2026年2月27日金曜日

『家に探る苗字となまえ』(井戸田博史著、吉川弘文館、2025)

 

明治8年弘前地籍図 駒越付近


弘前の近代史を調べていると、江戸後期、幕末の人の苗字と名前につては、悩まされる。というのは江戸時代の士族は、多くの名を持っていて、さらに簡単に名を変えるため、同じ人物であっても、資料により別の人物のように見える。例えば、植物学者で弘前大学の学長でもあった郡場寛の父親、白戸(郡場)直世は箱館戦争で重傷を負い、その治療のために酸ヶ湯温泉を開拓した。白戸家の実家の場所を特定する際、徳田町にある白戸浪江の家が怪しいが、ところが白戸直世の父親の名は白戸東太郎である。さらに調べると東太郎は通称で、実名は白戸浪江であることがわかった。つまり白戸浪江(東太郎)―白戸直世―郡場寛となる。

 

こうしたこともあり、以前からこの苗字、通称、実名などについて整理したいと考えていた。最近、再販された『家に探る苗字となまえ』(井戸田博史著、吉川弘文館、2025)は参考になった。

 

この本を参照に少し解説する。

 

明治になるまで、日本の苗字、名前は複雑で、足利尊氏の弟、直義を例にすると

足利(名字) 左馬頭(官名、通称) 源(氏) 朝臣(姓) 直(実名) となる。

 

また乃木希典の父は

乃木(苗字) 十郎(通称)  源(氏) 希次(実名)  となる

 

氏は、源、平、藤原、橘の4つでほとんどカバーされ、また氏の尊貴を示す称号である姓も次第に無実化していき、通常は、苗字+官名、通称+実名が重視されるようになった。

 

大石内(苗字)蔵助(官名)良雄(実名)や堀部(苗字)安兵衛(官名、通称)武庸(実名)となる。さらに幼名、字、号などもあるし、改名も頻繁に行われたので、滝沢馬琴は35の名前があった。

 

士族については、こうした名前であったが、士族以外の百姓、商売人は、苗字はなく、主として通称で呼ばれていた。ただ明治になると、こうした通称のみでは近代的中央集権国家を確立するには不都合で、戸籍法の実施、徴兵制などを実施するには、全国民を苗字と名で掌握する必要が出てくる。そこでまず最初に出された法案は明治三年9月の「平民苗字許容令」で、さらに明治82月には「平民苗字必称令」が出され、ここで国民皆姓が完成した。

 

当初は、苗字+実名でしか認めなかったが、庶民の多くは通称、律令などに由来した官名(兵衛、衛門、助)を称していたので、権兵衛を権平に、太郎左衛門を太郎にしたが、一方、政府高官でも大久保一蔵(苗字+実名)は大久保利通、大隈重信(通称は八太郎)、西郷隆盛(通称は吉之助)にしたが、板垣退助(苗字+通称、実名は正形)や大村益次郎(実名は永敏)とさまざまで、特に実名を持たない庶民は困ったことになり、明治五年5月には実名か通称のいずれか一名ということになった(復名禁止令)。

 

こうした観点で、明治二年弘前絵図と明治八年弘前地籍図を比べると、前者は明治三年の平民苗字許容令以前のもので、士族しか名前が載っていないが、ここでの記載はほぼ苗字+通称で、苗字+実名は少ない。その後、明治8年には平民苗字必称令」が出るが、明治八年地籍図では、すべての平民にも苗字がついており、少なくとも弘前市内では国民皆姓となっていたことがわかる。さらに明治311月には国名、旧官名禁止令が出され、基本的には苗字+実名となっているものの、実際、明治二年弘前絵図と明治八年弘前地籍図を見ても通称から実名に変わったものは少ない(権平のように兵衛を兵にするようなものも含めて)。どうも日常では苗字+通称の方がしっくりくるように思ったのだろうが、次の代になると次郎左衛門のような通称よりは隆仁のような実名ぽい名前が選ばれるようになった。


