)にまとめられました。結果は、頭の位置が上向きになったネズミは上あご、下あごとも後方に回転していました。直立している人間ではもっと影響は大きいものと思われます。顧先生は今はシアトルのワシントン大学でがんばっているようです。おそらく姿勢とあごの関連を調べた動物実験はその後も出ていないようなので、今後とも重要な研究と位置づけられるでしょう。

 動物実験でもこのような結果がでたので、姿勢を変えることであごの発育、かみ合わせも変わるのか、人間ではといった研究が考えられますが、これがむずかしい。脊椎湾曲の矯正のためにコルセットを使っている子供を研究するとか、むち打ちのためのコルセットを長期に使っている人のかみ合わせの変化を見るとかいったアイデアはありましたが、実際に研究するのは難しいと思われます。私のところでも、そういった患者さんに姿勢を良くするように指導もしていますが、なかなか証明は難しいと思います。次回、姿勢を良くする方法について書いてみたいと思います。

2008年9月20日土曜日

うつぶせ寝とかみ合わせ



 筒井塾咬合研究会のHPより引用したものです。福山の小川先生のラウンドテーブルディスカッション(RTD)でも議論されたことですが、頬杖や、うつぶせ寝などの癖は咬合や顔面骨格の発育に影響を及ぼす可能性があります。歯列や骨は、弱い力でも長時間、長期に渡ると発育に影響がでることは知られています。例えば、舌の力は弱いものですが、舌の癖がかみ合わせに影響するのは矯正医ならいやというほど体験しています。力、期間、時間の3要素が影響を与えます。強い力でも短時間だと影響はありませんが、舌が前歯を押す力は数十グラムと小さいのですが、毎回つばを飲み込むごとに舌を前歯に突き出すと歯は動いてきて、前歯に隙間がでます。これを開咬といいますが、無理矢理矯正治療で直しても、癖がなおらないと再び空隙が生じます(後戻り)。

 この原理からすれば、頬杖も短時間ならそれほど影響はないと思いますが、同じ方向、長時間に渡ると歯列に影響がでる可能性があります。それ以上にうつぶせ寝は毎夜、かなり長い時間することが推測されますので、影響は大きいと思われます。頭の重さは、ほぼ5キロ、ボーリング玉とほぼ同じで、その力が直接、うつぶせ寝では顔面にかかってきます。下あごは関節のところでは固定されているものの、顔面部では唯一の可動部なので、力は直接あごを横に動かす力、あるいは歯列を中に入れる力、あごを関節に押し付ける力として作用します。その結果、あごが横にずれたり、奥歯のかみ合わせが逆になったり、あごの関節部が痛くなったりします。

 そういった意味でうつぶせ寝は注意が必要ですし、やめなくてはいけません。以前、日本人の頭の形を美しくということで赤ちゃんのうつぶせ寝がはやった時期がありましたが、その後乳幼児突然死症候群の原因として取り上げられ、現在では禁止されています。もともと人間は仰向けに寝るのが基本であり、うつぶせ寝は自然に反しています。ただ高齢者や睡眠時無呼吸症候群の患者さんではたんがつまりにくい、気道が確保しやすいなどで、うつぶせ寝が推奨されていますが、発育期の子供たちでは上記のような理由で絶対に直すべき癖でしょう。金曜日、土曜日と診療しましたが、そういった目で患者さんをみると、はや二人ほどうつぶせ寝のよる歯列の変形、あごのゆがみをもつ患者さんを発見しました。思った以上に頻度は高いのかもしれません。たたみの上に薄い布団を引いて寝るのなら、うつぶせ寝は痛くてできないと思いますが、日本人もふかふかのふとん、ベッドで寝ることが当たり前になったため、うつぶせ寝も可能になり、そこ結果頻度も多くなったのかもしれません。江戸時代のような高い枕、陶器でできた枕では絶対にうつぶせ寝はできませんし、昔のような固い枕も同様だと思います。うつぶせ寝ができるような寝具が発達してのは最近のことかも知れません。

うつぶせ寝の予防法として小川先生が提示していたのはふとんの下の大中小のクッションをひく方法です。写真下の右の方法です。早速患者に指導しましたが、次回感想を聞いてみたいと思います。うつぶせ寝用の枕やベッドも開発され、商品化されているようですが、案外うつぶせ寝禁止するようなものはないようです。江戸時代の枕はちょっときびしいでしょう。

