2022年7月15日金曜日

弱い左翼

 

りっちゃん(立命館大)は昔と同じです




安倍元首相が亡くなり、いまだに喪失感がある。戦後の首相としては、吉田茂、佐藤栄作に匹敵する偉大な政治家であり、その国家への貢献は十分に国葬に値すると思われる。

 

韓国を除く、海外からのお悔やみ報道が多い中、一部の左翼の人々による故人への罵倒が主としてツイッターなどのSNSで散見され、非常に腹がたつ。個人的に面識のある方が、「森友学園の罪を認め、豚箱に入っていれば、こんな殺され方もせずに。バカなやつ」とツイートして、その後も「ある日エンマ大王、変な男がやって来た。嘘をつくので舌を抜いたら、抜いても抜いても舌があるので驚いた」と書いていて、失望した。このツイートに同調する人や引用されたツイッターも、調べるとひどい内容であった。

 

日本では、いくら憎くても死者に鞭を打つような真似は嫌われたし、仮にこうした気持ちがあってもツイッターで吐き出すようなものではなかろう。今回の参議院選挙でも、昔の社会党の直系、社民党がわずか1議席しか取れなかった。子供の頃の日本社会党といえば、堂々たる野党第1党で、議席数も多いときは100議席以上あった。今や共産党も含めて純粋な左翼陣営はかなり少数派である。一般の人からすれば、長年、日本のために働いた人が殺されたことを可哀想に思うのは普通の心であり、こうした際に故人を嘲笑うような言動は、かなりの反発と左翼離れを生む。

 

私も、高校生の頃は、毛沢東語録を読み、竹内好や朝日新聞の文化大革命を礼賛する本や記事を夢中になった。ところが中国がベトナムに攻め入る中越戦争やベトナムがカンボジアに攻め入る東越戦争の頃からか、中国、あるいは社会主義そのものに疑問を持つようになり、大学2年生の頃に、外国人に解放されたばかりの中国に行ってきた。団体旅行のみ許された時代で、公安関係の職員も付き添ったが、日本語のガイドは、すべて文化大革命中に農村部に下牧された経験をもち、彼らから聞いた文化大革命の実態は、帰国後に読んだ本に一致するひどいものであった。同時に、これまで文革を礼賛した、いわゆる知識人に、強い憤りを覚えた。さらに毛沢東の大躍進時代に2000万人を超す人類史上最悪の国家による餓死の実態を知るにつれ、完全に社会主義思想とは離れた。

 

現在、世界に残っている社会主義国は中国、キューバ、北朝鮮、ラオス、ベトナムの4カ国であり、中でも日本の左翼が慕うのは中国である。かってアメリカの核実験を汚い核といい反対運動をし、中国、ソ連の核実験を綺麗な核として抗議しなかった連中である。普通に考えれば、中国にしても大躍進による飢餓、文化大革命による虐殺、チベット、ウイグル人への人権問題などを調べれば、社会主義の根本的な欠点がわかるし、失望すると思われるが、彼らは自分の考えを変えない。安保反対、ベトナム戦争反対運動、三里塚闘争、学生運動、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、反原発運動、辺野古米軍基地建設反対運動など、これらの左翼による運動は、日本にとって何らの貢献、影響はなかった。全く無駄な運動で、現実の社会を変える何の影響もなかった。また最近の特定秘密保護法案反対運動、集団的自衛権反対運動なども、ロシアによるウクライナ侵攻などを見ると、当たり前のことで、逆に安倍元首相の功績と考える政策である。

 

国民皆保険、年金、障害者福祉、介護保険、生活保護、幼児教育・保育無償化など、日本が誇る社会主義的政策は、社会主義国の教祖、中国より高いレベルのものである。国民年金は岸伸介内閣、国民健康法は池田勇人内閣、障害者福祉法、生活保護法は吉田茂内閣、保育無償化は安倍晋三内閣で、作られた。もちろんこうした法の立案、成立には野党の協力も不可欠であったであろうが、実現可能で、国民が納得し、希望する法案については、それに尽力した人々がいて、決して左翼の運動により生まれた政策ではない。

 

自民党が政権を独占している状態は決して褒められたものではないが、あまりにも野党、さらにいうと左翼が弱すぎる。「平和はいいね。だから9条は変えさせない」と言うなら、北朝鮮との話し合いで、核の撤廃をさせるくらいの離れ業をしなければ、誰もこんな甘言を信じない。また「ウクライナ戦争を止めるのは、岸田・バイデンを打倒する闘いであり、日米が対中国への侵略戦争に踏み出した結果」と言う中核派の狂った論理は、中国から金をもらっているのかと思うほど、国際感覚からずれている。一方では暴力革命を肯定しながら、「平和はいいね」の感覚は一種の宗教と考えるべきであろう。