青森県の新築住宅着工 2割減

 


225日の東奥日報によると2025年度の青森県の新設住宅着工戸数は前年度の19.8%減の3454戸になり、1961年以来64年ぶりに4千戸を下回ったことを伝えている。

 

1970年から80年頃は18000戸の新設住宅着工戸数があったことを考えると、およそ1/6になったことを意味し、減少は八年連続で、さらに着工数が減りそうである。そして新聞では、その原因を資材、金利の上昇が影響していると分析している。

 

具体的にいえば、私が家を建てた1995年、青森県の住宅建築費は普通、坪40-50万円くらい、安い工務店で建てれば40坪の家で1600万円くらいだった。80坪の土地付きで2800万円以下で立派な家が建てられた。当時の青森県の平均所得は約299万円であった。そして今は青森県でも住宅建築費は坪100万円以上かかり、建てるとなると家だけで4000万円、土地を入れると5千万円以上となる。この30年で40坪の住宅で1600万円から4千万円、土地は幾分やすくなったとしても総額で3千万円から5千万円になった。そして青森県の平均所得は2024年度が305万円で、1995年度とほとんど変わらない。また人口も1995年度が150万人、2024年度が120万人と30万人も減少している。

 

つまり所得がほとんど変わらないのに、新築の家を建てようとなると80坪の土地付き住宅(40坪)が2800万円から5000万円になったことを意味する。全額、35年で借金するとなると、金利2%2800万円では毎月9.3万円が、5000万円では毎月16.6万円となる。所得300万円、月収25万円のうち借金の返済が17万円、68%となる。共稼ぎしていても厳しい数値である。

 

これを東京で考えると一億円のマンションを購入した場合の月々の返済額は33.2万円であるが、東京の平均所得は644万円で、月収で54万円、返済額は61%となる。返済額の比率は青森県とあまり違わないが、共稼ぎの男女の収入が同じと仮定すると、青森県では25万円×2-17万円(返済)=33万円だが、東京では54万円×2―33万円(返済)=75万円が生活費となる。つまり青森県では家の返済以外の生活費が33万円しかないが、東京では75万円あることを意味する。実際、東京の方が物価は高いが、それでも光熱費、食費などは大きな差がなく、東京以上に経済的に厳しい。青森県で、5000万円の家を建て、返済して生活費に月75万円を残すには、夫婦で92万円の収入、つまり年収で4612=552万円の所得が必要となる。青森県ではこうした高収入の仕事は少ない。

 

10年前であれば、積水ホームなどの大手建築会社より地元の工務店で家を建てる方がよほど安かったので、青森県ではあまり大手メーカーの建物はなかったが、最近では、地元工務店と値段的に競合してきたので、大手メーカの建物が多くなった。なぜこうしたことが起こるのかはわからない。資材が高騰しているのは間違いないが、大手メーカーはスケールメリットと工期の短縮で値段に転化していないのか。

 

新築住宅着工は、建設会社のみならず、電気工事、水道工事、塗装工事、家具の購入、など周辺産業への波及効果が大きく、地域経済に利する。その大きな経済効果が以前の1/6になったことはそれだけ景気も悪化することを意味する。以前であれば、普通の仕事を真面目にしていれば、60坪くらいの一戸建て住宅は何とか購入できたが、今や夫婦共稼ぎでもかなり厳しい状況であり、それが婚姻件数の減少、出生数の減少につながり、さらに県人口の減少につながっている。

 

周囲を見回しても、空き家や駐車場ばかりとなり、若い人は東京などの都会に就職し、地元には年配の世代ばかりが残る。スーモなどで中古住宅の物件を見ても500万円以下の物件がかなり多い。おそらく子供が東京などの都会に住み、亡くなった親の家を処分しようとしているのだろう。これがなかなか売れず、結局は建物の解体費、固定資産税がかかり、負の遺産となっていく。こうした物件が徐々に増えており、解体費が売却費より高い場合は、相続者は遺産放棄して国の所有となるが、確か売れない場合は、相続放棄しても国に負担金を払わないといけなかったと思う。実際、青森県の郡部ではこうした土地が増えている。


