シンシナティ美術館、「Gifts From Japan」展
現在、アメリカ、オハイオ州、シンシナティ美術館では、私が寄贈したコレクションを展示した「Gifts From Japan」が開催されている。40点の作品を寄贈したが、そのうち9作品を8月30日まで展示し、その後、作品を変えて10月まで展示する予定である。
現在、シンシナティ美術館では、世界で最も人気のある日本人現代画家、草間彌生展が開催されており、その流れとして私のコレクション展も開催しており、会期もほぼ同じとなっている。草間彌生展は没入型展示スペースが設けられているため入場制限しているが、人気があり、なかなか予約が取れないようだ。この草間彌生展の出口のすぐ隣に「Gifts From Japan」がやっているので、入場者はそのままこの展示も見るというわけだ。さらに美術館の入り口に近いので無料の観客を見ていく。草間彌生と明治、大正の古い日本人画家との対比が面白いという感想が多い。8月末までの一期の展示は全て土屋嶺雪の作品で、動物画が多い。精緻な動物画は観客にも人気があるようだ。後期は9月から始まるが、香川芳園、田中蘭谷、前川文嶺、三浦文治らの作品を展示する予定である。
ただ実際の展示の写真を見ると、大きな美術館では掛け軸の作品はどうも見劣りする。掛け軸は和室のような小さな部屋で座ってみるものなので、掛け軸だけの展示は美術館としてもやりにくい。100号以上の作品や屏風、襖絵などが、展示しやすい。そのため、個展や公募展などでは、普通、10号といった小さな作品ではなく、最低でも50号、できれば100号くらいの作品を持っていきたい。10号の優れた作品でも100号の作品には大きな会場では見劣りする。欧米では家自体が大きいので、100号を超える作品も個人が購入して家に飾ることもあるが、日本でも30号くらいの作品でも嫌がる。売れる絵は10号以下、5号、さらに0号という絵も人気がある。
画家は、名を売るためには、公募展や個展を開く必要がある。そこに大きな作品を展示し、名前を売る。そして実際に生活にために売る絵は小さな作品となる。展覧会用の絵と生活のための絵は違う。奈良美智さんのような世界的な画家となると、大きな作品であっても世界中の買い手がいるが、普通な画家にとって、50号以上の作品はあくまで展覧会用のもので、展示終了後は、どこかにしまわれたままとなる。うちのお袋のような素人画家でも、展覧会に出品のための30号以上の作品や屏風がたくさんあり、母の死後、処分には大変苦労した。号サイズがわかりにくいので、少し説明すると10号は53cm、30号は91cm、100号になると162cmくらいとなる。こんな大きな作品はよほど大きな家に住んでいないと飾られない。こうした傾向は、洋画だけでなく、日本画でも同じで、江戸時代でも襖絵、屏風はよほどのことでないと描く機会は少なく、収入のメインは掛軸となる。ましてや今回のコレクションの画家は、公募展や展覧会には背を向けていたので、その作品の多くは掛軸となる。
とりわけ、個人的に好きな作品は、三浦文治さんの「立葵」という作品である。三浦は大正15年(1926)に東京美術学校の日本画科に入学した。この年度は優秀な画家が多く、東山魁夷、橋本明治、加藤英三、山田申吾など、後に日本画の大家となった人たちが集まった。なかんずく、三浦は在学中にも帝展の入選も重ねており、同期の中でも抜きん出た才能があるとされ、卒業の同期生とともに六篠社というグループを作り、その中心となって活動し、昭和11年にはベルリンオリンピックの絵画部門に出品した。戦争が厳しくなるにつれ、故郷の新潟に疎開し、終戦後はそのまま新潟で美術教師を務め、中央画壇には戻らなかった。今回、シンシナティ美術館に寄贈した三浦の絵は昭和9年という最も充実した時代の作品で、その天才性は小さな作品であるが、表している。立葵を描いた歴代の作品の中でも優れたものの一つと思われる。昭和八年には友人の東山魁夷はドイツに留学している。おそらく三浦も戦後、東京に戻り、東山らと中央画壇で活動していれば、同級生と同様な活躍があっただろう。シンシナティの人たちからどうのように評価されるか楽しみである。







