2024年7月24日水曜日

弘前観光 味めぐり

 



弘前市は江戸時代のお城、武家屋敷から明治、大正、昭和のモダン建築まで揃っているところで、そうした点では観光資源に恵まれている。さらにお土産も、まずりんご、さらにりんごを使ってアップルパイ、津軽せんべい、津軽塗り、ブナコ、津軽こぎん刺し、ねぶた絵、日本酒など、まあまあある。また観光地も弘前駅から数キロのところに集中しているので、比較的効率的に観光ができ、駅前でレンタルサイクルを借りれば、1日で大体の観光地をまわることができる。

 

ただひとつ、観光地としての残念な点としては、名物料理がない点である。もちろん津軽の伝統料理というものが存在し、おいしいことはおいしいのだが、一般観光客が弘前に来たらこれを食べたいというものがない。大阪であれば、たこ焼き、お好み焼き、博多というとラーメン、宇都宮は餃子、隣県の岩手県、盛岡はわんこそば、冷麺などが有名である。弘前市は内陸にあるために、函館市、青森市や八戸市に比べて、海産物という印象も少なく、わざわざ弘前市で新鮮な海の幸を期待することも少ない。

 

とくに外食店が少なく、弘前駅前で食事難民の観光客を見かけ、中には「このあたりで美味しいところはないですか」と聞かれることも多い。お気に入りの店も多いのだが、駅前となると、日本料理の「むらさわ」や、なくなってしまったが中華料理の「豪華楼」くらいしかない。ただ「むらさわ」も予約しないとなかなか食べられないので、最近は気安い友人であれば、駅前の「虹のマート」に行って、まぐろの源ちゃんで刺身を買い、八百屋GOHANで郷土料理の惣菜を買い、コルトンでラーメンを注文して、テーブルで食べるようにしている。台湾観光客をよくしている方法で、意外に評判がよい。おすすめである。

 

ただ大変お世話になった人や、外国からの観光客、あるいは接待でもてなす場合は、もっときちんとしたところに案内したい。かっては元寺町に「翠明荘」というぜいたくな日本料理店があり、屋敷、風情、調度もすぐれていて、ちょうど昼食などで案内するには便利なところであったが、今はなくなってしまった。そうなるとレストラン山崎のランチあるいはそばの「高砂」の奥座敷くらいとなる。あるいはうなぎであれば「なかさん」は創業天明6年(1786)という老舗である。ただレストラン山崎、高砂、なかさんにしても、東京、海外からからきた味の超えたお客さんからすれば、それほど感銘はないかもしれない。

 

こうしたお客さんに、自信をもって勧められるお店としては医学部病院近くのイタリアンレストラン「オステリア エノテカ サスィーノ」で、ここはほとんどの食材を自分で作っており、東京でもこうしたレストランはなく、グルメもうならせる。またここで修行した「イルフィーロ」も少しカジュアルでいい雰囲気と料理である。さらに百石町のトラットリア・リパージオもオススメである。イタリア料理のいい店が多い。個人的には一番うれしいのは、日本料理店「陽」というお店ができたことで、東京、京都の一流店と遜色なく、ここも自信を持って紹介できる。さらに行ったことがないが元大工町の「おり乃」もすこぶる評判がよい。

最近では、こうした若手の優秀な料理人が弘前にも出てきているので、今後、ミシュラン東北ができた時には、星付きの店が多くできて欲しい。たとえば富山市は人口42万人程度であるが、ミシェランの三つ星はないが、一つ星が16軒、二つ星が4軒、ある。同じく金沢市も人口47万人で、三つ星が1軒、二つ星が9軒、一つ星が18軒ある。これだけ多くのミシュラン店があれば、食事のために金沢市や富山市にいく観光客も多いだろう。ミシュランと同じようなレストランガイドのゴエミヨではすでに青森県のレストランも出ているが、それによると3トックが、弘前市のサスィーノと陽、八戸市のカーサ・デル・チーボの三軒、2トックが青森市のKashu、アルチェントロ、そして弘前市のイルフィーロの三軒しかない。掲載された6つのお店のうち、弘前に3つあるのは誇らしいが、それでもまだまだ少ない。ただゴエミヨはほとんど人が知らないようなので、早くミシュランの東北版がでてほしい。