2026年2月25日水曜日

マイブーム

 



弘前上空の神風号


少し前までのマイブームは、矯正用ワイヤーを用いての1/24の自転車作りであった。矯正用機材の一つ、コバルト・ニッケル合金、0.4mm0.5mm0.8mm0.9mmサイズのワイヤーが多量にあったので、これを活かして何かできないかと思ったのが、ミニチュア自転車作りであった。自転車の構成としては、ホイール+タイヤ、フレーム、ステム、ハンドル、ペダル、変速機、チェーンとなる。ロードレーサーのフレームは大体22mmくらいなので、やや細いが0.9mm線で構成すれば作れると考えた。トップ、ダウンチューブなどは0.9mm線をろう着すれば、なんとかできると考え、最初は得意の自在ろう着、つまりフリーハンドで2つ、3つのワイヤーを銀ロウでろう着した。ただ平行性などが難しく、アマゾンで自由に動くジグが安く売っていたので、これを使うと完全に思ったようにろう着できる。ステム、ハンドル、ペダルあるいはブレーキも何とか自作でき、フロントギアも腕時計の部品を使える。ただホイールについては金属製の丸リングに0.4mm線をろう着したりしたが、うまくできなかった。それでも何とかできたので、三点ほど知り合いの中古家具屋さんに東京(Tokyo Modernism 2025)に持って行ってもらって、売れるか試してもらった。3000円くらいで売れるなら、老後の趣味にしようと思っていたが、これがさっぱり売れない。

 

Facebookで調べると、埼玉のMasayuki Yamamotoさんという方が1/12であるが、超人的な技術を駆使して極めて精巧な自転車模型を作っているのを知った。チェンを一個づつ作るという信じられない精巧さで、依頼を受けて製作しているプロ?の方である。この人に作品に比べれば、私のものなど大人と赤ちゃん、虫以下のレベルで、これで自転車製作は諦めた。矯正用ワイヤー、プライヤー、ジグ、バーナも他の先生にあげた。もう作れない。

 

その後、1/24のタミヤ、ハセガワのフィギュアを作っていたが、どうもオタクぽくなり、ややエッチな路線に行きそうになったので、子供の頃に描いていた飛行機の絵を描くことにした。中学1、2年生の頃から航空ファンという雑誌が好きで、別冊の世界の傑作機シリーズも模型作りの参考に買った。そこにはおまけのような形で折りたたみ紙面でカラーの美しい飛行機の側面図が描かれていて、楽しみだった。その後、小池繁夫という天才的な飛行機画家が現れ、タミヤやハセガワのプラモデルの多くのボックスアートは彼が描いた。独特の空気感があり、飛行機イラストでは世界的に人気がある。私も彼のイラスト作品集を買ったが、本当にすごい。さすがにこの領域に行くのは無理であるが、老後の楽しみ程度で、飛行機の絵を描いてみることにした。

 

一つには戦記物漫画で有名な滝沢聖嶺さんの絵を参考に、2B鉛筆でざっとラフ画を描いていき、次第に細い鉛筆、0.01のサクラ、ピグマで輪郭を描き、水彩で着色しようと思った。飛行機のイメージは、前の家から捨てずに持ってきた世界の傑作機シリーズが百冊くらいあるので、その中から好きな飛行機を選んで、写真を探した。また最近はYouTube で飛行中の飛行機をデジタルで再現している作品がたくさんあるので、それも参考にした。他にも飛行機イラストレーターで有名なのは、ロマン・ユーゴーという方で、その著書「Angel Wings」を購入した。絵は素晴らしいが、内容はあまり理解できず、アニメのストーリーについて外国ものは違和感が強い。