2022年7月14日木曜日

珍田捨巳 手紙2

 

昭和2年、金子堅太郎宛の手紙


以前ヤフーオークションで入手した珍田捨巳の手紙の内容を知人に解読してもらった。お忙しい中、本当に面倒なお願いをして申し訳ない。以下、全文を挙げる。




拝啓 然ハ一昨夜川田

君ニ面晤めんご申上ケ一件ニ關

シテハ 早速永山君ニ面会

ヲ遂 本月だけ小生かわり

シテ 出校之めい依頼致候

處 承諾致呈 本日

出校可致いたすべく積ニ御坐候間 甚

勝手次第之御願ニ御坐候

得共 本月丈賜暇しか

被成下度なしくだされたく 奉願ねがいたてまつり候  持弖 同君

報酬之例ニ献而候  一昨晩

別ニ御相談ヲ申上く候得共 小

同様壱ケ月九円被下候事と

存之仕候 独断なら 其

事 相話置候間 左様御取

被成下候得ハ 幸甚ニ御坐候

萬一右ニ而 振合上 御不都

合ノかど有之候ハヽこれありそうらわば 不足

分ハ 御申越次第 小生より 別ニ

補充可仕候つかまるべくそうろう間 矢張

校ゟ 御支給□成候姿之 御取

被成下為奉願候 此返事

豫□御願上置候

   早々頓首

 

三月九日

珎田

濱田 君

川田 君

 

 




 

大意:一昨夜、川田君に会って、今月だけ永山君を私の代わりに出校して欲しいと依頼したところ、承諾してくれ、本日より彼が出校することになった。給料は1ヶ月円ということに勝手にしたが、もし無理なら不足分は私の方から払います。

 

封筒には「東京商業学校 川田徳次郎殿 永山ギ紹介」となっており、ほぼ私的な内容で、まさかこの手紙が偽書でないと思うが、一応、本で確認することにした、古書店で「回顧百年 東京商業から東京学園へん歩み」(1989)があったので、これに東京商業の初期の英語教師に珍田の名があれば、ほぼ99%、この手紙は珍田の自筆手紙と見なせる。

 

そこで早速、届いた本を見ると、すぐに見つかった。創立者の浜田健次郎の言に「余は設立者として講師兼ね、もっぱら教務を処理し、自ら選んで、商業史、商業地理、商品誌、運輸交通誌などの新科目の講義を担当し、<略>そうして珍田捨巳氏は英文学と会話を受け持たれた。」(p17)。面白いのは、世界歴史と英文学の先生は小説家の坪内逍遥(雄蔵)であり、珍田とはここで面識があった。東京商業学校の創立は明治22211日で、初年度入学者は159名であった。翌年明治23年には生徒増により神田錦町に校舎を移し、その当時の講師陣に、本科第二学年の会話、英作文講師に珍田の名が見える(p23)。この学校の講師、植田豊橋の思い出として、「珍田君は英会話を担当しておられて、よく教員室でお目にかかり親しくしたのである。当時は外務省の小役人であって、それが大使となり、大臣となり、侍従長となり、また枢密顧問官を兼ね、伯爵を授けられるなどは本校にとっても大きな名誉である」としている(p24)。また今も続く秋田魁新報の主筆となる安藤和風はここの第一回卒業生だが、手記には「日課点をとられる英語の宮川、珍田両講義のほかはあまり出席しなかった」と述べている(p32)。

 

さらにSF作家の星新一の父、星製薬の創業者、星一はここの卒業生であるが、アメリカ留学の際に東京商用学校創立者の一人、高橋健三からサンフランシスコ総領事珍田捨巳の紹介状を携えたという。珍田がサンフランシスコ総領事となったのは明治23112日であり、手紙の日付は、39日であるので、明治22年か23年ということになるが、明治22年というと211日に開校してまだ1ヶ月も経たないのに、代行に永山を勧めるのはいかにも早すぎると思われる。むしろアメリカに行く前の明治233月の手紙という方がしっくりくる。

 