 


2024年7月15日月曜日

阪口塾3

 



先日、Yahoo!ニュースで「伝説の阪口塾―>灘中高―>東大理三合格の医師が人は誰でも無能になると悟ったワケ」が取り上げられ、それを見た人が「阪口塾」で検索したようだ。その結果、私の2007.8.3の「伝説の阪口塾」に辿り着き、1日で閲覧者数が1800近くになった。新記録である。

 

それにしてもこの17年前の記事は、他の記事に比べて特殊なもので、この塾のOBの方から多くのコメントをいただき、さらに内容が濃く、長いため、あたかも長い長い物語のような形式になっていて面白い。小中高、あるいは大学の先生であれば、その教え子が懐かしがって思い出を語る、あるいは教え子が本にすることもあるのだが、小学生向けの塾の講師に対して、これほど熱い多くのコメントが来るのは珍しい。私もこの塾に2年間いて、週に3回ほど通った。一回の授業時間は2時間ほどで、先生と話すこともほとんどなかったが、それでも今までの人生の中でこれほど勉強したことは記憶にない。その後も、大学の受験勉強、国家試験などもあったが、小学校の時の勉強量に比べると遊びみたいに感じた。それだけ濃い体験をしたせいなのだろう。私の場合は地頭が悪くて、塾の真ん中から下の生徒が入る六甲学院に入学するのがやっとであったが、この記事にコメントする人はほとんど灘中学校に入学したようで、その後も世間的には立派なポジションになったのであろう。

 

昔、青森空港から大阪、伊丹空港に向かう飛行機に乗っていると、前の席のポケットにJALの雑誌「SKY WARD」があった。いつも浅田次郎さんの「つばさよつばさ」を楽しみにしているが、雑誌の後半部にJALの飛行ルートが載った日本地図がある。ここに搭乗者が感動した飛行機からのシーン、例えば、夕闇の富士山とか、を10人くらいの人が思い思いに書いていた。全て手書きで、どんな人が書いたのだろうかと想像しながら、読むが、浅田次郎さんのエッセイより面白い。私が付け加えたのは千歳空港から青森空港の夏の最終便のシーンで、陸奥湾に浮かぶ和多くのイカとり漁船の明かりが美しく幻想的であることを付け加えた。みんなのコメントが詰まったこの雑誌もすぐに捨てられたと思うが、こうして思い出が残っている。

 

うちのお袋もそうだが、歳をとると最近のことはあまり覚えていないが、子供の頃や昔のことをよく覚えていて感心することがあった。最近は自分自身も同じようになっており、テレビの俳優や歌手の名はなかなか思い出せないが、昔のことをよく思い出す。出来島の阪口塾に行くために、家から自転車で、阪神尼崎駅で駐輪したが、塾の帰りに見ると、気に入っていたクラクションが盗まれたこと、甲陽学院にいった知人が調子に載って出来島駅に来た電車に手を振って、電車を急停車させ、後でものすごく怒られたこと、そういえば、その教室は板の間と畳で、椅子がなく、直に座っていたこと、模擬試験の成績が左の壁に飾っていたがどこで模擬試験を受けたっけと思い出せないこと、学校では三人がこの塾に行っていて、芝くんは六甲中学へ、佐々木くん灘中学、他クラスの高岡くんは甲陽中学に行ったが、浅田くんは塾に行かずに六甲中学に行ったが、ここ10年前まで知らなかったことなどを思い出した。

 

中学入試は、昔も今もそれほど変わらず、算数、国語、理科の科目で、国語、理科は暗記もののため、塾での主眼は算数であった。ツルカメ算などの小学校の授業では習わない特殊な解き方もここで学び、ノウハウを知ったおかげで有利だったが、本来、算数、数学は才能の要素が半分以上あるため、数学脳でない私の場合は、中学三年生くらいまでが限界で、その後はどんどん落ちこぼれていった。高校3年の模擬試験でも、数学が良ければ学年でも20番くらいであったが、悪いと100番以下となった。数学の才能のある知人が5分で解く問題を2時間かけても解けないのには悩んだ。そのため、大学入試(医歯薬)は、ほぼ数学の成績で決まるため、現役の時は数学の試験が終了した時点で、落ちたのを確信したし、一浪後の入試は5問中4.5問ができたので、逆に合格を確信した。ただその後、50年間全く数学とは無縁で、今では中学入試といい、大学入試といい、医歯薬の分野であんなに数学重視だったのか、不思議である。