 

日本の爆撃機を中心に描いてきたが、少し風景も入れようと、昭和12年、朝日新聞主催で、東京―ロンドン間を飛行した神風号を描いた。最初は着陸地のロンドン上空を飛んでいる姿を描こうと思ったが、急遽、弘前上空を飛んでいるところを描こうと思った。史実にそうしたことはない。昭和12年当時の弘前といえば、ほぼ民家は板葺で、押さえに石を多数、屋根の上に置いた。トタン屋根も少しずつ普及してはいたものの、まだまだである。そうした弘前の上空を飛ぶ神風号を描いた。今回はマスキング液を使って光沢部を描こうとした。まあまあうまくいったが、背景が全くいただけない。水彩画の基本を学ばなければいけない。

 

最近のイラストは、ほとんどデジタルで書いており、飛行機イラストも、飛行機の位置を自由に動かし、構図も色々と変更できるし、雲や海、森などの表現やボカシも自由にできる。それに比べて筆で描くのはかなり面倒であるが、逆にAIを使えばいくらでも精密な絵を描けるため、デジタルで描いた絵とAIで描いた絵の見分けはできない。




2026年2月15日日曜日

子供の頃の遊びを老後楽しむ

96式陸上攻撃機

四式重爆撃機

93式重爆撃機、宮崎駿の風立ちぬにも出ていました

一式陸上攻撃機


仕事もやめ、引退生活をしている。人からは暇でしょうと言われるが、本人はそれなりに忙しい。やっていることは、漫画を読み、本を読み、映画を見、テレビを見、絵を描き、プラモデルを作り、ブログをして、散歩をしている。これだけじゃ暇なので、以前、ふるさと納税で買った電子サックスを吹いているが、ドレミから先、シャープ、フラットキーが覚えられない。ハーモニカは、マンション生活で近隣の迷惑になるかもしれないので、吹けない。ネットオークションもマンションの収納が少なく、むしろさらに断捨離をしないといけないくらいで、買うと確実に家内に叱られる。靴、服もできるだけ減らしたいので、新しいものは買いにくい。アマゾンの注文がずいぶん減った。最近、アマゾンで購入したものでいえば、ロマン・ユゴーの“Angel Wings”、”戦闘機の描き方 翼と機体“、これらは飛行機の絵を勉強するために購入した。他には筆やハセガワのフュギアなどで、さらにヤフーオークションでの落札はほとんどない。

 