珍田の手紙はいくつか残っているが、多くは正式な手紙は楷書で綺麗に描かれている。私的な手紙としては昭和2年に金子堅太郎の送った手紙が、近代デジタルライブラリーで見ることができるが、書体はよく似ているものの、40年近い年齢差があり、完全には一致しない。名前も違うが、書き出しの「拝啓」の「拝」の崩しは同じである。また珍田は「捨己」(すてき)は海外でステッキ(杖)に発音が似ているために、在外勤務時代に名前を「捨巳」(すてみ)に変えた。それゆえ、在外勤務前の明治23年の手紙の署名は「珍田捨己」になっていなくてはいけないが、今回の手紙では「己」となっていて一致する。また珍田が明治22年に東京商業学校で教師をしていた記録は、これまで発刊された珍田の評伝「伯爵珍田捨巳伝」や「ポトマックの桜 津軽の外交官珍田夫妻物語」にもなく、これも証拠となる。

 

これらのことから、この手紙は珍田捨巳が明治233月9日に、東京商業学校の川田徳次郎と浜田健次郎に出した手紙に間違いないと思う。

2022年7月10日日曜日

アライナー矯正を特定商取引法の指定に



患者さんに聞くと、近くの歯医者さんに行ってもなかなか予約を取れない、新規の患者を取っていないという。こんなに歯科医院が多くなったのに、どういうことかと思った。

 

一つは、歯科医院数が増加から減少に逆転したことによる。歯科医師のピークは、弘前市の場合、60-70歳の先生が一番多く、その年齢層の歯科医が次々とやめ、閉院している。弘前市で言えば近年10軒くらい閉院し、これからさらに増えそうである。また一応は診療をしている歯科医院でも午前中のみ、4時まで、あるいは週に3日といった、セミリタイア体制になっているところもある。70歳で引退したいという先生が多く、そうすると、あと5年ほどで現在の歯科医院数は半分になる。一方、新たに開業する先生は、本当に少なく、年に一軒程度であり、結果、歯科医院の数は徐々に減っていく。

 

昔は一日、200名みていたと豪語する先生もいたし、私が開業する前にお世話になった先生のところでは、一番多い時は4時から6時までの2時間で40名見たこともある。私と二人でのことであったが、その前は一人で1日に70名ほどの患者を見ていたようである。こうした地方の昔の歯科医院では、驚くべき数の患者が歯科医院を訪れ、全て受け入れた。患者を捌くために、歯科助手に仕事をさせることが多かった。印象、義歯の印象・咬合採得、充填、根菅治療、補綴物の試適、装着などを歯科助手が行い、歯科医師は診断、形成、抜歯、抜髄などを行う。1、2番のチェアーの患者に麻酔を打ち、他のチェアーを回りながら、麻酔が効いた頃に1番は抜歯、2番は形成を行う。こうした8つくらいあるチェアーを回りながら治療をしていくのである。今は、こんなところはほとんどなく、新規の歯科医院では、1時間に4人くらいしか予約を入れないので、多くても1日に30名以上の治療はできない。そのため、そのキャパを超えると、新規患者の受け入れを中止、あるいは予約が取れないこととなる。

 

もともと日本の保険制度は、アメリカと違い、一人当たりの診療費は安く、多数の患者をみて、ようやくペイする構造となっている。そのため、多数の患者を受け入れ、それを回すために、歯科助手に治療をさせるような仕組みとなっていた。こうした構造に、世間から激しいパッシングがあり、もはやできず、それを解消する方法として大手チエイン歯科医院がとった方法は、新卒の歯科医を安く雇い、多くの患者を見させる方法である。ただ収益の点では、この方法も限界となり、今は少ない患者で大きな収益を生む自費診療への移行が中心となっている。

 

自費治療となると、インプラントは外科の知識、経験がないとやりにくく、症例自体も少なくなっている。同様にかっては自費治療の主体であった前歯部の補綴、ポーセレンの前装冠、ジャケット冠も昔ほど症例がなくなったし、金属床もそこそこ需要があったが、最近はあまりされなくなった。現在の自費診療の中心は、インビザラインなどのアライナー矯正で、ここ数年、すごい勢いで広がっている。まず知識、技術がいらないこと、利益率が高いこと、などが人気の理由であるが、それに比例して、長年、治療していているが治らない、口元が出ているのが気になると治してくれない、説明がない、などのクレームが増えているで。歯科医からすれば、もともと知識も経験もないから、患者からクレームがきても、どうしようもない。ただ治療開始から終了まで2、3年かかるために、クレームもタイムラグがあり、今頃になってクレームが爆発している。

 

数年前にホワイトニング、エステとともに矯正治療も、特定商取引法の指定に入ることが論議された。その時は、何とか指定されなかったが、ここまでインビザラインのクレームが多くなると、患者との契約書などの煩雑な手続きが増えるが、個人的には特定商取引法に指定された方がいいと思う。少なくともインビザラインなどアライナー矯正については、初診時にデジタル印象を取られ、もう装置を注文したから中止にはできないというひどい例がある。グリーンオフができる特定商取引法が適用される方が被害を食い止めることができる。日本矯正歯科学会でも、本体の矯正治療を守るためにも、アライナー矯正については学会から消費者庁に特定商取引法にするように要請する手もある。