 

17年前に書いたブログは、多少批判的な内容の記事であったが、こうした多くのコメントを読むと、この塾出身者は千人を超えるであろうが、各界で活躍しているようである。偉大な教育者なのだろう。

2024年7月12日金曜日

歯科経営コンサルタント2

 


歯科医院経営と言えば、かっこよく思えるが、街中華店のレベル、普通の商店街のお店のレベル、こうした小規模経営であることを認識すべきで、はっきり言って経営コンサルタントが必要なレベルほど大きな歯科医院は少ないと思う。特に最初のうちは患者数も少なく、少しずつ増えていくため、最初から経営コンサルタントは必要ない。また矯正歯科の経営コンサルタンについて言えば、倫理性はほとんど欠如しており、全くの素人にアライナー矯正を勧め、患者への不利益については全く考慮していない。甘いと言われるかもしれないが、医療分野の原則は患者の利益になることで、矯正歯科を全く勉強もしていない人にアライナー矯正を勧めることが、患者利益に反するということがわからない連中なのである。内科の先生に「先生、金になるので、美容外科も始めましょう」と平気に囁く連中である。まず最初に自分が実験台になればいいのだが。究極の経営コンサルトの目標は、アライナー矯正による詐欺商法や、治療途中で倒産した東京プラス歯科矯正歯科のような形かもしれない。

 

経営コンサルタントがよく口にする強引な自費診療への勧誘方法は、昔のマルチ商法の売り方の虎の巻と同じだし、取れるだけの検査を全ての患者にする予防歯科経営も、患者にとっては迷惑な話である。よくある話だが、歯石のない歯肉に超音波スケーラーをかける、小学生にもかける、歯石があってもなくてもかける、透明の歯石を取るという業務をこなすように指導されている。歯式のスタンプが押され、勝手にポケット値が書かれていたり、明らかにポケットのない若年者も全て測定する。さらにひどい自費誘導の方法として、これは実際に体験した話であるが、横浜のある大きな歯科医院に知人の娘が勤務していた。横浜に住む娘から詰めたレジンの一部が虫歯になっていると連絡が来たので、ここを勧めた。するとう蝕が深く、歯髄に達していたなら、自費診療になるという。マイクロスコープによる精密治療になるからだという。もちろんこれは明らかに保険医療制度に反している。それも親が歯科医、知人の娘とわかっているだけにタチが悪い。厚労省にチクれば、一発で指導になるし、おそらく全ての患者にこうしたシステムでやっているなら、保険医療機関の取り消しにつながる。おそらくこうした先生に言い分によれば、自費に誘導しないと経営できない、みんなやっている、きちんとした治療は保険でできないなどの言い訳であろう。であるなら最初から自費だけで治療すればいいが、そうした勇気もない。看板のみ保険でした方が集客がよく、いったん来院してから自費にしていく、よくある歯科経営セミナーのやり口である。

 

このブログにも、保険治療費があまりに安くて経営が成り立たないというコメントがよく来る。そうした問いに対して、厳しいようだが、現行の診療体制に不満であれば、自費のみの歯科医院にすれば良い、抜歯、歯内療法、義歯、補綴全て自費で、自分の思う最高の治療をすれば良いと答えている。多くの場合はそのまま返答はない。もちろん私も父親と兄も歯科医なので現状はよくわかっているが、それでも前述したような横浜の歯科医院のようなあからさまな自費誘導には眉を背けるだろう。同様に通常の倫理観をもつ多くの歯科医師は、いくら経営コンサルタントが、“アライナー矯正が流行っています。アイテロを買えば、一年で元が取れます。”と言われても、“いや。矯正治療などしたこともないし、自信もないし、もし治らなければ怖いんでやめます”というだろう。逆に自費診療と保険診療で、治療を分けられるのが不思議である。私のところのような矯正歯科専門歯科医院は基本的には自費治療ではあるが、約2割が顎変形症や口蓋裂患者で、保険診療である。両者の治療について、材料も技術も全く同じで、自費診療だけ力を入れて診るというのは不可能に近い。また歯内療法はマイクロスコープを使うので自費というなら、その実績を見てみたい。マイクロを使えばいい治療とは限らず、1020年の経過を見て判断できるものである。森克栄先生のように30年以上の経過を見ている先生であれば、自費治療でもいいが、卒業後、1、2年の先生がマイクロを使ったからと言って森先生と同じか高い料金を請求するのはどうかと思ってしまう。

