2026年4月3日金曜日

キリスト教系の学校を卒業して

 

ザビエル大学(シンシナティ)

私が通っていたのは、兵庫県神戸市の六甲学院という学校である。創立は1937年だから、来年でちょうど百周年となる。イエズス会が母体となる学校で、大学は上智大学、他には横浜の栄光学院、広島の広島学院、そして福岡の上智福岡中高校がある。

 

イエズス会は、スペインのイグナチオ・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルにより作られた修道会で、教育には熱心で世界中に同系統の学校がある。私がいたのは1968-1974年の6年間で、生徒数は一学年160名、四クラスであった。数学、英語、国語、理科の4教科の先生はクラス担任として6年間一緒であった。

 

学校には10名近い外国人神父と同じく10名くらいの日本人神父がいて、学校横の修道院に住んでいた。校長はドイツ人、他にはスペイン人、アメリカ人の神父がいた。皆、イエズス会の襟なし白シャツに黒の上下のスーツのようなものを着ていた。宗教の時間が週に一回あったが、それほど宗教色はなく、放課後に信者を中心に公教要理というものがあったが、一度も行ったことはない。生徒の締め付けはキツく、学生服のカラーは上まで留める、電車では座らない、学校に持ってくる金は500円、髪は坊主頭、映画館に行く時は親と一緒など、細かい校則のようなものがあった。私が入学する少し前まで、学生鞄もなく、黒い風呂敷に教科書を入れて持ち運んだ。学校に行くと、制服は汚れるからと、自分の席で白い体操着に着替え、制服は椅子のところにかける。宿題を忘れると、自分の机の横に正させられる。学校の正門の前に校長がいて、髪の毛が長いと帰宅させ、切らせるか、学校で切る。水泳は全員が泳げるようになるまで校長自ら教え、京都の久美浜に臨海学舎、また登山のために立山に山小屋を、また瞑想のために学校横に一万坪の庭園を作った。

 

一般的なイメージからすれば、キリスト教系の学校といえば、おしゃれなイメージであるが、六甲学院の場合、戦前の学校のイメージが根強く残っていた。極め付けは便所掃除で、冬でも短パン一丁でタワシと雑巾だけで便所を掃除するし、教室の掃除は掃き掃除だけでなく、毎日、雑巾で拭き掃除もする。

 

ただ山の上の学校で6年間160名の生徒がいると、隔離された場所となり、多感は中学生、高校生はすぐに染まり、最初はキリスト教の信者は数名であったのが、卒業時には数十名になった。生徒同士も仲が良く、昨年行った卒業50周年の同窓会ではネット参加も入れると100名近くなった。亡くなった同級生を除くと150名での参加数としては多い。私自身、キリスト教のやや偽善的な雰囲気が嫌いなこと、学校の規則の多さにうんざりしたことなどから、卒業して20年くらいは全く同窓会にも興味がなかったし、数人の友人を除いて付き合うこともなかったが、この歳になると何よりクラスメートで会うのが楽しい。弘前に来てからも別の用事で教会に行くことがあるが、昔を思い出し、いいなあと思う。亡くなった同窓生のために、同級生の神父がミサをしてくれるのもうれしい。二年ほど前も上智大学の教会でミサがあり、参加した折には、教会の地下にある秘密のカタコンベのような墓地に案内してもらった。同窓生で、在校時の先生のネームプレートを探した。東京、四谷とは思えない不思議な雰囲気であった。

 

キリスト教系の学校で教育されると何か影響を受けるかと聞かれると、特に何もないとしか答えようがないが、それでも同級生を見ていると、皆のために、正しいことをしようという精神はあるようだ。昔、同級生がなくなり、その子供が六甲学院の生徒だった時は、皆で金を集めて奨学金にしようという動きもすぐに出た。会社を辞めてリタイア生活後も地域のボランティア活動をしている連中も多い。先日も、日本のサッカー界の重鎮、賀川浩さんが亡くなったが、親戚がいないため、その葬式一切を賀川さんの知人でサッカー部の後輩が行った。大掛かりな式で費用もかかったため、同級生が寄付を募ったところすぐに目標額に達した。何かを頼まれると、金にならなくても、正しいことであれば、協力するという気持ちは、キリスト教系の学校でも教育のおかげかもしれない。政治家、経営者が汚職収賄恐喝事件で逮捕された卒業生はあまり聞かない。昨年、アメリカのシンシナティーからお客さんが来た。シンシナティにはゼビア大学があり、1831年創立の高校もある。この知人の旦那さんがこの高校の出身で、なんとなく考え、雰囲気が似ていると言われた。教育法が近いのかもしれない。

 



