2012年2月26日日曜日

弘前の偉人





































 このブログでは、主として弘前出身の偉人を紹介してきた。ただ多くの人物は幕末から明治期に集中していて、戦後の偉人は少ないように思える。要因ははっきりしないが、明治期ほどの変動期がその後なかったこと、教育制度の中央集権化によるところが大きい。東京大学を頂点とする教育システム、ピラミッドができ、いわゆる学歴偏重、学閥がこの国の主流となってきた。東京大学に何人学生をいれたことが、学校の業績となり、かっての東奥義塾のような地方独自の教育システムが通用しなかったことが挙げられる。それにより画一的な人材しか生まれなかったし、津軽という独自の地域色が消滅したことによる。さらにこれは日本全体にも当てはまることであるが、漢文文化の衰退により、人間としての深さ、哲学がなくなったことにもよる。中国古典を読むことは、江戸時代、明治時代の人々にとっては生活に根ざしたものであり、生き方に深く影響した。

 それでは現役で、こういった人物はいないかとなるとそうでもない。例えば、その人の話しを聞きたいと東京で千名の観客を集められる人物となると、4人の弘前の人物を思いつく。ひとりは岩木山山麓で「森のイスキア」を主催して、おにぎりを通じて心の傷を背負った人々の、痛みを分かち合う癒しの活動をしている佐藤初女(さとうはつめ)さんである。一度、弘前歯科医師会で講演会をジョッッパルで行ったことがある。午前10時開場であったが、9時半には何十名のファンが開場待ちという状態で、ダイエーに頼んで早めに開けてもらった記憶がある。弘前でもこういったことがおこるくらいであるから、雑誌や本などでも有名なため、おそらくは東京で講演するとなると全国から多くのファンが来ることであろう。

 もうひとりは、あの小惑星探査機「はやぶさ」で有名な川口淳一郎教授で、実際に映画、アニメにもなり各地での講演会は盛況である。川口教授は、時敏小学校、弘前第一中学、弘前高校を卒業した生粋の弘前の人で、まわりにも同級生だったという人も多い。

 三人目は奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんで、この前のロータリークラブのインターシティーミーティングでも講演され、大変面白かった。全国の無農薬栽培をおこなっている農家では教祖に近い存在で、家庭菜園をおこなっているアマチュアからも信奉者は多い。実際、講演には全国各地からひとが集まる。

 四人目は、現代絵画の奈良美智さんで、弘前のレンガ倉庫で3年ほど、三つの展覧会を行ったが、若者に人気は高く、展覧会の度にわざわざ県外からこの展覧会目当てで数千人の若者が弘前を訪れた。人気は高い。

 通常、著名人と言えば、作家、実業家、歌手、映画俳優などが思い起こすであろうが、弘前出身の作家は長部日出雄、鎌田慧はじめ、多くの作家はいるものの、実業家、歌手、映画俳優には有名なひとは少ない。上に挙げた4名にしても、佐藤初女さんは肩書きを何と言えばわからないし、川口教授は科学者、木村秋則さんは農家、奈良美智さんは画家とその肩書きは幅広い。ただ芸能界といっても歌手、俳優は少ないが、渡辺プロ会長の渡邊美佐さんの祖父は弘前藩士山鹿旗之進であり、アミューズの会長大里洋吉さんは青森市出身である。

 医学の分野では、全静脈麻酔法を確立した弘前大医学部麻酔科学の松木明知名誉教授と、大腸がんの集団検診法を確立した同じ弘前大学医学部名誉教授の吉田豊先生の業績は世界に誇れるものである。松木名誉教授はさらに文科系の研究、麻酔科学の歴史、森鴎外、医科史の研究の評価は高い。ともに純粋な弘前人である。

 弘前市の人口18万人と同規模の市といえば、大阪和泉市、愛知豊川市、東京立川市、日野市、愛知安城市、富山高岡市、神奈川鎌倉市などが挙げられるが、この中で人物が多く出たところとしては鎌倉市くらいが匹敵する。明治期に比べれば、少なくなったとはいえ、弘前はまだまだ人物を生み出すところである。街のもつ歴史の重みが何らかの影響を及ぼすのかもしれない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

弘前出身の女優長内美那子さんは塩分町の長内歯科医院の長女で,お父様は劇団「雪国」の主宰でありました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。年輩の先生は長内先生のことを知っていて、歯科診療より演劇の方がメインだったようです。こういった豪快な先生も、今は歯科医院自体の経営が厳しくなり、いなくなりました。長内美那子さん、最近はあまりTVにでませんが、津軽美人です。