2018年5月2日水曜日

故郷は遠きにありて思うもの



 津軽に住んでかれこれ24年目になる。ということは24歳以下の津軽生まれの人よりは長く住んでいることになり、まあまあ地元民と言ってもよかろう。兵庫県尼崎市に生まれ、そこに19年間、その後、仙台に9年間、鹿児島に8年間、宮崎に1年間、そして弘前に24年間と、最も長く住んでいるところであり、今のところ死ぬまでこちらにいる予定である。

 弘前という街は、非常にモダンで文化的な街であるが、逆に地縁的で保守的な傾向も強い。例えば、中心街にある紀伊国屋弘前店をのぞいてみてほしい。郷土の本というコーナーがあるが、書棚の一つのコーナーすべて、おそらく百冊以上の郷土関連の本がある。すべて地元、主として弘前の人が書いた本である。俳句集などは複数の作家が書いている場合もあり、この書棚にある作家だけでも百名以上はいるだろう。人口17万人で百名、つまり1700名に一人が本を出版したことになる。これはすごい数値であり、自主出版が全国的にブームとはいえ、かなり高い数値といえよう。またサークル活動が盛んであり、クラシックバレー教室が3つ、交響楽団、オペラ、ジャズビックバンド、コーラス、津軽三味線、さらに琴、尺八に能、書道、絵画など本当に多くのサークルがある。さらにはこぎん刺し、裂き織り、陶芸、盆栽、金魚、俳句、歴史など多彩な会があって、活発な活動をしている。またサッカー、卓球などのNPO団体やボランティアガイドなどの活動もある。人口当りのこうしたサークル活動の割合は高いと思えるし、その内容も高い。

 一方、これはあくまで個人的な感想ではあるが、“津軽の足引っぱり”、これは誰かががんばろうとする、あるいは目立とうとすると足を引っぱりじゃますることであり、こうした傾向は何も津軽に限ったことではない。ただ津軽では、この程度がひどく、目立つ人物がいれば必ず悪口をいう人物が現われ、つぶす。例えばAさんという人がいて、人格者で、仕事もでき、今度は勲章をもらえることになったとしよう。すなおにAさんはすごい、尊敬するというのは普通の反応であるが、津軽ではどうも素直な反応ができないようで、ひねくれていて今でこそAさんは立派になったが、子供のころはこんなこともしていたとか、Aさんの母親の弟はとんでもない奴だとか、こんな悪口ばかりが日常的にでていくる。とくに飲み屋での会話で、酒が入ると、人をほめる話が20%とすると、人の悪口が80%で、本当に悪口が好きである。さらに酒が入っても絶対に言ってはいけないことがあるが、心に感じたことをそのまま言葉に出す人がいて、びっくりすることがある。こうしたことが嫌いで故郷を出る人も多いし、故郷に残るひとでも出来るだけ人と接しない、目立つことはしないという人もいる。

 上京して功成り名遂げても、故郷に帰る人物は少なく、わずかな例外で、晩年、津軽で過ごした明治の探検家、笹森儀助も故郷ではあまり恵まれた生活をしていない。故郷は遠きにあり思うもの。故郷を離れて東京などの都会に住む津軽人の故郷への愛情は強いが、反面、憎しみも強い。ことに雪が降り、寒い冬の長い季節は、思い出としては懐かしい風景であるが、実際の暮らしとなると苦しい。同様に故郷の訛りは懐かしいものの、棘のある言葉、複雑な人間関係、冷たい対応など嫌な面も多い。他県人に比べても津軽人の愛憎を混ぜた故郷を想う気持ちは誠に屈折して、複雑である。

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