2026年4月1日水曜日

風、薫る 考察

 


NHKの連続テレビドラマ「風、薫る」が始まった。どのような展開になるかはっきりしないが、現時点で気になる点を挙げる。

 

1.主要なキャストについて、そのモデルになった人物の生年月日

 

大関和(1858-1932、安政5年生まれ)と鈴木雅(1858-1940,安政4年生まれ)で同年齢である。そして鈴木雅が育つ教会の牧師、吉江善作のモデル、植村正久は1858(安政4)生まれで、これも大関、鈴木とほぼ同じ年齢となる。さらに大山捨松は1860年(安政7年)生まれで、大関、鈴木より2歳若い。ちなみに大山捨松は明治四年に11歳でアメリカに留学した。一緒に渡米した吉益亮子(1857年、安政4年生まれ)と上田悌子(1857年、安政年生まれ)は留学途中で帰国し、その後、横浜にできた日本婦女英学校(横浜共立女学校)に入学し、鈴木雅とは同級生であった。また教会で英語を教えるメアリーのモデルはマリア・ツルーで、1840年生まれ、大関、鈴木より18歳も年上となる。清水卯三郎は本名のままであるが1829年生まれ、外科医の今井益男のモデルは佐藤三吉(1857年生まれ)、入院患者、丸山忠蔵は新宿中村屋の創設者、中村愛蔵(1870年生まれ)となる。朝ドラでの歴史史上、「あさが来た」の主人公、廣岡浅子(1849年生まれ)に次ぐ古い時代を舞台にしたドラマであり、主人公は江戸時代の人である。つまり大関和、鈴木雅、植村正久、佐藤三吉、は同年齢、大山捨松は2歳年下、中村愛三に至っては12歳年下となる。

 

2.大関和は家老の娘というが

大関和の父親、弾右衛門は家老も務めた黒羽藩の重臣とされているが、それでも家禄は200石くらいである。一方、鈴木雅の父親、加藤信盛は幕臣で、鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで参戦している。黒羽藩は禄高18000石程度の小藩であり、戊辰戦争の出兵数は417名、その半分が農兵であるのことから、家臣は200名程度であろう。一方、幕臣は2万人程度、旗本だけでも5千人ほどおり、200石の家禄は幕臣では多い方ではない。そのため大関和は家老の娘ということで注目されがちであるが、実態においては鈴木雅の家格、家禄とそれほど違わないように思える。番組の主人公の一人は史実通り、もう片方は孤児という設定は、番組構成としては面白いが、鈴木雅の子孫からクレームが来ないのだろうか。

 

3.明治の孤児事情

江戸時代、両親が亡くなって孤児になった子供は基本的には親類に、あるいは稀であるが、寺に引き取られた。明治になると、キリスト教宣教師による孤児救済活動が行われるようになり、菊池章太「カトリック修道女会による明治期の孤児救済活動家」に詳しい。それによると、横浜でカトリックの幼きイエス会修道女が孤児養育を始めたのは明治5年である。鈴木雅が生まれたのは1858年で、教会で孤児養育が始まったのは1872年で14歳の時となる。ドラマ「風、薫る」では鈴木雅をモデルにした大家直美は生後間も無く親に捨てられ、教会で育ったという設定だが、14歳までどうしていたかの説明は難しい。番組では大家直美の生まれを実際より5歳ほど遅くして、看護婦養成所(1886)には23歳くらいの入学にしている。そうすると、可能性としては、教会ではないが、1863年にできたヘボン塾の家の前に捨てられた設定ができる。ヘボン婦人、クララは孤児を支援、教育したという事実はある。

 

4.鈴木雅との関係者

鈴木雅が在籍した当時の共立女学校の同窓生には、先に述べたアメリカ留学途中で帰国した吉益亮子と上田悌子がいる。同年齢で友達だった可能性もある。この二人は一緒に渡米した大山捨松とはもちろん面識はある。また福沢諭吉の娘や井上馨の娘とは同級生、のちに井上の妻、武子は大山捨松らと共に看護婦教育所の設立に尽力している。また同級生の桜井ちかは桜井女学校を設立し、この学校は大関、雅が入学した附属看護婦養成所を作る。また当時、桜井女学校の実質的な校長であったツルーは雅の共立女学校の時の恩師であった(外国人は校長になれず、矢嶋揖子が校長)。菱川安はシカゴ女子医科大学、岡見京はペンシルベニア女子医科大学、須藤かくと阿部はなはシンシナティー女子医科大学に留学し、女医になった。また水上せきは明治学院の総理となった井深梶之助と結婚したし、植村正久と横浜共立女学校の関係も深い。鈴木雅を取り巻く人物は、のちの雅の生涯に影響を与え、関係していったかもしれない。ある意味、鈴木雅の方が大関和より看護教育に関係する人物との接点は多かったし、看護協会や日本婦人衛生会などの組織化するに当たっても、共立女学校および父親の幕臣時代の有力者に頼りやすかった。

