2026年2月3日火曜日

日本語の不思議 カタカナ2

 


台湾の知人からの返答では

 

 

まず袖木さんの「バター」の引用文のうち外国語のカタカナ表示は次のようになる。

 

スリッパ → 拖鞋

拖鞋(tuō xié→ トゥオ・シエ

トレンチコート → 風衣/戰壕外套

風衣(fēng yī→ フォン・イー

戰壕外套(zhàn háo wài tào→ ヂャン・ハオ・ワイ・タオ

フローリング → 木地板

木地板(mù dì bǎn→ ムー・ディー・バン

オレンジかかった光 → 帶點橘色的光

帶點橘色的光(dài diǎn jú sè de guāng

→ ダイ・ディエン・ジュイ・スァ・ダ・グァン

ダイニングキッチン → 餐廚一體的空間

餐廚一體的空間(cān chú yī tǐ de kōng jiān

→ ツァン・チュー・イー・ティー・ダ・コン・ジエン

リビング → 客廳

客廳(kè tīng→ クァ・ティン

カーテン → 窗簾

窗簾(chuāng lián→ ツァン・リェン

 這個就是你舉的「標準漂亮例子」

ソファ → 沙發

沙發(shā fā→ シャー・ファー

リバティ柄 → Liberty 印花

Liberty(英語保留)

印花(yìn huā→ イン・ホァ

アンティーク → 古董風的

古董風的(gǔ dǒng fēng de

→ グー・ドン・フォン・ダ

コラージュ → 拼貼畫

拼貼畫(pīn tiē huà→ ピン・ティエ・ホァ

ポーズ → 姿勢

姿勢(zī shì→ ズー・シー

アニメキャラクター → 動畫角色

動畫角色(dòng huà jué sè

→ ドン・ホァ・ジュエ・スァ

スタンプ → 貼圖

貼圖(tiē tú→ ティエ・トゥー

 

中国語には日本語のカタカナのような、外来語専用の表記システムは存在せず、その代わり、中国語では外来語を次の3つの方法で処理する。

 

1)意訳(意味訳)最も一般的

意味を中国語に置き換えます。

例:

orange(色)→ 橙色/橘色

living room → 客廳

2)音訳(発音を漢字で近似)

主に人名・地名・ブランド名など。

例:

coffee → 咖啡

chocolate → 巧克力

3)原語(英語)をそのまま使う

これは近年かなり増えている口語的用法です。

特に若者・都市部・専門分野で顕著です。



 

たとえば、ランダムに青空文庫から公開されている作家の中で有名な芥川龍之介を選び、さらに彼の作品の中で、タイトルにカタカナを使っている作品、アグニの神という作品を調べた。これは大正10年(1921)の作品で、この文章中、人名、国名以外の外来語を調べると、ガラス、ピストル、ランプ、ナイフしかない。芥川のこの作品では、鉛筆で書かれた手紙をカタカナ表記しているが、こうしたカタカナの用法は今はない。明治以降の小説中の人名、国名、以外の普通名詞のカタカナ語の比率を調べ、あるいは中国語、英語などとの比較も研究として面白そうである。逆に言えば、ひらがながあるのによくカタカナが生き残ったものである。

 


2026年2月2日月曜日

日本語の不思議 カタカナ1

 


週に一回集まる英語教室で、カナカナの英語教育効果を議論した。昔に比べてカタカナ英語を日常会話で使う頻度が飛躍的に増加し、それに伴い日本人の英語能力も向上しているかというものである。私は、むしろカタカナの歴史的な変遷あるいは日本語の特殊性、世界でも表現する文字として漢字、ひらがな、カタカナの3つ表記を持つ国は少ないという点に関心を持った。

 

昭和40年頃まで、日本では外国語は基本的には翻訳して使われていたが、近年、カタカナの使用はもっぱら外国語表記に使われ、最近はそのまま翻訳されずカタカナ表記として使われことも多い。これは我が国には、漢字、ひらがな以外にカタカナという表記法があるため、容易に外国語をそのまま表記できるからだと考えた。そして漢字表記しかない中国や、アルファベット表記しかない英語ではありえないことではないか、基本的には多くの言葉は翻訳して使われるのではないかと主張した。それに対して、他の先生は中国語でも日本語と同じように英語発音を漢字に変換して使われているのでないかという。私は漢字で英語発音を変換するのはかえって面倒で、たとえば「インターナショナル」は漢字では「国際」と表記されるが、これを発音表記すると「英特大雄納汝」となるがこれはよほど面倒で、ほとんど使われないと考えた。いくら議論しても、これ以上の結論は出ないので、台湾の知人に中国語でも外国語の発音表記が多いのか聞いて確かめることにした。