2008年9月18日木曜日

日本矯正歯科学会



 昨日、第67回日本矯正歯科学会大会から帰ってきました。大会としては67回目ですが、日本矯正歯科学会は1926年の創立で、すでに82年の歴史を持っています。歯科の学会としては古い方だとは思います。それでもアメリカ矯正歯科学会は、確か今年で105年ですから、それに比べると歴史は浅いとも言えるでしょう。もともと矯正歯科は歯科の分野でも、変わった分野であり、歯科学校を卒業しても矯正歯科臨床はできないため、それ専用の学校が20世紀はじめにできました。そのため矯正歯科学会は、基本的には専門医の集まりであり、アメリカ矯正学会の会員15500人の多くは矯正専門医で構成されています。日本矯正学会は現在5900人ですが、専門医は約1/3くらいと思います。

 今回の学会では、千葉の幕張メッセで行われました。以前も日本臨床矯正歯科医会でもここで行われましたので来るのは2回目です。ディズニーランドよりかなり遠く、なんだか疲れました。特に大きなトピックはなく、ここ数年はインプラント矯正がメインです。残念なことは口腔機能と咬合、あごの発育に関連する研究は以前に比べてだいぶ少なくなってきたようです。

 この学会で楽しみなのは、RTDという昼食時に数名の先生が集まり、テーマにそってサンドイッチなどを食べながら、昼休みの1時間ほどディスカッションするコーナーがあります(写真下)。10年前くらいから行っていますが、ここ数年は口蓋裂関係のテーマを選んで参加していましたが、今年は機能の研究発表が少ないため、「態癖改善が矯正臨床に及ぼす効果について」(コーディネータ:小川晴也先生)のセクションの参加しました。習慣的な頬杖や睡眠態癖が顔面の非対称や歯列の変形を起こすことを小川先生が数多くの症例を提示していただきました。とても参考になりました。ありがとうございます。

 うつぶせ寝や頬杖などがあごや歯列の変形を引き起こすことは以前から指摘され、テーマとしてはそれほど新しいものではありません。。矯正臨床は機械派と機能派に分かれ、ワイヤーなどの力を使い、歯を動かしことを重視する派と舌の機能、咀嚼、あるいは態癖などの機能を重視する派に分かれます。現実派とロマン派とも言えると思います。機能の研究は本当に夢のあるもので、ロマンが求められますが、一方なかなか証明が難しく、実際の臨床には応用しずらい面を持ちます。以前いた鹿児島大学の伊藤先生のところでは主として咀嚼や姿勢などの機能の研究が中心でしたので、私も基本的には機能派と思います。次回もう少しくわしく書きます。

 写真下は器材メーカーの展示会場です。他の学会に比べてかなり大規模で豪華です。というのはかってこの学会期間の2日に一年の売り上げの半分以上を売っていたため、メーカーも必死です。私のところも一年分の器材をこの日に買ってきます。学会価格や、アメリカのメーカーが多いせいか、たくさん買えば割引も増えます。矯正の器材は本当に多く、カタログの商品だけでも細かく言えば1000種類以上あり、メーカーの社員も専門知識が要求されます。そのためある会社をやめても、他の会社に移ることが多く、混乱します。メーカーの販売員は各地の矯正専門医を回り、新商品を説明して買ってもらう、これが基本のやり方で、古風な商慣習です。ただいいのは使ってきて問題があれば販売員に説明し、今後の商品の改良に利用してもらいます。矯正臨床を支える人たちといえると思います。

2008年9月13日土曜日

山田兄弟15


 青森の地元新聞の東奥日報で、9月8日から「津軽の生んだ国際人 山田良政・純三郎兄弟」と題されたコラムが4回に分けて掲載された。著者は愛知大学東亜同門書院大学記念センター 武井義和先生で、一回目は「孫文に出会う」、その後「兄の遺志を継承」、「中国革命之友」、「膨大な資料」と、山田兄弟の生涯と愛知大学との関連を簡潔にまとめたものである。7月に弘前市駅前市民ホールで行われた「津軽が生んだ山田良政・純三郎兄弟をめぐって」の資料展示会、講演会に関連した記事であるが、こういった形で山田兄弟のことを紹介してくれるのは、本当にありがたいことであり、うれしい。愛知大学の先生方には感謝する。