つらつら考えると、今やっていることの多くは子供の頃にしていたことで、歳をとって昔のことをしているだけである。漫画については、小学校の低学年頃から少年マガジンを高校三年生までずっと読んでいたし、その前は近所の貸本屋で借りていたほどで、その歴史は長い。本も小学生の頃からずっと読んでおり、今でも年間百冊は読んでいる。テレビはもちろん、映画も子供の頃から東宝の怪獣ものは全て見たし、プラモデルも小学生の頃から熱中した。今は戦闘機、爆撃機のイラストを描いているが、これも小学生の頃に描いていたものである。他に小学校のときに何をしていたかというと、銀玉鉄砲、これは今のサバイバルゲームに通じ、ちょっと興味はあるがしていない。ビー玉、べったんなどの遊びは、単純な遊びというよりはギャンブルに近い。ビー玉、べったん遊びは、自分の持っている多数のビー玉、べったんをかけて勝負をする、負けるといっぺんに持っていかれるような遊びで、ギャンブル性は高い。また古面(フルメン)と言って古い時代劇スターなどが描かれたべったんは価値が高く、売っているべったん、これは厚い画用紙に印刷しているものを自分で切るのだが、古面一枚で100枚以上の価値があり、いわゆるコレクションの類となっている。こうした古面は大切に保管するだけでなく、勝負にも実際に使われ、強いものは価値も上がる。私の場合は、親も忙しく、好きにやらせてもらったおかげで、小学校の頃から航空ファンやその別冊世界の傑作機も買ったし、零戦はやと、オオカミ少年ケーンのソノシートも持っていた。またスロットカーというコントローラで速度調整をしてレースをするものもあったが、兄と一緒に購入したスロットカーを持って三和商店街のサーキット場によく行ったが、これはさすがにラジコンカーの趣味にはならなかった。自宅の屋根がベランダで、そこでは屈折望遠鏡でよく天体観察をしていて、中学生の頃は月刊天文ガイドもよく買っていたので、今でもその頃の知識はある。またラジオ製作にも興味があり、最初は子供の科学から初歩のラジオに進み、ゲルマニウラジオから五球スーパーまでいこうとし、通信教育では無線、ハムの免許を取ろうとしたが、送られてきた教本の多さに途中でギブアップして、そのままである。切手も親父が好きだったので、近くの郵便局に新しい記念切手が発行されると並んで買ったくらいで、今でのその頃の切手帖があり、東京オリンピックの切手がいっぱいある。ローラスケートをしたのは小学生の3年生の時からで、中学生になると、大阪にあったラサ国際スケート場で滑った。最初はフィギュア、そしてホッケー、最後はロングという長距離用のスケート靴を履いて外周を回っていた。野球は近所の軟式野球チームに入り、セカンドをしていたし、水泳学校にも一時通っていた。他にはそろばん、絵画、習字も習っていた。姉と兄は、ピアノを習っていたが、私は音楽関係の習い事はしておらず、いまだに音楽は苦手である。

 

いやいろんなことをしている。漫画、テレビ、本、プラモデル、天体観測、ビー玉、べったん、銀玉鉄砲、スロットカー、無線ハム、ローラスケート、スケート、切手、野球、そろばん、水泳、絵、習字、中学になるとサッカー(大学卒業まで)、映画、レコード、大学生になると雑誌ポパイに感化されて自転車、ファッション、旅行に興味を持ち、ロードレーサを買って上から下まで自転車野郎になって仙台から松島までよく行った。ファッションはヘビーディティーという今のアウトドアファッションが好きだった。旅行は日本国内だけでなく、インド、中国にも行ったが、いい思い出となっている。歯科医になってから始めたのは、ブログ、それに関連する郷土史、本の出版など、ビンテージの北欧陶器、コーカサスのラグ、イランのキリム、名作家具、そして日本画の収集と研究などがある。

親が子供の趣味に寛大でやりたいといえば、すぐにやらせてくれたので、広く、薄く、いろんなことを知っていおり、引退してもそうしたものを楽しむことができて感謝している。家内からは少し“イッテイル人”と言われているが、趣味の多さとそれを追求しようとする気持ちはそうかもしれない。のめり込む体質があるようで、香川芳園の研究をしていて、ロシア、中国、イタリア、アメリカの研究者と何度も長文の英語でのメールやり取りをしていると、趣味を超えているなあとふと思う。

 

ただ引退生活をしていて、羨ましいのは音楽活動をしている友人で、この年齢になってもバンドを組んでライブ活動をしている。子供の頃、若い頃に親がピアノやギターを習わしてくれたらと残念である。音楽は習得するためには、才能だけでなく、集中的な練習が必要で、バンド演奏をするために覚えるといった外部からのプレッシャも必要かもしれない。娘二人にピアノを習わせたが、全く役に立たなかった。

 

いろんなことをしているが、それまで仕事で8時間働いていたと同じような内容を趣味でカバーするのは難しく、結局は暇つぶしということに尽きる。

 

 







 

2026年2月12日木曜日

マンションの壁紙とインテリア

 