 

 

まずカタカナの多い文章としてイギリスで人気の袖木麻子の「バター」(新潮社文庫、2020)の中から以下の2つを選んだ。

 


「伶子はすすめられた温かい素材のスリッパに履き替え、トレンチコートを預けると、つるつるとしたフローリングの廊下を通って、オレンジかかった光に満ちた案内へと向かう。ダイニングキッチンから続く十畳ほどのリビングはごくごく平均的なものだが、カーテンソファリバティ柄、アンティークらしいよく使い込まれた焦げ茶色の食器棚と本棚、壁にかけられた無名の作家のコラージュのおかげーー」(P8)

 

「服を押さえて絶叫しているポーズアニメキャラクタースタンプセンスにかちんとする。」(p98

 

 

ややカタカナの多い文章を選んだが、現在の日本語としてそれほど違和感はなく、現代日本を代表する作者の文として問題はない。英語翻訳文は読んでいないが、ほぼ選択文の下線、カタカナ表記はそのまま英語表記になっているはずである。また「十畳」の英語表現が発音通りに「jyujyo」ではなく、「10-tatami mat room」あるいは「18m2

」と表現するだろう。そこで台湾の知人に上記、袖木の文章で、下線部の中国語は翻訳するか発音表記にするかを質問してみた。

 

結論を先に言うと、基本的には中国語では外国語は意訳、翻訳して使うのが主流で、文章ではほとんど翻訳表現となるが、ただ若者、都市部、専門分野では口語として英語発音のまま使うことが多くなったと言う。表音文字でない漢字で、英語発音を表音で記述するのは難しいからだろう。一方、もともと表音文字である朝鮮の言葉、ハングルは容易に外国語をそのまま発音表記できるが、全てひらがなで表現されているようなもので、これはこれで困惑するだろう。


2026年1月22日木曜日

爆撃機のイラスト

 

九十七式重爆撃機


九十九式軽爆撃機


少し前までのマイブームは、矯正用ワイヤーを用いての1/24の自転車作りであった。矯正用機材の一つ、コバルト・ニッケル合金、0.4mm0.5mm0.8mm0.9mmサイズのワイヤーが多量にあったので、これを活かして何かできないかと思ったのが、自転車作りであった。自転車の構成としては、ホイール+タイヤ、フレーム、ステム、ハンドル、ペダル、変速機、チェーンとなる。ロードレーサーのフレームは大体22mmくらいなので、やや細いが0.9mm線で構成すれば作れると考えた。トップ、ダウンチューブなどは0.9mm線をろう着すれば、なんとかできると考え、最初は得意の自在ろう着、つまりフリーハンドで2つ、3つのワイヤーを銀ロウでろう着した。ただ平行性などが難しく、アマゾンで自由に動くジグが安く売っていたので、これを使うと完全に思ったようにろう着できる。ステム、ハンドル、ペダルあるいはブレーキも何とか自作でき、フロントギアも腕時計の部品を使える。ただホイールについては金属製の丸リングに0.4mm線をろう着したりしたが、うまくできなかった。それでも何とかできたので、三点ほど知り合いの中古家具屋さんに東京(Tokyo Modernism 2025)に持って行ってもらって、売れるか試してもらった。3000円くらいで売れるなら、老後の趣味にしようと思っていたが、これがさっぱり売れない。

 

Facebookで調べると、埼玉のMasayuki Yamamotoさんという方が1/12であるが、超人的な技術を駆使して極めて精巧な自転車模型を作っているのを知った。チェンを一個づつ作るという信じられない精巧さで、依頼を受けて製作しているプロ?の方である。この人に作品に比べれば、私のものなど大人と赤ちゃん、虫以下のレベルで、これで自転車製作は諦めた。矯正用ワイヤー、プライヤー、ジグ、バーナも他の先生にあげた。もう作れない。

 