 

5.鈴木雅の英語

看護婦養成所に入学した時には、すでに外国人教師の通訳、英語で書かれた教科書の翻訳ができるほど英語レベルに達していた。3で述べたように教会で孤児養育が始まったのは明治5年以降、外国人宣教師たちの主たる活動は日本での宣教活動で、孤児の教育をメインにしていない。そうした環境で孤児たちが高い英語能力を身につけるのはかなり難しい。もちろん簡単な挨拶や会話などはできるとは思うが、通訳をして、本を翻訳するためには正規の教育を受けないと難しい。一つの方法としては、キリスト教系の学校に校費生として入ることである。将来的に宣教師になる前提で、海外、主としてアメリカの篤志家の支援を得て、教育を受ける。これについては前にブログで述べたが、可能性はある。それ以外の方法としては、いい家庭に養子に行き、そこから学校に通うという方法である。実際の人物としては、若松賎子(松川甲子)が近い。甲子は会津藩藩士の娘だが、1歳の時に父親が隠密として出たきり、亡くなり、また6歳の時に母親も亡くなり、親戚の養子となった。その後、養母の勧めでギターの英語塾に入塾し、幼児の頃から英語を学び、当時の女性として抜群の英語力を有していた。ただ番組ではすでに大家直美はマッチ工場で働き、生活して、英語でタメ口を話すというシーンがあったので、どちらでもなさそうだ。

 

番組の設定に沿うと、主人公の大家直美は、1863年(文久3年)の10月から12月生まれで、生後すぐにできたばかりの横浜のヘボン塾の前に捨てられ、最初はヘボン婦人、クララ・ヘボンにその後は、1870年からはメアリー・ギターのもと、フェリスセミナリー、あるいは1871年からメアリー・ブライアンのアメリカン・ミッション・ホームに預けられ、英語教育を受け、1879年からは植村正久の日本基督一致教会あるいは富士見町教会(1887年に設立だが、少し変更して)で育てられ、1886年に看護婦養成所に入学ということか。


2026年3月22日日曜日

もうひとりのナイチンゲール 鈴木雅の生涯

 


今春から始まるNHKの連続ドラマ,「風、薫る」に関連する本が出版されてきた。鈴木雅については資料が少ないため、大関和に比べてどの本も記述は少ない。ドラマの原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」(田中ひかる、中央公論新社)でも、最近刊行された「戦う白衣の天使 大関和・鈴木雅ものがたり」(櫻庭由紀子、内外出版社)も、記述の多くは大関和についてであり、鈴木和については少なく、しかも横浜のフェリス出身という設定になっている。鈴木の最も大きな特徴は看護学校に入学する前に英語が堪能であったことが挙げられ、日本語のできない看護教育のヴィッチ先生の通訳をしていたほどである。英語をABCから初めて1年や2年くらいで、ネーティブの外人の授業の通訳をするほどのレベルにはならないことは、すべての日本人は知っている。ましてや英語が日本に導入され始めた日本において、ネーティブの外国人と同じように話せる女性はわずかであったであろう。英語が堪能であった鈴木雅は日本でも極めて稀な女性であり、その背景をドラマできちんと説明しないとおかしなことになる。

 

その点、先週、刊行された伊多波碧著、「もうひとりのナイチンゲール 鈴木雅の生涯」は、幕臣の父親、静岡藩での英学教育、そしてそれに触発された横浜共立女学校(現:共立学園)の入学、修練をしっかりと記述することで、これまでの本では十分説明できなかった鈴木雅の英語力を示せたと思う。ほとんど資料のない状況で、さすがに多くの著書を手がけた伊多波さんだと思う。常々思うが、本当に小説家は嘘が上手い。わずかな情報からさも本当と思わせるような嘘を紡ぎ出し、そこに読者を連れて行く。見事である。

 