2022年7月9日土曜日

フィッシング詐欺 怖い、巧妙

 


おかしいのは詐欺サイトに騙されないようにという注意がある


昨年の11月のアメリカの古書店サイトに、須藤かくの写真が70ドルで売られていたので、思わずポチッと押してしまったが、後にこれがフィッシング詐欺であることがわかったことをこのブログで書いた(2021.11.4)。悔しい思いがしたが、何よりクレジットカードの再発行が面倒であった。

 

 

その後、ネットで買い物をするときは、よほど注意しているが、それでも最近のフィッシング詐欺サイトは巧妙になってきている。ここに示すperfectと呼ばれるサイトはかなり多量の商品を扱っている。以前、ヤフーオークションで珍田捨巳の手紙が出ていたので、落札した。書体の比較のために珍田の他の手紙をグーグルで検索していると今年の2月に、やはりヤフーオークションで出ていた。そしてさらに調べると、ヤフーオークションで出ていたこの珍田の手紙がPerfectyというサイトで売っているのがわかった。

 

11000円で高いとは思ったものの、珍田の手紙がそう多くオークションで出ることもないため、即買おうと思ったが、以前の須藤かくの経験から、もう一度よく検討したみた。

 

1.           おかしな日本語になっていないか。:フィッシング詐欺サイトの多くは中国人が運営しており、サイトに変は日本語があれば、かなり怪しい。ところがこのサイトにはおかしな日本語が使われていない。2。問い合わせ先が書いているか:おかしなサイトでは問い合わせ先が書かれていなかったり、そんな住所がないことが多い。ところがこのサイトでは住所が書かれていて、その住所をストリートビューでたどるとアパートの画面となる。アパートの住民がサイトを運営している。こうしたことは多い。3。決して安くはない:詐欺サイトではロレックの時計が2万円で売られていたり、入手困難な商品が売られている。ところがこのサイトではそうしたものはほとんどなく、マニアックな商品が多い。返品・交換のことも書かれており、HP自体の違和感は少ない。

 

ただ問題なのは、値段が7798円など変なものであったり、送料無料で、さらに10800円以上は代引き手数料無料となっているが、この値段も消費税が8%の表示となっていておかしい。それ以外はおかしなところが少ないH Pである。このサイトが詐欺サイトとわかったのは、会社“ギーグルジャパン”を検索すると傘やレインコートを販売する会社が出ている。さらに“ギーグルジャパン 詐欺”で検測すると、フィッシング詐欺サイトの情報が見つかる。かなり詳しく見てみないとわからないし、さらにいうなら、誰かが詐欺サイトとネット上に出してくれないとわからない。会社名をほかにすればバレないだろう。

 

さらにyardlabor.buzzというアドレスもどうも日本の会社でないように思えるが、ただ.buzzドメイン自体は中国独自のものではなく、世界中の人が取れるものである。また昔からあるショップは固定電話の番号を書いている場合が多いが、最近の店舗なしの場合は携帯番号しか書かない。

 

今後とも、詐欺サイトはますます巧妙化していき、こうしたアドレス、ドメインも変更していくだろう。以前は、人気商品を安く売るという方法であったが、最近の詐欺サイトはヤフーオークションで、人気があった、落札されたものの写真をパクリ、それを自分のHPにのせる。あるいは他のネットショップ店から、これも写真を拝借して、値段も落札価格かそれより少し安い値段をつける。かなりマニアックな商品を扱っていて、こんな商品を買うのは自分くらいしかいないだろうという商品を餌にカードの情報の抜き取るのだろう。利用者はすぐには騙されたとは思わず、催促の連絡をしてもなかなか商品が来ないことで初めて詐欺サイトと気づくが、その間にカード情報を利用して金を抜き取る。流石に最近はオレオレ詐欺も警察の努力で騙される人も少なくなったが、こうした詐欺サイトは会社自体が中国にあり、なかなか捜査が及ばないのでほぼ野放し状態で、厄介である。

 

ネットで騙されないと思っていた私も簡単に騙されたし、こんなブログを書いてもまた騙されるであろう。アマゾン、楽天、ヤフーなどの提携店、いつも利用している店、実店舗があるサイトなど利用するしかない。実店舗があると言っても巧妙に騙すところもあり、何重にも疑う必要がある。ただこうした日本での個人ネット詐欺の90%は、中国人によるものと考えられ、日本政府も、中国政府と連携して対策をとるべきであり、中国業者の締め出しをできないものだろうか。