USMハラーとKartellのキャビネット、コーカサス、カラチョフの絨毯、リサ・ラーソンのマーリン、ハンス・ブリングのオスカー(偽物)、お袋の絵

昨年の7月に今のマンションに引っ越してきた。年々、雪片付けがキツくなり、昨年、家内が背骨を疲労骨折し、私もテニスもしていないのにテニス肘になったことから、転居を考えた。もちろん雪片付けが一切必要ないマンションへの転居である。

 

最初は、医院近くに新築のマンションができるので、そこがいいかと思ったが、建築価格の上昇により、従来価格より20%は高くなっている。ほぼ同じ大きさ、設備のマンションが1、2年の差で一千万円近く値上げとなる。そこでコンデションの良い中古マンションを探すことにしたのが、昨年の1月頃で、毎日、スーモで中古マンションを探した。当初は、繁華街のある土手町付近のマンションもいいかと思ったが、中三デパートがなくなり、近くで食料品を購入できず、買い物をするところがない。そういうわけで弘前駅前のロピア近くの中古マンションを探していると、築2年の未入居物件が見つかった。すぐに見学したところ、かなりオプションもつけた豪華な作りで、全く使われた形跡がない。オーナーによると母親のために買ったが体調が悪くなり、老人ホームに入居したため、未入居で売ることにしたという。値段的には購入時価格よりやや安いくらいであったが、新築のマンションよりは断然安いので、思い切って購入した。幸い古い家もすぐに買手が見つかり、今は雪のないマンション生活をエンジョイしている。

 

マンション自体は未入居で綺麗な状態で、リフォームする必要はなかったが、まず備え付けのIHが新品だが、自宅で使っていたものよりランクがかなり落ちるため、交換した。トイレも一番安いモデルが使われていたので、これも自宅のものと交換したかったが、これは工事が大変なので諦めた。他には玄関前の壁紙が高級ラブホテルみたいだったので、どうしても変えたかった。まあ壁紙くらいは何でもいいように思えるかもしれないが、前の家を建てた時にかなり勉強し、壁紙はドイツで生まれたルナファザーという塗装用下地壁紙を使うことにした。かなり厚くて凸凹にある素材で、貼ってから、塗装を塗る構造となっており、古くなり、汚くなったら、壁紙を替えるのではなく、塗り替えする。7、8回は可能なので、おそらく数十年は壁紙を交換する必要もなく、エコの点でも優れている。なりより安い壁紙に比べて高級感が強く、個人的には絵画を飾るためには最も適した壁紙だと考えている。

 

家内からは新品の壁紙を剥がしてこのルナファザーに変えるのは勿体無いと言われたが、これだけは押し通した。天井はそのままにして、玄関廊下とリビングだけ、このルナファザーに替えたが、非常に満足している。おすすめである。

 

ソファは前の家を建てた時にアクタスから買ったドイツのムスタング社のソファで、皮が傷んでいたものの、まだ使えると判断し、マンションに持ってきたが、エレベータ、玄関はOKだったが、廊下からリビングに入るところで引っかかり持ってこられなかった。最初はブルーノマットソンのハイバックチェアに座っていたが、どうも寛げないので、青森のF-Beyondでデンマークのアイラーセンのソファーを購入した。また前の家は多くの作り付けの収納棚があったので、キャビネットはなかった。ただマンションは極端に収納スペースがないので、診療所からKartellの円形のキャビネットを持ってき、また壁面に大きなキャビネットが欲しかった。当初は、北欧のビンテージのものを探していたが、どうも収納の点では使い勝手が悪そうで、最終的には娘が将来欲しがるであろうUSMハラーの二段のものをF-Beyondで購入した。カーキがベージュで迷ったが、マンションの床の色に合わせた。

 

今回、ルナファザーという壁紙を使った。中古マンション購入の際、あまり費用をかけずにリフォームするなら、このルナーファザーも一つの選択肢になる。前の家も含めて26年間、この壁紙を使っているが、高級感があり、個人的にはコスパは高いと思う。従来のビニルクロスは焼却時のダイオキシンの発生やホルムアルデヒド含有などの理由で、ヨーロッパではルナファーザのような紙クロスが主流になっているが、日本のマンションではあまり使っていない。