NHKの朝の連続ドラマ「風、薫る」についても、ようやくその内容がわかってきた。鈴木雅をモデルにした大家直美という人物が登場する。母親に捨てられ物心がついた時から牧師に育てられ、その環境の中で外国人宣教師の妻から英語を習うという設定である。もうひとりの主人公、大関和をモデルにした一ノ瀬りんは家老格の名家の娘という設定で、大関和の史実と同じであるが、鈴木雅については履歴がはっきりしないことから、ドラマ構成上、大幅に設定が変えられている。家老の娘と孤児という対比はドラマとしては面白い。そして大家を育てる牧師としては植村正久をモデルにした吉江善作という人物が登場する。それでは、明治初期にこうした孤児が教会で育てられ、そこで英語を学ぶようなことはあったのだろうか。実際の鈴木雅(加藤雅)が横浜共立女学校に入学するのは明治五年であるので、当時、日本人が主催する教会はないが、元々、横浜共立女学校(アメリカカン・ミッションホーム)は、混血児の保護と教育を主眼としており、中には日本人孤児がいてもおかしくはなかった。確かに一期生を見てみると学費も高かったことから殿様の娘のような裕福な家庭の子供が多かったが、それでも明治12年頃には貧農の生まれ?の阿部はなが共立女学校に入学し、その学費、寄宿代費は、アメリカの支援者の寄付によって支えられていた。阿部はな自身は孤児ではないと思うが、フィリップという支援者から1881年には102ドル、1886年には58ドルに寄付があり、これは6年分の学費と寄宿代費に相当する。教会自体の運営は米国などにある本部によるもので、牧師個人で孤児を引き取り、教育させることは実際できないが、それでも支援者がいて、その人が資金を出すなら、ドラマの大家のようなケースもありえた。ドラマ内容がまだはっきりしないが、日本人の教会にくる宣教師夫人から英語を習ったという設定では、少しくらいの英語はできるようになっても、通訳できるようなレベルになるのは難しい。共立女学校の初期の教育のようにほとんどの教科が英語で授業が行われ、英語詩の暗記が英文添削など英語まみれの寄宿生活を数年以上することが必要となる。のちに青山学院大学の院長になる弘前出身の笹森順造は、青森県立第一中学校、早稲田大学を卒業し、アメリカに留学するが、全く英語が分からず、地元の小学校に入学しようとするが25歳では許してもらえず、聴講生として入学し、召使のような生活をしながら、ようやく2年後にデンバー大学に入学した。日本で17年も英語を教わったのに全く役に立たなかったと述べている。それほど英語の取得は難しい。

 

同じような外国人教師による英語教育を受けたドラマとしては「花子とアン」を思い出すが、そのモデルとなった村岡花子(1893-1968)と鈴木雅(1858-1940)とは35歳も歳が離れており、時代が全く違う。村岡が6歳の明治32年はほぼ男女とも小学校は義務教育であったが、鈴木が6歳の元治元年はそもそも近代小学校制度がなく、寺子屋世代であった。日本最古の女子校、フェリスができたのが明治三年、鈴木が12歳の時である。つまり村岡花子を描いた「花子とアン」は、次の世代、鈴木雅の娘の時代の話なのである。こうした時代背景に破綻がないか、注意深くドラマをみようと思う。

 

 


2026年3月19日木曜日

迫力暗記法



子供の頃から、暗記だけは得意であった。大量のものを短期間で暗記できた。ただ欠点はすぐに忘れることで、よく天才が一旦記憶すると写真のような形で頭に残るというが、そうした類のものではない。大学生の頃だったが、ドイツ語かラテン語の試験で、前夜に500くらいの単語を一気に覚え、答案に書いて、いざ見直そうと思うと、もう忘れており、見直しできず、そのまま試験用紙を提出した記憶がある。

 

中学、高校になっても、世界史、日本史、などの暗記ものは成績が良く、ずっと90点以上の点数であった。それに比べて、思考力を答う数学、物理はからっきし弱く、学力試験や模擬試験でもこの両科目が足を引っ張っていた。大学入試では、生物、化学、物理の3教科から2教科で受験できる学校があったため、物理を捨てることができたが、数学はどこの学校も必須であった。英語、国語(漢文、古文)、化学、生物などは、暗記ものの範疇に入るため、何とかなったが、流石に数学は暗記ものでなく、唯一、数III、微分積分が暗記ものに近かった。そのため、学校の学力試験や模擬試験でも数学の成績が決め手となり、校内の学力試験の数学が25点しか取れず、175名中159番というひどい時もあれば、逆に数学の点数がいい時は22番ということもあった。最後までこうした落差の大きい成績であった。

 

高校を卒業して、最初に大学受験した時も数学が5問中、0.5問しかできず、数学の試験が終わった瞬間、落ちたと思った。その後、神戸の大道学園という予備校の試験にも落ちて、一人、大阪のYMCA予備校を受け、豊中校には入れず、天王寺校に入ったが、ここでも数学はやはり苦手だった。ところが一浪で受けた試験では、本当にたまたまであったが、数IIIが主体で、5問中、4.5問(答えは合っていた一問は半分として)正解という奇跡が起こり、合格した。

 