2022年7月8日金曜日

口腔機能発達不全症2

 



前回、保険適用となった口腔機能発達不全症について述べた。もともと、こうした考えと、それに対する治療法は1910年代頃からあり、アルフレッド・ロジャースという先生が唱えているのを、古いデンタルコスモスという雑誌で読んだ記憶がある。百年以上続く論争であり、多くの研究と理論があるが、いまだに結論は出ていない。

 

ただ確実なことは、咀嚼、呼吸、嚥下(舌機能)、習癖などの口腔機能が不正咬合に関与していることは間違いない。もちろん、顎や歯の大きさなどの遺伝的素因も大きいだが、こうした口腔機能も歯列不正の要因になっている。つまり口腔機能の問題——>不正咬合は間違いないのだが、口腔機能の問題の解消が必ずしも、もっと端的に言えば、あまり咬合の改善に結びつかないのである。

 

例えば、口腔機能が最も関係する、開咬という不正咬合がある。前歯や側方歯部に嚥下時に舌をだすことによる場合がほとんどである。普通考えれば、舌を出す癖がなくなれば、開咬もよくなるはずである。確かに舌機能訓練などをして、開咬が治っていく症例もあるが、あまり変化しない、あるいはある程度までよくなったが、その後はそれ以上変化しない場合も多い。後者については、舌機能訓練が不十分でもっと練習をすれば治るはずと思うかもしれないが、現実問題として100人の子供に機能訓練をして10人にしか良くならず、完全に治った症例が5人であれば、有効な治療法といえるだろうか。有効が5%,やや友好が5%、効果なしが90%であれば、治療法としてはあまり良くない方法であり、通常であれば理論的な根拠がなく、保険の適用には入らない治療法であろう。

 

100年以上前から口腔機能の重要性は分かっていながら、多くの矯正歯科医があまり機能訓練に積極的でなくなったのは、こうした挫折の積み重ねによる。私も一時はいろんな舌機能訓練コースを受けたし、何より大学にいた時の研究テーマは咀嚼、呼吸、姿勢などの機能と顎発育、不正咬合との関連である。それでも今では口唇測定装置、顎運動装置、筋電図などはほとんど使っておらず、主たる治療法はマルチブラケット装置であり、後戻りや、治療がうまくいかない場合にのみ、主として舌機能訓練を行う。むしろ開咬の場合などは、マルチブラケット装置でまず形態を治し、その上で、舌機能訓練や咀嚼訓練を行って、その状態を維持するようにトレーニングすることが多い。できれば顎間ゴムを多用して出来るだけ深い咬合にする。こちらの方が治療として成り立つ。

 

今回、「口腔機能発達不全症」の基本的な考えを改めて読むと、そこには不正咬合との関連は一切、触れられておらず、またその改善を狙ったものではない。6ヶ月をめどに、単純に機能の問題があれば、指導、訓練をして少しでも良くするというだけである。どちらかというと肥満成人に対するダイエットなどの生活習慣のアドバイスに近いものである。これに付随して令和元年12月に田村智子議員が学校歯科検診で指摘された歯列咬合異常の費用負担を保険診療、公費支援できないかとの国会質問があり、答えとして「疾患と咬合異常との関連が明らかな場合に保険給付の対象としているところであり、疾患と咬合異常との関連が明らかでない歯列不正に対する歯科矯正を保険給付の対象とすることについては、慎重な検討が必要と考えている」、「厳しい財政状況下、他の子ども・子育て関連施策との均等等を勘案すると、課題が多く慎重な検討が必要と考えている」との回答があった。また令和3年にも、子どもの矯正治療を保険適用にしてほしいという同じような請願書に対して、厚労省の回答は、前回と同じく「疾患と咬合異常や歯列不正との関係が明らかな場合に保険給付の対象としている」とし、「咬合異常や歯列不正の検出は、児童生徒等に対し歯科矯正の勧奨を行うことを第一義な目的とするものではなく、学習面を含む学校生活への配慮や齲蝕予防など、児童生徒等の将来を見据えた生活指導を行うことを重視すべきものであると考えている」と訳のわからない苦しい回答となっている。

 

医療費の老人世代への偏りには、若い世代は強い反発を持っており、保険料を払っていても恩恵を受けていないという。せめて自分の子供の矯正治療費が保険適用されれば、少しは恩恵を受けたと感じるであろう。口腔機能発達不全症という病名を厚労省が認めて、保険点数がついたなら、いくら指導を行っても、形態の改善がないと機能的不全が治らない開咬、反対咬合、上顎前突などは、保険適用となっても良いといえよう。また少なくとも、開咬に関しては、舌突出癖という機能異常が関係しているので、因果関係のある不正咬合として開咬の矯正治療も保険にという理屈は成り立つ。


2022年7月6日水曜日

口腔機能発達不全 ?