 

結局は、若い先生方が経営コンサルタントに頼るのは、いかに楽して儲けたいかということに尽きる。40年前のことであるが、ある先生が横浜で自費専門の歯科医院を開いた。全く患者は来ず、生活するのも苦しく、奥さんがパートで働いていたという。それでも少しずつ患者が集まってきて、ようやく軌道に乗ってきたのが10年後だったという。保険ではいい治療ができないと信じているなら、大変であるが、最初から自費だけの歯科医院を開業したら良い。


歯科経営コンサルタント1

 


歯科医院を続けていくためは、歯科医も経営について学び、実践していくことは言うまでもない。歯科医院の経営とは、基本的に患者を多く集め、その中から借金、家賃、人件費、材料費などの経費を引いた利益、さらに言うなら可処分所得をいかに増やすかということに尽きる。つまり、収入を多くして、支出を減らし、利益を上げることになる。

 

歯科医院の一般的な経営規模は、歯科医が1名、歯科衛生士が2名、受付が1名というぐらいであろうか。私のところは、いかに支出を抑えるかをメインの経営方針にしているので、歯科医が1名、歯科衛生士が1名、受付がパートの0.5名という体制でここ30年間やっている。最初の2年は、衛生士である家内と二人でやっていたので、人件費は0であったが、たまたま衛生士を募集したところ1名の求人があったので、常勤で来てもらい、衛生士1名と受付(家内)で、さらに5年、そしてお昼からのパートの受付を雇って、今の体制となっている。土曜日や夏休みなどは患者が集中して30-40名くらいになるので、ここ10年くらいは歯科衛生士学校の学生をバイトに雇っている。材料にしてもバーゲンの時に一括購入し、さらにメーカーと個別の交渉し、大量購入を条件に30%オフなどにしてもらっている。家賃は弘前でも格安の古いビルの3階で開業し、その後、2階が空いたので倉庫として借りている。駐車場は5台分借りているが、これも格安である。いずれにしてもできるだけ経費を抑えるように努力している。

 

さらにいうと、技工代を節約するために、平行模型以外は全て自分で作っている。当初は平行模型も自分で作っていたのだが、あまりに手間がかかるために、泣く泣く外注しているが、リンガルアーチ、機能的矯正装置、保定装置などすべての矯正装置は診療終了後、前に自分で作っている。また保険請求もレセコンは導入せずに、ファイルメーカープロを使った自作のものを使っている。歯科の小規模の税務処理は簡単なので最初の5年ほどは自分でしていたが、その後は、税理士さんに頼んでいる。労務処理は家内がしている。

 

最近の開業する若手の先生を見ていると、ほぼ歯科経営コンサルタントに丸投げで、新規開業から、雇用、税務、労務、広告まで全て人任せである。忙しいのでわかるが、ただではなく、いずれも手数料がかかり、結構な額になると思われる。経営コンサルタントが出現してきたのは、ここ10年くらいで、それまで、大規模経営、あるいはチェン店展開をしている歯科医院ではこうしたコンサルタントに相談していた。ところがここ数年、若手の開業医は多くがこうしたコンサルタント会社と契約しているようである。

 