私の記憶法というのは、ひたすら口でぶつぶつ喋って、何度も、何度もページをめくっていくというもので、自分で迫力暗記法と勝手に命名した。試験直前になると、例えば世界史の場合、1ページ、数秒で次々と、「ハンイバル、カルタゴ、カンナエの戦い、紀元前216年」と喋っていく。友人からはすごいなあと言われていたが、少しイッテいる人と思われていたのだろう。この暗記法は、歯学部に入ってからも活躍し、6年間の授業や国家試験でも苦労したことはない。実際、歯学部に入ると、これは医学部でもそうだが、思考力より暗記力が大事で、授業や試験のほとんどが暗記ものであった。数学のような思考力を問うものはなかった。その最たるものは歯科医師国家試験で、ほぼ100%大量の本を読み、記憶する。たぶん医学部でも、暗記ものより数学や物理の好きな人は入学後、苦労したかもしれない。一般の人には信じられないかもしれないが、解剖学では骨の名称はラテン語の正式名でひたすら暗記していく。膨大な量であるが、全く平気であった。

 

その後、月日は流れ、三年前、66歳の時に新しい矯正歯科専門医制度が発足し、筆記試験を受けることになった。最初の試験であるので、かなり大まかな出題範囲のため、プロフィットという人の書いた“プロフィットの現代矯正学”の新版を買い、何度も読み、矯正歯科の基本知識をおさらいし、さらにこれまでの歯科医師国家試験(歯科矯正)などを解いたりした。ところが若い時にあれだけ得意であった暗記が全くできない。例えばターナー症候群の特徴と咬合を述べよという問題の回答でも、以前は簡単に覚えられたのだが、66歳になると全く覚えられない。半年くらい、診療の合間に勉強したが、一週間も勉強の間があくと、前に覚えていたことをすっかり忘れている。笑っちゃうくらいの記憶力の低下である。

 

最終的には自分で問題を作り、それを回答するとやり方で何とか、覚えることができ、専門医試験でもまあまあの成績は取れたと思う。試験終了後、皆で答え合わせをするのだが、五人の先生で、“三番目の問題の回答はAだったよなあ”というと、三人に先生がそうだと答えるが、一人の先生は間違ったと落ち込んでいた。この光景は高校、大学でよく見たものである。この五人の先生はいずれも日本を代表する60歳以上のベテランの矯正歯科の先生で、その光景は面白かった。60歳を過ぎての暗記もの試験は相当厳しい。たぶん大学の教授でも受験勉強しないと難しいのでは。

 

今ではさらに記憶力が低下し、まず人の名前が覚えられないを越して、忘れていく。たぶん忘れてもAIで検索すれば簡単に検索できるという安心感も影響している。イーロンマスクはAIの進歩で医者は必要なくなると言っているが、実際、医学部の授業のほとんどが暗記ものであること、人間の暗記の限界と年齢による衰えを考慮すると、診断、治療法の多くはAIに置き変わる未来が予想される。ただマスクがいうように外科あるいは歯科治療などの手技をロボットが置き換わるようになるには、まだまだの時間が必要だろう。

 

2026年3月15日日曜日

歯科医院の資産価値

 



アメリカの1930年代の複葉旅客機 カーティスt-32 コンドルを描いてみました



AIでプロの画家風にと修正してもらいました。うまい




前回、閉院から遡って開業の仕方を考えたが、歯科医院の資産価値についてもう少し触れたい。結論から言うと、開業した瞬間に資産価値は土地価値のみとなる。

 

例えば、1000万円の歯科用CTを購入したとしよう。開業して5年目に病気で閉院することになり、業者に買い取ってもらうとする。その場合の買取価格は10万円程度で、私のところでのプランメカのデジタルセファロは8年の使用で、買取価格はゼロ円であった。デジタル機器は10年以内で無価値、処分するしかなく、数年の使用しかなくても中古販売するのは非常に難しい。基本的にはPL法の実施により、中古販売するためには製造元がきちんと整備、修理して販売しなくてはいけなくなり、その手間を考えると、製造元はこうしたことはしていない。そのため30年前にあれほどあった中古歯科機材メーカーはほとんどなくなり、歯科の分野でのリサイクはほぼないという状況である。逆に10年を超える歯科ユニット、レントゲン、歯科機材については、撤去、処分料がかかり、ユニットで一台数万から十万円の費用がかかる。撤去費だけで数十万円からテナントで原状回復を求められると3、4百万円の費用がかかることがある。

 