ルナファーザーの壁紙 丸山直文の水彩画

元々のビニルクロスの壁紙 石井崇の水彩画





2026年2月10日火曜日

診療所の撤去

 

椅子は保育園に、テレビは工務店に、歯型の照明は衛生士さんが持っていきました。


昨年の12月に歯科医院を閉院したが、今年の1月末までにテナントの契約が切れるので、備品などを撤去しなくてはいけない。うちの場合、3階建ビルの2階と3階を借りていて、2階は主として倉庫、3階が診療室となっている。エレベーターはない。

 

まず2階には30年分の患者資料があるので、閉院の半年前から家内と衛生士が手分けして、分別をしていった。矯正用カルテには患者情報があるので、これは取り出して、シュレッダーにかける。レントゲンやスライド写真は機密情報、個人情報扱いで、これを少しずつ専用業者にもっていって処分してもらう。さらに模型は頑丈な袋に入れて医療廃棄物として処分する。30年分の資料となると、相当な分量で、かなり時間、費用がかかった。また領収書、保険診療カルテなども5年間は保管義務があるので、箱に詰めたが相当分量があり、とてもマンションにはもってこれず、大家さんに頼んで、ビル横の倉庫に預かってもらうことにした。

 

A-decの2台のユニットとプランメカのセファロは東京の歯科機械屋さんがタダで引きとってくれたので助かったが、シロナのユニットは地元の歯科機材屋さんに処分してもらうことにした。分解、撤去は、EMSのエアーフローをあげる条件で、無料にしてもらったが、それでも処分は別の業者に頼み、費用はかかる。またろう着器、技工用電気エンジン、オートクレーブ、乾熱滅菌器など、矯正用ワイヤー、プライヤー、ブラケットも含めてりんご箱20個くらいの主として矯正用品ついては、今年の6月に函館で、矯正専門で開業する先生が引き取るということで、地元の歯科材料屋から送った。さらに家具などの備品は知り合いの中古家具屋さん、家内の親戚、保育園に、その他はゴミ廃棄業者に持っていってもらい廃棄した。矯正歯科の場合、患者資料が多く、カルテ、模型、レントゲンなど30年分となると、3000症例以上となり、相当な量となる。私の診療所は3階だが、2階は資料置き場として借り、カルテ用のファイル棚が20くらい、模型用の置き棚が20くらいある。ほぼ3階の30坪くらいが患者資料の置き場となっていた。

 

通常、テナントの場合、原状回復を大家から求められ、友人に聞くと400万円かかったと言う。ただ私の診療所の大家さんからは基本的には原状回復しなくても言われていたが、レントゲン室だけは撤去を求められたので、これを壊して撤去した。これが大変で、何しろ周囲と上下に鉛を入れているので、骨組みも含めて何しろ重い。エレベーターがないので、これを一階まで運ぶのは大変である。鉛の回収はかなり厳しく、石膏などがついていると持っていってくれないので、綺麗にして一畳くらい大きさの鉛板を巻いて一階にもっていく。おそらく数十キロはあり、全部で500キロ以上あるだろう。これを支える枠組みも重く、撤去はほぼ2日かかった。

 

他には、コンピューターはリネットに渡せがいいが、光ネットのヤフー、ドコモの機器はいちいち指定業者に宅急便で送らないとダメで面倒である。また生命保険の解約、有料音楽配信の中止、学会の脱会などのいろんな細かい処理が必要となる。

 