 

数年前から小児の口腔機能の発達不全に対する治療を行った場合、保険点数がつくようになった。具体的には18歳以下の口腔機能発達不全を認める患者に、正常な口腔機能の獲得を目的として医学管理や指導をした場合、小児口腔機能管理料100点がとれるようになった。

 

離乳完了後の小児の「口腔機能発達不全症」について具体的に述べると、咀嚼機能(歯の萌出の遅れ、咬合の異常、咀嚼に影響するう蝕がある、強くかみしめられない、咀嚼時間が長いあるいは短すぎる、偏咀嚼がある)、嚥下機能、食行動(食べる量、回数が多すぎたり少なすぎたりムラがある)、構音障害(構音に障害がある、口唇の閉鎖不全、口腔習癖がある、舌小帯に異常がある)のうち2つ以上に該当するものを「口腔機能発達不全症」と診断する。そして管理計画を立案し、患者(保護者)に同意を得てから訓練、指導を行い、改善が少ないか、ほとんどない場合は6ヶ月後に管理を中止する。他には小児口唇閉鎖力検査をおこなった場合は一回につき100点(3ヶ月に一回)、また写真撮影を初回時、その後は3ヶ月に一回以上行い、チェックシート、管理計画書、写真、指導記録、検査値などのコピーを患者に提供する。

 

口腔機能検査としては、口唇測定装置(りっぷるくん)、咬合力測定装置(デンタルプレスケール)、舌圧計(JMS)、咀嚼能率検査(グルコセンサー)などがあるが、小児の口腔機能不全の診断に用いられるのは口唇測定装置のみで、他の装置は装置そのものが高額で、100点の保険点数では合わない。他には鼻閉を調べるには鼻腔通気道計、咀嚼運動を調べる顎運動測定装置、筋電図などがある。こうした機能検査は色々あるが、いずれも小児を対象としたきちんとした研究はなく、その測定値についても必ずしも客観的なコンセンサスがあるわけではない。こうした機能については、何が異常、あるいは不全とするかは難しい。例えば50m走で見ると、学校6年生男子の平均値は8.8秒で、標準偏差が0.8秒である。一般的な異常値とは2SD以下、5%以下、この場合、50m走るのに10.4秒かかれば問題あると言うのか。医療的に問題あるのは、50mを走れない、歩けない人であり、仮に50m11秒で走っても医療的には問題ない。ここでの「口腔機能発達不全症」は、こうした意味ではかなりうさんくさいもので、脳性麻痺などの障害児に見られる摂食嚥下障害などと比較すれば、果たして“不全”と言えるほどのものか微妙である。

 

ただ保険での「口腔機能発達不全」に対する指導は、50m走の場合、フォームを修正する、あるいは練習方法を教えて少しでも早く走れるようにするくらいのものであり、あまり意味はない。機能チェックを口腔内写真で示すのは、こうした口腔機能発達不全が、開咬や交差咬合に繋がると言う理由からで、機能検査と言いながら機能検査の数値結果から判定していない。

 

ただここまでは、保険点数も100点、患者の支払いは300円なので、少し問題があれば、まあ指導してもらって損ではないが、問題はこうした機能不全を大げさに捉えて、それを自費収入にしている歯科医院があることである。矯正歯科の先生は、舌機能を中心とする機能的問題に昔から悩まされ、機能訓練など取り入れてきた。ところがこうした機能訓練だけで咬合が治るケースがほとんどないため、次第に指導は熱心ではなく、二次的なものとなった。まず形態を矯正装置でなおし、その後、途中で、機能訓練をする。矯正治療の基本治療費にこうした機能訓練料を含む。

 

最近、小児歯科を標榜する歯科医院で、既製品のマウスピースなどを使い、機能訓練に自費で、数十万円とるところが出てきた。開咬の一部が治ることがあっても、最終的にはマルチブラケット装置による仕上げの治療が必要なことが多い。ところがこうした歯科医院では、患者があまり熱心に練習をしてくれないと言った理由で、これ以上治らないと患者も放り出す。むしろ子供が真面目に練習する方が珍しい。機能訓練だけで、我々矯正歯科医が理想的と思える咬合になることは99%ないと断言できる。機能不全症と呼ばれるほどでないたいしたことないことを大げさに騒ぎ立て、それを治せば、咬合も良くなるような幻想を抱かせ、大金を払わせ、最終的に患者が指導に従わないとして、それ以上の治療を行わないのは、問題である。



2022年7月3日日曜日

医療はサービス業?

