六甲学院の音楽の本田周司先生は、数ある先生のうちでも、とりわけ変わった先生で、生徒には絶大な人気があった。音楽才能の豊かな先生で、六甲学院の第二校歌に位置付けられる六甲学院賛歌など30曲近い歌を収めた歌集があるが、そのほとんどを本田先生が作曲した。また吹奏楽部の顧問として神戸市、兵庫県でも多くの賞を獲得し、さらに六甲学院創立五十年を記念して長崎で処刑された日本二十六聖人をテーマとした「交響的序曲 長崎への道 第三番」という五十分もの大作を作った。本田先生の影響で音楽の道に進んだ卒業生も多い。
記憶では、高校生になっても本田先生に音楽を習ったと思っていたが、どうやら間違いで音楽は中学3年生までであった。その中学3年生の時に行なったのが、名曲イントロ試験である。授業内容はだいぶ忘れたが、数回の授業で、本田先生が選曲した30 曲ほどの名作曲の一部を一曲、30秒から1分ほどテープで流し、その作曲者名と曲名を覚えさせた。そして後日、その中から20問ほど聞かせて答える試験である。今なら後で、You-tubeで調べれば、簡単に覚えられるが、当時はそうしたものもなく、曲のポイントをノートに記入して覚えていく。スコアーでも書ければ、楽であろうが、そうした才能もなく、例えば、「セルビアの理髪師 序曲」は、当時、流行っていた左卜伝の「老人と子供のボルカ」から“やめてけれ、やめてけれ”と覚えたし、ビゼーの「カルメン 間奏曲」は、“カンカン奏曲、タータララララー”と覚えた。またハイドンの「トランペット協奏曲」に至っては“タータタン タ タタタタター”という暗号のようなもので記載され、家に帰って見ても全くわからない。当時、ソニーレコードからクラシック名曲100選という名曲のさわりだけをまとめたレコードがあり、購入したものの、本田先生の選曲にはあまり有名でない曲もあり、こうしたレコードに入っていない。
それでも何とか覚えて、本番の試験はかなりいい成績であったと思う。その後、何かの折に、この時に覚えた曲が脳裏によぎり、なかなか忘れない。大学に入って、一時、音大の女学生と付き合ったことがあるが、曲を覚えているために、全くクラシックを聴いたことがない私でも話が通じたし、弘前に来ても流れている音楽を聴いて題名を当てたことから弘前交響楽団のメンバーから感心されたこともある。
今回、こうしたこうもあり、32期のフェイスブックで本田先生の名曲イントロ試験にでた曲を同級生に聞いたところ、いっぱい出てきた。他の同級生も50年以上経つのに未だに覚えているのだろう。一応、未確定のものも含めて下に挙げてみる。
1. シャブリエ 「狂詩曲 スペイン」
2. プロコフィエス 交響曲「キージェ中尉」
3. ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」序曲
4. ビゼー 「カルメン」間奏曲
5。 ハイドン 「トランペット協奏曲」
6. コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」II, 音楽時計
7. ドボルザーク 交響曲「新世界」
8. サラサーテ 「チゴネルワイゼン」
9. スメタナ 「わが祖国 モルドワ」
10.モーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲
11.バッハ 「G線上のアリア」?
12.チャイコフスキー 「1812年」序曲?
13.シューベルト ピアノ五重奏「ます」?
14、 サン・サーンス 交響詩「死の舞踏」
手元にある中学1年、2年、3年の通知簿を見てみると、3学期の音楽の成績は99点、100点、100点と信じられない点数がついていて、おそらく本田先生のこと、全生徒に99から100点をつけたのだろう。優れた教育とは、生徒の記憶に残る教育であり、こうして50年経っても今だに忘れていない試験は、優れた教育であり、本田先生は優れた教師なのだろう。
これ以外にも本田先生の名曲イントロ試験の曲があると思うので、是非、お教えください。
ps:10/30 歯磨きをしていて急に思い出しました。「タタータタータタータ」、サン・サーンス「死の舞踏」。この曲など、まずこの試験以外でほとんど聞いたことがない。今、人気のある韓国ドラマ「イカゲーム」に出てくる参加者の起床時のテーマ曲は、ハイドンの「トランペット協奏曲」である。
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