ただ不思議に思えるのは、経営形態の規模である。医院と言っても、私のところの規模は店主と家内と従業員1名、忙しい時は1名のバイトという規模である。近所の小さなラーメン屋以下の規模である。ラーメン屋の損益分岐点は一席、月に20万円、だいたい1日で50-60杯となる。ラーメンの単価を1000円にして月に150万円くらいの売り上げとなる。それに比べて歯科医院の場合の単価は5000円(今は7500円)で、効率はいいが、平均で1日の患者数は23名、月350万円程度とされている。昔の計算方法で言えば、1日の患者数に万をつけた額がほぼ月の点数と言われた。例えば、125名来る歯科医院では、25*500*20=250000点となる。もちろん、今は単価が上がっているし、自費診療分が加算される。それでもまず収入に関する経営規模で言えば、1000円のラーメンを1100杯売るラーメン屋とほぼ一緒である。近所のそこそこ繁盛している小さなラーメン屋とほぼ同じ経営規模である。むしろラーメン屋の方が人件費は同じか、高く(30%)、原材料費(30-35%)について言えば、歯科医院の材料費(6-8%)、技工代(7-9%)を合わせてもラーメン屋の方が多い。何を言いたいかというと、これからラーメン屋を開業しようとする人が、その経営をすべてコンサルタントに丸投げするバカはいない。そんな金はなく、最初は税務処理から雇用、広告も全て経営者が一人でやり、わからなければ友人に聞く。そうでもしないとラーメン業界は厳しい戦場で、すぐに潰れてしまう。歯科医院経営は厳しいとはいえ、まだコンサルタントに支払い金、余裕があるのだろう。

 


2024年7月8日月曜日

「医学は科学に基づくアートである」であり、アートは時間をかけて師匠から学ぶしかない。

 



アートといえば、今は芸術、美術を指す言葉となっているが、元々の意味は手作業あるいは手作業で作られたものを指す。それゆえ、医学もアートの一つであり、有名なオスラーの「医学は科学の基づくアートである」、この有名な言葉も医学とは勉強だけでなくスキルも必要ということになる。外科医は、解剖をしっかり学ばなくてはいけないが、同時にメスで切り、縫う、しっかりした技術を学ばなくてはいけず、これがアートである。内科でも、内視鏡検査はアートであり、注射もアート、あるいは種々の病名の可能性の中から一番的確な診断をするのもアートといえよう。医学の中でも、科学以上にアートの比重が高いのが歯学である。もちろん歯の解剖から、顎の成長発育など、本を読んで学ぶことも多いが、それ以上に実際に歯を削り、治療をするのは全てアートの領域となる。つまり歯科ほどアートの側面が大きい医療はないと言っても良い。

 

それではアートは誰にどのように学ぶのか。これはギリシャ、ローマ時代から、はっきりしていて、師匠から時間をかけて学ぶに尽きる。師匠が見本を見せ、弟子がそれを少しずつ真似、そして上達して、独立していく。これがすべてのアートの学び方である。私の場合でいえば、歯学部六年生の実習では、患者が配当され、その治療を担当の先生から学び、少しずつ治療を経験していく。小児歯科では、当時の神山教授から1年間、手取り足取りで、治療技術を学び、その後は、先輩のチェックを受けて上達していく。同様に矯正歯科に移ってからも、最初は新人教育、さらに指導医からいちいちチェックを受けながら、治療をしていき、次第に一人前になると、今度は新人教育をする。こうした師匠と弟子という関係の中で臨床技術、アートを学ぶ。

 

開業後は、こうした機会がなく、講習会などを受けて、その技術を学び、それを日常臨床に少しずつ活用して、ものにしていく。これまで、何十ものセミナーを受けてみたが、実際に使うのはごく限られており、基本は大学で学んだものが多い。そのため、開業してから、新たに領域に取り組むのは非常に難しく、リンガル矯正やインビザラインについては大学で学んでいないので、セミナーを受けたが、ほとんどしたことはない。どうも自信のないものをやりたくないのであろう。

 

こうしたわけで、歯科医にとってのアートは、開業前にどれだけ学んだかに尽きる。優れた師匠に学べば、レベルの高い治療ができる。ただここでも問題があり、東京で自費専門の有名な歯科医院で勤めたとしよう。患者の多くは、この有名な先生の治療を受けたいために高い治療費を払うために、ここでのメインの治療を研修医はさせてもらえず、見学だけとなる。こうしたところに数年いたくらいでは、師匠のレベルには達しない。下積みも含めて長い期間の修行が求められる。やはりこうしたアートの研修となると、大学病院がメインとなる。最も優れた研修期間はアメリカの3年の専門医教育であるが、授業料が年間1000万円以上する。臨床だけでいえば、昔の東京歯科大学のOBで作った火曜会の先生などのところでの治療はレベルが高かった。こうした先生のところで研修を受けた若手はいい治療をする。この辺りの感覚は、ほとんど理容、美容、あるいは料理店の修行形態と同じ流れである。