 


最近の患者は、怖い。私のところでも、受付の応対、言葉つかいが少しでも悪いと、グーグルのクチコミに平気で✴一つをつけられる。やれ待ち時間が長い、説明が不十分だ、愛想が悪いと言われる。金を払っているんだから、もっとサービスをしろということのようだ。

 

他医院のグーグルのクチコミを見ても、一番多いのは、受付の応対がなっていない、待たされる、説明不足、診療時間が短いなどであり、要はサービス不足ということに尽きる。患者は医療をサービス業と考え、お金を払っているんだから、もっとお客さんには丁寧に対応をしろ、時間をかけて治療しろ、待たすなということであろう。若い人には、こうした考えが多い。

 

うちは父が歯科医院をしていたので、子供の頃から患者を見てきた。今では考えられないが、昔は医師、歯科医は患者を平気で怒っていたし、ひどい場合は、出て行けと怒鳴っていた。一度は在日朝鮮人の子供の患者にそうしたことを言ったのか、あとで、親が包丁を持って診療所に殴り込んできたこともあったし、ヤクザが受付で騒いでいたこともあったが、長い待ち時間であっても、怒られても、多くの患者は我慢していたようである。さらによく来る患者からはお中元、お歳暮は当たり前であった。

 

もちろん、患者を怒鳴りつけるような診療を今時していれば、患者から嫌われ、経営が成り立たないが、それでも当時は医療をサービス業と考える人はいなかったと思う。ところがここ20年ほど、医院数の増加に伴い、医院自体がサービス合戦を行うようになり、それに伴い患者が強くなった。飲食店など他のお店と同様に、お金を払っているのだから、受付の応対、待ち時間、診療内容などにクレームが来るようになった。調査によれば(平成6年厚生白書)20-40代では、医療をサービス業とみなす人が60%いて、その半分は「医療もサービス業で患者もお客として扱え」と思っている。この調査からすでに25年以上経っており、感覚的には40歳以下の人では、半数以上は「患者はお客として扱え」と思っているだろう。

 

日本の保険制度は、仮に10割負担の費用でも先進国の中では医師の治療費は安く、実際の窓口の支払いは、さらにその3割の負担しかなく、外国人からは羨ましがられる。患者が医療をサービス業とし、受付の丁寧な対応、説明、丁寧な治療を求める一方、医師、歯科医側からすれば、そう要求するならば、日本の保険制度を廃止し、アメリカのような制度にすべきというだろう。金は出したくないが、いいサービスを受けたいというのは資本主義国では矛盾した要求であり、そうしたサービスを要求するなら金を出せということか。アメリカでは虫垂炎の手術で500万円かかる。金がかかってもサービスがいい社会を望んでいるのか。あるいは北欧のような所得の70%が税金に取られるような社会を望んでいるのか、あるいはイギリスのように医療負担は少ないが、CT検査を受けるのまで半年かかる方が良いのか。アメリカと比較からすれば、日本の医療費は立ち食いそばの価格に匹敵し、そうした場所で一流のフランス料理店のサービスを求めるのはおかしいこととなる(立ち食い蕎麦屋にもサービスが悪いとクレームをいう人がいる)。

 

こうしたことを書くと批判を受けかねないが、ただ実際、多くの医師、歯科医にとって仕事を辞めたい、負担となっているのはまさしくこうした患者のクレームであり、グーグルでのクチコミやコメントなどでかなり傷ついており、医療に対するやる気をなくしているのも事実である。出来るだけ、患者のサービスに心がけているものの、あまり過度の要求は医師のやる気を削ぐことにつながる。特にグーグルのクチコミは、予約の電話対応だけで、医院自体の評価を1にする人がいる。電話応対はその医院のサービスのごく一部であり、実際に医院にもいかず、治療も受けていないので、電話の応対だけで医院を1の評価は厳しい。クチコミをした人に聞きたいが、もしあなたが誰かに電話して、会ったこともないし、見たこともない人に、「あなたの電話応対は非常識である」と全人格を否定され、「あなたは評価1の人間です」と言われて、平気であろうか。あるいはあなたの名前がネット上で公表され、キャンセルが多い、評価1とされても平気か。

 