 愛知大学の残っている山田兄弟の資料は、純三郎の四男故順造氏より寄贈されたもので、「山田家資料」と大学では称されているようだ。膨大な資料であり、武井先生も日中関係史解明へ積極的に活用していかなくてはいけないと述べているが、まさしくその通りである。歴史資料は一次、二次資料といった分類がなされているようで、本人が直接しゃべった、それを書いた、それを又聞きした、引用したといった具合に直接資料から遠ざかるほど、うそも混じってくる。山田の資料は、その人柄を反映してか、うそは少ない。今読むと、当時の軍部寄り、反共産主義の発言も多いが、それを今の視点から論じるのは卑怯であり、当時の状況の中で読み解く必要があろう。

 例えば、あの悪名高い、日本の中国侵略のシンボルとされる「二十一カ条要求(日華条約」にしても、当時はそれほど深刻には考えられておらず、それとほぼ内容が同じの「日中盟約」が孫文、陳其美と山田純三郎、満鉄理事犬塚信太郎で締結されていた。孫文、山田にすれば白人に対抗して日中が提携してアジア情勢の安定を図る、そのためには日本の軍事力と資金を仰ぐのは、そうまちがったこととは思っていなかっただろう。ただ権力闘争の口実を与えたことは確実で、孫文失脚、日本からの分離を図りたい、袁世凱はこれを利用して、反日感情をあおった。実際、日本政府も要求の第5条は中国政府から主権侵害と非難されると、すべて削除されたが、これを境に日中関係は急展開して、一挙に反日運動に発展した。日本のアジア進出を快く思っていない欧米、アメリカ、イギリスの思惑もからんでいたのだろう。満州問題にしても、孫文のそもそもの革命の目的は、清王朝の打倒と漢民族国家の樹立であり、長城より北の満州は漢民族にとって異民族の国であり、また多くの軍閥の割拠する無政府状態であった。ソビエトの南進を抑える防波堤としてむしろ日本による統治を認めていたふしがある。今の考えからすれば、日中盟約も満州の日本統治の是認も、中国からすれば裏切り行為と見なされようが、混乱した広い中国を近代化し、欧米に負けない国家を成立するための、孫文のひとつの苦肉の選択肢だったのであろう。

 今泉潤太郎名誉教授の整理した山田家資料の手紙を見ると(同文書院記念報 vol4)、多くの中国国民党要人からの手紙に混じり、軍関係者からの手紙も多い。弘前出身の浅田良逸陸軍中将(笹森順造兄)や一戸兵衛大将、東海勇三少将(陸羯南長女の夫)らの名前の他、上原勇作大将や本庄繁大将からの礼状や、磯谷廉介中将や福田良三中将からは終戦後の獄中で大変世話になったことへの感謝の手紙もある。磯谷や福田は戦後戦犯となった人物であり、戦前はそれこそちやほやされていても、普通終戦後はあまり関わりたくない人物であったろうが、純三郎は獄中のこれらの人物にも世話を焼いている。純三郎の人間としての暖かさを感じる。

 山田家資料を寄贈した順造は、生前山田兄弟の伝記を書くのを熱望していたようだが、郷土の津軽藩に異常な執着を持っており、津軽藩と辛亥革命の類似点にページ数を使ってしまい、肝心の伝記には入らずじまいであったようだ。本当の意味での資料は山田純三郎、順造の
頭の中にあったと思うと、何らかの文章として後世に残してくれなかったことが悔やまれる。ただ幸運なことに資料の多くは、愛知大学に貴重に保管されており、また台湾、中国との共同研究も進めば、山田兄弟の全容ははっきりするであろう。

2008年9月10日水曜日

予約



 当院では開業以来、完全予約制で治療を行っています。開業前、弘前の先生に相談すると無断キャンセルや遅刻も多く、完全予約はなかなか難しいと言われました。ところがいざ開業してみると、ほとんどの患者さんは予約時間をきちんと守ってくれます。大変ありがたいことです。当院の予約の枠は、15分を一単位とし、通常の治療はこれに当てます。時間のかかる治療や説明、新患相談は、2コマの30分をとります。また口腔衛生指導(マルチブラケット装置)は4コマ、1時間を、マルチブラケット装置の装着は時間がかかるため、6コマ、1時間半をとります。なかなか平日の4時以降、土曜日は6コマ予約をとることはできませんので、夏休みや冬休みなどの長期休暇中や、どうしても無理なら学校を早退してもらい2時あるいは3時ころにきてもらいます。すべての治療は私がやっていますので、同時間に二人の予約をとらないことにしています。15分の治療が終わり、次の患者がきて、また15分で治療を終え、次の患者をみるといった順序で治療していきます。この順序が狂うと、次の患者さんに迷惑がかかってしまいます。そのため早めに来てもらっても、基本的には予約時間を優先します。