 

ところが今の若い先生の場合、研修医を卒業すると、全国展開のチェーン店に勤めることも多い。こうしたチェーン店は、郊外にあり、卒業後3、4年後の先生が院長となり、そこに新人が配当され、この先輩から習うことになる。そのため、治療だけ見れば、例えば、乳臼歯の隣接面レジン充填でもいわゆる鼻くそ重点と呼ばれるひどい治療を平気でしている。おそらく先輩がこうした治療をしていたのだろう。あまりにひどい治療をしている患者を見ると、「かなり年配の先生で治療されたのですか」と聞くことがあるが、「最近開業した若手の先生です」と言われ驚く。

 

以前は、少なくとも大学6年生で、当時の大学レベルの治療を担当の補綴、保存、口腔外科、小児歯科の先生から学び、叱られたりもしたが、今は大学でそうした教育があるのは国立大学だけで、研修医になっても見学が中心というところもある。オスラーの「医学は科学に基づくアートである」であり、アートは時間をかけて師匠から学ぶしかない。YouTubeや講習会で学ぶことは簡単で便利そうであるし、何より師弟関係という若者にとって苦手な人間関係も必要ないが、基本、土台ができていないので、それ以上飛躍はできない。一流の寿司屋で修行せず、寿司講習会、YouTubeで勉強した人が銀座で高級寿司店を開業することはあり得ないが、歯科では全く矯正歯科の修行もしたことがない歯科医が平気で銀座でインビザライン矯正歯科医院を開業している。師弟関係というのは、単純に技術を習うだけでなく、師の仕事に対する姿勢や考えを教えてもらうものであり、これだけは実際に師匠に叱られ、飯を食べ、褒められ、話し合って獲得するもので、これがアートの肝といえよう。


2024年7月6日土曜日

料理人はお店で修行して技術を習うが、歯科医は講習会で習ったつもりになるのか。

 



矯正歯科医の引退のためには少なくとも二年間ほどの準備期間が必要で、昨年の11月から新規患者をすべて断り、治療中の患者のみを見ている。さすがに8ヶ月過ぎると、目立って患者数は減ってきて、暇な時間が多くなってきた。土曜日はまだまだ混んでいるが、平日は10人程度で、1時間以上空くことも多くなってきた。暇なため、今年の1月のギブアップした新たな矯正歯科専門医試験を受けようと資料を作成している。すでに症例報告、ペーパテストは合格しているが、日本歯科専門医機構の専門共通研修を申し込みを忘れていた。もう引退するので取らなくていいかと思ったが、8月にまた研修があるようなので、もう一度トライしようとしたわけである。今回の申請には、五症例の記録、それぞれ三部を提出するようなので、またコピー機のフル活用である。まあ何とか終了して、あとは研修を受けるだけである。

 

7月には、弘前市の養護教師向けの矯正の講習会と、弘前歯科医師会の講演会があるが、これも以前作ったスライドがあるため、すでに用意はできている。引退後のことは全く考えていないが、バイトなどするとまたなかなかやめられないので、今のところは完全引退しようと思っている。それでも、誰か、矯正治療を勉強したい人がいれば、これまで40年間の経験を教えますと、何人かのお子さんが後を継ぐ予定の先生に言っているが、今のところ、この話に乗ってきたのは、台湾、台中からの留学生で、1年間、土曜日に勉強してもらい、先月も研修先の日大松戸から顎変形症の1日コースに来てくれた。マンツーマンの講義なので、かなり内容の濃い話ができたと思う。ちょっと残念だったのは、友人の息子さんが来春にこちらで開業するので、矯正したいなら勉強に来ませんかと誘ったが、そのままになっていた。ところがTwitterを調べると福岡の筒井塾の矯正のコースを勉強に行くという。確か5回くらいのコースである。費用も高いし、福岡に行くのも大変だと思う。講演する先生のことは少し知っているが、矯正専門医がわざわざこの先生の矯正の講習会に行くことはないと思う。日本でも多くの優れた矯正医がいるが、私が知る限るほとんどの先生は講習会をしないし、仮にやるにしても一般歯科医向けでなく、矯正歯科医向けの講習会を行う。なぜならほとんどの矯正歯科医は、一般歯科の先生には悪いが、一般歯科医向けの講習会をしても意味がない、絶対に習得は不可能だとわかっているからである。特にマルチブラケットについては、最低でも常勤で2年間の治療経験が必要であり、数回の講習会で学べない。