ついで建築した歯科医院の閉院を考えると、東京では居抜きでの売買もあるかと思うが、青森のようなところでは歯科医院の居抜きはほとんどない。歯科医院の場合、ユニットの設置関係で配管、エアーのダクトを床下に設置しなくてはいけないので床上をしている。そのため、地方では歯科医院や医院の建物は、用途が限られ、不動産として売れることはないし、売る場合も相当に叩かれる。つまり1億円で建てても、十年経つと、壊して土地だけで売買しなくては売れない。

 

結局、開業して十年での歯科医院の資産価値は歯科機材の資産価値はゼロ、歯科医院の建物の資産価値はほぼゼロ、撤去、解体費に数百万円かかることになり、なおかつ200坪以上の土地は売れない。青森県で200坪の土地、坪15万円、3000万円に、建物、機材合わせて計1億円の歯科医院を建てても、売る場合の価格は、土地がなかなか売れず、実売価格は2000万円程度になる。元金をいくらか返済していても、8000万円以上の負債となる。東京のような都市部は、今後も土地価格の上昇が見込まれ、歯科医院を建てるのもキャピタルゲイン、賃貸費用の高騰を考えると無駄ではないかもしれないが、地方は急激な人口減少が見込まれ、さらにう蝕の減少に伴う患者数の低下を考えると、大きな負債を負って開業するのはリスクが多すぎる。商売の鉄則は、いかに無駄を省き、安く仕入れて高く売るのに尽きる。歯科医院の場合、閉院する時点では土地も含めて資産価値はゼロと考えた方がよく、商売の鉄則からすれば、いかに安く開業し、少ない従業員、少ない経費で、なおかつリスクの少ない方法で経営するに尽きる。十年たてば無価値なものに億単位の金を突っ込むのは余程のリスクを持つ。ましてや会社経営もしたことはない、経営の素人の若い先生が、こうしたリスクを負うのは信じられない。会社経営の鉄則は、これも小さな企業から始めて、試行錯誤をしながら大きな企業を目指すことである。歯科医院経営の規模はピンキリであるが、チェアー4、5台、2億円の開業資金、140-50人の集客を目指す歯科医院は、上位規模と言える。平均で、1日の患者数が23名とされており、その倍の患者が来ないと経営できないのであれば、それは無謀とも言える。さらに十年で資産価値がゼロであれば、撤退もできない。

 

一方、閉院するにあたり、少し失敗したと思うことがある。私の場合5年前から閉院を考え、その間、無駄な経費を減らすために物を極力買わないようにしていた。欲しいものがあれば経費で買い、閉院してからは自宅で使えばよいということを忘れていた。原価償却期間が残っていても、年金収入だけであれば税務上問題はないと思う。私の場合、失敗したのは、6年間使っているマックのパソコンは刷新しておけばよかったし、USMハラーのキャビネットを買ったが、これも医院でも使えるので、経費で買っておけばよかった。逆によかったのはヤコブセンのシティーホールという壁掛け時計を十年前に買ったが、これは今でも重宝している。またスティールケースのGestureやイタリア、ボビーワゴン、ノルウエイのScandia chair、アルテックの椅子などは高かったが、いわゆる名作家具は座り心地もよく、ファッション性も高い。閉院後の欲しいという人が多く、娘、親類にあげて喜ばれた。閉院後も自宅で使う前提で、医院の家具や備品を買うのもいいかもしれない。


宮崎駿風に描いてもらいました


 




2026年3月11日水曜日

歯科医院を閉院して分かったこと 新規開業について

 


アメリカの歯科ユニット会社、A-decは、歯科医が開業して引退するまで30年間と想定して、その間、故障が少なく、メンテナンスが容易な歯科用ユニットをコンセプトにしている。そのため、一つの機種を最低20年以上わたり、継続して売り続け、パーツの予備も多い。私が使っていたA-dec500シリーズも販売してすでに20年以上経っているが、いまだに最上級機種として売り出しており、その前のカスケードなどのシリーズとのパーツの共用も多い。一方、日本のメーカーは数年ごとに新しい機種を発表し、パーツも7年程度しか保管していないため、20年も使ったユニットは修理不可能とされ、泣く泣く新しいユニットを買う。あと十年で引退しようと思っても、これでは無駄な出費となる。また中古ユニットを買おう、あるいはまだ五年しか経っていないので売ろうと思っても、PL法で基本的にはメーカーは引き取らない。結局、閉院する場合も比較的新しいユニットであれば友人にあげるくらいしかないが、器材屋は嫌がり、修理はしない。

 

歯科医の仕事寿命は30-40年くらいと思われる。25歳で卒業、研修医を終わり、大学の医局、開業医に勤務して、自分で開業するのは35歳くらい、そして70歳で引退するとなると35年となる。私の場合、小児歯科、矯正歯科、口腔外科の医局に残り、開業したのが39歳だったので、ちょうど30年だった。

