2022年7月2日土曜日

本を出版する喜び

 

今月号は、私の「弘前歴史街歩き」の特集を組んでくれた


知人の先生が亡くなった。家内が衛生士としてこの先生のところで勤務していた関係で、開業当初、多くの矯正患者を紹介していただいた。その後も日本酒の会という美味しいお酒を飲むだけの集まり、ここでも色んな楽しいお話をすることがあった。ただここ2、3年全く会えず、どうしているのかと思っているところでの、死去であった。先日、家内と一緒に通夜に行くと、息子さんから「父は入院中、先生の本を熱心に読んでいました」と言われた。どうやら私の「弘前歴史街歩き」を買って、入院中に読んでいただいたようだ。著者としてはこれほどの喜びはなく、改めて故人の冥福を祈った。

 

優れた本、映画というのは、私の定義では、1。何度も読み直す本と映画、2。 何年も読み続ける本と映画、3。死ぬ前に読む本と映画と思っている。今回は、このうち3に該当し、亡くなる前に、この本で昔の弘前のことを色々と思い出してくれたなら望外の喜びである。

 

私の中で、これに該当する本は何だろう。児童書としては「トムは真夜中の庭で」は、これは小学校6年生の頃に阪口塾という受験塾の課題図書として読んだ。その後、大学生のとき、歯科医になっても2度ほど読んだし、英国のテレビのシリーズ物でも見た。幻想的で、美しい物語で、大人が読んでもというより、大人の童話のように思える。これは私の定義の1と2に該当する。映画はたくさんあり、まず「ある日どっかで」、これは何度見ても泣かされる。次は最も好きな女優、オードリ・ヘップバーンの中でも「いつも2人で」、これは映画内容よりオードリの魅力が満載している。台湾映画では「非情城市」も何度見てもその独特な空間に圧倒される。これらの映画は少なくとも3回以上は見ているし、今後も暇なときは見るであろう。それ以外の大人向けの本となると、私の場合は2度読みすることはまずないので、1に該当する本はほとんどない。三千冊は読んでいると思うが、2度以上読んだ本は「戦争と平和」(トルストイ)、「街道をゆく 北のまほろば」(司馬遼太郎)、「渋江抽斎」(森鴎外)、「花の回廊 流転の海」(宮本輝)、「或る小倉日記伝」(松本清張)などあるが、1、2に該当するかとなると微妙である。

 

問題は定義3の本あるいは映画である。昨年、入院していた時に読んでいたのは「児玉源太郎」(長南政義)であったが、厚い、読み応えがあるというだけで選んだ本で、それほど面白くはなかった。そろそろ3の本について考えなくてはいけない。やはり面白くて、奥が深い点では松本清張を選ぶか、宮本輝の流転の海を一巻から読むのか、トルストイの古典も良さそうである。

 

すべての作家が嬉しく思うのは、読者が自分の本を買って、熱心に読んでくれることである。というのは本という媒体は映画と違って、読むという行為自体に努力が必要であり、わざわざ自分の本を買っていただき、それを最後まで読んでくれたことに感謝する。そうした意味では多分、読者からの手紙やコメントはずいぶん気になると思うし、好意的な書評を書いてくれると思わずコメントを寄せるもので、私のブログにも3名ほどの著者からわざわざコメントをいただいた。私のようなブログも検索して見つけたのだろう。昔、母の実家のある徳島県の脇町の叔父さんのところに行ったところ、私の本をビニールのカバーで包み、汚さないように大事に読んでもらい、涙が出るほど嬉しかったし、弘前の紀伊国屋書店で年配の老人が私の本を立ち読みして、少ない小遣いで購入していただいたのも作家冥利に尽きる。


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