 

講習会で、講演を聞いて、タイポドント実習をすれば、患者にも使えそうに思える。ただ、いざ臨床で使おうと思っても全く役に立たない。大学にいたときに、熱心な先生が講習会終了後にマルチブラケット装置による治療を行い、何度か相談に来たが、まずブラケットポジションが酷く、詳しく説明し、全てやり直してもらったが、やはり酷く、途中で教えるのをギブアップした。やはり横に指導する先生がいて、いちいち確認してチェックしていかなくてはダメである。技術を学ぶには弟子と師匠という環境がどうしても必要で、これらは講習会では学べない。そういうわけで、実際に患者の治療をしてもらい、その中で教えてもらうのは実践的で、なかなか得難い体験と思うが、台湾の留学生以外は誰一人学びに来ないのは寂しい。もちろん授業料などは取らない。

 

ただ最近の若い人のホームページを見ていると、講習会を受けに行くことが目的で、こうした講習会を受けましたという履歴が必要であるようだ。私の講習を受けるより、有名な先生の講習を受けて、それをホームページに載せるのが重要なのである。伝説の歯科医、森克栄先生は、こうしたことを嫌って、門下生の院長室に講習会修了証があると激怒した。私の知っている尊敬すべき先生は、アメリカで数年、留学しても、そのホームページには一切そのようなことは書いていなし、また青森市で勤務している先生はアメリカのタフツ大学の審美歯科コースを修了したが、全くそれを売りにしておらず、普通の保険治療をしている。青森市の先生も知らない。

 

料理人、理容師、美容師は、技術が全てなので、何件ものお店で修行をして、技術を磨いていくが、どうも歯科医というのは億劫なのか、講習会を聞いて、なんちゃって技術習得をしたように思うようである。料理を習うなら、レシピもあるし、YouTubeを見てもいいかもしれないが、プロの料理人になるためには、有名な店で修行をし、師匠や先輩に叱られながら習う必要がある。あくまで講習会は参考にすぎず、技術というのは、今も昔も徒弟関係で習うものだし、それなりの修練期間が必要とする。さらに破廉恥なのは、一回のインビザラインの講習会を聞いただけで、患者に百万円の治療費を要求する輩である。講習会の費用やそれを聞く旅費に費用がかかっているので、これくらい取るのだと豪語し、40年間、矯正治療だけしてきた私のところの料金の2倍を取るのである。ちょっと愚痴ってみた。


2024年7月4日木曜日

ロシア軍の本質

 



ロシアの海軍が、日本海や太平洋、あるいは大西洋で盛んに軍事演習を繰り返している。陸軍、空軍の主力がウクライナ戦争に駆り出されて、黒海海軍が全滅したとはいえ、大半の海軍勢力が残っているため、ロシア内部と国外への示唆のためこうしたことをしているのだろう。国境の兵力がごそっとウクライナに動員され、国境防衛はひどい状態なだけに、むしろ開き直って軍事演習をしている。

 

戦前の交戦的な日本であれば、逆に北方領土あたりで陸海空の大掛かりな演習を行い、火事場泥棒ではないが、国境が手薄であれば北方領土に上陸するかもしれない。そうなるとさすがにロシアも国境に兵を戻さざるを得ないので、逆にウクライナ向けの兵力は減る。同じようなスウェーデン、フィンランドでもロシアは盛んに領空侵犯をくりかしているが、これは自分たちが逆の立場ならやりそうなことを恐れてしているだけで、もしスウェーデンやフィンランドに抗戦意欲があれば、逆に謀略を仕掛けて、ロシア本土に攻め込むかもしれない。国境線の長さはロシアが20017km、国境を接する国は14カ国、中国は22147km、国境を接する国は14カ国で、両国がずば抜けて国境線が長い国である。これが両国の大きな欠点であり、他国からの侵略に対する防衛が難しいため、逆に攻め込む政策をとる。