 時折、6コマの時間をとりながら、来院されない患者さんや当日になってから来れない旨の連絡がくることがあります。この場合、1時間半は完全に空いてしまい、全く無駄になってしまします。これは勘弁してほしいと思います。ただ無断キャンセル(連絡なくキャンセルすること)の頻度は週に一人くらいですが、1か月前の予約なので、忘れてしまうこともあり、このくらいの頻度はしかたがないと思います。

 日本語の予約という言葉は、英語では「reservation」と「appointment」に訳されますが、このふたつの言葉が完全に意味が違っており、「reservation」は場所の予約をさし、ホテルや劇場、レストランの予約の場合に使います。一方、「appointment」は人の予約をさし、取引先の人と会う場合や弁護士と会う場合などに使われます。当然、歯科の予約は、「appointment」にあたります。アメリカなどでは、このappointment の予約が大変きびしく、例えば弁護士に予約を入れ、来なかった場合は、後で料金が請求されます。ドイツなどでは保険治療が基本ですが、無断キャンセルの場合は歯科でも規定のキャンセル料が発生します。

 日本では医療機関で、キャンセル料をとっているところなどないだろうと思っていましたが、病院、医院でも認可を受ければ、予約診療費を保険外併用療養費の対象としてとることができるようです。実際は300円から3000円くらいの予約診療費を加算するようですが、特に料金はきまっておらず、掲示さえすればいくらでもよいようです。大きな病院に行くと、患者さんで混雑し、治療を受けるまで数時間もかかるようなところもあるようです。もともと具合が悪くて病院に行くのですから、これではかえって具合が悪くなります。歯科では治療が外科手術の準じ、時間がかかるため、ほとんどの歯科医院は予約制をとっていますが、医科では予約制をとっているところはまだまだ少ないようです。患者数があまりに多くて、予約制をとれないのが理由と思います。ただ医科の病気といっても急性疾患ばかりでなく、慢性疾患も多いのですから、完全予約とはいかないまでも、2時から3時までに10人といった、部分的な予約制はとってもよいと思います。実際、都市部のクリニックではこういった予約制の医院も増えてきているようです。

 子供の頃、父の歯科医院でも9時から始めるのに、すでに7時ころから玄関前に行列ができていました。今や歯医者も多くなり、こんなことは夢のような話ですが、患者さんにとってはずいぶんよくなったと思います。予約制をうまくするためには患者さんも予約時間をきちんと守ることが原則となりますが、歯科医も予約時間に来た患者さんを待たせない、その予約時間内で最大の治療をする技術が求められます。これは全く技術で、大学病院に勤務していたころ30分かかっていたことと同じことが今では5分でできます。保険診療は、もともと価格は抑え、いかに多くの患者をみるかという制度ですが、そろそろ欧米並みに一人一人に時間をかけ、予約制に基づいた治療になってほしいと思います。ただここで一番の問題は急患の扱いでしょう。以前、夜の8時頃、事故のため夜間診療を受けたことがありました。幸い問題はなかったのですが、受付でどんな患者さんが来るのかを見ていますと、ほとんどの患者さんは特に夜間くる必要のないようなものでした。3日前から便秘だとか、子供が朝から熱が出ている、1か月前から胃の調子が悪い、などといった内容でした。当然、開業時間内に来れたはずですが、仕事が終わってからと思ったのでしょう。予約制をする場合は、原則的には本当に急患で、他の患者さんにも、急を要する患者さんがきたので、申し訳ないが少し待ってほしいと言える患者さん以外は受け付けてはいけません。すなわち、予約なしで上記のような患者さんが来ても、断らなくてはいけません。患者さんからすれば具合が悪くなったから来たのに何だということになります。逆に予約通りに来た患者さんからすれば、予約なしで来た患者さんがどんどん治療を受けるなら、予約することがばからしくなります。ルールの周知と徹底が難しい問題と言えると思います。