最近は若くして診療をやめる先生が増えており、その理由として心身の不調がある。がんなどにより体調を崩した結果もあるが、意外に多いのは鬱など精神的な不調によるものが多く、青森県でも知っている先生だけで5人くらいいる。保険の指導などがきっかけになることもあるが、背景として患者からのクレームによることが多い。弘前と同規模のアメリカ、オハイオ州のデイトンという町の歯科医院40軒のグーグルのクチコミ平均は4.6であったが、弘前の歯科医院40軒の平均は3.5であった。アメリカではほぼ5点満点の評価をする場合が多く、不満があっても3、評価1はなかったが、日本では評価が1か5に分かれる。ちょっと嫌な社会である。


結局、評価1というのは、絶対に行くな、もはや存在するな、早く辞めろという恐ろしい評価であり、患者がそう思うなら、頑張って診療をしても無意味なので、こちらもやめますということになる。それで1という評価をする人の気がすむなら、早くやめたい。

 


2022年7月2日土曜日

本を出版する喜び

 

今月号は、私の「弘前歴史街歩き」の特集を組んでくれた


知人の先生が亡くなった。家内が衛生士としてこの先生のところで勤務していた関係で、開業当初、多くの矯正患者を紹介していただいた。その後も日本酒の会という美味しいお酒を飲むだけの集まり、ここでも色んな楽しいお話をすることがあった。ただここ2、3年全く会えず、どうしているのかと思っているところでの、死去であった。先日、家内と一緒に通夜に行くと、息子さんから「父は入院中、先生の本を熱心に読んでいました」と言われた。どうやら私の「弘前歴史街歩き」を買って、入院中に読んでいただいたようだ。著者としてはこれほどの喜びはなく、改めて故人の冥福を祈った。

 

優れた本、映画というのは、私の定義では、1。何度も読み直す本と映画、2。 何年も読み続ける本と映画、3。死ぬ前に読む本と映画と思っている。今回は、このうち3に該当し、亡くなる前に、この本で昔の弘前のことを色々と思い出してくれたなら望外の喜びである。

 

私の中で、これに該当する本は何だろう。児童書としては「トムは真夜中の庭で」は、これは小学校6年生の頃に阪口塾という受験塾の課題図書として読んだ。その後、大学生のとき、歯科医になっても2度ほど読んだし、英国のテレビのシリーズ物でも見た。幻想的で、美しい物語で、大人が読んでもというより、大人の童話のように思える。これは私の定義の1と2に該当する。映画はたくさんあり、まず「ある日どっかで」、これは何度見ても泣かされる。次は最も好きな女優、オードリ・ヘップバーンの中でも「いつも2人で」、これは映画内容よりオードリの魅力が満載している。台湾映画では「非情城市」も何度見てもその独特な空間に圧倒される。これらの映画は少なくとも3回以上は見ているし、今後も暇なときは見るであろう。それ以外の大人向けの本となると、私の場合は2度読みすることはまずないので、1に該当する本はほとんどない。三千冊は読んでいると思うが、2度以上読んだ本は「戦争と平和」(トルストイ)、「街道をゆく 北のまほろば」(司馬遼太郎)、「渋江抽斎」(森鴎外)、「花の回廊 流転の海」(宮本輝)、「或る小倉日記伝」(松本清張)などあるが、1、2に該当するかとなると微妙である。

 

問題は定義3の本あるいは映画である。昨年、入院していた時に読んでいたのは「児玉源太郎」(長南政義)であったが、厚い、読み応えがあるというだけで選んだ本で、それほど面白くはなかった。そろそろ3の本について考えなくてはいけない。やはり面白くて、奥が深い点では松本清張を選ぶか、宮本輝の流転の海を一巻から読むのか、トルストイの古典も良さそうである。

 

すべての作家が嬉しく思うのは、読者が自分の本を買って、熱心に読んでくれることである。というのは本という媒体は映画と違って、読むという行為自体に努力が必要であり、わざわざ自分の本を買っていただき、それを最後まで読んでくれたことに感謝する。そうした意味では多分、読者からの手紙やコメントはずいぶん気になると思うし、好意的な書評を書いてくれると思わずコメントを寄せるもので、私のブログにも3名ほどの著者からわざわざコメントをいただいた。私のようなブログも検索して見つけたのだろう。昔、母の実家のある徳島県の脇町の叔父さんのところに行ったところ、私の本をビニールのカバーで包み、汚さないように大事に読んでもらい、涙が出るほど嬉しかったし、弘前の紀伊国屋書店で年配の老人が私の本を立ち読みして、少ない小遣いで購入していただいたのも作家冥利に尽きる。