 

ロシアは、ウクライナ戦争ですでに死者は5万人以上、死傷者も50万人以上と言われており、多大な損失を負っている。これだけの犠牲を払って得た代償はわずかな領土の拡張であり、戦争は全く割りに合わない金食い虫である。まだ石油という自然資源があるために、なんとか持っているが、それでも国力の低下は歪めず、さらに軍事大国としての地位も危ない。第二次世界大戦からロシアの武器はそれなりの性能があり、大量に使用することで大きな戦力となった。第二次大戦以降のソ連、ロシアの対外戦争、内戦は、ウイキペディアによれば、朝鮮戦争、ハンガリー動乱、ベトナム戦争、中ソ国境紛争、アフガニスタン内戦、グルジア内戦、アブハジア内戦、オセチア紛争、トランスニストリア戦争、タジキスタン内戦、チェチェン紛争、タゲスタン戦争、シリア内戦、など多くの近隣国との紛争、戦争を起こしているが、朝鮮戦争、ベトナム戦争を除くと、交戦国との武力差が圧倒的に大きいものばかりである。今回のウクライナ戦争のような近代戦をした歴史はなく、最新の西側の武器に比べてロシアの武器がかなり劣っていることが証明された。湾岸戦争、イラク戦争では、旧式の武器が近代的な武器に圧倒的に劣ることが証明されたが、今回のウクライナ戦争では、西側の武器に比べてソ連、ロシアの武器の性能が劣ることがわかってしまった。湾岸、イラク戦争では、中国軍は危機感が高まり、軍及び武器の近代化をものすごい速さで進めてきたが、今度は陸海軍の主力武器、多くはソ連、ロシア製といっても良いが、この性能不足が露呈され、どうするか困っていると思われる。建国以来、ソ連、ロシアの武器援助、そしてコピーでやっていた国だけに、今更、正式に西側の武器を作ることもできず、結局はハッキングなどで軍事機密を得ようと躍起になっている。おそらく西側も中国の軍事技術のハッキングを見越して、重要な欠陥あるいはウイルスを忍びこませていることであろう。情報を不正な手段で取ろうとする輩は、逆に悪質な情報を入れる危険も大きい。例えば、戦闘機のステルス技術を盗まれるのを見越して、そこに決定的な崩壊プログラムを隠し入れることも可能で、そうなると、この技術を応用して戦闘機を一瞬で止めることも可能になるかもしれない。今後、中国はロシアの技術を入れることはほぼなく、自力で開発するか、西側の技術をパクるしかするしかない。

 

「日ソ戦争 帝国日本最後の戦い」(麻田雅文、中公新書)はこれまで断片的に伝えられていて、終戦間近のソ連軍の突然の侵略を総括的にまとめたもので、面白かった。ソ連のしたたかさ、残忍性、狡猾性は、現在のロシアにも引くきつがれ、ウクライナ侵攻と同じ精神的な構図となっている。ソ連は、もちろんヨーロッパでは、イギリス、アメリカと一緒になって戦ってきたが、日本との関係はほとんどなく、1945年までアメリカからの参戦要求も全く無視し、ひたすらアメリカからの軍事品供給を願った。ところが、ほぼ日本が降伏すると決まった時点で、参戦し、ボツダム宣言受け入れ後も、戦争、それもただ領土の拡大のみを狙った戦いを続け、樺太、千島、満州に侵入した。そして自分たちも戦勝国の一員として、北海道をよこせと注文している。アメリカにすれば、1941年以来、日本と戦争していたアメリカからすれば、終戦一週間前に火事場泥棒のように領土を掠め取ったロシアにそうした権利はないとはねのけた。

 

最初に述べたように、こうしたソ連、ロシアの思考からすれば、日本がウクライナ戦争のロシアの苦戦を好機ととらえ、千島列島に侵略してもおかしくはない。ソ連からロシアに変わっても、基本的な思考はほとんど変わらず、あれだけ大義のない戦争(ウクライナ戦争)であっても、国民が指導者を支持するのもまた民主主義国と言われても、ソ連、ロシアのツアーリズムをこの国の基本と捉えても間違いでなかろう。