その後、1/24のタミヤ、ハセガワのフィギュアを作っていたが、どうもオタクぽくなり、ややエッチな路線に行きそうになったので、子供の頃に描いていた飛行機の絵を描くことにした。中学1、2年生の頃から航空ファンという雑誌が好きで、別冊の世界の傑作機シリーズも模型作りの参考に買った。そこにはおまけのような形で折りたたみ紙面でカラーの美しい飛行機の側面図が描かれていて、楽しみだった。その後、小池繁夫という天才的な飛行機画家が現れ、タミヤやハセガワのプラモデルの多くのボックスアートは彼が描いた。独特の空気感があり、飛行機イラストでは世界的に人気がある。私も彼のイラスト作品集を買ったが、本当にすごい。さすがにこの領域に行くのは無理であるが、老後の楽しみ程度で、飛行機の絵を描いてみることにした。

 

一つには戦記物漫画で有名な滝沢聖嶺さんの絵を参考に、2B鉛筆でざっとラフ画を描いていき、次に0.5mmのシャーペンで仕上げ、そして0.01のサクラ、ピグマで書き込み、水彩で着色しようと思った。飛行機のイメージは、前の家から捨てずに持ってきた世界の傑作機シリーズが百冊くらいあるので、その中から好きな飛行機を選んで、写真を探した。また最近はYouTube で飛行中の飛行機をデジタルで再現している作品がたくさんあるので、それも参考にした。

 

まず九十九式重爆撃機を描いた。空と地上はざっと省略したが、まずまずの絵が描けたので、続いて個人的な好きな九十九式軽爆撃を描くことにした。この機体はまだ世界の傑作機シリーズになっていないので、ネットで検索して気に入った写真を参考にした。この機体は、後方の胴体が狭くなる独特の形態をしているため、金魚、おたまじゃくしという愛称がある。国内での訓練中を想定し、地上は日本の農地、空の雲は少し詳しく描いてみた。また機体の境界は小池さんに倣い、白で描いてみたが、どうもぼんやりした感じとなる。昭和30年代の小松崎茂さんの絵のようになった。これはこれで面白いのだが、目標は滝沢さんであり、まだまだである。特に左右の翼の形をおかしい。そこで、日本で唯一、発行されている飛行機画のテキスト、「戦闘機の描き方 翼と機体 十字から描く戦闘機テクニック」という本を買った。著者の中には滝沢さんもいる。少し勉強していきたい。

 


ハセガワとタミヤでは1/24でも大きさが違います





2026年1月21日水曜日

口唇口蓋裂手術の集約化

 


青森県の出生数は、昭和25年は46000人、私が開業した平成7年には14000人、そして令和5年には5700人まで減少している。速報では令和6年の出生数は5099人で、昭和25年の1/9、平成7年の1/3になっていて、人口減少傾向は凄まじい。婚姻件数は、昭和25年が12300件、平成7年が8300件、そして令和5年が3300件となり、それぞれ1/41/3なので少子化も浮き彫りにされている。青森県の人口は118万人なので、出生数は人口の0.4%となり、予想では2050年には人口は75 万人になると言われている。さらに深刻なのは、若い人が東京などの都会に行くことで、若者の数はどんどん減ってきている。

 

唇顎口蓋裂患者の頻度は500名に1人とされ、推定患者数は、昭和25年では青森県で92人であったのが、平成7年では28名、令和6年では10人程度になっている。当院の唇顎口蓋裂患者数を見ると平成7年から14年くらいまでは年間12名程度で、県内の半分くらいの患者が来ていたことになる。矯正歯科専門医は八戸市、青森市にもいるが、ほぼ半分くらいが来ていることになる。ところがここ5年ほどの患者数を見ると年間4名くらいになっており、出生数の減少と一致する。

 

これは全国的にも同じで、令和6年の出生数は686000人、推定患者数は1370人と数としては決して少なくないが、それでも少なくなっている。全国の形成外科を有する医学部、医科大学は74校、歯科口腔外科のある歯科大学は29校、さらに公立病院、私立病院でも唇顎口蓋裂の手術をするところもあるので、おそらく全国300以上の施設で手術を行なっていると思われる。そうすると一医療機関での年間手術数は5件以下となる。

 