 

地元の経営コンサルタントによれば、今や歯科医院の開業には1億円かかるという。田舎では駐車場は必須なので、200坪くらいの土地に40坪の歯科医院を建てた場合、土地代に3000万円、建物に4000万円、歯科機材に3000万円くらいかかり、計1億円とする(運転資金は除く)。35年間、働いて引退するとする。その場合、建物、歯科機材は全て解体、廃棄となる。廃棄及び解体費に500万円かかり、田舎では土地は売れない、下手すると35年後で、弘前のように人口が半分になると土地価値は半分になる可能性もある。その場合、200坪の土地は1500万円となり、解体、廃棄費、諸経費を引くと手取りで1000万円くらいとなる。35年で1億円の歯科医院が1000万円になる。銀行、35年ローンで返済するとなると2%利率で利息は4 000万円、固定資産税は30万円の35年間、1050万円で、建物、歯科機材の修理修繕、リフォーム、買い替え費で2000万円、合計で7050万円かかるので、売却した場合のマイナスは9000万円+7050万円で、16050万円となる。

 

 

弘前市でビルのテナント開業をしていたのは結局、私のところが唯一で、これは矯正歯科専門医という特殊な状況により。一般歯科の場合はやはり一戸建ての開業となる。この場合も3040年限定の商売だと考えれば無駄が省ける。まず土地は地方では下がる可能性が高く、できれば賃貸での長期契約が良い。地方では大きな土地が余っており、200坪くらいの土地でも年間150万円くらいで借りられ、35年間5250万円となる。買うよりは高くなるが、土地の固定資産税は大家持ちとなるし、賃貸料は全額経費となるし、35年後、土地価格が下がることによる含み損を考えると、実質はそれほど高くはない。もちろん土地価格が上昇する都会とは話は別である、

 

建物は、1億円かけようが10億円かけようが、35年で無価値となるため、できるだけ安いもの、35年もてばいいもので良い。そうしたコンセプトで作られたがコンビニの建物で、おおよそ30年の耐久性を持ち、建築費は一般住宅の半分以下である。また解体費も安く、歯科医院にはうってつけである。同様に、歯科ユニットはA-decを勧める。35年間はほぼ持つし、修理も可能である。レントゲン、レセコンなどデジタル機器は10年で陳腐化していくので、買い替えを前提に安いものでも良いし、CTなどは将来買うべきものである。

 

要は35年間、働いて、それにかかった開業費用はほぼゼロになると考えた方が良い。歯科医院の場合、保険診療がメインであり、結局は収入は患者数に依存する。日本の保険治療費は今後とも安いと思われ、その経営実態はコンビニなどの薄利多売の小売業に近い。多くのスーパーマーケット、コンビニは、借地、安い建設コストの店舗でしているのに、なぜ歯科医院はそうした方向を取らないのか。AIで店舗建築、土地購入に費用をかけていける業種を検索すると、最初は病院、歯科医院も出てくるが、青森県を追加すると医療介護の複合型サテライト拠点と家族葬専用セレモニーしか残らない。くれぐれも地方で歯科医院を開業する場合は、経営コンサルタントに騙されず、とにかく立地がよく、駐車場が広く、安い賃貸で借りられる土地を探し、そこに安い建築費の店舗を作ることが肝要だと思われる。閉院して全て処分すると、総計16千万円かけた医院でも、結局はほぼタダになる悲劇を十分に認識してほしい。


2026年3月9日月曜日

矯正治療のAI化

 


不正咬合の治療、矯正治療は、おおまかな治療方法はほぼ確立しているが、個々の患者の治療法となると全ての患者で違う。色々な要素が治療に絡んでくる。まずセファロ情報としては、上下の顎の関係、上下の切歯の傾き程度、鼻と口元の関係、今後の成長、気道の大きさ、などから、手術を併用した方が良いのか、抜歯した方がいいのかを検討する。オルソパントモ写真からの歯根の長さ、う蝕、エンド処置、第三大臼歯、埋伏、先天性欠如などをチェックし、さらに模型からは大臼歯、犬歯関係、オーバージェット、オーバーバイトなどを調べて、これらのデーターを総合して、治療方針を立てていく。ベテランの先生であれば、30分もあれば、ほぼ治療方針を立てられる。こうした治療方針をもとに実際の治療が行われるが、20-30%くらいはうまくいかない。咬む力が弱ければアンカレッジが弱いし、しっかり咬ませるのは難しい。舌の癖が強いと開咬になることもあるし、抜歯部が狭窄すると隣接歯の動きが遅くなったり、あるいは歯根吸収、骨性癒着、歯の動き自体が遅いこともある。さらにヘッドギーアやゴムを使ってくれない、歯磨きをしてくれない、来院してくれないなどの患者自身の問題もある。

