2022年11月25日金曜日

もしあの日に戻れたら

 

スウェーデンのモナ・ヨハンソンのリトグラフ




週一回、開いている英語の勉強会では、毎回、英語の先生が話題になるテーマを挙げ、それについて1時間半くらい英語でディスカッションする。アメリカ大統領選挙のこともあれば、ウクライナ戦争のこと、大学教育のことなど、対象はかなり広い。

 

先日のテーマは、「もしあの日に戻れたら、できればロマンティックなもの」というものであった。映画のネタになるようなテーマである。確かに過去の分岐点、例えば、私の場合、大学入試で、東北大学に合格しなければ、大阪医大に行って内科医くらいになって関西で開業しただろうし、そうなると結婚相手も全く別の人であったろう。家内との結婚にしても、私の友人から家内に歯科の本を貸して欲しいと言われ、会ったことから始まった。もしそうした出会いがなければ、兵庫県の人と青森県の人が出会うことはないし、また開業する時も、青森で開業せず、関西で開業していれば、こうしたブログも書くことはなく、ましては4冊も弘前の本を出版することはなかった。

 

ただこの酒を飲みながらの男同士のディスカッションでは、奥さんには怒られるが、あの時、ああしていれば、今の人とは違う人と結婚していたといった話の流れとなった。もちろん全てのメンバーは私も含めて今の結婚生活に大変満足しているが、それでも男の人というのは妄想としてこうしたことを考える。

 

私の場合も1つの妄想がある。中高校が神戸にあったので、阪急塚口駅から毎朝電車に乗って通学した。いつも同じ時間、同じ車両に6年間も乗っていると、同じ車両に気になる女生徒がいて、場合によっては交際まで発展することがあるが、ほとんどは声もかけないまま自然消失して、記憶から忘れられる。ところが1つの思い出が、老人となったこの歳になっても記憶として残っている。高校一年生のことである。いつもの電車に背に高い小学生がいることに気づいた。くりくりした眼の背の高い可愛い子で、ロリコンではないが、こんな妹がいればと思っていた。その後、高校二年生になると、彼女もK女子中学の一年生となり、同級生と一緒に同じ車両でワイワイと雑談していて、楽しそうであった。ある日、彼女が塚口駅の真ん中で赤いカーネーション一本を持って立っていたが、何をしているかわからず、そのままいつものの場所に歩いて、電車に乗った。この時以来、彼女は電車の前方車両に乗るようになり、その後、乗る電車も変えたようで、毎朝会うことはなくなった。いなくなると気になるもので、高校三年生になると、学校からの帰りの電車で彼女を探すようになり、数回、車内に見つけることもあったが、卒業後、そのまま私は大阪の予備校、仙台の大学に行くことになった。ただ帰省のたびに、神戸に行くときはひょっとすると彼女の姿が見えないかと、家からは阪神尼崎駅が近いのだが、わざわざバスに乗り阪急塚口から神戸に遊びに行った。5年間、それこそ2-30回、塚口駅を利用したが、一度だけ、神戸方面のホームから大阪方面ホームにいる彼女を一瞬見たことがあった。あれは大学5年生(歯学部)最後の春休み、神戸に映画も見に行った帰りである。彼女に会うチャンスを増やすために、神戸から普通電車に乗るのだが、特急からの乗り換えで西宮北口からこの電車に乗ってきた女性がいた。私の席の一人置いて次の席に座った。どうも探していた彼女のようである。確認のために腰を浮かせて横目で見たが、間違いなく大学2年生になった彼女である。7年ぶりに見たが、面影は残っている。彼女もこちらに気づき、何度も立ち上がってはこちらをみる。こうしたおかしな動きをしながら、内心では塚口駅で降りたらどうしようかと思っていたが、いざ駅に着くと彼女は急に走り去って、電車から出て行った。すぐには状況が理解できず、ホームに呆然と立ちすくんだが、今思うと、すぐに改札口を出て、彼女を追いかけるべきだったのかもしれない。

 

こうしたことを英語の会で喋ると先生からは、ロマンティックな話と言われたが、他のメンバーからはよほど嫌われていたのではと、からかわれた。私としては、これまで一度も喋ってことのない人に走って逃げられるほど嫌われていないと思うのだが。家内からは、昔の変な人にしばらくぶりで会い、声をかけられると思い、逃げたのでは、あるいは女の人は中学一年生の頃に電車が一緒だった人を7年間も覚えていることはありえず、ただこちらをジロジロみる変な人と思い、走って逃げたのではとバカにされた。

 

もしタイムスリップできるなら、走って逃げる彼女を追いかけ、真相を確かめたいが、おそらくは単なる私の妄想で、彼女にすれば、まったく記憶にもないことであろう。ただこのことがあった4ヶ月後の夏休みに5歳下の今の家内と知り合ったことも不思議なことである。それ以来、仙台、鹿児島、青森と住まいが変わり、阪急塚口駅を使うこともほとんどなく、彼女を探すこともなくなった。テレビでよく放送される“あの人に会いたい”といった番組に出演する男性の多くも、こうした妄想することが多く、会いたいという女性が出てくると、全く記憶にない、あるいは気にもかけなかったということがほとんどで、男の人、それもモテない男に限ってこうした妄想を持つのであろう。私もそうである。


6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

学生時代に仙台にお住まいだったのですね。私も、1年だけ住んだことがありましたがとても良い街でした。夏に用事があったついでに国分寺や連坊界隈を散策してきました。由緒ある寺院が点在して歴史を感じました。予備校生であまりお金がなかったのでよく半田やに行ってました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。先月、私も仙台に行ってきました。東北では一番の年ですが、それでも東京、大阪に比べると地方性は色濃く残しています。私も半田屋にはよく行きました。大盛りラーメンが擂鉢に入っていました。若かったので何とかたべれましたが。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。ロマンチックなお話を聞けて、嬉しく思いました。
似たようなストーリーは、きっと誰にでもあると思います。
私も学生時代は仙台で暮らしました。
半田屋は行ったことがないのですが、白地に黒の大きな文字で半田屋と書いていたような?
仙台で学生時代を過ごせたことは、私にとり宝物です。
来月も光のページェントを見に行こうと思っています。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。光のペ^ージェントですか。これはロマンティックですね。携帯電話、インターネットのなかった時代も、それなりに楽しい思い出は多くあります。便利になった反面、失ったものも多いかもしれません。

匿名 さんのコメント...

なかなか考えさせられる内容です。広瀬先生のノスタルジアは私達の過去を振り返ると同じ体験があります。私もあの時に戻れたらきっと声を掛けていたでしょう。今と全く違う人生を歩んでいたと思います。先生のこのブログにいたく同感しました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

こうした妄想をするのは多分男性が多いのではないでしょうか。女性はもっと前向きで、過去にはあまり未練はないように思えます。ただ私も今年で66歳。死は刻々と近づいており、何か心にもやっとあるものを解消したい気があります。ブログに書いたことも、その一つですが、多分、一生わからないままでしょう。