口唇形成術(片側、両側)、口蓋形成術、骨移植術、鼻形成術、外科矯正、など口蓋裂患者に対する酢術は多岐に渡る。手術のレベルは経験数にも比例するので、少なくともベテランの領域に達すには、口唇形成術だけでも100症例以上の経験が必要となる。昔、宮崎医科大の口腔外科にいた時は、口唇口蓋裂の手術、全てに参加した。小さな領域の手術なので、通常は教授と私の二人だったが、ネーベンで主として鉤引きをしていた私でも手術は狭すぎてほとんど見えなかった。完全に術者のみが知り得る手術であり、個人で何症例経験したかが重要となる。それゆえ、完全に個人の才能の含めた臨床能力が手術の成否を左右する。

 

昔、世界の5つくらいの施設での、手術法の違いによる評価を調べた研究があった。結論は、手術法に違いより個人の技量による違いの方が大きかった。大学病院は教育機関で、口腔外科の専門医をとるために、若手の先生に手術させることがよくある。器用、不器用の差がきれいに出てくる。ある程度、数をこなすと力量は上がってくるものの、それでも個人の生まれ持った能力、手先の器用さも関係する。

 

一時期、日本のスポーツは低迷で、オリンピックでもメダルが減少してきた。その時にとられたのが、主として共産主義国家で取られていた方法、全国から優秀な人材を集めてナショナルトレーニングセンターで練習させることであった。水泳、卓球など多くの成果を上げてきた。同じように口蓋裂患者数の急激な減少を考えると、全国から優秀な形成外科、口腔外科医を東京、大阪の専門医療機関に集めて、そこでトレーニングしたらどうだろうか。本人の意思、あるいは所属機関長の推薦で、“国立口蓋裂センター”のような施設に派遣させ、そこで症例数を上げていき、技術を高めていく。そして世界トップのレベルを目指し、さらにいうならアジアでの口蓋裂患者の手術とその地域の医師の教育を目指す機関はどうだろうか。昔、日本の歯科口腔外科の有志がチェニジアに行って手術をしたような実績があり、双方にとっても大きな意味を持つ。

 

小耳症に対する耳介形成術は、全国で年間300件くらいあるが、半分は札幌医科大学の形成外科の四柳先生のところでしていて、ほぼ拠点化している。わざわざ札幌までいくのは大変だと思われるが、それでも全国から患者が集まる。口唇口蓋裂の手術ランキングを見ると、一位は昭和大学藤が丘病院で278例、二位は東京都立小児総合医療センターで140例だが、27位の長崎大学病院からは30例以下となる。この手術数はおそらく口唇、口蓋、あるいは再手術や骨移植術を含めた数値で、プライマリーの口唇、口蓋形成術の数は少ない。医師の技術の向上のためにはそろそろ集約化が求められる。薄く、広くよりは札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡の5箇所、あるいは国立口蓋裂センターのような機関であれば東京と大阪の二カ所くらいで十分にカバーできると思われる。

 

少子化に対応した医療システムの構築が求められる。


2026年1月18日日曜日

共産主義と独裁制が結びつくと

 



第二次世界大戦後の大規模戦争(紛争を除く)をみてみると、まず朝鮮戦争は共産主義国の北朝鮮が民主主義国の韓国に侵入して始まった戦争で、北朝鮮には中国、ソ連が支援し、韓国にはアメリカはじめ民主主義国の欧米諸国が支援した。典型的な共産主義国家vs民主主義国家の戦争である。次に、ベトナム戦争は、共産主義国の北ベトナムがラオスを経由して、ベトコンを侵入させ、それが戦争に繋がった。これも北ベトナムにはソ連と中国が援助し、共産主義国vs民主主義国アメリカという構図となっている。その後、ソ連の崩壊に伴い冷戦状態は終了し、共産主義国家vs民主主義国家という抗争はなくなったが、イランーイラク戦争のようなイスラム教内の宗派対立、フセイン独裁国家による宗教国家イランへの侵攻があり、また中越戦争のような共産主義国同士の戦争もある。まずポル・ポト率いる狂信的な共産主義国のカンボジアがベトナム国内に越境し、そこの住民を虐殺する、それに対してベトナムが反撃して、ここにカンボジア・ベトナム戦争が発生、さらにポル・ポト政権を支援する中国がベトナムに侵攻するという共産主義国家同士の三つ巴の戦いがあった。