 

ただこうしたデーターも多く揃え、細かくデーターを入力すれば、今のAI技術でかなり正確な診断ができる。昔、40年くらい前のことだが、鹿児島大学の伊藤学而先生の提案で、全国の歯科大学の矯正科と共同で、大きなデーターベースを作り、診断に役立てようとしたことがある。当時のコンピューターレベルでは、セファロ分析値などのデータくらいしか入らなかったが、今ではセファロ、パントモ、模型、顔面、口腔内写真そのものを入力し、AI技術で類似症例の検索から治療法の提案までおそらく現行の技術でも可能であろう。

 

ただ問題はここからで、多くの症例をAIで学習させれば、同じような症例が出てくるし、その治療法も出るだろう。例えば、上下左右第一小臼歯抜歯、ヘッドギアー併用、マルチブラケット装置で約2年間という結果が出たとしよう。それではこの通りに治療すれば、治るかというとそれはなかなか難しい。個々の患者、あるいは治療経過によって治療方法を修正する必要がある。毎回、毎回、検査を行い、その都度、治療方針をAIで判断していけば、確かにできるかもしれないが、時間がかかるし、ワイヤーを曲げるのは術者で、その技術に個人差がある。機械でワイヤを曲げる方法があれば、これもAIに任せることができるかもしれない。

 

つまり未来の矯正治療は、ブラケットは全てセルフライゲーションブラケットを使い、オームコがしていたような個人、個々の歯ごとのトルク、インアウトの入ったブラケットを個人トレーで装着し、AIの指示に従って、ワイヤーを交換していく。毎回、写真を撮り、これもAIの指示により、ベンド、トルクの入ったワイヤーが自動的に作製され、それをセットする。毎回、毎回、こうした手順で治療を進めていく。ゴムのサイズは自動的に距離から強さを決定する。ここまですればワイヤー矯正については、ほぼドクターなしで治療が可能かもしれない。それでもうまくいかない症例が出る。

 

マウスピース矯正については、矯正治療のプロである矯正専門医での普及率が10%くらいなので、適用症例が限られ、主流とはなっていない。まだまだワイヤー矯正を超える存在にはなっておらず、個人的な感想をいえば、今後もその傾向は変わらないだろう。優れた治療法はどのような分野であっても驚くべき速さで浸透する。マウスピース矯正も登場してはや20年以上経ち、それでいて専門家で、もっとも多くの矯正患者を見ている矯正歯科専門医でもまだ10%くらいの症例しかない現状を考えるとこれ以上の発展は難しい。現状では、AIによるワイヤー矯正治療法を確立した方がいいのかもしれない。昔、テレビドラマで、手術をAIの助言で進めていくような話があったが、最終的には術者の技量で手術の良否が決定されていた。ダビンチのようなアシストツールが自動的に手術を行うようになるのはまだまだである。

 

ただ矯正治療でいうと20-30%のうまくいかない症例についてはAIによる診断はできても、舌突出癖などAIで治るわけではなく、最終的には“舌機能の異常による開咬です。何度も舌機能訓練をしていますが、治りません。これ以上、治療を継続しても無理でしょう」という回答になろう。この場合でも、最初の診断の段階では、「舌機能の異常による開咬です。小臼歯抜歯による成功率は  %、大臼歯の圧下(アンカースクリュー)による成功率は  %、手術を併用した場合の成功率は  %、後戻りも含めて成功率は  %となります」くらいになろう。結局はどの治療法を選ぶからは術者の経験と患者との話し合いになり、AI任せにはできない。

 

一時は、未来の矯正治療として、歯の移動を促進させる物質(プロスタグランジンなど)を利用する方法も模索されたが、あまりエピデンスがなく、それほど治療期間の促進効果もないため、ギブアップ状態である。未来の矯正治療をAIで調べても、独立移動型裏側矯正装置(Bravaなど)やAIマウスピースなどが出てきるが、これはネット上の“未来の矯正治療”といった語句からだけのもので、全く無意味である。おそらく可能性として高いのは百年後も基本的には現状のワイヤー矯正が主流であろうし、それを使う優れた矯正歯科医が必要であろう。むしろう蝕は現状でもかなり少なくなり、将来的には歯周疾患、う蝕もワクチンができれば、ほぼなくなるであろう。そうした未来では、歯科医=矯正歯科医+口腔外科医になるかもしれない。その場合、口腔外科医の仕事は先天性疾患、口腔がん、嚢胞、抜歯(う蝕、歯周疾患以外の原因による)に限られ、矯正歯科が歯科の主流となりうる。