私が通っていたのは、兵庫県神戸市の六甲学院という学校である。創立は1937年だから、来年でちょうど百周年となる。イエズス会が母体となる学校で、大学は上智大学、他には横浜の栄光学院、広島の広島学院、そして福岡の上智福岡中高校がある。
イエズス会は、スペインのイグナチオ・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルにより作られた修道会で、教育には熱心で世界中に同系統の学校がある。私がいたのは1968-1974年の6年間で、生徒数は一学年160名、四クラスであった。数学、英語、国語、理科の4教科の先生はクラス担任として6年間一緒であった。
学校には10名近い外国人神父と同じく10名くらいの日本人神父がいて、学校横の修道院に住んでいた。校長はドイツ人、他にはスペイン人、アメリカ人の神父がいた。皆、イエズス会の襟なし白シャツに黒の上下のスーツのようなものを着ていた。宗教の時間が週に一回あったが、それほど宗教色はなく、放課後に信者を中心に公教要理というものがあったが、一度も行ったことはない。生徒の締め付けはキツく、学生服のカラーは上まで留める、電車では座らない、学校に持ってくる金は500円、髪は坊主頭、映画館に行く時は親と一緒など、細かい校則のようなものがあった。私が入学する少し前まで、学生鞄もなく、黒い風呂敷に教科書を入れて持ち運んだ。学校に行くと、制服は汚れるからと、自分の席で白い体操着に着替え、制服は椅子のところにかける。宿題を忘れると、自分の机の横に正させられる。学校の正門の前に校長がいて、髪の毛が長いと帰宅させ、切らせるか、学校で切る。水泳は全員が泳げるようになるまで校長自ら教え、京都の久美浜に臨海学舎、また登山のために立山に山小屋を、また瞑想のために学校横に一万坪の庭園を作った。
一般的なイメージからすれば、キリスト教系の学校といえば、おしゃれなイメージであるが、六甲学院の場合、戦前の学校のイメージが根強く残っていた。極め付けは便所掃除で、冬でも短パン一丁でタワシと雑巾だけで便所を掃除するし、教室の掃除は掃き掃除だけでなく、毎日、雑巾で拭き掃除もする。
ただ山の上の学校で6年間160名の生徒がいると、隔離された場所となり、多感は中学生、高校生はすぐに染まり、最初はキリスト教の信者は数名であったのが、卒業時には数十名になった。生徒同士も仲が良く、昨年行った卒業50周年の同窓会ではネット参加も入れると100名近くなった。亡くなった同級生を除くと150名での参加数としては多い。私自身、キリスト教のやや偽善的な雰囲気が嫌いなこと、学校の規則の多さにうんざりしたことなどから、卒業して20年くらいは全く同窓会にも興味がなかったし、数人の友人を除いて付き合うこともなかったが、この歳になると何よりクラスメートで会うのが楽しい。弘前に来てからも別の用事で教会に行くことがあるが、昔を思い出し、いいなあと思う。亡くなった同窓生のために、同級生の神父がミサをしてくれるのもうれしい。二年ほど前も上智大学の教会でミサがあり、参加した折には、教会の地下にある秘密のカタコンベのような墓地に案内してもらった。同窓生で、在校時の先生のネームプレートを探した。東京、四谷とは思えない不思議な雰囲気であった。
キリスト教系の学校で教育されると何か影響を受けるかと聞かれると、特に何もないとしか答えようがないが、それでも同級生を見ていると、皆のために、正しいことをしようという精神はあるようだ。昔、同級生がなくなり、その子供が六甲学院の生徒だった時は、皆で金を集めて奨学金にしようという動きもすぐに出た。会社を辞めてリタイア生活後も地域のボランティア活動をしている連中も多い。先日も、日本のサッカー界の重鎮、賀川浩さんが亡くなったが、親戚がいないため、その葬式一切を賀川さんの知人でサッカー部の後輩が行った。大掛かりな式で費用もかかったため、同級生が寄付を募ったところすぐに目標額に達した。何かを頼まれると、金にならなくても、正しいことであれば、協力するという気持ちは、キリスト教系の学校でも教育のおかげかもしれない。政治家、経営者が汚職収賄恐喝事件で逮捕された卒業生はあまり聞かない。昨年、アメリカのシンシナティーからお客さんが来た。シンシナティにはゼビア大学があり、1831年創立の高校もある。この知人の旦那さんがこの高校の出身で、なんとなく考え、雰囲気が似ていると言われた。教育法が近いのかもしれない。








