若い頃はよく一人旅に出た。最初の一人旅は、高校二年生の時で、当時の家庭教師から、一人旅に行ってこいと言われ、夏休みの終わり、8月末に沖永良部島に行った。学校が始まるので、この時期に旅行は無理だと言っても、どうして学校を休んではいけないのか説明しろと言われると、大した理由も思いつかず、母親もどういう訳かこの無茶苦茶な家庭教師の提案に乗り、行ってこいと勧める。こうなると意地で「だったら行ってやる」と、それも「離島に行ってやる」と言ってしまった。当時の離島と言うと本土復帰になった沖縄、そして与論島が若者に人気があった。そこでポートタワーのある神戸港に行き、船便を調べていると、沖永良部島という不思議な島に行く船便があり、42時間かかるという。与論島もいいが、この際は全く知らないところもよかろうと、急遽、沖永良部島に行くことにした。一番安い二等船室の切符を買い、船に乗るとしばらくは揺れもそれほどなかったが、外海に出るとすぐに揺れだし、それこそ42時間、ほとんど食べずに寝ていた。それでも幾分気分の良い時は、同室の3名の大学生と一緒にいろんなことを喋った。向こうも高校生のひとり旅に興味があったのか、同じ民宿に泊まろうと勧められ、そのまま3日間ほど一緒に行動した。レンタカーに乗って、島のあちこちをまわったが、地元の高校三年生の女子と親しくなり、穴場の海水浴場で一緒に泳いだりした。帰りはそのまま神戸に帰るのはもったいないので、奄美大島で船から降り、一泊することにした。旅館の人が、高校生の一人旅、それも夏休みが終わっての宿泊を怪しみ、自殺するのではないかと何度も部屋も見にきたりした。旅館近くで、盆踊りをしており、これは面白かった。
その次は、大学一年生の時に、兄がいた信州の塩尻に一人で行き、ここを起点に松本、上高地に行った。たまたま親父が購入していた古い「旅」という雑誌に信州、聖高原というところがいいと書いていたので、電車で姥捨というところまでいき、そこからバスで聖高原に行った。ところが、記事とは全く違い、そこは全くの別荘地で何もないところであった。どうやら読んでいた「旅」が十数年前のもので、様変わりしていたのである。それでもあちこち見て、帰ろうとすると帰りのバスの最終便がすでに出ていた。すでに夕暮れ、トボトボと道を歩いていると、車が来る。この時は、テレビで見た指を立てヒッチハイクの真似事をしてみると、地元の若者が乗る車が止まってくれ、姥捨駅まで送ってくれた。
その後は、インド、中国、山陰、などあちこち、一人旅行したし、大学卒業後は仕事がらみで全国、ほとんどの県に一人で行ったが、高校生の最初に行った一人旅ほど、楽しくて、記憶に残る旅はない。一人旅の醍醐味は、全く知らない世界に入っていく恐怖とそれを乗り越える達成感で、始めての旅行では、船便の切符を買うのも初めてだし、旅館を探し、泊まるのも初めて、見知らぬ人に喋るのも初めてと、全ての経験が初物づくしとなる。それまではこうしたことは親や周囲の人がやってくれ、自分では何もしていない。ただこうしたことも2度目、3度目となると慣れてしまい、それほど負担に感じられなり、その分あまり記憶に残らなくなってしまう。
「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったもので、昔は国鉄の周遊券なるものがあった。ワイド周遊券では北海道に20日間は、急行、特急電車に乗らなければ、どこにも行けた。最悪の場合は、駅で寝泊まりすれば、食事代以外にはお金がかからない安い旅行ができた。高校の頃もこうした周遊券とユースホステルを利用した一人旅も流行っていた。今の若者はどうだろうか。高校の頃のひとり旅は、人間を成長させると思うので、親も多少は費用を出して、子供に旅をさせたら良い。
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