 写真は歯の形をしたおしゃぶりです。赤ちゃんはわかっていないようですが、おもしろいというより、ややグロテスクなしろものです。

2008年9月9日火曜日

理想的なかみ合わせ





 私たち矯正歯科医は、治療を行う上でいつも念頭にあるのは、いかにして理想的なかみ合わせにするかということです。治療計画から始まり、すべての矯正治療のステップごとに、この理想的なかみ合わせに近づいているかチェックします。

 まず最も重要なのが、奥歯のかみ合わせで、基本的には下の奥歯が半歯前に出た、1歯対2歯のかみ合わせを基本とします。これをI級の臼歯関係と呼びます。これに続いて犬歯も同様な関係、下の犬歯の先が上の側切歯と犬歯の間の三角形に十分かみ合っているかをチェックします。奥歯が完全のI級関係であれば、前歯部も上の前歯が下の前歯を2,3mm覆い、真ん中(正中)があったかみ合わせが完成します。

 このあたりの関係をうまく説明するのは難しいのですが、いずれにしても奥歯のかみ合わせをまず基本にもってきます。特に6歳臼歯(第一大臼歯)の位置づけが重要です。その位置を決めるため、抜歯したり、インプラントをうったり、色々なことをして歯を動かしていきます。最も技術を要するところです。

 これらは外から見たところですので、ある程度口の中を毎回チェックすれば確認できますが、中から見たかみ合わせ(舌側からの咬合)は模型をとってみないとわかりません。症例などを学会や専門医試験に提出する際、チェックされる項目で、ワイヤーによる歯の立体的なコントロールが必要になってきます。結構難しく、途中で何度も模型をとり確認すればいいのですが、面倒で、いつも装置を外してから確認することになってしまいます。比較的咬む力の強いひとは自然にこの舌側のかみ合わせも咬んできますが、咬む力が弱く、あごがきゃしゃなひとではなかなか咬みこんできません。またゴムを使って咬ませても装置を外すと、だんだんと開いてくることもあります。

 また口元の突出感も審美的には重要な項目です。上のような理想的なかみ合わせを作っても、口元がもっこりしてサルのようになったのでは、患者さんは満足しません。理想的には鼻の先とあごの先を結んだライン上、あるいは中に少しはいるように上下の口元がくるようにします。また大きく笑った場合、上あごが狭く、奥歯の横の黒い空間があまり多いのも審美的にはマイナスとなります。

 極論すれば、矯正歯科医はいろいろな不正咬合をもつ患者さんすべて、矯正治療後はこの理想的なかみ合わせになるように努める訳です。初期の矯正歯科教育で徹底的に教え込まれます。このあたりの感覚がどうも一般歯科医とは違うようで、一般の歯科医の症例を見ますと、このかみ合わせが非常に甘い症例が多く見受けられます。患者さんからすれば、でこぼこが治れば、いいと考えるかもしれませんが、私たち矯正歯科医はこの理想的なかみ合わせを獲得したいのです。

 この他にも、隣同士の歯の接触している点が連続すること、歯と歯に段差がないこと、歯が捩じれていないこと、歯根が平行に並んでいること、歯根の傾きが適切であること(トルク)など、さまざまな条件があり、試験などではこれらの項目が採点され、評価されます。ただ実際は、治療期間の制約、患者さんの協力度合いなどで、なかなか理想通りにはといきませんが、ともかく最大限の努力をしますし、最も難しく、やりがいのあるところです。また人間相手の仕事なので、機械的に一様に達成できることはなく、機能的な問題、とくに舌のくせなどがからんでくると、本当に難しくなります。

2008年9月5日金曜日

口蓋裂患者の矯正治療




 恩師である東北大学歯学部顎口腔機能治療部幸地省子先生の「口唇裂口蓋裂治療 顎裂骨移植術を併用した永久歯咬合形成」西村書店 2008 がようやく出版されました。数年前から執筆しているのは知っていましたし、西村書店からも出版の予告が出ていましたので、すぐに出るのかと待っていましたが、発刊に手間どったのでしょう。

