子供の頃、多分、昭和38、9年の頃、毎日のように近所の駄菓子屋さんに10円持って、訳のわからないものを食べていた。
今の季節、よく食べたのが、「ベロベロ」というわらび餅のようなもので、くじを引いて、当たると大きなものものがもらえる仕組みになっていた。確か一回、五円か十円くらいであった。それを新聞紙に入れて、きな粉をかけてくれる。新聞の文字が写るんではと、ちょっとだけ心配したが、数秒で食べて遊びに行く。そんな毎日であった。
よく行った駄菓子屋(2)は、家(1)から10mくらいのところにあり、そこが行きつけのところであった。友達とよく行ったのはセンター市場近くの駄菓子屋(3)で、ここは駄菓子だけでなく、コマやベーゴマ、ベッタンなども売っていた。また理髪店ホープとタバコ屋の間の道、難波小学校に行く道は、近所でもデンジャラスゾーンであったが、その本道から横にそれた薄汚い小道にも婆さんがやっていた駄菓子屋(6)があり、ここはこの辺に住む子供の溜まり場であった。ここの駄菓子屋の人気があったのは、店番をしている婆さんが少しボケていたあまり勘定ができないため、子供が悪さをしていたからである。
こうした子供向けの駄菓子屋にも流行の波があり、一番よく行く、駄菓子屋にもお好み焼きをするようになった。一枚、十円で、キャベツのみの薄い薄いお好み焼きで、先ほど述べたデンジャラスゾーン近くにも(5)、ちょぼ焼きという10センチくらいの鉄板に1cmくらいの穴があき、そこに小麦粉を溶いた液を入れて焼く、たこ焼きのようなものがあった。これも確か十円であった。
歯科医院の前には、同級生のお菓子屋さんがあり、和菓子、洋菓子などが売っていたが、店主が変わってからもお菓子屋さんで、店先にはガラスケース、ボックスに入ったお菓子、キャンデーが売られていたが、ここも夏場がかき氷、冬場は関東炊きをしていた。駄菓子、お菓子屋と食べ物を売る店がある時点を境に増えた。また、理髪店、ホープの近くにもお菓子屋(7)があったが、いつの間にか、漫画雑誌をおく小さな本屋になり、販売日になると週刊マガジン、サンデー、キングなどがうずたかく置かれていて、学校から帰るなり真っ先に買ったものだ。その前は、家から難波公園に行くところに貸本屋(4)があり、何度か漫画を借りたが、ここは2、3年でなくなった。難波公園にはよく紙芝居や粘土を型に入れて、銀色や金色の粉をかけて、おじさんに渡すと、採点し、点数が増えると飾っている型を交換してくれる(8)。銀玉鉄砲やゴム鉄砲をしたのもこの公園だし、センター市場近くの駄菓子屋(3)ではこうした銀玉鉄砲やさらに強力な2B弾という先をマッチ箱のヤスリ分で擦るとシューっと音がして2、3秒で爆発する。これを手榴弾がわりにして銀玉鉄砲と一緒に遊ぶ。公園に来た鳩やスズメを狙って遊んだりもした。
他には、難波小学校の正門前には西村文具店(9)という店があり、ノートや鉛筆などの文具以外にも、プラモデルや切手も置くようになり、プラモデルの完成品をショーウインドーに飾っていた。この店の先には本屋(10)があり、月刊少年などの付録付きの子供向けの月刊誌はここで買った。こうした子供向けの店は家から半径500mくらいにあり、そこが我々子供の世界であった。
近くのロピアに阿波晩茶わらび餅というのが売っていた。会社は徳島県板野郡藍住町となっている。この番茶は父母の故郷の味であり、独特な風味をもち、この阿波晩茶にもしっかりその風味が入っていた。ただ久しぶりにわらび餅を食べたせいか、むしろ子供の頃のベロベロを思い出し、こんなことを書いている。