その後の大きな戦争といえば、湾岸戦争とそれに続く、イラク戦争で、これもフセイン独裁国家によるクエート侵攻に起因する。独裁国家vs民主主義国家アメリカの構図である。最近のウクライナ戦争は、一見すると民主主義国家ロシアvs民主主義国ウクライナによる戦争にように見えるが、両国とも共産主義国的な面影を残し、プーチンという独裁者が引き起こした戦争といえよう。民主主義指数というランキングによれば、日本は16位に対して、ウクライナは92位、ロシアにいたっては中国(145位)以下の151位となっていて、両国とも独裁政治体制と分類されている。ちなみに政治体制分類では完全民主主義、欠陥民主主義、混合政治体制、独裁政治体制となり、北朝鮮165位、ラオス160位、キューバ135位と、共産主義国は軒並み低い。

 

こうした第二次世界大戦以降の大きな戦争をみると、共産主義国あるいは独裁者が発端となるケースが多い。これ以外のケース、民主主義国家同士、独裁者のいない戦争というと戦前の大東亜戦争の日本くらいしかない。日中戦争でいえば、軍事国家とはいえ民主主義国で独裁者のいない日本vs蒋介石という独裁者の中華民国の戦いで、同様に太平洋戦争では民主主義、アメリカ、イギリス、オランダとの戦争と言える。戦前の日本は、本当に特殊な国で、人民による選挙により指導者が選ばれる民主主義国家で、天皇には権限はなく、東條英機とはいえ、ソ連のスターリン、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニのような独裁者とはいえないし、そもそも彼のせいで戦争を起こしたわけではない。あたかも19世紀のイギリス、ドイツ、フランスによる帝国主義的な思想で戦争を起こした。指導者が起こした戦争というより民意が起こした戦争ともいえる。

 

こうした共産主義国家、独裁者という戦争の条件をみると、現況で、最も危ないのは北朝鮮と中国で、どちらも共産主義国家で、金正恩、習近平という独裁者がいる。こうした国では、独裁者の決断のみで戦争をおこすことができる。共産主義の原則、プロレタリアート(共産党)独裁がある限り、常に戦争を起こすリスクがある。

 

民主主義国家は、貧富の問題という大きな課題を有するが、それでも近代において、独裁制でない民主主義国家間で戦争がないことから、平和という点では、優れた制度である。戦争という愚行は、民主主義国家では認められにくいからだろう。民主主義国で、国民から選ばれた政治家が、ロシアのウクライナ侵攻のようなコスパの少ない戦争を選択することはない。例えば、無人島の尖閣諸島を巡って、中国が日米と戦うという馬鹿げた選択は普通の感覚からは絶対に選ばない。同様にいくら台湾を重要とはいえ、武力侵攻で吸収しようというのは、場合によっては核戦争、第三次世界大戦になるリスクがあり、独裁者以外はそうした決断は絶対にできない。多くの識者が恐れているのは、共産党と独裁者が結びつくことで、現在、習近平はほぼ13年で、あと任期は2年あり、さらに延長しそうである。ロシアのブーチンが延べ21年の大統領、スターリンは29年、プレジネフの18年で、いずれもウクライナ戦争、独ソ戦、アフガニスタン侵攻を起こした。日本共産党のスローガンとして戦争のない平和な日本を唱えるが、そのためには世界中からまず共産党、独裁政治体制をなくすことが近道となる。少なくとも独裁政治は怖い。

民主主義国はどうかというと、アメリカのトランプ大統領が任期延長を行うことで、これは一種の独裁制となる。過去にはフランクリン・ルーズベルトが4期目の最初に急死したが、太平洋戦争に参戦したことを考えると、トランプの3期目はどうか。


2026年1月11日日曜日

購買欲について

 

昨年、シンシナティー美術館に寄贈した田中蘭谷の作品がクリスマスカードに使われました



毎週、一度、英語を学ぶために4人の歯科医が集まって英語の先生と1時間半、英会話している。話題は、トランプの移民政策から子供、孫のことまで何でもあるが、年齢が皆70歳前後なので、病気のことや老後生活について話すことが多くなった。

 