 共著の九州歯科大学の高橋哲先生、東京大学の飯野光喜先生も、学生時代同じ下宿で遊び回っていた仲で、本当にこの本の出版は私にとってうれしいものです。

 唇顎裂、唇顎口蓋裂の患者さんでは、歯槽骨(歯が埋まっている骨)に裂隙があります。この部分は骨の連続性がなく、ちょうど谷のようになっているため、その部分には歯を動かすことができません。無理して動かしても歯が骨から出て抜けるからです。この谷の部分に骨を補填して埋めることを骨移植術といいます。きれいに骨で埋め立てれば、自由に歯を動かすことができます。

 そういった試みは古くからあったのでしょうが、最初に腸骨(腰のでっぱったところの骨)から海面骨(やわらかい骨)を取り出し、歯の萌出のため二次的にこの裂隙部に骨を移植したのは確か1972年ころだったと思います(Boyne)。日本で最初にこの手術をやりだしたのが東北大学歯学部の手嶋前教授で、1982年だったと思います。第二口腔外科でやっていました。当時、私は小児歯科に在籍していましたが、口蓋裂チームに参加し、そこで矯正治療の手ほどを受けました。その当時から今まで口蓋裂の患者さんの治療をすべて引き受けていたのが幸地先生です。おそらく日本で最も多くの口蓋裂の患者さんの矯正治療を直接行った先生でしょう。

 私が口蓋裂チームにいた1983、4年ころはまだ骨移植もやり始めたばかりで、骨移植を行っても、谷を完全に埋めることができず、上の方に橋がかかった程度でした。歯を十分に動かすことはできません。入れる骨の量が少なかったことと、原法に従い、上から骨をいれていたため入り口が小さかったことが原因でした。その後、さらに症例を増やし、骨の量を多く、また骨も横から入れるようになると、成績は格段に良くなり、ほとんど谷はすべて骨で埋めることができるようになりました。この間の数年ほどは大変だったと思います。これによって歯を自由に動かすことが可能になり、ほぼ健常者と同様の咬合に仕上げることができるようになりました。幸地先生の本にも多くの症例が載っていますが、すばらしい症例です。

 おそらく口蓋裂の矯正治療について最初のまとまって記載されたのが「口蓋裂-その基礎と臨床- 宮崎 正 編」 医歯薬出版 1982年 だったと思います。この本では、口蓋裂の外科手技や発音、矯正治療などが載っていますが、矯正治療はその一章を占めるだけで各大学も試行錯誤しながら治療を行っていました。その後、東京歯科大学の一色泰成先生が「唇顎口蓋裂の歯科矯正歯科治療学」 医歯薬出版 2003年 を発行しました。ただ一色先生には大変申し訳ないが、症例はかなり前近代的であり、あまりいい仕上がりではなく、大変がっかりもしましたし、憤慨もしました。骨移植を用いた現在の矯正治療では、もっといい仕上がりにできると、私も「Hotz床を併用した二段階口蓋形成術を行った片側性唇顎口蓋裂の矯正治療例」日本臨床矯正歯科医会雑誌,16:2-7,2005 を投稿しました。

 口蓋裂の患者さんの矯正治療は、0歳から始まり、成人あるいはそれ以降まで続く、本当に長期の治療が必要です。自分の矯正人生でどれだけ治療できるかと考えると本当に難しいと思います。それでも現在の口蓋裂患者の矯正治療は、最初の手術をいかに侵襲が少なく、顎骨の発育抑制を減らし、骨移植をすることで、ほぼ理想的な噛み合わせを作ることは可能になったと思います。

 今や東京大学の飯野先生は骨移植の分野では日本でも最もすばらしい手術をしていますし、九州歯科大学の高橋先生も骨移植部にインプラントを植えるなどの新しい手技にもチャレンジしていて、口蓋裂治療の発展に寄与しています。親友の活躍の中、私はというと何もやっておらず、反省しきりです。飯野先生も、高橋先生も同じ上杉荘という8室のおんぼろアパートに住んでいましたが、他にも大館市立病院の佐々木知一先生も口蓋裂学会でも多くの研究を発表しており、上杉荘メンバーは私も含めて口蓋裂の治療に関与しているのは何か不思議な気がします。

 こういったきれいな症例を数多く載せるというのは、治療の規範にもなりますし、目標にもなります。そういった意味でもこの本の出版は、口蓋裂の矯正治療において大きな意味を持つと思います。また幸地先生の長い臨床キャリアの集大成としても意義あるものです。