先週、福岡でサッカー部の同窓会があった。数年前から年に1回か2回、高校時代のサッカー部の同級生が集まって飲むことにしている。昔であれば、同窓会だけの出席のため、青森から福岡に行くのは費用的にも、日程的にもかなり抵抗があったが、今では一番の楽しみになっている。私の学校では、中学一年生は何らかの部活をすることになっていて、当時、メキシコオリンピックで日本代表が三位になってことから、15人がサッカー部に入ったが、卒業までいたのは7名で、そのメンバーが集まった。
当時、小学校からサッカーをしていたのは1名だけで、残りは全て中学からサッカーを始めた。私の場合、背が高かったので早くからゴールキーパーとなった。このポジションは孤独なもので、練習は1年上の先輩、あるいは1年下の後輩と練習する。最初はキャッチング練習から始まり、キックしてのキャッチ、ゴロのセービングなどしながら、本格的なシュート練習に入っていく。今はゴールキーパーコーチもいるが、当時はサッカー練習本を買ってきてもゴールキーパーの練習法については一部しか書かれていないので、見様見真似で練習していた。
中学の時は、そこそこ強く、兵庫県中学サッカー選手権でも3位に入り、私自身も神戸市の代表に入り、広島に遠征し、広島市代表と2試合した。高校一年生の3月、近畿大会では、先輩ゴールキーパーが怪我のため、決勝以外の3試合に出場し、最終的には優勝した。ここまでが私のサッカー歴のピークで、高校2年生の7月の高校総体の兵庫県予選では、シードで、準々決勝と準決勝に勝ち、決勝は神戸高校となった。この試合では、神戸高校の応援に圧倒されたのか、ちょろいシュートをセーブしようとすると脇の下をするりと抜けて入ってしまった。左のスタンドからは神戸高校の生徒の歓声、さらに1点入れられた段階で選手交代があった。ゴールキーパーが試合途中、怪我以外で交代されるのは聞いたことがない。屈辱的な扱いであった。夏には、国体候補となり、練習にも参加したが、あまりのキツさに途中から逃げてきた。そして秋の大会では、ゴールキーパーがハンドを犯すという考えられないミスをした。ペナルティーエリアのすぐ外にきたボールを相手選手と交差した時、足を使わず、ラインのすぐ外で、手で触ってしまった。足でタックルすべきであった、そのままフリーキックとなり点を入れられ、負けた。高校最後の試合は高校2年生終わり、2月の県の新人戦であったが、監督からは信頼されず、1年生のゴールキーパーが出た。私の学校では受験勉強もあり、基本的には高校2年生で部活は終了となるため、レギュラーを外されたまま私の高校サッカーは終わった。
私の記憶は、高校1年生に出た近畿大会と、高校総体の県決勝戦までしかなく、その後の記憶は一切ない。嫌なことは忘れたのだろう。若者の将来への漠然として悩みというのだろうか、大学進学適正試験では大学進学は向いてないという結果が出たこともあり、一時は大学には行かないと思ったこともあった。高校2年生の後半くらいから浪人して大学に入学する頃までが、自分では暗黒期で記憶がほとんどない。成績もあまり良くなく、浪人生が皆入る、大道学園という予備校まで落ちてしまった。サッカーのレギュラーがはずれ、成績も落ち、気分は落ち込み、友人は皆、大学生活をエンジョイしていて、遊ぼうとも思わなかった。この時期の記憶は意図的にどこかに封印しているのかもしれないし、もう一つは、地元から離れて仙台の大学に行ったため、中高校の友人と完全に切れてしまい、記憶を補強するチャンスを逸したこともある。その後、中高校の友人との親睦を再開したのは卒業30周年記念同窓会からで、それまでは自分の生活することでいっぱいであった。
今思うと、進学校がサッカーの近畿大会で優勝などもはやできるはずはなく、そうした機会に参加できただけでも運がいい方だと思う。ただサッカー部の顧問だったT先生には大変お世話になったが、屈辱的な試合途中での交代はまだ許せないところがあり、生前中にお会いすることはなかった。意外にねちっこい性格である。ただよく考えれば、暗黒時代というほどひどい時期ではないが、記憶が欠落しているのは事実で、それがむしろ不思議である。