皆、そこそこの資産を持っているが、あまり金を使わないという。まず服については、別にほしいものはなく、ユニクロのもので十分だし、今あるものでほとんど間に合うという。女の人はともかく、男の人で70歳になって、服に金を使う人は少ないと思う。おしゃれな人は、それまでに多くに服を買っているので、その中から気に入ったものを着ているし、靴だって履き慣れた物が良い。くたびれてきたら、かなり金額がかかっても修理して履く人も多い。

 

食べものについても、まず食べる量が減るため、フランス、イタリアのフルコースもキツくなるし、さらに回数も減る。朝食も、同じものが一番いいので、ご飯、味噌汁、漬物、納豆、に焼き魚あるいは卵焼き程度で十分である。またコーヒー、リンゴジュース、トースト、ジャム、果物あるいはサラダもいい。昼食も、今まで家内が簡単な弁当を作ってくれたので、前夜のおかずと冷凍食品を入れた弁当を作ってもらっている。たまに蕎麦やラーメンなどの麺類となる。夜は、月に一度くらいは外食するが、肉や魚などのおかずと焼酎を飲んでいる。年寄り夫婦二人の食費など知れたものである。

 

旅行も年に2、3回くらいは行くが、それも近場や国内で、最近は宿泊費が高くなっているといっても知れている。衣食住の住についても、一戸建てからマンションに移ったので、光熱費が半分くらいに、庭木の手入れ、除雪、警備費もいらないので、住についての管理費も多くない。

 

インテリアは好きで、昔はよく家具を買っていたが、今回、マンションに移って、収容が少ないためスイスのUSMハラーのキャビネットと、古いソファーがマンションに入らなかったのでデンマークのアイラーセンのソファーを、買ったのでしばらくは必要ない。

なにしろ、マンションに移ってからはスペースが限られているので、買っても置くところを考えてしまい、絵、骨董品、インテリアも買えない。

 

そんなことで、財布に入っているお金を使うのは、本を買うくらいで、これも10年前から本を買ったら読む、読んだら捨てるようにしている。本好きの人の一番問題点は、本を買うだけで、読まない、いわゆる積読という習慣で、これをやりだすと本がたまる。さらにこうした習慣を持つ人は蔵書数も増えていき、場所をとる。私の場合は、買った本は基本的に読むようにしているので、一週間に3冊以上は無理となる。今読んでいる、「荷風の昭和」などは前編後編で1000ページを超えるために読了するためには2週間は最低必要であろう。また読んだ本は、まわりみち文庫、ブックオオフに持っていくか、買い取られないものは捨てている。それでも少しずつ本は増えているので、二度と読まない本はどんどん捨てている。それでも雑誌、漫画はすぐに読めるので、ほぼ2、3日おきに本屋に寄っては買っているが、ほぼお金を使うのはこれだけとなる。家内は図書館に行ったらというので、雪がなくなったら行こうかと思うが、さらに支出は減るだろう。

 

お金を使うというのも元気が必要で、ほしい、ほしいという欲求は老人になると薄れる。これは女の人も同じで70歳すぎて、宝石などほしいと思う人はまだ若いと思う。特に田舎にいると、周りに購買欲を刺激するようなものはなく、雑誌も買うことが減り、物欲が刺激されない。以前は、よくヤフーオークションで掛け軸を購入していたが、これも多くのコレクションをアメリカのシンシナティー美術館に寄贈してからは、あまり関心がなくなった。結局、もし欲しいものがあるとすれば、それはもう手に入れているし、今から手に入れてもあとは死ぬだけでだと思うとほしいとは思わない。


もっというと、今回の引越しではっきりわかったことは、買うときは高くても売る時は信じられないくらい安いし、誰かにあげようと思っても相手は欲しがらず、結局はゴミになるということだ。買っても、ゴミになるとわかれば買うことはない。日本だけでなく、先進国、あるいは中国もいずれ老人社会となる。そこは購買欲の少ない、ある意味、資本主義とは反する縮小社会になる可能性がある。



リフレンする曲、韓ドラ スキャンダル 白雪姫の逆襲


 

 



2026年1月8日木曜日

日本歯科専門医機構、矯正歯科専門医


昨年の年末のようやく日本歯科専門医機構の矯正歯科専門医認定証が届きました。1222日に閉院してから来ましたので、結局、診療室には飾ることはありませんし、今のところ私にとってはあまり価値のないものです。ただここまでの経過を考えると個人的には感慨深いものがあります。