多くのものは、入会は簡単だが、なかなかやめにくくなっている。開業も大変であるが、閉院も費用をかけずにしようと思うとこれはこれで大変であった。幸い多くの方のご協力で、閉院にかかる費用はテナントの敷金の返金で全て賄うことができた。友人からは30年もテナントで開業するなら自分の診療所を建てればよかったとよく言われる。確かに30年の家賃の総額で言えば、そうなるかもしれないが、自分の診療所であれば、ここから解体、売買という流れになる。歯科医院は汎用性がなく、まず撤去しないと売れない。この解体費用が相当かかる上に、東京、大阪などの都市部を除くと地方の土地価格は30年前の半分から1/3になるため、これらの収支も考えておく必要がある。たとえば地方では、30年前に200坪の土地で1億円で歯科医院を開業しても、解体撤去費に数百万円、地方のさらに郊外となると土地価格が2000万円くらいにしかならない、あるいは売れないこともある。

 

とにかく全て終了してホッとしている。



2026年2月3日火曜日

日本語の不思議 カタカナ2

 


台湾の知人からの返答では

 

 

まず袖木さんの「バター」の引用文のうち外国語のカタカナ表示は次のようになる。

 

スリッパ → 拖鞋

拖鞋(tuō xié→ トゥオ・シエ

トレンチコート → 風衣/戰壕外套

風衣(fēng yī→ フォン・イー

戰壕外套(zhàn háo wài tào→ ヂャン・ハオ・ワイ・タオ

フローリング → 木地板

木地板(mù dì bǎn→ ムー・ディー・バン

オレンジかかった光 → 帶點橘色的光

帶點橘色的光(dài diǎn jú sè de guāng

→ ダイ・ディエン・ジュイ・スァ・ダ・グァン

ダイニングキッチン → 餐廚一體的空間

餐廚一體的空間(cān chú yī tǐ de kōng jiān

→ ツァン・チュー・イー・ティー・ダ・コン・ジエン

リビング → 客廳

客廳(kè tīng→ クァ・ティン

カーテン → 窗簾

窗簾(chuāng lián→ ツァン・リェン

 這個就是你舉的「標準漂亮例子」

ソファ → 沙發

沙發(shā fā→ シャー・ファー

リバティ柄 → Liberty 印花

Liberty(英語保留)

印花(yìn huā→ イン・ホァ

アンティーク → 古董風的

古董風的(gǔ dǒng fēng de

→ グー・ドン・フォン・ダ

コラージュ → 拼貼畫

拼貼畫(pīn tiē huà→ ピン・ティエ・ホァ

ポーズ → 姿勢

姿勢(zī shì→ ズー・シー

アニメキャラクター → 動畫角色

動畫角色(dòng huà jué sè

→ ドン・ホァ・ジュエ・スァ

スタンプ → 貼圖

貼圖(tiē tú→ ティエ・トゥー

 

中国語には日本語のカタカナのような、外来語専用の表記システムは存在せず、その代わり、中国語では外来語を次の3つの方法で処理する。

 

1)意訳(意味訳)最も一般的

意味を中国語に置き換えます。

例:

orange(色)→ 橙色/橘色

living room → 客廳

2)音訳(発音を漢字で近似)

主に人名・地名・ブランド名など。

例:

coffee → 咖啡

chocolate → 巧克力

3)原語(英語)をそのまま使う

これは近年かなり増えている口語的用法です。

特に若者・都市部・専門分野で顕著です。



 

たとえば、ランダムに青空文庫から公開されている作家の中で有名な芥川龍之介を選び、さらに彼の作品の中で、タイトルにカタカナを使っている作品、アグニの神という作品を調べた。これは大正10年(1921)の作品で、この文章中、人名、国名以外の外来語を調べると、ガラス、ピストル、ランプ、ナイフしかない。芥川のこの作品では、鉛筆で書かれた手紙をカタカナ表記しているが、こうしたカタカナの用法は今はない。明治以降の小説中の人名、国名、以外の普通名詞のカタカナ語の比率を調べ、あるいは中国語、英語などとの比較も研究として面白そうである。逆に言えば、ひらがながあるのによくカタカナが生き残ったものである。