2023年12月1日金曜日

長沢蘆雪展 大阪

 



大阪で六甲学院サッカー部の同級会があったので、先日出席してきた。久しぶりの全員が集まり、時間が経つのを忘れて楽しかった。老人ホームにいる母親を訪ねることと、尼崎、大物の墓所に行くのも目的だったが、日曜日の午後と月曜日の午前中がまるます空いたので、まず大阪の中之島にある中之島美術館に行ってきた。美術館の前は何度も通ったが、入るのは初めてで、ちょうど「長沢蘆雪展」が開催されていた。結構渋い展覧会で、おそらく中年以降の人が見に来るのだろうと思っていたが、すごい人気で、当日券を買うだけで20分くらい列を並ばなくてはいけないし、会場も三列で進む、超満員の状況であった。さらに驚いたのは、観客の半分以上が若い人で、それもメモを取ったり、解説を聞いたり、熱心に鑑賞している。江戸時代の画家はつい最近まで悲惨な扱いを受けていただけにこれは驚いた。

 

もちろんの応挙や伊藤若冲の人気があるのはわかるが、それでも観客の多くは年配の方であった。曾我蕭白の展覧会も凄かったが、それでも若者はまあまあいるかという感覚であった。ここ数年、可愛いをキイワードに、中村芳中などの画家も注目されてきたが、それでもこれほど若者に江戸時代の絵画が人気があるとはつゆほども思わなかった。

 

長沢蘆雪は応挙の弟子として有名であるが、それでも応挙風の精緻な作品を高い評価を得ていたが、幼児が描いたような拙い、奔放な絵については、これまで低い評価しかされなかった。明治から昭和にかけて、長沢蘆雪の後半期の自由奔放な作品は粗雑、乱作と感じた人も多く、作品もあまり高い値段がつかなかった。今回の展覧会でも、多くの展示品は個人蔵で、美術館や著名な絵画コレクターには高く評価されていなかったのだろう。

 

絵を見て、普通の人々が最もすごいと思うのは、画家の技量、どれだけ精緻な絵を描けるであり、伊藤若冲の鶏の細かな表現を見て驚くであろう。こうした精緻な画家の筆力は、絵そのものとはあまり関係ないものであるが、特に円山応挙の門人、四条派では、自然の描写力に優れており、あたかも掛け軸の中に自然そのものが表現されている、より写実的な表現が必要となる。そのため、草花、鳥などを何度も繰り返し、いろんな角度から描写することを求められ、絵自体のモチーフが規格化してしまっている。日本画家の渡辺省亭が、明治時代にパリに行ったときのことだ。ドガはじめ印象派の画家の前で、省亭は小鳥を描き始める。まずクチビルを描き、そして目を描き、次第に小さな鳥が紙の上に現れるのを、フランスの画家を驚嘆した。省亭からすれば、これまで何千回も描いたモチーフで、それこそ小鳥にあらゆる姿を瞬時に描けたであろう。手と指が覚えている。

 

こうした繰り返し、繰り返し描く方法は日本画家、それも江戸時代の画家の特徴である。そのため画家の描く主題がほぼ決まってしまい、明治期以降、西洋絵画の多様な主題に触れると、人々は古臭いと感じるようになった。薩長の役人は、豪壮で、士族の絵とされる南画を好んだせいもあり、女流画家、野口小蘋などは人気があり、高い価格で取引されたが、四条派の絵は評価は低かった。特に長沢蘆雪のように、画題や描写に振幅がある画家、つまり応挙ばりの精密に描写された絵と、一筆書きのような一気に描いた絵が混在するために、評価が定まらなかった。円山応挙、谷文晁、池大雅以外の江戸時代の画家は、古臭い絵描きとして忘れられてきた。最初に評価されたのが、戦後すぐに仙崖や白隠和尚のコミカルな絵が人気が出た。割合作品数も多いために、流通もあって、値段の急激に上昇した。2006年に伊藤若冲の展覧会が東京国立博物館で開催され、それ以降、若冲の人気は不動のものとなった。同様に曾我蕭白の絵もキモチ悪いと毛嫌いされ、多くの作品が海外に流出している。これもブームになったのは2005年の京都国立博物館の「曾我蕭白 無類という愉悦」以降なので、新しい。さらに中村芳中展があったのが2019年、渡辺省亭展があったのは2021年、そして長沢蘆雪展が今年、と最近はこれまで取り上げられなかった画家の展覧会が多い。

 

個人的には、掛け軸を中心として日本画が若者に興味を持って貰えば嬉しい。さらにいうと、世界でも200-300年前の古い絵を1万円くらいで買えるのは日本だけで、あまり知られていない画家であれば、江戸中期から後期の作品が、ヤフーオークションを中心に安く売買されている。近年、落札するのは中国を中心に海外の方で、評価が1000以上の落札者は、海外、中国のオークションサイトで、ヤフーオークションへの代行サイトである。彼らからすれば、200年以上の絵がこんなに安いのかということであろう。中国や韓国では、これまで戦乱や天災が多く、古い芸術品はほとんどなくなる運命となる。日本人の場合は、例えば寺や商家が焼けると、僧侶や雇人が、蔵からお宝を救出して守っていくが、中国や朝鮮では、むしろそうした場合は、逆に盗まれてしまう。日本ほど昔のものが、普通の家に残っているところは世界中でも少なく。家宝として代々受け継がれる伝統があるからであろう。


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