 

最初に日本矯正歯科学会の認定医制度ができたのは、私が鹿児島大学にいた頃ですので、40年くらい前のことです。当時、欧米でも矯正歯科と口腔外科は専門性が高く、いずれも長い歴史の専門医制度がありました。そんなこともあり日本矯正歯科学会でも専門医制度を作ろうとはじまったのが、学会の認定医制度です。大学などの研修機関に確か5年くらいいて、三十症例くらいの患者名を報告すれば取れました。大学にある程度、在籍していれば取れるというものでした。該当する先生はほぼ認定医をとったと思います。ただ日歯新潟の教授が一般歯科の研究生にも取らせようと、症例を重複させる不正がありました。本来なら常勤で5年以上、自分が治療した症例のうち30症例の簡単な治療情報を提出するのですから、週に一回ほどしか大学に来ない、実際に大学で治療したケースがない研究生には取れない資格です。当時の開業している矯正専門医は、個性的な先生が多く、多少、学園闘争も経験しているためか、こうした不正を強く抗議しました。そして一方では、日本矯正歯科学会とは別の学会、日本矯正歯科協会(JIO)という組織を作り、ここでも認定医を作ることになりました。

 

その後、認定医制度も資格審査が厳しくなりましたが、岐阜の浅井先生など数人の先生が認定医の上により厳しい資格試験、専門医を作ろうということになりました。確か20年くらい前だと思います。大学より開業専門医が主体となった制度です。前回の不正もあり、かなり厳しい制度となりました。まず研修医期間の確認はもちろん、10のカテゴリーの沿った症例を提出して、誰が提出したかわからないようにブラインドで審査されました。カテゴリーのあった症例を探すのが難しく、当時でも千症例以上診ていないと集まらないと言われていました。私は1回目の試験を受けましたが、これが一番優しい試験で、合格率は70%くらいだったと思います。それでも大学の教授が2、3名落ちました。審査官はまず症例を見て評価し、ほぼ試験の合否はここで決まります。その後、ブラインド試験なので、面接で初めて受験者がわかることになります。面接前には合否を決まっており、面接は合格者の中に人格的に問題ないかを調べる形式的なものです。もちろん試験官は、日本矯正学会の学会長を落とすわけですから、後で気まずかったようです。それでも学会長、教授まで落とす厳しい試験という評価を得たことは良かったと思います。その後、教授は落とされるリスクを恐れて、この専門医を持つ教授は数名にとどまりました。この矯正歯科専門医試験はさらに厳しくなり、ひどい時には合格率が30%程度で、なかなか取れない資格となりました。

 

その後、第三者機関による専門医制度が文科省から提示され、日本矯正歯科専門医機構による専門医制度が作られことになりました。矯正歯科においては、日本矯正歯科学会、日本歯科矯正協会、日本成人矯正歯科学会の3つの専門医制度がありましたので、文科省から統一するようにと言われました。そこで、3者で何度も協議をしましたが、なかなかも決まりません。それでも5年ほど前に、なんとかこの3つの団体の統一試験というものが実施され、私もこの試験官となりました。ところが先にできた口腔外科の先生から3つの学会のうち、日本矯正歯科学会以外は認められことになり、結局、この統一試験自体が無駄なことになりました。その後3年ほど前に、筆記試験も含めた再試験が行われ、ようやく日本歯科専門医機構、矯正歯科専門医ができました。

 

私は、これにも試験官として参加し、症例審査、筆記試験にも合格しましたが、機構実施の講義受講料を払うのを忘れてしまい、結局、最初の書類提出ができませんでした。もう引退が決まっていましたので、ここでギブアップしました。ところが、偶然、日本歯科専門医機構の矯正担当理事とは地元の旧知で、専門医の偏在、青森県には専門医がいないことを嘆いていました。そこで、もう一度、挑戦したのが、2年前、その後、昨年の春には合格となり、今回、ようやく認定証が届きました。現在、全国で233名、東北地方では、矯正歯科専門医は宮城県4名、山形県2名、岩手県2名、秋田県1名、そして青森県が私、1名となりました。ただ宮城県の2名は私と同年代か上、岩手県も私より上、と年齢が高く、若手の先生はどんどん専門医になってほしいと思います。